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京都オフ2002
ひかり211号が京都駅に着いたのは12時22分。東京は雨が降っていて肌寒い気温
だったからオレはいつもより厚手のシャツを羽織っていた。東京発の新幹線の窓に
は雨による水滴が横に流れていて、雨は浜松あたりを過ぎるまでずっと降り続いた。
名古屋あたりからやがて雨は止んだ。車内の気温も上昇し、赤ん坊を連れた母親が
オレの隣に座った。赤ん坊は、大きく息を吸いこみ一瞬の溜めをつくると、堰を切った
ように凶暴な泣き声をあげだした。オレは本を読んだりコーヒーを飲んだり目をつぶっ
てみたりして道中過ごしていたが、母親と赤ん坊が座ってからは隣が気になって仕方
なかった。母親は赤ん坊をあやそうとジュースやスナック菓子をひっきりなしに与えて
いたが、それが途切れると赤ん坊はすぐに泣き出した。また母親はスナック菓子だの
リンゴジュースだのを与えて赤ん坊の泣き声を抑えようとしていた。母親はでっぷりと
太っていた。カロリーの高そうな菓子やジュースをひっきりなしに与えられている赤ん
坊が、母親と同じように太ってしまわないか心配だった。少しいらいらした。座席は当然
喫煙席を選んだが、赤ん坊の隣でタバコを吸うわけにもいかず、デッキへ行き洗面台
で髪型を気にしてみたり、備え付けの灰皿があったからタバコを吸ったりしていた。
東京発の新幹線が名古屋を出て10分。携帯で、フランスに電話をした。
断わる理由を探していた。フランスが御輿のオフ第二弾が開催されるという噂は知って
いた。1回目は、初めてフランスと麻生澪が出会うというイベントだった。自転車板と、
スキースノボ板、通称スス板合同のオフは40名近くの客をがまかつがとりまとめた。
フランスはレベルの高いパフォーマンスを見せた。麻生澪はポテンシャルを発揮した。
こすりつけの狂乱はとどまらなかった。女たちは一枚づつ服を脱ぎ始めた。
盛大で狂気に満ちた自板スス板合同オフは、圧倒的なカタルシスを生んで終わった。
1回目の興奮もさめやらぬ今年6月、早くも2回目の開催を希望する声が相次いでいた。
自板スス板合同オフ専用の掲示板には、参加表明の書き込みが続々と寄せられた。
がまかつが、第2回オフの正式な告知をした。9月28日、場所は、京都。
それにともない、申し込み締め切りの日は8月末日に決められた。オレは直前まで、
参加申し込みを、ためらっていた。
オレは南国へ旅行することが決まっていた。京都で開催されるオフの2週間前にオレは
旅行した。楽しかった。それはいいが、どう考えても金を使いすぎている気がする。京都
まで行く金が全く無いわけではないが、2週間の間に2度も旅行することに多少、罪悪感
のようなものがあった。仕事が忙しいわけではなかったし、京都へ行くぐらいの蓄えは
あった。短いスパンで2度旅行へ行くという、ほんの些細なしこり。これがオレの、参加
申し込みをためらっていた理由だった。
こんな理由で、フランスが納得するはずはなかった。
「おまえ、がまかつに参加メール出したか?!!」
申し込み締め切り前日、フランスはチャットでオレにそういった。
「いや、まだだ。」
「早くしろ!!締め切り明日だぞ!!」
「いや、ちょっと考えさせてくれ。」
「考えるな!!お前は強制参加だ!!」
フランスはいつものように強引だった。その後不毛なやり取りを何回か交わしたが、
フランスのオレに対する強硬姿勢が崩れることはなかった。
「これのちょっと前にも旅行するし、財布がだいぶ薄いんだよ。」
「アホか!!仕事があるならまだしも、金が無いのは理由にならん!!
ただの口実だ!!借金してでもこい!!」
いつもの横暴な口調でフランスはオレをまくしたてたが、かたや悩んでいたオレは、
フランスのその言葉で、なにかふっきれたような気がした。
たかだか無くなる金は、5万か10万か。今まで2度しか会ったことのない、このバカバカ
しい友人と過ごす時間に、わずかな金を惜しんでいるのはオレ。なにか醜いと思った。
本当に大事なのは、金よりも、「お前は強制参加じゃボケ!!」といってくれる友人と過ご
す時間だ。
新幹線が京都駅に近づき速度を緩めたときに見た窓からの風景に雨はなかった。
フランスは前日のチャットで自分は晴男だと豪語していた。フランスが、「な?!!
