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山陰の旅は続きます。三日目の朝は、まず鳥取砂丘へ向かいます。 見てください、この雪景色! 砂丘センターのリフトに乗って、砂丘へ向かいます。普通なら、砂漠のような・・・らくだが似合うような景色が見れる・・・これが砂丘です。単なる雪の平原ですネ。東西16kmに及ぶ、日本三大砂丘の一つ鳥取砂丘は雪の中でした・・・ 三日間の山陰方面の気温は、ほぼ0℃から3℃くらい。寒さ対策はしていったとはいえ、寒かったですが、この三日目が最も寒かったですネ。 次に訪れたのは出石(いずし)です。 兵庫県豊岡市に属する出石は、かっての出石城の城下町。碁盤の目状の街並みから小京都と呼ばれる街です。応仁の乱に際して、山名宗全が出兵した地であり。江戸時代、但馬の雄藩だった仙石氏によるお家騒動。幕末には彼の桂小五郎が潜伏していた地。歴史を紐解く鍵が幾つも残る地なのだそうです。 出石名物、城下大手門脇に立つ 日本最古の時計塔といわれる「辰鼓楼(しんころう)」です。 この街で、ヨメが最も気に入ったのが、出石永楽館という芝居小屋です。 明治34年に開館したという永楽館。近畿最古の芝居小屋です。寂れていたようですが、平成20年に44年の時を経て蘇ったそうです。 これは花道の上から舞台と客席を眺めていますが、廻り舞台や奈落を備えた舞台裏も見学してきました。短い時間でしたが、出石滞在は記憶に残る立ち寄り先でした。 出石から天橋立に移動する間に、その前後、バスガイドさんがこの辺りにはコウノトリがいる、と話してくれていました。カメラには収まりませんでしたが、一瞬、低い空に舞うコウノトリにお目にかかれました。ツルによく似た鳥です。絶滅の危機にある鳥です。車内、やや感激の一時でした。 そして、天橋立です。 天橋立は、京都府宮津市にある日本三景の一つです。ツアーで行ったのは、北側の傘松公園側です。麓からケーブルカーでパノラマランドまで登り、「斜め一文字」天橋立を観ます。 のぞき台という台の上に立って・・・覗いて見ると 逆さに見える、「斜め一文字」はこんな具合。全長3.6km。幅は20mから最長170mだそうです。いにしえより奇勝・名勝として知られる天橋立です。 やはり天気がイマイチ・・・遥か山の麓が宮津市内ですが、手前の街も宮津市の飛び地だそうです。家々の屋根には雪が積っている・・ さて、二泊三日山陰をめぐる旅は、ここ天橋立までです。この後は、舞鶴若狭自動車道~中国自動車道を使って、一路 大阪空港へ。 大阪空港発19:30のJAL機で羽田空港に到着したのは20:35分。空港第二ターミナル駐車場までバスで戻って、マイカーに乗り 帰宅いたしました。無事、横浜へ帰還いたしました。
2012年12月16日
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山陰の旅は・・・島根県、松江市内散策の続きです。 名城 松江城のお堀になる、松江堀川です。ここを船でめぐる、堀川めぐりがコースにもなっていましたが、あっしらは街並み歩きを選びました。 そして、城下の武家屋敷街です。 ここは長屋門や塀が続き、松江の街並みでも最も城下町らしい面影があります。 この道路の反対側に、菓子老舗「風流堂」がありますが。ここの銘菓「山川」は茶の湯の日本三大銘菓に数えられていますネ。しっとりと口当たりの良い落雁です。 松江藩藩主だった、松平冶郷公は江戸時代を代表する茶人でありました。不昧(ふまい)を号とし、自ら茶道の不昧流を建てました。 そんな不昧公の遺功が残る街、松江であります。 この後、松江から程近い、中海の大根島(だいこんじま)へ向かいました。ほとんど知られていないのでは・・・この島は火山の島だそうです。火山灰の土壌なので、牡丹や高麗人参といった特産品が出来るそうです。 ここの「由志園」へ行きました。ここは、「牡丹の花と高麗人参の里」なんて、呼ばれているようです。1万坪の敷地がある日本庭園があります。 なぜ、この大根島に立ち寄ったのか?後で解ったのですが、ツアーで乗ったバス会社の車庫がこの島にあって、さすがに地理に詳しい・・・ようでした。さて、日本庭園といえば・・・そうです、あの足立美術館へも行きました。 松江市内を離れ・・向かうは 島根県安来市古川町にある足立美術館です。 10年連続、日本一の庭園といわれる足立美術館の庭園です。 「最も訪れてみたい美術館」のNo1でもあります。 四季折々に美しさを描き出すようですが、この日は霙、雨に近い霙でありました。でも、うっとり・・・しばし見入ることとなりました。 枯山水庭、白砂青松庭、池庭・・・など6つの庭園が、5万坪に及ぶ敷地に整えられています。 ここは庭園ばかりが有名なようですが、美術館としてもなかなかなもので・・・あの横山大観の作品だけで130作品に及ぶそうです。訪れた日も、大観の作品が数多く展示されていました。広々した展示室が幾つもあり、それはそれはコレクションの多さにも圧倒されました。 これが正面玄関ですが、道路をくぐる地下道で別館ともつながっている、大変に大きな美術館であります。 二日目の行程は、一応ここまで。足立美術館から山陰本線沿いの国道9号線で鳥取県に入ります。この辺りは、天気が良ければ あの大山(だいせん)が見えるところです。標高1,729m、中国地方最高峰、日本四名山の一つ 大山。しかし、この日は全くダメ。大山見たかった、ヨメはしょ気ていました。 二日目のお宿は、三朝温泉「岩崎」でした。 三朝温泉 「依山楼 岩崎」です。大正9年創業の老舗旅館です。宿に着くころには、辺り一面 雪景色です。12月初旬に鳥取県でもこれほど雪が降ることは、それほどないと宿の方も仰っていました。 一晩中、雪だったようです。朝の宿内の景色を、部屋の窓から写しました。 途中ですが・・・その3にさらに続きます。
2012年12月15日
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12月9日から11日まで、二泊三日 クラブツーリズムの旅。タイトルは『出雲大社・天橋立・足立美術館・石見銀山3日間』です。今回も、ヨメと二人での参加でした。一日目は、朝まあゆっくり起きて、午前九時に家をクルマで出発。快調に首都高・湾岸線で羽田第二ターミナルP3に駐車しました。第二時計台前に集合、今回のツアー参加者は40名。年齢層はやはり同年齢が多いようで、夫婦が多いですかね。後は姉妹や女友達二人組又は三人組・・・羽田ANA、1030発。萩・石見空港行きは約2時間のフライトです。 この便、石見空港の悪天候で羽田へ引き返すフライトがあったと、ツアーコンダクターが言っていました。そして、萩・石見(いわみ)空港に着陸する寸前、機体は右旋回中。窓越しにパチリ 羽田は快晴でしたが、やはり山陰は幾重にも雲が重なっており、この時点ではまだ曇り空でしたが・・・この後、霙(みぞれ)から雪に変わっていくのです。最初に、世界遺産「石見銀山」へ行きました。何って、人の少なさに・・・やや驚きました。このバスで、今回の二泊三日山陰ツアーを巡りました。空港から空港まで、総距離731km、時間にして15時間21分のバスツアーでした。 石見銀山は、世界の銀の3分の1を産出した日本最大の銀山だそうですが、今日では閉山しています。日本を代表する鉱山遺跡として2007年7月に、世界遺産(文化遺産)として登録されています。 間歩(まぶ)と呼ばれる坑道跡が多く残っているようですが、一見して解りにくい遺構・遺跡だということで、間歩めぐりは止めました。その分、石見銀山資料館や世界遺産センターのある街並みを歩いたのです・・ こうした街並みが残っています。このとき、ケッコーな霙か雪が降り始めていました。これが午後3時41分の様子です。街並みには、観光客はわれわれのツアー以外誰も見ませんでした。石見銀山のある辺りは、昔の石見の国 島根県大田(おおだ)市です。大田のそばに津和野があります。 津和野、津和野町が島根県と知りませんでした。つい「萩」と「津和野」をセットで考えていました。今回に、津和野へは行きませんでしたが、萩は山口県、津和野は島根県にあるとしっかり知りました。 石見銀山から宿までバスの移動は、ケッコーな時間がかかりました。島根県も石見の国から出雲の国に移動してきたのです。 着いたのは、もう午後七時近くになっていました。一日目のお宿は、玉造温泉「紺家」さんです。 山陰を代表する温泉、玉造温泉は松江市内にあります。ここは、この宿のように数寄屋造りの高級な宿が多いようですが、いわゆる歓楽街はないそうです。 玉造温泉は、出雲の国です。紺家は「出雲神々縁結びの宿」だそうです。部屋も食事もそして風呂も、良かったですネ。風呂ですが、あっしは足や腕の痒いのに悩まされています。ウソではないのですが、玉造温泉の湯に浸かってキレイに無くなりました。 第二日目は、紺家さん宿の皆さんのお見送りを受け出発。バス・コースは少し西に戻ります。宍道湖の向こう側、出雲大社を目指します。 出雲の国一宮、出雲大社(いずもおおやしろ)です。 今回のツアーでは、いわゆる正式参拝をさせていただきました。二拝四拍手一拝の作法をお教えいただき、厳かな参拝をさせていただきました。 大国主大神、縁結びにもご利益のある神様だそうで、ヨメはひたすら息子たちの縁結びを願ったそうです。果たして、ご利益はめぐってきますでしょうか? さすがに、ここは人が多かったですネ。 大社(おおやしろ)を名乗る神社は、明治期まではここだけだったそうですが、今ではあちこちに30ほどあるそうです。出雲大社を後に、一度山陰道に乗りますが、もうすぐに降りて向かうは松江市内です。めざすは松江城。ヨメは、今回のツアー 最も愉しみにしていたのはここです。松江市内は、まず松江城に向かいます。 1611年(慶長16年)築城の城は、明治時代の廃城を経てなお、天守が現存する、国の重要文化財であります。 旧松江藩、松江城。お城の中にも入りましたが、やはりここからの眺めが最も美しいようです。小泉八雲による「人柱にされた娘」伝説の残る、松江城の天守閣です。お城を後に、松江市内散策に出ますが、お堀の北側 塩見縄手という辺りは江戸時代、侍町であったそうです。街並みは、「日本の道100選」にも選ばれています。 その塩見縄手にある、小泉八雲邸です。 ここを運営している「NPO法人松江ツーリズム研究会」は、あの松江城の運営もしているそうです。 明治期の日本研究家、パトリック・ラフカディオ・ハーン 小泉八雲が実際に松江に滞在していたのは一年ちょっとの間だったそうですが、八雲はここで日本人女性・小泉セツと結婚しています。二人が暮した邸跡です。途中ですが、以降続きは、「その2」に掲載します。
