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中国聯合航空にて、ハルピンから離陸した当機も、無事、ほぼ定刻通りに北京南苑空港にランディング新しいターミナルが建設されてました前のターミナル&管制塔新しい南苑空港のターミナルまだ出口の方は、運営開始されてないみたいで、臨時の荷物ターミナルへ預け荷物は空港職員が一つ一つ、台の上に並べていました南苑空港の出発フロア南苑空港の正門ここ、南苑空港は2度目なんです実は04年秋に、フランス空軍の戦闘機ショーがみれるということで、行ったのですが、当日はあいにくのスモッグで何時間も待たされて、キャンセルが決定ダフ屋からチケット買ったので、払い戻しも出来ず仕舞い懐かしい~~ちょっと前にブログでも書きましたが、この南苑空港と羽田とのチャーター便を結ぶとのこと・・・その日記個人的に言うと、ちょっと難しいんではないでしょうかもちろん就航には大歓迎ですけど・・・アクセス面とか・・・軍用空港なので外に出るまで歩くには地味に遠いし、空港バスが、飛行機に合わせて、西単の民航ビルまで出てますが、14時とまだ渋滞なる前の時間帯に乗車しましたが、西単まで約1時間かかりました(もし渋滞の時間帯と重なったら・・・)私の家は朝陽区の北東側なので、北京首都空港の方が近いですね朝陽区が北京で一番発展しているエリアなので、南苑空港からだとちょっと遠いのではないでしょうか現在、羽田から、上海の虹橋空港、ソウルの金浦空港とチャーター便が就航していますが、上の羽田・虹橋・金浦の3つの国内線専用空港と比べても、南苑空港はレベル落ちると思います・・・さぁ今後どうなることでしょうかちょっと気になり、期待しています
2008年01月29日
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いよいよハルピンとも今日でお別れ早朝、ホテルをチェックアウトし、空港までのリムジンバスが出ている、民航ビルへ行きましたそこから空港まではおよそ90分ハルピン(太平)空港中国聯合航空にて北京へこの航空会社は、北京南苑空港をベースに飛んでいる航空会社ですこの日は、中国国際航空の北京~ハルピン間のフライトが朝から大幅に乱れていました北京首都空港が混雑していたのでしょうか聯合航空機は、ほぼ定刻通りに、ハルピン空港に着き、私が搭乗する折り返し便も、ほぼ定刻通りに出発しました搭乗口機材はB737-800でしたウイングレットです上空から見えた、北京首都空港北京首都空港を通り越し、北京を南に進み、そして一応、現在も軍用空港である、北京南苑空港へ聯合航空機尾翼
2008年01月29日
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夜のライトアップされた中央大街を散策し、そしてそのまま、ハルピン駅前の龍門ホテルまで、歩いて帰りました夜の中央大街ハルピンの老舗の餃子屋「老都一処」晩飯タイムオススメの餃子と鍋包肉とハルピンビールを注文しました一人でこの量はキツかった夜の聖ソフィア教会ハルピン駅のちょっと手前にて
2008年01月28日
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最後の夜は、ハルピンの元祖・氷祭りに行ってきましたでも、規模から言い、氷雪大世界とは比べ物にならないくらい、ちょいショボでした氷の彫刻大会の世界各国チームの作品を展示してました日本第三チームの作品「宝船」三等賞を受賞した、日本第二チームの「麒麟草子」
2008年01月28日
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午後からはまず、聖ソフィア教会へ行きました聖ソフィア教会その教会の内部合唱団による合唱を運良くみることができましたそして、中央大街へ向かいましたその途中にて、旧満州中央銀行ハルピン分行(現在は中国工商銀行)中央大街に到着馬迭爾(モダン)賓館本屋聖ソフィア教堂・・・ 兆麟街でもひときわ人目をひくギリシャ正教の教会である聖ソフィア教堂は、1907年3月、帝政ロシアの茶商人の出資などで拡張工事が行われ、1932年に現在の規模にいたった。高さ53.35m、建築面積721平方m、ビザンチン形式建築の影響を深く受けた教会は、2000人を収容することができる。 現在、教会内はハルピン建築芸術館として開放され、ハルピン市内の建築物の写真や模型、絵画などを展覧している。