晴れたやろ!!やっぱり晴男やねん!!」と、得意げに言う姿が浮かんでしまった。
新幹線のホームへ降りると、汗ばむほどの気温差と湿気が襲ってきた。暑かった。
東京を離れて京都。遠くへ来たことを実感した。
京都の出迎えに、フランスとこすりつけを呼んでいた。フランスとの電話のやりとりで、
八条口へ案内されたオレは改札を抜けて外の空気を吸った。以前に仕事で3ヶ月、
京都の大学へ出張していたことがある。八条口から外へ出た風景は、その時の記憶を
よみがえらせた。朝から晩まで働いた。1ヶ月のうちに、休みは1日しかなかった。
京都へ出張と聞いたオレは、観光や京料理を思い浮かべて小躍りしたものだったが、
そんな時間はついに得られないまま仕事が終わった。ホテルと大学の往復だけだった。
1ヶ月に一日貰った休みは、ホテルのベッドで寝るだけだった。京都はそれ以来だった。
フランスか、こすりつけの姿を探した。見つからなかった。新幹線は12時22分京都着
だったが、待ち合わせは12時半に設定していた。新幹線のホームから改札を抜けて
出口へ行くまでの時間を計算に入れての待ち合わせ時間の設定はオレの優しさだったが、
少しぐらい速く来るかもしれない相手方の気の使い方を想定してもいた。
しかしフランスもこすりつけも、12時半に待ち合わせ場所にいなかった。
しばらく経ってオレがフランスに電話するかどうか迷っているとき、派手なジャージと
自転車の二人組を見つけた。
先頭の、ぷりぷりした赤い尻はこすりつけ。フランスジャージを着ている。後ろにいる、
青とピンクのランプレジャージはおそらくPCB。自転車も同じ色。一緒に走ると聞いていた。
こすりつけたち二人の後姿を発見したオレはその後を小走りについていったが追いつけ
なかった。端まで行った派手な自転車の二人組はそのままUターンしてオレと向かいあった。
オレは笑顔をこらえて卑屈そうな表情を作りひょこっと、左手を上げた。こすりつけは、
気付いたか気付かないのか不思議そうな顔で、左手を上げたオレをただ見るだけだった。
こすりつけが自転車に乗ったままかなりオレに近づいて、手を上げた主が中村不思議だと
気付いても、何の言葉もなくただ静かにカチャっと音をたててクリートを緩めただけだった。
ここでオレがこすりつけに期待していたのは、ニヤニヤとした丸い笑顔を浮かべながら、
低い抑揚のないトーンで「おう、よく来たな」などの、長旅の疲れを労うわずかな言葉だった。
しかし彼はいたって素のまま、無言でサドルから腰を浮かせて自転車の速度を緩め、
大切そうに自転車をとめた。そして気にしたのはオレの荷物ではなく自分の荷物だった。
オレは東京から京都まで3時間かけて来てやっと着いた。フランスの姿はまだ見えない。
オレは少し、不安になってきていた。
聞き取れないほどの小さい声でぼそぼそとフランスに連絡をとりはじめたこすりつけは、
「今どこおるん?」といいながら首を小刻みに動かしている間じゅう、オレを無視し続けた。
仕方なく、初対面のPCBに話しかけた。筋肉質なふくらはぎや腕や腹の周りは恐ろしい
ほど黒く焼け焦げた色をしていて、極太の眉毛がくっつきそうな濃い南国系の顔つきから
年齢や出生のルーツを推測するのは困難だった。こすりつけよりひと回り大きな印象の
PCBに、着ている青とピンクのジャージと、揃いの色をした自転車について彼に訊いた。
「色、そろえてるの?」すると彼は口を大きく裂けるほど横に広げて人懐っこい笑顔を
浮かべてオレを安心させながら、「チームカラーやねん」と嬉しそうにいった。
こすりつけは縦だか横だかわからないぐらいに小刻みな顔の振動をさせた後にフランス
との電話を打ち切った。クルマで迎えに来ているフランスは通りの反対側で待っている。
オレは地下歩道を通り、自転車のこすりつけとPCBは車道を横切り、八条通りを渡った。
こすりつけとPCBはオレに背中を向けたまま、フランスの居場所を首の動きだけで示した。
オレはこくんと小さくうなずきフランスを発見した。コミュニケーションにはそれほど言葉は
必要ないのかもしれなかった。オレは左手を挙げてフランスに存在を示した。フランスは
