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北京五輪開催期間中の民間航空の安全を確保するため、公安部門は7月20日午前零時、中国民用航空局による、「一部空港における特別検査措置の実施に関する通告」の要求に基づいて、北京首都空港第1,2,3ターミナルビルの、各入り口に安全検査のための設備を設置。乗客、送り迎えの人々、空港の各職員は全て、ターミナルビルに入る前に安全検査を受けなければいけませんエアポートエクスプレスで到着後、隣接の連絡通路から、第3ターミナル内に入ってすぐに安全検査がもうけられてましたこれは北京首都空港以外にも、五輪会場地でもある、上海・青島・天津等の空港も実施されていますあとウルムチ空港も20日よりも前倒しで実施されていましたウルムチはオリンピックで、競技は開催されませんが、危ない街だからでしょうか
2008年07月22日
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本日、日本へ一時帰国するので、新しくできた、空港線(エアポートエクスプレス)に乗車し、北京首都空港へ向かいましたまずは、我が家の最寄の「恵新西街南口」駅から、十号線に乗車そして、「三元橋」駅で下車し、空港線に乗り換え空港線・三元橋駅のプラットホームエアポートエクスプレス(空港線)の車内北京首都空港第三ターミナル駅乗車して30分もたたなういちに、北京首都空港第三ターミナル駅に到着しましたでも、第三ターミナル駅は暑かったですビニールハウスの中にいる感覚でした
2008年07月22日
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7月20日から北京オリンピックの専用車道が正式に使用開始となりました五輪専用車道は各道路の一番左側に設けられ、五輪専用車道を現す、白地の上に五輪マークが道路に書いてあります北京五輪期間中の五輪車両の通行のために設置された専用車道で、競技・トレーニング施設、五輪関係者の宿泊地、メディア関係者のホテル、北京首都空港、メインプレスセンター、放送センターなど、北京オリンピックの関連施設を結んでいますなお、一般車両がここを通行すると罰せられます確か罰金と点数が引かれるそうです五輪専用車道
2008年07月21日
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北京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、交通渋滞緩和に向け、また大気汚染改善に向け、北京の道路では、自動車のナンバープレート規制が開始されました偶数の日は、ナンバープレートの末尾が偶数の車が走行可能で、反対に、奇数の日は、ナンバープレートの末尾が奇数の車が走行可能となります例外として、救急車・パトカーや政府の車、公共交通(バス・タクシー)等は、適用外です単純に言えば、今までの交通量が半分になるということですね確かに、道路の交通量が少なかったように思いますあと、個人的に思ったのですが、7月31日と8月1日は、連続で奇数日ですが・・・まぁ自分は北京で車運転してないので、関係ないことなんですが・・・
2008年07月20日
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北京市内にある、1万平方メートル以上の大型ショッピングセンター82店舗に対し、7月20日より開店時間を一律午前10時からに遅らせるよう、通達が出たみたいです理由は、北京五輪・パラリンピック開催に向けた、通勤ラッシュ等を緩和するための通勤時間の調整に関する政策に照らし、市内の交通要所に位置し、売り場面積が1万平方メートル以上の、大型ショッピングセンター82店舗では、五輪開催期間中(7月20日~9月20日)、営業時間の調整が行われるみたいです開店時間は一律午前10時からとなり、閉店時間はそれに応じて適度に延長されるそうです。
2008年07月20日
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午後16時から、四得公園・サッカー場にて練習試合がありました今日の相手は中国人チームとでした。30分×3本で行いました。 2 1st 0RED CARDS 1 2nd 0 中国人チーム(JAPAN) 2 3rd 0 (CHINA) 5 TOTAL 0練習試合ですが、5-0、と圧勝でしたやっぱ勝てるとうれしいですしかも無失点完封勝利
2008年07月20日
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7月19日に北京の地下鉄10号線・8号線・空港線が開通しました10号線は遅れに遅れての開通しかも7月19日に開通だなんて、大々的に広告してなかったように思います最後の方なんて、7月中旬に開通と報道していたし・・・でも、これらが開通して便利になりました地下鉄10号線は、ちょうど北京の北東部分を走っていますおおよそ、北三環~東三環の地下を並行するような感じです地下鉄8号線は別名は奥運支線(オリンピック線)オリンピック会場敷地の地下を結んでいますでも、オリンピック関係者&当日のオリンピックチケットを持っている人しか、乗車できないらしいです一般に開放されるのは、オリンピック後らしいです空港線は、東直門・三元橋と北京首都空港を結ぶ、エアポートエクスプレスですそれで早速、地下鉄10号線に乗車してきました我が家の最寄の駅は、「恵新西街南口」駅で、この駅は、地下鉄5号線と10号線の乗り換え駅なので、とても便利になりました地下鉄10号線は水色を基調とした配色でした天井の照明灯はキレイでしたが、下を見ると、床は開通してすぐなのに、なんか汚かったですちゃんとキレイに磨いたらいいのに・・・なんとか、オリンピック前までの開通を間に合わせましたって、感じがしました現在の北京の地下鉄路線図10号線・三元橋駅10号線・三元橋駅のホーム10号線の地下鉄車内
