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平安神宮の通りに車を止めて夕方から夜に刻々と移る空の色を見た。来ないメールを 待つだけの贅沢な時間。
2006年03月31日
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瞬間は、たとえば、今、ビールを飲みほしたとか、駅から東に向かって歩き出したところというような言葉で伝達され、計画は、今週末は美術館ですとか、明日は会いましょうというような言葉で伝達される。瞬間は、今。計画は、未来。
2006年03月31日
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名残惜しそうな雪にふくらむのを戸惑っている桜を見た。そして、誰かの笑顔の陰に見えない不安のかたちを見た。
2006年03月30日
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「暗くして!」と彼女はささやく。そろそろ消えなくてはいけないと、光は思う。「暗いとあなたの表情も見えない」と男が言う。導く光がかすかに揺れる。
2006年03月30日
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アトリエに来る途中に、Mという酒屋で、店員さんと話して、伊佐泉という麦芋焼酎を買った。ちょっと兼八みたいな味わい。芋っぽい香りもあり、おいしい。アトリエには沈丁花のよい香り。花の咲いているうちに一度、来てください。
2006年03月29日
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高速道路で車を運転しながら、眠気覚ましにCDにあわせて歌を歌った。いつも歌いや すい高さで歌ってしまうけれど、CDのキーにあわせて歌ってみた。ところどころで声 が裏返って、頭がくらくらした。
2006年03月28日
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夜中にのどが乾いて目がさめた。なにか良くない夢を見た。不安で眠れない夜には、 どこかでだれかが眠れない夜をすごしているのだと思う。
2006年03月27日
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義理の兄がもどったぶどう園をひさしぶりに訪れた。母屋から離れへの通路やトイレ への廊下の照明が自動点滅になっていた。古い農家が全自動のマンションのような機 能で改築されつつあった。動くと点灯して田舎屋が光にてらされる。時間が経過する と闇に沈む。
2006年03月26日
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京都駅の美術館にポーラ美術館所蔵の印象派の作品展を見に行った。モネの瞬間の空気を捕らえる力がよい。ルノアールのにじんだような風景も悪くない。今日はセーターが余計に思われた。光が穏やかすぎて、なんでもない瞬間に心臓の裏側がざわざわする。もし、こんな瞬間に自分が女性なら、思いっきり我がままを言おう。厳しい言葉で激しく相手を攻め立てよう。相手にはちゃんと話を聞いてもらいたい。曖昧に聞き流されたり、おどおどされたり、へんに御機嫌をとられたくもない。思いっきり我がままを言ってすっきりしたい。そして、相手が怒りだしそうな瞬間をとらえて、さっきはゴメンねといい子になろう。いい子になって、可愛いところもあるなと思われて、もっともっと、すっきりした気持ちになろう。自分が女性になったところを想像したら、自分が女性でなくてよかったなと思えてきた。
2006年03月25日
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昨日、京都近代美術館で「ドイツの表現主義の彫刻家エルンスト・バルバラ」展を見た。頭を抱えて不安そうに座り込む「心配する女」という作品が印象に残った。この展覧会からどのように女性像と男性像を選んで組み合わせても、幸せなカップルはつくれそうにない。倫理を求めながら感情を凝縮すると表現主義の火薬が爆発する。
2006年03月24日
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彼女は待ち合わせの場所で待機する車のドアをあけた。 「何考えてたの」 「本当に10分しか会えないとしたらどうしようかなと考えてた」 「5分だけだったら」 「君を彼の家まで送る時間もないね」・・・ もし、小説を書く人が友達なら自分の日常はどのように描写されるのだろうと考えた ことがある。逆に私のことを小説にしてみてと見つめられたこともあった。 高校生のころ、少しだけ小説のようなものを書いてみようと試みた。彼女を見失った 男が、彼女を探す話。よく憶えてはいないけれど、彼女を探すために男が橋から飛び 込んで川を泳いだりする無意味であり得ないストーリー。そのお話の結末で彼女がど うなったかどうしても思い出せない。
2006年03月23日
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触れられたくないことを聞かれたら、反論したり、慌てたりせずに、 「あなたはどうなの?教えて!」と聞きかえしてみる。 できるだけ事実をまげないで、言いたくないところだけを会話から外す。 そして、危険な話題にはとどまらないようにする。 「さすがに年期が入ってる。マイスター!ね」 「何のマイスター」 「さあ」 「嘘つきマイスター?」 「それはよくない。アリバイ・マイスター」 「?」
2006年03月22日
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いつもの時間と待ち合わせた母を車中で一時間待って、お彼岸のお墓参りに出かけた。 読みかけの小説を閉じて、今ついたばかりと嘘をつく贅沢な一瞬。
2006年03月21日
