こしゃくな読書

こしゃくな読書

あつあつを召し上がれ


小川 糸 (著)
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 「ご飯食べて行きなさいね、とか、そういうのなしで

普通にご飯が出てくるのがスゴイ!!」

と、先日遊びに来ていた友だちが感動していたという。


 三女が友達を連れてくるのは、保育園時代からしょっちゅうで、

そのころから、おやつやごはんなど、時間帯によって

“普通に”食卓にならべてきた。



 小学校と中学校では吹奏楽をやっていたので、大会の前の

“まきんち合宿“(まき=三女)はしょっちゅうだった。

三女は友だちが家出しても拾ってくるわけで、

ネグレストに近い形でいつもお腹をすかせていた子などは

ご飯のときだけ必ず来ていた。

“娘増量中”の期間はそうでない日より多いかもしれない。


 三女が一歳になってすぐ社会復帰した。

長女も次女も専業主婦の母親と、幼稚園の行き帰りも

野原に寄ってシロツメグサの冠を作って遊んで育った事を思えば、

本当に不憫だと思った。


 せめてもの償いに、三女が連れてくる友だちには

うちの娘たちと同じようにおいしいものを一緒に作ったり

一緒に食べたりして、家族同様に接してきた。

そんなことで許されることではないけれど。と心で詫びながら。



 しかし、傍目からには、とても恵まれた家庭のお子さんが

「手作りのから揚げは初めて食べた」と言って、

三人前も平らげたり、


“母親の鑑”とも言われる方のお子さんが

「もう、疲れちゃった、毎日コンビニ弁当だし」と言って、

塾をサボって我が家に来て、夕餉の支度を手伝ってくれたり、



そんなこんなを経験するうちに、私は思った。




人間は、温かな食卓を囲む相手さえいれば、

そんなに不幸にはならないものかもしれない。



 一番貧乏だった苦学生時代も、

ルームシェアしていた同居人のお弁当もついでに作っていたが、

そのお弁当に入っている卵焼きを、同居人の同級生、

海外から来ている外語大の学生たちが

毎日とても楽しみにしてくれていると聞いて、

本当に嬉しかった。



 食とは、原点なのかもしれない。

食の記憶…それは何よりも深く刻まれるのかもしれない。

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