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吾のプロフィールに使っている猫人形の問合せを頂いた。吾もなんだかわからないのだ。だが、小樽でこの作家さんのお店に立寄りもう一目見た瞬間、運命の出逢いみたいな感じがして、即購入!もう3年程前か・・・その時は、こんな風に使うなんて思いもしなかったが・・・こういう勘というのは大事だよね。ブログを立ち上げた当初、実はプロフィール写真を自らの顔写真にエフェクトをかけた怪しい写真を使っていた。これが不発で、この猫人形にしてからアクセスが急に増えだした。まさに福をもたらす招き猫である。だが、今日は節分ということで、本日のプロフィール写真はひょっとしたら本来の吾の姿かも、おにっこの絵を使ったぞ!今日一日限りの限定掲載だぁ!今日お初にお見えの方、幸運の招き猫が拝みたいようなら明日以降またの来訪を!そして更に予告しておこう!2月14日、バレンタインにはこの招き猫の特別バージョンをやはり一日限定で掲載するぞ!今からお知らせしておく。恋愛成就の招き猫、拝みたいようなら、またの来訪を!そして、そして更に!猫人形ごときに負けてなるものかぁ!不発に消えた吾の秘蔵写真を不定期にいつかは内緒で掲載するぞ!いつ出るか(お化けみたいだなぁ)わからんからご注意あそばせ。このハズレ写真をひいてしまったときは厄払いに、掲示板に書込みされたし。なんか、マイブログの悪徳商法になっちまったぞ!今日の占いが超よかったので、かなり積極的にいけいけGO!GO!になっている。さて、話を続けるぞ。仕事柄縁起をかつぐクセがあるのは、昨日も言ってあるが・・・まず、毎朝欠かさず民放各局の占いを、全てチェックすることから吾の一日は始まるのである。それだけでは足りず、続いてネットを立上げ、楽天占いをチェック。どれも星座占いが中心だが、同じ魚座なのに、全く正反対の結果が出される時がある。これはいったいどうしたもんかと困ってしまう。が、気が付けば占いの内容はすっかり忘れているんだなぁ。大体これだけチェックすると、いちいち覚えていられないわい。だけど毎朝確認しなくてはいられない。なぜだ・・・そもそも司会というのは、収録で録直しが出来るナレーションと違ってライブだから、一発勝負なのだ。失敗・間違いは許されないのである。そして、イレギュラーやハプニングがあれば、瞬時に反応してその場を正常な空気に清浄しなければならない。そして常に一人である。即時の判断は自らの勘が頼りだ。そんな時、この占いが吾の判断の決め手になっているのである。細かい内容は忘れてしまうが、全体的にいい日か悪い日かが、問題なのだ。いい日だったら、思いきった判断にでる。すると禍を転じて福となす、ハプニングから思わず面白い展開が生まれいいセレモニーになったりするのだ。悪い日なら何事もなかったようにやり過ごす。冒険はせず、当り障りのないように、何も触れずにさっさと進める。元来普通にやっておれば、ゲストはそんなものだろうと気にもとめないものだ。常にこのスタンスなら間違いはないが、それでは誰が司会をやっても同じである。フリーで一枚看板あげてる吾としては、アクションは必要不可欠なのだ。そんなわけで、司会の仕事や、公演に立つ時はもうありとあらゆる占いをチェックして、今日一日の判断基準を決めているのだ。もう、殆ど病的だよね(笑)だが、1月28日と30日の日記に書いた婚と葬の時は確かにいい日であり、吾にはGOサインのお告げだったのだ。さて、今後も婚と葬の四方山話を綴っていきたいがプライバシーの問題もあるでのう。当人の許可がとれたら、様々なエピソードを紹介していけたらと思っている。最後まで読破ありがとうさん。明日から春だ。心もほっこり、いい春を迎えたいなぁ。今日も豆まきしようっと!あっ!今気が付いてしまった。もしかしたら、今日中に記念すべき3桁アクセスか?!1000番キリ番は自分で踏まないようにしなければ。吾はよく自分で踏んでしまうのだ。1-------------------------------------------------------今、22時半。今日もあと僅かで終ってしまう。ここから、本日2度目の更新。これ以降読んでくださる方は、真のとはず語り愛好者であろう。なんせ、だらだら長いからのう。吾の日記は・・・あと僅かで、このおにっこプロフィール写真も封印だ。おにっこ効果は凄かった!おかげで本日は1000アクセスを超えたぞよ。おにっこに感謝を捧げたい。一見さん向けに綴ってしまった本日の日記。実は、ここからが、弥々のとはず語りの本領だ。今日は節分。全国各地で、豆をぶつけられ、追いやられた鬼達よ。何も卑下することはない。時に、人間というものは幸せに慣れっこになって奢り高ぶってしまう生き物だ。そんなやからに、一喝を投じる鬼達に吾は敬意を表する。童話【おにたのぼうし】をご存知だろうか?鬼にも色々いるのだ。悪い鬼ばかりではない。時に鬼の一喝が必要な時もある。宮沢賢治の【座敷童子】の話もそうだ。真の価値とは、時に見方を変えてみないとわからんものだぞ。なんだ、哲学か?浅学だよなぁ・・・とにかく、今夜は【座敷童子】のお話をつまはじきにされた全国各地の鬼達に読んで語ってしんぜよう。では、これでほんとに本日は打ち止め。おにっこよさらば。そして今日一日、ありがとうさん。合掌
