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学級の誕生(106) 教育行政には多くの問題があります。戦後の教育行政の歴史は、文部省、現在の文部科学省が、強大な行政権限を手に入れる過程であったと意っても、決して言いすぎではありません。先ずは、昨今話題の『学習指導要領』です。当初、『学習指導要領』は、全国の公教育が一定の質を確保するための、指導上の目安とされ、決して強制力を持つものではありませんでした。それが、昭和30年代の改革で、強制力を持つものとされ、行政が教育内容に介入するための、強力な武器となりました。それは一方では、教科書の叙述に対する統制の武器となり、政府の見解に盲目的に従うことを強要する役割を果たしました。国語の教科書に載っていた「大きなカブ」の話は、それが北朝鮮系の民話であるという理由から、教科書に載せるのは適当でないとして削除されました。北原白秋作詞の「赤トンボ」の話は、新聞にも大きく載りましたので、ご存知の方も多いと思います。1、夕焼け小焼けの赤トンボ、負われて見たのはいつの日か2、山の畑の桑の実を、小籠に摘んだは幻か3、15でねえやは嫁に往き、お里の便りも絶えはてた4、夕焼け小焼けの赤トンボ、とまっているよ竿の先と、この詞は3番の詞がポイントになっています。3番があることで、1番の「負われて…」が赤トンボが追いかけられたのではなく、ねえやに背負われて見たものであることが、はっきりと浮き上がり、その小さかった子が、今は育ち、山を下った街中で暮らしながら、物干し竿の先にとまった赤トンボを見ながら、山里で暮らした幼かった日々を懐かしんでいる、そんな情景がはっきり浮かび上がるのです。ところが、音楽教科書の検定において、15で嫁に行くなどという詞を、子ども達の目に触れさせるべきではないので、3番を削除せよとの強い意見が付けられ、3番がカットされた詞が、教科書に載ったのです。1960年代後半の改訂の時でした。さすがに、まだ健在だったマスコミが騒ぎ、音楽著作権協会や音楽家団体からも、次々に強い抗議が寄せられ、この件は文部省の譲歩に終わりました。しかし、その後も日中戦争や朝鮮支配を巡って、さらには従軍慰安婦や南京大虐殺の叙述を巡ってなどなど、政府の歴史観の教科書への押し付けも目立っています。いわば、教科書の検定が、憲法の禁止している検閲、事実上の検閲として機能しているのです。この傾向の延長線上で、教科書だけ自分達の意に添うように改作しても、授業で教師が教科書にないことを話すようでは、政府にとって都合の良い、小羊のように従順な国民には育たないと言うのでしょう。管理職による教育内容の統制にまで、踏み込もうとしているのです。それが、2006年の安倍流教育改革の管理職の強化です。副校長の創設や、その他役職の増設がこれです。管理職など増やすことなく、一般教員を増やして、1学級あたりの生徒数を減じることの方が、はるかに教育効果に期待が持てるのですが…。教育内容は政府が統制すべきものではありません。ましてや政府公認の歴史観など、まるで戦前のアナクロニズムです。入学式や卒業式に、校門や校舎玄関のみでなく、体育館等の式典会場の演壇にまで、日の丸が壁に貼られて鎮座する姿を見、学校によっては、校長・来賓・担任までもが、壇下に並び、挨拶のたびに人格を持たないただの旗に、深々とお辞儀をしながら、登壇する姿などを目撃すると、この連中、こんな姿を生徒に見せて恥ずかしくないのかと、あきれてしまいます。上からの指導、強制に弱い、ひたすら上ばかり見ている管理職の姿がしっかり浮かび上がります。さすがに今までの私の体験では、来賓として祝辞を述べるPTA会長や、卒業式の答辞や送辞、入学式の歓迎や答礼の挨拶を述べる生徒代表には、壇上の国旗に挨拶をするピエロは1人としていなかったことが、ささやかな救いなのですが、政府と行政による教育統制は、ここまで来ています。これもまた極めて憂慮すべき現実です。 ザビ
2008.10.31
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クロニクル 大気汚染指定地域全面解除1986(昭和61)年10月31日22年前のこの日、中央公害対策審議会は、大気汚染指定地域の全面解除を決定しました。これは、工場排煙、ゴミ焼却場の排煙、自動車の排気ガス等の大気汚染物質の除去が、排煙脱硫装置の普及や、自動車用排ガス浄化装置の発達などによって、大きく前進し、一時期に比べて大気の汚染状況が改善した結果によるものでした。しかし、浄化されたと言っても、都会の空気は、決して美味しいものには戻っていませんね。
2008.10.31
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学級の誕生(105) このブログをお読みくださっている皆様から、毎日様々な角度からのコメントをいただいています。大変有難いことと感謝しております。そのコメントの中で、何人もの皆さんから、今の学校は生徒=子ども達を枠にはめすぎて、様々な禁止事項を作りすぎている。子ども達の違いを認めていない。学校だけでなく、家庭も子ども達に好きなことをさせていない、などと言ったご意見をいただきました。そうなんです。教員採用に潜む問題だけでなく、今の大学生全体の形質にも問題があります。そして、学校そのものが抱える問題点もまた、大きいのです。ここでは学校全体が抱える、今日的課題として、学校の体質を考えて見ましょう。といっても、全ての学校がダメなわけではありません。教師集団に活気があり、先生達が元気に様々な仕事をこなしている学校もあります。ただし、こうした学校は私立の名門校や国立大学教育学部の付属校がほとんどで、公立学校はごく稀にしかありません。どこが違うのか。こうした学校に共通する特徴は、校長がワンマンではなく、教員会議の決定を尊重する校風が整っていることにあります。経営上の問題(例えば授業料を値上げするかしないかなど)は別ですが、教学上の問題は、理事会から校長に委ねられ、校長はまた教員会の意志を尊重するのです。そうするとどうなるか。教員集団が切磋琢磨し、議論を戦わせた上で、結論を出した事柄は、必ず実行に移されるのです。そうなると、その計画を成功に導きたいと言う意欲は、大変強くなります。新たな試みに向かっての、協力体制を整え、その上で成功のための努力を惜しみません。集団に活気があって当然です。そしてその活気は、これまた当然のごとく生徒集団にも伝染し、広がっていきます。学校全体に、良い意味での活気が広がります。ところが、理事長やその一族が校長を兼ねるような、ワンマンのいる私立では、教員会議は形式的なものに留まり、個々の教員の思いが教学上の決定に反映されることはありません。これは公立校にも当てはまります。教育委員会は、教員会議は校長の諮問機関であり、意見は聴取しても、決定は校長がやらなくてはいけない。出来るなら意見も聴取せずに、上意下達の機関として、校長の方針を通達するだけの場とせよと、教員に対する締め付け、校長の権限の強化、そして個々の教員に対する管理を徹底する方向に進めているのです。東京都では、すでに、教員会議は校長方針の通達機関に成り下がっています。これでは意欲を持てと言っても無理ですね。 続く
2008.10.30
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クロニクル 大蔵省都銀の不良債権額を発表1992(平成4)年10月30日16年前になります。この日、当事の大蔵省は、都市銀行など大手銀行21行の9月末時点での不良債権の総額が12兆3千億円であると発表しました。不良債権とは、A.回収不能債権、B.回収に問題のある債権、C.金利減免債権という3種類の債権を指し、このうち回収不能債権は4兆円であると発表しました。この年、7月末から8月にかけて、株式市場で銀行株が売り込まれ、89年12月末に38900円の史上最高値を付けた日経平均株価は、この8月14000円台にまで、売り叩かれていたところでした。地価の暴落で、企業に対する不動産融資に多額の焦げ付きが出て、銀行経営の屋台骨が揺らぐと、噂されたためでした。大蔵省は、この噂を打ち消そうとして、急遽金融機関に聞き取り調査を実施した上で、この日の発表となったのですが、当初、サブプライムローン関連の行き詰まりに発する金融界の損失を、1千億ドル程度と発表したアメリカFRBの発表と同じく、金融界の自己申告を鵜呑みにしただけの、根拠の薄い、信用の置けない数字に過ぎませんでした。その後、不良債権総額が増え続けて言ったのは、ご承知の通りです。詳しくは、昨年の今頃連載した「バブルを考える」をご覧ください。
2008.10.29
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学級の誕生(104) 教育という言葉は、educationの訳語です。educationには「隠れた能力を引き出す」という意味があります。ですから教育の本義は、そこで学ぶ生徒達の、自分が気づかないでいる能力を引き出し、自ら気づく手助けをすることにあります。学校以外の場で、自分の中に眠っていた才能が開花することも十分あるのですが、若者にとっては、学校での生活時間が最も長いのですから、やはり学校の先生が、生徒達との日常的な接触の中で、生徒達の中に眠っている潜在的能力の発見に、協力的であることが求められると私は考えています。何度も書いてきましたが、生徒は多様です。学習成績も統計を持ち出すまでもなく、上位者から下位者までバラけます。しかし、成績と人間としての価値には直接的な関係はありません。どんな生徒も、どこかに必ずきらりと光るところを持っているものです。教師の仕事は、行動に問題のある生徒の行動を、いたずらに矯正することにはありません。それは隠れた才能をそのまま埋もれさせることにしかならないからです。子ども達の隠れた才能を発見し、そこに光を当てることで、どんな子にも自信を持たせることが重要です。そうなれば、問題行動も自然に収まるからです。学習成績が振るわないこと、勉強が分からないことに、困らない生徒はいないのです。45分~50分の授業が、毎日何時間も続くのです。分からないのに教室の机に座っていなければならない。これが苦痛でなくてなんでしょう。この悩みは享受者である教師が解決すべき問題です。理解の遅い生徒もついて来られる授業、中位の生徒の目が輝く授業、そして上位の生徒もまたどこかで脳髄を刺激されている授業。難しいですが、これが本来のあるべき授業像のはずです。自分は勉強が出来ないと、自信をなくしている生徒に自信を持たせること。低学年であれば、自分は出来ないと思い込む子を作らないこと、これが教師の先ずなすべきことであると、私は考えます。自信を持たせるには、その生徒の優れているところを発見することが大事なポイントであることは、お分かりいただけると思います。 続く
2008.10.29
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クロニクル 岡田三越前社長逮捕1982(昭和57)年10月29日 警視庁は、この日、岡田茂三越前社長を、特別背任容疑で逮捕しました。背任罪は、仕事上の立場を利用しうる者が、その任務に背いて、組織に財産上の損害を与えることで成立する犯罪です。特別背任とは、その仕事上の立場が特段に大きく重い場合に成立するのですが、会社の場合、取締役とりわけ代表権のある取締役が対象となるようです。岡田前社長の場合、18日のクロニクルに記した竹久ミチ女史に対する特別な厚遇による利益の付与が、特別背任罪を構成すると認定されたものでした。ここに老舗百貨店三越を私物化し、食い物にした2人の人物が司直の捌きを受けることになりました。
2008.10.28
