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「道の駅かや」にて車中泊。朝食は、天橋立の見えるレストランで鯛茶漬け。仕事を 片付けてから、天橋立温泉智恵の湯に立ち寄り、そのまま京都にむかった。夕方には アトリエに戻り、夜は制作。
2006年08月31日
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明日、午前中に天橋立近くで、仕事がある。明日の朝はやくに出発するのもよいけれ ど、これから夜のドライブを楽しむことにした。行けるところまで走って、どこかに 車を停めてシュラフで眠る。目がさめたら立ち寄り温泉にでも入ってから、仕事にか かろう。
2006年08月30日
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京都近代美術館で富本憲吉展を見た。かたちがよいから、模様が生きていると思った。 富本は、「模様から模様を造らず」を信念にした。
2006年08月30日
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夕方、テレビを見ていたら、夏バテは、脳の疲れだと言う。なんとなく仕事が手につ かないのも、脳の疲れらしい。眠っても解消されない慢性の疲労感を感じる人が増え ているらしい。 今日は、気になっていた作品写真のデータの整理に手をつけた。これを放っておいて は、本当はプレゼンもちゃんとできない。 夜は、アトリエに出た。音楽をかけて、絵の具を絞り出したら、頭の中で、コトンと 音がした。詰まっていたものがとれて、どうしようかなと迷っていた作品が少し進ん だ。
2006年08月29日
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写真を撮るときの、定番は「ハイ!チーズ」 もうひとつは、「いち・タス・いち・は?」「にー」というパターン。 これを何度もくりかえすと退屈してくるので、「にー」と答えた後に、 「正解!」とか「大正解!」と返すことにした。みんなが「にー」と言ったときに、 「正解!」というと本当にうれしそうな表情になる。 「次はむずかしい問題。かけ算いきます。」「に・かける・いち・は?」 答えは、当然、「にー」で!、「大正解!」
2006年08月27日
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大阪の画廊をまわった。絵の具の塊をどすんとキャンバスにぶつけた絵。四角の中の十字架が積み重なったような絵。のこぎりで自分の長い黒髪を削り続ける7分間のMさんの映像作品。海岸通りの画廊では「STAIRS」という若い作家のグループ展。このグループ展を企画したOさんは、ときどき美術が展示される場所でお会いしていた女性だった。この展覧会は、今まで彼女が見てきたものや出会ってきたことの蓄積。よい展覧会だと思った。人の髪の毛から醤油をつくる作品が印象に残った。
2006年08月26日
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現代彫刻家のある男は、心を病んだ女を愛した。男は、結婚を望んだが、女は、男の もとを去った。環境音楽の仕事をしているある男は、絶世の美人のフランスの女と結 婚して一児をもうけたが、別れて、日本人の若い女性のマンションに転がり込んで暮 らした。エキセントリックな女と付き合っている男を見るとそれだけで一目置いてし まう。爆弾を抱えて生きる男。気紛れな罵倒に踏み止まっている様は美しい。
2006年08月25日
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車での「大地の芸術祭」ツアーからの帰道。昨夜は、上越から金沢まで海沿いの国道 を走った。朝、山代温泉総湯に立ち寄った。鯖江からは高速。仲間を送りながら、最 後に遠くから同行した、赤福さんを関空まで送った。赤福さんは、今年も家族へのお みやげに、「赤福」を買った。仲間を送り届けた後、ひとりで車を運転する。お疲れ さまメールや楽しかったメールが運転中の携帯に届いた。
2006年08月24日
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新潟まで来たのだから、夕食は新鮮な海の幸を使ったフレンチかイタリアンだと車を 走らせた。諦めかけた頃に、上越の国道の1本裏の通りにイタリアンを発見。下見に 入ると氷の上に魚介類が見えた。夕食はここに決定!スルメイカと内臓とトマトのパ スタ、白身魚を生ハムで包んでレモン味で仕上げたもの。ピザも不思議なほど味に広 がりがあって、美味しかった。店主が料理の説明もして注文をとり、料理人にイタリ ア語で伝えた。ここは「LA PACIOCCONE」というお店。南青山にも支店があると言う。 対応してくれたタカナミさんが店主で社長。こんなおいしいスルメイカびっくりしま せんか?とタカナミさんに言ったら、子どものころから食べていますからと答えた。