2008年01月28日
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正午は、果ge里大街を散策しましたこれはただの飾りでした省外事事務所秋林公司小学校の門みたいです かなりイカついロシア資本のホテルよく見ると、4時間100元(1500円)の文字がここはラブホテルなのか中国では法律でラブホは禁止のはずでは・・・よく見ると「女王教育機構」の看板がどんなところなんでしょうかちょっと興味津々
2008年01月28日
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ハルピンの最後は、ハルピン駅前に位置する、龍門ホテルに宿泊しましたここは1901年にでき、満州国時代はヤマトホテルと呼ばれたいたそうです龍門ホテル私が宿泊した部屋龍門ホテルの貴賓楼この貴賓楼が、ヤマトホテルだった場所です貴賓楼に展示されてた当時の様子を表した模型貴賓楼の階段貴賓楼の2階廊下あと、ハルピンで発見した吉品屋明らかに吉野家のパクリのような気が・・・店外スピーカーから、「日本式の日本資本の・・・」って言っていた・・・本当かな吉品屋看板にトップクオリティと書いてるけど、店舗は地下にあったあえてここは最上階に位置してほしかった牛丼とチャーシューとハルピンの地ビールを注文しました味は、(料理できない)私が昔、作った牛丼に似ていた要するにあんまりおいしいとは言えない・・・龍門大xia・・・ 本館の裏にある貴賓楼はアールヌーボー建築の風格を持つ1901年創建の建物で、1937年から1946年まではヤマトホテルだったことで知られている。ハルピン・・・ 鉄道によりシベリアへ通じる東北アジアの交通の枢軸であるハルピンは、中国で最も北部に位置する黒龍江省の省都。市の面積は5万3775平方km、人口は935万人。街の中を松花江がゆっくりと流れている。 19世紀末まで小さな漁村にすぎなかったハルピンに劇的な変化を生じさせたのが、清朝と帝政ロシアの不平等条約によって開始された東清鉄道の建設。帝政ロシアの支配の下、人口は急激に増え、ハルピンは近代都市として大きな変貌を遂げた。20世紀初頭には秋林公司や馬迭爾賓館といった現在も残る著名な欧風建築が数多く建てられ、これらの欧風建築物があることによって今日のハルピンは東方のモスクワ、東方の小パリなどと呼ばれている。 日本とハルピンの関係は深いが、ハルピンに日本人が増えたのは、日露戦争が始まった1904年頃。九・一八事変(柳条湖事変)の1年後の1932年には、日本軍がハルピンを武装占拠し、1945年まで事実上にほんの支配下に置いた。
2008年01月28日
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午前中、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館へ行きました侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の正門ご覧の通り、現在では真横に住宅(アパート)が隣接していましたしかも入ってすぐ左側には、中学校のグランドがあり、学生はバスケットボールをしていましたこう言ったら失礼だと思いますが、怖くないんでしょうかねぇ・・・こんなの日本だったら、格好の心霊スポットで誰も近づこうと思いませんが・・・正門を入ってすぐの本部大楼この本部大楼の中が資料展示室となっていました。なんかアウシュビッツみたいな異様な感覚(ってテレビでしか見たことないですけどね・・・)凍傷実験室跡ネズミ庫侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館・・・ 日本軍特殊部隊満州第七三一部隊の罪状を一般公開する陳列館。市街区から南へ約20km離れた平房区にある。日本陸軍本部の直属部隊であった満州第七三一部隊(通称石井部隊)は、1936年から1945年までここ平房区で細菌兵器の開発を行った。 終戦直前、罪の隠匿のため、主要な建築物は破壊され、大量の機密資料が焼却されてしまった。しかし、付近には動力班遺跡が残っているし、本部大楼の敷地内でも発掘や修復が進められている。
2008年01月28日