ケータイを持つ方とは逆の右手を軽く挙げてオレの挨拶に応えたがやはり無言で、眉間に
皺をよせたむしろ険しい表情をしていた。
オレの長旅に対する労いの言葉がないのは当然のようにしていた。フランスはオレにちらっ
と視線を送っただけで、その後はこすりつけに、「あ~、どないしよ?」と、人差し指で眉の
上を掻きながら鼻を鳴らし、今後の行動計画について打ち合わせをしはじめた。こすりつけ
は姿勢を正しく伸ばし、真剣そうな顔を小刻みに震わせていた。やがて話がまとまった。
フランスはコビックと3時半に待ち合わせている。こすりつけとPCBは激坂を登りに行くという。
第1回関西オフでは登るチャンスがなかった伝説の坂。オレにはさしあたり予定がなかった。
フランスはパーキングにクルマを停め、こすりつけとPCBはその中に自転車を入れた。
昼食を摂るために駅ビル地下のレストラン街にある「銀座ライオン」へ入った。
こすりつけが「東京の銀座に、ライオンってあるん?」ときいた。
「ライオンなんかどこにでもあるよ。」オレは答えた。
クルマでも自転車でもないオレは、まっさきに「生ビールひとつ」と注文した。
「おまえは誰だスレ」の、飲酒運転告白事件がアタマをよぎった。
「ええのう、おまえだけ飲むんかい」誰かが言った。
4人は顔を見合わせた。
やがて生ビールが4つ、運ばれてきた。
「あんなんな、普通やったら祭りやで。一晩のうちに三つも四つもスレ立っても不思議や
あらへん。でも200か300、レスついただけやったろ?あんなもんで済んだのは、
見てるやつは絶対やましいとこあんねん。絶対そうや」
こすりつけが、生ビールを一口ぐいっとやったあとに、オレのスレの飲酒運転祭りについて
まずそう語った。語り口は非常に静かで抑揚がなかった。表情は真剣だし、ともすれば
怒りの意志を含む口調にさえ感じられるが彼の場合、いつもそうだった。一定のトーンで
淡々と語る。そして会話の途中に突然声を大きくし「シャコシャコシャコ!!」とか「ブリブリブリブリ!!」
といった類の効果音を入れて聞き手を驚かせ、笑わせるのが彼の話し方だから、本当に
真剣なのかあるいはそうじゃないのかは、オレにはよくわからなかった。
「フランスはどうやねん。」 こすりつけは、飲酒運転について語りたがっていた。司会のよう
にフランスに話題をふった。フランスは、「わしは飲酒運転なんかしたことあらへんがははは」
といった。フランスの前にあるジョッキにはまだなみなみとビールが残っていた。PCBは、
ニヤニヤしてうつむき加減だったが、4人の中で一番ビールが減っていた。オレはいまさら
語ることもなかったから、ただ話を聞いているだけだった。
本来、顔をつき合せて真剣にする話でもないと思っていた。飲酒運転はいけない、そんな
結論はわかりきっている。
オレが時々思うのは、飲酒運転は悪だと声高に叫ばれるのが、ネットという環境でしかない
ことの不具と、ネットに対して人が見せる気分の高揚が飲酒運転にも似ていること。そして
そんなような人の弱さが面白いことだ。オレ自身の弱さを反省しようとは思わないし、人を
諭そうとも思わない。ただ、面白いなと思うだけだ。
この場はごくあいまいなまま、事件の話題は打ち切られた。しかしこの後にも幾度にわたり、
あの飲酒運転告白事件の話は持ち上がることになった。例えば宴会が終わった後、夜の
嵐山に繰り出した先の居酒屋では、オレに対し、「あそこで書いているのは本気なのか。」
とか、「正直、中村に怒りをおぼえた」とか言われもしたし、かたや「中村は正しい、ツーキニスト
は間違ってる」という意見もあった。ひとしきり宴会が終わって誰かの部屋で飲み始めたときも、
「この中で飲酒運転したことあるひと手あげて」「じゃあ、ないひと手あげて」という質問イベント
にも、全員が正直に答えていたと思う。オレはただ酔いながらヘラヘラと話を聞いていた。
誰がどっちの味方であっても、誰かなりに思うことがあったということを、正直に言い合える場所
にオレがいることを、ただひたすら楽しんだだけだった。