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学級の誕生(103)優等生先生が内包する問題点はもう一つあります。逆説めきますが、教育の世界では優等生であること、試験成績が優秀であったこと自体が、長所ではなく短所となるからです。成績優秀な、先生の話をすぐに理解できる生徒は、何度も記してきたように、全体の1割程度の生徒でしかないのです。これまた1割程度存在する成績不振生徒ばかりでなく、大多数を占める中レヴェルの普通の生徒も、どこかで理解できない、分からないことを抱え、先に進めなくなって行きます。先生はこれを解きほぐし、どこでつかえてしまっているかを突き止め、そうした生徒が分かるように、丁寧に説明して分かってもらまなければならないのです。この仕事には、自分自身が分からないことに悩み、種々悪戦苦闘しながら、ようやく理解するに至った体験を持つ、苦心の末に修得した経験を持つ、そういうタイプの先生の方がよほど適任なのです。理解の遅い生徒、何故なのと考え込んでいる生徒の、痛みや悩みを理解することが出来、その痛みや悩みを共有できることが、教師には欠かせないのです。ところが、自らがそうした経験を持たない優等生には、何故分からないのか、分からないところのある生徒が、どういう気持ちでいるのかが、分からないのです。自分にその経験がないからです。こうした先生は、自分の教え方の不十分さを棚に上げ、「何故分からないの?」と、言ってはならない台詞を濫発しては、生徒を萎縮させ、その人格を傷つけてしまう、悪循環に陥ってしまうケースが多いのです。優等生先生も、ある程度は必要です。しかし、こうした先生には、自分には、教師を務める上で、大きな弱点があることを自覚し、その弱点をカヴァーする努力が必要なことを、最初に十分認識してもらう必要があります。そして、成績中位者や下位者の目線まで降りて、彼ら彼女らが、どこでつっかえているのかを理解し、その上で、そうした生徒達が十分分かるような、懇切丁寧な説明が出来るような能力を、身に付けてもらう必要があるのです。これがなかなか困難です。なぜなら、優等生らの誇りは、たかだか学校の成績、それも単に試験の成績が良いだけなのに、自分は優秀だと思い込んでいることにあるからです。実は、成績上位者いわゆる優等生の中で、本当に力のある生徒は、せいぜいその5%くらいに過ぎないのですが、この5%を除く、残りの95%に属する「優等生」にとって、自分たちより下に見ていた成績中位や下位の仲間たちより、自分が能力的に、特に教育能力の点で劣っているということは、絶対に認めがたい屈辱に外なりません。ここが、問題なのです。この点が素直に認められない優等生先生は、きちんと生徒指導のできる。生徒の信頼を獲得できる先生になることは不可能です。そして、こういう先生をきちんと鍛えるには、本人の持っている、いわば幻想に過ぎない間違った自信を、1度木っ端微塵に打ち砕き(ここで挫折する人は、所詮教師に向きません。精神疾患に陥る先生の殆どは、おそらくこのタイプです)、自分が学ばねばならないことがいかに多いかを、正しく認識してもらう作業が必要なのです。そのためには相当の時間が必要です。ですから、正規の教員を採用する前に、2年程度の試用期間を設け、温かくかつ厳しし指導教官を付けて、その下でみっちり修行してもらった上で、適性を判断してもらって、最終的な合否を決定するようなシステムの構築が必要であろうと、私は判断しています。 続く
2008.10.28
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クロニクル プラハの春再び1989(平成元)年10月28日この日、チェコスロバキアの首都プラハで、民主化を要求する2万人の大デモが行われました。プラハは、ウィーンに移る以前に、オーストリアハプスブルグ王朝の宮廷所在地だったこともある美しい古都です。そのプラハの町が血で染められ、ソ連などの戦車で蹂躙されたのが、1968(昭和43)年8月20日のことでした。「プラハの春」と呼ばれたチェコの民主化運動が、ソ連によって鎮圧された瞬間でした。ドプチェクらの指導者は逮捕・投獄され、チェコの民主化への息吹はかき消され、再び冬の時代に戻ったのでした。苦節21年、チェコの市民は不屈の闘志を秘めて、再起のときを待ち望んでいたのですね。それがこの日でした。21年ぶりの満を持しての再起。それが19年前の今日だったのです。運動は成功し、11月22日には、全土ゼネストが始まり、12月28日には、山地の製材所での労働を命じられていたドプチェクも帰還、連邦議会議長という名誉職に就任、名誉を回復したのでした。68年に「二千語宣言」に名を連ねたとして、職を失い、名誉も剥奪されていた、女子体操の名花として、東京五輪の個人総合を制したチャスラフスカさんも、この日名誉を回復したのでした。
2008.10.28
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おーい!麻生さーんアイスランド最大手銀行、カウプシングバンクが、発行した円建て外債(サムライ債という)が、27日遂にデフォルトとなりました。20日が利払い日だったのですが、利払いが行われず、延長期限の27日になっても、アイスランドからは何の連絡もなく、遂にデフォルトとなりました。アイスランドは、金融危機が深刻化、同国のGDPの推定10倍以上の預金を、諸外国からも集めていた三つの銀行が、米国発の金融危機の影響を受け、大量に抱えていた証券化商品の不良債権化で経営危機に陥り、国有化されたのは、二週間ほど前のことでした。しかし、同国のGDPの10倍に達する不良債権は、同国の手に負える額ではありません。かといって金融危機にあえぐ、アメリカやヨーロッパ諸国に、アイスランド救済の余裕はありません。困ったアイスランドはロシアにSOSを発したりして、このほどようやくIMFの融資が受けられることになりました。ところで、今回サムライ債をデフォルトしたカウプシングバンクは、国有化されているのですから、今やデフォルトの責任はアイスランド政府にあります。したがって、アイスランド政府は日本政府を通じて、サムライ債の利払いの遅れを詫び、しばらく待ってくれ、できるだけ手を尽くすというメッセージを、発する義務があります。ところが今回そういう話は、一つも聞こえてきていません。ということは何もないのですね。これは黙っていてはいけません。相手は民間銀行ではないのです。国有銀行です。国家が500億円もの借金を踏み倒しておいて、知らん顔とは許せない話です。これで黙っていたのでは、日本は組しやすい国だ。借金を踏み倒しても何も言わないぞとなると、今のご時勢、同じような話が、あちらからも、こちらからも出てきます。分かりますよね。経済に明るいと自負されている麻生さんですから‥。 麻生さん、アイスランドの首相に強烈な抗議を突きつけましたか。首相と銀行の頭取を日本に呼びつけて、お詫びと今後の弁済計画の詳細を説明させましたか。それなしにはIMFに融資を実行させないくらいの脅しをかけましたか。イギリスやフランスの首相や大統領は、民間人や自治体の凍結された預金を取り戻すために、大車輪の活躍ぶりですよ。麻生さん、ここで黙っていては、益々人気が剥げ落ちますぜ‥追記 文中100億円と書きましたが、正しくは500億円でした。本文も訂正しました。 お詫びします。(10月28日 10時23分)
2008.10.28
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学級の誕生(102)教員採用が広き門だった時代、我々世代が学校に通っていた時代は、デモシカ先生の数多かった時代で、今から考えると、問題も数多くありましたが、その分、様々なタイプの先生が揃い、名物と呼ばれる先生も何人もおりました。先輩からの情報には、「授業はからっきしだが、雑談は無類に面白い。いかにうまく乗せて、その気にさせるかが、クラスの腕」などというのが、結構ありました。乗せ方によって、雑談の中身がかわってくる方もありました。そんな雰囲気だと、見よう見まねで、生徒もまた多様なタイプがいるのはあたり前。一致団結はクラス対抗の時とか、授業の進行を遅らせるために質問攻めにしようとか、うまく乗せて雑談を引き出そうとか、そんな時だけの一時的なものになります。その分誰にでも居場所がありりました。そして、先生が多様な分、本来多様な集団である生徒達の中に、全ての先生と合わない、先生全体が嫌いだという生徒が、先ず見当たらないという利点がありました。人生の師と仰げる教師に、1人でも出会えるなら、それは大変な幸せです。そこまで行かなくても、「あの先生は、私(オレ)のことを理解してくれる」と思える先生が、1人でもいるなら、その生徒が学校からドロップアウトすることは、先ずありませんし、学校に居場所がちゃんとあることになります。今はどうでしょうか。教員採用はかなりの狭き門になっています。それで優秀な教員が確保できているのでしょうか。私は否定的です。極論すれば、デモシカ時代の方がましでした。なぜか。少なくとも、事あるときに自分の判断で行動できるだけの自発性は、デモシカ先生と言えども持っていたからです。教室ではいろいろなことが起こります。その時、マニュアルがないと判断できない教師は、なった役に立ちません。咄嗟に的確な判断が出来ることが、教室を任される教師にとっては、欠かせない重要な資質なのです。教員採用試験に、そうした資質を判断する要素があるでしょうか。現在は全ての都道府県で、教員採用は2次試験まで行われますが、1次は学力試験だけです。2次は面接になるのですが、出身大学では面接対策の指導を行うことも普通になされています。この学力試験が問題です。これはまさに受験勉強そのものだからです。いろいろな学校の先生から伺ったことなのですが、高校や大学の先生方は、異口同音に「入試の成績と入学後の成績には相関関係は見られない」とおっしゃられます。いわば、受験学力は、本人の学びの質を測っていないということです。ひたすら教えられたことを暗証し、受身の姿勢で学ぶことには慣れているが、自らテーマを決めて、自ら悩みながら本質に迫っていく、主体的な学びには就いていけない。こういうタイプが合格してしまうのが、現在の採用試験です。狭き門になればなるほど。受身タイプの独壇場になります。ところが、生徒は多様性の塊ですから、いろいろなところで躓きますし、分からないところも一様ではありません。これはマニュアル通りの教え方で、解決できるものではないのです。若い教員に精神疾患が増えていると言いますが、これは予想された当然の結果に過ぎません。教育の世界は、受験優等生に勤まるようなヤワな世界ではないからです。しかし、皮肉なものですね。優秀な人材を揃えたいから、教師の待遇を改善し、受験者が殺到する人気業種に育てた。その途端に、単に受験に強いだけの、面白くもない「真面目人間」ばかりが採用されるようになり、同じような「優等生」タイプの教員ばかりが揃い、教師の多様性は失われた。伸びやかさが失われた教室では、憂さ晴らしのいじめが流行り、学校に居場所を見つけられない子ども達に、不登校が蔓延する。そして、それを気にする優等生タイプの教員もまた精神を病む。負の連鎖が続きます。現代の学校の病理は、こうした脈略の中で拡大してきた。私はこう考えています。 続く
2008.10.27
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クロニクル 日本軍武漢三鎮を占領1938(昭和13)年10月27日前年1937(昭和12)年の七夕の日の、盧溝橋での日中両軍の衝突によって開始された、日中全面戦争は、その後も日本政府の再三の早期収拾声明にもかかわらず、同年12月13日には南京占領と、いわゆる「南京大虐殺」事件を引き起こしました。そして、この年1月には、近衛首相の「国民政府相手にせず」という、かの有名な声明まで発表され、日中戦争は泥沼化の様相を呈しておりました。こうして4月には、『国家総動員法』が成立、5月には徐州を占領、そしてこの日には、武漢三鎮を完全制圧と、日本軍は長江流域を遡る形で、占領地を拡大していきながら、次第に広い占領地を支配しきれず、長く延びた補給線の維持に汲々とする、苦しい状況に追い込まれていくのでした。
2008.10.27
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学級の誕生(101)もう少しお付き合いください。フランスのケースです。フランスでは小学校は6年、コレージュと呼ばれる中学校が3年、高等学校に当たるリセも3年です。コレージュとリセを併設した6年生の学校もかなりあります。そしてリセの教員資格はかなり厳しく、大半はアゲレジェと呼ばれる大学教授資格にもなる資格の持ち主がリセの教員を努めています。6年生の学校ですと、こうした先生がコレージュも教えています。教師の質という点では、大変高いのです。ところが小学校の教員は、日本と同じ一般の大卒で、初等教員の資格さえ取ればOKでした。さて、フランスは、6・3・3・4制をとっていますが、義務教育は10年です。小学校の2・4・6年の段階で、学力不振で、そこまでの修得状況が不十分とみなされた生徒が原級留め置きになるからです。ですから、義務教育の終了学年を設けず、通学年数で授業料の補助を打ち切るために、義務教育年限を年数で区切ったのです。1990年代の初め、ここで問題が起きました。小学校において原級に留め置かれる生徒数を調べてみたところ、留め置かれる生徒数が余りに多かったのです。そこで、議会や言論界で、「これは小学校教師の教育力に問題があるのではないか」という声が大きくなったのです。当然と言えば当然なのですが、この時期は移民の流入が問題とされていた時期ですから、フランス語が不十分な移民の子ども達が、原級留め置き生徒の過半を占めていましたから、些か小学校教師には、気の毒な主張でもあったのです。しかし、この声は受け入れられ、90年代半ば以降、小学校教員資格の取得条件は、格段に厳しくなったのです。一方で、資格取得の厳しさから、小学校教員の専門性は大きく上がったのだからと、初等教員の待遇は大きく改善されることになりました。その結果、資格取得は厳しくなりましたが、初等教員の志願者は減じるどころか、増加傾向を示しながら、今日に来ているのです。日本の場合は一体どうかと言うと、1960年代後半の待遇改善で、欧米に比べると、大学教員を除く、小・中・高教員の給与は、かなり良い水準に達しています。資格取得にさほどの困難はなく、供与水準はまずまず、産休や育休といった女性の労働条件は一般企業よりはるかに良いとなると、これは志願者が多くなって当然です。逆説的に聞こえるかも知れませんが、ここに落とし穴がありました。 続く
2008.10.26
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クロニクル 自民党安保改定へ動く1959(昭和34)年10月26日この日、自由民主党は、岸内閣が交渉中の日米安全保障条約の改訂交渉を、強力に後押しする目的で、安保条約の改訂を支持することを党議決定しました。この決定は、アメリカ側との交渉を迅速に進める上で、大いに役に立ち、翌年1月6日の交渉で、改定案は完全にまとまり、藤山愛一郎外相と、駐日米国大使とが、互いに署名し、改訂安保条約は、国会審議にのせられることになりました。