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よく、冬のアイスは案外おいしいといいますが、ついにここハルピンで発見しました路上で、しかも、冷凍庫なしでアイスの販売路上でアイス販売ハルピンがゆえに出来る、このような路上アイス販売ちなみにこの日のハルピンの気温は、-21℃~-11℃ちょうど、私が宿泊していたユースホステルの隣の店の前にて撮影しました私が1泊だけしたハルピンのユースホステルちょっと郊外に位置するので不便でしたが、ハルピンの有名な観光地まで公共バスで直接行けますが、全てのスポットに1時間かかるのが痛かった
2008年01月28日
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夜、氷雪大世界へ行き、冬のハルピンの代名詞とも言える、有名なハルピン氷祭りを見に行きました氷点下20度(地元の人は暖かい方だと言ってました)初のももひき(パッチ)を穿いて行きましたももひきにハマりそうかも・・・そういえば、会場の入口・出口には、何故かロシア系白人が係員(門番)として立ってましたここからは、氷祭りの画像をお楽しみ下さいませ~入場門氷の階段を登るときには、このように赤いじゅうたんが敷いてあって、滑り止めの役目なんですけど、なぜか重要なとこにそれがない階段のコーナーリングは危なかったそのロシア系白人の門番
2008年01月27日
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いよいよ長春ともお別れです次はハルピンに行きます長春駅T157次列車に乗車約2時間でハルピンに到着硬臥(3段ベット)の真ん中の切符を取り、92元(約1380円)この列車は、江蘇省・泰州が始発のハルピン行きです走行距離は2563km(長春~ハルピンは約250km)停車駅は、泰州北京長春ハルピン長春駅に入線してきたT157次列車17時過ぎに、ハルピン駅に到着しましたハルピン駅(翌日撮影)
2008年01月27日
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偽皇宮陳列館からタクシーにて、長春駅へ向かいましたこのタクシーの運転手のおばちゃんが気さくな方で、会話をしていましたそしたら、駅までの道の裏通りに、満州国時代の日本が建てた一般の建物が今でも健在だから見せてあげると言い、その辺りへタクシーを流して連れて行ってくれました運転手のおばちゃんも、満州国時代の日本が建てた建物の不動産物件を所有してて、今は出稼ぎ労働者に貸しているらしいですその後、長春駅前の春誼賓館付近にて下車しました楽しいおばちゃんでしたこの春誼賓館は、満州国時代は大和ホテルだったそうです
2008年01月27日
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吉林省広播電視塔の見学後は、ホテルに戻り、チェックアウトして、そのまま偽皇宮陳列館へ行きました無料で荷物預かってくれました偽皇宮陳列館の正門輯煕楼勤民楼賜宴殿偽満州国軍隊の正装服(ちょっとカッコイイかも)同徳殿同徳殿の廊下偽皇宮陳列館の隣りには、東北部の苦難の歴史の陳列館も新しく、大きく、併設されてました機関車も展示してました偽皇宮陳列館・・・ ラストエンペラー溥儀が満州国の皇帝となったときの皇宮。現在は皇宮の西院が陳列館となっている。 入場後、まず1932年から1945年まで溥儀が住んだ輯煕楼。2回の西側が溥儀の生活区となっており、寝室や書斎、仏堂そして中間にある中薬庫などの部屋が展覧されている。書斎では溥儀と溥儀の監視役であった関東軍高級参謀吉岡安直が、同じ高さの椅子に座り接見している様子が蝋人形で再現されており、この場面から溥儀がまさに傀儡皇帝であったことが理解できる。同じく2回の東側は皇后媛容の生活区となっており、寝室やアヘン中毒になった媛容を表現した蝋人形がおかれる吸煙室などが展覧されている。また1階東側では溥儀や皇后、后妃の生活がいかなるものであったかがわかる写真の展覧、西側では后妃譚玉齢の生活区の展覧が行われている。 中和門をくぐると目に入る建物が勤民楼。内庭を囲むようにして建つ建物の1階では、日本の植民地時代から東北が開放されるまでの様子を写真と実物資料を用いて紹介している。2階にのぼると、法律や法令を発布したり外国の使節に接見した勤民殿、満州国の官吏や外交使節に非公式に接見した御学問所、さまざまなパーティが開かれた賜宴殿などがある。そのほか明治時代以降の日本の陶磁器が展覧されている。
2008年01月27日