2005.02.03
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おはよーっす!早朝より本日一発目の更新だ。時刻AM6時20分受験生の皆が出かける前に間に合うようにね!今日は吾の住む埼玉県公立高校 前期入試の日である。全国的にこの冬一番の大寒波到来。今朝も一段と冷え込んだ。風邪ひいてないかい?忘れ物ないかい?受験票は、さすがにもったよね。歯はしっかり磨いたかい?前期入試は面接勝負だからね。スマイル・スマイル。今朝だけは納豆に葱を入れるのはやめときな。口臭もポイントさ。寝癖、直すのに時間かかるんだから、さっさと目を覚ませ!その昔大人気だった極悪番組ドリフのノリだぜ、これじゃぁ(笑)昨日吾は皆の15の春が桜満開になるように一足早く豆まきしたぞ。鬼退治完了だぁ!とにかく!とにかくだ!自分のべストを尽くしておいでー!行ってこ~い!さて、吾はこれから仕事に行くぞ。昨日は一日PCとにらめっこだったから、今日こそ外に出るぞ。毎週水曜日はレギュラーで、中古車オークション場のアナウンスをやっている。続きは帰宅してから、更新する。宜しかったら、また今晩お立ちより下され。では、いってくる。1-------------------------------------------------------ただいまなのだ。ここからは本日二度目の更新。いやぁ、今朝は昨晩まいた豆にのっかり危うく玄関先で転びそうになったよ。だが、鬼退治のかいありというものだ。ひらりと、何事もなく立ち直り、いざ出勤!の前に、ゴミ出しをしてた時、近所の奥様に声かけられた。「ゆうべ、豆まきしてたでしょ?焦ったわよ。節分今日だっけ?って。」いやぁ、それはお騒がせしてしまったなぁ。吾の家の周りでは、窓全開で大声出して派手に豆まきをする家はない。が、吾は毎年豆まきは盛大にしないと、ばちがあたりそうで落ち着かないのだ。今年は節分より前倒しだから、ちょっと不安なのでその分いつもより景気よく豆まきをした。元来鍛えられた喉である。さぞかしご近所はびっくりだろう。家では「福は内、福は内、鬼は外!」と必ず福を先に二回まき、鬼は一回で、ワンセット。福が余計に来るようにだ。欲張りな話だが仕事柄、縁起をかつぐのが癖になっている。豆は気がすむまで撒き散らす。おかげで今日は何だかいい気分だった。それにしても、もうすぐ立春というのに、寒すぎるぞ。「冬が来た。きっぱりと冬が来た。」あるテレビ番組のナレーションで使っていた言葉。妙に気に入った。まさに今日は、きっぱりと冬が来たぞ。日本海側では歴史的な豪雪だって。新潟の被災地の皆様は苦労がたえないなぁ。ほんとに早う春が来て欲しいね。心の中までぽかぽかの春。今年はいつもより余計にそう願う気持ちが溢れてる。ところで、節分にけんちん汁はどこでも定番なのか。誰かコメントくだされ。それでは今日はこの辺で。
2005.02.02
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ブログを立ち上げてから、気が付いたら10日過ぎていた。この日記が11日目とは・・・今日は早朝からずーっとPCに向っている。3月26日に予定している、語り公演用の脚本をいい加減今日中に何とかせねばともっか奮闘中である!今回は二部構成。一部は個人の演目。これは勝手にやるからいいとして。問題は二部。玲さんと弥々の二人でかけ合いをする演目だから脚本は必要だ。SEや、BGM等も割り振って・・・照明か・・・高野悦子・原作 「二十歳の原点」がモチーフ。昭和44年・1969年 当時の日本は学園紛争に吹き荒れていた。その中で自己を確立しようと懸命にもがき苦しみそして最後は十数冊の日記を残して鉄道自殺をはかってしまった二十歳の女性高野悦子さんを、平成の世に呼び戻せるかがコンセプトである。重いテーマだ。何度も行き詰まる。その度に、つい自分のブログを覗いてしまう。アクセスカウントが増えていたりすると、思わずニンマリ。カァー、これがブログの魔力か。今日もどこかで、吾のとはず語りを目にして下さる人がいた。吾は元来、些細なことでいちいち感動しすぎるのだがでも、やっぱ、嬉しいぞー!!冷やかしの方も勿論いらっしゃるだろう。だが、ある日からどこのどなたかわからないが毎日必ず覗いてくださる方もちらほらいらっしゃり・・・なんという幸せ。おーっと、いかん、いかん。ニンマリしている場合じゃない。脚本だよ。