2012年12月15日
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さて、シンガポール滞在三日目になります。昨夜も大いに飲んで、遅い朝を迎えましたが。元気に地下鉄MRTにのり、マリーナ・ベイ・サンズ・・・あの空中庭園に昇ります。高さ200m、57階建てのビルですが・・・地階からのエレベーターが これが早い、早いこと! 屋上の空中庭園から、F1コース観覧席(ベイグランドスタンド)や泊まっているホテルが見えます。この辺りは、シンガポール市街の中でも、ほんとにベイエリアですね。そして、 こちらは、同じベイエリアの市街地中心部ですね。高層ビル群が立ち並んでいます。これらのビルは金融・商業関係が多いようです。ナイトレースの決勝まで、まだ時間があります。市内、主にベイエリアを歩いたりしました これはラッフルズホテルに面した、ラッフルズ・シティーというビル群です。シンガポールの街は、聞いてはいましたが実に清潔ですし、治安もよいのでしょう。いろいろ罰則があるとか言いますが、これだけの都市景観を維持するには、かなりな法規制や財政投下をしないとできないことでしょう。資源や地場産業をあまり有しない都市国家が生き残り、発展するには、外国から来る人々に居心地の良さを与える、また来る気にさせることの大切さを感じさせる都市であります。観光都市であり、IT或いは集約業務などビジネス都市なのでしょう。 さて、9月23日(日)現地時間21時からナイトレースでのF1決勝がありました。やや波乱に富んだレースは、レッドブルのS・ベッテルの優勝で終わりました。詳細は、既報です。ベッテルがゴールして、チェッカーフラッグが振られた瞬間 、夜空に花火が打ち上げられました。 花火が珍しい訳でもありませんが、ナイトレースならではのサプライズでした。レースの興奮が一層盛り上がる演出でした。さて翌朝。第四日は帰国するだけです。朝、6時40分にホテルのロビー集合で、バスに乗りチャンギ空港へ向かいます。ホテルを出たバスは、なんと!昨夜決勝の興奮冷めやらぬコースを走っていきます。つまり、第6コーナー、ラッフルズ・ストリートへ出て、第5コーナー、第4コーナーと走っていくではないですか! オドロキと興奮のまま、シャッターをキリました。ここを!リタイアしたハミルトンが、優勝したベッテルが・・・時速300km/hで走り抜けたのです!そんな興奮のヒトトキを経て、空港に到着。 帰路は9時25分発、シンガポール航空SQ012便。成田到着はほ予定通り、日本時間17時35分でした。最後に、追加で「シンガポールみやげ」じゃないですが・・・追加フォトです。その1は、シンガポールといえば やはりコレ! ラッフルズホテル・オリジナルのカクテル 「シンガポール・スリング」です。ビーフィーターのジンベース、赤はチェリー・ブランデーの色、あとパイナップルジュース・ライムジュースやグレナデンシロップなどが入っている。 やや甘いですが・・・美味しかったですネ 左二杯が、ヨメとムスコの飲んだスリング、右はあっしの飲んだタイガービールです。場所はラッフルズホテル二階のLong Barです。これを飲んだ時間は、午前11時頃です・・・ちなみにそして、シンガポールGP観戦チケットとなるストラップ付きTicket Holderです。 やはりGP入退場は相当なセキュリティの下にありました。これなしには入場できませんし、退場もできません。ストラップを吊り下げて、観戦を続けていました。そして、GPオリジナル・キャップ、オフィシャル商品です。これはサーキット内で買いました。左はロータスF1チーム、No9 キミ・ライコネンのキャップ。これはヨメが買って、ずっと被っていました。右はレッドブル・レーシング、N01 セバステャン・ベッテルのキャップ。これはあっしが買って被りました。 忘れられない、シンガポールの思い出になりそうな品々です。P.S 日本GPを前に、来年レースのカレンダーが発表になったり、一部チームのドライバー変更ニュースが入ってきています。 ミハエル・シューマッハ、1991年F1デビュー 一度は引退したがが復帰して今日に至る。最多優勝91勝、年間チャンピオン7度の偉大な記録を持つシューちゃんのドライバーズ・シートが決まっていない!もしかすると引退・・・そうなると、目の前でミハエルを見る最後の機会になったかも知れない・・・
2012年10月01日
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シンガポール、第2日目の昼間は市内観光です。マーライオン、リバークルーズでクラークキーへ。そして、21:00からF1GP予選へと続きます。 地下鉄MRTに乗って、クリフォード・ピア駅で下車。歩いてマーライオン像へ向かいます。 上半身がライオン、下半身は魚、コンクリート製で波を模った台の上に乗り、水面へ向かって 口から水を吐いています。 ライオンはシンガポールと言う地名の由来だそうです。魚は人魚に由来するそうです。 コペンハーゲンの人魚姫の像、ブリュッセルの小便小僧と並んで「世界三大がっかり」・・・だそうですが。先入観があった割には、なかなか迫力ある・・・と思いましたがね。マーライオン像の近くから、シンガポール川を遡る、リバークルーズの船に乗ります。船と言っても、40人程度乗る遊覧船なのですが・・・ 動力が電気でも使っているのか、まったくエンジン音がしないのです。サスガ!にシンガポール・・・ クラーク・キーというところで船を降り、昼食はジャンボ・シーフードに入りました。お目当てはシンガポール名物のチリクラブというカニ料理です。 見た目ほど辛くはなく、お腹いっぱいカニを堪能したランチでした。 このお店は観光客目当ての有名店のようです。サービスは?やはり、期待しないほうが良い!と思います。さて、F1観戦です。 泊まっているホテル、マリーナマンダリンホテルの4階ロビーから階段を下るとマリーナスクエアというショッピングセンターに出ます。ここを表に出ると、もうF1レース入口 GATE7です。これは便利でしたし、ありがたい距離でした。観覧席はベイ・グランド・スタンド。我々のシートは、コの字形のシケインが続くため見通しが悪く、しかも道幅の狭い第18コーナーの直ぐ脇。目の前はベイに突き出たサッカー場の向こうに、マリーナベイ地区にそびえる、マリーナ・ベイ・サンズのビルが見えます。 シンガポールGPの予選・本戦はナイトレースです。まだ陽の高い、この時間・・・実はコース上ではF1より一つ下のGP2レース しかも予選が行われていました。 ここは常設のベイ・グランド・スタンド。ここの観覧席も昼間はこのとおり、ガラガラですが・・・ これぞ!ナイトレース・・・ 夜のF1予選の頃となると・・・ さすがにこの通りです。 オーストラリアから来た方々でしょうか?私たちの席の2列後で、マーク・ウェーバー(レッドブル)ファンの方々が大騒ぎ!です。 そうだ!少しシンガポールGP関連のウンチクを・・・ コース名は「シンガポール市街地サーキット」。全長5.07km、コーナーは23あって、収容人数は11万人の非常時コースです。ここでの最初のF1は2008年でした。この2008年のレースではアロンソが優勝したのですが、一年経ってから、同じチーム・ルノーを辞めさせられたチームメートのN・ピケJrがアロンソの勝利を助けるため、故意にクラッシュ事故を起こしたことを暴露。大変な大事に発展してしまいます。シンガポールGPといえば、ナイトレース。2012年も唯一のナイトレースとなっています。ヒルマと同じ明るさをもたらす。この照明設備は実に壮観です。シンガポールの電力事情はよく解りませんが、このことに限らず、帰国して横浜のビル街の照明の暗さを痛感しました。シンガポールの街は夜も実に明るいです。あまり書かなかったですが、シンガポールの九月は暑いです。昼間の温度は31℃くらい、湿度も高いです。しかし、建物の中や地下街・駅構内は、思い切りエアコンが利いています。ご安心ください。 そして、いよいよ決勝の日を迎えることになります。
2012年09月29日