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朝、昨日の新民大街の偽満州国八大部を散策中、吉林のテレビ塔を発見し、行くことにしました(ただ単に各地のタワーに登りたいだけかも・・・)吉林省広播電視塔の入口なんか殺風景でした 田舎のタワーって感じがしましたしかもホテル経営してる(ちなみに私が訪れた日が2組の挙式が)駐車場ではなぜか、自動車教習場がでもなぜか、車庫入れ、駐車のコースしか見当たらなかった9時頃、到着したのですが、営業開始時間は9時半ということでしばしロビーで待ちました146mの高さまで登れますでも寒かった~~~真ん中の広場が文化広場で、その奥に見えるのが地質宮、そして文化広場下側に解放大路が通っており、左下に偽満州国軍事部旧跡、右下に偽満州国務院旧跡(上空からだと漢字の「王」に見えます)でそれらの間に新民大街が通っているのが視認できます
2008年01月27日
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人民広場付近にて撮影した、偽満州国の遺構です旧関東軍司令部(現在は中国共産党吉林省委員会)遠くから見たら、お城のようでした旧満州国中央銀行(現在は中国人民銀行吉林省分行)旧満州国電信電話株式会社(現在は吉林省通信公司長春市分公司)夜になりライトアップされた人民広場人民広場横の吉林省賓館
2008年01月26日
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偽満州国八大部の新民大街を散策した後は、長春の繁華街を散策しました長春にて路面電車を発見友人の和ゃんの母校が、ちょうど駅2つめの所にあるということで、路面電車に乗車し、そして、和ちゃんの母校へその後は、長春の繁華街の一つの重慶路に行きました重慶路にあった金色の鶏の銅像そして、歩いて人民広場まで人民広場付近の満州国時代の建物も発見人民広場の真ん中に建ってる塔。一番上にあるのは旧ソ連の戦闘機だそうですそして、ホテルに戻りました和ちゃん、長春ガイドありがと~~~
2008年01月26日
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偽満州国務院を参観した後は、そのまま新民大街へ偽満州国八大部(満州国の国家機関跡)の、新民大街にある機関跡の外観を散策しました偽満州国軍事部旧跡(現在は吉林大学付属第一医院)偽満州国経済部旧跡(現在は吉林大学付属第一医院) 偽満州国司法部旧跡(現在は吉林大学付属第一医院)偽満州国交通部旧跡(現在は吉林大学新民校区)偽満州国八大部・・・ 偽満州国八大部は、偽満州国軍事部旧跡、偽満州国司法部旧跡など、満州国の国家機関の中で現存する8つの建築物のこと。偽満州国八大部以外にも、新民広場と自由大路が交わるあたりには最高法院、最高検察庁であった旧総合衛(現在は中国人民解放軍第四六一医院)、新発路には旧関東軍司令部(現在は中国共産党吉林省委員会)、人民広場の周りには旧満州国中央銀行(現在は中国人民銀行吉林分行)など市街には多くの遺構が現在も各機関として使用されている。偽満州国軍事部旧跡・・・ 国務院の向かいに位置する緑色の瑠璃色を葺いた三角形の鉄筋の骨組みの建物。1935年の建築。建築様式は中西折衷の興亜式。満州国の軍務や用兵を司った首脳機関である。軍事部は1943年以前は、軍政部、治安部とされた。また1970年には4階建てであった建物にさらに1階付け加えられている。現在は吉林大学付属第一医院となっている。偽満州国経済部旧跡・・・ 前身は財政部。満州国の税務、金融、国債、投資、貿易などを司った。建物は1935年の建築。地上5階建て、両翼部分4階建て、地下1階建ての鉄筋コンクリート造り、中国と西洋のエッセンスを合わせもつ興亜式の造りである。現在は吉林大学付属第一医院となっている。偽満州国司法部旧跡・・・ 建物は1935年の建築、地上3階建て、地下1階建ての造りで中間の塔の部分では6階建てになっている。建築様式は、中国式のアーチ型窓と日本式の玄関などが入り交じる和漢折衷の様式である。現在は吉林大学付属第一医院となっている。偽満州国交通部旧跡・・・ 交通部の設立は1932年。公路の管理、郵便、航空、水運などの交通部門を司った。建物の建築は1935年、地上4階建て、両翼部分3階建て、地下1階建ての鉄筋コンクリート造り。深い紅色の瑠璃瓦を有する建物の建築様式は典型的な興亜式。現在は吉林大学新民校区となっている。
