ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2008.10.09
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カテゴリ: 教育問題
学級の誕生(85)

ここまで記してきたように、学級制は、学習教授活動の円滑化と効率化のために生まれました。それはイギリスの例で明らかでした。産業革命における分業化の進行と、機を一にして推進されました。しかし、わが国の場合は、分業制がまだあまり発達せず、村落共同体の論理と協調しなければならない事情から、学級自身もまた生活共同体化する形で、学校教育が普及することになりました。

学級が生活共同体化すると、学級の負担はそれだけ重くなり、生徒にも教師にも多くの負担が覆いかぶさってきます。曰く、「学校は学習するだけの場ではなく、学習やその他の教科外活動を通じて、社会生活のルールを学び、人間性に磨きをかける全人教育の場である。」と言った具合に。

学級が単に、学習のためだけに集まった場であれば、学級規律のための自己抑制という代償を払った見返りの、学習成果の獲得が、代償に見合ったものであるかどうかは、眼に見えやすいし、そうした成果への期待も、自覚されやすいことになります。成果として、学習の理解が進み、結果として成績が向上する。そうならなければおかしいということが、当事者間で了解されることにもなります。成果を求めて、授業態度も真剣になります。

現代でいうと、学習塾が、見事にこの例に当てはまります。ところが、生活共同体と化した学校・学級においては、このような自覚は生まれにくくなります。学級においては、学習成果の獲得云々に関係なく、自己抑制の継続が求められます。そこでは、自己抑制が目的と化し、生徒・児童はひたすら真面目であることを要求されるのです。そして本末転倒なのですが、真面目であることが教育的成果であるかのような主張も、しばしば見られるのです。

本来の地域共同体が失われた高度経済成長期以降の日本において、教師がしきりに学級共同体を説き、クラスの団結を強調しても、集団生活に違和感を感じる生徒達にとって、それは苦痛以外のものではなく、耐え難いものとして意識されることも多くなります。教師が積極的に学習目的に彼らを誘導し、具体的成果が眼に見えてあがっている場合を除けば、こうした生徒達は、自ら充足感を得るための勝手な行動に走ることは、当然ありえます。その行動は、衝動的であり、多方面に分化して現れます。

その一部は、学校が認めうるものであっても、他の一部は強く禁止しようとする別の行動となるのは、このためです。いじめ、不登校、非行などなど、学校・学級の要求する自己抑制に基ずく規律に対する、生徒達の反発行動の、具体的な表現形態でもあるのです。
                           続く





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最終更新日  2008.10.09 15:49:16
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