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後半は、まず千里浜から金沢へ向かいます。 千里浜ドライブが出来なかったこともあり、ここでのルートは能登有料道路に乗り、途中、「かほく」辺りから国道8号線、そして金沢近郊では山側環状道路で市内へ入ります。金沢市内、最初に訪れたのは「兼六園」です。 日本三名園の一つ、金沢兼六園といえばわが国を代表する日本庭園です。 霞ヶ池を取り囲む庭園。これは何度見ても美しいです。私は、これが三度目。ヨメと一緒に来ただけで二度目となる兼六園です。 兼六園は、加賀藩前田家が造成した、殿様の私庭ですが。公開されるようになったのが1871年からといいますので、もう140年以上になりますね。 小高い丘の上にある兼六園です。これだけ豊富な水量を保ち、六勝兼ね備える名園です。この日は、傘が手放せない天気ではありましたが、十分に満足のいく見所でした。もうお昼の時間。バスは近江町市場へ向かいます。市場の中の「近江町食堂」さんへ。二人で海鮮丼一つと鯖焼き、そして金沢の地酒。バスの旅は、これがウレシイですね。焼きサバの美味しかったこと・・・ お昼を食べ終わり、次は森山にある「箔座」へ向かいました。 金沢を代表する伝統工芸、金箔製品の展示・販売商です。「黄金の茶室」がデンと店内に設けてありましたが、こうした金箔模様の茶碗もなかなかなもの・・です。 そしてバスは「ひがし茶屋街」へ。 金沢に三つある茶屋街、やはりここが大きく、人出も多いですかね。でも、日本語以外の言葉が飛び交っていました・・・ここからは少し駆け足で紹介していきます。金沢の街を離れ、白山連峰に源を発する手取川を上流へ向かう、白山比め神社に立ち寄りました。全国に2,000社以上ある白山神社の総本社、そして加賀国一宮です。住所は白山市三宮町ですが・・・ 二日目のお宿は、加賀・山代温泉「 雄山閣」です。ズワイガニとアワビの踊り焼きが、夕食のテーマでした。 この夜は、何事も無く、落着いた一夜を無事過ごすことができました。三日目は、朝ゆっくり宿を出ます。宿を出て直ぐの、九谷焼窯元「九谷満月」見物から始まりました。人間国宝・吉田美統の作品などを堪能しました。そして、今回のツアー最大の見所 永平寺へ向かいます。福井県吉田郡永平寺町の在、曹洞宗総本山・永平寺であります。 永平寺は、仏殿を中心とする大小、それぞれピッカピカの大伽藍が立ち並びます。 曹洞宗の宗祖、道元師が越前の土豪・波多野義重の招きに応じて、この地に到来したのは1243年だそうです。 永平寺の教えの一つに「人生に定年はない」がありました。意味としては、人生には老後も余生もない。死を迎える、その一瞬まで人生とは現役なのだ。人生の現役とは、自らの人生を悔いなく生ききる人のことだ、というのです。 なんと、解りやすい!なんと、的を射た教えなのでしょうか。今回の旅で、いろいろなことに、いろいろな人に出くわしました。しかし、教えられたことといえば、この「人生に定年はない」であります。仕事が定年になり、ふっと現役を退いたような錯覚をしていました。仕事は定年になっても、人生の定年を迎えた訳ではないのです。 私自身へ、そして私たちの世代へ、「仕事に定年はあっても 人生に定年はない」という言葉を贈りたいと思います。ツアーは続きます。このあと、降りしきる雨の中、東尋坊で遊覧クルーズ。そして、安宅の関を訪れました。弁慶と義経伝説、ですね。ここも二度目になります。 安宅の関は、小松空港のすぐそばにあります。帰りの空路は、ANA758便、小松発17時5分、羽田着18時15分の予定でしたが。やはり梅雨前線による影響で約15分ほど遅れて到着しました。 小松空港出発ロビーから眺めた758便です。これに乗って、羽田へ帰りました。
2012年07月09日
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7月4日から二泊三日で、能登から加賀を廻ってきました。 旅とは、いつも「自分探し」の草枕・・・これは(名前言ってもいいのですが)某ツアー会社企画のツアー参加の旅です。決してクルマの旅は、嫌になった訳ではありません。しかし、今冬の高山・白川郷ツアーに参加してから、こうした旅もいいナ!と思うようになったのです。初日、能登までは空路です。朝9時5分発のANA機に乗るため、家をクルマで出ます。二泊となるとやや荷物もあり、ヨメも一緒なのでいろいろ考えると、駐車場代(三日間で4500円ナリ)払ってもクルマで空港までがいいかな。羽田空港、出発ゲート前で今回のツアコンの方と初対面。女性ですが、テキパキとした差配を感じさせる好感の持てる方です。一緒にツアー参加の方々は、約25名。女性が多く、平均するとわれわれが真ん中からやや若めあたり・・・ 夫婦が数組、女性三人組みや母娘などいろいろですかね。ANA747便で能登空港へ。能登空港、もちろん初めて降ります。というか、北陸は金沢や富山までは行っていますが、能登半島に入るには初めてです。 空港前から観光バスに乗り込み、いよいよツアーが始まります。最初に向かったのは輪島市内を抜け、日本海に面した輪島キリコ会館と隣の稲忠漆芸会館です。キリコ(切籠)は、能登キリコ祭に出る御神灯です。高いモノは15mにまで及ぶそうです。 キリコ会館前の日本海です。この日(だけ)はよく晴れていました。左の岬は輪島崎ですかね。 次は、奥能登へ向かう珠洲市にある「あげ浜塩田」です。 海水を粘土などの多い砂に浸み込ませ、幾度も繰り返して水分を蒸発させ、その土を海水で洗い落とし、その塩水を煮詰めて塩の結晶を得る。そんな古来ゆかしい製塩法ですかね。 そして、輪島市白米というところにある「千枚田」です。よい天気です。稲も順調に育っているそうです。 オーナー・トラスト制度もある、千枚田です。日本海をバックに、のどかな田園風景が広がります。 今回のツアー三日間、お世話になったツアー・バス。これは日野の最新鋭バスで、納車されてまだ二週間だそうです。新車の匂いがするバスでした。 能登半島はもっと奥があって、禄剛崎とか、狼煙とかいうところが最先端のようですが。今回のツアーはここまで。引き返して、輪島の町を抜け、輪島市門前町にある総持寺祖院へ向かいました。横浜の人間は、総持寺さんといえば・・鶴見にある曹洞宗大本山総持寺となるのですが。なんと、この輪島の総持寺が「祖院」。もともと総持寺はここから始まっているのです。今から700年前、螢山禅師が開いた寺です。鶴見に移ったのは明治31年の大火のあと、だそうです。そういえば、鶴見の総持寺は100周年なんか、この間やっていました。 曹洞宗といえば、後で行くことになる永平寺が有名ですが。曹洞宗の大本山は、永平寺と総持寺の二つがあり、全国に15,000寺あるそうですが、曹洞宗の寺はこの二寺に二分されているんだそうです。 山水古木と調和し、風光幽玄な趣ある 北陸随一の古刹、総持寺祖院であります。次は、少し南下して、羽咋郡志賀町にある「能登金剛 巌門」へ行きます。能登半島を代表する景勝地、約30kmにわたって断崖、奇岩、奇勝の地が続きます。 その中の「ヤセの断崖」は高さ35m、垂直状の断崖絶壁で。松本清張作「ゼロの焦点」に登場したところです。長らく立入禁止になるほど、投身自殺があり、多い年は年に18人だそうです。 波蝕によって作られた天然の洞門は高さ15m、奥行き60mだそうです。 松本清張は、、この作品を執筆するにあたって、能登の和倉温泉に滞在していたそうです。今回のツアー一泊目は和倉温泉です。清張はあの「加賀屋」に滞在したそうですが、われわれは「のと楽 ホテル能登倶楽部」に泊まります。 和倉温泉「のと楽」のロビー・ラウンジです。 実は、我われが泊まった日、ある事件が起きました。女性の大浴場にて急病人が居られたのです。ツアー仲間含め、五人ほどの女性たちが入浴していたとき、ある女性が湯船の中で倒れられ、浴槽に浮かぶ形で発見されたそうです。ツアー仲間は、大声を出して救援を呼ぶは、倒れた方に呼びかけるは。そりゃもう、大変なことになったそうです。その時、ホテル従業員が駆けつけるのは遅いは、AEDはおろか担架の有かは解らないは・・ 仕方なく、ツアー仲間たちが素っ裸のまま、倒れた方を脱衣所まで運び、バルタオルを身体にかけて、救急車を手配するは、救助にあたるはの大活躍。 程なく救急車が到着し、(男性の)救急隊員により救急車に運び込まれ、病院へ向かったそうです。倒れられた方は、程なく意識を回復され、水もさほど飲んでいなかったそうで。入院はされたそうですが、大事には至らなかった?ようです。ホテル側は、責任者が不在だったとかで、若い男性社員が夕飯の席に見えて釈明していましたが。ホテル側の対応に大いに疑問の残る顛末でした。 これは翌朝、ホテルの建物から七尾湾越しに能登島を見たところです。 能登島大橋ですね。二日目の行程は、のと鉄道に乗ることから始まります。懐かしいローカル線に乗る。のと鉄道七尾線の「和倉温泉駅」から「能登中島駅」まで三駅の乗車です。 ここが和倉温泉駅です。 こんなローカル線、実際に乗ったのは永井壕のイラスト画でラッピングされた電車でしたが、つかの間の電車の旅を味わいました。能登中島駅からバスに乗って、石川県を一気に南下します。 羽咋市になりますかね、日本海に面した千里浜です。「ちりがはま」と読みます。千里といえば約4000kmですから、そんなに距離はありません。 ガイドさんが言うには、海からやたらとゴミやいろんな物が漂着する。「ゴミが浜」じゃ、ヒドイので。チリ、「ちりがはま」にしたと仰っていました。ホントですかね? クルマやバスでの乗り入れが許される千里浜ですが、この日も乗り入れ禁止日でした。「その1」はここまでにして。それでは、後半に続く。
2012年07月08日
