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『マンダロリアン』シーズン2を完走。
そこには、中学生の頃の私が夢見た「最強」の姿と、大人になった今の私が感じる「構造の不自由さ」が、見事なコントラストで描かれていた。
「伝説」のデバッグ:ボバとルーク
今シーズン最大の衝撃は、二人のレジェンドの再登場だ。
まずはボバ・フェット。旧三部作ではルークにあっけなく穴に落とされた彼だが、今作での暴れっぷりはどうだ。かつての敗北は「ルークというシステムが強すぎた」だけのバグだったのかと思わせるほど、物理的な強さが際立っていた。
そしてラストのルーク。デジタル技術で復元された「あの頃の姿」は、もはや神話の降臨。世代を超えた「最強」を同時に観測できる喜びは、何物にも代えがたい。
「思考の大枠」に縛られる人々
物語の核心に触れる「ダークセイバー」を巡るやり取りを見て、私はふと西欧の古典を読んでいる時のような感覚に陥った。
ヘルメットを脱ぐことを厭わないボ=カターンたちでさえ、「決闘で勝ち取らなければならない」という古い教義(システム)に縛られ、身動きが取れなくなっている。
これは一神教的な「思考の大枠」が決められている世界の不自由さだ。一度その枠組み(OS)をインストールしてしまうと、どんなに合理的に振る舞おうとしても、大枠のロジックからはみ出すことができない。
職場のエイリアンと「教義」
この視点は、現実の人間関係にも転用できる。
職場で出会う「種族の違う人々」も、実は彼らなりの「絶対に外せない掟(マニュアルや固定観念)」に縛られているだけなのかもしれない。
彼らを「理解不能なエイリアン」として突き放すのではなく、「どの教義(バグ)に支配されているのか」を観測することで、こちらのマネジメントの解像度も上がる気がしている。
物語は、ボバ・フェットの単独シリーズ、そしてマンダロリアンとしての「新しい道」へと続く。
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