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緑を見て目を閉じると補色の赤が残像として見える。幸せな時に目を閉じると反対に不安な気持ちが心に残る。不安や憂鬱に何故か無意識に安堵している自分がいる。
2006年03月21日
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たくさんのものを愛する私が、たくさんのものを愛するあなたに出会い、あなただけ を見つめる時間をかけがえのないものだと感じる。どうして人は複数のものを愛する のだろう。ある人を100パーセントで好きになっても、100パーセントの愛によって、 私にはなにができるのだろう。私と同じようにたくさんのものを愛するあなたを受け 入れなければ、私は愛を摘み取る人になる。
2006年03月21日
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ひさしぶりに夢をよく見る。海岸線の波打ち際に立って、強い霊の力を感じている夢。 いろんなテレパシーが一時に集中して届くので、うまく解読できない。死んだ人と生 きている人の想念が混線する。
2006年03月20日
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夜の高速バスで京都まで帰るつもりでいたが、昼の高速バスに乗ることにした。 雲に隠れた富士山、静岡あたりの水平線、強い風の浜名湖、雪の関ヶ原。うとうとし ながら目覚めるたびにいろんな風景が見えた。 忙しい人から昨日、祖母が亡くなったと言う電話が入った。亡くなった人は心の中に 生き続けて、いつでもあなたを護ってくれる。
2006年03月19日
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朝のアメ横を散歩した。上野の森美術館のVOCA展と国立西洋美術館のロダンとカリエールの展覧会を見た。谷中霊園を抜けたところにある画廊でMくんの個展も見た。午後は銀座に向かい、APSという画廊で柴川さんの個展を見た。2000年後に化石になった現在が発掘されるという設定の作品。いくつかの個展を見て、最後に、なじみのギャラリーQを覗いた。オーナーはあいにくドイツに出張中で、御子息が留守を守っていた。私がオーナー宅に泊まった頃には彼はまだ子どもだったのに、人の成長は早い。宿にもどる前に、南千住駅前の大坪屋という居酒屋に立ち寄った。テレビの大相撲の中継にお店のフラメンコでも踊りそうなお姉さんが、お相撲さんにも事情があるのよとテンポ良く相づちを飛ばす。そんなお姉さんにケーキなど差し入れるおじさんもいる。チューハイを2杯、おでん3品、牛煮込みにぶつぎりをいただいて1000円ちょうどだった。ほろ酔い気分で、泪橋付近を歩き回って、スーパーで缶チューハイを1本買った。
2006年03月18日
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直観ギャラリーで知り合ったインテリアコーディネーターがつないでくれた銀座のギャラリーへの挨拶、友人の個展のオープニングなどが重なったので、思い立って東京に行くことにした。午前中は京都で雑用。お昼は多忙な人を誘って祇園の山ひさでお惣菜の定食を食べた。そのままリュックひとつで、のぞみに乗って東京にむかった。資生堂ギャラリーで椿の木彫を見て、すどう美術館で館長と話し、最後に芝くんの個展のオープニングに滑り込んだ。モダンのダンサーが彼の作品のために踊った。二次会に参加。となりになったある画家に、若い頃にダメ男と付き合っている女に熱烈に求婚したがふられてしまった話を聞いた。こういう場合、経済力や生活の安定などなんの魅力にもならない。それがトラウマだと彼は言った。安定が嫌なら、壊せばいい。安定を望みつつも、いつも自分を不安定な状況に導く性の人もいる。南千住に宿をとった。一泊、3300円。このあたりの相場は、冷暖房完備、テレビ付きで一泊、2200円なので、少し、高級。テレビにはエッチなプログラムも無料で入る。
2006年03月17日
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何が美しいか感覚で知っている人。計算高いところがない人。おおらかで細かいことは気にしない人。笑顔のうつくしい人。そして、助けてあげたくなる人。
2006年03月16日
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天王寺の美術館で開催中のある団体展に出品されているS先生の絵を見に行った。先生は、人が安らぐ場所であると同時に権力の象徴でもある椅子をテーマに制作をつづけている。毎年、S先生の絵を見るためだけに天王寺の美術館に足を運ぶ。展覧会を見た後に天王寺公園のベンチに座って焼き立てのパンを食べた。私も、高校生の頃、この美術館で開催されてる高校展に出品したことがある。今でもそのつたない絵をはっきりと思い出すことができる。噴水が光と空気を混ぜ合わせながら静寂と追憶を破った。ずいぶんと遠くまで来たような気持ちになった。遠くに通天閣が見えた。風が少し暖かく感じられた。
2006年03月15日
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ホワイトデーには、無造作に一番美味しいトリュフのチョコレート。がさがさと袋から出して、はい、どうぞと、実は一番の愛を込めて。
2006年03月14日
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大学を出た頃、受験のデッサン教室をはじめた。今は後輩に引き継いだが、彼等が教えた学生が大阪で個展を開くというので見に行った。展覧会の二次会は、そこのギャラリーのオーナーのいきつけの中華料理屋。心や身体が感じていることを言葉に置き換えると感覚が増幅されるというようなどうでもよい話で盛り上がった。
2006年03月13日