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さて翌朝です。よく寝ましたね、旅の床は眠れない!なんてこともありましたが、今回はホントにぐっすり眠れました。 朝湯は欠かせません。奥飛騨・新穂高温泉の湯はいいですねー。硫黄の匂いはしますが、無色透明、良くカラダが温まります。湯量も豊富です!勿体ないくらい、流れ出ています。二日間で4回入りました。ココロナシか色白になったようです・・・小鉢だけで計15皿・・・豪勢な朝食を戴きましたデス。朝八時には玄関前に止まっているバスに乗り込んで、二日目のツアーが始まりました。まずは、奥飛騨温泉郷からやや下って、高山市内へ向かいます。途中、ほおのき平スキー場を通過しました。雪が豊富に積っていました。今年の大雪、スキー場だけはプラスですが、雪かきなどで100人以上の方が亡くなったと聞くと、やはり大変な大雪 豪雪だったんだな。と感心します。さて高山市街に到着します。着いた頃は、どういう訳かよい天気です。晴れ間が覗いています。宮川沿いに歩いて、朝市へやってきました。赤かぶの漬物、朴葉味噌、みたらしだんご、飛騨牛の串焼きやコロッケ・・・高山の朝市は品が豊富です。見ているだけでも、飽きませんね 高山市街では、やはり三町ですね。古い町並みがここにはあります。ここは三之町の通りですね。やはり、この筋が一番古いよき街並みです。高山へは数年前にも来たことがあります。その時には、陣屋や郷土館、屋台会館や城跡を見ましたので。今回は時間もほとんどないので、歩くだけ。 これは酒屋ですね。軒先に杉玉が吊り下げてあります。 宮川の流れがあまりに清いので、ついパチリ。そして、バスに乗り、白川郷へ向かって進みます。高山市内を出るとすぐ、高山清見道路に入ります。そして飛騨清見ICから東海北陸自動車道に乗ります。二つ先が飛騨白川PAになって、ここで下ります。一般道だけだと80分かかっていたそうですが、今では40分ほどで着きます。が、今日はざんざん雪が降る中を、ゆっくり走って進みました。白川郷の駐車場に到着します。 ここから、冬の白川郷、雪の白川郷 ワンダーランドの始まりです。 展望台へ登る前に、庄川にかかる であい橋を歩いて渡って、合掌造り集落群の中へ。ここは合掌造り 神田家の建物。この集落は、厳密に言うと、白川村の荻町集落ですね。ここだけで約60棟の合掌造り住宅があるそうです。その一つが、この神田家です。ここは民家です。 ご一家がお住まいの住宅を公開されています。中はこんな風に。訪問客がひっきりなしに訪れます。 雪の中・・・そして展望台へはシャトルバスで向かいます。展望台というのは、合掌造り集落群を見下ろす小高い山の上にあります。ここはかって萩町城のあったところです。 1995年12月に、ここ白川郷と富山県五箇山の合掌造り集落群がユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。この二か所は、いずれも庄川に沿ったところにあります。そして、双方とも豪雪地帯にあることも共通しています。 もう何も申しません。これはモノクロではありません。雪降りしきる二月の白川郷・合掌造り集落群です。 寒さは、昨日、新穂高ロープウェイ山頂でマイナス10℃を経験していますから、それほど寒く感じなかったのですが。 ご堪能いただけましたでしょうか、雪の中の白川郷。帰路は、来た道ですね。平湯まで戻って松本ICから八王子ICまで中央高速、を下りて。町田駅に立ち寄ってから、横浜駅西口に辿り着いたのは夜十時ちょうどくらいでした。子どもの時以来かな(少し大げさ)・・・と思うほど 久しぶりのバスツアーでした。まあ、楽しい思い出となる旅でした。
2012年02月19日
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「あっしだけの日記」・・・旅に出るとなれば、クルマ 愛車で出かけると相場は決まっていたのですが。今回は、早々とヨメがバスツアーを予約してありました。あっしが知らない間に、クラブ・ツーリズムの会員になっていて、この「貸切バスツアーの旅」から選んで申し込んだようです。横浜/町田 【トイレ付き10列シートバス】白川郷と飛騨高山 奥飛騨温泉郷「ホテル穂高」 タイトルが奮っていますが・・・ まあ、このツアーに夫婦二人で参加しました。ってことです。雪の中、鄙びた宿に泊まりターイ!雪の白川郷を見ターイ!ってヨメは思っていたそうです。これからの旅、もしかすると、こうしたツアーが増えるかも・・・ 2月16日朝、5時過ぎに起きだして、6時過ぎに家を出て京浜急行で横浜駅まで。西口は天理ビル前からバスに乗ります。出発は朝、7時ということです。ここで、一つ気になることが。天下の横浜駅、こうしたバスツアー用のターミナルがないですね。この天理ビル前が集合場所、発着場所となることが多いようですが。ここは公道です。やはり危険だし、冬の朝は屋根も無く・・・寒いです。こんなことで、せっかく始めるバスツアーが嫌になる訳ではないですが。。。やはり何とかしないといけないのでは・・・予定通り、横浜駅を出発、町田駅に立ち寄ります。保土ヶ谷バイパス~東名入口を通過して町田街道に入るのですが。朝のラッシュアワーとも重なり、ケッコーな渋滞の中を進みます。町田で乗られた方々を含めて約39人ほどで、ツアーがスタートします。まず目指すは安房峠を越えた奥飛騨温泉郷です。 連れて行っていただいたのは、このバス。Kamiko Busさんでした。最後尾に広いトイレもあります。落着いて、バスの長旅がダイジョーブですよ。でも、談合坂SA、諏訪湖SAと休憩を挟んで、松本ICから国道168号線 野麦街道を走ります。自分で運転しない旅は、どうかな?と思いましたが。まあ、落着いて、走り慣れた道も苦にならずに、カイチョーにバスは走ります。 そうだ!諏訪湖SAに立ち寄った際、諏訪湖が凍結しているとこのこと。フェンス越しに写してみました。御神渡り(おみわたり)でしたっけ!安房峠道路、安房峠トンネルを越えると・・・やはり景色が真冬になります。辺りは雪世界に一変しました。 これは平湯温泉で休憩した際に写しました。辺り一面銀世界です。ここでカマクラを掘っていて事故があり、亡くなられた方がいたそうです。バスは奥飛騨温泉郷を進みます。新平湯温泉、栃尾温泉など通り越して、新穂高温泉へ到着しました。今宵の宿は「ホテル穂高」なのですが、その前に本日のビッグイベント!新穂高ロープウェイに乗ります。そうだ!岐阜県は国体が開かれていますね。夢穂さんも書いておられました。ロープウェイ乗り場でポスターを見つけました。そして、ロープウェイに乗ります。このロープウェイは第一と第二に分かれていて、第二が本格的な乗り物になります。ロープウェイから、遥か見下ろすと、さっき来た奥飛騨温泉郷が見えました。特に第二ロープウェイは大型です。二階建てで計120人まで乗れるロープウェイです。 山頂駅、西穂高口駅は標高2156mあるそうです。山頂駅からは北アルプス・西穂高岳(2909m)へ行くルートがあります。その手前、西穂山荘はもう目の前に見えます。 手前の樹しか見えませんが、遥か先には槍ヶ岳が聳えているそうです。 山頂駅展望台の様子はこんな風。皆さん、記念撮影したり遥か彼方の山々を眺めたり・・・ あっしは2156mと聞いただけで、空気が薄い・・・酸素O2が少ナーイと怯えていました。いや実は、見下ろすと・・・高所恐怖・・・なのです。ロープウェイに乗って高いところへ上がることや、登った先がやたら寒いことはかってスキーにさんざん出かけたので、それなりに経験があります。寒さがそう堪えた訳ではありませんでした。 ロープウェイを下りて、途中、新穂高ビジターセンターに立ち寄ったりしました。歩くのはすべて雪の上、大げさかなと思ったトレッキング・シューズが役立ちました。この日は、新穂高温泉「ホテル穂高」に泊まりました。まあ部屋も風呂もゆったり広々、寒さもダイジョーブ!食事もタイヘン満足な宿でしたョ・・・
2012年02月19日
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さて、朝も早かったし、京都の着いてからもあちこち回ったし・・・今回の宿は、清水寺に程近い『京都きよみず花京か』です。 ここはホテルのような?と思ったら、かっては京都市役所の職員厚生施設だそうです。ケッコー豪華にできています。しかも、1泊2食付一人8,800円は安いですね・・・しかし、夕食は外に出て食べることにします。予約したのは、南禅寺・順正です。お店は、名刹南禅寺の三門手前にある、湯豆腐・湯葉料理の大きなお店でした。 ヨメと一品づつ、違う品を注文しました。手前が湯豆腐会席、向こうが湯葉会席のお品書き。 アツアツの湯豆腐、湯葉のフォトはありませんが、会席料理を堪能しましたね。余談ですが、この京都旅で、よく食べました。帰ってきてから気がつきましたが・・・やはり体重は増えていました・・・ 南禅寺・順正のお庭もこのとおりの光景です。料理にお酒はツキモノ。京都に来たら京都の酒・・・東北の酒との飲み比べを注文し、ついついゴクリ呑みます・・・ 翌朝、快調に目覚めました。一風呂、浴びてから・・・お散歩は歩いてすぐの清水寺へ。清水新道、茶碗坂を登っていくと、人っ子一人居ない通りの向こうに清水寺の三重塔などの伽藍が見えてきます。 これが金曜日の朝、午前7時10分です。 清水寺境内から。遥かに、京都の市街が見えます。 そしてここでも紅葉です。実はそれほど期待はしていなかったのですが・・・ やはり、世界遺産・清水寺です。 清水の舞台も・・・ 音羽の滝に至る石段も・・・ 来てヨカッタを実感する時であります。宿に戻り、チェックアウトを済ませると。車で出かけます。京阪本線沿いに南下して、東福寺へ向かいます。京都五山の一つ、京都最大の大伽藍といわれる、臨済宗大本山 東福寺。創建750年の歴史を持つ大きなお寺でした。臨済宗のお寺は大きいお寺が多いですが、ここも広い大きなお寺です。 そうだ、紅葉の時期はここ賑わうようで、駐車場は境内に入れません。東福寺へクルマでお出かけの方は、お気をつけください。紅葉でも有名な東福寺です。 この有名な景色は、実は一度、寺を出て東福寺駅に向かうところにあります。この東福寺で、今回の旅は終わります。後は、四条河原町・タカシマヤへ戻り、お土産を買い込んで・・・京都南ICから名神にのり、復路は新名神~伊勢湾岸~東名と走って、無事にわが家に帰着いたしました。帰路は、京都から5時間40分位で帰れました。そうだ!今回は、愛車インプレッサ初の遠出・・・まあまあ楽しめるアイボーだと解りました。 往復全走行距離1,017Km、平均燃費は13.3Km/Lでした。 《カメラ:オリンパスμ830 & PENTAX K-x 撮影期日:2011年12月8~9日》
2011年12月12日