2008年07月20日
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いよいよ午後の飛行機にウルムチを離れ、今回の旅行も終了ですc-tripにて航空券を予約して、指定されたウルムチ市内の航空券販売所にて購入したので、無料で空港までの送迎車に乗車できましたウルムチ空港ウルムチ空港では、北京五輪を控えて安全検査が強化されていましたまず、空港内へ入る前に全員、荷物&人体の安全検査がありましたそして、カウンターにて搭乗手続きを済まし、安全検査場に進み、私の番が来て、金属探知機に反応しなかったのに、なぜか係員による検査が行われ、靴まで脱がされましたまぁ、怪しい顔をしていたからでしょうかそして、安全検査もパスして、15:15分発のCA1902便にて、定刻より少し早めに北京へ向けて離陸約3時間半のフライトで、北京首都空港に到着しました(大阪~北京よりも長かった)CA1902便 機材はA330でした提供された機内食 牛肉or鶏肉があり、鶏肉をセレクト今回の旅もとても楽しい旅となりました良い経験ができましたやはり「百聞は一見に如かず」ですね今度はカシュガル等の南疆エリアに行ってみたいですね
2008年07月18日
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ウルムチ滞在中、毎日通って食事をしたお店です陽気な3人のおっちゃんがいつも迎えてくれました領館巷レストランポロ(手抓飯)&羊肉串ラグメン&羊肉串その陽気なおっさん3人と写真を撮りました
2008年07月18日
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ウイグル人のパラソル市場こ~いう雰囲気、大好き
2008年07月17日
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前日に人民公園にて、天池1日ツアーに申し込んで、本日、天池1日ツアーに参加してきました朝8時半集合だったので、8時過ぎに出発地点の人民公園に到着しましたでも、なかなかバスが出発せず、2時間後の10時半頃になってやっと出発しましたで、天池についたのは、正午頃でしたバス車内でガイドが60元払えと言ってきたので、現地での専用のバスorロープウェイ代だと思い、でも地球の歩き方には30元と書いてあったので、怪しいと思い、自分で現地到着後に購入すると言いましたで、到着後、ガイドが60元を要求してきた意味が理解できました専用バスで土産屋エリアに到着後、天池まで、更に電動バスで天池へツアーの中国人はすでにガイドにお金払っていたので、私だけ片道5元要求されましたその後、天池に到着後、ガイドに事前通告もなくお寺につれていかれ、興味がなくなったので途中で出てきたら入場料の20元払えとのこと 他の中国人観光客はガイドから一括でチケット買ってるので含まれて、私だけ別だったみたい・・・ 寺入る前に言えよ寺出た後に入場料請求してくるなんて・・・最悪や まぁ騙された俺も悪いんですねだからツアー参加するときも、油断できない中国なんです 肝心の天池ですが、空は曇ってて、景色も微妙で、九塞溝以上の感動は得られませんでしたなので、自分だけさっさとバス乗り場まで歩いて下りました1.国家森林公園エリアなので、専用バスorロープウェイに乗換でそれが往復30元2.そこから更に小型電動バスに乗ると往復10元3.で、お寺の入場料が20元 1は絶対で、2,3は拒否可能です2,3は拒否ったらよかったしかも、下山して、プレハブ式簡易トイレで順番待ってて、わぃの番が来た瞬間、いきなり中国人男性に割り込まれて、ブチ切れて 「お前は列にも並べんのか 目ん玉ないんか お前のかぁちゃん、犯すぞ、このクソったれ」と、言うてドア蹴り上げたりました (普段はここまで怒らないけど、ついイライラしていたもんで)天池では、めっちゃイラつくことばっかりでした 今日のガイドや、割り込こんできたマナーなし漢族なんか、 ウイグルから出て行け思いました 天池はもう今後絶対行かないスポットの一つです 実は、ツアー中、天池のバス駐車広場にて、整理係りのウイグル人のおじいさんが、 私をウイグル人やと思って、わざわざ私の所まで来て挨拶しにきてくれたのに・・・(ウイグル語でしたが) ウイグル人が漢族よりも全然マナー・モラルがなってる思いましたツアーの最後、市内の玉石ショップ到着時、ダルかったので、ガイドに一言述べて、先にツアーから離れ、一人で開放南路のウイグル・タウンへ行きました 自分にとって、ウイグル人街は、落ち着きますわぁ ちなみに、まず初対面時はウイグル語で話しかけられます天池あいにくの天気でしたが、結婚写真の撮影をしていました 天池・・・ ウルムチから北東に約120km進んだ所にある天池は、モンゴル語で「聖なる山」を意味するボゴタ峰(標高5445m)の中腹、標高1980m地点にある湖で、その長さは約3400m、最大幅は約1500mに達する。半月形をしており、表面積は380平方km、最深部は105mにも達する。 この地は周の穆王の旅行を記した物語「穆天子伝」に、西王母と周の穆王が会見した場所として記載され、古くから景勝地として知られていた。
2008年07月17日
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私がウルムチ滞在中、毎日のように通った、アイスクリーム屋です阿吾拉力アイスクリーム屋
2008年07月16日
