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今日有明の防災公園で憲法集会が行われましたが、しんぶん赤旗の主張で次のように述べています。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 主張5・3憲法集会へ改憲阻止・内閣打倒の跳躍台に 来月3日の憲法記念日に、「平和といのちと人権を! 5・3憲法集会2019 ―許すな!安倍改憲発議―」が、有明・東京臨海防災公園で開かれます。日本国憲法が1947年に施行されて72年にあたり、安倍晋三政権による改憲策動に抗して、憲法を守り生かそうと開かれるもので、全国各地でもこの日を中心に、多彩な催しが行われます。「ワイルド」発言まで 安倍首相は、一昨年の憲法記念日に、憲法9条に自衛隊を書き込むなどの明文改憲を持ち出しました。首相は昨年、国会の憲法審査会に自民党案を提示し、改憲発議に向けた動きを加速しようと企てましたが、市民と野党の反対で失敗しました。それでも決して断念しません。 首相側近の萩生田光一自民党幹事長代行が先週18日、インターネット番組で、今国会で一度も開かれていない衆参の憲法審査会について、「(天皇の)ご譲位が終わって新しい時代になったら、少しワイルドな憲法審査を進めていかないといけない」と述べ、批判を浴びました。その後“陳謝”したものの、改憲強行の本音の表れです。 安倍首相は今国会の冒頭でも、「平成の、その先の時代に向かって」という言葉を繰り返した上で、憲法審査会での「各党の議論」を要求しました。天皇代替わりの政治利用であり、首相などに求められる憲法尊重・擁護の義務も三権分立の原則も踏みにじる、許しがたい態度です。 自民党が昨年まとめた、「改憲4項目」の条文素案は、戦争放棄・戦力不保持・交戦権の否認を定めた現行憲法9条の後に、「9条の2」を新設し、「内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」と書き込むことを盛り込んでいます。憲法に自衛隊を書き込めば、9条の戦力不保持や交戦権否認の規定が空文化・死文化し、自衛隊が大手を振って、海外での戦争に参加することになるのは明らかです。 自民党は改憲のために、衆院小選挙区支部ごとに推進本部を設置し、ビラや資料を作成・配布するなど、改憲に向けた世論づくりに懸命です。 自民党は統一地方選の政策パンフで、「時代の転換期にある今、憲法改正に向けて、国民的な議論を盛り上げ、取組みを更に強めます」とうたいました。財界団体の、経済同友会も18日発表した憲法問題委員会の報告書で「我々は大局観をもって新しい時代の憲法のあり方を積極的に議論すべきである」と主張します。 相次ぐ暴言・失言で更迭された桜田義孝五輪担当相(当時)が、自民党が改憲のために千葉県内で開いた集会で、「何とか安倍内閣の下で憲法改正をしたい。せめて9条への自衛隊明記だけは実施したい」と発言(3月24日)したのも、改憲への異常な執念の表れです。改憲「反対」が過半数 共同通信の最近の世論調査では、安倍首相の下での改憲に「反対」が54%です(「東京」11日付など)。国民が望まぬ改憲を押し付けるのは、立憲主義破壊の極みです。 3000万人署名の取り組みをさらに強めるとともに、5・3憲法集会や各地の催しを成功させましょう。市民と野党が力を合わせ、改憲反対と安倍政権退陣への世論と運動を広げましょう。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 私はすっかり足が悪くなり友達と一緒に歩けなくなったものですから行けなかったのですが、うたごえも参加します。「翼をください」「平和の鐘」の2曲を歌います。
2019.05.03
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手帳毎年 暮が近づくと手帳を買う表紙は決まってお気に入りのものを選ぶ今年の表紙は薄紫の地に白い小さな水玉模様昭和のハンカチの柄に似て懐かしさを誘う使い始めはインクの汚れもないまっさらな紙と印刷の匂いさてどんな1年を書き込むかとうきうきする月日を重ねるにつれ見開きのカレンダー式手帳には今にも崩れそうな文字や肩ひじを張った文字が踊りだす自分でも読めない字に出逢う ーあなたは誰?何と読むの?歳とともに1日おきの外出しか出来なくなるとカレンダーの空白も増えてくるその空白は私を癒してくれるいいからこの日はお休みと母のように囁くのだ予定がいっぱいで手帳が文字であふれると空白を作るためどれかを二重線で消さなければならない苦渋の選択体調が悪くなった時も二重線で取り消すこうして手帳は後悔の二重線でいっぱいになる新しい紙と印刷の匂いで芳香を放っていた手帳も月日とともにその香りを失いじわじわと浸みこんだ汗のにおいに代わっていく後悔のひとしずく悲しみのひとしずくそしてある時は歓喜のひとしずくも書き込んだインクと浸みこんだ汗のしずくが文鎮のようにずしりと身にこたえるけれどそれは私だけに感じられる重さかもしれないそれは人知れぬ私の1年の歴史の重みかもしれない byドレミ・どれみ (澪50号掲載)
2019.05.02
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4月28日は千葉詩人会議の日で私も出席しましたが、終了後に上手さんの詩『しおり紐のしまい方』が三好達治賞を受賞したことをお祝いして千葉詩人会議で祝賀会を開きました。受賞のことは以前にお聞きしましたが突然祝賀会のお話を聞いたのですが、他ならぬ上手さんの祝賀会とあって、息子にはメールで今日はこれこれの理由で遅くなるからと伝え、参加することに決めました。 上手さんは同じ詩人会議のメンバーですがすぐれた詩人であり、私の好きな詩人でもあるからです。 駅近くの王将の一角をメンバー9人が陣取って、詩論をぶつけあったり、飲んだり食べたりの楽しい時間を過ごしました。 ここに少しfc2に書いていらっしゃる上手さんのホームページから引用して『しおり紐のしまい方』を紹介しようと思います。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ 詩集『しおり紐のしまい方』から詩集『しおり紐のしまい方』は2018年6月12日(単に誕生日です)に版木舎より刊行された著者70歳の時の第6詩集です。翌年2019年に第14回三好達治賞を受賞しました。発表時の「選考理由」を以下にコピーしておきます。「『しおり紐のしまい方』は種々の<あなた>との対話の物語である。心の奥深くに棲む憧れの人、もう一人の自己、妻や家族、自然、神様、危うい時代等との対話を通して、人生や生活に対する作者の優しい愛の歌が聞こえてくる。愛することへの強い静かな意志。柔らかな心。ユーモアがあって、謙譲で、詩とは、元来こういう豊かな、魅力に富んだものであったかと改めて認識させられる。序詞「詩集」、「貴婦人」等、幾たびも読みたくなる傑作である。」(この文章に署名はありませんが、選考委員は以倉紘平(選考委員長)、池井昌樹、高橋順子(以上詩人)、岩阪恵子(作家)の各氏でした。)編集は柴田三吉さんにお任せし、印刷製本の具体化は村上和生さんにお願いしました。表紙カバーは、前作『香る日』を除いた全ての詩集で絵をいただいている百瀬邦孝さんです。白ページが少なくなるようケチって片起こしとする一方で、書名にあやかり初めてしお紐を付けるぜいたくをしました。ちょうど古希の刊行となりました。カバー装画 百瀬邦孝..................................................................★詩集の構成(目次)★序詩 詩集 1鹿鳴 言葉のすみか 帰宅途中 どこにも行けないもの 轍のある草原 向こう岸 白夜 罪のひとつも しおり紐のしまい方 2冬の写生 飲まず食わずで 隊列のはなし まどろみの時 経歴書 手袋と春 宛名は「あなた」 貴婦人 3雨の日の写真 変形 詩人の声が裏返る 大きな本 きのうの樹 やり直し 木づち あとがき ................................................★序詩 詩集紙を繰る音がきこえる誰かが私を読んでいるのだだがどこが開かれているのかを私は知らない読み終えられたページは束ねられ暗がりで眠りについている広げられた見開きだけが「今」を生き世界をまぶしがっている灯火の下 文字たちは煮え立つ料理のように香りたち書いた者の想いをたぎらせる食卓を覗き込む影は幸せそうだ書いた人がいなくなってからほんとうの本の命は始まるのだが無言でうずくまり続ける私の暗がりに誰かが訪れて灯をともすことなどあるのだろうかそれでも紙をめくる音に目覚める時がある誰が読んでいるのか分からないのに なぜか思うああ あなたでしたかそして再び深い眠りに襲われる 以下略
2019.04.30
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4月22日(月)、新宿の清月堂にて無事に高校のクラス会を終了することができました。お世話になった悠愛皇子様に厚くお礼を申し上げます。 総勢17名、小田急デパート14階のカジュアルフレンチ「清月堂」に昔はうら若い乙女だった「ばばたち」が喜びつどいました。美味しいご馳走をいただきながら懐かしい友達との触れ合いが何よりだったと後でお礼状をいただくほどでした。幹事としては抜けていたことも多々ありましたが、皆さんに喜んでいただけて何よりでした。 場所が新宿だったこと、改札から近かったことが幸いしました。それにお料理もおいしかったことの好条件が重なったようです。 私が幹事をひき受けてからのこの1年に起こったことを考えても決して無理に押し付けまい、今元気でも1年後はわからないという思いで幹事を募ったところ、誰もいないのです。それではこの会はこれで終わりになってもよいかと聞くと、それも困るというのです。 最後に、司会をした幹事が全員に通知はがきを出すのでなく今日来た人にだけ手書きではがきを出すので、もし誘える友達がいたら、その人がはがきを出してくださいということになりました。どうもこの年になるとPCを使える人がいないのです。依然使えた人ももうpcが壊れたとか、使うのが嫌になったとか…。だから手書きで…。 場所は同じこの場所で…。ということなので私がその窓口になってもよいと申し出ました。今日会計をやった人がまた会計をやることに…。 そんなこんなで何とか収まりました。また来年も関わることになって大変だと思いますが、みんなが喜ぶためには一肌脱がなければの思いです。 1年後、どのくらい集まれることでしょう。今年も歩くのがやっとの思いできた方や、1年前がんの手術をした方、転んで手術をしてまだあざを残したままこられた方、など様々なのです。 帰りがけにこんなことを呟いていった方がありました。来年88になるから、喜寿のお祝いをしてから打ち止めにしたら…。と。
