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虎太郎は、当時、私がセンターに入社して3カ月目に
お世話をしていた子犬兄弟の内の一番小さな男の子でした。
その当時の子犬の譲渡会と言えば、譲渡会を開催した後、
“残った子はその日の内に処分”でした。
その当時は犬の収容頭数が今とは比べ物にならないぐらい多く、
伝染病の関係で、譲渡会にエントリーできるだけでも
ラッキーという当時の現状でした。
エントリーできたとしても…
その子にとっては、1回限りの生きるか死ぬか…
命のかかったラストチャンスの場でした。
ある日、
お世話をしていた兄弟がエントリーできた譲渡会が開催されましたが、
1頭だけ残った子がいました。
それは、殺処分を意味していました。
私は1頭ぐらい何とかならないかと里親を探していた所、
以前から子犬を欲しがっていた人がおり、条件を聞くとピッタリ!
なので、伝染病のリスクなどを考えた上で
残った子犬を、家へ連れ帰る事にしました。
里親が決まったも同然だったので安心していました。
ところが休み明け…その方より連絡があり、
「ペットショップで安い子がいたので、そちらを買ってしまった」
…唖然としました。
(今振り返ってみると、当時の私は浅はかな考えに
安易で無責任な行動をしていたと反省しています。)
助かると思っていた「命」の行き場が無くなってしまった…
私は、その子犬に特別な感情が入っていたのです。
家族とも話をして自分が引き取りたいと伝えましたが、
私の性格上、1頭を連れて帰ってくると歯止めが利かなくなり
2頭目…3頭目…となるから辞めておきなさいと。
これには自分もそうなりそうな予感がしたので、
一線を引く…という苦渋の選択をしたのです。
決心したその日の夜は泣きました。
あの仔が、あの仔の命がなくなってしまうと…
翌日出社して「この子の処分をお願いします」
他の職員さんにお願いしました。
とても、特別な感情を抱いてしまったあの仔を
自分で処分できる状態ではなく、私は他の職員にそう告げて
外へ出ていく便(仕事で)に向かいました。
帰社する道中「今頃、もう…生きてないろう。ごめんね…。」
暗い気持ちでセンターへ帰りました。
すると、生きていないはずのその子がまだ元気に生きているのです。
ビックリした私は「なんで!?」と職員さんに聞いたところ、
私のいない間に、他の職員さんが事情を察し
「そんなん処分せずにおいてあげろ」と止めて下さったそうです。
これには私も「もう私が飼おう!」と決心し、
家族にも事情を話すと納得してくれ、
私の初めての愛犬“虎太郎”となったわけです。
それからと言うもの、毎日虎太郎と一緒に管理センターに出勤し、
窓口でひょこっと顔を出しては皆に「かわいいね~」と声をかけてもらい、
命の尊さを伝えるセンターのマスコット犬として活躍してくれていました。
簡単なしつけ教室のデモ犬にもなって、
仕事面でも私のパートナーとなってくれていました。
そんな充実した日を2年半程過ごしたある日、
虎太郎が夜中に悲痛な鳴き声を上げたり、呼吸が荒かったり…
かかりつけの病院はもちろん、日増しにおかしくなる様子に
何件も病院で検査をしにいきましたが、
どこの病院でも返事は同じで「異常はない…けど、分からない」と
明らかにおかしいのは分かっているのですが、
原因が分からず心配な毎日を過ごしていました。
それから間もなく散歩中にうずくまり動かなくなり、
悲痛な鳴き声もあげる事が多くなりました。
テンカンの様な発作が起きたら…と薬も常備していました。
そして、いつも通りに一緒に出社し、
虎太郎の体調も心配しつつ仕事をしていると、
いつもより早い時間に散歩の催促をしてきました。
「ワン!」と吠えこっちを見てお座りし、尻尾を振って…。
今でも忘れられません。
「散歩ね~?そしたら行こうか!」と散歩に出かけました。
虎太郎が排泄を済まし、事務所へ帰ってくる途中、
あともう少しでセンターの入り口と言う所で斜めに歩き出し、
おかしいな!?と思った次の瞬間にはバタっと倒れ痙攣しだしました。
私はその時まで冷静でしたが、何かを感じていました。
かかりつけの獣医さんにも倒れた事を電話し
「この子はもう…このままですか?」と聞いた時
