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●レイキを仕事にする。~ホトこと天職ものがたり~(2)
決意はしたものの、夫婦ふたりが東京で生きていくためにはお金が必要で、
できることならなんでもやらざるを得ない状況でもありました。
自分たちに、何ができるのか...。
ホトケさんは、体を治すのが最優先事項ではあるものの、寝ているばかりではいられません。
私は本を書くことをメインの仕事にしたいと思っていましたが、
実際にはまだ1冊目を上梓したばかりで業界についても無知。
いったい次はどうしたらよいのか、という暗中模索の時期でした。
向こうから執筆の依頼が来ることもなかったので、
収入になる見込みが見えませんでしたし、
本の執筆を専業とできるまでには時間がかかりそうだと感じ始めていました。
そして、
自分たちの人生を総動員して考えたとき、
数少ない、できそうなことの一つに、レイキを分かち合うことがありました。
レイキとカウンセリング。
これが、ふたりがお金と時間をかけて共通して学んでいたことだったのです。
だったら、仕事として、レイキセミナーをしよう。
それをするしかない。
ほかに選択肢がなかったこともありますが、
そう思えたのは、レイキの師匠のおかげでもありました。
というのも、レイキティーチャーとしての心得を教えてくださった後、
師匠は2005年に突然光になっていたのです。
そして、私たちに「レイキセミナーをしてください」と再三メッセージを送ってくれていました。
不思議な話ですよね。
自分たちに、それが感じられるようになっていたのも不思議です。
もしも師匠がご健在だったら、おそらくティーチャーとしての仕事は始まっていなかったでしょう。
メッセージをもらいはじめてもしばらくは、
レイキのセミナーは自分たちにはまだ早いと真に受けていなかったのですが、
(それも失礼な話ですが、)
いよいよメッセージ通りに決意するに至ったのです。
師匠の帰天から約半年後のことでした。
結婚から約4年。夫婦が初めて迎えるピンチらしいピンチ。
ありがたいことに、私たちには西日本に両親がおりましたが、
このとき親元に帰ることや親を頼ることは、まったく頭にありませんでした。
おそらく夫婦として自立しなければならないタイミングだったのだと思います。
ホトケさんは体調不良が続く中で、一時期はうつ状態のようにもなっていましたし、
私にとっても不安や心配と向き合う、試練のときでした。
お金との付き合い方にも、向き合いました。
おかげさまで、
このときに、今スクールで分かち合っているレイキヒーリングの基礎が出来上がりました。
心の不調、体の不調、人生の不調。
これらに向き合ったから、お伝えできることができたわけですね。
後から書くことになった本も、これらに向き合ったから、書くことができた本がいくつもあります。
まさに不幸中の幸い。
人間万事塞翁が馬。
ひょうたんからコマ。
ピンチはチャンス。
ピンチでしたが、同時に喜びもありました。
というよりワクワクかな。
レイキを仕事としてスタートするにあたり、家とは別に、場所を借りたのです。
そこが2代目の発芽*カフェ。
ここで初めて、おうちカフェが家から飛び出しました。
仕事としてやっていくぞという決意の表れでした。
オープンは2006年1月。
学生さん向きのワンルームマンションの一室で、広さは、変形6畳間。
実質は4畳半くらいの広さでした。
そして当時の家賃は4万5000円。
それがギリギリ、リスクを取れるチャレンジでした。
引っ越しを決めた国立の家賃相場なら、なんとか2軒を別々に借りることができたのです。
広めの家で、家の中でのおうちカフェスタイルも、もちろん念頭にあったのですが、
ホトケさんは病人のように寝込んでいるときがあったので、
家族の生活空間と、お客様をお迎えするスペースを分けたいという思いがありました。
そして、待望の「家から飛び出したおうちカフェ」。
これをおうちカフェEXと呼び、ふたりでワクワク準備をしたことは、今でも鮮明に覚えています。
今でももちろんそうなのですが、
あのころの発芽*カフェは、
私とホトケさんにとって心のよりどころであり、ワクワクの泉でした。
とんでもなく狭いのに(笑)、
