XFROMJAPAN+VIOLET UK

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Xライブの軌跡

Xライブの軌跡

1987年、TOSHI HIDE PATA TAIJI YOSHIKIの5人がそろい、目黒の鹿鳴館を中心にライブハウス活動を始めてから
ライブを観に来る人の数は、うなぎ登りで増え続け、1988年の春には、インディーズにもかかわらず、中野公会堂でワンマン・コンサートを
行い、前後して、全国ライブ・ハウスツアーも決行、成功を収めました。

1989年3月には、SONYよりデビュー寸前に、インディーズとしては快挙ともいえる、渋谷公会堂でのライブを大成功させ
デビューアルバム「BLUE BLOOD」をひっさげての全国ホールツアーは、すべてのチケットがソールドアウトとなる
まさに破竹の勢いの、ライブがスタートしたのでした。

当然、少しでも数多くの人々に観てもらいたいという気持ちから、会場は、大きいところへと変化し
1990年2月4日には、いよいよ日本武道館でライブを行いました。
その後、全国的にもいわゆるアリーナ規模の会場が増え、1年間のブランク後アルバム「JEALOUSY」をひっさげての大復活全国ツアー
では、初めての東京ドームに挑戦することとなったのです。

1991年8月23日、5万人収容可能な東京ドームは、満員でした。
日本武道館の時もそうでしたが、東京ドームが、まるでライブ・ハウスのように一体となってしまう光景に数多くの
人達が驚きの声をあげました。

常識のレベルを超える激しいドラミングと、一瞬の手抜きも許せないハイテンションの連続から、1回のライブ公演で数回
意識を失ってしまうYOSHIKI。体力の限界を超えたところまで手を伸ばしてしまう彼の生き方が、時として肉体と精神の
アンバランスを招き、ライブ続行不可能な体にしてしまうのです。
ライブ・ツアーを中止えざるを得なくなった最初の公演は、1988年11月23日の、渋谷公会堂、翌年2月の復活ライブ
まで、彼は闘病生活を余儀なくされました。

1990年11月には、レコーディング直前に、LAにて倒れ、2ヶ月弱のブランクを得て、1991年夏にスタートした全国ツアーでは
完全なフォロー体制を組んだにもかかわらず、やはり11月横浜アリーナ公演の初日、ドラム・ソロを終えた直後に
意識を失い、そのままドクターストップにより、公演は中止となりました。

このように、2日連続の公演ですら、非常に危険な状態で、Xは渡米前のツアーファイナルとして、前代未聞
(国内アーティストとしては、日本史上初!)東京ドーム3DAY公演を決定。
リハーサルと慎重なケアを行いながら、本番に臨んだのでした。

1992年が明け、人々が新年をお正月で祝っている頃、Xのメンバーとスタッフは、いよいよ5月から始まる東京ドーム公演に
むけて、念入りな準備を続けていました。何よりもスタッフが気づかったのは、メンバーの体調です。
Xにとって3日間連続の公演は1988年秋の札幌でのライブ以来、3年ぶりです。
誰もが、3日連続でやり通すことができるのだろうか?と言う不安を心の中にしまいながら、やはり誰もが、Xにとって
過去のどのライブよりも重要なこのライブが見事成功することに違いない事を、Xだからこそ、そう確信していたのです。
どんな壁も打ち破ってきたXの気力を信じていたのです。

1月5日Xにとって東京ドームは2度目。前年8月の初めての東京ドームを思い起こさせる光景、舞台、楽屋、廊下、客席。
ただ1つ、そして全く違うのは、今日という日の意味でした。
16時。観客が続々と席を埋め始めます。彼等も今日と言う意味を知っているのでしょう。
いつも、始まるまで何が起こるのかわからないX・・・。
たとえ、その瞬間に存在しても、再び会える保証など、どこにもないX・・・。

さて、その後東京ドームで何が起きたのか
この DVD&VIDEO で確認してください。
五感であなたが感じたもの・・・。
それがXです・・・。


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