ワールドホリスティックアソシェーション公式ブログ

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心療内科医 六浦裕美


  ホリスティック友達の輪           六浦裕美


「ホリスティック医学」と聞くと、
なにか特別なもののような感じがしてしまうのだが、
実際のところがどうもよくわからない。

医者やセラピストの立場から提唱されている、
なにか特別な概念のように思えてならないのである。

患者の立場であれば、昔からホリスティック的なことは
自然にしているのではないだろうか?

たとえば・・・
「棚の上の物を取ろうとした拍子に腰がグキッと痛んだ。
それからひどい腰痛で動けない。
整形外科に受診して、湿布と痛み止めをもらって安静を指示された。

最近仕事が忙しかったので疲れが溜まっていたのか、
心配事で睡眠不足になっていたせいかと、自分の生活を省みる。
最近太ったのも腰に悪い。日頃の運動不足もたたっているのだろう。

とにかく、痛かったら横になるのがいちばん。
薬にはできるだけ頼りたくないし、安静にしていると少しずつ良くなる。

そんな話を友人にすると、実は自分も苦労したのだと言って
腰痛体操を教えてくれた。頑張って毎日続けてみよう。

会社の同僚は、温めるのがよいと入浴剤を勧めてくれた。
駅前の鍼灸師さんが良いという評判を妻が聞いてきた。
一度行ってみようか。

腰痛で動けなくなってみると、
自分がいかに無茶な生活をしていたかがよくわかる。

もう若くないのだから健康に気をつけないといけない。
食事も注意して体重も減らそう。
こんな生活を続けていたら、本当に病気になってしまう・・・」。


どこにでもありそうな話の中に、
実はホリスティックのエッセンスが詰まっている。

病気になると多くの人はなにが悪かったのかを省み、
どうすれば良いのか考え、選択できる治療法を集めて
自分に合ったものを選ぶ。

そして安静にして「治るのを待つ」のである。

昔の人は医者や医学をあてにしないで、
伝承や民間の治療法を試みて自分で病気に取り組んだ。

現在はこのような人が減って
「医者に治してもらおう」と考える人が増えているのであれば、
主体性や自主性が近代社会の中で失われてきたのではないか
と思うのである。

「ホリスティック」ということばを便利に遣われる方が多いが、
私が大切にしていきたい中身は「患者中心の医療」である。

「医学」では学問になってしまうのでちょっと困る。

「人間まるごとの医療」でもいいのだが、
医者が「まるごと」の視点で診てもみなくても、
人間はもともと「まるごとの存在」だと言いたい気もする。


「患者中心の医療」、つまり「私が中心」ならばどんな医療がいいだろう?

私ならば自分の体の状態、こころの状態がよくわかる情報がほしい。
どこか悪いのであれば、選択できる治療法とそのメリット、デメリットが知りたい。

病院で受けられる治療だけでなく、
サプリメント、民間療法や補完代替医療などの情報もほしい。

医者には私の話を聴いてほしい。
温かい人、痛みのわかる人、私の主体性を援助してくれるような人、
ほんとうに私のことを思ってくれる人がならばもっと良い。
いかがなものだろうか。

「患者中心の医療」は患者の目線から創っていくもの。
自分の実感から始め、手さぐりで求めていくしかない。
みなさんと一緒に「患者中心のホリスティック医療」を求めて

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