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トルファン1日ツアーに参加後、時計を見ると19時半ウルムチへ帰ることにしましたウルムチへ帰ろうと思い、お世話になった、旅行社へ顔出しに行くと、黒タクに乗っていけよと誘われました値段は65元でもうすぐ出発するとのことウルムチまでの高速バスは32元なので、料金は2倍でも、宿泊予定のユースホステルまで送り届けてくれると言うし、(ウルムチのバスターミナルから宿まではタクシーで30元は最低かかりそうだし・・・)高速バスよりも早く着くというので、それに乗って帰ることにしました黒タクは普通の乗用車で、運ちゃんはウイグル人で、 客の中国人二人はバスターミナルまでで、 残り一人のウイグル人女性は家の近くまで、私はユースホステルまで送ってくれました 運ちゃん曰く、漢族が嫌いなんだそうです。だから中国人はバスターミナルまでしか送らないだそうです。「漢族は周りに敵を作る民族で、漢族を好きな民族は中国人だけ。逆に日本人はいろんな国や民族から好かれていて、日本人を嫌いなのは漢族だけ」って言ってましたまぁ多少リップサービスもあると思いましたが深くは聞きませんでしたが、おそらく昔、嫌な体験でもしたのでしょうか運ちゃんは、まだ30代前半で、学歴もあるみたいですし・・・。最後、運ちゃんと私だけになったとき、車内でサッカーのトルコ代表のDVDを見ました今年のユーロ2008はトルコ代表の奇跡的な試合がいくつもありましたしね02年の、日韓W杯で、日本はトルコに敗れましたもんねぇ ウイグル人とトルコ人は、同じテュルク系民族に属するそうです(私の顔もテュルク系なのかな)そういえば、仲良くしてもらった、旅行社に人たちに、私のウイグル名前をつけてもらいました「ムラチャン(muratjan)」ウイグル語で「願いが叶う」という意味なんだそうですなんか偶然にも、私の名字のニックネームみたいな感じで、速攻で気に入りましたそうそう、それと、私の顔はウイグルではイケメンの部類らしいです「ムラチャン」という名前で、ウイグル芸能界デビューしちゃおっかなぁ
2008年07月15日
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葡萄溝で遅めの昼食を食べて、再びスタートまずは、新疆イスラム建築様式を代表する塔「蘇公塔」へ行きました蘇公塔その次に、トルファンの生命線「カレーズ楽園」へカレーズここの海抜は70mだそうですそして最後に、高昌故城と双璧をなす城址遺跡「交河故城」へ行きました交河故城ほとんどの遺構が唐代のものだそうです。建築物は日干し煉瓦で作られていました。常時、ペットボトルの放せない、暑いツアーでしたが、トルファンをいろいろ知ることができて、とても良かったです運転手だったカハールさんも優しい人でしたてか、カハールの兄貴、女たらしなんですよね途中で、観光地で働いてる女の子を2回も車に乗せてあげたししかも、最後に「金はいらんよ」みたいなウイグル語を言ってましたし運転手のカハールさんとおまけ、ウイグル語&漢字で書かれたコカ・コーラ蘇公塔・・・ トルファン市街の南東2kmの所にある尖塔で、額敏塔とも呼ばれる。1779年にトルファン群王のスレイマンがその父オーミン・ホージャのために建てたもので、塔の横にはモスクがある。 高さ44mの円柱形の塔は、幾何学模様が掘り込まれたレンガで造られ、新疆イスラム建築様式を代表する。塔の中には72段の螺旋階段があるが、現在、塔本体が傾斜しているため、登ることはできない。カレーズ楽園・・・ シルクロードのオアシス都市は3るのタイプに分けられる。ひとつは河川の水を利用したオアシス(カシュガルやホータンなど)。もうひとつは湧き出る泉を利用したオアシス。最後がカレーズと呼ばれる地下水路を利用したオアシスで、トルファンはこのタイプを代表するオアシス都市だ。 カレーズとは地中に水を通す施設のことで、イランでは「カナート」と呼ばれる。交河故城・・・ トルファン市街地に西16km、2つの川が交わる高台にある城址遺跡で、車師前国の都であったともいわれている。 6世紀初頭の麹氏高昌国期には、ここに交河群城が築かれたが、現存する遺跡は唐代以降に建築されたもの。城壁はなく、南北に約1km、東西の幅が300mの長方形だ。
2008年07月15日
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交通賓館内の陽光旅行社にて手配してもらって、トルファン1日ツアーに参加しましたといっても、車をチャーターした形です中国人女性と私の二人とウイグル人運転手のカハールさんカハールさん、なんとなくこの中国人女性を嫌ってた日本人の私に対しては優しかった自分がウイグルに対して興味を示しているのもあったからかな出発前に、私は旅行社の人たちと会話していて、その時にカハールもいたからかなまぁでも、なんか一風変わった、中国人女性でしたまずは、吐峪溝へ行きましたここは、最近のおすすめスポットなんだそうです一般ウイグル人の生活の様子を垣間見ることができます吐峪溝その次に、玄装も訪れた高昌国城跡「高昌故城」へ行きました高昌故城バックに見えるのは火焔山玄装が仏教を講じた寺院跡その次には、ミイラが眠る墓地群「アスターナ古墓群」へそして、古代ウイグル人の文化を伝える、「ベゼクリク千仏洞」へ行きましたベゼクリク千仏洞その次に、西遊記に登場する燃える山「火焔山」へ本当に燃え盛ってるようでした火焔山途中、砂嵐と遭遇しましたそして、トルファンの避暑地「葡萄溝」にて昼食タイムラグメンと干し葡萄&果物高昌故城・・・ トルファン市街地の東約40kmの所にある城址遺跡。この地には漢代に高昌壁や高昌塁と呼ばれた砦が築かれ、前涼期には高昌群が置かれた後、麹氏高昌国から高昌ウイグル帝国にかけてのおよそ1000年の間、国都として繁栄した。 総面積はおよそ200万平方m、周囲は5kmに及ぶが、これは前涼から麹氏高昌国の間に形成されたものだ。城址は外城、内城、宮城、の3つから構成されているが、建築物の損壊は激しく、広大な土地に荒涼とした風景が広がる。 