2019.04.26
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4月15日は慶応病院の通院日でした。 息子も一緒についてきてくれました。 最初に聴覚検査。あれ、左の耳に耳栓を付けると、検査員の声が全く聞こえません。どうしたんでしょう?でも検査院はそのまま続けます。検査音は聞こえるのです。不思議。どうしてか分かりません。 それから診察、それまでだいぶ待たされました。医者には検査結果が届いていました。右耳が人の声が聞こえないことを伝えると、医者も「どうしてなんだろうな。」と分かりません。私は音がキンキン響きすぎて補聴器を付けるのに耐えられないというと「それは困るなあ。でも慶応では規定では音をもう少し上げないといけないのですよ。」 息子が質問。「もう一つ補聴器のレベルを上げたらどうでしょう?」医者が答えるには「レベルを上げても補聴器の質はそんなに変わりませんよ。高くなるだけだから。うちではこれで十分だと思ってこのレベルの補聴器を勧めているんです。」と。 それから場所を変えて業者に調整してもらうことに。それも順番を待つのに時間がかかりました。 息子はきっと慶応と業者との間での契約があるようだからといって、それ以上追求しないで、そこで帰っていきました。検査の予約時間は3時でしたがもう5時になるので息子を帰しました。 6時近く業者との相談。そこでも雑音ばかり響いてキンキンする音に堪えられないと訴えました。それでも右だけもう少し音を上げましょうというので、私は嫌な顔をしました。それを見てしばらく検査結果とにらめっこ。業者さん2人はこそこそ相談。「来月から新しくもう一つレベルを上げてしかも値段は据え置くのが出るので、それにしましょうか。そのほうが音がもっと円やかになりますから。」というのです。それはありがたい、といってそちらにお願いしました。パソコンで調整して音ももう少し高くし、試してみると、全然キンキンしません。「ここは狭い場所ですから。」と言って、次秋葉原に行く日を予約して、やっと帰途に着くことができました。 家に帰ったのが9時近く。もうくたくたになってしまいましたが、私の耳にあった補聴器が見つかるようで楽しみになってきました。
2019.04.19
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4月13日(土)は恒例の悠愛倶楽部懇親会が新宿小田急デパートの14階「清月堂」で開かれ、私も参加しました。 会は終始笑い声が響く、和やかな楽しいものでした。幹事をいつも務めてくださるのは悠愛皇子様。「ガハハ、ガハハ」と一番大きな声で笑い場を盛り上げてくれます。またここのお料理がおいしいのです。 それで高校の幹事を引き受けた時、ふとこのレストランを思いつきました。その時皇子様にはとてもよく説明していただき前田さんというウェイターがとてもよくやってくれるというので、その方によくお聞きし予約もお願いし、丁度悠愛倶楽部懇親会も前田さんが担当というので、その時最終打ち合わせをすることにしました。高校のクラス会は4月22日なのです。 この頃物忘れがひどく、懇親会というのにカメラを忘れてきてしまいました。どんどんお料理が運ばれてくるのに写真を撮ることができません。あ、携帯(ガラケイ)があった。と思いつくまで時間がかかりました。 前菜「春のひとさら」が運ばれてきました。これは期間限定、幹事が特にといって全員に注文した品です。あ、これはカメラに収めなければ、と思って携帯を手にしたとたん、床に落としてしまいました。お隣のちゃげきさんが親切に拾ってくれたものの私は気落ちして、写真を撮る気をなくしてしまい、すぐさま「春のひとさら」をぱくついてしまいました。その美味しいこと、ほっぺが落ちそうでした。皇子様が勧めてくださっただけありますね。 気を取り直して撮った写真が次です。かぼちゃのポタージュグレープフルーツプリュレこれはここ清月堂のお勧めメニューです。あとのお料理は悠愛皇子様のぶろぐをごらんください。「春のひとさら」ほかお料理のお写真満載です。↓https://plaza.rakuten.co.jp/tomy415/diary/201904140000/皆さんからたくさんのお土産をいただきありがとうございました。皆様のご親切に感謝です。
2019.04.17
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一寸タイトルは大袈裟ですが、3度フラフラとして転びました。でも家の中でしたので大事に至らなくてよかったです。 1度目は洗面所で…。洗濯機の糸くず器からごみを取り除いていた時、中腰になっていたので姿勢を保てず、すとんと尻もちをついてから、そのまま壁にもたれかかるようにして後頭部を打ちました。その翌日は同じ洗面所でフラフラとしてドアに側頭部をぶつけました。 その時点でちょっとめまい、頭のしびれを感じるようになって、鉄砲洲診療所へ行って相談したところ、近所にIクリニックがあるのでそこへ行くように勧められ、紹介状を書いてくれました。午後は2時から始まるので2時に行くようにとのことでした。もう1時を回っていましたので、食事を取る余裕もなく、くすりをもらってすぐにIクリニックへ向かいました。近頃のMRIってがーがー響かないのですね。音楽的な響きが聞こえびっくりしました。それから骨のレントゲン撮影を済ませてその日はそれでお仕舞。来週の水曜に検査結果を聞くことにしました。 翌々日の金曜日今度も同じ洗面所でフラフラとなり後ずさりをして後頭部を打ちました。その拍子にドアが外れドアと一緒に私も倒れました。大きな音に驚いた息子が駆けつけて、ドアを元通りに直してくれましたが、私の怪我は大したことがなさそうで、最初の時ほど痛くありません。 さすがに自分が情けなくなりました。歳を取ったものだと。でもこれが家の中だからよかったものの外のコンクリート上だったらもっとひどい目にあったと思うとぞっとしました。 そして昨日の水曜日、再び往診。レントゲン写真を見せられて内出血はないようだといわれ安心しました。でも止血剤を処方してくださいました。それと塗り薬も。痛いところへ塗るとよいのだそうです。 その塗り薬がよく効くこと、なんだか体が軽くなるのです。
2019.04.11
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お向かいの桜ー逆光のせいか曇り空のせいかはっきり見えなくてすみません。それにどうしても縦になりません。ニリンソウ いつの間にか咲いていました。紫モクレン ハクモクレンはずっと前に散ってしまったのに…。水仙が何年振りかで咲きました。春というのに曇り空です。
2019.04.02
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昨日は小学校のクラス会がありました。昨日までというか一昨日まで出かけようと思っていました。ところが鍼の後眩暈がしてそれから調子が悪くて、というか、本当は頭を2度打ってそれから調子が悪いのかもしれません。とにかく歩くとフラフラして、息子が心配だからそんな状態で外出しないでくれ、というものですから、断りの電話を入れて、行かないことにしたのです。 丁度桜の満開の情報が昨日はいり、会場の近くの江戸川公園の桜も満開でしょうと思うと、ちょっとそれを見られないのも残念でしたが、体が調子悪いのでは致し方ありません。クラス会には何人集まったのでしょう。集まれた皆さん、さぞ元気で話に花が咲いたことでしょう。
2019.03.30
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昨日は5月のような温かさ。薄着をして鍼に行きました。 あまり暖かくとも、気分は冴えません。 中山ではいつもより賑わっていました。お花見の人でしょうか。 2度ほどふらついて頭を打ちました。後頭部と右側頭部。そういうと先生は後頭部に軽く鍼を打ってくださいました。ちょっと眩暈がする感じが家に帰るまで続きましたが、帰って一眠りするとすっかり治っていました。ああ良かった。でも眩暈のせいでいつもの鍼の後のような爽快感はありませんでした。 今日になってから体が軽くなっているのに気づきました。 いつものような優しい鍼で全然痛くないのに、やっぱり効いているんだな、と思いました。 鍼の先生に感謝です。
2019.03.28
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高校のクラス会の幹事を引き受けて往復はがきを出したのですが、このところ毎日返事が来て、一喜一憂しています。 最初は不参加の返事が多く、やっと今日参加者が9名になりました。あと2人は参加が見込まれる人。1人は一緒に試食をした人。「ここいいわね。」と言ってくれた人。もう一人は年賀状に「クラス会で会いましょう。」と書いてくれた人。2人から返事が来ないのは気になりますが、とりあえず11人参加で個室の総額5万円以上というのがクリアされます。これで、クラス会を個室でやることができるという見通しがついてきました。 締め切りが4月5日ですから、あと何日もありませんが、あと何人上乗せできるでしょう。でもとりあえず見通しが立って、今はホッとしています。 いつまでも元気で歩き回れ、おいしいものを食べたり、楽しんだりしたいと願うものですが、現実にはそれが困難なことが思い知らされました。 不参加のお返事の中には、はっきりと認知症のため参加できませんという方、眩暈がするとか、足が悪い、体調不良のためという方も多く、やはり年を取るということはそんなことか、とつくづく思いました。 体の動くうちは楽しんだり、見聞を広めたりしながら、人の役に立つことをしていきたいと思うこの頃です。