初めて涙が出てきました。
何かを察ししつつも現状を受け入れたくない気持ちがあり、
僅かな希望や奇跡を期待したかったのですが、
「おそらく…」と先生なりに冷静に説明をしてくれました。
数日分の自分の食糧と虎太郎の流動食や缶詰など、
少しでも食べれたら…外出せずに付きっきりで看病出来たらと思い
必要な物を購入し、帰宅。
虎太郎は薬が効いているのか時より痙攣しつつも寝ている方が多かったです。
痙攣しだした時は抱きしめたり傍にいてあげる事しかできず…。
しばらくして…主人が帰宅すると、
かすかに聞こえていたのか、気配を感じたのか、
寝ていた虎太郎がふらふらを起き上がりました。
もう焦点はあわず、意識がハッキリしているのかさえ分からなかったのですが、
体は主人の方を向いていて呼んでいるのか、
いつものように帰宅を喜んでいたのか、
私達には悲痛な鳴き声にしか聞こえなかったのですが、
必死に声を上げていました。
二人で傍により、落ち着かせるとまた眠りました。
今まで見た事の無い主人の涙を見て私も泣いてばかりでした。
夜中に近づくにつれ、発作が大きくなり、
悲痛な鳴き声も増してきたので貰っていた薬を投与し、
それでも収まらなかったのでまた動物病院へ走りました。
点滴をしてもらい帰宅途中、止まらない涙で顔はぐちゃぐちゃでしたが
頭の中は冷静で何かを感じ、虎太郎の頭を撫でて…
最期の時が来たのが分かりました。
センターで多くの犬の死を見てきたせいか、
死を察知できたのか…。
もうゆっくりおやすみ…と心の中で思い、
顔を撫で、落ち着いてから主人に「もう…逝っったきね」と話しました。
運転していた主人も何か感じ取っていたのか、何も言いませんでした。
後日、火葬し終始涙でお別れをしたのですが、
今思えば最後の散歩の時や、主人が帰った時に必死に起きようとした事。
虎太郎なりに何か分かっていたのか、
必死に応えようとしてくれていたのか…
今でも最後の行動は忘れる事ができません。
亡くなる1週間前には元気に散歩もしていて、
信じられないのですが、これが現実で…。
ひまわりの最後の様子を読みつつ、
虎太郎との思い出が一気に蘇ってきました。
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私は、虎太郎さんとは一度も会ったことありませんが、
不思議にも目の前で見てきたかのような…
虎太郎さんを「愛おしい」という感情が強く出てきました。
泣きました。
虎太郎さんの「死」への涙ではありません。
職員さんとの素敵なご縁…
虎太郎さんがどんなに幸せな犬生だったかのかと…
虎太郎さんが、職員さんにお別れを告げようとしたこと…
凄く幸せな涙を流しました。
虎太郎さんとセンターで出会い、そして、多くの命と携わり、
多くのドラマをみてきた職員さんは、最後にこうおっしゃってました。
私の様に自分と愛犬の出会いは世界に1つの奇蹟だと言う事を
思い出してもらいたいです。
そこに気づくか気付かないかで
愛犬へのこれからの愛情も大きく左右されると思います。

私は、保護家の仔を家族として迎え入れて下さり
ありがとうございます…とよく口にしておりますが、
後日、「○○ちゃんと出会わせて下さりありがとう」と、
逆にお礼を言われることも多々あります。
きっと…こういう事なのでしょうね。
「いのちのはうす保護家」では、
特に、平日のボランティアさんを必要としております。
どうか、私達に力を貸して下さい・・
いのちを受け入れるキャパを...力を貸して下さい!
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場所等ご説明いたします。
★ mailお問い合わせ
(担当・カワノ&伊藤
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★ 090-4484-5165
( 担当・藤井
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売上の一部が、保護家の維持費、医療費、等になります。
どうか、皆様のご協力をよろしくお願い致します。
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