ヤクルトのお風呂

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フリードリッヒ・ヴィルヘルム



プロイセン(プロシア)の国の人。(プロイセンとは、今のドイツ北部にあった国で近代ドイツの統一の牽引役となった国)

※ちなみに、このプロイセンという国には「フリードリッヒ・ヴィルヘルム」という王やら皇帝やらがたくさん出てくるが、ここでは一番有名といえるであろう、このフリードリッヒについて書こうと思う。

よく 「フリードリッヒ大王」 として紹介されている人である。ネット検索でも「フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世」と引くよりは「フリードリッヒ大王」と引いたほうが、彼についてはよくヒットする。

彼は啓蒙専制君主で、「君主は国家の第一の僕(しもべ)」という政治姿勢。1740年に、大王が即位したのち、ヨーゼフ2世の母、マリア=テレジア女帝のハプスブルク帝国と争い、領地を奪った。また、彼は信教の自由を認め、産業を育成し、司法の改革、福祉の向上などの政策を行っていく。その一方、彼は軍事にも力を入れる。外国人も将軍に任命することのあったこの時代、軍隊を自国民のみで構成させた。そのころの軍隊といえば、独立性の強い傭兵部隊。30年戦争(1618~1648)では、ドイツ国内は荒廃しきった。なので、正規軍を率いる将軍たちを選抜し鍛えるために、士官学校を創設。先代の王、フリードリッヒ・ヴィルヘルムが、1704年に原型を作った。イギリスでは1747年、フランスでは1776年に作っているので、プロイセンはかなり先取りしている。また、国内主要拠点に製粉所・パン焼き場などをつくり、兵站を整備したりもした。そして、ポーランド分割などを行い、プロイセンをヨーロッパの強国に育て上げた。
 そんな彼には、芸術家の一面もあった。ただ、彼の父は芸術嫌いで二人の間はうまく行かなかったようだ。「大王は母の実家・イギリスに亡命しようとしますが発覚し、目の前で付き従った友人を惨殺されるという・・・。」というような話もあるくらい。大王は、フランスの文芸家ヴォルテールに師事。この人物の影響で、大王は啓蒙君主となった。彼はフルートが大好きで、自分で作曲もしたりした。今でも、演奏されることがあるようだ。(NHK交響楽団などでも、演奏されている)J.S.バッハの息子の息子、エマニュエル・バッハが、彼のお抱え音楽家だった。

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