2019.03.26
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3月22日は市川新婦人コーラスの総会でした。その資料作りに夜中の3時ころまでかかり、眠い目をこすりながら出かけました。 最後まで会館が割引になるかどうかわからず、会計は割引されないものとして算出したので、割引になった場合はまた補正予算を組む必要があります。前の日コーラスの予定表を出し、新婦人として割引になるかどうかの判断を仰ぐ形になりました。 割引になった場合は5割引き。これだと赤字解消できるでしょう。こうなるといいのですが・・・。 会は成立し、今までの反省も普通の会話の中から出ましたし、今後どうやって行ったらよいかも自然に本音で話し合えたのでよかったと思います。 ところで終わって安心したのか前夜の不眠がたたって、疲れがどっど出て翌日も翌々日も食べては寝、食べては寝の繰り返し、おかげで足がすっかり弱ってきてしまいました。
2019.03.25
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昨日は秋葉原の補聴器屋さんへ行きました。 2週間前ほどから磁石が補聴器の中へ入り込んでしまい、使えなくなっていましたので、もっと早く連絡を取って、来なければならなかったのですが、来る時間もなくついに予約していた日になってしまいました。 朝の10時半に予約してありました。最初に磁石のことを話すと、「よくそんなところにはいりこんだものですね。」と言って笑っていました。分解できるらしく、すぐとってもらいました。といっても待っている身になれば時間はかかったのですが。 昨日は磁石を取り出すだけで音の調整はしませんでした。慶応の先生がもっと強くとおっしゃるので、右のほうを強めにしてありますとのこと。少し音がキンキン聞こえますが、これで慣れるしかないでしょう。 次は慶応病院でと言って、昨日はそれで終わりになりました。補聴器はどうしても自然の音とは違って聞こえますが、それに慣れていくしかなさそうです。だんだんロボット化していくと思うと、嫌ですね。
2019.03.19
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一昨日3月17日(金)は駒込にあるK病院へ行ってきました。 駒込駅はまだ工事中、ぐるっと回って東口へ出ました。 最初予診室で体重と血圧測定。体重はまあいつも通り、血圧は少し高めで、上が158。先に心電図をとってくださいと言われました。診察で心電図は異常なし。階段を上ると苦しいのですが心電図に現れるほどではないのでしょう。「今日採血をしてもよろしいですか?」と先生はとても丁寧です。「はい。」と答えて処置室で採血。5本もの小さい試験管に次々と採血。それを見ていたら少々気分が悪くなりました。先生の質問の意味が少しわかりました。でもこれで体の様子がすっかりわかるのです。甲状腺ホルモンに異常がないか、肝機能はどうか、コレステロールはどうか、腎機能は?肺機能は?これは私の健康管理に欠かせません。半年に1回は採血してくれます。 薬をもらい会計を済ませて駒込駅へ。時計を見ると4時20分でしたので1時間20分しかかかりませんでした。 秋葉原で乗り換えるとき混んでいましたが、この頃優先席の前に立つとすぐ席を譲ってくれます。こうしてみんなに守られながら私は生きているんだとつくづく思いました。
2019.03.17
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昨日はクラス会の往復はがきを出しに郵便局へ、午前中に行ってきました。 お昼まで雨の予報が,11時ごろにはカラッと晴れてきました。 はがきが濡れて字がにじんではいけないので、晴れ間にサッと出かけました。 それから郵便局の隣のパン屋さんに寄ったのですが、昨日はあいにく定休日。駅地下の伊勢丹まで買いに行く羽目になりました。駅まで歩くのは今の私には大変。疲れてしまいました。 午後は鍼。今までの疲れをとってもらいました。ちょうどお天気も昨日の雨が信じられないくらいによく晴れて、出かけるのに好都合でした。 2度も風邪でキャンセルし久しぶりの鍼でした。痛いところがいっぱい。腰、左足、左膝、肩、首、背中、そこをさすってみて悪いところが分かるんですね。鍼とお灸で治療。すっかり気分もよくなり、ルンルン気分で帰りました。こんなに軽快な気分になれるのかと、改めて鍼灸が体に良いことを実感しました。 昨日は東日本大震災8年目の鎮魂の日でした。なかなか復興の道のりは厳しく、放射能の処理にも見通しがつかないことに暗澹たる思いを抱きました。
2019.03.12
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長い風邪をひいてしまいました。 でも高校のクラス会の幹事を引き受けてしまいましたので、気が気でありません。もう出欠の往復はがきを出す時期なので、もう一人の幹事と最終的打ち合わせをし、決定しなければなりません。 まず、住所をPCに打ち込めるかどうかが心配でした。風邪が完治していないのを承知で一日20件ずつ打ち込んでいきました。昔だったらもう少し早く打ち込めるのに、今はそうはいきません。それに風邪で体力が落ちています。 四日かかってやっと打ち込んで、お誘いの文も作り、はがきの原稿もできたところで、もう一人の幹事と会うことにしました。予定をやりくりして、3月7日に会う約束をしました。 場所はもう早くから仮予約をしていました。このブログでもお馴染みの悠愛倶楽部懇親会が開かれる場所、小田急デパート14階「銀座清月堂」です。 去年、一昨年とクラス会は文京シビックの「椿山荘」で開いていたのですが、お値段の割にあまりおいしいと思わなかったことと、もう一人の幹事さんが遠くて何回も足を運ぶわけにいかないというので、新宿の場所に決めたのです。ここは私も何回か足を運んでいて、味も雰囲気も気に入っているので、推薦しましたら、もう一人の方も異論がないということで決めました。事前には皇子様に大変お世話になりとても感謝しております。 さて二人があった場所は「さがみ」、同じ小田急デパート13階にあります。和食ですが、ちょっと普通にいただくには「清月堂」よりお値段が1000円ほど安いので…。そこで食事をしながら細かい打ち合わせ、会費は6000円で行こうということにしました。今までは7000円もしたのですが、みんな年金暮らしだし少しでも安いほうがいいでしょうということになりました。 それから、14階の「清月堂」へ、予約確定に行きました。 もう一人の幹事さん、車椅子ではないのですが、手押し車を使っているのでエスカレーターには乗れません。それでエレベーターのすぐ前にある電話で連絡すると、すぐ店員さんが来てくれました。名札を見ると岡田とありました。皇子様から予約するときは岡田さんに頼むとよく親切にしてくれるよと、伺っていたので、仮予約も岡田さんに頼んだのでした。渡りに船と岡田さんといろいろお話をしましたよ。皇子様本当にありがとうございました。2次会の準備にとデザートとデザートセットを注文しました。デザートはいつものプリュレではなくプリンとアイスクリームをとりましたが、いろいろ果物もついていて上品なお味でとてもおいしかったです。2次会をする場合は個室で3時間使えるので大丈夫ですよ、とのこと。ただしデザートの材料がなくなった場合は要望に応えられないかもしれないということでした。 個室の使用料は無料、ただし総額5万円以上だそうで12人以上参加なら条件を満たせるのですが、それ以下の場合は5万円になるように料金を調整しなくてはならないそう。ちょっとそれが問題です…。去年15人出席だったので予定を12人にしたのですが、12人以上参加してくださることを祈るばかりです。 岡田さん、てきぱきと質問に答えてくださって、とても感じがよく、相棒もとても気に入ってくれました。本番も私が担当させていただきますので、よろしく、とのこと。ただしもし私が休みの場合もわかるようにしておきますから、というので、すっかり安心しました。 これで4月22日のクラス会の予約が確定しました。はがきの到着を4月5日までとしたので4月13日の懇親会には人数も確定することでしょうから、またその時話し合いましょう、ということで、別れました。 皇子様、本当に本当にありがとうございました。 そんなこんなで、風邪を引いたうえ、高校のクラス会のことで手いっぱいになり、ブログがすっかりおろそかになって申し訳ございませんでした。又はがきの印刷もしなくてはなりませんので、ブログの更新や、ご訪問ができないかもしれませんが、どうぞ、ご容赦くださいませ。
2019.03.09
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18日(月)は慶応病院耳鼻科の予約の日でしたので、薬を飲んで熱も下がったので、出かけていきました。でも少し心配でした。薬はよく効いてすぐ熱も下がるのですが、補中益気湯との併用は避けるように言われたのです。補中益気湯は私に必要な薬、常用の薬の一つです。それを飲まないとフラフラになり体に力が入らないのです。 慶応病院は待ち時間3時間診察3秒のたとえのように、待ち時間がすごく長いのです。3時間は待たされませんでしたが…。 診察の結果、もう大体よく調整されたので、もう1回の調整で補聴器を買ってもらい次はその補聴器を調整することにしましょうと。 次回は4月15日とのこと。そのあとまた待たされ業者に調整してもらい、家に帰ったのが7時近くでした。家を出たのが1時でしたのでかれこれ6時間もかかったことになります。これは病み上がりの私の体にはきついことでした。それに元気をつける補中益気湯を飲んでいません。もうフラフラ、足はヨロヨロの状態でやっと家にたどり着きました。バタンキュウでした。食事の支度も後片付けも息子任せでした。こんなに息子がありがたかったことはありません。