好きなお茶を入れられるようなドリンクバーコーナーを作ったり、
雑貨店で見つけた小物を飾って飾り付けをしたりするのが楽しくて仕方がなくて。
少しずつ揃えた一点一点の備品に、思い入れがあります。
友人がブログのパーツやホームページを作ってくれたのも、
本当にありがたいことでした。
2006年の初め、ホトケさんの体調は底辺だったので、
私たちにとってレイキと発芽*カフェの存在がどれほど明るい希望だったか。
2代目の発芽*カフェでは、レイキセミナーと、レイキ練習会を中心に行いました。
なんとか始めてみると、
レイキセミナーは事業の柱となっていきましたが、
実際のところ、何が柱になるかなんて、始めてみないとわからなかったというのが本音です。
最初からレイキの仕事だけで成り立ったわけではありません。
夫婦二人が生活する費用をねん出する必要があるので、
他の仕事も並行してやっていました。
私はライターの仕事、
ホトケさんはエンジニアや写真撮影の仕事を知人から請け負って続けていました。
2~3年はやっていたでしょうか。
ほかにも依頼されたことはすべて喜んでさせていただきながら、
ふたりの夢である発芽*カフェのことは、大切に大切に育んでいきました。
おかげさまで、最初1年間に、57名様くらいの方に、レイキセミナーにお越しいただきました。
ほぼすべての方が、ブログを読んでのお申込みでした。
(当時は今とは違い、本を見て来てくださる方はいないに等しい状態でした)
最初のお客さまは、忘れもしない、福岡から来てくださった洗練された男女で、
男性は新聞記者。女性はなんと10年くらいレイキを教えているというレイキティーチャーさんでした。
なんてありがたいことだったことでしょう。
どなたが来てくださったことも、ありがたくて、感謝でいっぱいです。
始めたばかりのレイキの分かち合いですから、
来てくださる方の存在そのものが、自分たちへの応援であり、承認だと感じられました。
(この年レイキセミナーを受講しに来てくださって、
今はレイキカウンセラー(R)養成講座へ通ってくださっているのがティーチャーのこめぐちゃんです。
同じくティーチャーのはるるん♪は2007年の受講、
同じくティーチャーのけーちゃんを含め、お三方とは国立に来る前の2005年からのお付き合いになります。
ありがたいご縁です♪)
おかげさまで2006年5月には、体調がよくなるためのきっかけを得ることができ、
その後2年間ほどの禁欲的な食事節制の後(外食はほとんどなしでした)、
ホトケさんのアトピー性皮膚炎は完治しました。
このプロセスで、人の治ろうとする力、つまり自然治癒力のすばらしさを目の当たりにしました。
1年と少し経ってから、レイキセミナーをリニューアルして、
同じ街の中で3代目の発芽*カフェに移転。
こちらは2DKのマンションでした。
広さも家賃も、一気にジャンプアップ。
ここを見つけるまで、いったい何度不動産屋さんに足を運んだことでしょう。
7階の最上階の角部屋で、日当たりが良く、お気に入りの場所でした。
場所がやや広くなったこともあり、
ここに来てから16人体制のワークショップやリーディング(個人セッション)も行うようになりました。
本を書く仕事は、2008年あたりからだんだんと軌道に乗るようになっていきました。
2005年の最初の本以来ずっと、本を書く、書き続けるという夢にチャレンジし続けていたのです。
本の執筆は私にとって天職だと決めて取り組んでいたものですが、
レイキの仕事も同様に天職だと思えるようになったのは、2009年くらいでしょうか。
何か大きな流れに導かれ、続けるうちに、天職だったのだと気付く。
こうして、私たちは気が付くとありがたいお仕事をさせていただけるようになっていました。
ホトケさんが、レイキの仕事に集中するために撮影等の他の仕事を整理したのは、2008年の秋でした。
(続く?)
※このあたりのことは、2010年の夏に出した本
『天職は身をたすける!ー好きなことを仕事にする方法ー』
(サンマーク出版刊/矢尾こと葉著)にも書いています。
興味のある方はぜひこちらもお読みくださいね。
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