2006年08月23日
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夜、ビールを呑みながら、しりとりをした。ルールは、エッチな言葉。二人がダメだしをするとその言葉は認められない。同じ言葉でも言い方も重要。直球が、ダメだしされたり、意外な言葉がエッチに響いたりした。
2006年08月22日
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「大地の芸術祭」。3年に一度の開催で、今回が、3度目。300点以上の作品が山里に点在している。何箇所か見て面白くなければ、後は温泉にでも行こうとエリアに入ったが、最初に見たのが場所に密着したよい作品で、期待していなかっただけに感動した。地図を見ながら次々と作品を探し当てる。細い道マニアの私としては、作品を探してのドライブだけでも来た甲斐があった。
2006年08月21日
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やっと地蔵盆の後片付けが終わった。夕方にはバーベキュウ。子どもも大人も楽しん だ。 明日、早朝の出発で、新潟の「大地の芸術祭」見学ツアーに行く。なぜか携帯メール のアドレスを教えてくれない参加メンバーとも連絡がとれた。彼の携帯アドレスは、 たぶん彼女の名前か何かなのだろう。そんなアドレスは人には教えにくい。
2006年08月20日
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京都では、地蔵盆。町内のお地蔵さんを水で洗う。一年の顔が流れて消えて、子どもたちが新しい顔を描く。
2006年08月19日
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一日から何かを選んで言葉にすると別の人格が生まれる。選んだことと感じたことが、 一日を象徴すればよい。一日が散漫で言葉がまとまらないと少し時間をおいてみる。 その日のことよりも過去のことばかり、思い出される日もあれば、遠足の前の晩のよ うに、明日のことばかり考えて眠れない日もある。
2006年08月18日
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アトリエのコンクリートの床にはいろんな色が飛び散る。それが重なってグレーの落 ち着いた色になった。思いついて、床の半分を階段のようなかたちに茶色のペンキで 塗った。アトリエの床が絵になった。
2006年08月18日
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行方不明になっていた美術の先生が見つかった。針灸師をしているMくんの所へ、マッ サージをして欲しいと連絡が入って、少し前に、新しいお住まいがわかった。誰にも 知らさず転居されたが、居場所は思いのほか近くだった。紫から先生訪問を誘われた けれど、残念ながらキャンプで欠席した。 紫から、Mくんとお盆に先生の所を訪ねたというメールを貰った。 先生の新居は2階建てアパートの1階、広めのきれいな部屋で、水彩画を描いたり、 書を書いたり、近所の65歳のおばさんとビールをのんだりしているという。 前の日にテレビで舞踊家ピナ・バウシュを見て、東京くらいなら見に行きたいと言っ ておられたらしい。紫は先生に、美術についてメモでもいいから、感じたこ と考えたことを、この先、30年自分の言葉で書きためてごらんと言われた。30年つづ ければ、すごいなと思った。私も初心にかえって、何かはじめてみようかな。
2006年08月17日
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二泊三日のキャンプの間、誰からもメールも来なければ、こちらからも送らなかった。携帯の着信もなかった。誰かのことを想わないわけではない。
2006年08月16日
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小麦粉とイーストを混ぜ合わせて発酵させ、フライパンに油をひきパンを焼いて、昨 夜のバーベキュウの残りの材料でカレーをつくった。クーラーボックスからよく冷え たビールを取り出して、ぜいたくな昼食。
2006年08月15日
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今年、はじめての海に来た。松林のなかのキャンプ場にテントを張った。ほとんどの人が大きな音で音楽をかけない、花火もしない、誰もが静かに語り、はやくに眠る。夕方に音楽好きのキャンパーのとなりから、海をのぞむ場所にテントを移した。波の音が聴こえた。夕陽が水平線に沈むとき、目の奥に金色の光がとどいた。