てなわけで、「二人羽織・とはず語り」稽古日誌を新たなカテゴリーに追加しました。第一回目は、稽古どころか、脚本段階で行き詰まり状態。一日も早く稽古に入れるように、この後は一気に脚本書き上げねば!では、今回はこの辺で・・・次回は充実した稽古日誌をアップできるように頑張るぞー!追伸: 夕方までに書き終えることが出来たら今晩にでも完成報告兼ね、日記の続きを更新する予定。長い日記にお付合い頂ける方は、今晩また?お立ちより下さいまし。只今の時刻午後12時47分1-------------------------------------------------------ここから、本日二度目の更新なのだ。ヤッホー! ん~すっきり!書き上げましたよー!脚本ついに完成!!ここ何日かつっかえていたモノが溶けてなくなりまずはほっと一息。只今の時刻PM17:45さぁ、この後は盛大に豆まきをやらかすぞ!今年は2/3にちょいと予定があり、吾は一足早く今日、節分の豆まきをすることをさっき決めた。だって、脚本完成ほやほや状態で厄払い・鬼退治・招福万来をやったほうがいいに決まっている。いわしの丸干しも買うてきた。急いでけんちん汁をこしらえよう。こんな寒い日はけんちん汁だよ。いい塩梅に寒気が染みる。けんちんがより一層、美味くいただけるぞ!今日はもう絶対豆をまくことにしよう!ところで吾の地方では節分にはけんちん汁だがこれって全国的にそうなのかなぁ。恵方巻きは関西でしょ。いまやコンビニ効果で関東にもあたりまえのように広まっているが・・・なんか野菜の旬と同じで、こういう地方独特の文化・慣習なども地方色を大事に維持していってもらいたいなぁ。けんちん汁が吾の地方ならではなのか全国的慣習なのかもわからなくなってしまった。だれか、教えておくれ。皆さんがお住まいの節分はどんな感じ?明日は、このネタの続きでも引っ張るかな・・・あぁ、それにしても気分爽快!今宵はゲスト様のブログ巡りもゆっくりできるぞ!その前に豆まきだぁ!では、また明日。
2005.02.01
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毎週月曜日は、地元の小学校へ読み聞かせボランティアに行っている。もう6年間、毎週一日も休まず通っている。これも、日記と同じく吾がずっと続けられてきているものの一つだ。朝自習の時間8時15分~35分の20分間、一クラス35名前後を対象に絵本を読み聞かせている。今年は2年1組の担当。週に一度ではあるが20分となると、毎回2~3冊位は読めるので吾はその絵本探しに、図書館へも足繁く通う。30名以上の生徒全員が興味を持てるお話というのはそうあるものではない。ちょっとでも気を抜くと彼らは反応が素直なだけに、即座にそっぽを向いてしまう。吾も仕事以上に真剣勝負だ。大人相手の朗読ボランティアの方がはるかに気が楽。大人は気を利かすということがあるから、つまらなくても静かに聞いてくれる。だが、子供はそうはいかない。しかも年々、その天真爛漫さ、自由奔放さ加減はエスカレートしていくばかりだ。子供だからと手は抜けない。実は先週、二人の男子が読み聞かせ中、ずーっと遊戯王カードのことで雑談をし続けていた。そのうち静かになるだろうと読みつづけていたが、一向に納まらない。絵本の内容によっては無視できたのだが、その日は「スーホの白い馬」を読んでいた。この作品はしっかり聞かせたかったし、その二人以外は、クラス皆が絵本に集中していた。聞きたい子には大迷惑である。そこで吾は、これからお話が大きく動き出すというところで「はい、おしまい」といきなり本を閉じやめてしまった。クラスがシーンとなる。「○○と○○のせいだぞ」と一人の男子。「そうだよ、うるさいよ」と皆。子供達はわかっているようだ。そのまま、何事も無く読みはじめてもよかったのだが大人として、きちんと子供と向き合ういい機会だと思い「私はね舞台とかで大きな声を出すから皆がどんなに騒いだって負けない位、大きな声で本を読んであげられる。だけど、このお話はそんな風に読んだら、お話自体が台無しになっちゃうんだ。このお話に対しても失礼だし何よりこのお話を味わって聞きたいと思ってる子にとっては君らのおしゃべりはとても許しがたいことだよ。こんな状態では、このお話は読みたくない。勿体無いもの。静かに出来ないのなら今日は帰る」と吾。子供達に、帰っていいよと言われたらどうしようかと思ったがまだ素直な田舎の子は、大人に怒られることが堪えるんだよね。「お願いします」と居住まいを正したんだ。その後はもう本の虜。吾も久々に素直な子供達の心に触れて十分嬉しかったのだが読み終えて帰る時、もっと嬉しい事が待っていた。急ぎ足で帰る吾の後ろから、追いかけて来る足音が・・・振返ると雑談していた二人の男子だ。「今日は、ごめんなさい」とペコリ。吾は二人の頭を思いっきり撫でまくった。反省できるその気持ちが何より素晴らしいよね。当然、担任がそうさせたのは知っている。だけど、素直に従い、寒気の中、白い息弾ませて吾を追いかけ謝れるその素直な気持ちが嬉しい。悪いことをすぐさま諭し、導く担任。子供達の周りを取り囲む大人達が、毅然と接していてくれたらこの子達は真直ぐ育っていくだろう。どんな悪人でも、素直な時代があるのだ。そこから先をどう導いていくか、大人として責任を十分に考えこれからも子供達の心の栄養になる絵本を読み続けていきたい。今日、読んだ絵本「おにたのぼうし」「ゆうかんなアイリーン」