また、インドに仏典を求めて向かう途中、ここで高昌国の王・麹文泰に最高の待遇で迎えられて2ヶ月ほど滞在し、1ヶ月にわたり説法を行ったこともよく知られている。アスターナ古墓群・・・ カラ・ホージャ古墓群とも呼ばれるアスターナ古墓群は、トルファン市街地の南東36kmの所にある。「アスターナ」とはウイグル語で「首都」を意味する。 高昌国住民と唐代西州住民の墓地群で、墓室からは大量の絹製品、陶器、文書などが出土しており、壁画やミイラも残る。 ここにある全ての墓は、斜めの参道と地中にある墓室をもっており、平面的には「甲」字形をしているのが特徴。出土した資料によると、最古のものは273年。ベゼクリク千仏洞・・・ トルファンの北東38km、高昌故城まで22km、火焔山山中のムルトゥク河南岸にある有名な仏教石窟。「ベゼクリク」とはウイグル語で「装飾された家」を意味する。 石窟の開削は6世紀の麹氏高昌期から始まり、唐・五代十国・宋・元代と続けられた。最盛期は高昌ウイグル帝国がトルファンを支配していた9世紀中期。当時、彼らは仏教を信仰しており、この地は王族の寺院とされた。 ただ残念なことに、ベゼクリク千仏洞はイスラム教がトルファンに浸透するとともに破壊され、それを免れたものも清末にここを訪れた外国人探検隊によって剥ぎ取られてしまい、現在ではほんの一部分が残っているに過ぎない。火焔山・・・ トルファン盆地の中央部に横たわる東西約100km、南北10km、平均海抜500mの山地で、最も高い所は勝金口付近で851mに達する。地殻の褶曲運動によってひだの入った高い山肌は、夏場になると地表から立ち上がる陽炎によって燃えているように見え、火焔山と呼ばれるようになった。 この火焔山は、孫悟空が活躍する物語として日本でもなじみ深い「西遊記」にも登場する。燃え盛る火焔山に行く手を遮られた玄装一行が、その火を消すことができるという芭蕉扇手に入れるため、孫悟空がその持ち主である鉄扇公主と戦った話がそれだ。葡萄溝・・・ 葡萄溝は市街地の東北、火焔山の西にある南北8km、東西1~2kmの小さな渓谷で、一面ブドウ畑が広がっている。ここで栽培される種なし白葡萄は「馬の乳房」とも呼ばれ、とても有名。ブドウ畑を散策していると、豊かなオアシス都市を実感できる。
2008年07月15日
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トルファン地区バスセンター隣りの交通賓館のドミトリーに宿泊4人部屋で一人一泊25元(約375円)でした私の部屋はフランス人カップルと私の3人でした交通賓館トルファン市内。 塗りたてのアスファルトが更に暑さを感じさせます青年路のブドウ棚(この下を通るときは、涼しかったです)ウルムチを中心に展開している、ファーストフード百富ハンバーガー(best food hamburger)トルファンの農貿市場で2元(約30円)でナンを買いました晩御飯の羊肉串と涼粉
2008年07月14日
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本日は、世界有数の低地にあるオアシス都市のトルファンへ移動トルファンは中国の四大激暑都市の一つだそうですウルムチの南郊バスターミナルから、高速バスに乗って約3時間でトルファンに到着しましたリュックをバスのトランクに収納したあと、バスのトランクの扉に頭をモロにぶつけて痛かったっすしかもそれをちょうど上の車内から女の子が目撃していて、私が車内にきたとき、お母さんにヒソヒソ告げてて、その子のお母さんがウイグル語で話しかけてきてくれましたが、「頭、大丈夫だった」と聞いてくれたんでしょうウイグル語全然わからなかったので、笑顔で答えておきました途中のサービスエリアで停車して、降車するときも通路頭上のテレビに頭ぶつけましたまた走行中、隣りの席に座ってた、カシュガル出身の男性に簡単なウイグル語を教わりました(余談ですが、通路挟んで座ってた、その男性の彼女がめっちゃウイグル美人でした)無事にトルファンに到着しましたが、いやぁ~ホントにトルファン暑いドライヤーの熱風を体全体で受けてる感じでした南郊バスターミナルウルムチ→トルファンの高速バス大海原に思えてしまったのは私だけでしょうか塩湖トルファン地区バスセンタートルファン・・・ ウルムチの東183kmにあるトルファンは、世界でも有数の低地であるトルファン盆地の中央部に位置する町。総面積は1万3690平方km、人口は26万人を擁する。 古くはシルクロードの天山南路と天山北路を連絡する要衝として栄え、現在でも鉄道の蘭新線と南疆線の分岐点となるなど地理的重要性は変わっていない。トルファンの夏の気候は、高温で感想していて風が強い。最高気温は46℃(参考までに冬の最低気温は-28℃)を記録しており、特に7月中旬から8月中旬までは酷暑が続く。火州とも呼ばれるゆえんだ。年間降水量が20mmほどしかないため、非常に乾燥しており、夏の日中でも日陰にいれば比較的過ごしやすい。 5~7世紀には漢族の移民によって高昌国が建設され繁栄を極めた。それから唐の直接支配を経て、ウイグル人が西ウイグル王国を建国すると、ベゼクリク千仏洞を代表とする高度な文化が出現し、トルファンは最盛期を迎えた。
2008年07月14日
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午前中、宿にてしばし休憩し、その後は、ウイグル族が多く住むエリアに行きました二道橋市場国際大バザールご覧の通り、新疆ウイグル自治区では、看板等の広告は漢字とウイグル語表記ですケンタッキーもご覧の通り解放南路寺院
2008年07月13日