2008.10.26
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学級の誕生(100) 安倍内閣期の「教育再生会議」において、教員免許更新制が話題になりました。10年毎に教員免許を更新することで、指導力不足の教員を排除しようという案でした。この案は、誰が判断を擦るのかという問題と、校長や教委のイエスマンにならない実力派の教員が排除される可能性が否定できないなどの問題が指摘され、結局10年毎の研修として、30単位分の講習を課すことで、決着しました。これも大きな問題があるのですが、その点はここでは触れないことにします。なぜ、こんなことが問題となるのか。それは日本での教員資格の取得、教員免許の取得が比較的容易に出来るからなのです。それなら、プロの教員になる以前に、しっかりとした訓練を施し、その訓練に耐えた者から、正規の教員を採用する。こうすることで、状況は大きく変わります。一昨日にブログに、頂戴したコメントを紹介させていただいたレミドリさんが、昨日フィンランドの教員資格の厳しさについて、コメントを寄せてくださっていますが、ここではドイツの例を記させていただきます。ドイツの教員免許の取得条件は、まず大学院修士課程卒業後に、教員助手としての適性試験を受け、合格者に2年間の見習い教員としての研修を課します。日本流に直して言えば、大学院修士課程(博士前期課程)修了者が、2か年の教育実習を行うとなりましょうか。そして、その後に、改めて半年、1年の教員足るべき講習を受け、その終了証明書を提示することで、初めて教員本採用試験を受けることが出来るのです。プロ足るべき徹底的な訓練を受けた人だけが、教員になる世界がここにあります。大学生が、一定の教職科目を受講し、学生に甘く、よほどのことがない限り不合格にならない、日本の大学の評価で、必要単位を修得し、僅かに2週間から4週間の教育実習を受ければ、資格が取得できる、日本の教員免許とは重みも質も違っています。保育園の保父さんや保母さんの資格については、高卒後1年の実習、その後2年間の専門月光での教育を受け、さらに3年間保育助手としての実習を行い、ようやく採用試験に漕ぎ着けるのです。こちらもかなり重いハードルが課されているそうです。ですから、こうした方たちは、その資格の重みに相応しい社会的尊敬を受けているのです。ドイツでは、小学校への入学について、保育園・幼稚園の先生の推薦状がないと受け入れていただけません。そして先生達は、1人1人の子どもについて、「あなたは、知育の発達が今一つだから‥」とか、「あなたは、小学校の学習をちゃんと受けられるだけの、集中力や忍耐力にまだ欠けるから‥」といった理由で、小学校への入学を1年遅らせ、就学準備学校へ1年間通うように、勧告することが出来るのです。毎年およそ1割の子ども達が、この対象になると利いています。ということは、小学校入学に必要な推薦状がいただけないのですから、この勧告は事実上命令に等しい重みを持つのです。勿論この決定が出される際には、保育園の先生、両親、そして小学校の先生の3者が同席しての話し合いが持たれ、親御さんには、この勧告に対しての反論と異議申し立ての権利が与えられているのですが、保育園が判断を訂正するケースは300~500件に1件の割合だと言うことですから、大変権威ある決定になっています。小学校入学時点でこうなのですから、小~中への課程では言うまでもないですね。教員資格をどう扱うか、国によって差のあるのは当然ですが、教員は少なくとも授業担当者としては、新卒でも採用された直後から、一国一城の主の扱いを受けます。その点で、日本の資格付与は甘きに過ぎる。特に昨今の大学教育のレヴェルを考えると、こう指摘せざるを得ないように思います。 続く
2008.10.25
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クロニクル 中華人民共和国国連に1971(昭和46)年10月25日37年前のこの日、国連総会は、台湾追放・中国招聘の決議案を圧倒的多数で可決。ここに中華人民共和国の国連議席が確定しました。考えるまでもなく、これは魔か不思議なことでした。第二次世界大戦の末期に連合国は、国際連盟の失敗の苦い経験に基づき、周知を結集して新国際連盟の発足を急ぎ、国連軍派遣の権限を持ち、連合国の中心をなした5大国(米・ソ・英・仏・中)が常任理事国として、拒否権を持った安全保障理事会を中核とする国際連合を組織したのでした。ここに発足した国連に、中国は当然のように常任理事国とし、議席を持っておりました。国民党内閣の中華民国として‥ ですから、中国の内戦が共産党の勝利に終わり、1949(昭和24)年10月1日に中華人民共和国が建国された時点で、中国としての議席は、当然共産党の中国に譲られるべきでした。ところが、大陸を逃れ、アメリカ第7艦隊に守られて、台湾に逃れた蒋介石は、中国は一つであり、「二つの中国の陰謀には組しない」として、国連に居座ったため、7億(当事)の民を統治する正当中国が、国連に出席できない状態が、この日まで続いていたのです。これは異常な事態でした。中国の議席回復を願う国々も年々増えました。ここで、アメリカ政府の意向を伺っていた日本は、大きな失態を演じたのです。それは、大陸中国の招聘は台湾の追放とセットになっているため、重要事項である。ですから、重要事項に指定して、3分の2の賛成を必要とすることにしようと提案したのです。過半数から3分の2へ。これへ中国の国連加盟をさらに遅らせる措置でした。そしてその急先鋒が日本だったのです。この年も同じでした。しかし、7月に翌年2月にニクソン大統領が訪中すると言う米中の関係改善が公表された後でしたから、中国の招聘は圧倒的多数で可決されたのでした。日本は、相変わらず重要事項の指定を提案したのですが、この提案も、ここでは大差で否決され、皮肉なことに中国招聘・台湾追放の決議案そのものが、3分の2を超える賛成を得たのでした。
2008.10.25
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学級の誕生(99) 「ゆとりの教育」をきちんと字義通りに実践していれば、学力低下は防げたはずでした。平均的な生徒達が、立ち往生するしている関所の通貨を助け、さらに成績下位の生徒達の学習の前進を手助けする、時間的なゆとりが出来るからです。そして、通称「総合学習」を、その名に相応しく実践することが出来ていれば、バラバラに学んだ知識を、一枚のキャンパスに並べて総合的に理解することが可能となり、生徒の学習意欲もまた大いに高まるはずでした。そうなっていれば、日本の教育の将来は明るいものとなり、次代を担う若者は大いに輝いて、頼もしく見えるはずでした。しかし、そうはなりませんでした。いまだ具体的に良し悪しを論じるデータが不足している状況で、マスコミを動かして世論を誘導した政治が、「失敗」ノレッテルを貼ることに成功し、大幅な軌道修正を行ってしまったからです。これは拙速でした。しかし、現在の状態で、「ゆとりの教育」を継続し、「総合学習」をただ漫然と実施し続けても、決して学力状況を改善し、学習意欲を高めることに繋がるとは、言えないように私も思います。なぜか。大変失礼な言い方になりますが、厳しく言うと、現在の教員の質に大きな問題があると考えるからです。と言っても、私は旧師範学校系の国立大学や公立大学の教育学部の出身者にだけ、教員免許を与えるべきだとか、その他国公私立の教育学部出身に限るべきだと、考えているわけではありません。教育系学部・学科の出身者は、教科教育を担当するという点で考えると、特に専門教育の内容という点において、プロパーの学部・学科出身者に比べ、些か劣っている面があると、考えているからです。それに、生徒は一人ひとりみな違いますから、先生の出身母体もまた多様で、バラエティに富んでいることが、絶対に必要であると考えるからです。ですから、○○県の公立小学校は○×大学の出身者が多いといった、いわゆる学閥の存在は、百害あって一利なしだとも、考えています。問題はどこにあるか。明日から何回かに分けて、日本の教員採用の問題点を考えてみたいと思います。ともかく、授業の進め方は、学校の教員より、塾の先生の方が優れている。だから教員研修として、塾の先生を講師に招くなどということが、罷り通っている現実に、私はあきれ返ると共に、激しい怒りを感じているのです。それでは学校の教師は教育のプロではないのか、と。昔、「こんな女に誰がした」と大変女性に失礼な表現の歌がありましたが、それをもじって「こんな教師に誰がした」と申し上げておきます。 続く
2008.10.24
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クロニクル 暗黒の木曜日1929(昭和4)年10月24日丁度、今年の状況にピタリのテーマとなりました。有名なウォール街の株価大暴落、世界恐慌の始まりと言われる、暗黒の木曜日が、79年前の今日のことでした。この日は、丁度アメリカ訪問中の、当事イギリスの蔵相だったウィンストン・チャーチルがウォール街の証券取引所を見学中だったことも知られています。そこで、チャーチルは株価の譜大暴落を目撃したのでした。ただし、この日の暴落は、午前中から午後の初めにかけてであり、引けにかけては急速に戻しています。JPモルガンが、全力で株式を買い、市場を落ち着かせることに全力をあげ、モルガンの買いの噂で、急速に市場が落ち着きを取り戻したからでした。翌日の金曜日も小康状態でした。雰囲気が一変したのは、週が替わった28日の月曜日でした。モルガンが買った株を売り抜けている。こういう噂が流れた市場は、再び売り一色となり、株価は、この日から本格的な下落に入りました。翌29日は暗黒の火曜日と呼ばれ、暴落は2日続きました。その後少し戻す日もありましたが、株価は11月中ごろまで下げ続け、そこで1度下げ止まります。しかし、金融の返事は貸し渋りや資金繰り難を招き、実体経済の悪化は、その後深刻さを増していきます。そして米国の不況は、ソ連を除く全世界を巻き込んだ世界恐慌へと発展しました。その結果、NY市場の株価の大底は、1932年夏のダウ平均41,88ドルまで、実に率にして81%もの大暴落になったのです。現在の世界金融危機による金詰りは、私には当事より深刻に見えます。80年ぶりの世界恐慌の瀬戸際に立った状況がしばらく続きそうです。株価はまだ底に届いたわけではなさそうです。
2008.10.23
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学級の誕生(98) 「総合学習」を考える場合、専科の先生が音楽と理科にしかいない小学校は、担任教師がいくつもの教科を教えていますから、教科担任制が徹底している中・高に比べて、「総合学習」を比較的導入しやすかったという面は、見落とせません。しかし、それゆえに小学校では、どのような内容の総合学習にするかは、学年にお任せとなり、具体的な中身は担任にお任せとなるケースも多く見られました。学校差がこれほど開いた授業も、珍しいと思えます。これが中・高となるとなおさらでした。各教科で個別に学習したことを、一つに組み立てる作業となると、教科ぶち抜きの教員の協力が不可欠です。そこが組織できる学校が先ず少なかったのです。次には組織できたとしても、それは有志の教員による部分的な実験と実行に留まる学校がありました。ここでは、一部の選択授業に、その成果が反映されるに留まります。最後に学校全体が一丸となって総合学習を考えた学校が、ごく一部ですがありました。しかし、全校の教員が総合学習を展開するのですから、この時間は全校一斉、学年ぶち抜きで、生徒達は並べられた総合学習のテーマのうち、自ら好みのテーマを選択します。一つの選択を数人の先生がコンビで担当するのですから、担当する教員の数は多くなります。通常選択授業では、固定クラスの授業より、1クラスあたりの人数は減りますから、講座数も多くなります。専任教員だけでは決定的に教員数が不足してしまうのです。また、基本的に抽選を避け、複数クラスで、同じ講座を設けるとすると、担当者全員が参加するスタイルが取れなくなります。「総合学習」を展開するには、1クラスあたりの生徒数を。欧米並みに20人~30人に減じることが必要であり、かつ、その意図するところを十分に、各学校の教員一人ひとりに、周知することが必要だったのです。昨日のブログのコメント欄に、長野のレミドリさんが、お2人のお嬢さんの小学校の体験を、次のように寄せてくださいました。本気で取り組むとこんなことができるという「総合学習」の見本のひとつですので、ここに記させていただきます。「娘達の出た小学校は、総合学習では長い長い歴史を持っています。毎年それぞれのクラスで テーマを持ち、すべての教科にそのテーマが繋がっていました。1年中、総合学習です。 長女は小学校2~3年次に、盲導犬のパピーウォーカーをクラスでやり、次女は金子みす ずの歌を元に、ミュージカル公演しました。 それぞれに、資金集めで花を植えて売り、絵を描き、歌を作り、お金の計算から社会の仕 組みまで…。すべての教科が関係していました。どの子たちも生かされる場があり、一緒に 考え、さらに親までもが共に成長していました。目を見張るエネルギーでした。 しかけ、段取りし、子ども達の自発性を促し、学ばせる、教師の力量が、ものすごく問わ れます。 ‥‥ 以下略 ‥‥」これは小学校の総合学習の一つの見本です。私の住まいは川崎市の北部、多摩丘陵を切り開いた新興住宅地にありますが、地域の教育会議からの提言として、区内の中学校に、現在と土地開発以前(1960年ごろ)の校区の立体地図(ジオラマ)の模型を、来年度に作ってもらうことを提案。教委の許可も得たところです。山の高さ、谷の深さ、尾根の傾斜等、当事を知る古老が健在の内でない出来ない作業ですし、遡って、当事の食文化を調べ、今は廃れた炭焼きや綿作、商家の商いから、道路の開削状況等から、文学作品と地域との関連まで追っていくと、全教科参加型の「総合学習」としての利用も可能だからです。個別的に学んだことが総合化できれば、そこには、学んだことを材料に、様々な自然現象や社会現象に対して、疑問を持ち、その疑問の答えを探そうとする、考える姿勢の回復に繋げることが可能となります。その点で、「総合学習」の時間が、事実上消化不良に基づく機能不全で消えていこうとしているのは、惜しまれてなりません。 続く
