船橋市の人口は約57万、千葉県では千葉市に次ぐ大きな街です。歴史的にみても、旧くは古東海道、後には成田街道をはじめとする房総半島方面への交通の要衝であり、いつの時代も宿場町として栄えてきました。
しかし、フナっ子(地元の人)の中に「船橋には誇れるものがない」と言う人が多いと聞きます。東京に近いので、つい都内と比べてしまうかららしいのですが、確かに全国的に有名なものが少ないようです。では、全国の人たちに「船橋と言えば何?」と問えば、やはり、これでしょう。
♪ 船橋ヘルスセンター
船橋ヘルスセンター
長生きしたけりゃ ちょっとおいで
チョチョンのパ
(後略)
♪
このCMソングは、作詞作曲:三木鶏郎(トリロー)、唄:楠トシエで題名を「長生きチョンパ」といいます。「船橋ヘルスセンター」の名を全国に広めた名曲です。
この“白亜の温泉デパート”が誕生したのは1955年2月。船橋ヘルスセンターのコンセプトは“温泉につかった後は、広間でゆっくりくつろぐ日帰り温泉旅行”でした。
海浜埋め立て地から噴出した鉱泉と天然ガスを利用したもので、創業当時は、直径30mの「大ローマ風呂」と名付けられた温泉と100畳敷きの宴会用大広間でした。当初は温泉旅行にあまり出掛けることのない主婦や老人が大半だったそうで、小さい子供や孫を連れて楽しめる場所だったわけです。
それが昭和30年代後半から若者や家族向けの娯楽施設を増やし、8年後には“12万坪の海辺に1万坪の白亜の温泉デパート”というまで拡大しました。1日では遊びきれないマンモス・レジャーランドに成長し、近県はもとより、全国から観光バスを連ねて利用客が集まる人気で、最盛期には年間400万人が訪れました。
主な施設は、大コマ館、ダンスホール、ボーリング場、卓球場、遊覧船、モーターボート、水上スキー、観覧車や豆汽車などのある大遊園地、8つのプール、10万人が泳げる広さの人工ゴールデンビーチ、野球場、テニスコート、ボート、釣り堀、一年中滑れる人工芝のハイランドスキー場、結婚式場、温泉ホテル、長安殿(中華料理・豪商大倉八郎翁の向島別邸を移築したもの)、ブラジル・フィリピン・トルコ・スイスなどの民家を模した「各国村」、ミニゴルフ場、アイススケートリンク、ローラースケート場、動く歩道、ワニ池、東洋一の大モノレールなどなど。セスナ機による東京湾遊覧飛行、ドッグレースに潮干狩り、夏には花火大会と、まさに何でもあり。また、隣には知る人ぞ知る「船橋サーキット」がありました。
東京ディズニーランドができる20年も前に、こんなすごい娯楽施設があったことに、あらためて驚かされます。
まず、多種多様な風呂を楽しめるのが特長で、全国の健康センターブームの火付け役となりました。看板の「大ローマ風呂」をはじめ、大滝風呂、岩風呂、家族風呂、蒸し風呂、トルコ風呂、電気風呂、酵素風呂などがありました。室内温水プール「裸天国」もありましたね。
大プールには「大滝すべり」といって、今で言えば「ウォータースライダー」がありました。ハイランドスキー場の閑散期対策として企画されたものです。「いい加減な作りなので怖さも半端じゃない。すべるというより“飛ぶ”という感じでした。滑降距離によって色が分かれていて、一番長いのは100mを超えていた」と懐かしむ人もいます。
大コマ館の4階には500畳敷の大広間があり、中央に円形コマ廻り舞台を備えたステージがありました。有名な芸能人のショーが多く催されました。夏のオン・シーズンになると、ハイランドスキー場下のスペースを利用して、収容人員1万人の第2ヘルスセンターも作られました。
初期には、駆け出し時代の三波春夫や村田英雄が浪曲をうなり、トニー谷がソロバン持って「アナタのお名前、なんてえの~」とやってた「アベック歌合戦」の公開録画も行われました。また、グループサウンズが流行った頃からはコンサートが盛んで、オックスの失神騒ぎがありました。
中でも、ドリフターズの「8時だよ!全員集合」の公開録画にしばしば利用され、全国のお茶の間にすっかり定着しました。「ドリフが来るから船橋ヘルスセンターはすごい」と思っていましたが、少し違うようです。
ドリフの初のレギュラー番組は「ドリフターズ・ドン」という爆笑バラエティーで、昭和42年4月から半年間の毎週土曜日に、船橋ヘルスセンター提供、製作TBSで放送されました。コントやギャグを織り混ぜたコミックバンドとしての魅力を発揮した「ザ・ドリフターズ」を世に出したのは、実は船橋ヘルスセンターだったと言えるのです。
このように庶民に親しまれた船橋ヘルスセンターは、1977年5月に閉園しました。そして1981年4月、その跡地は大ショッピングセンター「ららぽーと」として生まれ変わり、現在に至っています。
1983年4月の「夢の王国」東京ディズニーランド開園を前にして、“白亜の温泉デパート”はレジャーランドの王者の座を譲るべく、すみやかに身を引いていったのです。
船橋ヘルスセンターの経営について少し触れましょう。
この施設の形式上の経営者は「社団法人船橋ヘルスセンター」でした。同法人は半官半民の色彩をもった組織で、役員構成は次の通りでした。名誉会長は船橋市長、理事長は地元国会議員、常務理事は船橋市商工課長、筆頭理事は千葉県副知事で、その他の理事に船橋市議会の議長・議員9人が入っていました。そして相談役は朝日土地興業社長の丹沢善利氏でした。
この「社団法人船橋ヘルスセンター」はダミー法人であり、同法人が引き受けた埋め立て事業や船橋ヘルスセンターの実際の経営はすべて朝日土地興業が手がけました。
このように「船橋ヘルスセンター」には、千葉の海の埋め立て事業の構図が典型的に示されています。すなわち、市が企業を誘致、県は事業の主体となって公有水面の埋立てを申請し、国がこれを許可する。しかし、実態は、企業がすべてを運営していたのです。ただの海面が、国民的レジャーランドに変貌するとともに、巨額の税収と企業利益をもたらしたのは、まさに時代を象徴していると感じます。
千葉の海の埋め立て事業の主役だった三井不動産は、1970年に「株式会社船橋ヘルスセンター」を設立し、同社にヘルスセンター部門を営業譲渡した朝日土地興業を吸収合併しました。株式会社船橋ヘルスセンターは1981年、ヘルスセンター閉園後の跡地に大規模なショッピングセンター「ららぽーと」を建設し、3年後に「株式会社ららぽーと」と改名しました。
船橋という街は、人が流れる大きな川の淀みであり、船橋ヘルスセンターをはじめいろいろな事物が、うたかたのように浮かんでは消えていく処なのかもしれません。
(参考)
・ 縁の下研究所,懐かしのCM大全集(http://page.freett.com/ennosita/cmsongs.html)
・ 三井不動産,ららぽーと誕生物語(http://www.mitsuifudosan.co.jp/home/aboutus/inside/02/index02.html)
・ 船橋情報ネット,船橋繚乱(http://www.chiba-fjb.ac.jp/fjn/fcoluma9.html)
・ 千葉県自然保護連合,埋め立て開発と利権(http://www005.upp.so-net.ne.jp/boso/herusu.htm)