ケンドー・カシン


覆面を被る前から、ずっと、見てきた。
早稲田大学在学時アマレスで無敵だったものの、オリンピック予選でまさかの敗退。決して順風満帆なスポーツ歴ではない。
若手時代の彼に僕が目を惹かれたのは、地味なレスリングとマスコミ嫌い。
普通、若手レスラーあるもの、インタビューは喜んで受けるものだが、彼はまったく受けないである。
テレビインタビューでは、他の若手がインタビューに快く受けているにもかかわらず、彼は練習中、リングに近づくアナウンサーに向かい、練習の邪魔だと言わんばかりに、手でシッシとやってのけた。


kasin




当時の彼は派手な空中殺法や投げ技を使わず、寝技が主で玄人好みのレスラーであった。特に、グラウンドで上の相手を三角締めに仕留めるのは、今でこそ、格闘技のセオリーであるが、当時の技のおもちゃ箱的プロレスからすれば地味で異様でかつ、僕には斬新であった。
その中でも、ローリングクレイドルという、忘れ去られたよきプロレス技を取り入れるあたりが、彼のセンスを感じさせられた。

僕の中の彼のベストバウトは、96年ヤングライオン杯決勝(東京体育館)での永田戦である。
予選リーグ全勝で勝ち上がってきた、磐石の大本命、永田裕司との試合。ゴングと同時に必殺技の飛びつき逆十字が決まる。あわやの秒殺勝利かと思われた。だが、ロープブレークで逃げられた。僕の見方とすれば、いきなりスペシウム光線を出したウルトラマンみたいなもので、「惜敗」という文字が頭に浮かんだ…。試合は防戦一方で、グロッキー状態から永田のダメ押しドラゴンスープレックス!!…(思い出しただけで感涙してしまう!)
誰もがダメだと思った瞬間、僕は「勝った!」と同時に思った。彼はスルリと交わし、 ビクトル式飛びつき逆十字固め !!!!


「プロレスは芸術品」とはライガーが言った言葉だが、正しくふさわしい試合だった。(誰かビデオあったら連絡ください。)

実はドラマは試合後なのだ。優勝賞金の大きなボードを彼は割った。そして、半分をリング下にいる、永田に投げつけたのだ。半分コである。
これは、後々、彼がどういう人なのかがわかる僕にとっての重要なキーポイントになった。



ISHI&NAGATA




ヤングライオン杯優勝ということで彼は海外遠征のキップを手に入れた。行き先はドイツ。何の因果か、僕はたまたまヨーロッパ旅行中で、彼をブレーメンまで追いかけた。夕方、彼は誰も観客も選手もいない中、リング上で黙々とトレーニングをしていた。ヨーロッパまでひょっこりやってきたファンということで、いろいろ彼はしゃべってくれた。「プロレス週刊誌の記事はマンガだと思ってください。」「インタビューで、グレイシーとやりたいなんて、一度も言ってない。」彼はマスコミが大嫌いな理由をいっぱいしゃべってくれた。

カシン&ヤスタカ
(日付は後日サインしてくれた日)


そうなのだ。彼は、まったく、マスコミに対しまともな回答をしてないのだ。いつも、からかい半分でインタビューを受けていた。

ドイツでは、彼の得意の関節技も使わずに、伸び伸びと試合をしていた。フットスタンプ、後ろ回し蹴りからのフィッシャーマンスープレックスといった、日本では見られない彼がそこにはいた。彼はプロレスを楽しんでいた。

僕との会話の中で、彼は「プロレスはお仕事です。新日本プロレスに就職しました。プロレスやってなきゃ、教師をやっていました。」と言ったことを今でも覚えている。しかし、今も彼がそう思っているかどうかは定かではない。

凱旋帰国の試合では、山崎一夫相手にマウントから掌底突きをくり返し、ファンにはまったく意味のわからない試合をした。僕もわからなかった。

99年のベスト・オブ・ザ・スーパーJrで彼は、また進化を遂げるのであった。ライガー、大谷、金本、サムライ、ワグナーJrという強豪を押し退けて、彼は順当に決勝に進んで行くのであった。
彼は予選リーグ途中、「俺が勝つことによって世界の困ってる人が助かる。こんな世のため人のためになるやつはいない」 とコメント。そして、本当に優勝し、賞金ボードをテレビのアナウンサーに投げ付け、「代わりにな、換金して寄付しといて。ネコババすんなよ!(どこに寄付するんですか?)コソボだよ!コソボ!」と言った!
この人は本当に優しい人なんだなぁと確信した瞬間である。

なぜ、この人にひかれたのかわかり、また、ファンであってよかったと本当に思った。


話は前後するが、95年、新日本プロレスとUWFインターとの団体全面対抗戦が東京ドームで行われ、会場も選手も緊張の中、オープニングマッチで彼は永田とのタッグで今は時の人となった、桜庭&金原と戦い、桜庭から完全ギブアップを奪っている。このときも、本当に感動した。

2000年になると、世は格闘技ブーム。ガチンコでは潜在能力は高いと評価されていた、ケンドー・カシンに注目があたる。そして、グレーシー一族のハイアンとの一戦が決まった。しかも、素顔の彼としての出場。彼の試合前の記者会見の模様。