2005.01.31
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吾が派遣されている葬儀社は、自社ホールを持っている。最近は住宅事情や近隣との付合いの簡素化でこういったホールでセレモニーを行う葬家が増えつつある。従来のような自宅葬であれば、葬儀屋の担当さんが式進行まで執り行うので十分だ。だが、ホールとなれば今や結婚式場なみで、音響・照明・DVD映像投影さらにはプロの奏者が、生演奏(献奏)と、演出効果は全て揃っているのである。そこで、故人のご生涯・人柄・生前のご功績などを故人にゆかりのあるBGM等をかけながらナレーションするようになり吾のような女性司会者が、数年前から葬儀業界にも専門職として重宝されてきているのだ。そのナレーションも時々、これでいいのか?故人は嫌がっていないか?など不安に思うこともあるがまぁ、それは職務で求められているからしかたない。吾は、誠心誠意、心を尽くしてナレーションするに徹するしかないわけだが・・・1-------------------------------------------------------またしても前置きが長くなった。さて、ここから本題。先日、ホール葬なのに一切音響は厳禁と指示をうけた。喪主(故人の長男)の意向という事だ。余計な演出はしないで欲しい、静かに送りたいというのだ。マイクも当然使わず、肉声でと。自宅葬なら肉声進行は珍しくないがホールで肉声とは・・・舞台じゃないから声を張り上げる発声ではないわけで・・・正直とまどった。だが幸い、列席者は殆ど身内のみ20名ほどの密葬だったので指示どおり通夜は肉声で進行した。一切音楽もかけず、型通りの開式・閉式の辞しか言う事も無く司会として何だかなぁだったのだが・・・これなら担当が司会すれば十分ではないかとさえ思った。だが、プロ司会として呼ばれたからには、吾に求められる何かがあるはず。故人の奥様からはこんな素敵なエピソードを伺えた。『遺影は長男が還暦のお祝いにプレゼントしてくれた北海道旅行で撮影したもの。新婚旅行など出かけられる時代ではなかったからこれが夫婦で初めて出かけた旅行だった。楽しい思い出であり、忘れられない思い出だ。』と・・・その時の奥様の幸せそうなお顔、そしてご遺影の故人のなんと満ち足りた表情。これはなんとしても触れたかった。故人と奥様の心と心を、この最後の場でしっかり繋ぎとめてあげたったから・・・しかも故人はご自分でこのホールを見て気に入り即決されたそうだ。ならば、音響等の演出も嫌がることはないはずだ。告はこのままにしたくないと思い覚えられる範囲のナレ―ション原稿を仕込みいざ出陣。前記のナレーションというのは、主に告別式に入れるのだが担当からはマイクも音楽も使えないからナレーションはいらないね、と言われていた。だが告別式当日、喪主様から案の定「静かにと寂しいのとは違うから」と同意を頂き、温かく送りましょうとなり出棺時のみのBGMとナレ―ションの了解をとり本番。これが思いのほかとってもいいお式になったのだ。ま、あくまでも吾の主観だが・・・でも、祭壇横で奥様と故人に語りかけるようにナレ―ションしたら、奥様が頷いて聞いていて下さったこと、出棺時に奥様が、私ごときに丁寧に一礼下さったことで、手ごたえを感じた。一切音なしできて、最後にすーっと思い出の北海道をイメージする「北の国から」のBGMで出棺した時は、何とも言えない笑みと涙が・・・後で気付いたのだが、喪主はどうやら担当の説明を勘違いされたようなのだ。献奏を入れたりすると料金が発生するわけだがホールでBGMをかけるのに、料金は発生しない。献奏とBGMを取り違え、余計な演出はいらないになってしまったようだ。担当の支持に従うのが、派遣されてる司会の鉄則だがこの時ばかりは、吾は思い切って反抗してよかったと信じている。喪家が真に望む本質をしっかり見極めていけるような司会者でいたいと、改めて肝に命じておりまする。(なかなかコメントを頂けないが、ご葬儀や婚礼に関して何でもいいです。思うこと、気になること参考までに、どしどし寄せて頂けたら幸いでありまする。皆で井戸端会議のノリで、意見交換していける場になればと願っています。)
2005.01.30