2019.02.20
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熱が出たり引っ込んだり、ついには熱が2,3日続くようになり、金曜の15日T診療所へ行ってきました。担当のお医者の出勤日でしたから…。 玄関を出てしばらくすると粉のようなものが数秒に1度落ちてきました。「雪かしら?」と思ったのですが、「これから東京へ向かうんだから着くころには止むでしょう。」と思い傘も取りに戻らず、そのまま直行しました。ところが八丁堀に着くと雪はざんざん降り。その日は最高気温が5度までしか上がらない散々の日でした。冬のコートを着、帽子も被っていたので、そのまま10分弱の道のりを歩いていきました。 その先生の日は待合室が満員ですが、雪のせいか待っている人が2,3人。 おかげでいつもより早く診察が終わりました。1時間ほどで薬ももらえ、帰りにフロリダで昼食をとってまっすぐ家へ。 私の薬は漢方薬。そこのお医者にいつも処方してもらっているのでやっとほっとしました。明後日にはきっと熱もおさまるでしょう。寒い中出かけていく意味があるというものです。午前中は熱は出ないものですから、出かけるのもそれほど苦にはなりませんでした。
2019.02.19
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悪夢のような民主党政権時代という首相発言が問題になっていますが、自民党の安倍政権こそ悪夢の様なといいたいと思います。 東京新聞のある特定記者を排除しようとする安倍政権。言論の自由を踏みにじってはばからない安倍政権をもうこれ以上許しません。 今日の「しんぶん赤旗」に以下の記事が載っていますのでご紹介します。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 官房長官、質問封じ正当化取材の自由への攻撃安倍政権の体質示す 定例の内閣官房長官会見で「事実に反する質問」があったなどとして、昨年12月末に首相官邸の報道室長から東京新聞の特定記者の質問を事実上封ずる申し入れが内閣記者会に行われたことが大問題になっています。12日の衆院予算委員会で、追及された菅義偉官房長官は「事実に基づかない質問に起因するやり取りが行われる場合、内外の幅広い視聴者に誤った事実認識を拡散させるおそれがある」などとして正当化しました。語気を強めて 野党議員が「事実に基づかない報道は問題だが、事実が分からないから取材する。事実に基づかない取材を封ずるのは、取材の自由、表現の自由、国民の知る権利を封じることになる」(国民民主・奥野総一郎議員)と批判したのに対し、菅氏は「取材じゃないと思いますよ。決めうちです」と、語気を強め言い放ちました。 しかし、まさに事実を確かめるのが取材であり、事実が分からないから取材するのです。とりわけ、権力が国民に対し隠したがる事実を追求して明らかにするのが政治報道の本質です。それを通じて国民の知る権利に奉仕し、民主主義を実現する不可欠の存在として報道機関には特別の役割があるのです。 内閣記者会への申し入れ文書では「正確でない質問」がヤリ玉にされています。「事実に基づかない取材」「正確でない質問」は「取材じゃない」という権力者の議論がまかり通れば、およそ政治取材は不可能です。恐るべき安倍政権のファッショ的体質を示すものです。 ことの発端は、昨年12月、沖縄県名護市辺野古での米軍新基地建設の海域で県民世論を踏みにじって土砂投入がされる中、東京新聞の記者が「埋め立て現場では、赤土が広がっており、沖縄防衛局が実態把握できていない」と質問したことです。官邸は「明らかに事実に反する」とか「汚濁が広がっているかのような表現は適切でない」などとしていますが、赤い土を載せた船が確認され、無人機による空撮でも埋め立て海域が濁っている様子が確認されていました。一方、防衛省は現在も、投入された土砂に赤土が混入しているかの成分検査を行っていません。事実を解明する責任は国の側にこそあります。 新基地建設反対の県民世論、無法な土砂投入への国民的批判に追い詰められる中、さらなる批判を恐れる安倍政権が、強権をむき出しにする姿が浮かび上がります。暴走許さない そもそも安倍政権は、国民に対し事実を隠す政権です。安倍首相が12年に政権復帰して最初に強行した立憲主義破壊の立法が秘密保護法でした。何が秘密かも秘密とされ秘密と指定された外交、防衛に関する情報の探知行為が広く処罰され、取材の相談も「共謀」罪として処罰されます。国民の命運にかかわる情報を、重罰の威嚇の下に報道機関からも遠ざけているのです。 事実が隠された状態で「事実はどうなのか」という質問が封じられるなら、まさに暗闇社会となってしまいます。これ以上の安倍政権による立憲主義破壊、民主主義破壊の暴走を許さないたたかいを広げるときです。(中祖寅一) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 新聞労連はいち早く首相のこの態度に反論しましたが、名指しされた記者はひるむことなく、今までのような質問をし続けてほしいと思います。誰にもできないあなたの質問は庶民の胸をスカッとさせ、政府がなんと答えるか、大いに期待しましたから。
2019.02.14
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書かなくちゃと思いながらなかなか取り掛かれなかった原稿。いよいよ今日が締め切り日になりました。 千葉うた協のニュースに書いてくれと頼まれていたのでした。 風邪ひきで頭は回らないし、体はだるいしで、1日延ばしにしていたのですが、もう延ばせません。 思い切って体も少し回復してきたので、取り掛かりました。いつもはもっと簡単に書けたのですが、やっとの思いで200字にまとめあげ、どうにかメールで送りました。ヤレヤレ…。 それにしてもfaxで送られてきたメルアド。苦労して読んだのですが,メール送信できてよかった!!
2019.02.12
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また少し遡りますが、2月4日(月)は合唱団Pの練習日でした。 代表の方の説明によると、I先生は定期健診でまた新しい脳梗塞が見つかり検査入院をなさったそうです。1週間の入院で今日退院。すぐ駆け付けるとおっしゃったそうですが、どうか分からないということです。 すると時間近く先生が現れました。12時退院して、すぐいらしたそうです。脳梗塞も手術の必要はなく、一週間間の加療と検査で無事終わった。とすっきりした顔でおっしゃったので安心しましたが、こんな日は休んでほしかった。決して無理をしないでほしいといいたいです。 発声練習もいつも通りきちんとやられて、「原爆を許すまじ」「わらべ歌のメドレー」「上を向いて歩こう」の3曲の指揮をしっかりやられていつも通りにおわりました。本当に責任感が強く熱心な先生です。 今日はその歌の一つ、「原爆を許すまじ」の同じ編曲のものがyoutubeにありましたので、アップします。
2019.02.10
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予報通り今朝は雪でした。 でもだいぶ寝坊したので、昨日の不快感はどこへやら、今朝は爽快です。 どうやら熱も下がったよう。このまま回復するといいのですが…。 銀世界あしたの兆し呼び寄せむ
2019.02.09
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今日は文退教新春のつどいで私も出席するはずでした。でも風邪のため出席できなくなりました。いつも前後がふさがっていて出席がままならなかったのですが、今度こそ大丈夫と思ったのですが、今度は風邪にやられました。 おとといの朝まで大丈夫でしたが、一昨日の夕方発熱し慌てて昨日の朝不参加のお電話をしたのでした。残念でたまりません。・・・ 今日はこれで失礼します。・・・
2019.02.08
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2月1日(金)は市川新婦人コーラスの練習日でした。 前日先生と打ち合わせ、ニュースを書いて10部印刷し、当日何を歌うかわかるようにしました。 前日、日付けが変わるころ雪になるという予報でしたが、玄関を開けるとお隣の車のボンネットにうっすらと雪がありましたが、地面にも垣根にもどこにも雪は積もっていませんでした。ただし風がとても強い。 市川駅から会場へ向かう途中、信号の手前に坂があるのですが、その坂の上で風に押し戻されてしまいました。ちょうど先生が通りかかって、私のカバンを持ってくれるやら、手を引いてくれるやら、大変でした。酷いところを見つけられてしまいました。 当日歌った歌は「君死に給うことなかれ」「津軽のふるさと」「どじょっこふなっこ」、と祭典で歌った歌「どこかで春が」「いとし子よ」と「いのちをうたおう」など…。 「いのちをうたおう」は祭典では英語の歌詞で1番だけ歌って、2番から日本語の歌詞で歌ったので、先生は英語版も持ってきてくれました。私がそれを先に読んで、後を皆でふぉろうする形で読んだので、簡単に英語の歌が歌えました。まあ、良かったこと…。 祭典のDVDの制作者が、天井から撮影したビデオがYouTubeに載っていましたのでそれをアップさせてもらいます。human festaの最後に「いのちをうたおう」を歌い交わすところです。
2019.02.03