2008年01月26日
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食後は、文化広場&新民大街へ行き、満州国時代の国家機関跡を見に行きました現在でも使用されています6,70年も昔の建物が現在も使われているのは驚きですまずは、偽満州国国務院偽満州国務院(現在の吉林大学医学部)ちょうど入口が土産屋となっていて、チケットを購入すると、そこのおばちゃんが無料で日本語でガイドしてくれましたでも、最近は制限があるみたいで、「地球の歩き方」に書いてある内容はほとんど見学できませんでしたあと、日本からの観光客が全然来ないと嘆いてました満州国時代の地図で説明してくれましたが、日本人設計者が風水を重視して街作り(建物の配置)をしたそうです1匹の龍のように国家機関位置を決めたようです建物中のエレベーター当時、日本から贈られた、冷蔵庫・レンジイタリア原産の大理石、上には菊の紋、銅製の電灯偽満州国務院・・・ 満州国の最高行政機関が国務院(現在の吉林大学)である。建物は1935年に着工、1936年に完成した。鉄筋コンクリートの建物の面積は6万平方km余り、塔の付いた屋根を有し、西洋と中国の風格を合わせ持つ中西折衷の造りは興亜式と呼ばれる。日本の国会議事堂を真似て造られた建物は、当時、地下道で長春駅や関東軍司令部(現在の中国共産党吉林省委員会)にもつながっていた。 北側には正式な満州国の宮殿となるはずであった地質宮を望むことができる。現在の地質宮は太平洋戦争勃発による資金不足で基礎工事だけで終わってしまったため、長春市政府がもとの設計にしたがって1954年に完成させたもの。
2008年01月26日
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6時過ぎ、ほぼ定刻通りに、列車は長春駅に到着しました駅前のバス停から、ホテルの最寄のバス停の「人民広場」まで移動長春にはユースホステルがないので、C-TRIPにて安いホテルを予約しました余談ですが、国内航空券&ホテルはこのサイトで予約しています如家酒店(長春人民広場店)を予約しました特恵単人間が一番安く139元(約2085円)でした如家酒店は東北部でチェーン展開しているビジネスホテルっぽいです7時前に行ったのですが、快くチェックインでき、すぐにベットメイキングしてもらい、とてもサービスよかったです如家酒店(長春人民広場店)泊った特恵シングルルーム(翌日のチェックアウト前に撮影)部屋でしばし休憩したあと、帰省中の長春出身の友人と一緒に南湖公園に行きましたちょうど、氷の彫刻のイベントしてましたしかも鼠年なだけにディズニー・・・これって許可得てるのかなまさか昨年、北京でも問題なった、パクリー(ネズミー)ランドの長春・氷彫刻版真相はわかりません~~南湖公園の入口ペンギンこのようないくつかの遊びもありました昼食は、南湖公園横の、長春では有名なタイ料理で食事
2008年01月26日
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大学も春節の冬休みに入り、中国の冬を体験すべく、長春&ハルピンに行こうと風来坊旅を決心しましたまずは、T59次列車にて長春へなんとか、硬臥(3段ベット)の真ん中を取ることができました真ん中ベットで、232元(約3480円)春節前ということで、北京駅は帰省客でいっぱいでした夜の北京駅北京駅の大型出発ボード21時発のT59次に乗車この列車の走行距離は、1003km停車駅は、北京四平長春機関車硬臥の車内車内の窓枠を見ると、このように氷がはってました定刻通りだと朝6時10分に長春に到着です今回の旅のために、ももひきとマフラーを購入果たして人生初股引の出番はあるのでしょうか長春・・・ 吉林省の省都・長春は、総面積は1万8800平方km、人口は691万人。気候は大陸性気候に属し、年間平均気温が4.6℃。「北国春城」「塞北春城」と称されるだけあって、夏は比較的涼やかで過ごしやすい。 長春の都市としての歴史は比較的新しく、1800年に清朝政府が伊通河沿岸に行政機関である長春庁を建てたことに始まる。1世紀後の1932年には、日本軍により傀儡国家である満州国(中国では偽満州国と呼ばれる)が建国され、長春はその国都・新京となった。
2008年01月25日