昼食に銀座ライオンを選んだのは、ビールが飲みたいからという理由だけではなかった。
フランスが、「魚ないところやったらどこでもええわわし」といったからだった。フランスは魚介類
を全く苦手としていた。浜松のオフでは、名物のうなぎを食うところで、クルマの中で寝ていた。
宴会のお膳には、魚介類の中で唯一食せるエビフライを特別に用意してもらっていた。
今回オレはせっかく京都に来たのだから、京料理を食いたかったがフランスに「そんなもんあら
へん」と一蹴されていた。
ライオンへ入ったフランスは喜びいさんで「目玉焼きハンバーグ定食」を注文した。「あ~、腹
減った、まずメシ食お。ビールはいつもメシ食ったあとに飲むのが習慣やねん」と、目の前の
なみなみ残ったビールの理由を説明した。
「おまえはおこちゃまか。」とオレが言うとフランスは、「あんな、今日わしお子様ランチやで」
と嬉しそうにいった。何のことかわからずオレが「なにそれ?」と聞き返すと、
「わし魚あかんやんか?でな、旅館に無理ゆうてん、お子様ランチでお願いします!て。
旅館のおばちゃんがな、ホントにお子様用ですけど、ゆうたんてんけどな、わし、
それでもいいです!いいはってん。引き受けさしたがな、がははははは」
ハンバーグを食いながらフランスは電話をし始めた。「なんや、コビックでえへん」
しばらくしてフランスはハンバーグを食いながらまた電話を取り出した。
コビックからのメールが着信したらしくフランスはそれを声にして読み上げた。
「ボクチム電車の中なので電話に出られません、メールでお願いします。やてがはははは」
コビックは予定より早い2時半に着くという。今1時半。思ったより、時間がないことに気付いた。
風がひとつもなかった。空は白く覆われていた。10月にさしかかろうとする季節とは
思えないほどの湿気が充満していた。ここは京都だった。
京都には、金閣寺があるべきだし、竹やぶや紅葉や日本庭園は、空の青さに映えて
なお美しいはずだ。おしろいを塗って着飾った舞妓や芸者が街を清楚に練り歩き、
料亭の女将はにこやかに、「茶漬けでもどうどす?」とか「おとといおこしやす」とか
やんわりと一見の客を見下す街。それが京都だ。京都は、隙間さえ存在感を持つほど
に、常に完全な街として存在していなければならないはずだ。
しかし目の前にあるのは、大きなパチンコ屋だった。交差点の信号が変わったときに
こちらに向かってくるのは、舞妓ではなく金髪のおねいちゃんだった。おねいちゃんは
なぜか、お湯を注いだカップラーメンを慎重に持って横断歩道を歩いていた。とすれば、
お湯を注ぐために道を渡り、カップラーメンを食べるためにまた道を戻ったことになる。
京都で、お湯を注いだカップラーメンを持った金髪のおねいちゃんが横断歩道を渡る。
全く意味がわからなかった。
こすりつけとPCBは生ビール2杯分を腹に入れ、伝説の激坂へ向かっていった。
フランスジャージとランプレジャージ。派手な二人は、京都の街には全くそぐわなった。
八条口は、京都の裏側だった。池袋でいうところの西口であり、浜松町でいうところの
北口だった。要するに、ペデストリアンデッキがない方に面した、より閑散としている方
の出口だった。
関西には「ヘブン」という風俗雑誌があるという情報をオレはつかんでいた。関西の風俗
へ行くならヘブンを見て探せ。仲間うちでは、合言葉のようにささやかれていた。コンビニ
のデイリーストアには必ずあると噂の風俗雑誌「ヘブン」は、電話帳ほどの厚さで出来て
いるという。オレは東京の仲間に、土産として「ヘブン」と、京都の風俗店の話を持ち帰る
ために、どうしても風俗へ行かなければならなかった。
しかし、コビックが来るまでの時間は残り1時間を切っていた。移動、待ち、プレイ、移動。
どう考えても、足りなかった。
フランスジャージをおねいちゃんに着せて、写真を撮る。
酔った勢いでフランスとこんな約束をしてしまった。フランスジャージが完成して間も
ないころだった。もちろんただの写真ではなく、色気のあるポーズの写真だ。風俗店
へ行って、着てくれと頼むことも考えたが、今日までチャンスはおとずれなかった。