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今日は鍼に行ってきました。入浴は大概朝に済ませるのですが、今日は朝食づくりが遅くなりそうだったので、朝食後に入りました。鍼に行くまでの間がせわしなかったこと。 鍼は午後2時20分の予定、その10分前にはつかなくてはなりません。京成の最寄りの駅には1時50分には就く予定で1時30分には家を出ました。 杖を使ったのですが、杖がないほうが良かったかも。どうも長さが体に合っていないよう、直してもらわなきゃ。何とも歩きにくく疲れるのです。 2駅乗って降り、すぐ鍼は近くなのですが、その疲れることと言ったら…。 でも疲れは杖のせいばかりではありません。日本のうたごえでの疲れがまだ抜けきっていないらしいのです。先生にそのことを話したら、今日はどこが痛いかあまり聞くこともなく治療を始めました。その前に足を触ってみて、腫れたりしこりがあるところを見極めました。最初はいつもの優しい鍼でしたが、足を治療するとき、ずんと来ますよ、とおっしゃって、響く鍼を打ってくださいました。私にはそれがちょうどよく気持ちよく感じるのでした。腰にも鍼とお灸。すっかりしこりがなくなって、軽くなりました。 帰りはあまり杖を突かないようにして帰りましたが、そのほうがかえって歩きよかったようです。
2019.01.30
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昨日は慶応病院耳鼻科へ行ってきました。 悪いところがまた増えて右の耳が難聴になってしまいましたので。左の耳も聴こえにくいのですがそれは年齢相応だそうです。 昨日は息子が付いてきてくれました。自分が先生に聞きたいことがあるとか言っていましたが、きっと私の体を心配してくれてのことでしょう。 私は歩くのが遅いのでそれに付き合って歩くのも大変なことですが、重いバッグを持ってもらったり、私としてはとても助かりました。 いくつか質問をしてくれました。1.補聴器をつけるほかなおしようがないのですか? ――中耳炎の場合は手術で治る場合もあるが、神経がやられている場合は補聴器をつけるしかない(私にはそんなにはっきりおっしゃらなかったわ。)2.どの程度ですか? ――中程度です。3.障害者手帳をもらえると聞いたのですが…。 ――まだそんなレベルではありません。4.あとどのくらい調整がかかるのですか? ――今まで調整がうまくいっていなかったので、まだこれからと考えると3か月はかかるでしょう。(あら、そんなに補聴器を借りられるの?もうそろそろ期限切れかと思っていました。) 「ではこの後調整をしてもらいますので6番の前でお待ちください」 それからが長く待たされるのでここで息子にはお役御免でかえって貰いました。 3人待つとのこと、1人30分として1時間半待ったでしょうか。終わったときはもう待合室にはほとんど人はいなくなり、掃除が始まっていました。 少しだけ強くしてもらって、補聴器の調整が終わりました。 今日は今まで忙しすぎて保険証を取り寄せる暇がなかったので今日は、健康保険証なしでの診察でした。鉄砲洲診療所でも金地病院でも、次に持ってきてくださいとだけ言われて保険でやってもらえたのですが、慶応病院はそうはいきませんでした。今月中に保険証を持ってくれば過払い分はお返ししますって。788円でしたが私は1割負担、そりゃあ、返してもらったほうがいいに決まっていますが、電車賃やかかる時間や疲れを考えるとどうしようかと迷ってしまいます…。
2019.01.29
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日本のうたごえ祭典は19日に終わったのですが、その日は朝6時45分には家を出、帰宅したのが夜9時となってしまい、楽しみの代償が疲労となって残ってしまいました。20日21日と眠っても眠ってもまだ眠い状態でした。 23日は八丁堀へ通院、そして疲れが取れないまま、25日はコーラスの練習と続きました。でも1日おきに外出するようにしているので、まだ何とかなっています。 コーラスのある前日が実は大変なのです。夜先生と打ち合わせ、その内容をニュースに載せるのです。でも24日は日本のうたごえ祭典の内容報告を載せたかったので、昼からニュースに取り掛かりました。 ニュースを作り、会員から「花」を歌いたいという要望があったので、「花」の楽譜を用意して準備完了。先生との打ち合わせも10時前には終え、毎日6時間、少ない時でも5時間の睡眠をとるようにしているのですが、5時間の睡眠を確保できました。 8人中6人の出席でした。やはりまだNさんのご主人は完治していないらしく、Oさんも風邪が長引いているようなのです。 「君死に給うことなかれ」「津軽のふるさと」は先生推薦のもの「どじょっこふなっこ」は私たち推薦のもの。それと祭典で歌った「どこかで春が」と「いとし子よ」。最後に全員で歌った「命を歌おう」「約束のうた」をもう一度歌いました。 祭典に参加しての感想も言ってもらいました。みんなの貴重な体験になったことがわかりました。先生からは女性のうたごえが迫力があったこと。やわらかい声できれいに響いたこと。アカペラの部分は聴衆の集中力を一気に高め、会場が緊張に包まれたと、絶賛され、みんなの顔もほころびました。 帰りに4人でガストに寄り、食事や甘いものをいただいて一休みして帰りましたが、私は本当に疲れてしまいました。
2019.01.26
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1月19日のことでした。今まで準備を重ねてきた日本のうたごえ祭典に参加しました。場所は川崎のとどろきアリーナ。市川新婦人コーラスは合唱団プリマベラと一緒に市川に7時15分集合。市川から総武線快速で武蔵小杉。そこからバスでとどろきアリーナまで。私たちは東京近郊だったので電車で1時間少しでいけましたが、はるばる北海道や沖縄から参加された方もあって、大変な賑わいでした。 メインのHuman FestaとPeace festaは19日に行われたのですが、コンクール形式の合唱発表会や、記念音楽会は18日に行われ、和太鼓、民舞の会は20日に催されました。延べ13000人の参加だったようです。メインのHuman festa とpeace festaにはそれぞれのべ5000人の入場でアリーナを満席にしました。 9時にはリハーサルが始まり、Human Festaは12時半開演。青年たちの「平和の鐘」の演奏や合唱で幕が切って落とされました。歯切れのよい演奏。次は私たち女性合同。「いとし子よ」「どこかで春が」を最大の人数900人で歌いました。 そうそう、司会は元NHKアナウンサーの村上信夫さんと元NHKリポーターの入田直子さんで手際よく進められました。女性合同の司会は入田さんでしたが、女性の歳を言っては失礼ですが、81歳だそうです、と。その若々しい声、と驚いていました。そしてインタビューは私たちの大先輩壇上さわえ先生、車いすに乗っていらっしゃいましたが、非常にお元気で「平和でなければ歌は歌えません。歌は平和の力です。」ときれいな力強い声でおっしゃったのには感激しました。 それらは東西南北四方に向けられた中央に吊るされた4面のスクリーンに映し出されました。歌っている間は歌に関連した写真に歌詞が付いたものや、時には歌っている人たちが写されました。 インタビューがあるのも日本のうたごえ始まって以来のことでした。 次にスクラムコンサートがあるので私はそちらへ移りました。スクラムコンサートも750人は突破したと実行委員は言ってました。息子のIBMロックアウト解雇の歌を大きな声で歌いました。歌う前にナレーションがあってそこで勝利したことをみんなに報告しました。回顧3兄弟から勝利3兄弟へと向かうと…。 障害者の歌もありました。高齢者の歌にはうたごえ元常任の方々も参加して朗々とした声が響き渡りました。 ペンライトが回ってきて次第に会場はペンライトの揺らめきで光り輝きました。最後は全員で「命をうたおう」の大合唱で締めくくり、第1部は終わりました。 第2部Peace Festaは4時から開始でそれまでリハーサルがありました。私は沖縄、基地の部でプリマベラと一緒に歌うので今度は1階に移動でした。人がごちゃごちゃしていて1階に行く階段が分からないので係の人に聞くと丁寧に階段まで案内してくれてとても助かりました。無事にみんなと合流することができました。 第2部は戦争、基地、沖縄をテーマにした歌が盛りだくさん。かわいい子供たち(親も混ざっていましたが)の「象列車よ走れ」は可愛くて、可愛くて…。そして国際交流の部では朝鮮高校中高部の美しい合唱も…。日本政府は差別をやめてほしいと…。日本、ハイチ、アメリカ、イタリアの4人の女性によるアカペラの合唱には驚きました。大きな声量と美しさ。アリーナ全体に響き渡りました。 最後に圧巻だったのは北川哲、橋本のぶよ、横井久美子、大須賀ひできさんたち6~7人のシンガーソングライターたちが勢ぞろいしてそれぞれの持ち歌を歌ったことです。会場のみんなもそれに合わせて歌いました。もちろんペンライトも揺れましたよ。 最後の締めくくりは「約束のうた」(世界中の大人が武器を捨てたなら、世界中の子供が笑顔になるだろう…)を全員で。そして来年行われる京都でのうたごえ祭典へバトンタッチー京都のうたごえの人達が京都のうたごえの歌を歌いフィナーレとなりました。 うたごえ祭典に参加できるのは私は今年で最後かもしれませんが、とても充実した1日を過ごすことが出しました。
2019.01.22