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本日1月29日19時から放送のテレビ東京・土曜スぺシャルをご覧になった方限定の話題で申し訳ないが・・・『東京から1時間・意外と知らない小さな温泉郷』で紹介された【お顔がつるつる1泊8650円の激安宿】に吾は今日行っていたぞ。このホテルで婚礼があったのだ。吾は葬儀の司会を始めるまでは、ここの専属司会者でもあったのだ。今は手が回らないので、専属を解いてもらい、ご指名を頂いたときだけ伺っている。今日は数年前にこのホテルで婚礼を挙げた方のご親戚の披露宴であった。お披楽喜後は凍てつく秩父の夜空に大きな打上げ花火・スターマインが彩りを添えかくして今日も無事に新たな縁が結ばれた。さて、話を戻すが、ここの温泉は確かに凄いぞ!番組でも紹介されていたが、ほんとに肌つるつる。この湯に入ったらそんじょそこらの温泉では物足りなさを感じてしまう。吾も大ファンで、披露宴の後は必ず一風呂浴びて帰るのだ。水道代を浮かしたいと、井戸を掘っていたら、なんと温泉が!まさにほって沸いた幸運!その名も「星音(せいね)の湯」その泉質・成分は温泉分析者をうならせたとも・・・温泉好きな方は、是非一度お試しあれ!埼玉県秩父郡吉田町のリゾートホテル・ばいえる詳しくは下記HPでどうぞ!http://www.beyer.jp/index.htmあっ、念のために記しておくが、昨日書いた日記の婚礼はこちらのホテルとは違います。プライバシー保護の為、そこんとこははっきりと明記しておきます。やぁ、今日は情報ネタをかましてしまったなぁ。でも、ここの湯はほんとにお勧めだ。1-------------------------------------------------------追記:ここからは2月18日に書いてます。本日2月18日13時半から、テレビ東京で、この番組の再放送があるぞ。興味があったら、ご覧くださいまし。
2005.01.29
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カテゴリーを見ると、ブライダルネタが0に気付いた。今日までご葬儀ムードにどっぷりだったのだが明日は婚礼司会があり、そろそろ祝モードに入らねば・・・と言うことで、今日は過去のブライダルから・・・まさに人生悲喜こもごもである。そのカップルは、新婦側の両親はもちろん、親族が一切参列されない披露宴だった。新婦側は、わずかに高校時代の恩師とその友人数名のみ参列されただけで70名程のお席は殆ど新郎側で埋め尽くされた。そう、両家の両親がもめてしまった婚礼だった。原因は出来ちゃった婚を新婦の両親、特に父親がなんとしても許さなかったから。昨今は出来ちゃった婚なんて、さほど珍しくもなく反対の理由にはならないものだが、このカップルは例外だった。新郎が新婦宅に結婚の申し出に伺ったら、両親に猛反対されそのまま新婦は勘当され、何も持たず、着の身着のままで家を飛出し新郎宅に転がり込んで結婚式を迎えたのだ。披露宴の2週間前に打合せで初めて会いその時いきなり新婦側は参列されないことを知らされた。打合せには二人以外、新郎の姉が同席された。19歳の新郎と18歳の新婦。打合せでは二人は殆ど口を利かず全てお姉さまが仕切っていた。それもそのはず、披露宴会場はこの姉が勤務されてるホテルであり姉はまさにブライダルコーディネーターだったのだ。もう、姉の披露宴かと思うほど、二人はカヤの外だった。吾はこの複雑な状況を、司会の立場として正確に把握しておきたかったのだが二人と吾だけで話をさせては頂けず、ほとほとまいっていた。進行そのものは姉が全て仕切るので特に打合せ事項はなくこっちは不満だが、人形のように言われた通りに進行すればいいようだ。打ち合わせ中、聞かされたのは新婦側の両親への非難の弁。吾も姉の話を鵜呑みにしそうになるほどだったが新婦のあまりにも悲痛な様子に疑問を感じる。このままでは明日、マイクは握れないと思い前日に思い切って新婦側の実家に電話をして、母親からいきさつを伺った。喧嘩両成敗。他方だけの話を聞いただけではわからんものだ。新婦側はとっくに娘のことを許していたのだ。命を軽々しく考えすぎている若い二人を、試すつもりだけだったのだそうだ。困難を乗越えそれでも産むと決意した娘を心から祝ってあげたいしお嫁入りの仕度やらもしてあげたいからと、何度も新郎宅に電話をしていたそうだ。ところが、電話口では必ず新郎の家族が出られ、新婦は話したくないそうだと一方的に切られてしまい、明日、結婚式・披露宴だと言うことも一切知らされてなかったそうだ。お母様は、吾の電話で結婚式が明日と知り、電話口で泣いておられた。お母様と吾だけの秘密で、当日お式の時間を伝えお母様はこっそり娘さんの花嫁姿をご覧になり、早々に帰っていかれた。吾はその後ろ姿に誓った。お母様の気持ちを、披露宴中に必ず披露するぞと!そして開演。ちぐはぐ感はあるものの、新婦の恩師や友人らに守られ、披露宴は順調に進んでいく。