2008.10.23
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クロニクル オルブライト国務長官訪朝2000(平成12)年10月23日任期満了間近の、米国クリントン政権のオルブライト国務長官が、この日朝鮮民主主義人民共和国(略称北朝鮮)を訪問。金正日総書記と会談し、米朝間の関係改善について、意見を交わしました。オルブライト長官の訪朝は、米国政府の現役閣僚としては、初めてのものでした。このとき米国は約2週間後の11月7日に、ブッシュ・ゴア両候補による大統領選挙の投票を控えており、何とか自分の任期中に、北朝鮮との関係改善の道筋をつけておきたいという、なみなみならぬ、大統領の決意が伺われました。
2008.10.23
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学級の誕生(97) 「ゆとりの教育」のもう一つの売りは、「総合的な学習の時間」略して「総合学習」の導入でした。教科の枠は設けない。5段階のような評価はしない。学習者(生徒)の自発性を尊重する等々、様々な指標が付けられていましたが、未消化のうちに「学力低下」=「ゆとり教育」原因論の大合唱の中で、縮小に追い込まれ、未消化のまま失敗のレッテルを貼られてしまいました。私自身は、「総合学習」をと主張し、その導入に奔走した人たちの心情は、痛いほど分かる気がしています。ただし、拙速に導入を急ぎすぎたのが、失敗の原因だと分析してもいますが‥。生徒達に学ぶことの楽しさを味わってもらい、食わず嫌いで「嫌いだ。出来ない」と避けてしまう教科をなくそう。一見繋がりのない、別々の事柄として学んでいる細切れの知識を、パズルのピースのように1枚の絵に嵌め込んでいくとどうなるか。バラバラの知識を「総合」してみるとどうなるか。学んだ知識の生きた使い方を実践的に学ぶ場、これが「総合学習」だ。校考えてみてください。近代科学の各分野は、デカルトやパスカルの時代には未分化の母体として、渾然一体となっていた哲学を要とした学問を、各個別科学に分解することで成立しました。それは個別的認識をを徹底した上で、再び総合的認識にいたる。いったん下放した上で、再度上昇することを含みとしてのものでした。バラバラに学んだ知識をフル動員すると、こんなことが分かるんだという、いままで未体験の世界を覗き見ることで、生徒の興味関心は深まる。ここに狙いがあったのです。しかし、自分の専門分野の知識しかなく、リベラルアーツの修得訓練が不十分な、自称専門家たちには、総合性の指導は難しいものです。まして、特に中・高の教員にとって、他教科の教育内容の理解は難しいものです。それゆえ、「総合学習」を十二分に展開するには、いくつかの教科の教員が、教科の枠を超えて共同し、複数教員で一つの授業を担当する準備と、そのための教員数の確保が必要だったのです。そこまでの用意がないままでの「総合学習」の導入は、冒険を超えて、無茶苦茶だったと言えましょう。 続く
2008.10.22
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クロニクル 中国文革四人組の逮捕を公表1976(昭和51)年10月22日32年前のこの日、中国政府は、16日前の10月6日に、文革四人組を逮捕したことを発表しました。文革四人組とは、いずれもプロレタリア文化大革命の過程で、毛沢東主席によって抜擢された、江青、張春橋、姚文言、王洪文の4人を指します。4人は毛沢東主席の死後も、4人による権力掌握を目指して、分派闘争を展開、党を混乱させたとして、逮捕・投獄されたのです。裁判の結果、江青と張春橋は死刑、後無期懲役に減刑されました。姚文言は懲役18年、王洪文は無期懲役とされました。その後、江青女史は1991年に獄中で自殺。他の3人はいずれも病死しました・
2008.10.22
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学級の誕生(96)生徒達との質疑応答を繰り返しながら、生徒達が自分自身で考えるように、誘導していく授業は、当然教え込みの一方通行の授業に比べれば、時間がかかります。それゆえ進度は遅くなりますが、しかし、学んだ知識の定着度は高くなり、思考力が鍛えられることで、創造性や論理性は格段にアップします。こうした授業を続けるためには、基礎・基本を含めた教材の徹底した精選が欠かせません。すなわち、この言葉がよいかどうかは別として、私が申し上げた「ゆとりの教育」の実現が必要だということになります。アメリカのフランクリンは、「人間とは道具を作る動物である」と定義した人物としても知られます。彼に先立ち、近代合理主義の父とされるデカルトは、有名な「吾思ふ、ゆえに吾あり」という名句を残しています。デカルトは大航海時代(15世紀末から16世紀いっぱいにかけて)の様々な発見によって、カトリック神学が定式化した西欧中世の教会的認識が、次々にその根底から覆されていった現実を見て、全てを疑え、疑い尽くす中から真実を見つけることが必要であると思い定めたのでした。そこから彼は、「たった一つだけ、疑い用のない事実がある。それが、あらゆることを疑い、考え悩んでいる自分が、今ここにいるという事実だ」と結論付け、「吾思ふ、ゆえに吾あり」という言葉が、生まれたのです。フランクリンの言わんとするところは、道具を作るという行為の背景には、こういう道具があると、高い場所の木の実を取ったり、動物を捕らえたりするときに便利だとする思考力が芽生えていること、同時にこんな形にすればという、作ろうという道具の形状が、頭の中にイメージとして形成されているという、二つのことが存在している。即ち、道具を作る行為は、ヒトが考える力を身に着けたことを証明しているのだということです。ヒトがヒトたるゆえんは、考えることにある。何にも考えないとするなら、それはヒト足りえません。考えることは深ければ深いほど、楽しめる世界が広がると言えましょうか。それなのにです。とりわけ、共通一次試験(現在のセンター入試)導入頃からの日本の現実は、若者の考える力=思考力を削ぐ方に削ぐ方に進んできたのではないかと言うことです。ひたすら教師の話を聞き、言われたままに暗記に精を出し、考える時間は無駄だとでも言わんばかりの指導は、どこから見ても教育的であったとは、決していえないように思います。ヒトは百科事典ではないのですから‥ただ誤解のないように申しておきますが、私は、覚えることが不要だとは申しておりません。様々な教科の基礎・基本はしっかり覚える必要があります。富士山を筆頭に名山と呼ばれる山々は、いずれも広い裾野を持っています。脳の中に蓄えられた知識は多ければ多い方がよいことも事実です。ただし、それは引き出しからの出し入れが自由でなければなりません。しまわれたままで、出し入れが出来なかったり、しまったつもりがどこかに漏れてしまっていたのでは、役に立ちません。考えて、納得し、賦に落ちたことは、しっかり身につきます。引き出しにしまっても、折にふれて出し入れ自由です。ただ闇雲に丸暗記したことは、その後使い続けない限り忘れてしまいます。試験のために一夜漬けで頭に入れたことは、3日もすればきれいに頭から消え去っていま。せっかく寝ないで覚えたつもりなのに、いざ試験に出たのに思い出せなかったと、悔しい思いをしたことってありませんか。睡眠は記憶を定着させる効果があるそうですね。寝たら忘れるという恐怖感を持つ方は、徹夜をされるようですが、それは逆効果のようです。お子さんやお孫さんには、ぜひ教えてあげてください。 続く
2008.10.21
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クロニクル 富士通・日立電算機部門で提携1971(昭和46)年10月21日37年前のこの日、富士通と日立製作所が、電算機部門での包括提携に合意し、覚書を交わしました。当事はまだ、大型の汎用コンピューターの時代で、パーソナル・コンピューターの時代が訪れることなど、誰も想像すらしていない時代でしたが、やがてくる大型コンピューターの普及期に備えて、電算機業界の巨人IBMの日本子会社、日本IBMを迎撃する体制を整えようとする両者の思惑が一致した提携でした。この富士通・日立の提携合意を受け、遅れること約1ヶ月、11月24日には、NECと東芝、沖電気と三菱電機が、夫々電算機部門の提携で合意し、ここに国内の電算機メーカーは、3つのグループに集約されたのでした。
2008.10.21
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愛国発幸福往き 補遺本日のクロニクルに、愛国発幸福往きの乗車券のことを書きましたところ、多くの反応をいただきました。有難うございます。その中に、北の国にお住まいのブログのお仲間で、写真に語らせるユニークなブログを作られている山デジさんから、6月1日のブログに、最近の(ということは広尾線廃線後)幸福駅の様子を写真で載せてあるからと、ご案内をいただきました。今も訪れる方が多いのでしょうか、駅舎は訪れた人たちのメッセージが溢れんばかりに貼られていて、合格祈願の絵馬でいっぱいになった受験シーズンの天神様を思わせる賑わいです。現地を訪れたことのあるなしに関わらず、どうぞ皆さんも1度ご覧ください。山デジさんから教えていただいた、ブログのURLを記します。リンクがうまく貼れないもので、これでご容赦ください。後ほどまた挑戦してみます。 http://plaza.rakuten.co.jp/xtrail114/diary/200806010000/ (xtrail114のiの次はLの小文字、114は数字です)
2008.10.20
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学級の誕生(95)ここで、諸外国の教育と日本の教育を比較して見たいと思います。各国共に、教育事業を次代の指導者の養成と捉えている点は、共通しているのですが、そのために今何が必要かになると、様々に違ってきています。そこには各国の事情が背景にありますから、違うのは当然です。その点は、ここでの取り上げませんが、小から高までの初等・中等教育期間を通じて、日本と世界とで大きく違っている点があります。それは、隣国の韓国や中国、さらには、アジアの様々な国をとっても、欧米の国々をとっても、全く同じように、日本だけが違っているのです。それは、授業中の教室がシーンとして静かなのは日本の教室だけだということです。他国の教室は、いずこも大変賑やかで、活気に満ちています。日本の教室でも、小学校低学年の教室では。先生の問いかけに子ども達が答える方式の授業がかなりありますが、高学年になるにつれ、生徒の発言は減ってゆきます。挙手をして答えるのは恥ずかしいとか、自分だけ目立とうとしているように見られるとか、間違ったらどうしようとか、様々な理由が挙げられています。ここに共通しているのは、日本の教室では、活発に見える生徒の発言も、挙手と指名という先生の主導権の下に、管理された形式で行われているという事実です。諸外国の教室ではこんなことはありません。先生の話を聞くや、時には聞く前から、生徒は自由に話し始めるのです。先生は、そうした発言の中から、瞬時にして、授業の組み立ての最初に持ってきたほうが良い物を取り上げ、その他の発言については、順繰りに取り上げることを伝えて、生徒達と共に考える風を装うのです。決して答えを先に教えず、生徒達があたかも自分達だけで解いたかのように、誘導していくのです。それも出来る限り、全員が参加して答えにたどり着いたように、見せるのです。戦後日本の教育は、民主教育に替わったと言われます。しかし、教師による教え込みのスタイル、権威ある教師が、教室で生徒を管理するというスタイルは、ずっと変えずに続けてきました。短期間のかなりの量を教えるために、時間のロスを極限まで減らし、効率を最優先しようとすれば、こうした授業方式にするしかなかった。その事情と、戦前からの教員の権威主義が結びついた結果でした。しかし、管理された参加意識の乏しい授業となると、担当教師の特異な個性で、よほど授業内容が興味を呼び覚ますものでない限り、生徒達に学習意欲が広がることは期待できません。まして、生徒から質問されることを、忌み嫌う教員が、大きな顔をしている授業に、生徒が主体的に参加することもありえません。困ったことに現代の日本の学校では、こうしたダメ先生も結構多いのです。しかもダメのレッテルを貼られずに、生徒管理のしっかり出来る先生と、評価されていたりするのです。これでよいはずはないですね。学習者=児童・生徒の学習意欲は、先生との自由闊達な質疑応答の中で、興味と学習意欲を大いに刺激された授業と、日本型の管理の行き届いた教え込み型の授業とでは、どちらでより強く・より大きく刺激されるかは、おのずと明らかでしょう。こう考えますと、学習到達度の国際比較に現れた数字を離れたところに、日本の「学力」を巡る大きな問題が潜んでいることも、見えてくるように思います。日本人の学力に潜む、大いなる問題の根は、相当に深いと、私は考えています。 続く