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また少し日にちは遡ります。 1月11日に金地病院に行きました。今ではもう甲状腺の状態がほとんどよくなっているので循環器にかかっています。その日は駒込で降りるといつもの出口は閉鎖されており、矢印が付いていてそこを通っていくようにということらしいのです。どのくらい大回りをするのかと思うと、ショックでした。そんなに大回りをしないで済みましたが、最初に受けたショックが響きました、いつまでも動機が止まりません。 受付をして予診室で体重と血圧を測ったら血圧が上が177もあったので看護師さんもびっくり。手動の血圧計を持ってきて図りなおしましたら、138と88になり何とか普通に近い値になりました。 本番の先生もこれではもう少し強めの薬にしたほうが良いと今まで飲んでいた降圧剤の量を倍にして処方してくださいました。その代わり来院を2週間早めて8週間後にし、様子を見ることにしました。さてどうなるでしょう。効果は生まれるでしょうか。
2019.01.15
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女性のうたごえが終わったらスクラムのステージに移動して歌おうと思っています。IBMロックアウト解雇撤回闘争の時橋本のぶよさんが作詩・作曲した歌もその中に入っています。社前行動の時「東京のうたごえ」の皆さんが歌って応援してくれました。同じく解雇闘争を一緒に戦った「社保協」「JAL」の皆さんとも国鉄労働者やその他大勢の支援者と一緒に歌います。 「おとうさんのせなか」社保協の解雇撤回闘争でできた歌。 「翼よ高く輝け」JALの歌。 「私はここに立つ」IBMの歌。 解雇3兄弟の歌。IBMが勝利したことで、これを勝利3兄弟にしようと意気込んでいます。
2019.01.13
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「女性のうたごえを成功させる会」ホームページより70周年記念日本のうたごえ祭典 HUMAN FESTA 女性合同の練習2019・1・6
2019.01.12
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また少し遡りますが、1月6日に赤羽会館で女性のうたごえの練習がありました。1月19日に行われる、70周年日本のうたごえ祭典の中のヒューマンフェスタ。その華ともいわれる女性のうたごえの本番の指揮者、山本恵三先生を迎えるとあって、東京や近郊各地から集まった250人余りは、やや緊張気味でした。東京だけでなく、千葉や埼玉や神奈川、果ては静岡からはるばる参加しました。当日は全国のうたごえの女性サークルが集まります。目標750人を突破したそうです。なんともうれしいことです。 最初はおずおずとはじまったのですが、先生が熱を帯びてくるにしたがって、自ずと熱演、だんだん気合が入ってきました。 それに先生の指導の仕方も抜群、急所を突いた厳しいことをおっしゃるのですが、それも関西弁の柔らかさでユーモアたっぷりにおっしゃるので、こちらは笑いどうしでした。でも先生の指摘は十分に伝わったと思います。 最後に「どこかで春が」と「いとし子よ」を通して歌ったのですが、見違えるようにうまくなっていました。これでうまくいくだろうという見通しも立ってきました。 ただし大勢で歌うので音がずれないように気を付けなければ…。 帰りの電車に乗ったのが5時半ごろ、家に着いたのが6時半ごろでした。もうすっかり暗くなっていました。
2019.01.08
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あけましておめでとうございます。 皆様よいお年をお迎えになった事と存じます。 私はPCと格闘しながらの年越しとなりました。 ブログを書けないのは具合が悪いのではとご心配いただいた方も多かったのではと深くお詫び申し上げます。 PCは、ついに新しいものを購入。届くのは12月25日ということで…。まあなんと遅いこと。いろいろなダウンロードとか手間がかかりました。(それは息子にやってもらったのですが)。それから年賀状作成に「筆王」も購入しなくてはならない羽目になりダウンロード。これも安いものを買ったせいか印刷ができない状態。やっとプリンターをPCにダウンロードして使えるようになりました。これも息子頼りでした。それもすぐさま息子には頼みにくく、自分で何やかやとやってみてから頼むという具合で時間のかかること…。 そんなこんなですっかりご挨拶が遅くなって申し訳ございませんでした。でも体のほうは何とかやっておりますのでどうぞご安心くださいませ。 庭の侘助が今年は早く咲きましたのでアップします。
2019.01.06
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今日は太極拳を教えに行きました。今日は全員そろって、5人の生徒さんです。 最初はしゅわい手で体慣らし、次に練功18法をやりまし た。 次に簡化24式をやろうとしたら、Uさんが具合が悪くなり、休んでもらって、残るベテランの人たちで、音楽に合わせて演じてもらったら、途中で分からなくなってしまいました。 そこから、私も一緒に入って演じて最後までやり終えました。 https://youtu.be/90WYI-Pys-c Uさんが気分が回復したようなので、Uさんのために、みんなで 気勢から左右倒転向迄を私も一緒にやって続きはまた次にということで、終わりにしました。 それから「とんでん」で忘年会。それぞれが食べたいものを選んで・・・。そのあとはデザート。これもそれぞれ好きなものを選びました。 またカメラを忘れてごめんなさい。写真がありません。 新人のUさんのお話を主に聞きながら、和気藹々とした良い雰囲気でした。
2018.12.05
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昨日は身体のメンテナンス、中山にあるA鍼灸院へ行きました。この前は鍼の予約2、3日前に足を痛めてしまったので、そんなことがないように、予約変更してもらって4週間後を2週間後に行くことに…。 それでもまだ、足に力が入らず、長い傘を杖代わりにして歩きました。 腰の痛みがなかなか取れないので、いつもとは違う鍼のようでした。腰に鍼を打つと左の脛までビーンと響いたのです。ここの先生はいつも優しく鍼をしてくださるので、響く鍼は打たないということですが、昨日は違いました。初めてでした。以前の鍼の先生はいつも響く鍼で、とても気持ちよく良く効くように思えたので、久しぶりに響く鍼でとても気分爽快になりました。痛みが、特に脛の痛みがとれたような気がしました。腰に鍼を打って脛まで響くのですからケイラクって凄いなと思いました。 それでも昨日の鍼は疲れましたので、駅から家までやっとの思いで帰りました。
2018.11.29
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昨日は東京(東京近県)の女性のうたごえの様子をアップしましたが、今日はそこで歌った曲をアップしてみます。 まず「いとし子よ」。作曲者の原田義雄さんとフリーダムの演奏です。これはまだポピュラーぽい演奏ですが合唱となるともう少しクラシカルな演奏となります。でもどんな歌かは想像がつくことと思います。 次は「どこかで春が」ですが、YouTubeには松本美和子さんの独唱がありましたので、それをアップします。合唱になるとまたちがったあじになります。 https://youtu.be/CWJptI4g1cI
2018.11.27
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日本のうたごえ70周年記念祭典女性うたごえの練習に、市川新婦人コーラスのOさんと待ち合わせ、出かけました。場所は赤羽文化会館。 指揮が本番の指揮者で大阪の女性の部の常勝団体の指揮者とあって、是非参加したい会でした。 曲は「いとし子よ」と「どこかで春が」(源田俊一郎編曲)の2曲。来年の1月19日全国から集まって「とどろきアリーナ」で歌う曲です。1時半から4時半までの間みっちり熱心な練習が続きました。日本語の意味が分かるような歌い方を、というのが趣旨でした。リズムに気を取られて普通日本語では強調しないところを強調して歌うとおかしく聞こえるのです。それを一つ一つ取り上げて丁寧に…。大変勉強になりました。 日本語を美しく歌うこと。女性の気持ちを優しく表現すること。断固とした気持ちはきっぱりと歌うこと。を学びました。 やはり来て良かった。参加者が多く最初は椅子が足らず、元気な人は立って歌ってくださいという呼びかけに、快く立つ方もいて、微笑ましく思いました。一方、高齢の方も多く、グレイヘアも目立ちました。 70周年というと高齢の方が増えてきますよね。そのあとを継ぐ若い人が大勢参加するようになるといいのですが…。 綺麗なピアノ奏者も、元東京の合唱団でお世話になった方ですし、大勢の昔の仲間たちとあって、楽しいひと時でした。
2018.11.26
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昨日は太極拳を教えに行きました。8時半には家を出ようと思ってもなかなか出られず、8時45分頃になってしまいました。でも早足で歩いていったので何とか9時には着くことが出来ました。 昨日はSiさんだけ旅行中でお休みであとの4人は出席。この前は私が小学校のクラス会と重なってお休みし、久しぶりでした。最後かもしれないというのでクラス会の方に出たのですが、何のことはないその日都合が悪い人が多く次の日程を決めておいてですって。無理して太極拳をお休みにして出かけたのに…。 新人のUさん、久しぶりに顔を合わせました。私の耳が聞こえなくなった話から、Uさんも難聴で苦しんでいるのでその話になり、鎌ヶ谷市では耳の聞こえない度合いの何級からかが障害者手帳をもらえるため、市で耳の検査をしてもらえるとのこと。5000円で補聴器も貸してもらえるとのこと。市川でもきっとそうだから市に相談してみたら?と勧められました。 太極拳はしゅわい手、練功18法をやり、耳の話で盛り上がって時間が無くなり、1回だけ24式簡化太極拳をやって時間が来てしまいました。その中のみんなが間違えたところを指摘しただけで次回にもう1度やってみましょうということになりました。次回は12月7日、そのあと忘年会ということで、終わりとなりました。 https://youtu.be/-0Qqz8W12e8久しぶりなので画像をコピーします。日本人の先生ですが、音楽にピタッとあっているので載せてみました。
