XFROMJAPAN+VIOLET UK

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J-ROCK magazine 2000.4



日本で育ったロック”。これはhideが自らの音楽を創っていくときにテーマとなっていた言葉だ。そして、それは現在のJロックを語るに欠かせない言葉であり、それを創作する彼の真摯(しんし)な姿勢が実際の形あるものにしたとも言えるだろう。そこでhideのディレクターでもあった後藤昌彦氏に、彼がどんな気持ちで音楽に取り組んでいたのかを語ってもらった。その言葉からは、試行錯誤を繰り返しながら理想とするサウンドを追求していた、“アーティストhide”の姿が浮かび上がってくる。


●後藤さんがhideさんと一緒に仕事をするようになったのはいつごろからなのですか。

ディレクター後藤(以下後藤):93年ごろですね。そのときにソロデビューシングルとなる「EYES LOVE YOU」の一部はできていたし、最初の仕事が当時の”hide“のロゴを決めるという作業でした。

●それまでのhideさんに対する印象はどんなものでした?

後藤:僕は以前にキャプテン・レコードというインディーズのレコード会社にいまして、当時からhideが暴れん坊だという噂(うわさ)を聞いていたんで、「絶対に一緒に仕事をしたくないな」って思ってました(笑)。でも、たまたまテレビの歌番組で彼が目の前のガラスの板をギターで割るところを観たんですけど、「この人は自分の見せ方を知っているな」って思いましたよ。まあ、当時の彼の印象はそれぐらいだったんですけどね。

●では、実際に会われては?

後藤:すごく礼儀正しい人でした。でも、最初は「俺のことを探っているのかな?」みたいな印象も受けましたね。後に彼は「人はまず信じてみよう」という考え方になるんですけど、当時はまだ20代だったので、新しいスタッフに対してそういう猜疑心(さいぎしん)みたいなものがあったみたいですね。

●やはり当時からhideさんは”日本で育ったロック“というのを意識していたのでしょうか。

後藤:いや、そういうこと以前に、まだすべての面において手探りな感じでしたね。

●1stアルバム『HIDE YOUR FACE』は、やはり手探りな感じで作業を進めていたのですか。結構実験的な要素も強いのですが。

後藤:そうですね。テリー・ボジオ(元フランク・ザッパ・バンド、UK、ミッシング・パーソンズのテクニシャン・ドラマー)やT.M.スティーブンス(ファンクからメタルまでをもこなす超絶テクニカルベーシスト)と一緒にやるというのも日本人で初めてのことだし、ジャケットにしてもギーガー(H.R.ギーガー、映画『エイリアン』のデザインを手掛けている)とやったというのも日本人としては初めてのことだったし…そういう部分もその1つでしょうね。

●テリー・ボジオやT.M.スティーブンスと一緒にやっているときのhideさんはどんな感じでしたか。

後藤:すごく楽しそうでしたよ。テリー・ボジオのドラムをたたく姿が非常に美しかったんで、それに感動していました。テリー・ボジオって当時は40歳ぐらいだったと思うんですけど、20代後半ぐらいにしか見えないんですよ。体も鍛えていたんでしょうね。T.M.スティーブンスは開けっぴろげで、体もでかくて…猛獣のような男だったんで(笑)、hideが「『美女と野獣』だな」って笑ってました。「EYES LOVE YOU」と「DICE」と「BLUE SKY COMPLEX」…4曲ぐらい一緒にやったと思うんですけど、一応最初は譜面に添ってプレイしてもらうんですね。でも、曲の構成が結構複雑じゃないですか。普段彼らがやらないようなスタイルだったんで、「ここはこうしてほしい」というようなコミュニケーションが必要になってくるんですよ。そういうところも含めてフレンドリーにしていましたね。

●そういう世界的にも有名なミュージシャンと一緒にやることによって、hideさん自身の意識も高められたのではないかと思うのですが。

後藤:曲によっては日本人がプレイした方がもっとかっちりとまとまった部分も正直言ってあったと思うんですけど、やっぱりアメリカの一流ミュージシャンと一緒にやったことに意味はあったと思いますね。精神的な部分を高めるということで。

