一貫して他に抜きんでるためには、忍耐が絶対に欠かせない。
それが勝者と敗者を分ける唯一、最大の要因である。
ジャック・ニクラウスさん(プロゴルファー)の言葉です。
ーーーーーー
弘化2年(1845)俺が23歳の頃だ。
蘭学の師を求めて奔走して、専門は地理学の筑前藩士、永井青崖(せいがい)先生の
弟子になった。
弘化3年(1846)には住居も、
本所から先生の塾に近い赤坂田町へ引っ越したのだ。
この頃、俺は、島田虎之助先生の代稽古として
旗本屋敷や大名屋敷に出稽古に行って生活の糧を得ていたのだが、
蘭学修行が知れ、
「異国の臭気を当屋敷に持ち込んでは困る」
「異国語を学ぶ者は神州士道を冒涜する」と代稽古を断られたのだ。
出入りは断られ、収入の道が閉ざされてしまったのだ。
蘭学を取るか、生活の糧を取るかの苦しい選択を迫られ、
結局、俺は妻の理解を得て蘭学を選んだのだ。
結果として、この選択が、今の俺の基礎となったのは疑いもねえ事実だよ。
お前さんたちも、これから先、
右に行くか、左に行くか、迷うこともあるだろうが、そういう時は、
目先の損得ではなくて
時の流れに耳を澄ませ、心が欲するもの、良心に恥じぬものを選択することだ。
ーーーーーー
注
1837年(天保8)4月
漂流した日本人をアメリカ船モリソン号が送り届けようとしたのに対し、
幕府は異国船打ち払い令をもって臨もうと
したため蘭学者が一斉に反発し、幕府を批判したのです。
天保10年(1839)これに対して幕府は"蛮社の獄"と呼ばれる大弾圧を蘭学者に加え、渡邉崋山、高野長英、小関三英など著名な人物は自害、自殺を強いられています。
そんな背景の中、海舟に対する幕臣や諸藩の士らの迫害は
転居後もやまず、剣術の出稽古という生活費を稼ぐことからはじき出され、
幕府から自由に行動しては成らぬと言う「禁足」を申し渡されたのです。
この時期、
海舟は幕府の処分や廻りの白眼視に耐え、妻、民子の内助の功を得て
人目を避け蘭学の修行に打ち込んだのです。
海舟苦難の時代でした。妻の理解なくして、後の海舟は無かったのです。
ーーーーーー
☆ 選択を迫られる時の決断は、人間の作った法を超えるもの、
「天の法=良心」に従う!! やる!!と決めたらトコトンやり通す!!
これが大きなポイントです!!
法に触れないからと言って、人様を泣かせるような選択をしては絶対にいけないのです!!
愛と勇気と希望と団結のシンボルである、このバッジは、素晴らしいパワーを持っています。
☆ 収益の全額を、奉仕活動に使わせて頂き、年末に活動状況を報告致します。
> ツイッター で、よびりん語録を読んでください。


☆ 笑よく業を制します。お祓いよりお笑いです。 今日もあなたの良心というナビは正常に作動していますか?
☆ 「幸せになる法則」
★「我謳!!」
は 台湾、韓国でも翻訳発売されています。
☆ よびりん♪登場!!インターネットTVカウテレビ。音声+動く画像です♪
☆ サブ日記では連日「私の夢」を発信
しています。
☆ 先日撮影した動画です。
PR
Keyword Search
New!
よびりん2004さん
New!
おぎゃりん☆さんComments
Freepage List