前日にフランスとチャットしていた。オレがまだ、「お色気フラジャー写真」の約束を果
たせずにいることを問いただされた。「賭けに負けたんだから、風俗おごれ!!」とまで
言われた。「これからやるつもりだ。」といっても、「期限は過ぎている!!」と、とりあっ
てくれなかった。
「京都でおねいちゃんに声かけて、頼みこんで着てもらう、ってのはどうだ?」
旅先なら少し大胆な気持ちになれるかもしれないと思いオレは新しい提案をした。
一度フランスはオレの提案に乗るそぶりを見せた。話は盛り上がりそうだったが急に
フランスは、「やっぱあかん!!地元でそんなことする気になれん!!」と萎みこんだ。
そのおかげで、風俗をおごるハメになるのはなんとか免れたのだった。
今日のフランスは、いつになく険しい顔をしていた。オレがこの日気付いたのは、彼は
ちゃんと、人の話を聞いているということだった。一方的にまくしたてて話すイメージが
なぜかオレの中に刷り込まれていて、聞き手としてしばらくいたのだが、フランスが
なにもしゃべっていない時間が意外に多いことに気付いて、オレは少しスタンスを変えた。
フランスが黙っているとき、誰かの話を聞いているのか、自分が次に話すことを考えて
いるのか、あるいはこれからの予定をシミュレーションしているのかどうかは全くわから
なかったがその息遣いから、彼のサーキットラインが、情報をめまぐるしく伝達している
イメージが伝わった。とはいえ、自分が話す段になると、他の誰よりも豪快な声やジェス
チャーで話し、目立つことを忘れなかった。
グレイのジャンパーを脱いだフランスは黒いTシャツを体型にフィットしたジーンズの裾
へ入れたスタイルになった。前回会ったときに茶色く染まっていた髪の毛は黒に変わっ
ていたが、リーゼントのヘアースタイルは変わっていなかった。これでサングラスをはめ
たら、ロックンロールとか、ロカビリーとかの類だった。靴は真新しいスエード地だった。
前回、動きやすいスニーカーを履いてきた彼ははしゃぎすぎて足首を捻挫してしまった。
「今回は、動きにくい靴わざわざ選んだんや。大事な仕事つまっとるからケガでけへん」
フランスは言った。
コビックが来るまで残り40分。フランスは、ドアノブを回すようなジェスチャーをしながら、
「やっとくか?」といった。そしてあごの動きで、目の前にある大きなパチンコ屋を示した。
時間つぶし。
勝ったとしても、得られる金額はたかが知れている。かかるかどうかわからない大当たり
へ向けて、500円単位で消耗されてゆく金は、わずかな時間でどんどんなくなってゆく。
360分の1。気の遠くなるような確率だ。3000円で回せるのは50回前後。とうてい当たると
は思えないが、10回目でくることもあれば、2万つぎ込んでも当たらないこともある。
たいして面白いとも思わない。勝ってもそれほどうれしくない。ただ負けなかったことに、
ほんの少し安心するだけだ。
風俗で消費すべき1万円が宙に浮いてしまった。捨てるための金。いけなくなった今、別
の使い道として、パチンコは実にあつらえむきだと思った。オレをあごでパチンコ屋へ促
したフランスを待ち先頭に立たせ、そのあとからそぞろ歩くように付き従ってみせたのは、
地元のホスト役であるフランスを思いやってのことだった。オレが先頭を切ってパチンコ
屋へ入ったのでは、ホストの面子が立たない。オレは京都では、客でなければならない。
ランスは「CR海物語」のコーナーへ入った。そして液晶パネルを見て周っていた。
左上端にエンゼルフィッシュが止まっている台を探しているのだ。その状態の台は、次の
大当たりがかかり易いというフランスの持論だった。単なる彼のジンクスなのか、世に
知れ渡っている攻略法なのかはよくわからなかった。ただ以前、フランスにその攻略法
を聞いたとき、実践してみたことがあった。50回ほど回すと、大当たりがかかった。しかし、
かからないこともあった。真偽のほどは、よくわからない。
フランスが先に、エンゼルフィッシュが止まっている台を見つけた。するとフランスは、