2008.10.20
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クロニクル 愛国発~幸福往き1974(昭和49)年10月20日34年前ですが、この年4月に、北海道の国鉄(当事)愛国駅が発売した、幸福駅往き乗車券が、思いがけない大ヒットとなり、この日、累計で300万枚もの売り上げを達成しました。勿論愛国駅を訪れた観光客が、そんなに大きかったわけではなく、手軽なお土産とばかり、10枚、20枚と纏め買いする方が多かったようですが‥‥。時あたかも、第1次オイルショック後の不景気と物価上昇が重なり、国民生活はかなり厳しかった時でしたから、ちょっとした縁起担ぎをした世相に、幸福往きの切符は、まさにピッタリだったのですね。
2008.10.20
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学級の誕生(94)「ゆとりの教育」の観点から、五日制を眺めてみると、それは歓迎すべき要素を数多く含んでいました。ご承知のようにミッション系の私学の中には、日曜礼拝へ生徒の出席を促す関係から、土曜を休日としている学校は古くからありました。そうした学校の「学力」低下が社会問題化したという話も聞いたことがありません。授業時数が少ないことが、「学力」の低下に繋がることのないように、教師達が時間外にいくらでも質問を受け付ける体制を整えたり、単元ごとに理解度をチェックする豆テストを実施して、理解の遅れている生徒を個別に指導するセーフティ・ネットを準備していたからです。それに授業五日制を実現しても、授業のない日を土曜日に限る必要は、必ずしもありません。学校自身が公開しておりますから、あえて学校名を記しますが、昭和女子大だの付属中・高は、水曜日を授業なしとした完全五日制を実施しています。土曜日には、学習の定着度を測る短いテストが毎週のように行われ、その週の授業で個々の生徒の理解が十分でなかったことを、はっきりさせます。個々の生徒は、自分のウィークポイントを翌週の水曜日までに学び直すのです。そうなんです。此の学校では、授業の行われない水曜日に専任教員は全員出校して、登校した生徒の質問を受ける仕組みが完備しているのです。週の半ばに授業のない日を設けることで、土曜日のテストで問題のなかった生徒も、月・火と2日間の授業を振り返って、分からなかったことがあれば、聞きにくることが出来るのです。この措置で、授業の定着度は、大きく上昇したことも事実です。成果に自信を持ったからこそ、校長自らの文章で、事実を明らかにされたのだろうと、私は受け止めています。授業のない日でなければ、教員は休めないのか。そんなことはありません。教科担任制の中・高では、時間割の組み方によって、個々の先生の授業がない日を作ることは可能です。現にそういう形で、教員の研修日(または研究日)を儲け、出校せずに図書館に通ったり、大学や大学院のゼミに通うなどして、教員としてのスキルアップを奨励している私学もあったのです。これを広げれば、何も土曜を全面休校にして、管理職の教員が数人だけ詰めているような、現在の姿にすることは、不要なことでした。クラス担任がいない日があっても、今の学校は代わりの先生は大勢います。それがイヤなら、現在は、日中の登校義務付けている長期休暇を休みとすることで、年間の休日を確保することも十分可能なのです。「ゆとりの教育」は、丁寧に時間をかけて、分かるまで教えるという、教育にとって最も初歩的でありながら、最も大事な原則に立ち戻るチャンスだったのです。そのチャンスを活かすことなく、ただ教員の2日の休みを確保するためと言う、現場よりも、文科省と教育委員会のご都合主義で、覆ってしまったことが、残念でなりません。 続く
2008.10.19
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クロニクル 日本政府対独単独不講和宣言に署名1915(大正4)年10月19日これは、第一次世界大戦(1914年7月~1919年11月)中の出来事です。第一次世界大戦につきましては、昨年秋からブログで同名の連載を致しました。ご覧いただけると幸いです。大戦勃発後、1ヶ月もしない内に、日本は対独参戦を決定し、9月には青島(チンタオ)のドイツ東洋艦隊の根拠地を陥落させて、こう(にかわという文字ですが、ここでは使用できません)州湾一帯を占領、さらに、逃げる東洋艦隊を追って、赤道以北のドイツ領南洋群島をも占領。日本にとっての占領目的を早々と実現していました。日本政府は、元々ヨーロッパ戦線への軍人の派遣を考えておらず、フランス、ロシア、イギリスさらにはベルギーなどからの、陸軍や海軍の派遣要請を、この時点ではすべからく拒否していたのです(1916年に入ってから、航続距離の長い駆逐艦を地中海に派遣します)。ところで、英・仏・露3国は、対独戦が長期戦になりそうな様相を強めていたことから、互いに相手がドイツと単独講和条約を結ぶのではないかと疑心暗義に陥っていたことから、1915年初め、英・仏・露三国は共同で単独不講和を宣言したのです。日本も戦後の国際会議の席でのことを考え、ここは列強に恩を売っておく必要から、三国の単独不講和宣言への参加を決定、この日署名したのでした。
2008.10.19
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学級の誕生(93) 私は「ゆとりの教育」が字義通りに実践させれば、受講対象の児童・生徒の「学力」(ここでは、学習内容の修得度の意味で使います)は向上するものと考えています。ですから、昨今話題の「学力低下」の原因は、教育界の混乱並びに、別の要因によるものと受け止めています。前回にも記しましたが、「国力」が高い国だとか、「学力」の高い学校だということは、難によって決まってくるかというと、平均レヴェルの国民や、児童・生徒の能力に関わっています。どの国でも、どの学校でも、10%程度の上位層と10%程度の下位層の外は、多少の差はあっても、どこにでもいる我々のようなごく普通の市民です。それゆえ、平均的な市民や生徒達のレヴェルが少しでもあがるならば、平均的な国力や学力は大いに上がっていくのです。試験に例えれば、上位100人が10点づつ成績を上げても(上位層が10点も成績を上げることは普通はありえないのですが)1000点に過ぎません。ところが中間層の800人が2点づつ上昇すると、もう1600点になります。当然下位の生徒も、しっかり動機付けして、学習習慣を身に付ける支援が成功すれば、学習成績向上の伸びシロは大きくなります。「ゆとりの教育」は、学習内容を減らしています。それゆえ、今までの学習時間を確保した上で、内容を減じた教科書を学ぶとすれば、一つ一つの内容を学習する時間は増えてゆきます。教師からすると、教室で丁寧に噛んで含めたように指導することが可能になりますす。いやな言葉ですが、「落ちこぼれ」は何故出るのか。それは、理解に時間のかかるじっくり型の生徒が、時間が足りないからと、きちんと腑に落ちるように理解する以前に、次の課題に進まれてしまうからに、外なりません。ですから、授業のスピードがあがり、内容も1段階難しくなる小学校なら3,4年、中学校なら2年、高等学校でも同じく2年の過程で、ついていけなくなる児童・生徒が多いのです。「ゆとり」は、授業時間数の削減で実現するものではありません。十分な授業時数を確保した上で、教授内容を精選、削減して、みんなが理解してから先に進んでいく、丁寧で十分に考える時間のある授業を実現する形で、実行に移されるべきだったのです。 続く
2008.10.18
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クロニクル 三越の女帝逮捕1982(昭和57)年10月18日思えば、この事件が老舗中の老舗百貨店三越凋落の決定打だったように思います。もう26年前のことになるのですね。この日三越の岡田茂前社長の愛人で、ワンマン社長だった岡田氏の鶴の一声を利用しては、自らが輸入した商品について、三越への独占的商品納入権を手にしていた、通称三越の女帝竹久みちが、脱税容疑で逮捕されました。この当事、三越は岡田ー竹久ラインによる商品供給体制の乱れなどから、客離れが激しく、業績不振が続き、同年6月の株主総会を前に、取締役によるクーデタがおき、電撃的に岡田解任が決まり、新規まき直しに取り組み始めていたところでした。竹久逮捕も三越の新経営陣の警視庁への告発により、実現したものでした。当事の週刊誌を大いににぎわした事件でした。
2008.10.18
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学級の誕生(92) この連載は開始してからはじめてのことですが、昨日は休載してしまいました。大変失礼しました。では「ゆとりの教育」はどうあるべきだったのでしょうか。「ゆとりの教育」で学力は下がるものなのでしょうか。私は「学力低下ゆとり教育原因論」は短絡的で間違っていると考えています。まして学校五日制と学力低下は直接的な関係はないと考えています。授業数を増やし、教科書のページ数を増やしても、学力が上がるわけでもないと考えています。教育関係の審議会の委員になる人は、いずれも各界の成功者です。それも一定年齢以上の方達ですから、どなたも詰め込み暗記教育の下での成功体験の持ち主ばかりです。そして、あたり前のことですが、審議会の席上での発言は、どなたもご自身の成功体験に基づいたお話になります。そこでは、失敗の経験、落伍者の経験は語られることはありません。人は成功体験からではなく、失敗の体験からより多くを学ぶ者だというのに‥‥。そして、これは大事なことなのですが、例えば、学力の国際比較ということで言えば、比較されるのは、上位者の成績ではなく、総体としての平均のレヴェルです。 ある学校が良い学校だと言われるのは、一握りの生徒・学生を指してのことではなく、平均のレヴェル、つまり層としては最も厚くなる、中間のレヴェルがどの辺にあるかで決まってきます。日本人が優秀だと言われたのは、ノーベル賞受賞者の数でも、オリンピックのメタルの数でもないのです。ごく一般的な、会社員や工場労働者の労働の質のことなのです。問題は、成績中位並びに下位の生徒の学習意欲を刺激し、彼らにやる気を持ってもらうにはどうするのが良いかにかかっているのです。ここで、ひたすら尻をたたいて、やれぇヤレェと叱咤して、授業を増やすことで、成果が上がるでしょうか。ここに一つのデータがあります。区名は伏せますが、東京23区の一つにあたる区内の中学校数が32校の区のデータです。この区の中学校の3年1,2学期の合計授業数(学校によって、かなりバラツキがあります)と3年生の国・社・数・理・英5教科合計の平均得点を調べたデータです。これを見ると、授業時数が767時間と最も多かった中学校の学力順位は、平均259,8点と全体の17位でした。同様に764時間で2位の学校は、278,1点で9位でした。758時間で3位の学校は、264,1点で14位です。そして学力順位の1位と2位は、授業時数は共に702時間で27位に並んだ学校が、301,4点と293,5点で占めているのです。3位の学校は742時間で授業時数は7位の学校の292,3点です。要するに、授業時数を増やせば学力が上がり、授業時数を減らせば学力が下がるといった相関関係は見られないのです。「学力低下」=「ゆとり教育」の」せいとする思考は、単純で分かりやすいために、マスコミがロクに検証もせずに報道し、世論を巻き込むことに成功して一大キャンペーンになりましたが、問題の本質をあいまいにして、学力問題を抜本的に解決することを遅らせることに繋がり、必要な教育改革を遅らせる残念な結果に繋がったと、私は厳しい評価をくだしています。 続く
2008.10.17
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クロニクル 初の近代的水道施設横浜に完成1887(明治20)年10月17日新橋汐留の再開発に伴う発掘調査で、江戸時代に木樋による上水施設が存在し、少なくとも江戸城や各大名屋敷に引き込まれていたことは、明らかになっているのですが、ここに記すのは開港場となった横浜の話です。横浜は寒村でしたが、用排水施設のないまま、江戸に最も近い開港場とされ、外国人居留地が作られ、人口が密集することになりました。そのため、衛生状態は悪く、コレラなどの伝染病がしばしば流行する羽目になりました。ここに衛生状態改善のために、上水施設の建設が計画され、木樋水道の建設が何度か試みられました。しかし、うまくいかず、1885年、イギリスに設計施工を依頼し、資材も全てイギリスから輸入する形で、津久井郡付近の相模川に取水口を設け、鉄管を用いた日本初の近代的な水道施設の建設が、始められたのです。この施設が完成し、この日横浜開港場への給水が始められたのです。