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プレゼントを探しに、デパートやショッピングモールへ出かけた。 酒屋さんも覗いて焼酎や泡盛を物色する。焼酎もワインも小さな醸造所ががんばって いるところがよい。ひとつの会社がすべての生産量つくっているようなお酒がもしあ るとしたらと考えるだけで窮屈な気持ちになる。 夕刻、京都のSギャラリーの常設コーナーに小品を4点搬入した。
2006年03月12日
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今日は、心地よい疲労感を感じながら、よく眠り、よく働き、夜にはアトリエに出かけた。かすかに感じる良い薫りは気のはやい沈丁花の開花。少しづつ春に傾く。
2006年03月11日
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昨夜は遅くなったので舞鶴の道の駅で車中泊した。霧雨で寒さはやわらいだ。道の駅のちらし寿司にとれとれセンターのお刺身をのせて海鮮ちらしにして食べた。いくつかの仕事をこなし最後の仕事にむかう時に、制服の男が飛び出してきて旗をふった。すこし飛ばし過ぎたようだ。事故する前に捕まえてもらって良かったと言うことにしようと自分を納得させた。制服の男はみんながそう言ってくれたらいいんだけれどと言って笑った。最後の仕事には、なんとか間に合った。その後、あやべ温泉に立ち寄って気分転換。2泊3日で、本日、帰宅。
2006年03月10日
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ひなびた名湯、曲水温泉に立ち寄った。偶然見つけた仏蘭西懐石の店でお昼を食べた。 庭に小さな能舞台があった。丁寧なもてなしと料理で落ち着いた時間をすごした。 午後には、湯涌温泉に立ち寄った。ここはかつて竹久夢二が最愛の彦乃とかけがえの ない時間を過ごした温泉。ゆっくりしたい気持ちを振り切って、次の日の仕事のため に車で移動。鯖江あたりで蕎麦を食べて、あたりの暗くなった敦賀、美浜、小浜、大 飯、高浜を抜けて舞鶴へ。
2006年03月09日
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片山津温泉と粟津温泉に立ち寄った。温泉は楽しい。 強い湯があれば、やさしい湯もある。 金沢の回転寿司を探検し、安い宿に泊まり、夜は居酒屋へ。 私と一緒に何処かに出かけると楽しいよと誰かを誘ってみようかな。 おかしい私もあれば、真剣な私もある。
2006年03月08日
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印象派のよい画家の作品を見ると、見えたものに肉迫するために技法や表現があるこ とがわかる。印象派のように描こうとした同時代の画家からは見る気迫が感じられな い。印象派に限らず、たくさんの画家の作品がならべられる展覧会では画家の画力の ちがいが歴然とわかって恐い。
2006年03月07日
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朝刊に久美浜の原発の計画撤退の記事があった。この決定には久美浜町が京丹後市に併合されたことが追い風になった。行政も意見が一色にならない規模が適正らしい。とりあえずはお気に入りの小天橋や琴引きの近くの原発計画が中止になってほっとした。チェルノブイリの原発事故のあと原子力関係の本を一気にたくさん読んだけれど、政治家や科学者には、原子力の平和利用よりも原子力からの安全な撤退の方策を考えて欲しい。
2006年03月06日
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私のステップワゴンのセールス担当者だったMさんが、この3月に本社勤務になり、今 日、休日を返上して、挨拶に見えた。Mさんは、昔、大学で物理を研究していたが、 車が好きが高じて物理学者を止めて車屋さんになった。Mさんの趣味は、学会誌の熟 読とオーディオとオーブンカー。もし大学にしがみついていたら一生好きなことは出 来なかっただろうとMさんは言う。
2006年03月05日
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デパートで修理するような上等な靴ではないけれど、まだ、捨てがたい靴がある。気 に入って履いて、踵がすり減ってしまった靴。アトリエにそんな靴を持ち込んで修理 してみた。昔とくらべると接着剤も進化していたので、思ったよりもうまく出来上がっ た。修理できた靴を靴墨で丁寧に磨くと重く光る。ちょっと英国気分。そして、もの を大切にした祖父の時代にタイムスリップ。
2006年03月04日
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直観ギャラリーで戌年生まれ女性の個展を見た。戌年生まれだと言うので、私よりひとまわり下?と言ったら、直観オーナーに酔っぱらってるの?と叱られた。若く見えたけれど、私よりはひとまわりお姉さんだったみたい。彼女が描いたのは、ある女性に恋して地上で生活を始めた天使の絵。天使の幸せは長くは続かず、太ってしまって女性に逃げられると言う。普通の天使はなぜか人を惹きつけるけれど、捨てられる天使というのが気に入った。
2006年03月03日
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文豪のラブレターが身近に感じられた。(『恋の手紙 愛の手紙』半村一利著 文春新書)誰もが文豪の恋よりも自分の恋の方がずっとドラマチックだと思うのかもしれない。少なくとも恋愛に文才は関係なく、人が平等に純粋になれるチャンスだ。あの斉藤茂吉だって、なぜこんなにいい女體なのですかと愛しい女弟子に書き送っていたのだもの。
2006年03月02日
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西の夜空に光の爪痕。多忙な一日の陰影を踏んで。
2006年03月01日
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