●I.N.A.さんもこの作品から参加していますよね。

後藤:Xジャパンのころから、あの2人はいいコンビで仕事していたみたいですね。

●やはりhideさんの作品を語るにあたってI.N.A.さんの存在は大きいですか。

後藤:大きいですね。hideは「○○がいないと、この仕事はうまくいかない」というのが非常に嫌いで、全部自分の中で決着を付けられる人でありたいとよく言っていたんですけど、僕が見る限りでは稲田くん(I.N.A.の実名)だけは例外だったと思いますね。

●『HIDE YOUR FACE』を完成させたときのhideさんはどんな感じでしたか。

後藤:どんな感じだったんでしょうね(笑)。でも、ジャケットも含めて、自分が思ったことを全部やったという感じだったと思います。特に初回盤の立体のジャケットは非常に評価も高かったですしね。

●後藤さん自身は、このアルバムにどんな印象を持っていますか。

後藤:一昨日、ベスト盤のマスタリングが終わったところなんですよ。しみじみと昔の曲を聴いていたんですけど…まあ、試行錯誤の中でやっていた作品だなって思いますね。最初の方で録った「EYES LOVE YOU」は、まだ彼が歌をコントロールして歌えたものではないと思うんですけど、最後の方に録った「TELL ME」になるとかなりコントロールできているんですよ。だから、すごい短期間の間に習得したんでしょうね。その後にツアーを2回やったんですけど、ツアーの度にまたうまくなるし、最後のアルバムの『Ja,Zoo』の歌はもう超一流のボーカリストの歌じゃないですか。だから、ベストアルバムのマスタリングをしていても「この人はほんとに努力して、成長した人だな」って実感しましたよ。

●短期間でそこまで成長するのは、それだけ高い意識を持っていたんでしょうね。

後藤:その意識を継続することができるのが、また彼のすごいところですね。

●そんな『HIDE YOUR FACE』を土台にして、2ndアルバム『PSYENCE』はさらに実験を行った感じですか。

後藤:ある意味で”実験した“というニュアンスは否めないかもしれないですね。難しく聴こえる仕掛けもやっているし。また、このときからエリック・ウエストホールというエンジニアと一緒に仕事をするようになったんですよ。hideがずっとこだわっていたギターのアンプの箱鳴りみたいなものをうまく録ってくれる人なんで、ギタリストとしての音色の突き詰め方とかで2歩も3歩も成長したアルバムだと思いますね。

●以前にこのアルバムについてhideさんに「ギタリストらしくないアルバムですよね」という質問をしたときに、「でも、ギタリストにしか出せない音なんですよ」って言っていましたよ。

後藤:そうなんですよ。だから、このアルバムの特徴は音色ですよね。これは非常に大事なことで、思い通りの音で録れることって、アーティストにとってすごく快感なわけですよ。で、それが1つ成長したところと、あと1つはコーラスですね。シングルになった曲は特にそうなんですけど、とんでもない凝り方をしたコーラスを録っているんです。あまり表には聴こえてこないけど、よく聴くと聴こえてくるみたいな。計算されたコーラスワークもこのアルバムの特徴だと思います。あとは…イントロとかも凝っていて、ビートがひっくり返ったように聴こえるような作り方もしていますね。

●そういう実験的なところも含めて、とても遊び心に満ちあふれていますよね。

後藤:遊び心は大事ですよね。彼は音楽を作ることを非常に楽しんでいました。もちろんミュージシャンの方はみんなそうだと思うんですけど、ほんとに楽しみながら、こだわりを持ってやっていましたよ。それが素直であればあるほど人に伝わるパワーを持っていると思います。

●このアルバムは歌が確実に届いてくるだけに、メロディーも特徴だと思うんですが。

後藤:いい曲が多いですからね。「MISERY」とか「Bea-uty & Stupid」は自分の声を出すということに、もう迷いがないですね。鼻に抜けるような…高音部でちょっと声がひっくり返ったような歌い方をするときがあるじゃないですか。そういうものをちゃんとコントロールして出していますからね。