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12月8日(木)、朝4時に家をクルマで出て、東名に乗り順調に京都へ着けると思っていました。途中、新名神で何かトラブルがあったようで、交通渋滞の知らせが入ります。伊勢湾岸自動車道を避け、東名・名古屋ICから名古屋市内へ・・・高針JCTを右折し忘れ、危うくまた湾岸へ行きそうで・・・鳴海ICでUターン。今度は無事、清洲JCTから東名・一宮へ。これがやや遠回りでした。あとは米原JCT、草津JCTを通過して京都南ICで降りればいいのに、ケチって京都東ICで降りる。やはり山科街中や蹴上の手前が混雑渋滞。最初の目的地を、嵯峨野・常寂光寺としていたため、京都市街地を抜けるのに、やや時間がかかった。常寂光寺に辿り着いたのは、もう午前11時半を過ぎていた。今回の京都への旅。やはりお目当ては、紅葉・・・ しかも、今まで行っていない処を訪ねようという・・・趣です。嵯峨野にある常寂光寺。ここと隣の二尊院は、ともに小倉山の麓にあり、藤原定家 定家山荘跡 小倉山山荘跡といわれる場所。ここで百人一首が編纂されたのか・・・と昔の人に思いをめぐらす・・・ 常寂光寺の山門から入ります、辺りはもう・・・ この頃、京都は十二月の雨・・・です。撮影のたびに、傘を窄みながらの撮影でした。この時期、もっと寒いかと思って来た京都ですが・・・雨は降っていますが・・・寒さは、さほどでもありませんでした。こちらは、お隣の二尊院。釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るため二尊院というのだそうで、正しくは小倉山二尊院華台寺だそうです。 常寂光寺に比べると広い二尊院境内です。 小倉山をバックに・・・望遠レンズが見た、雨の中の紅葉です。 この後、クルマで移動。江戸幕府の始まりと終わりの地である、二条城へ向かいます。嵯峨野から二条城へ、丸太町通りを東に移動します。途中、遅いランチを大宮通りにある小さなメキシカン・レストランで戴きました。ここまで来ると、二条城はもう目の前です。東側にある駐車場に車を停め、世界遺産の一つ二条城へ入ります。 ここに限りませんが、遠い昔、中学校の修学旅行に来ているはずです。まったく記憶がありませんが、あちこち見ていると、あーあと思い出すことになります。徳川慶喜が大政奉還の勅を下した大広間とか・・・黒書院と呼ばれる部屋とか・・・それほど建物に興味があるわけでもないので、やはり庭園へ。二の丸御殿庭園は、小堀遠州作と言われていますし、本丸御殿庭園は洋風庭園。さらに清流園は和洋折衷庭園であります。 ここが、清流園庭園。ここでは、呈茶を頂きました。 秋の終わりでなく、中冬を感じさせてくれる京都・二条城を堪能しました。後半は、宿へ、夕食は南禅寺「順正」。朝の散歩は清水寺、そしてお目当ての東福寺へ向かいます。
2011年12月11日
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さて、冬の京都です。今回の旅は、「冬の京都」が当然、主題なのです。 でも、なかなか何処へ行けばよいのか悩みに悩んで・・・ 思い切り、京都市観光協会の「京の冬の旅~非公開文化財特別公開」企画に乗ることにしました。副題は「戦国・姫君と武将たち」であります。ケッコー、NHK大河ドラマに乗ってるところがありますが・・・そこは「京都」です。何て言ってもスケールが違いますので・・・許してしまいましょうか・・・ 最初は、大徳寺です。臨済宗・大徳寺派総本山である大徳寺は、実に大きなお寺です。広大な境内には22の塔頭(たっちゅう)があるそうです。その塔頭の中で、まずは総見院です。そうです、あの織田信長の菩提寺ですね。さすがに有名な信長坐像は撮影禁止でした・・・ いきなり、信長のお墓です。信長と一族がここに葬られています。 このお寺は、信長を葬るために豊臣秀吉が創建したそうです。 これは秀吉が遺愛した「胡蝶侘助椿(こちょうわびすけつばき)」です。 そして、総見院には三軒の茶室があります。三つとも趣の異なる、なかなかな建物です。それは千利休の師にあたる僧、古渓宗陳が開祖であることも関係しているのかも知れません。前に行ったことのある近江・安土城跡に総見寺跡がありましたが、総見院を見ることができたのは、本当にラッキーでした。 ちょっと戻りますが、大徳寺の入口に位置する仏殿や法堂のあたりです。左の建物は勅使門で、右の三門(金毛閣)は千利休が秀吉の怒りを買う原因となった、曰く因縁つきの建物ですね。 大徳寺の仏殿とその庭ですね。そして、大徳寺の高桐院です。ここは特別展示ではないのですが、山門から見た景色があまりに素晴らしいので、ついふらふらと入ってしまいました。 ここは細川家とゆかりがある寺で、細川忠興やその室ガラシャらの墓があります。 その高桐院、本堂前の庭です。次は、特別展示である 大徳寺の玉林院です。ここも普段は公開されない塔頭です。 ここには茶室が三つありますが、そのうち蓑庵という茶室の床の間が「霞床席」という富士に霞がかかる風情を表した重要文化財があります。大徳寺をそこそこに離れて、同じ洛北の妙心寺まではクルマでの移動が10分ちょっとで行きます。臨済宗・妙心寺派大本山である妙心寺も大きなお寺です。全国に6,000ある臨済宗のお寺のうち約3,500の寺は妙心寺派だそうです。 妙心寺に数ある塔頭のうち、海福院です。 この寺は、あの武勇に優れたそして悲運の戦国武将・福島正則が開基で、正則の墓もここにありました。そして妙心寺麟祥院です。 ここは徳川三代将軍家光が乳母である春日局の冥福を祈るために建立した寺院です。建物の中には、小堀遠州作といわれる春日局坐像が安置されていました。 麟祥院、枯山水の庭園です。妙心寺も大徳寺も、冬の日曜日であったこともありますが、空いていて、解説の方の丁寧なお話が印象に残りました。冬の京都を訪れて、普段見れないところもいろいろ見れたし、やはりよかったな・・・印象に残る冬の京都でした。
2011年02月18日
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京都へ行ってきました。2月11日は横浜でも雪が降り、翌12日の日付が変わり、夜三時過ぎにわが家を出発して、東名~新名神を抜けて、一路京都へ向かいます。 朝九時過ぎ、京都へ着いて、最初に向かったのは上京区にある北野天満宮です。さて、北野天満宮です。ここは京都では「天神さん」などと親しまれている、菅原道真公を祀った神社です。 ここ北野天満宮には、拝殿や本殿などが一棟すべて、そして有名な「北野天神縁起」は国宝となっていますし、重要文化財は日本書紀28冊など幾多あるそうです。京都の街の凄さを感じさせる天満宮です。 でも、今回は梅です。 大宰府もそうかも知れませんが、ここ北野天満宮も梅です。道真公と梅は切っても切れない関係・・・なのでしょう。 北野天満宮、初めて来ました。 約2万坪の境内に50種約1500本の梅が植わっているそうです。 境内のあちこちに雪が残っています。 ここでは、早咲きの梅は、早いと12月中旬からつぼみが膨らみ始めるそうです。 毎年2月25日には梅花祭が開かれるそうです。 また北野天満宮は、豊臣秀吉とも深いつながりがあるようで、天正15年(1587年)にはここで北野大茶湯が催行されていますね。そして、秀吉時代に京都の街を洪水から守るため作られた土塁の一部が、今でも残っています。「御土居」ですね。御土居が境内庭園の一部となっていました。 匂いまで伝わってきそうな、紅梅です。 ~東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな~
2011年02月16日
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昨日、朝三時過ぎに家を出て京都へ。二日間、これが実に寒い・・・冬の京都でしたが。充実した二日間でもありました。今日、昼飯を食べてから京都を出発し、雪を突いて・・・先ほど無事に家にたどり着きました。40時間ほどの外出。京都旅行でしたが、実にあちこち見て回った旅でした。詳しくはフォトと一緒に報告いたしますが、まずは帰着の報告まで。
2011年02月14日
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よかったですね・・・ 今年はもう、秋が来ないのかと思うほどの毎日でしたが。秋が来ましたね。秋らしいフォトをとも思ったのですが、8月に行った軽井沢の未公開ファイルの中から、季節らしいものをお届けします。これらは、いずれも北軽井沢「トンボの湯」あたりから小瀬林道、そして白糸の滝、さらに旧三笠ホテルあたりの風景です。ご堪能ください。 「フォトアルバム」の容量を増やしました。今まで50MBのタダの容量だけで来ましたが、思い切り有料の20GBにしました。ちなみに、現在のストック量は49.6MBでギリギリだったようです。これからもよろしくお願いいたします。 《撮影期日 2010年8月23日》
2010年09月18日
