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ウーの誕生・出産まで



午後2時41分・帝王切開にて出産。

そもそも、トラブルだらけの妊娠生活でした。

春先に、身体の異変に気づいて、市販の妊娠検査薬を試すとヒット!
まさかまさかという気分です。

私は思春期の頃から、婦人科へ通っていたほど、子宮のトラブルが多かったんです。ポリープ、筋腫もとってるし、生理不順と生理痛にも相当悩まされ
てきたし、10代の頃に、当時の診断では「妊娠できにくい」って言われてましたんで、皆が将来の夢を語るときも(結婚して、子ども○人産んで~♪のような)普通の女性っぽい目標はもたないよう心がけてました。

子どもができないって事は、結婚もできないかも知れませんし…。
その頃から、シビアに現実を受け止めるように努力してました。
両親も、私は結婚も出産もしないだろうと(できないだろうと)覚悟していたようです。

しかし、20代の半ばに一度、結婚しました。
でも、この結婚はうまくいかず、解散。
本当に一人で生きていくつもりで夢中に働きました。

そんな時に今の夫と出会い、すぐ一緒に暮らし始めました。
子どもの事は考えずに、籍を入れない状態の数年間が過ぎて、やっぱりこの人とは法律婚で「家族」になりたいなって思い、36歳で入籍。
ますます張り切って働いていた38歳での、初妊娠です。

本当に、ただただびっくりとしか言いようがありませんでした。
去年の春、結婚記念日にハワイへ行こう!という事ですっかり手配も済んで
いて、妊娠がわかった時にも、行けるのかな、こんなんで?って感じでした。

しかし、直後に「切迫流産」となり、一切の仕事をやめて自宅安静を言い渡されます。子宮の中にポリープがあるのもわかり、ずっと出血がとまりません。嫌な辞め方ですけど、不思議なことにお腹の胎児を守らなきゃって思いで、未練はまったくなかったです。

もちろんハワイもキャンセル代払って、おしまい。

かなり優秀な妊婦だったかも。
なんせ、おとなしくしてなきゃいけないんで、体も動かせないから、カロリー計算ちゃんとして、バランスよく食べていたし、本当にこの時は我慢して
じっとしてました。

妊娠5ヶ月になって、少しの間安定期らしいものを経験。
この間に、単発の仕事をこなしました。
朝早く、近所の公園を散歩したり、夫とよくおしゃべりもして、いい時期でした。ポリープは胎児のそばにあるから、とらない事にしました。

でも、また今度は「切迫早産」です。
夏の暑い盛りに、自宅安静の中でも、少しきびしくなり、シャワーの禁止令が出されました。トイレと洗面以外、ベッドで過ごす。家事も禁止。

いいように考えて、この間どれほど本を読んだ事か(笑)
家族や友人にせっせとご飯を運んでもらってました。多謝!!

そして、この頃から胎児は骨盤位(逆子)になってしまいました。
逆子体操もできませんし、寝る向きを変えても、同じように向くだけで…。
しかし、体内でよく動く我が子に安心していました。

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ところで、実はこの頃から、お腹の子はなんか「特別な」子どもかもなあという予感めいたものを感じ出すようになりました。

何度か、成長がゆっくりで、もうダメかもしれないって場面もあり、でも、しぶとく頑張ってくれている様子に、どんな子どもがやってきても大歓迎しないとなあって思えました。

マル高出産ですから、羊水検査の話、されるかなあって思ってました。
でも、私の産科医はクリスチャンですし、そういう検査はあるけど、希望するなら他の病院を紹介すると言われただけでした。

私は、全然やる気はなかったですし、今後もしません。
ヒトだって動物ですから、体内の「事故」ぐらい、あって当たり前です。
それは個人の特性であって、人工的に淘汰したりするものじゃないと考えているからです。そして、私は受け入れるだけの強さと責任を持っていると思ってますので、やりません。

でも、検査を必要とし、受けることで心身の状況をすこやかに保てるならばやってかまわないと思います。個々の自由です。

それに、この検査。
「ダウン症」の確率の参考になるのかも知れませんが、甘い甘い…。
世の中、まだまだ色んな症例がありますよ。
ダウン症なんて、メジャーな症候群ですから、まだ情報はたくさんあるし、仲間もたくさんいます。不必要に不安がらせる妊娠雑誌や書籍の記事に問題があるのでは?と私は思ってます。

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染色体異常のこと、先天性のあらゆる病気のこと、NICUのこと、いっぱい本やネットで情報収集しました。涙したこともありましたが、元来ポジティブでおめでたい私は、なんとかなるもんだと大いに力づけられ、ゆったり過ごせました。

さて、タクシーで検診に行った35週目。
子宮口が開いてますと言われ、そのまま入院でした。
夫も添乗中で留守。
自宅は風を通そうとベランダをあけたままです。
あっという間に車椅子に乗せられ、そのまんまの姿でウテメリンの点滴につながれていました。

実母に連絡し、鍵を渡して荷物を持ってきてもらいました。
家族もびっくりでしたが、病院にいる方がいざという時安心だからと、かえってホッとしたようです。

ここでは、ついにトイレまでポータブルでやらなくてはいけなくなりました。排泄の回数もきちんと記録します。
若くて可愛い看護師さんにお世話されるのが、嬉しいけど、申し訳ない気分でした。

そして、ここの病院食が、そりゃあ~うまいんです!
家庭料理なんだけど、毎回おやつも出るんで大満足でした。
夫が来たときはいつも半分食べてもらってました。
私は、毎度のメニューをデジカメで撮って残してあります。

36週になっても、骨盤位はなおらず、また、安静だらけで私の体力もガタ落ちでしたから、先生と相談の結果、予定帝王切開となりました。

子どもの誕生日を、先に決めるわけです。
これは、わたし一人じゃ決められないと思って夫と親に話しましたが、わが実家は真言宗ですんで、実父が、
「お大師さん(弘法大師・空海っす)の縁日だから21日がええぞ」と言い
皆それに賛成でした。うちの夫も月は違いますが21日生まれですし。

こうして、当日に向けて盛り上がっていきました。

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