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「イタチゴッコ」という言葉を使い、「現場に携わっている方に対して失礼だ」と批判されましたが、この言葉は訂正できません・・・現場で携わっている側として・・・どうしても訂正できません。私にとって、一つの命を救うという事は・・・もう一つの命を犠牲にしなくてはいけません・・・。「貴女は命の選別をしている事、分かってますか? 貴女に見捨てられた仔達の気持ちを考えた事はありますか?」答えなければいけないでしょうが、私の答えは・・・「なんで私は命を選別しているんですか?」「なんで私には手を差し伸べる力がないんですか?」出てくるのは答えではなく・・・自分への問いかけです。ある方がこうおっしゃって下さいました。「ゆみさんの後ろには沢山の犬が守ってくれてるような気がします」「虹の橋が本当にあるのなら、ゆみさんを待ってくれている犬達が 沢山いるんでしょうね」私は・・・その心優しい言葉を聞いて涙が出ました。嬉しさではなく・・・レスキューした仔の隣の檻に入ってた仔、「選別」で選べなかった仔達への・・・申し訳なさからです。宮崎だけで年間7000頭、私には数ではなく・・・あのとき確かに生きていた姿・・・頭によぎります・・・管理所では、この仔達のように譲渡、返還・・・そして、保護期限のある仔達・・・助かる命、助かるかもしれない命もあります。そういう仔達が1頭でも多くありますように・・・
2009年08月29日

最近、「ひまわりの家」ブログが荒れてしまい、ボランティア皆さん、スタッフが傷ついてしまいました・・・。同じ志を持っているはずの皆さんです・・・。私が「辞める」という捉え方をもされておりますが、途中放棄は絶対にありません。家庭の事情もあり、組織の一員としてやれなくなったと決意したとき、組織にふさわしくないと言われたときに・・・ひまわりの家から去ることはあっても、活動そのものを辞めることは絶対にありません。ひまわりの家を完全に離れることはありません。どのような形になっても、ひまわりの家を守っていく覚悟はしております。「ひまわりの家」は、順調にポンっと建った施設ではありませんので・・・原点に返る事は、今の私には必要な事だと考えております。啓発にも力を入れて行きたい・・・という気持ちが強まったという事なんです。私が「管理センター」「愛護センター」を知ったのは三年前です。ネットで全国のセンターを検索したのですが、宮崎県は検索に全然引っかからず、何も情報がないまま飛び込みで「動物保護管理所」へ行きました。内容はあえて書きませんが・・・約40年間どういう思いで、この場所で・・・犬猫たちが最期を迎えなければいけなかったのか・・・犬猫の苦しみ、悲しみ、色んな無念の想いが伝わってきたように感じると同時に、犬猫を棄てる人間と私は同じ「人間」であり・・・同じ宮崎の空の下でこんなにも苦しんでいる「命」があるという現実を知ろうとせずに、「放置」してた自分自身に怒りと情けなさを感じました。それは・・・ゼロからではなく、マイナスからのスタートでした。「絶対愛護センターを実現させたい」「生と死、どっちになろうとも最期までこの仔達の側にいたい」管理所に通うようになった二年後、「いのちの架け橋 ひまわりの家」という保護施設ができました。念願だった管理所の仔達の側で・・・そして、「いのちの架け橋」ができる事にこの場所に居れることに「幸せ」だと感じておりました。でも、ここが・・・「ひまわりの家」がゴールではありません。私が三年前から強く願い、目標に頑張ってきた最終地点「愛護センター」ではありません。私がやりたかった事は・・・※モンキードッグ育成※子供からご年配まで触れ合えるセラピー犬事業※鑑別所、少年院の子供達に犬猫の飼育※迷子犬の集中管理※学校行事での見学施設※ボランティア団体、個人のボランティアさんとの連携※譲渡対象犬猫の健康管理・治療※しつけ教室そして、全国から気軽に視察に来ていただけるように、宿泊できる簡単な施設も「愛護センター」の中にあるといいのにな・・・と思っております。棄てる⇒保護⇒譲渡今のままではイタチごっこ・・・目の前の命を助ける事でいっぱいいっぱいで、啓発まで手が回らない・・・と、どこの愛護団体さんも苦しんでいます。