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嘉峪関駅を夜の21:34分発のT193次にて、新疆ウイグル自治区の省都・ウルムチへウルムチは世界で最も内陸に位置する都市として知られています嘉峪関駅T193次列車は、湖北省の漢口が始発で、終点のウルムチまで約40時間かかります走行距離は3539km(嘉峪関~ウルムチは1122km)停車駅は、漢口孝感信陽駐馬店西平累河許昌鄭州洛陽三門峡西安宝鶏天水蘭州武威金昌張液清水嘉峪関柳園ハミピチャントルファンウルムチ(新疆ウイグル自治区の駅はカタカナで表記しました)今回は、軟臥に乗車しました2段ベットで4人一部屋で仕切られるタイプです私は下段ベットで、上段は同じく嘉峪関から乗車してトルファンで下車した中国人中年男性。向かいの下段はハミで下車したおばあちゃんで、上段はウルムチ出身で武漢で学生生活を送っている大学生でした。なかなか快適な旅でした私が乗り込んできたときは、皆、私をウイグル人だと思っていたそうです朝になると車窓からの風景も見れて、とても感動しましたアジア最大規模の風力発電所だそうですそして列車は、定刻の9:50分に、ウルムチ駅に到着しましたT193次T193次の機関車ウルムチ駅ウルムチ・・・ 世界で最も内陸に位置する都市として知られているウルムチは、省としては中国最大の面積を持つ新疆ウイグル自治区の省都で、同自治区の政治・経済・文化の中心地となっている。総面積は1万902平方km、人口は185万人。漢族、ウイグル族、カザフ族、モンゴル族、回族など42の民族が暮らしている。 ウルムチは、ほかの新疆ウイグル自治区内の都市と同じく、内陸性乾燥気候のため、気温の年較差・日較差が激しい。夏場は日中の気温が30℃を超えるが、冬場には-20℃まで下がる。1日の気温の差も20℃程度は普通。また、年間を通じて晴天が多く降水量は少ないが、周囲には万年雪を頂く高峰が連なるため、ウルムチ河等四大水系など雪解け水を水源とする河川が多く、乾燥地帯にもかかわらず水不足とは縁がない。 この地域は、古くは遊牧民族の支配下にあったが、前漢代に西域都護府が設置され、初めて中国王朝の支配下に入った。その後は、中国王朝の勢力が弱まるたびに遊牧民族が領土を奪い返し独立国家を建国するという歴史が繰り返された。 ウルムチの語源は、モンゴル語や古代サカ語(紀元前にシルクロードエリアを支配していたイラン系民族)であるとか、現在でも諸説紛々としている。このことからもウルムチの歴史の古さをうかがい知ることができる。 もっともウルムチが本当の都市として歴史を持つのは、明代になってモンゴル族オイラーと部が築城してからになる。清代になると、清朝政府は多くの満州八旗兵をウルムチに駐屯させ、ウルムチを新疆支配の中心地とした。特に19世紀にロシア帝国が東進してくると、対ロシアの軍事拠点としてさらに重要視され、町も発展を遂げた。 その後、清末から中華民国にかけては、国内の混乱や諸外国の侵入によって混乱を極め、町は停滞縮小してしまったが、中華人民共和国建国後は再び中国西域地区の拠点として開発が進められ、飛躍的な発展を遂げた。
2008年07月12日
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朝から、事前に敦煌の旅行社で予約していた、嘉峪関1日ツアーに参加といっても、車をチャーターしてもらっただけですがまず、嘉峪関へその次に、万里第一敦へ行きました渓谷の左上が長城の終点です。午後からは、懸壁長城へ行きましたらくだの銅像がありました。でも意味不明でした嘉峪関・・・ 河北省を端を発する万里の長城は、北京郊外の八達嶺を越え黄土高原を経て、西端にある関所・嘉峪関にたどり着く。万里の長城というと、秦の始皇帝を思い浮かべる人は多いが、ここ嘉峪関のそれは明代(1372年着工)のものだ。万里第一敦・・・ 嘉峪関から南に延びる長城は北大河の絶壁で途絶える。つまり、ここが長城の正真正銘の終点だ。また、逆にいえば出発地ともいえるので、ここにある敦(物見台)は、天下第一敦とも呼ばれている。黄土の渓谷をはさんでみる祁連山の眺めも素晴らしい。懸壁長城・・・ 嘉峪関の北東8kmに位置する、峻険な山を駆け上がるように造られた長城。まるで鉄壁を空に引っかけたように見えることからこの名がある。当初、明代に築かれたときの全長は1.5kmあったというが、1987年に整備されたのは500mで、そのうちの231mは山の斜面に築かれている。この部分の傾斜角はなんと約45度にも達し、頂上にたどりつくまでに30分はかかるが、頂上からの景色はすばらしい。
2008年07月12日
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敦煌駅を19:25分発の蘭州行き、N858次に乗車し、嘉峪関へ敦煌駅 最近できた駅です。 駅前のロータリーを工事中でした(夜の19時半なのにまだこの明るさ)N858次は、走行距離1133km(敦煌→嘉峪関は363km)停車駅は、敦煌瓜州疏勒河嘉峪関酒泉張液金昌武威武威南蘭州嘉峪関には23:55分に到着しました硬座(ベンチシート)で、上海、無錫、常州からのツアーのおばちゃんらと相席になり、ずっと会話してましたN858次の機関車
2008年07月11日
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敦煌でお世話になった料理屋、敦煌料理店~旅人の家~敦煌料理屋のHP敦煌に着いた初日の夜、鳴沙山から戻ってきて、ホテルへ帰る前に、どこかで食事しようと入ったのがこのお店です店の主である、隋さんは日本語が堪能いろんな日本人旅行者と知り合えることもできましたここで食べた料理&ビールもおいしかったです親子丼&ロバ肉の和え物ロバ肉麺敦煌料理店とは全然関係ないんですが、ツアーの昼食で台湾人学生カップルと一緒に食べた牛肉面
2008年07月11日