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さて、小樽にやってきました。まさにセピア色した雨の中で、小樽運河です。 小樽で、まず紹介したいのは「小樽運河」です。 ♪精進おとしの酒をのみ 別の行き方あったねと・・・♪1990年、都はるみのカムバック第一作は、自身が原作を作ったというこの曲です。この曲が演歌の中でモダンな感じがするのは ♪イェスタディをもう一度 窓の向こうに♪ みたいな行もあるのですが、四十路半ばの男女の「けじめをつける旅」を(女性の側から)唄っているところにあると思っています。 なお、♪上りのディーゼル 待ちながら・・・♪ 小樽駅からの上りは札幌方面ではなく、倶知安・長万部方面になります。こちらは電化されていないのでディーゼルカーが走っているのです・・・ところで、この小樽運河ですが。大正12年にできた運河ですが、水路を掘って作った運河ではなく、沖合いを埋立てて作った「埋め立て式運河」だそうです。長らく使われずに放置されていた運河を再生して、1986年からこうした観光資源として利用されてきました。 これは「小樽ビール小樽倉庫No1」店内ですが。倉庫としてでなく、こうした店舗などに利用されています。これまた、魅力になっています。 小樽というと小樽運河ばかりということではなく、あちこちにステキな場所があります。堺町から相生町に至るあたりは圧巻です。 これは帯広に本店のあるお菓子の六花亭ですが、こんなステキな建物です。 そして北一硝子のショップ街です。 北一硝子は、明治時代創業で当初石油ランプの製造をしていたそうですが、当時 活況を呈していたニシン漁用浮玉(ブイ)を作ることが大あたりとなり、飛躍的に業績を伸ばしたそうです。 この交差点は、別名メルヘン交差点と呼ばれているそうです。そういえば、周辺にはメルヘンチックな建物が並んでいます。 これは交差点に建つ小樽オルゴール堂の店内です。一階も二階もすべてオルゴール、オルゴールしか売っていません。系列店が、鎌倉の長谷にあると聞いてウレシクなりましたね。さて、あちこち小樽の街を、四十路半ばどころかプラス15年づつくらいの男女で歩いたら、お腹が空いてきました。夜の小樽運河も見たいです。泊まったホテルは、小樽運河のすぐ脇にあるホテル・ノルド小樽です。 「ノルド」とはイタリア語で「北」だそうです。運河周辺の景観にもマッチしたこじんまりしたホテルで、スタッフのもてなしも好感が持てました。 夕飯は、再び運河沿いの倉庫街へ。「北海あぶりやき運河倉庫」で、ホッケや鮭を炭火焼きで頂きました。ここでも鮭児(ケイジ)でした。 小樽運河の夜景です。倉庫が対岸からライトアップされていて、雨も止んだようで、ホントにいいひと時でした。北海道、最後の夜は暮れ行く・・・しかし、よく食べました、飲みましたですね・・・ 翌日は、ホテルで朝食を取り、クルマで出かけます。一路、積丹岬をめざします。天気もよくなってきました。余市を抜け、積丹岬まで約64Kmを一気に走ります。岬の灯台の脇に出ました。見たかった、積丹ブルーの海です。 いかがでしょうか! これは小樽から一気に空港へ行かずによかった・・・ 今回の旅行で何よりのプレゼントは、積丹ブルーの海でした。 そして、入り江の向こうには神威岬が見えました。神威岬へは行きませんでしたが、かえって遠くから眺めたほうが神々しく見える・・・そんな厳かな風景です。さて、最後のドライブは積丹岬から新千歳空港まで。道央自動車道を利用し、距離にして147Kmを走ります。空港近くのオリックス・レンタカーでクルマを返して。 そして帰路は空路。ANAのB767で一路、羽田へ。ジェット機に乗るときに思いますが、あの離陸時の加速感・・・タマリマセンね。無事に、わが家まで帰ってくることができました。 五日間の北海道旅行記も、これで完結です。あちこち、駆け足でしたが、印象に残る旅でした・・・ 最後まで、ご覧をいただき、ありがとうございました。 撮影期日 2010年7月9日~7月13日
2010年07月20日
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まだ函館に居ます。 函館で泊まったのは、「男爵倶楽部ホテル&リゾーツ」です。 これは1階ロビーですが、泊めていただいた部屋は広々としたスィーツルームでした。前の夜が車中泊であったことは差し引いても、素晴らしいホテルでした。男爵は、「男爵いも」の開発者、川田龍吉男爵に因んだ名だそうです。三日目は、函館から大沼・真狩村・洞爺湖・オロフレ峠を経由して登別温泉まで。移動距離は270Kmになるはずです。これを一気に移動します。いつもながら思いますが。北海道の道路は、真っ直ぐな道は多いし、信号は少ない。多くの一般道路は制限速度50Kmになっています。実にスムーズに移動できます。さて、函館を出て、国道5号線を北上していきます。まずは大沼国定公園へ向かいます。 このフォトは、駒ヶ岳の山頂が少し雲に隠れています。でも、この天気で、北海道駒ケ岳が見れたことだけでもラッキーでした。この大沼の辺りは、遊歩道になっているようです。 残念ながら、天気には恵まれませんでしたが、大沼公園の風景を堪能しました。歩いた時間は、約40分ほどでした。5号線へ出る手前で、函館大沼プリンスホテルに立ち寄って見ましたが、精彩というか、活気と言うかないですね。かって来たときは、レジャーリゾートならここ!って勢いでしたが・・・ 5号線を北上して、もう一か所、八雲にある「噴火湾パノラマパーク」に立ち寄りました。 内浦湾は、実際は噴火カルデラに海水が流れ込んだ海?ではないようですが。地図でみてください、どう見ても噴火カルデラや隕石衝突跡のようです。その内浦湾を一望できるこのパノラマパークには、牧場があったりして、ゆっくり時間があれば愉しめるところだと思います。しかし、それほど長居はせず、5号線を進みます。国道5号線は長万部からニセコ、真狩村を通過します。羊蹄山を見たいとヨメが言うもんで・・・そして、やってきたのは洞爺湖です。 これは洞爺湖ビジターセンター前辺りから中島を眺めています。洞爺湖のそばに昭和新山があります。 もともとは有珠山の麓にある畑作域だったそうですが、「一夜で」は極端で、1944年2月から8月ころまでに新しい溶岩ドームが出来上がったようです。標高398mのこのドームは、このように今でも噴気は続いているものの、温度下降と侵食により小さくなりつつあるのだそうです。再び洞爺湖畔に戻り、東へ向かいオロフレ峠を越えて、登別温泉をめざします。登別温泉に着いたのは、もう夕方でした。今宵の宿は「旅亭花ゆら」です。あとで、解ったのですが、「花ゆら」は箱根にも系列店があるとのことで、親近感を覚えましたね。 宿「花ゆら」玄関ロビーの設えです。 泊めていただいた部屋には、部屋つき露天風呂がありました。雨が降っているとはいえ、7月上旬です。露天を堪能して、源泉かけ流し湯にたっぷり何度もつかりました。開湯150年を超える登別温泉ですが、やはり初めて来ました。さすがにいい温泉です。翌日、旅行第4日目は、登別から小樽まで主に道央自動車道を150Kmほど移動します。途中、白老ポロトコタン、アイヌ民族博物館に立ち寄りました。ポロトコタンとは、アイヌ語で「大きな湖の集落」という意味だそうです。 アイヌ文化の伝承・保存にまつわる社会教育施設だそうで。ここは1984年に開園しているそうで、入口には集落の長老(コタンルクル)の巨像がありました。 そして、アイヌ伝統儀礼が紹介されており、この方(他の方からは「係長さん」と呼ばれていました)による、アイヌ文化や生活について流暢なお話が印象的でした。苫小牧東ICから道央自動車道に入って、小樽ICまで、さらに市街を進みます。小樽に着いたのは、午後1時過ぎです。腹ペコです。小樽と言えばお鮨が有名です。評判のお鮨やさん、政寿司本店へ行きました。 創業70年だそうですが、さすがに美味しいお鮨をいただきました。さて、次回は小樽運河、小樽の街そして積丹岬へ行きます。
2010年07月18日
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さて、7月9日(金)です。今日、午後4時20分初の夜行寝台特急「カシオペア」に乗って、北海道へ出発です。 カシオペア。もちろん新幹線でなく在来線を走ります。これから函館まで12時間40分ほどの旅の始まりです。今回の北海道旅行は、主に道南(函館から)と西よりの道央(小樽まで)を五日間で回ります。上野駅、13番線ホームです。午後3時35分にカシオペアが入線してきます。 遥か彼方から、だんだん大きくなって見えてきたカシオペアの車体です。13番ホームには、これからこの列車に乗り込む方々はもとより、多くの方々がそれぞれのカメラで入線を撮影していました。後で、気が付いたことなのですが・・・ 停車する駅でも、そして通過する駅でもカメラを構えてカシオペアを撮影する方々を多く見かけました。もちろん、あっし自身・・・夜行寝台列車に乗るのは生まれて初めてです。 目の前に、憧れの夜行寝台列車が止まっています。このときは、この列車に乗って旅に出られることだけに興奮していました。ちなみに、カシオペアの車両は1編成しかないので、上野駅発の下り列車は火・金・日曜の週3回となっています。 出発の時刻が来て、滑り出すようにカシオペアは上野駅を出発しました。最初は、見慣れた西日暮里、赤羽、西川口といった駅を通過するのが見えました。 カシオペアツイン(個室)の中です。反対側の座席から写しています。列車は二階建てになっていて、あっしたちが乗ったのは二階の一室でした。個室の中にあるトイレを写しています。狭いながらも、各室に付いているのがウレシイです。しかし、走っているときはサスガに揺れます。「落着いてトイレにゆっくり入る」、これは少々無理かなと思います。それから、これからカシオペアに初めて乗る方にアドバイスです。シャワーは二か所に付いているようです。予約制ですが、(利用するのであれば)乗ったらすぐに予約したほうがいいと思います。カシオペア(下り)の前から二両目にラウンジカーがあります。 全室個室のカシオペアです。ラウンジカーの窓も大きくて、展望は優れていますが、個室の窓も大きく開いています。それほど変わらないな・・・ ですので、意外とここは混んでいませんでした。カシオペアに乗って、もう一つの愉しみ。それは食事でしょう。実は、今回の北海道旅行・・・ あちこち、美味しい食べ物ばかりで・・・ ついつい食べ続けたら。帰宅して体重計に乗ったら、出発前より3.3Kg増えていました。びっくりです。 食堂車、ダイニングカーは3号車にあります。ダイニングカーの座席は28席だそうです。あっしたちは一番早い時間を予約できましたが・・・ これも事前にリサーチしておくといいですね。ディナーはフランス料理を選びました。