2008.10.17
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北の国の先住民の昨晩、NHKの「そのとき歴史は動いた」で、アイヌ民族の文化・伝承・民話を記録し、その作業の中で倒れた1人の少女の歩みを見ました。金田-京介に見出され、アイヌの伝承を文字にし、出版に漕ぎ着けた話です。話を聞いて大いに反省したことがあります。もう皆さんご存知のように、私は少しばかりですが、歴史をかじっています。ですから、南米の先住民インディオの歴史は、彼らの存在を認めたラフ・カサスの苦闘を含めて多少の心得もあります。またアメリカインディアンの歴史についても、そこそこの心得があります。しかし、日本の先住民のことは、何も知らないではないか。これでよいのかと、大いに反省させられました。今後、アイヌと沖縄の先住民の皆さんの歩みを、少しづつ勉強しようと思った次第です。良い番組でした。
2008.10.16
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クロニクル 全米にヴェトナム反戦広がる1967(昭和42)年10月16日41年前のこの日、アメリカ全土30の主要都市で、一斉にヴェトナム反戦を訴える反戦デモが行われました。それは、アメリカにおけるヴェトナク反戦週間の幕開けを飾る行進でした。ニューヨーク、ボストン、ロスアンジェルス等々の都市で一斉にデモ行進が行われたのです。それはアメリカ政府には大きな衝撃になりました。 残念なのは、イラク戦争やアフガン戦争では、いまだにこうした大反戦行動は起きませんね。
2008.10.16
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学級の誕生(91) 前回記したような状況を、今度は父母の側がどう見ているかを、経済企画庁の『国民生活選好度調査』から見てみましょう。少々古い調査で恐縮なのですが、調査は1996年に行われたものです。「小・中学校で、子どもの能力を伸ばせる教育が受けられることは重要だと考えますか」と言う問いに対して、70%以上の親御さんが、そう思うと答えられています。また、「高等学校において、各人に適した教育が受けられることが大切だとお考えですか」という問いに対しても、同じようにそう思うと答えられた親御さんが、70%を超えています。これは当然と言えば当然なのですが、問題はその後にあります。同じ項目について、小・中学校の教育や高等学校の教育が、現実に満足の行くものと考えているか否かと。満足度を伺った結果は悲惨なものでした。「十分満たされている」と「かなり満たされている」とされた、満足派の回答は、小・中学生の親御さんでは17%、高校生の親御さんでは15%に留まっていたのです。ここには、小・中学校や高等学校の教育が、子どもや親のニーズを受け止め、子の持つ能力を十分に伸ばしてくれていないと考え、学校にたいする失望を表明している親御さんが80%えお超えていると言う、重たい現実がここには示されています。12年前の資料を何故あげたかいうと、「ゆとりの教育」を巡る混乱を見聞きするに連れ、現在の教育を巡る状況が、12年前より改善しているとは、とても言えないことがはっきりしているからです。同じ時期のもう一つの調査を見ましょう。これは学習教材を種々発行している福武書店の調査ですが、各教科について、「あなたは○○という教科がすきですか」という問いに対して、「嫌い」、「まあ嫌い」と答えた生徒の比率が、発表されていました。それを見ると、小学校で理科を除く、国語・社会・算数が嫌いな児童が順に17.7%、21,7%、26.9%と高率であり、唯一低かった理科も小学校の8,6%が、中学校では19,8%に、高校では27,9%にまで拡大しているのです。中・高と僅かながら「嫌い」の比率が下がっていくのは社会科だけで、それも微差に過ぎません。中学校で登場する英語は、初めて学ぶにも関わらず、いきなり28,8%という高率を示しています。どの教科をとっても、その教科が「嫌い」な生徒が少なく見て、およそ4人に1人はいる勘定になっているのです。これは明らかに、学校における教育内容、教授内容を改めなければならない信号です。学級という枠に生徒を縛り、1国一城の主よろしく、教師が生徒に静寂を強制しながら、一方的に教え込む授業の破綻を示しています。先ずは、学びのモチベーションを高め、自ら学ぶ意欲を醸成する、新しいタイプの授業が要請されていたのです。「ゆとりの教育」と「総合的な学習の時間」はこうした期待に答えるべき手段として、構想されたものでした。こう私は考えています。 続く
2008.10.15
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10万アクセス御礼本日午前中に、10万アクセスに達しました。丁度キリ番を踏まれた方は、ブログに何も書かれていない方でしたので、実質的にキリ番を踏んでくださったのは、100001番のれみどりさんでした。有難うございました。この10月2日に、3年目の周期に入ったところですが、皆様に励まされて、続けてくることが出来ましたし、皆様のブログで教えられたことも種々ございます。今後ともどうぞよろしく。 ザビ
2008.10.15
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クロニクル 田中康夫氏長野県知事に2000(平成12)年10月15日8年前のこの日、作家の田中康夫氏が長野県知事選に勝利し、初当選を飾りました。長野五輪後の不況の中で、県財政の赤字が重くのしかかり、箱物行政に対する県民の不満が爆発した結果でした。この流れに乗った田中氏は脱ダム宣言で、ダム建設の見直しを公約として当選しましたが、地方の土建業界と連なる保守派の多い県議会と対立、やがて議会は田中知事に対する不信任決議を可決して、知事方針の撤回を強引に迫ってきました。このあたりの様子は、まるで政治ごろによる脅しのようにも見えました。田中知事はこの窮境を世論の動向を知るチャンスと捉える逆転の発想で、自ら辞職して、再度知事選に立候補する道を選んで、事実上の田中知事に対する信認投票であるかのように、位置づけることに成功したのです。こうして大差で当選すると、さすがに今度は議会もやたらに反対ばかりする理由には行かず、ダム建設は凍結されました。しかし、時間の経過と共に田中知事の政治手腕には疑問符がつき、氏の中央政界指向など、軸のブレル政治姿勢に、県民の不満は募り、任期満了後の知事選」では、対立候補に敗れ、知事の椅子は、再び旧勢力の手に戻り、折角凍結されたダム工事も、次々に再開されることになってしまったのでした。なんだかなぁという感じですが、長野の事情に詳しい、ブログの仲間の皆さんに、知事の功罪や昨今の事情を追加していただけることと思います。 ザビ
2008.10.15
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学級の誕生(90)「ゆとり教育」への転換は、明治以降の日本の教育体系の中では、とりわけ教育課程が整備された明治末から大正期にかけて以降で見ると、はじめてと言って良い大転換でした。教育制度と教育方針については、戦後の学制改革で大きな転換を経ていましたが、教育課程上の内容の精選に基づく1部削減は、全く過去に例のない試みでした。欧米型の工業社会に「追いつけ追い越せ」を目標にして、遮二無二突き進んできた日本は、その目標を達成してしまうと、次なる目標を見つけることが出来ずに立ち往生状態に陥りました。そこへバブルの崩壊による建築・不動産・流通等、規制に守られた国内型業種中心の構造不況と、財政・金融の危機という複合不況に見舞われたのです。いままでの高度成長期の働き蜂の処世訓に戻るわけにはいかないのです。知識詰め込み型教育の優等生、受験戦争の勝者たちはには、新しい時代環境の下での、新たな日本の進路を構想する、独創性は期待できなかったのです。文部科学省が、テストケースとして昨年から実施し始めた、小学校6年生と中学校3年生の全国一斉テストの結果でも、記述式の回答を求める、思考力を問う問題の正答率が、マークシート型の問題に比べ、著しき正答率が低くなることが指摘されています。しかし、この傾向は今に始まったことではないのです。「ゆとりの教育」が強調されていた1990年代には、既に教育界では、知らぬ者のない事実だったのです。それは新聞記事にも出ていました。ここに紹介するのは、11年前、1997年9月30日の各紙の記事です。各紙は、前日29日に文部省の発表した「新学力テスト」(新教育課程達成度調査)の結果を報じ、「記述式 お手上げ!」といった見出しを掲げて、次のような論評を加えています。「全体としては良好だが、思考力・判断力・表現力は伸び悩んでいる」(日本教育新聞)「覚えるのは得意だが、考えたり、表現したりするのは不得手」(毎日新聞)「日本の子ども達の学力に潜む問題点が分かった」(日本経済)などと指摘して、思考力の衰えに憂慮を示しています。文部省自身も、「選択肢から正答を選ぶ形式では得点が高いが、考えたり、表現したりを見るために、文章で答えさせる問題では正答率が低く、無記述も目立つ」としるしています。例として中学社会の出題を見ると、室町時代に題材を求めた出題があり、「正長の土一揆について、農民側から見出しを付けると、『やったぁ! 農民が始めて立ち上がったゾ!』となるが、もし支配者の側から見出しをつけると、どうなるだろうか」と問うていた記述問題の正答率は、27%に留まっていたのです(攻撃される側の視点に立ち、状況を否定的に表現した回答は、全て正答としたそうです)。また「能の前売り券発売中」という広告を参考にして、「この時代の文化についての広告文を作りなさい」という出題では、正答率は辛うじて20%を維持したところに留まっているのです(水墨画や狂言などを織り込めば正解)。選択肢型出題の正答率は、最も低いものでも40%代ですから、記述を苦手とする傾向は、非常にはっきりと出ています。同じことは、国語や理科、算数・数学でもはっきりと出てきます。「数学的な考え方や科学的思考をチェックする出題への正答率は、その他の問題の正答率に比べて、大きく下回っている」(朝日・東京)ここには、教えられた知識をひたすら詰め込み、覚えこもうとする受動的学力は高いが、自ら思考し、表現する主体的学力には欠けているという弱点が、はっきりと浮かび上がっています。こうした状況を認識した上で、提出された教育改革案が、「ゆとりの教育」案だったのです。もう少し、受身の学力に関する問題点を挙げておこうと思います。 続く
2008.10.14
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クロニクル 長島選手引退1974(昭和49)年10月14日34年前のこの日、ミスター・ジャイアンツとして野球ファンに親しまれた長島茂雄選手が、選手生活に幕を閉じ、引退しました。長島選手は、1957年秋にジャイアンツに入団。58年の新人としての開幕戦で、国鉄スワローズの金田投手と対戦、4打席4三振と封じられて、プロの洗礼を受けましたが、持ち前の明るさと積極性から、スタンドを沸かせ、一年目から本塁打、打点の2冠を達成。打率も阪神タイガースの田宮選手に続く2位という好成績を収め、新人王に輝きました。2年目からは、3年連続で首位打者に輝くなど、74年の引退までに首位打者6回、打点王5回、本塁打王2回を獲得。華麗な守備とダイナミックな動き、勝負強い打撃、天真爛漫な性格で、プロ野球のファン層を大きく広げる役割を果たしました。この日の引退の日は、中日ドラゴンズとのダブルヘッダーが組まれていました。生憎の平日でしたが、長島選手の最後の勇姿を一目見ようというファンが殺到、超満員となりました。長島選手は2試合ともフル出場し、9打数4安打と活躍し、本塁打も放ちました。試合後の引退セレモニーでは、「わが巨人軍は、永遠に不滅です。」という名せリフを残しました。
2008.10.14