●そんないいメロディーを歌っているのに、バックがひずんだ汚い音だったりするのが、またhideさんらしいなと思うのですが(笑)。

後藤:それは彼の体質だと思います(笑)。ビジュアルにしても、最初に出したビデオ(『A Souvenir』)のパッケージもテディベアがいっぱい描かれている包み紙で包まれていて、赤いリボンもかかっているんですけど、穴がところどころに空いていて、そこから見えているのが鯨の腸なんですよ。これには僕も彼の精神の深いところが理解できていないんですけど(笑)。だから、そういうことっていろんなところでやっているんですよ。

●そこも遊び心なんですね(笑)。でも、hideさんは歌謡曲を聴いて育っているからメロディックな歌を作れるし、そこで洋楽も聴いてきているからサウンドはいかようにも作ることができるんでしょうね。

後藤:そうですね。『HIDE YOUR FACE』だったら自分の中から出てきたものをばらまいて、「この曲はこうだ!」っていうふうに後付けでテーマを付けていった印象があるんですけど、『PSYENCE』は「こんなテーマで曲を作ってみよう!」っていうことが可能になったのかもしれないですね。

●では、後藤さんのこのアルバムに対する印象は?

後藤:hideがよく言っていたんですけど、「最小人数で、最短時間で、最高のものを作った」って(笑)。まさにそんなアルバムですね。ほんとにスタッフとかもあんまりいなくて、ギターのチューニングもずいぶん僕がやっていたんですよ。彼は曲によってチューニングを変えるんですね。それにオープンコードをよく使っているでしょ? だから、開放弦を鳴らすことが条件になってくると、もうギターのチューニングを変えるしかないんですよね。「ERASE」はもうベースの弦もベロンベロンになるぐらいの低いチューニングで、録っていてどんどんピッチが狂うんですよ(笑)。それがとても大変だったことを覚えていますね。ベースのピッチが悪いから、当然歌がちゃんと歌えないんで、結局モニターのベースをオフにして歌ったんですよ。そんな苦労もありました(笑)。

●そして、3rdアルバム『Ja,Zoo』なのですが、このアルバムはXジャパンが解散し、ソロアーティストとしてのスタートとなる作品でもあるし、今までの2枚のアルバムを踏まえての3枚目というところで、hideさんの意気込み的にも違っていたのでは?

後藤:すべてのことにおいて、1つ高いところでスタートしたような感じはありましたね。楽曲にしても、歌にしても、アレンジにしても、とんでもないレベルからのスタートでしたし、さらにそこから登り詰めて行く。さっきの音色にしてもかなりノウハウががっちりとしてきたんで、普通だったら音作りに半日悩んでから録りが始まるところも、1時間ぐらいで音が作れてしまうんですよ。またそこからさらに3時間も4時間もかけて音色を作っていった曲もあるんですけど、それはかなりの高いレベルで悩めたねってhideと話したことを覚えていますね。特に「BREEDING」のギターを録っているときがそうでした。非常に楽しかったですよ。「こんな音、どんなアルバムでも絶対に聴けないよね」っていう話をしていました。

●それは「もっといいものを」と思って、さらに上を求めてしまう感じなのですか。

後藤:でも、ガツガツとしてやっているんじゃないんですよ。楽しみながらやっているとどうしてもそこに行き着いちゃう。”努力を惜しまない“という言い方が正しいのかどうか分かりませんけど、ほんとに楽しく、緊張感も途切れることなく続いていった…だから、ほんとに楽しみながら努力をする人でしたね。

●また、このタイミングでhideさんは、スプレッド・ビーバーというバンド形態を取ったわけですが、それはhideさんにとって、Xジャパン解散後の次のスタンスということになるのでしょうか。

後藤:やっぱり彼はバンド出身の人なんで、バンドという形態が好きだったんだと思うんですよ。そういうスタイルでやっていくというか、そういうところに自分を置いておかないと心配だったのかもしれないですね(笑)。昔のロックバンドって集合体っていうか、それぞれのメンバーが非常に個性的で、「だからこそこの音が出てくるんだ」みたいなものがあったじゃないですか。そういうのが最近はだんだんと薄れてきているような気がするんですよ。やっぱりhideもそういう昔のロックを聴いて育った人だから、バンド形態というか、バンドのビジュアルとか、キャラクターを気にする人でしたね。