ちなみに懐石御膳も選べるようです。はっきり言って、動く列車の中での食事です。落着いて、上品にゆっくり戴くということは無理と思ってください。列車で食事をするのは、一回でよかったな・・・さて、梅雨空をついての旅行です。窓の外は、雨が降り続いていました。そのお陰で、列車はやや遅れ気味・・・ 盛岡を通過するのが、午後11時過ぎです。もう眠くなりました。寝台列車での睡眠・・・ これは、はっきり言って、かなり苦しい。線路のつなぎ目やレールの音(遅れを取り戻そうとするのは、いやにスピードを出しているのか・・・)、そして揺れが来ます。さらに雨音まで加わって・・・ どこでも眠れる自信のある人間ですが・・・ さすがに熟睡とは行きません。青函トンネルに入るのが、朝3時35分ころ。トンネルを出るのが4時12分ころです。その間は、揺れは少なかったですが、ゴトンごとん・・・単調な音が約40分続いたのを覚えています。トンネルを出ると、もう朝の4時15分過ぎです。天気は良くないですが、朝の明るさは感じます。そうです、北海道を走っているのです。函館駅には、朝5時1分に着きます。 カシオペアは、これから札幌まで行きますが。あっしたちは函館駅で降ります。函館で降りる乗客はほとんどいませんでした。これkら札幌まで、まだ4時間半ほどあるようです。それをクルマで移動する・・・ そんな思いと、これまで半日旅をさせていただいた感謝の気持ちを込めて、カシオペアを見送りました。カシオペア乗車でいくらかかったか? スミマセン。いくら掛かったか、実はよく解りません・・・ さあ函館です。函館は、あっしもヨメも初めて来ました。レンタカー屋さんが始まるのは、午前8時からです。あと約3時間・・・ 駅前に朝市があるとのこと、行ってみましょう。蛇足ですが、函館駅でSUIKAは使えません。
2010年07月14日
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日曜から月曜日にかけて、信州・松本の街へ出かけました。出かけた、最初の理由は墓参りです。ここは、松本市郊外の墓地です。遥かに松本平が広がる墓地に、あっしの両親が眠っています。次は、せっかくスタッドレス・タイヤに履き替えたので・・・ ビーナスラインを突っ走ろう・・・って思って、山道へ入ったら。途端に、ビーナスラインは11月下旬で閉鎖・・・ ってんで、松本郊外に位置する「扉(とびら)」温泉へ向かいました。ここは、「檜の湯」です。ぬるめのお湯は、程よい加減・・・ いい湯でした。街へ戻ってきて、大手四丁目あたりにクルマを停めて。まず向かったのは、「なわて通り」です。「カエルが迎える武家屋敷長屋門風商店街」がなわて通りのウリですかね。女鳥羽川を挟んで、反対側には「中町通り」があります。ここは、旧善光寺街道。蔵の街がウリです。こうした、なまこ壁の土蔵造りの建物が立ち並んでいます。ここは、竹風堂松本中町店の中庭です。竹風堂といえば、小布施ゆかりの「栗菓子」が有名ですが。買い求めたのは、「どら焼き」でした。これだけ歩くと、コーヒーが飲みたくなります。 ここは、女鳥羽川にかかる橋から見た「珈琲 まるも」の店構えです。「まるも」は、旅館「まるも」の一部を喫茶にしたようなお店です。店内は、松本の民芸風家具で統一された、いかにも落ち着く店です。さて、今宵のお宿は美ヶ原温泉郷の「湯宿 和泉屋善兵衛」です。宿に着いたころは、こんなに辺りが暗くなっていました。松本の街は寒いです。一っ風呂浴びて、夕餉は・・・ 馬刺しや牛肉焼きが並んで・・・ ビールを二本。実に結構なもんです
2009年12月14日
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さて、せっかく来た奈良です。今まで行ったことの無い処へ行きたい! 柳生の里へ行きたいと思っていました。柳生へは、正倉院の脇を通って。国道369号線へ出ます。途中、円成寺前を抜けて、大柳生へ。そして、柳生町へ出ます。柳生町。ここは奈良市柳生町なのです。柳生といえば、柳生一族ゆかりの地。しかし、ここが奈良のそば。もっと言えば市内であるとはあっしも知りませんでした。柳生町には、一族の墓や一刀石、十兵衛杉(これは枯れている)など、柳生一族ゆかりの場所があります。 ここは、旧柳生藩陣屋跡。柳生城の跡です。しかし、何もないところです。せっかく来たのですが、何もないのにビックリするくらい・・・ それくらいの素朴さがいいのかも知れません。帰り道、お腹も空いたので、先ほどの円成寺となりの茶店に立ち寄って腹ごしらえ。このお寺の庭が、実によいのです。とんだメッケもん。秋を堪能できる風情に巡り会えました。 しかし、奈良市街から柳生まで距離は18Kmありました。いくら、春日大社、春日山から裏道があるにせよ。簡単に歩ける距離ではないと思います。さて、ヨメが奈良でどうしても立ち寄りたいというのが、古梅園。ご存知の方もいらっしゃるかも。墨のお店ですね。奈良は椿井町にある古梅園の店構えです。ここの墨が、これが実に値段が高いのですが。ヨメは、買っていましたよ・・・もう一か所くらい奈良で・・・ そうだ!平城京遷都1300年! 来年が、遷都1300年ですね。来年は、奈良で遷都祭があるそうです。その平城京の門が再建されつつあるというので行ってみました。佐紀町側にある大極殿正殿は工事中で入れそうもなかったので、二条大路側の朱雀門に行ってみました。これが朱雀門です。 この朱雀門から大極殿方向を見ると、何と目の前を近鉄奈良線が通っているのですね。朱雀門下からの眺めですが、遥か彼方の復元中の大極殿門をバックに通り過ぎる近鉄特急(?)です。京都へ戻り、宿は三条烏丸のホテルです。何とも、古都京都に似つかわしいモダンなホテルの外観です。この辺りは、京都駅からまっすぐ烏丸の通りに接して姉小路、三条、六角、蛸薬師といった通りが交差しています。なにやら、あの唄のようです・・・まずは通りの名にもなっている、紫雲山頂法寺六角堂です。開祖は聖徳太子だそうです。中京区は都心ですね。お寺がビルに埋もれそうです。これは三条通りです。三条通といえば、蹴上から山科へ至る大きな通りですが。この辺りでは、こんな通りになっています。そして、四条河原町にある京都高島屋の地下食品売り場。デパチカの和菓子売り場です。阪急電車の改札からデパートへ入ってすぐの辺りです。午前中だったもんで、あまり人が見えません。今回の奈良・京都の旅、最後のフォトは車窓から撮った、蹴上・関西電力発電所脇の風景です。すぐ裏は南禅寺ですが・・・ 秋ですね・・・ そして、京都南ICから一路、帰途に着きました。帰路は、横浜までETC1,400円でした。
2009年11月01日
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長野県・扇沢に戻ってきて、さて、今夜の宿はどこかな? ナビで探すと、意外と近い。そんじゃ、慌てることはない。まだ、何処か立ち寄っていこう。大町は、いろいろ博物館みたいなところもあるしな・・・ その前に、アルペンルートの疲れを癒すため。珈琲でも一杯・・・ここは日向山高原GCの隣りにある「くろよんロイヤルホテル」です。珈琲だけと入った割には、ちょっと気に入る雰囲気のいいホテルでした。まだ時間あるし・・・アルプス温泉博物館へ行こうか、酒の博物館へ行こうか・・・ そりゃ、「酒の博物館」でしょ。オドロキました。国民一人当たりアルコール摂取比較だとか、酒の歴史だとか・・・ これでもかとばかり酒、サケ、さけ・・・ この部屋は、全国の酒銘柄一升瓶を取り揃えていました。数少ない神奈川県もありましたが、圧倒的に多かったのは兵庫県でした。これは岐阜県ブランド。夢穂さんスペシャル、いかがでしょうか。ってんで、今宵の宿はこちら「あずみ野 河昌」です。大町温泉郷にある、この宿は。源泉かけ流し温泉です。建物は古民家風、すべて平屋ってのがうれしいですね。広い敷地に、贅沢に建物が建っていました。食事は田舎懐石とかで、これが実に美味しかったのです。翌朝、宿の前のこんな森の中の道を散策できます。森林浴ウォークです。大町へ注ぐ鹿島川に沿って、川と緑が美しいところです。この辺りからの帰り道、長野自動車道・豊科ICへ出るのなら。お土産などの買い物は、道の駅「安曇野松川」とIC手前にショッピングモールがあります。その前に、安曇野・穂高へ来たら・・・ そう碌山美術館に寄りましょう。 碌山美術館です。最初に来たのは、今から40年前ですかね。あれから幾度か来ていますが。今回、オドロイタのは建物が多くなったこと。駐車場がしっかり出来ていることです。ぐっと付加価値が増えましたね。でも中学校の一角を占領したような美術館はそのままです。豊科ICから自動車道に乗って、またまた諏訪ICで降りました。ヨメが諏訪湖行ってみたい・・・諏訪湖です。夏の諏訪湖は、ちょっとキタナク見えますね。でも、サンリツ服部美術館を観たり、湖畔を歩いたり。ヨメはまあまあ、ご機嫌なひと時でした。そうだ、御昼を食べていこう。この辺りで有名なのは「手打ちそば処 八洲(やしま)本店」です。上諏訪駅にも近い店ですが、本当に有名なようで。狭い路地を突き当たる駐車場は、辛うじて入れたし。店は、本当にひっきりなしに客が出入りします。今回の旅フォトのシメは、八洲のせいろ蕎麦とてんぷら盛りあわせです。 これにてお仕舞い。
2009年08月30日