ホストぶりを発揮し、「あったで、おまえこれ打ったらどうや?」と勧めてくれた。
まず先に客へ椅子を座らせるというホスト側の作法をフランスは、ごく自然に行っていた。
オレはそのことは口に出していわず、彼の誠意を汲み取りながら丁重に断わった。
海物語は飽きていたからだ。それよりも、ドラム式の最新台を打ってみたかった。
オレが最新台へ座り打ち始めるのを見守ったあとにフランスは、「ほならわし、さっきの
台打ってみるわ。」といって、エンゼルフィッシュの台へ向かっていった。500円硬貨を、
一枚ずつ投入しはじめた。
3000円かそれぐらい使ったところで大当たりがかかった。確変ではなかったが、まずは
安心した。これ以降、持ち玉を手にしたオレは、財布の金を使わずに勝負できる。ドル箱
は、換金すると4千円ほどだが、貸し玉に換算すると1万円ほどにもなる。すなわちオレは
1万円分の持ち玉で遊べることになる。しかし、台に書かれた注意書きが気になった。
「初回赤7→無制限」。かかった数字は赤7ではなかった。ということは、1回交換なのか。
考えられない。東京では、ほとんどの店が全台無制限制を採用している。ラッキーナンバー
制などという旧態依然としたルールをやっていては、客があつまらないからだ。無制限で
も、勝つのは難しい。低確率のCR機が主流を占めるようになった昨今、1回交換を強いら
れるとは思ってもみなかった。大当たり後の時短が終了した後、まだ未練がましく台の前に
座っていると、店員がやってきて「あの、終了です。」といった。オレが、信じられないような
顔をして、「終わり?交換?」といって首をかしげて見せたのは、京都のシステムに対する
侮蔑と、東京側に属する誇りを表現するためだった。
2000玉は4000円分のレシートになっただけだった。その後、2度と京都でCR機を打つ気に
なれず、いまどき珍しい羽根モノと呼ばれる昔ながらの台を見つけ、遊ぶことにした。
「なにヒラ台打っとんねん」
低くこもった声の高い音域部分を使った勢いのある言葉が、オレのすぐ後ろで発せられて
いたことに気付いたオレは、ハンドルを握ったまま振り向いた。聞き覚えのある声だった。
黒いTシャツとデニム地の下はフランスと同系色。しかしジーンズは七分丈の短パンだった。
異常なほど大きいサイズのスニーカー。太い骨格。筋肉質な体型。下から上へと視線を
移動させた。見覚えのある顔。思い出せない。誰だ、という言葉が口から出そうになったが、
でかい男の後ろには、フランスが腕組みしてニヤニヤしながら立っていた。時計を見た。
符丁が合った。コビックだ。
コビックは、むくんだ顔をしていた。電車の中で寝ていたのかもしれないと思った。とろんと
した目つきで、オレを見下ろしていた。オレはようやく「よー?!」とだけいって左手を挙げた。
右手はハンドルを握ったままだったが、笑顔をもって再会を喜んだ。コビックに会うのは、
これが2度目だった。
1度目は、去年の12月だった。関西オフをやった。春風のクルマに乗って東京から4人、
大阪のこすりつけの家へ向かった。7人で走った。引きずりまわされた。疲れ果てた夜の、
梅田の宴会。コビックは杖レに噛みつかれ、涙を浮かべていた。マキうんと仲がよかった。
どことなくフランスと似ていた。Araiをどつきたおしていた。再会を誓い、握手して別れた。
10ヶ月経っていた。オレは少し照れながら、ヒラ台の画面へ戻った。コビックも台を選んだ。
フランスもエンゼルフィッシュへ戻った。あの日のことを思い出すには、簡単な挨拶と、
照れたような笑顔だけで、十分だったからだ。
ヒラ台で出した玉は全部呑みこまれた。最後の方は、早く玉がなくなることを祈っているだ
けだった。集合時刻が近づいていた。午後3時。ヒラ台を切り上げて店内をうろうろしている
と、フランスはドル箱を満タンにしていた。コビックにも大当たりがかかって玉が出始めた
ところだった。オレは2人の玉が出終わるまでの時間つぶしに、残った500円硬貨を消費した。
「そろそろ行かんか?」
フランスが出発を促した。残った玉を全て流れさせ、外へでた。フランスとコビック。2人は