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学級の誕生(89) こうして「ゆとりの教育」という表現が、文部大臣(当事)の諮問機関である中央教育審議会の答申に盛り込まれたのが、1980年頃でした。しかし、当初はかなりスローなペースで、ゆとり=これ以上教科書の内容を増やすのをやめよう。これ以上の詰め込みは避けようと、いったペースで進行しておりました。風向きが変わり、急速に教育内容の削減とか、学校五日制といったプロパガンダが目立ちだしたのは、93年以降のことでした。何度も指摘してきたことですが、教育は国家・社会の次代の担い手を養成する事業です。それゆえ、そこには好むか好まないかに関わらず、時代の要請が確実に反映されます。戦前においては、それが天皇制国家原理の国民への定着と強化でした。戦後すぐの時期は民主主義の定着でした。そして、1950年代に入ると、「資源小国日本の生きる道は技術立国である」として、理科教育の振興が計られました。そして、高度成長期に入ると、上司の命令一下、素直に命令に従って働く、勤勉で従順な働き蜂、企業戦士の大量生産が目標とされました。ひたすら授業を受け、先生の言うことを素直に聞き、深く考えなくてもよいから、教えられたことをひたすら暗記する、マークシート型の試験に強いタイプの人間が、大量生産されたのです。これが詰め込み教育が奨励され、受験戦争が肯定的に評価され、遂には共通1次試験(その後身がセンター入試です)の導入に繋がったのです。全ては判断は上司に任せた企業戦士の養成のためでした。バブルの崩壊が全ての事情を変えました。受験戦争の頂点に立つ東大や京大を卒業して、上級食の公務員試験に受かるにも、相当ながり勉が必要でした。ひたすら教え込まれ、教えられたことを覚える訓練ばかりに慣れてしまった彼らは、過去に例のある事態の解決には高い能力を発揮しました。しかし、独創的に考える訓練は施されていませんから、過去に例のない全くはじめての事態には対応することが出来ないという、決定的な弱点も持っていたのです。実際、共通一次試験の実施ごろから、若者の考える力、自ら問いを発見し、自ら答えを導く能力は、衰えを見せ始め、それは年と共に大きくなっていったことは、事実のように思います。バブルの崩壊、とりわけ一向に回復を見せない、土地価格の長期低落は、戦前戦後を通じて、日本では未曾有の出来事でした(詳しくは昨年秋に連載した「バブルを考える」をご覧ください)。官僚達はなすすべを知らず、やがて土地価格は反転するだろうという、根拠のない願望にしがみついて、ひたすら先送りに徹して、傷を大きくしたのは、皆さんご承知の通りです。そしてそのツケが、国・地方並びに国の付属機関の借金の合計が1千兆円を超えるという、アメリカを大きく上回る借金として、重くのしかかっているのです。ここに、超詰め込み教育に対応した結果として、さび付かせてしまった考える力の回復が急務であると考えられ、そこから詰め込みを否定する形で「ゆとりの教育」の導入が猛スピードで行われることになったのでした。急ぎすぎでした。 続く
2008.10.13
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クロニクル 財田川事件に再審の道1976(昭和51)年10月13日この日最高裁は、1950(昭和25)年に起き、1957(昭和32)年に死刑判決が確定していた財田川事件の被告、谷口繁義さんの再審請求を受理し、高松地裁に審理のやり直しを命じました。この決定は、最高裁が死刑囚の再審請求に道を開いた最初のケースとして、知られています。財田川事件は、1950年に香川県三豊郡財田村で、闇米ブローカーが就寝中に刺し殺され、現金113,000円(当事の30才前後の会社員の2~3ヶ月分の給与にあたる金額でしょうか)が盗まれた事件です。別件で逮捕されていた谷口さんが犯行を自供したとして、死刑が宣告されておりました。これに対し、自白は強要されたもので、自白の内容と事実との間に相当の疑問がある。自白長所の筆跡にも疑問があること等をあがて、何度かの再審請求が出され、最高裁に特別抗告されていたのが、この日の再審決定の通知となって、実を結んだものでした。しかし、審理に時間を要し、高松地裁が谷口さんの無罪判決を下し、即時釈放を決定したのは、それから8年後の1984(昭和59)年の3月12日、死刑判決から28年目のことでした。長すぎた裁判の問題と、道が開かれたとはいえ、なお精神請求のハードルが高いものである点に、問題は残っています。
2008.10.13
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学級の誕生(88)「ゆとりの教育」が主張されたかなりの時間が経過し、この頃では「ゆとりの教育」が日本の教育をダメにしたという、誤った理解の上に立つ言説が幅を利かせています。これは「ゆとりの教育」という言葉の誤った理解に立っています。また現文部科学省が公務員の週休2日制導入に併せて、導入したがっていた教員の5日勤務の問題を、「ゆとりの教育」の導入に併せて、実現しようとしたことなどから、当初の目標とはかけ離れたけ結果となり、受験「秀才」達が、大いに慌てたとうのが真相でした。学校の教育課程を紐解くと、国語・社会(高では地理歴史と公民に分化されました。これもおかしなことですが‥)・算数(数学)・理科‥‥と学習する教科名が並んでいます。教科の下には、日本史・世界史・地理・政治経済・物理・化学・生物・数学1・基礎解析・台数幾何・微分積分といった教科内の科目名が並びます。どれも高等教育機関の学部・学科に関係のありそうな名称が並んでいます。そのこと事自体が悪いわけではありませんが、教育課程をその1部とする学習指導要領(昭和20年代までは、目安とされていて、法的拘束力を持ちませんでしたが、昭和29年の教育2法の制定によって、法的拘束力を持つとされました)が、全国共通の教育のシヴィル・ミニマムを定めるという口実で、各教科・科目の教育内容を、事細かに定めているのです。そこでは、何年生で、何を、何処まで、どのような順番で、どのように教えるかまでが、事細かに定めてあるのです。そしてご承知のように、学問の世界もまた長足の進歩を続けています。新しい科学的な成果は、広く学界で認知されて、しばらくすると学習指導要領に登場し、教科書に書き加えられて、その難易度に応じて小・中・高のどこかの段階で教えられることになります。当然その分量は増え続けるのですから、ついには大変な量になっていきます。しかし、学校の授業時数はそうは増やせません。新しいことを加えるなら、今まで扱ってきたことを、どれか外すなら量的な変化は生じません。しかし、今までの教科書の内容も大事なことですし、新たに書き加えられた成果は、旧来の土台の上に立っているのですから、その一部を外してしまっては、理解することは不可能です。こうして、高度経済成長期以降の教科・科目の内容は膨らみ続けました。当然と言えば当然です。それだけの科学的成果が積みあがったのですから。増えなかったのは教科書のページ数ばかりでした。義務教育教科書の無償制度が昭和30年代末に成立してからは、特にそうですが、教科書1冊の単価が文部省から示され、その単価に相応しいページ数が文部省の指導下で、教科書出版社間で話し合われた上で決まっていたからです。こうして、教科書執筆者の苦心の上で、僅かなページ数、少ない行数で、重要な内容が教科書に詰め込まれていったのです。そんな表現上の余裕のない、遊び心を入り込ませる余地が全くない教科書が、生徒達に面白かろうはずはありません。勢い教科書はつまらなくなり、読んでも良く分からない、ただ覚えるものに成り下がったのです。ここで、優秀な先生がいて、数行の面白くない文章を膨らませた内容の授業を展開するならば、生徒たちも俄然興味を持つのでしょうが、1年に何度もそれをやっていては、教科書を終わらせることが出来なくなります。勢い、ここは覚えておけ式の授業が多くなるのです。しかし、人の頭脳が覚えておくことの出来る量には限りがあります。胃が受け付ける食べ物の量に限りがあるように‥。 胃袋と違って脳細胞には柔軟性があるのですが、その柔軟性が働く襞を刺激して、良く働くようにしないと、この部分は動きません。興味・関心を惹くということです。それゆえ、理科の実験を繰り返したり、何か興味を惹かれる話題が加えられるといった刺激剤がミックスされない限り、暗記力の限界は誰にでもやってくるのです。こうなると、記憶の襞に沁み込んでいない、ただひたすら覚えただけの事実を、どこかに放り出さないと、新しいことを覚えることは出来なくなってしまいます。「ゆとりの教育」が打ち出された背景には、こうした事実がありました。授業内容は無尽蔵に増やし続けるわけには行かないのです。授業時数には、明らかに制約があり、子ども達の耐えうる標準的時間数は、経験的に明らかになっていたのです。 続く
2008.10.12
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クロニクル 浅沼委員長刺殺1960(昭和35)年10月12日もう48年も経ったのですね。戦後日本で最大の反政府闘争だった、日米安全保障条約改訂反対闘争(通称安保反対闘争‥‥全共闘世代は、良く70年安保と口にするようですが、70年のそれは、10年後からは、1年の猶予で、当事国のどちらからも、更新拒否を通告してこなければ、自動延長となる、自動更新制になっているため、この自動延長阻止を主張した運動で、盛り上がりからいっても、60年の安保闘争に遠く及ばないものでした)が、6月19日に参議院が何も議決しないまま、自然成立(予算案と条約案件は、衆院の議決が優先し、参院の審議期間も、他の法案が2ヶ月のところ、1ヶ月に制限されています)したことで、敗北に終わり、学生運動や労働運動に挫折感が漂っていた時期でした。運動に押され、反主流派の協力を取り付けるために、安保条約成立直後に退陣を表明した岸信介首相に代わった。池田隼人首相は「寛容と忍耐」を掲げて低姿勢を貫き、やがて「所得倍増政策」を掲げて、国民の目を政治から経済に移していくことに成功しつつあったのが、60年の10月という時期でした。社会党委員長の浅沼稲次郎氏は、その超人的な行動力から、社会党の機関車と言われ、ヌマさんの愛称で親しまれていた人気の高い政治家でした。この日、国会議事堂に近い、東京の日比谷公会堂で、自民党、社会党、民社党の3党首の立会演説会が開かれました。近づく総選挙の一貫として、東京都の選挙管理委員会などが主催した催しで、テレビで全国中継もされたいました。3時ごろに演壇に立った浅沼氏の演説が終わりに近づいた頃、突然抜き身の短刀(後刃渡り35cmと発表されました)を持った少年が壇上に駆け上がり、身体ごとぶつかるように浅沼氏の胸を刺し、さらにもう一度刺しました。浅沼委員長は、搬送先の日比谷病院で、午後3時40分に死去されました。61歳という早すぎる死でした。この模様は、テレビ中継中でしたから、全国の午後の茶の間にしっかり届けられたので、右翼少年の凶行は、しっかり国民の目に焼き付けられ、左翼に対する厳重な警戒に比較しての、右翼に対する警視庁や警察庁の警備の甘さに、強い批判が巻き起こりました。刃物を持って壇上に上がろうとする挙動不審の少年を阻止できなかったのですから、これは明らかに警備上のミスでした。後日談です。犯人の17才の少年山口二矢(おとや)は、警視庁の取調べ後、練馬の少年鑑別所に送られましたが、そこで、事件の21日後の11月2日に首吊り自殺し、背後関係等の一切は、闇の中に葬り去られました。後味の悪い、残念な事件でした。
2008.10.12
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学級の誕生(87) 学級内、或いは学校内の同級・同学年の成績競争に動機付けられた学習意欲は、学級意識が希薄化し、競争相手が見えなくなる大学生活のなると、低下していきます。小学校から高校まで、固定された学級集団の中で育まれた競争意識は、固定化された学級がなくなり(便宜的にクラス編成が仮想されるのは、語学の時間のみでしょうか)、選択科目による流動的な学級制が日常化したとき、学生達は競争相手を見つけられず、立ち往生してしまいます。この現実に、受験競争をかいくぐり、大学に入学することだけをモチベーションとした学習意欲は、入学を達成した瞬間に学びの目標が消えてしまったことを意味します。大学に進学したけれど、何を勉強したいのか、何を目標としたいのかが皆目分からない学生が、こうして大量に生産されてきます。学びの本質に根ざした学習意欲を、生徒の内面に呼び覚ますことを怠り、立身出世主義の名残を色濃く残した試験の成績競争に、児童・生徒を追い立ててきた日本の教育システムの悪しき伝統が。現代の教育の衰退(私は教育荒廃という言葉を使いません)、将来の目標を喪失した若者の大群を生み出したのではないか。こう私は考えています。昨日のブログにコメントを寄せてくださった、ブログのお仲間のkopandaさんが、「あの学校教育は何だったのか。社会に出てから実感します。本当に社会で成功する人は、学校での成績が良かった人とは限らず、むしろ逆ですらあるのですから。」と書いてくださいました。私もこのコメントに全面的に賛成です。kopanndaさんも何度かブログに取り上げられているエジソンは、小学校中退で、以後独学です。19世紀最初の15年間、ヨーロッパに君臨したナポレオンの、陸軍士官学校の卒業成績は、下から数えた数番目の成績でした。6年前にノーベル物理学賞を受賞された小柴先生も、大学の成績はよくなかったらしく、「小柴だけは学者にならんだろう」と言われていたと、良く話されています。誤った動機付けが、日本の教育に大きな問題を残している。ここに教育問題の根があるのですが、現在の政府、マスコミ、教育界や世論の動向は、国際学力調査での成績後退を問題視し、地球規模に成績競争を拡大しようという愚を展開しています。紙の上の成績は、自己満足に過ぎません。人として充実した人生を送るために必要な学力は、人生を豊かにする学力は、成績競争で序列付けされるものではありません。もう1人のブログ仲間の山デジさんも、次ぎのような長文のコメントを寄せてくださいました。以下の引用は、最初の部分をカットさせていただいています。「今の教育は知識の詰め込み評価。本人の興味や意欲を一把ひとからげで固まりの中に埋没さ せる。そして、本人が何かを訴えても世間や社会の常識(学校自体の評価や存続理由をも 含)に照らし合わせ、持っている興味の眼を摘み取ってしまう。あんたの将来の為、この理 由で...。 『他人に迷惑を掛ける。命の危険。』この二つを踏み外さなければ何をやっても良いと思っ ているんです、親の経済力の範囲で...。方向を間違えない様、経験を元に助言だけ。そし てやりたい事やっている事の応援に徹する。時々応援の背中を叩く。すると壁に当たった時 は相談に来ますしね。 今回の賞のインタビューで、『諦めないで最後迄食らいつく。』。印象深かった...。 『学習は本来~本質的価値感』。これが為されていれば、自己欲中心主義&子殺し親殺し、 経営者の暴走、政治家の....。もっともっと少なく成っている様な気がして成りません。」全てとは言いません。一部には、若者の自発性を生かした教育実践を心がけている学校や教師が存在することも事実です。しかし多くの学校や教師が、此処に記したような悪弊に陥っていることも事実です。問題の根は深いですね。 続く