2006年08月14日
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何を書くかも大切だけれど、何を書くべきではないかということが、それ以上に問題になる。書くことのできる日記よりも、書くことの出来ない日常の方にアクシデントが詰め込まれているものだ。もし、あなたが今日の出来事をすべて正直に書いたとしたら、だれも本当のことだとは思わないだろう。そんな不可思議な日常をすべての人は生きている。
2006年08月13日
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夕方、ある人のことを考えながら車を走らせた。そして、自分は何者なのかと考えた。私は何か大切な使命を与えられて、ここにいるのだけれど、その使命を忘れてしまっているのかもしれないと考えてみた。「使命感を忘れた夏」の一日は短い。
2006年08月12日
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ある人とは、なんとなく連絡が疎遠になって知らぬ間に別れた。また、別のある人とは、もう会わないと言われて別れた。わかりやすい失恋もあれば、どうなっているのかわからない失恋もある。
2006年08月11日
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乱暴に触れたのではわからかいかたちを見つけるために、触れたか触れないかわからならないほどにやさしく触れてみる。時間をかけて、かたちが震えるように立ち上がってくるのを待つ。
2006年08月10日
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男と女はどちらがメロメロになりやすいのでしょうか。女性にはいろいろな気持ちよさがあるという。いくら言葉で説明されてもよくわからない。冷蔵庫で冷やした赤ワイン呑んだ。ワインを呑まない人からいただいたもの。冷やしてもよい薫りが立ち上がっていたので、よいワインだったのかもしれない。好きになられたほうよりも好きになってしまった方が、メロメロになりやすいという傾向があるように思う。意外にも言葉の力でメロメロになってしまうことも多い。
2006年08月04日
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新聞に女性を軟禁して、暴力を加え、御主人様と呼ばせて、栄養失調にさせていた男 の記事があった。人の自由を踏みにじったこういう「調教」はいただけない。むしろ 自分の趣味で鞭で打たれている男の方がよいと思ってしまう。ならば、女性を手作り のおいしい料理とすばらしいセックスでメロメロにして、幸せな気持ちで縛りつける という暴力はどうだろう。そして、女性は、あなたのことをどれほど好きかわかって ないでしょうとか、あなた以外の男はダメと切ない気持ちで苦しむ。こんな暴力。変 なこと考えてゴメンなさい。
2006年08月02日
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はるか昔、高校生の頃だったか、夏の音のレコードを買ったことがある。タイトルも 忘れた。朝のせせらぎらしき音に虫の声が重なって、虫の大合唱になる。編集された せいか、編集されなかったせいか、うるさいほどに虫の声が重なる。録音された瞬間 に音は現実と別のものになるのだとひどくがっかりした。目は見たいものに焦点をあ わせるが、耳も聴きたい音だけを選択することに気づいた。 夏になる。ある日、突然、せみの声に気づく日が来る。そして、いつかせみの声が聞 こえないことに気づく。 夏休みになると、田舎の祖父の家に泊まりにいった。夕刻まで外で遊ぶといつも決まっ て同じ音楽が流れた。もう帰りなさいと言う音楽を自然の音のように聴いていた。と ても懐かしい音階でいやな印象はなかった。 自然音が使われたCDやいやし系?の環境音楽に手を出してしまうときがある。少し気 持ちが弱っているときかもしれない。しかし、聴きはじめるとすぐに落ち着かなくなっ て、聴くのを止めてしまう。ミニマル音楽や初期のシンセサイザーの音楽にはそんな 感じはないので、それらは似ていても別の音楽なのだろう。 夏の寝苦しい夜には、寝苦しい音が通低音のように響いているのが聴こえる。 キャンプのバーベキュウの後の夜の空と星の音は心地よい。 夏の音について、考えるとだらだらといろんな音が思い出される。
2006年08月01日
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