「愛護センター」・・・これが私のステップ・・・次の目標です。もう一つの目標は・・・「殺処分廃止」・・・と言いたい所なのですが・・・現状では難しいです。「殺処分廃止」の前に、多くの課題があります。年間36万頭・・・宮崎県だけでも年間7000頭・・・殺処分廃止にしてしまったら、この仔達をどこで保護して・・・誰がお世話して・・・医療費、フードをどこから出して・・・どうやって飼い主探しをすれば良いのでしょうか・・・前置きがながーくなるので申し訳ないのですが・・・私の母は2ヶ月前に肺ガンで他界しました。亡くなる数時間前、肺の機能がほとんど停止してしてしまい、呼吸困難になったとき、早く死なせて欲しい・・・楽にさせてくれ・・・と言いました。点滴をモルヒネに変え、苦しみを麻痺させたとき、母は「やっと楽になれた・・・」安らかな表情に変わり、眠るような最期でした。ガス室で窒息死していく仔達の苦しみが、最期の母の姿を通して痛いほど伝わり、母が私の背中を押してくれた最期のメッセージのように感じました。私は殺処分を本当の「安楽死」に変えたいんです。その「思い」は、今まで遠い先の話・・・その点については口ばかりで、気持ばかりで自分から進もうとしませんでした。今自分が抱えていることで手がいっぱいだと現状は動けない・・・と「言い訳」のように思いながら・・・。殺処分廃止・・・その前にひとつひとつの問題を片付けていく必要があります。それは、国でも県でもなく、私達一人一人が動くべき事だと思っております。私は私で三年間の経験から得た価値観があります。活動には色んなジャンルがあり、それぞれ皆さんが経験を重ね、「今」があると思います。志が同じでも、そこに達するには沢山の枝分かれがあると思いますので、私の「夢」「目標」に向かう方法を否定される方がいるのは当然だと分かっております。そんな中でも・・・ボランティアさん、ひまわりスタッフ、全国の皆さんがいてくださるからこそ、私も頑張れてます!!「ひまわりの家」を絶対に失敗させてはいけない・・・「ひまわりの家」を守りたい・・・ただそれだけです。センターも施設もない中で、頑張って活動されている他県の皆さんの目標を壊すような事はしたくありません。ひまわりの家は・・・私の原点となる場所でした。ひまわりの家は、夢を実現させるための第一歩でした。ご支援下さった全国の皆様にも感謝の気持ちでいっぱいです<(_ _)> 全国の皆様、本当にありがとうございました。パルボ支援金は、私に報告義務があります。時間がかかりすぎましたが、収支がほぼ終わりましたので近日中に「ひまわりの家」ブログにてご報告いたします。(イーバンクご入金以外は把握できておりませんので、 送金、宮崎銀行、郵貯にてご支援下さった皆様には 後ほど会員さんからご報告があると思います。)
2009年08月28日

二ヶ月前、癌で亡くなった母・・・母は幼少時代を満州で育ち、帰国後は施設で育ちました。母の人生の中で、祖母と満州で暮らしてた頃が一番幸せな時間だったのかもしれません。私は、母の死をまだ受け入れられません。形見分けもできず放棄しました。一番母の近くにいた私が放棄してしまった事で、姉妹や親族の方々は、母の形見分けをどうすれば良いのか困惑していたと思います・・・そんなときに・・・知人を通し、中国から出稼ぎに来ている女の子達と知り合い、彼女達の住む中国の村では、食べていくのが精一杯で・・・という話しを聞き、失礼な行為だったかもしれませんが・・・母の衣類や装飾品の話をしたら、彼女たちが受け取って下さいました。母は・・・生まれ育った中国に帰りました・・・。不思議な縁だなぁ~と思ったのですが、実は母が取持った縁じゃなかったのかな・・・そう感じております。良かったね・・・お母さん!!先日、我家の保護犬に譲渡が決まりました(=´∇`=)4匹いた中の一番うるさくて一番やんちゃで我が強い売れ残りちゃんでした(= ^ ^ ゞ幸せへの橋渡しができた・・・と分かってはいるのですが・・・家に帰ると・・・淋しくてガクッと落ち込みます・・・"(ノ_・、)"必ず夜中に一回は顔を咬んで起こされてたので・・・夜中に目が覚める習慣ができてしまいました(= ^ ^ ゞ同じく保護中のブチ仔猫二匹・・・先日からボランティアさんが預かってくれました。