体型も背格好も似ていた。オレよりひとまわり大きい。しめし合わせて来たかのように、黒い
Tシャツも、ジーンズの色も同じだった。
フランスのクルマに乗って嵐山へ向かい出発した。集合は4時。がまかつが待っている。
コビックを助手席に促しオレは後部座席へ乗り込んだ。自転車を出し入れした後のワン
ボックスの室内は広く、オレはふんぞり返るように足を広げて座った。
「コビック久しぶりやのう」 改めてフランスがいった。「あれ以来やで、ほら、関西オフ。あれ
から全然会ってなかったんやなあ」 フランスも、コビックに会うのは2度目だった。
コビックは姫路、フランスが京都なら、会おうと思えばいつでも会える距離だとも思う。
「おまえら住んでるとこ近いんだから、会おうと思えばいつでもあえるじゃんよ。」オレがいった。
「わしフランスに住んどるっちゅうねん」
フランスは、もはや持ちネタと化したギャグを言った。すでに今日2回目だったが、コビックは
そのギャグの面白さ以上の笑い方で応えていた。
再会を、喜んでいた。
古都京都。いにしえの昔より栄えし都の街並みは、他の地方都市のたたずまいとそれほど変わ
らなかった。クルマの中から、京都らしさを少しでも見つけ出そうときょろきょろしていた。フランス
のクルマは嵐山に向かう。あらしやま。埼玉の北に、嵐山と書いてランザンと読ませる地名がある
ことを思い出した。あらしやま。修学旅行で行った。関西オフでは、自転車で走り過ぎた。川と、
橋が印象的だった。低い山々を望む景色。あとは、観光客と、土産物屋。イメージがよぎる。
ふと、古い寺らしき立派な建物が現われた。「あれなに?」と、フランスに聞くと、「あ?何やろ?」
とだけ応えられた。クルマの窓にへばりつくようにして建物の名前を確かめようとした。「本願寺」。
たしかその昔、京の街を取り仕切っていた武装勢力。その強靭な装備や権力は地方の戦国大名
さえ恐れをなすほどだったが、信長により縮小を余儀なくされてしまったという歴史を持つ寺社の
その総本山。京都の町の中央に、ヘクタール級の区画を使って君臨する黒くて古い寺社建築は、
かつての繁栄と栄光を物語っているようだった。
オレがフランスに、「もっと他にこう、京都っぽいやつとか、ないの?」ときいてもフランスは物憂い
口調で、「あ?わからん、見てたらそのうちポッと出てくるやろ」とうべなことをいっただけだった。
京都の中心を走る国道をしばらく走ったところでクルマは右に曲がり、狭い対面交差の道路へ
入った。見覚えのある道だと、ずっと思っていた。
ふと、両側に建ち並ぶ商店が途切れて視界が開けた。川が現われた。オレはとっさに、「あ、ココ
来たことある。」と叫んだ。関西オフでは、京都を自転車で駆けずり回った。引きずられまくった。
景色も観光も、あったもんじゃなかった。杖レに、「この川なに?」と聞いた。桂川。緩やかな曲線
の川沿いの道を走った。冬の空の青さは、オレンジ色に近い色彩でオレの目に届いた。記憶が
よみがえってきた。
橋や、観光客が見えてきた。日本家屋の様相を呈した土産物屋も見えた。スキューバダイビング
かサーフィンをする若者のような、肌も髪よく日焼けした男が目についた。ウェットスーツを着ている
のかと思ったが、違った。人力車を牽く、人足だった。背中には、筆文字で「嵐」と書かれていた。
目的地の「ホテル嵐山」は、これらのほぼ中央に位置していた。
「あ~、クルマどないすんねやろ?駐車場、どこ?」 フランスが鼻を鳴らしながらいった。駐車場
の場所など、オレにわかるはずもなかった。「どこやろ?」コビックも返答に窮していた。
「聞いてくるよ。」 オレは言った。どうせ「おまえ聞いてこいや」と命令されるはずだった。自分から
気を利かせて行ったほうが気持ちいいに決まっている。それよりもオレは、早く嵐山の空気を吸い
たかった。ワンボックスカーのスライドドアを勢いよく開けた。そして、外へ出た。
懐かしいような、キレイなような、そんな景色が目の前に広がった。
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