3.
どうやって家についたのか判らないほど
家についた時は、もう日付は変わって数時間経っていた。
家に入り鍵をかけた途端に、ドアをノックする音…?
今頃だれだろう?
「○×新聞ですが、○○さんですか?今回の事について
何かご存知な事を教えてください・・・」
「・・・・・・・・・なにもわかりません!!!!!」
翌朝、空しく温もりのない布団に目をやる。
改めて現実だったんだと。。。。。
それからも数日、
報道とはこういうものかと思い知らされる事が何度も。
未だに判らない事を、その時に知るすべもない。
遺体は警察からの依頼で、すべての人が解剖所見に委ねられた。
その為、次女や長男、他の親族も数日またされた。
夫は41歳の本厄の年だった。
もう一人同い年の人もいた。子供も皆同じ年ぐらいだとか。
独身の人も。
二人目の子供が生まれて間もなくで、とてもかわいがっていた人も。
長女16歳、次女14歳、長男7歳だった。
数日待たされた長男にとっての対面は、
どんな表情をしていいのか、パパはどうしたのっていうふうだった。
『お父さんを良く見てあげてね。……我慢しなくてもいいよ。』
と言った途端、ぎゅっと掴んでいた手で、より私にしがみついて泣いた。
私はまだ両親のいる幸せを味わえている。
さすがに子供達がこんなに幼くして、
父親のいない寂しさを 味わう事になろうとは。。。。。
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