そして――時間に余裕のある披露宴で、吾がよくやるフリートークタイムで、吾は仕掛けた。ゲストとのフリートークの流れの中から、新婦の両親の気持ちを公表したのだ。おしゃべりに溢れた会場がし~んとなる。一かばちかの大博打だぞ!やっちまったか・・・(脂汗)程なく、一人の男性が拍手をして下さった。その輪が会場中に広がり・・・そしてその男性、新郎の伯父だったがマイクを受取り、二人に向かってこう言った。『明日、いやこの後すぐにでも、新婦宅に二人揃ってきちんと挨拶に行きなさい。それぞれの両親を大事にすること。それが出来て初めて人の親になる資格があるものだ』会場は一段と大きな拍手に包まれ、何ともいえない笑顔と涙に包まれた。不謹慎だが、吾は新郎の姉に勝ったと思い、そしてこの伯父に完敗だった。だが、なんと気持ちのよい敗北だろう。その後の会場の盛り上がりと言ったら、言葉には尽くせない。そして、お披楽喜も近くなり新郎の挨拶――『今の感動を二人で大切に守り、互いの両親を大事にしながらお腹の子をしっかりと育てていくことを、皆様に誓います。』あぁ、人生悲喜こもごも。今頃どうしているかなぁ・・・
2005.01.28
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お斎と書いて‘おとき’と読む。ご存知の方もいらっしゃるだろうが葬儀の場において、この言葉が死語になりつつあることが気になるので今日はちょいと触れておきたい。「お斎」は耳に馴染みない方も、「お清め」と言う言葉はご存知ではないだろうか?そう、法要の席で振舞われる食事のことである。だが、この‘清め’と言う言葉がタブーな宗派があるのだ。死は穢れ無きものと意味付ける浄土真宗である。この宗派では、清めの塩も必要ない。冥福、安らかにと言う言葉もタブーなのである。当然食事の席もお清めとは言えない。そこで「お斎」となるわけだが最近この‘お斎’という言葉を知らない方が多く司会のコメントとしてわかりにくいと注意を受けた。弔問客にわかりにくい言葉は使っても意味ないから違う言葉でといってもお食事の席では何だか日常過ぎるし、そこで「通夜振舞」という言葉を使うようになった。ところが、この言葉すら浄土真宗には腑に落ちないとある住職から指摘を受けた。振舞うと言うのが意に沿わないのだそうだ。先日この住職とディスカッションをした。司会の立場としては、お客に寄り添ったわかりやすい言葉を使いたい。仏に仕える者としては、教えに反する言葉は困ると・・・住職の話を聞いていたら、例えわかりにくいと言っても司会者が使わなくなったら益々この言葉は死語になってしまう。意味のある仏教用語は、むしろ司会の立場としてきちんと理解し使いこなしていかねばと言う気になった。そして住職も、私たちがこういう教えをしっかりと説いていかなければいけないねとおっしゃられた。それぞれの立場で、仏教の教えを守り、浸透していかねばと意気投合したのだ。以来、私はお清めのことを「お斎」と言うことに徹している。時折よそのお式で、浄土真宗なのに、「○○家お清め会場」なんて看板を見るとがっかりする。葬儀と言うのは宗派によって様々だ。奥が深い。ちょっとしたミニ知識をもって参列すると、お葬式というのは不謹慎だが意外と面白いぞ。1-------------------------------------------------------そこで、本日お立ち寄り頂いたあなたへ、今日のミニ知識はお斎についてである。【斎(とき)とは・・・ 小乗仏教の僧侶は正午以前に食事をとり、それ以後は摂らないが食事をしない時間を非時(ひじ)といい、食すべき時の食事を時食、斎食という。そのことから、僧侶の食事や法事での食事を斎という。】他の宗派ならともかく、浄土真宗では、お清めなんて言わないで下され。「お斎」と使いわけましょう。そしてお清め塩がないからと騒がれませんように・・・少しづつ、葬儀については気になることを今後もレポートしていきます。よろしくなのだ。今宵はここまで。
2005.01.27
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吾は仕事柄、髪型をあまり派手には出来ずここ数年、特に葬儀に携るようになってからは、全く変えていない。以前はスタイルブックを見ながら、結構有名店にわざわざ足を運んでバリバリ派手なヘアスタイルもチャレンジしていたがこれと決めてからは、かえって面倒臭くないしすっかり今のヘアスタイルに落ち着いている。毎回、「いつもと同じで」と言えばすむから、世話ない。だが、毎回受付の後、カウンセラー席に通され「今日はどうしますか?」と聞かれる。親切、気配りの店の方針なのだろうがお客に合わせた接客が出来ないものかと気になって・・・吾はもうずーっと「いつもと同じで」と言ってるぞ!変えて欲しい時はいつもと違うオーラを醸し出して来店するはずだ。