2018.11.22
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また随分お休みしてしまいました。風邪の治りが悪く、ぐずぐずしてしまいました。申し訳ございません。 今から遡ること何週間になるでしょう。難聴になったので慶応病院に行ってきました。紹介状を書いてもらい、予約を取って出かけたのが、10月23日。突発性難聴度との診断。それも難聴になって2,3週間ならまだ治る可能性も残っていたけど、2か月もたってしまったらもう固定してしまって、治らないだろう、と。 そこで後頼りになるのは補聴器だと言われました。いろいろ両耳とも検査をしましたが、左耳はまあ歳並、中くらいの難聴で、右耳はそれよりずっと落ちていることが分かりました。 この頃、演劇を見ても俳優さんの声が聴き分けられず、人によっては何を言っているかさっぱりわからない、ということが始終ありました。 車座になって話しているとき、左側の人の声がさっぱり聞こえなくなっていました。 歌も、自分の発した声を聴いて強弱を付けたり、感情を表したりできたのに、それもさっぱり出来なくなってしまいました。 演劇や、音楽、会話を楽しむことが出来なくなってしまい、一時はとっても落ち込みました。 でもそれも補聴器で補えるかもしれないと、少し試してみる気になってきました。補聴器もピンからキリまであるらしいのです。それもつけてみて慣れないと駄目なようです。慣れるまで3~4週間。時間のかかる話ですが、試してみようという気にやっとなってきました。 このままだと音楽も何もかも楽しめなくなってしまいます。
2018.11.20
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昨日11月4日のしんぶん赤旗の記事です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー9条守る本気 国会前1万8000人憲法公布72年 市民・野党 各地で 72年前に日本国憲法が公布された3日、憲法を守り生かそうとアピールする行動が全国各地で行われました。国会正門前では、「総がかり行動実行委員会」と「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」が大行動を呼びかけました。4野党の代表も参加し、集まった1万8000人(主催者発表)が「改憲発議ぜったい止めよう」とコールしました。(写真)プラカードをかかげて改憲発議は許さないと訴える人たち=3日、国会正門前 主催者あいさつした総がかり行動実行委の共同代表、福山真劫さんは、どの課題でも暴走し続けている安倍政権は「行き詰まり、崩壊が始まっています」と指摘。改憲発議と沖縄・辺野古 ――――――――――――――――――――――――― への米軍新基地建設強行を必ず阻止しようと訴え、「市民と野党が連携してたたかえば、安倍政権を打倒できます」と呼びかけました。 市民の代表がつぎつぎスピーチ。「オール沖縄会議」共同代表の高里鈴代さんは、米軍新基地建設ノーの一点で共同し勝利した沖縄県知事選にふれ、「憲法改悪を許さない、安倍政権を倒す一点でつながり行動しましょう」と訴えました。 日本共産党の小池晃書記局長、立憲民主党の有田芳生参院議員、国民民主党の小宮山泰子衆院議員、社民党の又市征治党首があいさつ。小池氏は、朝鮮半島の平和の激動などにふれ「こんなときに憲法9条を壊すなんて愚かなことはありません。今こそ、憲法9条を生かした平和外交が必要です」と強調。沖縄のたたかいに学び、市民と野党の「本気の共闘」を実現して「必ず安倍政権を打倒しましょう」と呼びかけました。 福井県敦賀市の女性(66)は「安倍首相に憲法を変えさせたくありません。自分にできることをしていきたい」。東京都杉並区に住む、娘(31)は、3歳の息子を抱いて参加。「子どもが大きくなったとき、日本が戦争をする国になっているのは嫌です。憲法9条を絶対守りたい」と話しました。
2018.11.05
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またまたブログを長い間お休みして申し訳ございません。 右耳の難聴とわかってから、それも元に戻らないとわかってから、すっかりダメージを受けてしまったようです。PCを打とうとすると頭痛がし、そうでない日はただひたすら眠いのです。耳鳴りのせいかもしれません。難聴になると同時に耳鳴りもひどく、ピーピーガーガー、鳴りっぱなしです。 慶応病院でそう宣告されました。まだ他に難聴を治してくれる医者はいないかと、出かけようとしたら、その前日、重いものを持ちかえって脚を痛くしてしまいました。日がたつにつれ脚の具合はよくなってきましたが、今は休むほかありません。 庭に出るとやっと秋も深まってきました。久しぶりで写真を撮りましたので、アップします。 ニシキギが色づき始めました。 ミニバラの実が赤い これは何という花でしょう?ご存知の方教えてください。
2018.11.02
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今日は合唱団Pの特別練習に行きました。日本のうたごえ祭典も近いので、スクラムコンサートの曲を中心に練習です。 JAL、IBM、社保協、の解雇3兄弟の歌、「翼よ高く輝け」「私はここに立つ」「父さんの背中」を歌いましたが、「翼よ…」はあとから楽譜が書き直されたので、どちらを歌うか決まってからしっかり練習しようということになりました。 「私はここに立つ」はIBM解雇闘争の歌ですが、いかにうろ覚えに覚えているかがわかりました。こういう歌は歌詞がはっきりわかるように歌わないと意味がない、と先生に言われ、その通りだと思いました。私たちはまだその域に達しておらず、練習が必要だと思うばかりでした。 これからもまだ練習回数があるので積み重ねが大事だと思うのです。 2時から4時半までの練習でした。
2018.10.20
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この夏の記録的猛暑とそのあとの急な冷え込み、またやってきた真夏日といった気温の変動の揺さぶりに、老いの身はなかなか平常心を保てず、うろうろするばかりでした。 そして8月の終わり頃かと思いますが、急に耳がポーという音を立てたと思うと聞こえにくくなってきました。今までも耳が遠かったのですが、ますますひどくなってきました。耳鳴りや眩暈もひどく、体も疲れやすくなってきました。 そしてある日、右側で話している声が左側から聞こえてくるのに気づきました。おかしい、と思って左耳をふさぐと、右耳がほとんど聞こえなくなっていました。たまたまその場にいた元看護士さんから突発性難聴でしょうから早く検査してもらいに耳鼻科に行った方がよいと言われました。 早速罹りつけのお医者に行って紹介状を書いてもらい、慶応病院の予約を取ったのですが、すぐには取れず、10月23日11時にやっと取れました。今では慶応病院の診察待ちですが、結果、どうなるか不安でもあります。 いやー、耳が聞こえないって不便なものですね。 歌だって自分がどのくらいの音量で歌っているかわからないし、微妙な声を出すことだってできません。第一先生の説明がよく聞き取れないのです。もう歌も歌えなくなるのかしら。個人レッスンは今のところお休みしていますが、合唱は続けています。市川新婦人コーラスでは代表を務めていますし、70周年うたごえ祭典in東京・神奈川も迫っています。私が今休むわけにいかないのです。 難聴が早く治ることだけを願っています。 こんなわけでブログを書くこともままならず、ただボーっと横になっている日々が続きました。 この頃何とか涼しさも落ち着いたので、体も持つようになってきました。ブログも書かなくちゃと思うようになってきましたので、どうぞよろしくお願いいたします。またきっと飛び飛びになることと思いますが…。
2018.10.17
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凄い台風でしたね。日本国中に爪痕を残しました。皆様のところはいかがでしたか?何事もなかったことを祈っております。 こちらは台風の通過地点から離れていたと見えて無事通過していきました。 台風が来る前にと急いで墓参りに出かけました。9月29日でした。 今年のお盆は暑くて私が動けないからと、パスし、9月に甥の車に乗せてもらって出かけました。とはいっても大網まで電車で行き、大網から甥の運転する車に分乗でした。 千葉で外房線に乗り換えですが、エスカレーターが完成しているかどうかが心配でした。千葉駅構内は3年越しの改修をやっていて、エスカレーターもエレベーターもなく工事中の歩くことの不便なところをずっと歩き、階段をヤッコラヤッコラ下り、また歩いて階段を登らなければ外房線のホームにつきませんでした。それが嫌でした。そこでPCで調べるとYOUTUBEに千葉駅のエスカレーター完成とのっていました。ヤレヤレこれで大網までなんとか行けると妹と甥と大網で待ち合わせたのでした。 お墓のお掃除を妹と甥が済ませ、お線香をあげて、台風が来そうだからと、いつもの食事処に寄らず、甥がスマホで調べたコーヒー館によって、コーヒーとピザで軽食を取り、帰途へ。大網まで妹たちと車で。私は大網から電車で家の最寄りの駅まで1時間くらい。ぽつぽつ雨に降られましたが、風には合わず、無事に家に帰ることが出来ました。息子は今年も風邪がひどく同行できませんでした。 そうそう、お寺にご挨拶に寄りましたが、ご住職さんは3年前に亡くなられたとか、私と同い年で夫の葬儀にも来ていただいた方です。なんだか寂しくなりました。ご冥福をお祈りいたします。
2018.10.02
