まえがき



 思えば16歳で初めて兄に連れていってもらった谷川岳マチガ沢東南稜の登山から40数年が過ぎ去った。
ふり返れば、山は今までの私を支えてくれた宗教にも通じる神々の場であったのかも知れない。社会逃避、生、死、絶望、希望、忍耐、人生の途上で多く遭遇する現象を「山」という道場で学べたことは何より幸せだった。
 10代の燃ゆる思い、20代での挫折と社会生活の容認、30代での仕事への傾注。40代になってからの新しい自然とのかかわり・・・。日常生活の辛苦を超えられる支えとしていつもあの「山」へ向かった心が私の後ろで支えてくれた。

 ここに私の「軌跡」としてまとめることは、40有余年の人生を支えてくれた山、自然への感謝を現し、これから残された歳月に「何をすべきか?」の手がかりを確認するためでもある。
収録した粗末な山行記録は、仲間にいつも「記録を残せ!」といっていた自分なのに、残念ながら今となってその多くを保管の悪さで紛失してしまい残ったものを集めただけで取り返しはつかない。たとえ思い出をたぐって今書いてみても、当時の感情表現は不可能で軌跡としての意味はない。なんとしても残念である。

 40数億年の地球の歴史、数億年の生物の歴史、数万年の人類の歴史から見れば、星のまたたきにも満たない己の命の時間内に「山と自然」に多く触れることのできた私は幸せ者だと思う。
生き物のほんの一部にすぎない人間が、まるで地球上の君主であるかのような錯覚に陥り、人口爆発、自然・環境の汚染と破壊、人類の戦いを繰り返している。科学と情報から隔離された別世界にそっと住むことはできないが、自然と戯れる時間だけでも「生き物としての自分」でいたいものだ。

 この手記の後半を占める記録は、41歳のとき、病での「三途の川」を渡らずに戻ってしまった私が、風、雲、霧。森林、緑、花、雪と岩を挑む対象から「生活の原点」として自然に接してきた記録で、若い日の登山と形も思想も変えているが、自然への畏敬と感謝の心に変わりはない。年老いただけである。

 これからも無能な自分を励ましながら、残された時間の「軌跡」を悔いのないように辿っていきたい。

平成16年3月31日

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