プロの接客を心掛けるなら、マニュアル通りではなくもっとお客の心を察知できる感性を養って欲しいなぁなんて望むのは許されることではないのだろうか…それから、やたら話しかけられるのも吾は嫌なのだ。どっぷり疲れきって、リラックスを求めていく美容院なのに「今日はお休みですか?」「この後お出かけですか?」もうウルサイゾー!人のプライバシーに踏み込まねいでおくれ~い。どうだっていいだろうがぁ!おっとッと、力みすぎた。失敬。確かにおしゃべり好きなマダムらもいるからね。美容師さんもそれなりに気を使って、話のネタを仕込んで接客しているのだろう。だが、話したくない。ゆっくりさせて欲しいというお客もいることを忘れないで欲しい。吾が司会者だからとおしゃべり好きと思うのは浅はか過ぎるぞ。普段神経張詰めて人前に出てマイクを握る商売をしているとプライベートでは全く話したくないものなのだ。気が付けば、お金払って髪を切ってもらっているのに司会者の悲しい性で、話しかけられると、ついサービス精神で面白おかしく話に付きあってしまう。癒しを求めていく美容院で、吾はどっぷり疲れるのだ。おーっと!美容師さんの接客について、またもや力が入りすぎてしまった、お恥ずかしい。美容師さんもお客様がどんな方なのか、その趣向を知った上でカットに生かそうとしているのかもしれない。重々承知しているつもりだ。だが一見さんではないのだから、こっちは常連客なのだからもう少し客の心理を察知できる感性も養って欲しい。一番困るのは、おしゃべりのせいでカットの手が遅いと言うことだ。こっちは短時間に巧いカット技術を享受したいと思っているのに・・・どうか、カットに集中しておくれ。客としては、美容師さんに気持ちよくいい技術を提供して頂きたいから文句も言えずにじっとしているのだ。この心理を察知して欲しいと願っているぞ。ただ一つ、これだけはいい!シャンプーの後のマッサージ。これが良くて今日もまた、吾はいつもの美容院に行ってしまった。だ、だが、今日はマッサージ中も話しかけられた。し、しかもシャンプーしてくれた子と全く同じネタだぞ!お客の会話ネタまで、マニュアル化だなんて・・・どうにかしてくれ~
2005.01.26
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昨日は司会のことに少し触れてみた。《人の縁を紡ぐ意味では婚礼も葬儀も同じであると・・・》?をいだいた方も中にはいるかもしれない。婚礼は誰が考えても新たに縁を繋ぐものと理解いただけるとは思うが、葬儀に縁?狭義になるが、浄土真宗、特に真宗大谷派のご葬儀でよく配られるリーフレットはこの【葬儀を縁として】というタイトルがつけられているのだ。そのリーフレットには『葬儀に参列された方、一人一人が、身近な人の死という悲しい事実を通して真実の教え、仏法に出遇い、自分自身のあり方を根本的に見つめなおすことこそが仏事としての葬儀を勤めるという意義になる』とある。この教えは宗派を越えて確かにそうだなぁと、いくつものご葬儀に立合いながら吾は思う。親族が一同に会する。そこには確かに悲しみの涙も溢れているが久々に会うもの同士、お互いの無事を感謝するかのごとく、思わず笑みもこぼれる。「結婚式にはお腹にいた子が、こんなに大きくなったのかい」なんて会話は、はたで見ていても癒されるものだ。亡き人が結びつけたこの縁を、残された者が大事に守りしっかりと太い絆で結び、新たに広げていこうとする再出発の場でもあると感じる。その先に婚礼があり、そしてまた、葬儀に触れる時期を迎る。人は一人では決して生きているのではないと改めて刻み込む場が葬儀の場であると・・・もっとも往生を遂げる人ばかりではない。自殺・事故死・早すぎる死など、苦しみ、哀しみだけが蔓延するような場もある。けれど、そこにはやっぱり、亡き人を偲んで集う人がいる。その人の死から、自らの生き方を見つめなおそうと・・・婚礼が新たな縁を紡ぐ場なら、葬儀はその縁を更に深く繋ぎとめる場ということになろう。どちらの場においても、そこに求められるのは縁に結ばれしことを感謝する心が、そこに存在しているかどうかが大事なのではないか。ともすると形式や、世間体にとらわれてその大事な本質を見失いがちな昨今の冠婚葬祭。あなたはどうするべきか、時にじっくり考えてみてはいかがなものか・・・さて次回は、お斎(とき)について触れてみたい。
2005.01.25