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どうやらこのところの涼しさで、風邪をひいたらしいのです。 昨日もだるくて仕方がなかったのですがK病院の予約があったので出かけ、階段を上るのも息切れがして仕方がありませんでした。自分では風邪とは気が付かなかったのですが、今日になって咳が出るし、眠くてだるいのは風邪のせいかもしれないと体温計で計ってみると、36度5分。数値的には普通の体温ですが、私は平熱が35度5分くらいなので、普通の人の37度5分位の熱です。 さあ、今日はは早く寝ることにいたしましょう。ブログの訪問も出来ませんが、申し訳ございません。失礼いたします。
2018.09.15
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9月10日(月)はA鍼灸院へ行きました。予約してあったのですが、ちょうど前日の晩座った姿勢から立とうとしたら腰にビリビリと衝撃が走って痛くなりました。衝撃的な痛さは一時的なものでしたがあとはいつもの鈍痛にとってかわりそれが酷くなりました。 膝をひねってから、どうも腰まで痛くなってきました。鍼をやってもらうと楽になるので、楽しみにしていました。 いつものように施術を受け、最初は膝を立ててから腰をあげようとしても激痛が走ったのですが、施術後はそれがなくなりホッとしました。 どうもこの猛暑で体はガタガタになったようです。鍼を受けても追いつかないくらいです。 帰り際に耳が遠くなって、先生にも何度も聞き返すことがあってすみません、と申し上げると「いや、いいんですよ。」と。「このところ耳鳴りが酷くなってますます聞こえにくくなったんです。」「耳鳴りはなかなか治りにくいんですが、今度やってみましょうか」と。 一縷の望みを託して鍼をやってみるしかなさそうですね。知人で補聴器を買ってもなかなかうまくいかずに使わないでいるという話も聞きましたし…。
2018.09.11
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みんなの肌は南瓜色になっていった 戦時中 裏山に火薬庫があった誰も近づけない危険な場所だったが戦争末期には壊され 庶民に土地が切り売りされ飢えを凌ぐ家庭菜園となり 野菜が作られた その噂を聞いた我が家もその土地を借り玉蜀黍や薩摩芋を育て主食代わりの水団(すいとん)にした 裏山には切通しの坂が出来坂を登って野菜を育てに父や母がよく通ったものだ私たち姉妹も野菜の育ちぶりをよく確かめに行った 水団(すいとん)というと今でも当時の食を偲びよく作られるがそんな代物ではなかった第一小麦粉がなかったから団子は作れなかったお箸をかき回しても引っかかるのは芋くらいだったそのうち芋も採れなくなると芋の葉と蔓だけになり葉っぱと蔓だけの汁を掻き込んでは飢えを凌いだ やがてそれも叶わぬ時が来たその土地は国のものだと取り上げられ庶民は命の綱の菜園を失った それでも庶民の知恵は負けてはいなかった菜園がなくとも狭い所で育てられる野菜を見つけたそれは南瓜だった家の周りのどんなに狭い土地にでも種さえ蒔けば 蔓を伸ばして 屋根に実を結ぶこうして南瓜はみんなの命綱となった 来る日も来る日も南瓜の水団(すいとん)親や子 友や みんなの肌は南瓜色になっていった南瓜は人を救ったが 人を黄色い色に染めていった by ドレミ・どれみ (詩人会議10月号より)
2018.09.08
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今回の台風は猛威を振るい各地に多大な爪痕を残しましたが、ブログの皆様ご無事でしょうか。ご無事を祈るばかりです。 こちらは風雨が強かったものの大した被害はなく無事に過ぎ去っていってくれました。 大分遡りますが9月1日(土)はIBM闘争の勝利解決報告集会がアジュール竹芝飛鳥の間で開かれました。 事前に参加者をはがきで確認したのですが、参加して勝利を祝したい思いの方が多かったと見えて、立食パーティーの会場は大勢の人たちで膨れ上がりました。カメラを持っていくのを忘れましたが、たとえ持って行っても壇上の人は写せなかったでしょう。立錐の余地が無くといっては大袈裟ですが、私などとても移動して写せるものではなかったです。 市川新婦人コーラスのKさん(合唱団Pでもあります)と一緒に行ったのですがすっかりお世話になりました。 受付では以下のものを受け取りました。 闘争のパンフレット 返信のはがきに寄せられたメッセージ集。 集会のプログラム。 会はうたごえから始まりました。自らそう名乗るIBM闘争の専属歌手橋本のぶよさん。東京のうたごえの大熊啓さん。大集会のたびにまた、社前行動のたびに歌って激励して下さった方です。うたごえは闘いとともに…を実践して下さった方たちです。 パンフレットを読むと、どんなに多くの方々に支えられた戦いであったかがわかりました。まず弁護士の先生方も率先してIBMの弁護を引き受けられたのだとか…。希望者が多く困ったほどだとか・・・。原告一人に一人と、1次、2次、…5次ごとに一人の主任弁護士が付きました。理論的にも統一を保つように度々会議も開いたでしょうし、陳述書を書く指導もしてくださいました。本当にお世話になりました。 それから、先頭に立って理論的な面でも行動的な面でもしっかり方針を立ててくださった、IBM支部の執行委院長、書記長は必ずこの戦いは勝つ、と常に鼓舞してくださいました。全労連議長、JMITU中央執行委員長、多くの全労連組合員の皆様、争議団の皆様、いつも励まし行動に参加していただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。 それに、集会でも報告されましたが、一番困ったのはお金がなかったことで、それは支援する会に入会していただいてどんなに助かったことか。と感謝の意を表されました。このブログでも多くの方に支援する会に参加していただき、本当に感謝申し上げます。集会費、行動費、など財政上の手助けに大いに貢献していただきました。 最後に2次会でちょっと感動する場面がありました。それは息子の発言でした。母親が自分が困っているときに組合事務所に電話してくれ、すぐ組合から息子に電話があって、自分が組合に入れて事なきを得たこと、ロックアウト解雇の時も応援してくれたこと、をこの場を借りて感謝したいと言ってくれたことでした。 普段は物を頼むことしかしない息子が本当はそんな気持ちでいたことを知って、天にも昇る気持ちがしました。 勝利集会を終えて一区切りがつき、安倍政権の方針・解雇自由を意のままにさせなかったこの闘いを皆さんのご支援を受けながら戦い切ったことを本当に喜びたいと思います。
2018.09.05
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猛暑日の8月26日(日)、千葉の合唱創作交流会は開かれました。 猛暑が続いた8月最後のイベントです。最寄りの駅に8時15分集合、鎌ヶ谷きらりホールに9時半には着きました。きらりホールはこじんまりとした音響の良いホール、千葉県中から日ごろ練習した成果を発表するために集まった23団体が合唱を交流しました。リハーサルを終え、12時50分から本番の演奏が始まりました。30名以上の団体からたった4名の団体まで、親しみやすい歌や、全く初めての歌もあって、それぞれに工夫の跡が見られて楽しかったです。 発表が終わると4人の講評委員会が開かれて、その間舞台では、今年の日本のうたごえの企画委員長のリードで祭典で歌う歌数曲の歌唱指導がありました。トークも交えた歌はとても興味深いものでした。 それから、結果発表。コンクールの部と交流の部それぞれ、推薦団体、準推薦団体が発表され、講評用紙が最後に各団体に配られました。 会場の響きがよく、素人の耳にはどの団体も上手に聞こえて優劣つけがたいのですが、講評委員の先生方も大変だったろうと思います。 私の参加した団体では交流の部でプリマベラが準推薦に入って一定の評価を受けました。もう一つの市川新婦人コーラスはまだ発足4年目、6人のコーラスグループで推薦など望むべくもなかったのですが、精いっぱい歌えたと思います。講評もなかなか好意的で(代表なので預かってきたので先に読ませていただきました)嬉しい批評が書いてありました。それに満足しないでまた頑張らなくては…。 携帯に息子から「今日37度だよ。フラフラして倒れていない?」という心配のメールが入っていましたが、音楽会中なので全然チャイムに気が付かず、返信できませんでした。息子には心配かけましたが、ホールの中は涼しく外の暑さは感じずに無事に歌に集中することが出来ました。ヤレヤレ、これで一大イベントが無事に終わりました。
2018.08.28
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8月19日(日)は曇りのお天気。さほど猛暑ではないので、千葉詩人会議に出かけました。 南八幡駅前からバスに乗りましたが、信号無視して横断していた人と接触したため、一時はどうなるかと思いましたが、運転手が対応して怪我はなかったらしく、そのまま発車しました。この暑さにぼーっとしていたせいか、歩行者は(お年寄りらしい)赤信号でも横断しようとしたらしいです。危ないですね。でもよかった、怪我はなくって。おかげでバスは少し遅れて、会議の始まる時間には間に合わなかったのですが…。 詩人会議では最初に、「澪」59号より前回時間切れで講評できなかった人と欠席だった人の詩を皆で講評。次にKさんが出版された詩集「しおり紐のしまい方」についてKさん自身から、出版するにあたっての理由とか、詩とはどのように作るのか、という観点について述べられました。 どんな身近な題材についても詩が書けるとおっしゃるKさん、何時も詩の題材について悩んでいる私にとってはよい示唆になりました。 貴重なお話が伺えて有意義な会となりました。
2018.08.21
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