可愛いのになかなか決まらないチビチャチャも・・・まだ我家に健在です( p_q)乳飲み子猫3匹もいますが・・・ちょうど夏休みなので、高3の娘がお世話してくれてます。先日から我家に来た生後4ヶ月のこの仔・・・交通事故であごの骨が縦に割れています。歯も数本抜けていますが、乳歯だったので良かったです。詳細は後日掲載いたします。※クリック募金・ひまわり基金は、終了しましたm(_ _)m これまでご支援下さった皆様、本当にありがとうございました。 収支報告はもうしばらくお待ちくださいm(_ _)m
2009年08月16日

宮崎市内の某所・ノラ猫ちゃん達の「変死」が続いております。今月に入り5匹位・・・とエサやりのAさんに聞きました。この暑さです・・・Aさんがみつけたときには遺体は目玉が落ち・・・皮膚が崩れ・・・その仔達を全員Aさん一人で埋葬してきました・・・Aさんには、その中でも一番気にかけている仔がいました。四年前から毎日毎日365日、かかさずにエサをあげに行っていました。冬に出会ったから「冬君」・・・他で粗相しないようにトイレも用意し、病気になれば病院に連れて行ったり、Aさんは冬君にできる限りの事をやってきました。そんな朝・・・冬君はフラフラになりながらAさんの元に来ました。冬君は・・・徐々に・・・冬君でなくなっていきました・・・瞳孔が開き・・・激しいケイレン・・・失禁・・・Aさんは、冬君の姿を写真に撮り続けました。二度と毒なんて・・・冬君を通して「記録」の写真を・・・震える手で撮り続けたのです。Aさんと一緒に病院に行ったときには・・・まばたきもできず、激しい呼吸を繰り返し、体が硬直していました。助かるのは五分五分だと先生に言われ、私とAさんは・・・できる限りの治療を選択しましたが、翌朝の三時に・・・病院で息を引き取りました。もう動かなくなった冬君・・・冬君の体の「血」が・・・鼻からポトリポトリ・・・流れてきました・・・。まだ生きているような・・・毒殺されたような苦しみの顔ではなくとても安らかな表情をしていました。冬君の事が大好きで大好きなのに、事情があり飼いたくても飼えなかったAさん・・・遺骨になった冬君を・・・初めて家に連れて帰る事ができました・・・Aさんは警察に「某所でノラ猫が次々に毒殺されてます」と通報しましたが、「野良猫にエサをやる事が違法だから・・・」・・・宮崎の延岡保健所では、「地域猫」に力を入れようと頑張っておられます・・・。それなのに・・・宮崎市の警察では毒殺以前に「エサやりが違法」??私がこんなブログを書いている間にも・・・毒を盛った人間は・・・明日・・・明後日・・・いつも毒を盛りに行こうかなと考えているのです・・・。冬君の「死」で何かが変わりますように・・・
2009年08月14日

三年前・・・初めて檻の中の仔達を見てこの悲惨な現状を変えたい・・・この仔達の声を聴いて欲しい・・・その二つが、今の私の原点だったはずなのに・・・ここで立ち止まってて良いのだろうか・・・?次のステップに進むべく道が・・・実はあるんじゃないのか・・・?毎日毎日そういう事を考えているせいか・・・不思議と出会う人出会う人、底抜けに明るくパワーのある方々ばかり・・・「私が貴女を支えます」「貴女のやりたい事をサポートします」不思議といつの間にか「握手」をしながら話している事に気付きました。私はきっと・・・その方々の手から力をもらっているんだと気付きました。そうでなきゃ・・・何を信じていいのか・・・そんな当たり前の事すら分からなくなっている今、パソコンの前に座る事もできないはずですから・・・私は・・・この仔達の声になりたい・・・この仔達の最期の姿を忘れたくない・・・多くの方に現状を伝えたい・・・ただそれだけ・・・私にできる事は、ただそれだけ・・・私が選ぶべき道は・・・私が原点に帰って考えるべき事・・・なのかもしれません。人間の犠牲にしてしまい・・・手を差し伸べる事ができなくて・・・本当にごめんなさい・・・
2009年08月10日
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