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極寒の長城でした気温は、-9度で、更に強風が吹き荒れ、体感温度はそれ以上に寒かったです女坂の方を登っていき、帰りは寒さの余り、ロープウェイで下山しました万里の長城の入口入口前の広場から山の斜面にオリンピックの看板が設置されてました万里の長城下山後、万里の長城のスターバックスにて暖かい紅茶を飲みましたいやぁ~今日の長城はマジで寒かったですスターバックス万里の長城店
2008年01月23日
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火車(鉄道)を利用して、万里の長城(八達嶺)に行ってきました鉄道で万里の長城へ行けることは知っていましたが、1日1本しかないし、各駅停車で遅いので不便と思いいつも敬遠してました車、バスの方が断然便利ですし朝、8時前に北京北駅に着き、切符を購入するために窓口に並ぼうとしたら、春節を前に切符を買う中国人でごった返していて、これは発車時刻までに買えないのではとあせりましたが、なんとかギリギリ購入でき、ホームまで駆け込みました朝日が映る北京北駅購入した切符 万里の長城(八達嶺)まで4.5元(約68円)で行けますでも、2時間40分くらいかかりますが乗車した6427次の機関車列車内切符だと3号車の座席なのですが、八達嶺(長城)下車客は1号車に乗車しろと指示されましたご覧の通り、硬座席、しかも空調がなく、車内は、-4度だったみたいです乗車中、めっちゃ寒かったあと、客はほとんどおらずガラガラでしたこの列車は6427次。いわゆる鈍行列車ですこの列車の走行距離は106km、停車駅は、北京北清華園清河沙河昌平南口居庸関三pu青龍橋八達嶺沙城あの13号線・五道口駅下の踏み切りも通過列車は郊外の荒野へ荒野の奥に山脈が見え始めてきました山脈へ。 もうすぐ到着です八達嶺駅に到着降り立った瞬間、かなりの寒風がこれは寒すぎる八達嶺駅のプラットホーム八達嶺駅
2008年01月23日
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午後14時から、英語の期末テストが行われました英語のテストなんて高校以来
2008年01月22日
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14時から、「貿易実務」課の期末テストが行われましたあと10分欲しかった感じです果たして結果はどうなることやら・・・
2008年01月21日
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正午12時から、四得公園・サッカー場にて練習試合がありました「テスト勉強の気分転換に来なよ 人数もギリギリだし」と、副キャプテンに前夜連絡いただき、参加することにしましたやっぱり、サッカーすると楽しいですね上手くはありませんが、サッカー人間なもんでそれで、練習試合とはいえ、勝つと更にうれしいもんです今日の相手は中国人チームとでした30分×3本で行いました 0 1st 0RED CARDS 1 2nd 0 中国人チーム(JAPAN) 2 3rd 0 (CHINA) 3 TOTAL 0練習試合ですが、3-0、で勝ちましたやっぱ勝てるとうれしいです寒風の中、しかも無失点完封勝利 (シャレ寒かった) さぁ、今からテスト勉強始めようモチベーション高くなりました
2008年01月20日
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去年の冬頃からビリヤードにハマってます今は、期末テスト期間中なので控えてますが、今日、テストの日程が少し空いたので、気分転換をかねて、ビリヤードしてきましたいつも、後輩と行っています、以前は桜花ホテル内のビリヤード場に行ってたんですけど、新しく芍薬居にてビリヤード場を発見し、そこに通っています会員カードを作ると、いつも2割引になり、また24時間営業ですちなみに1時間1テーブル15元(約225円)です中国人はビリヤード大好きですねしかもレベルも高い私、始めたばっかりのド・素人なので、ある程度できるよう頑張ります芍薬居の賓楽台球にて
2008年01月16日
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夜、朝陽公園西路にある、孔子己尚宴にて、北京さつま会の事務局にて会食をしましたセッコウ省の料理だそうです紹興酒もいただきました建物の中は、河が流れていて、鯉が泳いでましたお高めなお店でした
