カクテルの歴史
先に述べたように、酒に何らかの材料を混ぜて、「カクテル=酒+something」ということなら、古代ローマ帝国の時代まで遡る。
クセジュ文庫の「味の美学(Robert J.Courtine著、黒木義典訳/白水社刊)」は、古代ローマ人がワインに混ぜ物をして飲んでいたことを述べ、「この混合はぶどう酒に対して悪い影響しか与えなかった。一番いいぶどう酒は非常にアルコール分が強く、また濃かったので、つぼから盃に移すとき、その沈殿物を漉してその場で水割りにしなければならなかった。最もよく飲む人たちでも水で割っていた。して割ってないぶどう酒をこっそり飲むのは異常者か欠落人間だけで、その人たちは現在のエーテル常用者のように非難されていた・・・」と書いてある。
当時のローマでは、ワインの水割りが市民の常識的な飲み物であって、このほかにも石膏、年度、石炭、大理石の粉、海水、松屋に、樹脂などを加えて飲んでいたようだ。
また、紀元前の古代エジプトでは、ビールに蜂蜜やしょうがやナツメヤシのジュースを加えて飲んでいたようで、これらはチズム(Zythum)、カルミ(Calmi)、コルマ(Korma)などと呼ばれていた。
同じようにギリシアでは、ワインを海水、泉の水などで割って飲んでいた。
こうしたワインやビールに何かをくわえて飲むスタイルは、カクテルの原始的な姿と受け止めるべきで、当時はカクテルと入ってなかったに過ぎないと考えるべきだろう。
7世紀半ばの唐には、ワインに馬乳を混ぜた乳酸飲料があったことが(現在のヨーグルトを使ったカクテルのようなもの)知られている。
また、中世ヨーロッパ(12世紀~17世紀にかけて)の人々は、冬季の寒冷化が起こり、冬になるとワインにスパイスを加えて温めて飲んでいた。このホットワインの伝統は、フランスのヴァン・ショー(Vin Chaud)、ドイツのグリューヴァイン(Grühwine)、北欧のグロッグ(Glögg)などの形で現在も息づいている。
1630年頃、インドで考案されたといわれるパンチ(Punch)が東インド会社の社員を通じてイギリスにもたらされ、家庭でも飲まれるようになっていった。
1855年に出版されたサッカレーの小説「ニューカムズ」には、ブランデー・カクテルが話題になる描写があり、この時代のイギリス社交界で、カクテルと呼ばれる飲料が飲まれていたことがわかる。
ちなみに、カクテルという名称が使われた最も古い事例は、1748年にイギリスで出された「ザ・スクァイア・レシピーズ(The Squire Recipes)という小冊子だとされている。
現在のような氷で冷やすカクテルが本格的に創られ始めたのは、1870年代、ドイツのカール・フォン・リンデによって製氷機が発明され、四季を通じて氷が手に入るようになってからのこと。
こうした現在的なカクテルは、20世紀初頭、多国民族国家であり、まだ固定した飲酒文化の伝統を持たないアメリカで誕生し、大きく成長していった。
規制の形にとらわれない自由なアメリカ生まれのカクテルは、やがてヨーロッパの主要都市に多数のアメリカンバーを登場させた。
1920年から足掛け14年続いたアメリカ禁酒法時代に腕のいいバーテンダーがヨーロッパに渡ったことも、カクテルの世界的普及をいっそう進めたといえよう。
わが国にカクテルが伝えられたのは、比較的早く、明治初期の鹿鳴館時代には、上流階級の人々に飲まれていたといわれる。
そして、大正時代にはいって登場したバーによって、カクテルは広く知られるようになっていく。
本格的に普及したのは、第二次世界大戦後、全国の都市にスタンドバーが「雨後のたけのこ」のように増えてから。
手軽な価格と親しみやすい雰囲気のスタンド・バーは、戦後の開放された社会風潮もあって若い世代を中心に爆発的な人気となり、カクテルブームを呼んだ。この時期、女性の飲酒が広がっていったことも、ブームに拍車をかけた。