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本日は、敦煌西路線コース1日ツアーに参加しましたたまたま同じワゴン車に日本人でT大学院生の方がいて、いろいろ会話しましたツアーは、まず先に倣宋古城へ。でも、おもろくなさそうなので、入場せずに、駐車場付近で、その日本人の方と時間潰してました次に、漢朝の西端にあった関所「玉門関」へ行きました玉門関玉門関からの眺めその次は、大砂漠中の風食地形「ヤルダン地質公園」へ行きました映画「英雄 HERO」のロケ地になって一躍脚光を浴びたスポットらしいです孔雀艦隊出海その次は、唐詩にも詠まれた関所跡「陽関」へ陽関陽関からの芒洋な眺め玉門関・・・ 漢代はここが国家の権力が及ぶ西端であり、ここから先に行くのが本当の西域に足を踏み入れることだった。西域に汗血馬を求めて遠征した将軍・李広利が戦いに敗れ、ほうほうの体で玉門関にたどりついたとき、怒った漢の武帝が玉門関を閉じて彼らを入れさせなかった史話は有名。ヤルダン地質公園・・・ 通称は魔鬼城。玉門関から西へ約85kmにあるヤルダン地形(風化土堆群)で、東西25km、南北2kmにわたって風化した岩の奇怪な景色が広がっている。古代のシルクロードでは敦煌から楼蘭へ行くにはこのあたりを通過したため、この奇景を「魔鬼(悪鬼)が住む城」と恐れたに違いない。 この魔鬼城が近年一躍有名になったのは、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の映画「英雄-HERO-」のロケ地となったこと。奇岩には「スフィンクス」、「孔雀」などの名前がつけられており、特に砂漠中に船のような形の巨岩が並ぶ「艦隊出海」は壮観。陽関・・・ 唐の詩人・王維の詩に「西、陽関を出ずれば故人無からん」と詠われた古代の重要な関所跡といわれている。 現在では漢代のものといわれる烽火台が高台の上に朽ち果てた姿で残っているだけだが、そこから芒洋たる風景を目にすると、かつてのシルクロードの歴史を思わずにはいられない。
2008年07月11日
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本日は、「鳴沙山・莫高窟1日ツアー」に参加しましたこの二つには、市内からバスでも行けるので、別に参加しなくてもよかったと後で思いましたまぁ復旦大学&台湾学生カップルとかにも知り合えたし、ツアーでも、まぁ良かったと思います午前中は、鳴沙山へあいにくの曇り空でちょっと残念でしたまぁその分、涼しかったですけど初めてラクダに乗りましたラクダは5頭が紐で繋がってて、それで一組ですなぜか私が先頭のラクダに騎乗しましたラクダに騎乗する時に、手すりに自分のキ○タマをぶつけ、周りからちょっとした人気者私が乗ったラクダ君ツアーで知り合った台湾人の学生カップルとそして、竹でできたソリに乗って下まで、降りました私は重いので、早く進むと思いきや、逆に重みで砂にめりこみ、自分の手で漕がないと進みませんでした午後からは、莫高窟へ公開(参観)されている石窟は決められていて、また石窟内は撮影禁止でした各石窟ごとに鍵がかけられてあり、厳重に保存されています莫高窟莫高窟のシンボル・九層楼莫高窟・・・ 莫高窟は市内の南東約29kmに位置し、鳴沙山東端の断崖に開削された大規模な石窟で、敦煌観光のメインスポットである。伝説によると、366年に楽尊という僧によって造営が始められたとされる。 敦煌は漢民族はもちろんチベット族やモンゴル族などのさまざまな民族によって支配されたが、どの時代においても石窟の造営は続けられた。今は我々が各時代の石窟をすばらしい保存状態で見ることができるのは、敦煌が極めて乾燥した土地にあることと仏教勢力下にあったため大規模な破壊を受けずにすんだことが挙げられる。新疆ウイグル自治区の石窟が、後に進出してきたイスラム教勢力によって大きな損傷を受けたこととは対照的である。ただし今世紀初頭には、日本も含めた列強諸国によって、敦煌の文書や絵画、さらに壁画や塑像の一部までもが海外に持ち出されるなど、破壊から完全に免れたわけではない。
2008年07月10日
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20時を過ぎて、郊外にある、鳴沙山に行くことにしましたこちらは、21時を過ぎてから、だんたん空が暗くなっていきますなので20時頃(北京時間)は、まだ夕方といったところでしょうか敦煌市と大分県の臼杵市は友好交流都市なんですねぇ入口に石碑が建ってました徳島県もいつかこんな石碑建たないかなぁ・・・入場ゲートをくぐってすぐに。私が訪れる数日前に、敦煌では聖火リレーが行われたみたいですなので、オリンピックムードの余韻がありました夕刻の月牙泉鳴沙山、月牙泉・・・ 敦煌の南約5kmに位置し、東西約40km、南北50kmにわたる広大な砂の峰、それが鳴沙山だ。シルクロードといえば、月の砂漠を歩む隊商というイメージを抱く人が多いと思うが、それに一番近い風景を体験できる場所といえるだろう。実際にラクダに乗って観光することもできる。 さて、鳴沙山に名は、ある一定の条件下で砂山を人が滑り降りると地響きのような音をたてることに由来する。この砂をよく見ると、赤、黄、緑、白、黒の5色あり、太陽の角度や天候によって砂山全体がさまざまな姿を見せてくれる。特に風が生み出した鋭角の砂丘にできる日向と日陰のコントラストがすばらしい。 もう一つのポイントである月牙泉は、鳴沙山の谷あいに湧く三日月形の泉で、東西200m、幅は一番広いところで50mあり、深さは平均で5m。漢代から遊覧地として知られる。どんなときも枯れたことがないという泉のほとりには楼閣が復元されていて登ることができる。
2008年07月09日
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ホテル到着後、荷物を置いて、敦煌市内散策へ出ました街自体はそんなに大きくないので、歩いて周れる距離でした初日だけ宿泊した、 莫高賓館(なんと当日宿泊予約者の名前が掲示板に流れていました)オリンピックマスコットの炎を表す、ファンファンは敦煌が故郷らしいですいくつもの個人屋台。夜には夜市に変身市政府近くの道のロータリー市場のおばちゃん&犬も暑さでぐったり