2008年01月15日
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午後14時から、「財政学」の期末テストがありました一言で言うと、無理っ
2008年01月15日
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10時半から、「中国経済概論」課の期末テストが行われましたこれは教科書持ち込み可のテストだったんですけど、時間内に教科書、資料等から答えを探し出すのが・・・朝から連続テストできつかった
2008年01月15日
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朝、8時から「風険与保険」課の期末テストが行われましたテスト用紙見た瞬間終わったと悟ったムズかった・・・
2008年01月15日
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夜、北京ダックの上縁坊にて、私が北京留学時から同じだった、親友ら4人と最後の晩餐をしました今思うと、04年の秋から、語言大学にて一緒に中国語を学び、私は1年後に今の大学に変わりましたが、彼女らはこの冬、晴れて本科生の卒業です大学が離れても、たまに遊んだり、また一緒に旅行に行ったりととても楽しかった上海、大連、日本へと、皆北京から離れていきます皆、新天地でも頑張ってなぁまた北京でorその他の街で再会しようぜ
2008年01月14日
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昼、語言大学の親友と韓国式焼肉屋で食事しました食後は、友人の部屋に行って、もうすぐ引越しなので、その際に出る不用品を回収しに行きました
2008年01月13日
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夜19時から、経貿写作課の期末テストが行われましたこの授業の先生、中年の男の先生なんですが、大阪教育大学、大阪大学に留学していて、博士号まで取得したんだそうですなので、関西弁な日本語が上手クラスで日本人は私一人だったので、いつも日本語で話しかけてきてくださり、おもしろい先生でした
2008年01月10日
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夜、中国人の友人と、東単の映画館にて、「投名状」を見てきましたここの映画館、地味に高い私は学割でチケットを購入できましたが、45元(約675円)日本とそんな変わらねぇこの「投名状」は、李連傑(ジェット・リー)、劉徳華(アンディ・ラウ)、金城武、徐静蕾(シュー・ジンレイ)と、私個人的に超豪華キャストだと思います徐静蕾みたいな知的な女性がタイプなんですよね・・・私あと、金城武も好きです李連傑と劉徳華も渋いっすたぶん、日本人でもご存知の方多いと思います日本でも近々公開予定だと聞きましたが・・・投名状公式HP新浪の特設サイト投名状の予告動画(約7分)
2008年01月07日
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四国合同県人会が、16時から、日本料理屋「晩亭・四季」にて開催されました今回は、全員で12名と少なかったです愛媛人が一番多かったですお店にて餅つきがあり、皆で餅をついて、それを食しました
2008年01月06日
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朝6時過ぎに食堂車に行き、朝食を食べました朝食の雪菜麺 ちょっと油ギッシュでした・・・そして、列車はほぼ定刻に北京駅に到着しました北京駅プラットホームの電光板これにて、杭州・上海への旅行も無事終了しましたとても、良い旅行でした北京とはまた違った刺激を受け、またリフレッシュにもなりましたこれで、2008年も頑張っていけそうに思いますその後、北京駅から地下鉄を乗り継いで家に帰り、8時からの授業に出席しましたちょっとハードでしたまたチャンスがあれば、杭州・上海に行きたいです
2008年01月02日