PRIDE LOGO

(対戦相手のハイアン・グレイシーについてはどれくらいご存知ですか?)
「どれぐらいも何も知らない」

(これから研究されたり、データを集めたりとか・・・。)
「アナタが研究して下さい。それで俺に教えて下さい」

(かなり(ハイアンの)性格は狂暴だということで・・・。)
「だから知らないって」

(PRIDE参戦の動機を改めて聞きたいんですが。)
「ちょっと今、思い浮かばないですね、すいません」

(これまでバーリ・トゥードに対するトレーニングなどはされてきたのでしょうか?それともこれから始める予定ですか?)
「そうですね。試合の前日ぐらいから始めようかなと」

(これからアメリカとか日本の他団体の道場などで練習する予定は?)
「多分そのまま何もしないで、前日に練習してやってみたいと思います」

何とも言えないマスコミ応対である。
彼は決して本音を語らない。
一貫したスタイルが本当のプロであると僕は思う。

残念ながら、ハイアン・グレーシーとの対戦は、あっという間に、パンチの乱打でスタンディングTKOで試合を止められ、いいとこ出す間もないまま、惜敗となった。

ハイアン1

試合に出ると決まってから1ヶ月もなく、彼はプロレスとは違うルールのリングに上がった。格闘技ファンしか、わからないかもしれないが、プロレスとPRIDEのルールは、囲碁とテニスぐらい違うのだ。プロレスラーは受身をマスターし、ケガをしない体を造る。でないと、年間200試合は無理である。(今でこそ100試合にはなったが。)まともに受けることによって、ケガをしないのである。投げ技で、受身をまともに取らなかったら、ケガをしやすいのは、わかりやすいと思う。腕を踏まれるのも、避けて端を踏まれるよりも、芯を踏ませた方が、ケガをしにくいのだ。蹴りも、胸板で受ける。これがプロレスラーである。その癖を抜くことは、プロレスのリングに上がりながらでは、とうてい難しい。

一年後、彼はハイアンと再戦をすることになる。

再戦に関しては会社の理解もあり、彼は3ヶ月近く、プロレスから離れた。
彼が本気になったら、すごい!そういう期待感が強まった。
そして、さいたまスーパーアリーナ 7月29日 再戦。あっとう的強さを見せ付けての勝利であった。彼の技術は素晴らしく向上していた。プロレスファンにとってはこの上ない喜びである。

そして、素顔の彼は本当に珍しく、試合後リング上でマイクを奪った。
「ひと言。ありがとう。それだけです。ありがとう」

勝利者インタビューでインタビュールームでは、カシンの覆面をつけて
「石澤は家に帰りました。あとはコーチに聞いて下さい」
と、とぼけて見せる姿は“プロ”そのものであった。

そして、カシンが新日本プロレスのリングへ帰ってきた。
IWGP Jr.のチャンピオンベルトは前田主催のリングスから参戦した、 成瀬 の腰に巻いてあった。東京ドームでカシンの挑戦が決まり、僕は胸を躍らせてドームへ向かった。

久々にカシンが観れる。そう思って僕は本当に楽しみしていた。
ところが…である。カシンのテーマが流れ、登場は…、すべての観客が目を疑った。そこには、素顔の石沢常光がPRIDE用のオープンフィンガーグローブをつけて、格闘技戦モードで入場したのだ。だれもが、「本気だ!」と思った。
緊張感が高まる中、ゴングは鳴った!

最初に攻めたのは、成瀬だった。いきなり成瀬の必殺技クレージーサイクロンが出て、石沢がダウンを奪われた。僕は、裏切られたと思った。圧倒的強さを見せ付けての勝利を疑わなかったので、石沢はファンの裏をかいて、プロレスをやろうとしているのだと思った。と思ったら、さらに裏切られた。一瞬で飛びつき逆十字を決めた!!そして、26秒で勝利とチャンピオンベルトを奪ったのだ!この日、東京ドームで最大の歓声が湧いた!(メインイベントではないのに。)

成瀬

僕は、入場から数分で彼に翻弄された。これが本当の“プロ”だと思った。

そして、ケンドー・カシンは、チャンピオンのまま、新日本プロレスを去った。
新天地、ジャイアント馬場創設の全日本プロレスへと移ったのだ。

その渦中で、彼はマスコミから姿を消した。
しかし…、しかしである。
なんの因果であろうか!?
僕がハワイへ旅行するJAL機中で、彼は僕の隣にいた!!
漫然とハワイ旅行を楽しんでいたのである。
僕もビックリだが、彼もドイツまで追っかけたファンが隣の座席とは本当に驚きである。
マスコミも知らない事実で、かつ、ここのページにしか書いていないであろう。

あれ、以来、僕は生で彼の試合は観ていない。
しかし、ケンドー・カシンは全日本プロレスでも、世界Jr.チャンピオンであり続けて、その歴史が続いている。
ブッチャーとタッグを組んだり、ハンセンからもらった認定書を破ったり、好き放題やり続けている。
全米のメジャー団体、WWEにも触手し、試合にも出場している。
本当に、すごいプロレスラーである。

最後に僕は信じている。
彼が再び、 獣神サンダーライガー 金本 ら新日本プロレスのレスラーと同じリングに上がることがある日を。
また、僕の期待をいい意味で裏切ってくれる彼を。

そして、今、彼は再び、全日本プロレスを無断欠場している。
ワクワクさせてくれるではないか!


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