2008年07月09日
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今夏の旅行は、シルクロードの旅をすることにしました灼熱の暑さの中でダイエット&日焼けも兼ねて早朝のフライトにて、敦煌へ近所から出ている、空港行きエアポートバスに乗車して、6:25分頃に空港に到着すると、中国国際航空(CA)国内線カウンターは、朝の出発ラッシュでめっちゃ込んでいましたなんとか搭乗手続きを済ますと、7:10分から機内への案内がスタート急いで3階の安全検査場に行くと、そこも人でいっぱいしかも航空券には、搭乗時刻の20分前にはゲートの締め切りと書いてあるし結局、7:10分に安全検査をパスし、そしてダッシュで搭乗口へさすが、世界最大級のターミナルめっちゃ広い、しかも敦煌行きは登場ゲートの一番奥息切れしまくりでしたが何とか、間に合いました約3時間のフライトで無事、敦煌空港へ降り立ちました風があり、また乾燥しているのでさわやかでしたが、日差しがめっちゃ強く感じられました敦煌空港にてCA1287便 機材はB737-800でした提供された機内食 洋食or中華の朝食があり、洋食をセレクト上空にて。 緑からすぐの砂漠地帯が鳴沙山です敦煌空港敦煌・・・ 沙州と呼ばれた敦煌は、その名のとおり、広大な砂漠に囲まれている。 敦煌は甘粛省の西端に位置するオアシス都市で、漢の武帝が紀元前111年に置いた河西四郡のうちのひとつ。漢代には西域に対する最前列の軍事拠点として重要な役割を担った。しかし、この地に中原漢族王朝の政権の力が及ばなくなると、すぐさま吐藩、西夏などの異民族国家に占領されるなど、興亡の歴史を何度も経験している。だが、敦煌は誰が支配者になろうとも、東西の人々が行き交い、彼らがもたらす文化が花開いたシルクロードの交差点でありつづけた。 なお、現在の敦煌の町は清代にできたもので、古代の敦煌とは違う場所にある。総面積は2万6960平方kmで人口は14万人。
2008年07月09日
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晩飯は、「柚子」という日本料理屋で食べましたここは190元の食べ放題でしたメニューに料金をかいていますが、190元の上限を超えると、それ以上は課金しないシステムなんだそうです簡単に言えば、190元分以上食べればモトが取れるということで食べまくりましたここの店の雰囲気もよく、服務員の態度も、料理の味もおいしくて、とても良い上海での晩餐を食べることが出来ました食後は、上海虹橋空港へ上海浦東空港は利用したことがありますが、虹橋空港は初めてです上海(虹橋)空港は、国内線専用で、現在、羽田~虹橋間のシャトル便も運航されています虹橋空港到着後、上海~北京快速線カウンターへ(上海~北京間は、中国の航空会社数社合同でシャトル便運航です)どの便も、最低1時間は遅れが出ているとのこと本来なら、21:55分発のCA1550便に搭乗予定でしたが、CA(中国国際航空)の一つ早い、21:05分発のCA1856便・北京行きに変更してくれましたしかも、CA1856便は、B777機エアチャイナのボーイング777に搭乗するのは初めて窓側を希望しましたが、残念ながら真ん中しか席がないとのこと・・・座席は46Fで、2-5-2シートのホントに真ん中でしたしかし、そのCA1856便も遅れが出ていて、22:10に搭乗開始し、北京に到着したのは、0:15分でしたしかもエプロンの端に駐機し、バスにてターミナルへ最後の方で降り立ったので、一番最後のバスに乗車しましたが、パイロットや客室乗務員の専用バスが先に出発していきました(そんなすぐに乗務員が飛行機から離れていっていいものなんでしょうか)B777-200おまけ上海で見つけた、日本のコンビニローソンファミリーマート
2008年07月06日
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友人宅で1泊して、本日は朝から、江南第一の水郷古鎮「周庄」へ行ってきました上海体育場内の上海旅遊集散中心からの観光バスに乗車し、周庄へ向かいました往復のバス代と入場券がセットで140元(約2100円)でしたこの日も、猛烈に暑かったです正直な感想は、思っていたほど、大したことなかったですなんか期待外れというか、ショボかったです完全に観光地化されていましたが、「周庄」独特の雰囲気というのが、あまり感じられませんでした周庄と全然関係ない土産屋とかがあり謎でしたしかも、某お寺に入ると、入場券に含まれていてタダだからと線香3本渡され、いざ、線香を立てようとしたら、前の仏殿内で立てろと言われ、仏殿内に入ったのですが、どこにもたてるとこがなく、いきなり全然仏教と関係ない普通の服装したおっさんが、お祈りをしろと言い、その後、おみくじを引けと言われ・・・「これ、完全に有料やろ、無料やったらおみくじ引くわ」と言うと、案の定、金取るとの事なんか仏殿内に入れ、いう時点でなんか怪しかったんですよね結局、火のついた線香を彼らに渡して、文句言いながら出てきましたこ~いうのがあるから、中国の観光地って嫌なんですよねどこの観光地もこんな感じで似たり寄ったり・・・同じ古鎮で比べるなら、全然、雲南の麗江がよかったです暑いし、あんま大したこともなく、帰りは16:20分のバスでしたが、14:30のバスで帰ることにしました行きのバス内で、16時以外のバスにも乗車できると聞いたのに、14:30分のバスの運転手が切符を見るなり、「ノー」の一点張り「行きのバスの運転手が何時のでも乗れると言ってた」と詰め寄ると、「空席が出たら乗せてやってもいい」この運転手にめっちゃムカつきましたせめて初めからそう言えば、いいものを、ノーしか言わんし・・・結局、14:30分のバスは空席がでまくりで、余裕で乗れました周庄へは、もう行くことはないと思いますもし、また次、行くとしたら周庄以外の水郷古鎮へ行こうと思いましたこの猛暑で猫もバテてました漁業街なので猫が多いみたいです、猫がシンボルマークになってました周庄・・・ 上海の西約70kmの位置にある、江南六鎮のなかでも900年以上の歴史を誇る江南水郷の第一の名勝。東洋のベニスといわれ、13世紀の元の時代に大富豪であった藩万山が運河を引いてきたのが村の始まりという。運河は村内を井の字に走り、その上に多くの古橋がかかる。そのなかに元・明・清代に建造された橋が14ヶ所あり、1000近くある住宅のうち明・清代に建てられたものが6割もある。