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上海駅から、19時21分発の北京行き、Z2次列車に乗車しましたZは直達(直行)列車を意味します(途中、1,2駅停車するのもあるみたいです)今回、初めてZ列車に乗車しましたZ2次は、上海無錫北京(途中、無錫で停車しました)Z2次私が乗車した8号車入口に立っている女性が、この8号車の担当車掌さんです何度か会話したのですが、とても気さくな方で、走行中、何かあったらな私に言ってくださいと笑顔で接してくれました8号車の車内一部屋ごとに仕切られ、2段ベットが2つありますすぐ隣りは食堂車でしたこの画像にも写っていますが、このおばちゃん2人で、ウエイトレス業務をしていまたこのおばちゃんらも気さくな方で発車してから、ずっと会話していましたちなみこの列車は北京鉄道局が運行してるのだそうですおばちゃんが教えてくれましたあっ、おばちゃんも北京人だそうです私のベット室の他の3人は、30代くらいの中国人、男2、女1でしたけど、全員他人みたいで、外国人の私に絡んでくるかなと思っていたら、3人とも無口で本や、PSPしてて、自分の世界に入っていましたこの空気に耐えれず、再び食堂車でおばちゃんと会話ちょっとお腹もすいてきたので、料理を注文しました部屋に戻ってからは、深夜過ぎまで小説「不夜城」に読み耽っていました
2008年01月01日
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外灘(バンド)&南京東路(歩行者天国)散策後は、そのまま上海の街角を見ながら歩いて豫園へ豫園で、夏に瀋陽であった日中韓学生交流会で知り合った、日本人留学生と合流理恵ちゃん、ガイドありがと~豫園南翔饅頭店ここで、有名な小龍包(ショーロンポー)を食すその後、豫園から駅に向かうとするが、タクシーがなかなかつかまらない客待ちのタクシーは、メーターを使わずに法外な料金をふっかけてくるし結局、人力車で一番最寄の南京東路の地下鉄の駅まで行きました夜の南京東路(歩行者天国)そうえいば、上海ってタクシーの初乗りって11元なんですね北京より1元高いまぁでも上海の方が経済発展してるって感じ受けました北京は、なんかこう田舎臭いというか、お堅いというか、政治の都市ですもんね~
2008年01月01日
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上海駅到着後、駅にてリュックを預けて、地下鉄経由で、(ベタですが)東方明珠まで行きました人民広場駅で乗り換えなんですが、人民広場駅が新しくなってて驚きでした東方明珠(私は玉ねぎタワーと呼んでいます)上る階層によって、料金が違いますが、私は100元で263m展望台のチケットを購入しました森ビルが建設中の高層ビル上海ヒルズでしたっけ一時、ビルの形が日本刀に似てるといちゃもんつけられ、中国のネットで騒動してましたねその後は、外灘(バンド)へ移動外灘(バンド)あいかわらず人でごった返していました外灘(バンド)の建物外灘(バンド)から見た、浦東地区一歩路地裏みら見た、玉ねぎタワー余談ですが、上海駅前にあった、日本の食堂屋昼食はここでとりました上海では、北京よりも日本人を多く見かけましたしかも日本の物をたくさん発見することも
2008年01月01日
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杭州駅から、8:25分発の上海行き、D472次に乗車Dが付くのは、いわゆる新幹線です中国では、「和諧号」、「CRH(China Railway High-speed)」と呼ばれていますD472次(これは日本の技術供与の車両とは違うように思います・・・)杭州駅のプラットホームにて和諧号には一等席と二等席が設けられています車内。これは私の乗車した二等席約90分ほどで、定刻通り上海駅に到着しましたちなみに途中、嘉興駅に停車しました上海駅オマケ私の列車切符です
2008年01月01日
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杭州にて、2008年を迎えましたでも、上海行きの電車の関係で、早朝から身支度し、宿の近場の柳浪聞鶯にて、日の出を見て、そのままタクシーに乗り、杭州駅へ向かいました日の出と中華式ダンスを踊るおばちゃんたち西湖の2008年、元旦の早朝杭州駅柳浪聞鶯・・・ 西湖の東岸にある公園。かすかに波打つ岸辺に沿って柳が植えられている。その枝でさえずるウグイスの声がすばらしいので、この名が付いた。
2008年01月01日
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