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2016年12月10日
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創作短編:恩師の東町先生

 魯迅の小説「藤野先生」には「どういう訳か私はやはり頻繁にあの方のことを思い出す。私が師と思った人の中で、私が最も感激し、私を励ましてくださったおひとりだ」とあるが、もし内川さんが、魯迅にとっての藤野先生に当たる恩師がいるとすればどなたかと問われれば、即座に東町先生のお名前を挙げるであろう。

 内川さんが東町先生にもう何年ご連絡を差し上げていないだろうか。先生から電話があり、ある書店から出版されることになった講座本の第4巻への執筆依頼があり、辞退に辞退を申し上げた挙句に引き受けてしまい、遅れに遅らせたため原稿執筆に何度も繰り返し電話でご催促をいただいたにもかかわらず、なんだかんだと理由を付けて出稿を遅らせに遅らせ、やっとなんとかまさにお粗末な拙稿を書店に送って以来のことだから、もう16年以上経つことになるだろう。

 東町先生との出会いは、内川さんが大学4年生のときのことであった。彼は歴史を学びたいと一浪して第一志望大学を受験したにもかかわらず失敗し、予備校で英語の成績が他の受験科目のなかで一番よかったことから第二志望校として母校となった大学を受験して合格し、その大学で学ぶことになったのである。

 内川さんは、入学当初から大学院で歴史関係のことを学びたいと思い続けていた。しかし、四年生になったとき、同級生たちが私服姿から学生服姿(当時のリクルート姿)に着替えて学内を歩く姿を見掛けるようになり、さらに誰それがどこそこの企業に内定が決まったとの話がつぎつぎと耳に入るようになり、大学院への進学を依然として考えていた彼は、学問的なことは西も東もなにも分からずただ焦るばかりであった。

 そんなとき、内川さんが中国近代史の授業を受けていた東町先生のその授業内容に大いに興味をそそられたこともあり、思い切って大学院進学についてご相談申し上げたのである。

 東町先生は「大学院に進学するなら乞食になる覚悟が必要だよ」とおっしったが、怖いもの知らずの若い内川さんはそのとき「はい、その覚悟です」と即答したものである。そうして東町先生から繁畑敦先生という17世紀中頃の中国経済史研究をしておられる新進気鋭の方がおられ、この先生が勤務しておられる大学の大学院で研究方法を学んだらいいのではないかとアドバイスを受けることができたのである。

 内川さんは東町先生からは大学院進学のことみならず進学後も大変お世話になり、いろいろな研究会に参加させてもらい、また論文投稿や書籍原稿執筆に力を貸していただいた。内川さんが勤務するようになった短大で1989年から海外留学が可能となったとき、彼は東町先生に留学先について相談に乗ってもらい、1989年夏より1年間に渡って上海の復旦大学に留学することになった。しかし、同年6月4日に天安門事件が起こり、中国で混乱が続くかもしれぬとの情報もあり、気の弱い彼は留学を急遽中止してしまったのである。

 それだけではない、内川さんがその頃に研究対象にしていたのは、人民日報記者で政治の民主化の必要性を鋭く主張していた劉賓雁氏だったが、当時アメリカに留学していた劉賓雁氏がそのままアメリカに亡命し、中国国内での活動が不可能となってしまったのである。



 こんな不肖の弟子であるが、彼はいまも東町先生から受けたご恩は忘れられないでいる。いまでもよく先生のことを思い出す。彼はよくこう思う、先生が彼にかけて下さったご期待やお教えは、小にしては、卒業を目前にしながらも進路に迷っている一人の受講生のためであり、大にしては学術のためであり、つまり先生の後継者を育てることにあったろうと。そんなことを思うと、こんな言い訳がましい文章を書いていることに彼はただ恥じ入るばかりであった。






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最終更新日  2016年12月13日 20時51分28秒
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