2008年07月06日
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幸せな結婚式へ参加した後は、一路上海へ語言大学時代の友人二人が現在、上海で働いていて、その二人の所へ遊びに無錫駅無錫から、動車組(中国版新幹線)に乗車しましたちょうど無錫から上海まで約1時間1等席に乗車しました。47元(約705円)D433次に乗車しました。南京が始発で走行距離は301km停車駅は、南京鎮江常州無錫蘇州昆山上海ホームに入ってくる、当車両を見て、これは、日本の新幹線「はやて」をベースにしたCRH2ではと、思いました(間違ってたらゴメンなさい)CRHの先頭車両CRHの胴体部分車内の電光掲示板に表示されてた現在速度連結部分
2008年07月05日
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無錫にて、知人の結婚式に参加しました私が語言大学へ留学していた時の、クラスメートですと、言っても年齢は私よりも○歳上の方です新婦さんは山東省出身の方で、大学時代は日本語専攻だったそうで、日本語はペラペラですお二人は現在、無錫で働いているので、無錫にて結婚式を挙げることにしたそうです式はアットホームな感じで、また日本と中国との結婚式の違いを勉強しました日本だと、ほぼ事前の段取り通りに進み、新郎・新婦もただ順番にこなしていくだけって感じですが、中国では、新郎・新婦がいろいろ当日でも準備に追われるといった感じでしょうか出席者も、決まったドレスコードもなく、スーツを着ている男性は全員日本人でした開始時刻は11:08分スタートでしたが、出席者はバラバラに来て、食事食べて、食後は気がついたら、もう帰ったいたという感じでした堅苦しい日本式か、自由で楽な中国式か、といった感じでしょうか両方とも、メリット・デメリットがあるので、何とも申し上げにくいですが、やはり、私としては、もし自分が式をあげるとしたら、日本式が似合ってるかな・・・(って、式あげるかどうかもわからないし、全然予定もないですけど)さて、話を戻しまして、お二人の幸せを心からお祈り申し上げます新郎と一緒に新郎新婦と一緒に新婦と新婦のお父さん
2008年07月05日
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語言大学留学時、同じクラスメートだった日本人の方の結婚式に参加するため、夜行列車にて無錫へ行きました無錫へ行くのは今回が初めてですオリンピック開催を控え、北京駅では、駅名看板に、新たに英語表記が付け加わっていました北京駅駅舎に入ってすぐに、ここ最近の北京の名物雨いつも決まって18時頃に雷と激しい人工雨が降りますなんとか、大雨が降る前に駅舎に入れて良かった20:14分発の、上海行き、T109次列車に乗車し、無錫へ向かいました今回は、軟臥(2段ベッド)の下段で、無錫まで、458元(6870円)でしたT109次列車は、走行距離1463km停車駅は、北京徐州常州無錫上海無錫には、8:05分頃に到着しました無錫駅の4番線プラットホーム
2008年07月04日
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夜、北京ダックで有名な「上縁坊」にて、先輩の卒業晩餐会をしましたご近所に住んでる、同じ鹿児島出身の先輩です。私の兄貴的存在ですその方と、ルームメイトの先輩のご両親が、先輩の卒業式に合わせて、北京に起こしになられてて、この夜は、先輩と先輩のご両親、先輩と同じ日本人クラスメートそして私と、合計12名で食事をしました上縁坊さんにて、フカヒレスープと紹興酒をいただきましたおいしかったです二人の先輩のご両親に奢って頂きました、ごちそうさまでしたまた、これとは別に、上縁坊にてカヌーで鹿児島から中国(山東省・日照市)入りされた、鹿児島出身の方での出会いもありましたこれには自分もビックリしました話を戻して、晩餐会ではいろいろ笑い話が飛び出しおもしろかったですいつも近所でお世話になってる二人の先輩を始め、出席されてた4人の先輩の皆さま卒業おめでとうございますまた、9月からも頑張ってください~時間があったらまたメシ行きましょう~~
2008年07月03日
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午前中、大山子の798芸術区に行きましたでも、あまりの暑さで、ただ歩くだけなのにヘトヘト(35℃越えてたらしいですね)なので午前中で帰ってきました昼飯は、タイ料理「ThaiThai(泰泰)」で食べました(記憶の中では・・・)北京で初めて食べる本格的なタイ料理北京で食べる、ThaiThaiで食べる、タイ料理、おいしかったです値段は二人で285元(4275円)と、お高かったですけど、料理がおいしかったので、ということでまた、いつか来たいですね次はいつかな・・・
2008年07月03日
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