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人の一生で大事な二つのセレモニー、結婚式とお葬式の両極端な場で、司会者として身をおく吾。両極端とは言ったけれど、それは表向きな面だけでありその本質は人の営みに癒しと新たな縁を紡いでくれるセレモニーという点では全く同じものだという気がする。だから忌み言葉なども、吾はあまり神経質に受け止める事無く出来るだけ普段着の言葉に、参列者の思いを乗せて心から言葉を発することをポリシーとしている。そうやって、それぞれの人生の大切な節目に立ち会ってきた。と、前置きが長くなってしまったが・・・1-------------------------------------------------------最近気になっていることがある。もう3年前になるだろうか。吾が担当させて頂いたある新郎新婦から今年も年賀状を頂いた。毎年宛名には二人の名前だけ。そして「まだ出来ないのです。」という文字が小さく書かれており・・・年々、二人の間に子供の誕生を望む思いと不安がつのっていくのが感じられ・・・ところが今年の年賀状は、宙に舞うのではないかと思うくらいに明るく嬉しい報告が記入されていた。「予定日は1月6日。いつ産まれてくるのかと、どきどきです」とあった。すかさず「嬉しい報告まってるよ」と賀状を出したのだが・・・その嬉しい知らせはまだ届くことはなく・・・待ちに待った大事な命に、全精力を費やしているのだろう。それが当然だ。そう思うのだが吾としては「おめでとう」の一言も言いたいわけで・・・毎日その知らせを気にしているのです。万が一のことがあるわけではないよね。そう信じてはいるが・・・知らせがあるまでは、こちらからうかつにおめでとうメッセージは出せなくて・・・人と人とのコミュニケーションは難しいよね。これまで担当させていただいた方々とは、先方が慕ってくださればセレモニー後も何らかの形でお付き合いをさせて頂いているせいか吾は親兄弟がたくさんいる大家族のような心境である。人の人生に関わると、心は何倍もエネルギーが必要で・・・いい時も悪い時も・・・多くの方の人生のレールをほんの一時ではあるけれど便乗させて頂く楽しさがこの司会という仕事にはあると思う。結構心がしんどい時はもう辞めてやると思うことがあるがやっぱり吾は、この仕事が好きなのだろう。多くの縁を紡ぐこの仕事、お声がけいただける限り、大事に務めていくことが吾がこの世に生かされてる意義なのだろう・・・T家の幸せを心から祈りながら、今宵はここまで。
2005.01.24
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はぁ、今帰宅。おっ、やば、日付超えちゃったよ。埼玉の奥、東武東上線終着駅から、今日は自由が丘まで友人が出演の芝居を観に上京。といっても、実はこの作品にほんとは自分も出演するはずだった。怪しい占い師の役でね。スケジュール的にきつくて辞退したのだが・・・自分が出演するはずだった芝居を観るのは、複雑な心境だ。やっぱ、自分は表現する側の人間でありたいなぁ。語りを始めたのも、司会者として常に裏方に徹し主役の引き立て役という司会の役どころに、満たされない思いがあったから。自分がスポットをあたる側になり、自分自身が何かを伝えていきたいという思いが強く湧き上がってきたから・・・今現在、3月と5月に語りの公演予定がある。3月は20歳で鉄道自殺を図り、命のかがり火をはかなく消してしまわれた高野悦子さんの日記、ベストセラーにもなった「二十歳の原点」を女性二人でラジオドラマ仕立てで語ります。今、脚本を練り直し中。どっぷり高野悦子モードで・・・【あぁ、文章にするとどうしてこのように平板になってしまうのか。いいえ、真実というものは、私があの時あの所で感じた意識の中にあるのでしょう。そう思わなければ、どうしようもありません。】二十歳の原点より、悦子の言葉を最後に引用し、今宵はこの辺で・・・
2005.01.23
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何を思ったか、急にブログとやらに興味を持っちまった。世間が怖い気弱な吾だが、自問自答の日々を一人で引きこもっていては偏った見識に埋もれていくだけだから、思い切って殻を破り世に発信してみようと一念発起!おっとっと、ちと大袈裟すぎるぞ・・・ともあれ今まで日記を書きつづけて8年目になる。何をやっても三日坊主の吾が、唯一続いているものだ。初めは三年日記(1頁に3年間の同じ日の日記が記入でき一度に見られる代物)がきっかけだった。こんなもん続くものかと思いながら、2年目に突入した時「へぇ、去年の今日はこんなこと考えてたんだ」と読み返すと自分のことを客観的に見直すことが出来て、日記にすっかりはまりだす。三年日記を埋め尽くした後は五年日記に替え、今年でその日記も完成だ。禁煙は出来ないが、問わず語りの日記なら、気ままに続けられるから自分だけの楽しみを、ほんの少し世間様とコミュニケートしてみようかと思いついたしだいである。何か緊張してるなぁ・・・表現硬いよなぁ・・・ま、お初の挨拶ということで今日のところはこんな感じで・・・さて、この後はブログ立上げに杯をあげるとしよう!
2005.01.22
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