●hideさんはキッスが好きでしたけど、スプレッド・ビーバーは、そのキッスみたいに全員がソロをとれますよね。

後藤:キャラが立っているというかね。音楽の趣向的なところだけ見れば、この人達が一緒にバンドをするなんて絶対にあり得ないんですけど、それがhideがいることによって集まったというか。

●この『Ja,Zoo』を作っている途中で、hideさんは他界してしまったのですが、やはり後藤さんもこのアルバムは完成させないといけないと思いました?

後藤:そうですね。「完成させていいものか?」という疑問も生まれなかったわけではないのですが、やはり彼が作りかけていたものをそのまま放っておくこともできないし…まあ、彼が生きていればきっと16曲ぐらいのアルバムができたと思うんですけど、そこは僕らには触れられないところなんで、残っているもので形にできるものだけを形にしないといけないと思ったというか…僕らもそのままでは終われないわけですよ。それをやってしまわないと僕らも次に進めないし、hideの作品が浮かばれない。

●アルバムが完成したときは、どんな気持ちでしたか。

後藤:エンジニアのエリックさんと僕と稲田くんの3人で…最後のマスタリングが終わったのがロサンゼルスだったんですけど、郊外にあるエリックさんの知り合いのコテージみたいなところで、1日ゆっくりしましたね。ずっとマスタリングが終わったばかりのテープを聴きながら。実作業では、稲田くんが一番大変だったと思いますよ。ボーカルトラックのエディットとかをしないといけないじゃないですか。今までだったら「これどう?」って本人に聞くわけですよ。でも、その聞く人がいないっていうのは、どんなに寂しいかって…ね。

●それは『Ja,Zoo』のインタビューのときに、I.N.A.さんも言っていましたよ。

後藤:ですよね。もう痛々しいものがありましよ。

●そういう感情を抜きにして、音的な部分で、このアルバムにはどんな印象を持っていますか。

後藤:最高の作品です!(笑) 実質的には、「これをhideの3rdアルバムと呼んでいいものか?」という疑問もありますけど、すべてに無駄がないし、音にしても太い音で録れているし、歌詞の面でも、歌の面でもしっかりとコントロールされた作品だと思いますね。

●hideさんが目指していたものが完成している?

後藤:そうですね。”サイボーグロック“と最後の取材で彼はよく言っていましたけど、サイボーグというのは人造人間であって…だから、コンピュータと人間が演奏しているのではなくて、サイボーグが演奏しているような近未来的なサウンドというか、要素としてはテクノとロックが合体したような、1998年にしかできない音楽を作り上げたと思っていますけどね。

●後藤さん自身、hideさんと出会ったことによって、日本のロックに対する考え方が変わったりはしませんでしたか。

後藤:昔って音楽をやっている人は洋楽へのコンプレックスがあったと思うんですよ。でも、今はもう日本のロックもアメリカのロックもレベル的には差がないものになってきたと思いますね。特にhideを見ていてそう思いました。

●そういう意味でも、hideさんとの出会いは大きいですか。

後藤:大きいですよ。僕も一生懸命に仕事をしたつもりなんですけど、どうしても彼に追いつけなくて、最初はついていくだけで精神的にも肉体的にも大変でした。彼はレコーディング中も休まないし、最初から最後まで緊張感を途切れさせずにフルパワーでやる男でしたからね。それにhideに中途半端な返事をしてしまうこともあったんですけど、とことん追求されるんですよ。「これはどうなの? 何でできないの? こうすればできるんじゃないの?」って。そうやってできたのが『HIDE YOUR FACE』の初回盤ジャケットだったんですよ。だから、いろんな面で教えられたことが多かったですね。すごいアーティストでしたよ。6年間っていうのは、振り返ってみれば、あっと言う間でしたけど、素晴らしい体験をしたと思います。

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