2008.10.11
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クロニクル 荒船清十郎運輸相辞任1966(昭和41)年10月11日この日、荒船運輸相が辞任しました。荒船氏は埼玉3区(当事の中選挙区)選出のベテラン議員で、衆議院予算委員会委員長として辣腕を振るい、名委員長として評判でしたが、党人派のべらんめえ議員で、言動に問題があり、大臣にすると舌禍事件を起こしそうだという点がマイナス評価され、ようやく運輸省として初入閣したばかりでした。辞任の理由は、自らの選挙区にある深谷駅に、国鉄のダイヤ改正に当たって、職権を利用して上信越線の急行を停車させようとしたことにありました。深谷駅に近い熊谷駅には急行が停車していましたから、これはかなり無理な注文でした。この事実が新聞にすっぱ抜かれ、大臣の職権乱用が強く批判され、国会対策上、彼の辞任は不可避となりました。荒船大臣に引導を渡したのは、荒船氏の所属派閥の長だった川島正二郎氏。彼の「やはり野に置けレンゲソウ」は、当事の流行語になりました。その後荒船氏は党の要職は歴任しましたが、二度と大臣の椅子につくことはありませんでした。そして国鉄は、ダイヤ改正で、1日2本だけ、深谷駅に急行を停車させることにし、辞任した荒船氏に塩を送ったのです。
2008.10.11
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学級の誕生(86)塾と学校の大きな違いは、とりわけ義務教育段階では、学校が需要に基づいて出来たものではなく、義務教育という強制によって発達した供給先行の組織だという点にあります。義務教育もまた資本主義社会の産物であることは、否定し得ない事実ですが、資本主義が本来、需要に基づく供給によって成立する、需要先行型の仕組みであることからすると、学校だけが異質の存在なのです。見てきたように、明治の30年頃までは、学校への需要は高まりを見せませんでした。学校は学習の場ですから、学校と教師の最大の仕事は、学習を通じて児童・生徒の学力の向上を目指すことにあります。学校が供給先行でなく、需要先行で誕生したのであれば、教師は迷うことなく、学習活動を通じて学力の向上をはかる仕事に邁進したはずです。しかし、そうはならなかったために、教師は子ども達を学校組織に取り込むための、仕事にも取り組まざるを得なかったのです。確かに、こういう状況の中でも、教師の努力の結晶として、高い学力を獲得して、自己抑制の代価をしっかりと獲得した生徒もかなりの数にのぼりました。しかし、一方で、教師は生徒達を学校と学級に引き止めるために、教科外の活動にも大きく時間を割いて取り組まなければなりませんでした。こうなると、手っ取り早い学習意欲の掻き立て法は、生徒間の成績競争を煽ることになります。学習は本来、知識を身につけることによって、身の周りのことに始まり、最後は世界から宇宙にまで、思考の枠を広げることによって、本来総合的なものである人間観、社会観、世界観といった、本質的な価値観を身に備えるための営みです。それゆえ、試験の成績が少々良いとか、悪いとかで、評価すべきものではありません。学級や学校での序列がどうなったかで、一喜一憂するするのは、気持ちは分からなくはないのですが、当人の持つ本質的な学力とは、直接の関係がありませんし、あまりほめられたことではないように思います。立身出世主義に影響され、受験学力なるものが幅を利かせた日本のような国では、特に試験ごとの序列が重視されました。それは教師にとって、生徒の学習意欲を刺激するには、とても都合の良い手段だったのです。しかし、試験のための一夜漬けは、短期間の一時的な詰め込みに過ぎません。しばらく後には、皆忘れてしまう一過性の丸暗記は、学びの本質とはかかわりのないものです。学ぶことで何が見えてくるかという、知的好奇心を刺激することで、学習意欲を掻き立てることによってこそ、学習の成果は苦痛を伴わずに、比較的自然のうちに頭脳に定着します。苦労した実験の成果が、理科が苦手だった生徒にとっても長期にわたって記憶の襞に残っていることが、良い例です。成績競争を学習意欲を高めるために利用した場合、その弱点は、試験の成績の上がらない生徒をスポイルすることに通じます。閉鎖的な学級の中での成績競争は、まさにゼロサムゲームと化すからです。午前と午後と、およそ9時~3時までの6時間を過ごす学級生活と授業は、有無を言わせずに生徒達を、成績競争に狩り立てる仕掛けにこと欠きません。この競争の勝者は、やる気を維持しますが、成績不振の生徒は、逆にやる気を削がれます。これが教育の世界のあり方として、正しいかどうかは、おのずとご理解いただけると思いますが、問題はなおあります。 続く
2008.10.10
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クロニクル 東京五輪開幕1964(昭和39)年10月10日もう44年前なのですね。高度成長真っ只中の日本も、そして私自身も若くて元気いっぱいな良い時期でした。それだけにいまだに、つい先日のような気分が抜けません。困ったものですね。北京五輪の女子重量挙げに出場した三宅選手の伯父にあたる、三宅正信さんが金メダルの第1号でした。卒論の準備で超多忙な時期でしたが、つい見てしまうのですね。まるで自分も一緒に担いでいるような力の入れようで、優勝の決まった後、はじめて肩が凝っているのに気づきました。テレビを見ていて、肩が凝ったのは、このときだけでした。そうです。44年前の今日、東京オリンピックが開幕したのです.環7通り、国立体育館、国立競技場、東京モノレール、そして新幹線と、矢継ぎ早に様々な施設や交通手段が完成して、国をあげて成功を目指していた、まさしく全国民的ビッグプロジェクトが、幕を開けたのが今日でした。8年後に再度の五輪を狙っているようですが、仮に誘致に成功しても、1964年のような、全国民一体となったような、あの興奮は味わえないのではないでしょうか。何も東京でなく、名古屋、大阪、福岡の方が、私には良いように思えてなりません。
2008.10.10
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学級の誕生(85)ここまで記してきたように、学級制は、学習教授活動の円滑化と効率化のために生まれました。それはイギリスの例で明らかでした。産業革命における分業化の進行と、機を一にして推進されました。しかし、わが国の場合は、分業制がまだあまり発達せず、村落共同体の論理と協調しなければならない事情から、学級自身もまた生活共同体化する形で、学校教育が普及することになりました。 学級が生活共同体化すると、学級の負担はそれだけ重くなり、生徒にも教師にも多くの負担が覆いかぶさってきます。曰く、「学校は学習するだけの場ではなく、学習やその他の教科外活動を通じて、社会生活のルールを学び、人間性に磨きをかける全人教育の場である。」と言った具合に。学級が単に、学習のためだけに集まった場であれば、学級規律のための自己抑制という代償を払った見返りの、学習成果の獲得が、代償に見合ったものであるかどうかは、眼に見えやすいし、そうした成果への期待も、自覚されやすいことになります。成果として、学習の理解が進み、結果として成績が向上する。そうならなければおかしいということが、当事者間で了解されることにもなります。成果を求めて、授業態度も真剣になります。現代でいうと、学習塾が、見事にこの例に当てはまります。ところが、生活共同体と化した学校・学級においては、このような自覚は生まれにくくなります。学級においては、学習成果の獲得云々に関係なく、自己抑制の継続が求められます。そこでは、自己抑制が目的と化し、生徒・児童はひたすら真面目であることを要求されるのです。そして本末転倒なのですが、真面目であることが教育的成果であるかのような主張も、しばしば見られるのです。本来の地域共同体が失われた高度経済成長期以降の日本において、教師がしきりに学級共同体を説き、クラスの団結を強調しても、集団生活に違和感を感じる生徒達にとって、それは苦痛以外のものではなく、耐え難いものとして意識されることも多くなります。教師が積極的に学習目的に彼らを誘導し、具体的成果が眼に見えてあがっている場合を除けば、こうした生徒達は、自ら充足感を得るための勝手な行動に走ることは、当然ありえます。その行動は、衝動的であり、多方面に分化して現れます。その一部は、学校が認めうるものであっても、他の一部は強く禁止しようとする別の行動となるのは、このためです。いじめ、不登校、非行などなど、学校・学級の要求する自己抑制に基ずく規律に対する、生徒達の反発行動の、具体的な表現形態でもあるのです。 続く
2008.10.09
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クロニクル GHQ新聞の事前検閲を開始1945(昭和20)年10月9日この日、GHQは、朝日、毎日、読売等、東京の新聞に対する事前検閲を開始しました。5日前の人権指令にも明らかなように、GHQの対日統治方針は、日本社会の徹底的な民主化を図ることで、日本を再び軍事大国にしないことにありました。この観点から、この段階のGHQは、左翼勢力の統制と並んで、復古調の右翼と旧体制を温存しようとするグループなど、民主化方針に陰で抵抗する勢力の言説を、チェックすることに、したのです。
2008.10.09
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学級の誕生(84)子どもが集団で遊んでいる限り、みんなが通う学校へ通い始めることは自然な行為であり、そこに疑問は沸きません。しかし、テレビゲームが全盛を迎え、衰える気配の見えない現在では、集団行動が苦手で、人と交わることに苦痛を感じる子ども達が増えています。まして、教育効果を高めるために学級に導入された規律に従い、自己を抑制しなければならないとなると、それはもう苦痛なことでしかなくなります。そうした子ども達を指導する教師にとっても、今までは普通に通用した言葉が理解されない状況が生まれます。イギリスのモニトリアル・システムに発し、各国の義務教育化の流れの中で、効率的な集団教育システムとして登場し、各国夫々の状況で肉付けされて成長していった「学級制」は、生徒の規律化によって、教育効果をあげていく仕掛けを作っておりました。そしてこの規律化は、地域における子ども社会の存在によって、支えられていました。ルールの中身は違っていても、ルールの存在自体に、子ども達の抵抗はなかったからです。子ども社会もなく、集団に属さなくても困らない生活の登場は、規律化を自明の理とする発想自体を拒否する一群の登場を意味しました。規律化に従えば、学習成績の向上が保証されるのかというと、そこには現代の競争社会が待っています。学びの質は、本来成績で評価しえるものではないのですが、受験競争の厳しい現代においては、生涯学習を楽しむ大人たちを除けば、なかなか受け入れられるものではありません。子ども達の間では、何をどれだけ身につけたかではなく、学年やクラスでの序列の上昇こそが、成績の向上と受け止められてしまうのです。そこでは、ゼロサムゲームが行われるのですから、試験成績は必ず勝者と敗者を生み出します。成績の格差は、規律化の成果が不均等に配分されることを示しています。成果を十分に享受できない子ども達にとっては、規律化の代償は無きに等しいことになります。此処には欲求不満の累積が起こります。そして学校という世界では、実際の教育の評価は、授業を担当した教師が行います。私立学校だとはっきりしていますが、授業料を払う生徒が顧客で、教師は教育サーヴィスの提供者です。入塾・退塾が自由な塾産業ではあたり前の、生徒や保護者による先生の評定が、学校では行われないという、逆立ち現象がここには見られます。それが正当な制度として、何の疑問もなく定着しています。試験は、受け持つ生徒達に、どれだけの学力をつけることが出来たかを図る、教師の教授能力を測るものでもあることは、あまり意識されていないのです。現実に、良く分かるある意味痛快な授業と、まるで何を言っているんだか分からない、ただ苦痛だけの授業という、好対照の授業を受けた(受けさせられた)経験を、皆さんもお持ちだと思います。苦痛を伴う自己抑制を要求するからには、それに見合う成果の提供が欠かせないはずですが、現代の学校は、その要件を欠いている状態に、いつの間にか追い込まれてしまっていたのです。それは、学校の質が急激に劣化したことを意味しません。社会環境の変化があまりに急激で、子ども達の規律意識が、そして家庭の規律意識が、急速に変化したこと。その変化への対応に戸惑っている結果に他ならないのです。 続く
2008.10.08
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