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最初の日に泊まった宇奈月の宿は、まあ、いわゆる「○○国際ホテル」ですが、アルペンルートのオフィシャル・ホテルだそうです。3階フロアにお茶室が設えてあったので、この一枚だけ載せます。あっ、そうだ。宇奈月の街に八尾の方々がやってきて、夜、宣伝をかねて踊っていたようです。さて、翌朝です。宇奈月からアルペンルートの始点になる立山駅まではクルマで移動します。クルマはここで回送をお願いするのです。長野県側の扇沢まで回送していただきます。 さて、立山駅です。本当は、ここまで富山地方鉄道に乗って来て、ここからケーブルカーで美女平へ・・・ これがアルペンルート巡りなのでしょう。ともかく、ここからスタートします。これは美女平へ登るケーブルカーです。最大斜度29度なんて紹介していましたが。見た目は、もっともっと急な勾配を登っていきます。標高差約500mを7分で登ります。美女平からはバスに乗ります。ここのアルペンルートも一般車乗り入れ禁止です。美女平から弥陀ヶ原経由で室堂まで、標高差1500mを50分で登っていきます。写真は、ルートの途中から見える称名滝です。日本一の落差 350mあります。また、途中、野生のサル軍団が道路で寝そべっていたりする光景に遭遇しました。弥陀ヶ原(みだがはら)です。ヨメが室堂よりここを廻りたいって言うもんで。バスを降りて、散策コースを30分ちょっと 歩きました。標高1600~2100mくらいに広がる高原です。こうした木道をゆくのですが、高原植物は季節を感じさせてくれます。またバスに乗って室堂へ着きます。弥陀ヶ原に比べると天気が悪いです。ここはゴールデンウィークの頃は「雪の大谷」といわれる巨大な雪の壁ができるところです。この季節、もう雪はありません。あと一か月もすると、また雪が降るそうです。写真は、ガスがすこしきれたところで剱岳方向を見て撮りました。残念ながら、この程度でした。こちらは剱岳をバックに「みくりが池」です。ヨメは、この先の雷鳥沢の雷鳥を見たかったようですが。ちょっと、その願いは叶いませんでした。室堂というのは、江戸時代にできた日本最初の山小屋を言うようです。さて、先を急ぎます。室堂から大観峰まで立山トンネル・トロリーバスに乗ります。標高2450m付近だそうです。これは、まったくトンネルの中を移動します。そして、大観峰から黒部平へ標高差約490mを下るロープウェイです。このロープウェイができるまで、この標高差を登るには6時間を要したそうですが、ロープウェイはわずか7分で黒部平へ着きます。そして、黒部湖。黒部ダムです。あの映画「黒部の太陽」は1968年公開でした。ダムからは放水がされています。提高186m。覗き込むだけで、高所恐怖症者は立眩みが・・・ このイチマイは必死でした。ということで、黒部ダムから最後のトロリーバスに乗って扇沢に着きます。これは、長野県側の扇沢駅前の駐車場です。立山駅を出てから、約6時間です。無事に扇沢までたどり着きました。この駐車場に、立山駅から回送していただいた あっしのB4があります。
2009年08月30日
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午前三時にごそごそと起きて。家を出たのは、三時30分。遂に、出かけました。今回の夏旅行は、いつもの夏旅行に一つ意味が加わっています。36年間、ある公共団体で働いてきたうちのヨメが三月末で退職した。その長年の苦労を慰労する旅でもありました。そう、行き先はヨメの希望通り。立山・黒部アルペンルート縦走が主目的です。が、まず、愛車B4は練馬から関越にのり、藤岡JCTから上信越道に入ります。更埴ICを経由して、長野市街が左に見える頃。ふと、気がつきました。ここまできたら、そうだ 春日山城に行ってみよう。ドラマでは、春日山を出て越後から会津へ国替えが進んでいるが・・・ 上越高田ICを降りて、北へ。忽然と現れる、然もない山。これが春日山である。越後府中を守る山城、春日山城。クルマでは、途中の神社まで進めるが。そこから先は、このような山道を登っていく。30分ちょっとかかるとのこと。登るのはあきらめた。代わりに、視線の先は越後の国を見つめる上杉謙信公の像を、後ろからパチリ。そうだ 上越市って、昔はなかったよな? 直江津って、直江兼続と関係あるのかな? そして北陸自動車道に戻り、一路、富山の街をめざします。富山市内へ入る前に、富山市八尾(やつお)町・・・ そう「おわら風の盆」 で有名な八尾町へ行きます。八月27日の八尾町の風景です。そう、おわら風の盆は九月1日から3日にかけて行われる、富山県を代表するお祭りです。この日も前夜祭は開かれると聞きました。これは八尾の諏訪町本通り。この通りは「日本の道100選」に選ばれていますね。お昼は八尾で、少しお蕎麦を食べたのですが・・・ 富山市内へ移動するだけで、お腹が空いて・・・ ここは、富山駅前のとあるビルの地階「鮨 昌五郎」です。威勢のよい掛け声とともに、実に美味しい御鮨をいただきました。 富山市のミナトは、岩瀬港が有名なのですね。かって栄華を極めた廻船問屋・森家です。ここは北前船廻船問屋の歴史と面影を残す家で、中を見学することが出来ます。その森家のすぐ裏に、ミナトを見下ろす富山港展望台があります。高さ約20mだそうです。北前船の常夜燈を模っているそうです。登ってあがれますが、すべて階段です。バリアフリーにはなっていないですね。さて、今宵の宿は宇奈月温泉です。
2009年08月29日
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白骨温泉は、上高地・乗鞍スーパー林道で結ばれているため。上高地と乗鞍高原、どちらからもアクセス出来る温泉場であります。しかし、大正時代に中里介山が書いた長編小説「大菩薩峠」に登場する、風情ある情緒を残した温泉場でもあります。松本電鉄「新島々駅」から60分かかるバスで、このバス停に着きます。あっしは、クルマで乗鞍高原からスーパー林道のつづれ折り道を登ってきましたが。バスで来れば、ここが温泉の入り口となります。ここが、中部山岳国立公園「白骨温泉です。何処もかしこも、緑に囲まれた街です。本日のお宿は、白骨温泉の一番高いところにある「つるや旅館」さんに泊めていただきました。風情のある宿です。部屋の窓からの眺めは、こうした渓流に・・・ ちょっと遅い新緑が美しく映える。渓谷の温泉場です。宿に泊めていただく、愉しみの一つは食事です。ヤマメや山菜、そして信州サーモンなど。食卓には、慎ましくそして美味しそうな卓が並びます。翌朝、気持ちよく目覚め。宿周辺を散策しました。こんなにも山と緑に抱かれた温泉里、白骨温泉です。次に載せるつり橋から眺めた渓流です。どうです、これが自然の美しさですよね。白骨温泉には、幾つかつり橋があるようです。この橋は、クルマが通れるようです。温泉場の釣り橋というと、やたら揺れる橋が多いのですが。しっかりした橋でした。そして、最後になりますが、小説「大菩薩峠」作者、中里介山の文学碑を見つけました。やや解りにくいですが。この白骨温泉を一躍有名にしたのは、この大菩薩峠でしょう。幕末という時代背景を除いても、その破天荒な生き方は尋常な剣豪、生き方として共感を持たれなかったのかも知れません。しかし、大作は大作です。白骨温泉を有名にした中里介山です。一日、遅れれば梅雨が明けたかもしれませんが。そんなことは関係ありません。イノチの洗濯、素晴らしい温泉場 白骨の一夜でした。
2009年07月14日
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ちょっと急なのですが。出かけます。行き先は、松本市内と乗鞍高原方面とだけ申し上げておきます。何処へ出かけたか・・・ それはレポートするつもりです。よろしくお願いいたします。天気が・・・ いま一つ、心配ですが・・・ それでは!
2009年07月12日
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早いものです。帰ってきてから、もう一週間が経ちました。脳裏に残っているうちに、お見せしていないフォトでもう一度。振り返ってみたいと思います。まず、京都・仁王門通りのやはり無鄰菴(むりんあん)ですね。このフォトは、木と池越しに建物を見ています。新緑の頃が、こんなに素晴らしいのですから・・・ 秋の紅葉の時期はもっと・・・ 行きたくなりますね。もう一枚、無鄰菴です。建物の中から庭を見ています。ここで、抹茶をいただきました。床に敷かれている毛氈(もうせん)は赤が多いと思いますが、青、いや緑の毛氈です。秋には赤になっているのでしょうか・・・そして、奈良・長谷寺です。長谷寺の五重塔です。本堂から写しています。本堂からは、やや離れたところに建っていますので、これは結構ズームの倍率を上げて撮りました。これは、京都に戻って、高台寺前の通りです。撮影時間は、5月10日午前7時11分です。人通りがまったくありませんでした。左側が高台寺、右側は石塀小路になりますね。最後は、ちょっと平凡ですが富士山です。帰路、東名の富士川SAから見た景色です。実際は、もう少し迫力ある景色でした。5月10日午後0時8分の富士山です。どうなんでしょうか、時期にしては雪が多いように思いますが・・・
2009年05月17日
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さて、二日目ですが、まず奈良国立博物館まで行き、「国宝 鑑真和上展」を見ます。この展示は五月24日までです。まあ、見終わって鑑真和上の圧倒的な存在感を印象に焼き付けることができた展示であったと思います。鑑真和上といえば、やはり井上靖の「天平の甍」でしょう。この人物を日本に呼び続けた人たちも偉いですが、12年かけて五度の渡航失敗にもかかわらず、しかも失明の苦難を乗り越えて来日。仏教を日本に広める働きをする鑑真です。さて、国博を出て、国道169号線を一気に南下します。天理市を過ぎ、桜井市の長谷寺へやってきました。ここも源氏物語ゆかりの地です。鎌倉にも長谷寺ってありますが、やはり有名なのはこちらの長谷寺でしょうか。大和と伊勢を結ぶ初瀬(はせ)街道を見下ろす初瀬山中腹に建つ長谷寺です。新緑の初瀬山をバックに、国宝の本堂です。実に大きな寺です。現在は真言宗豊山派の総本山ですね。そして初瀬から脚を伸ばすと、現在の宇陀市。室生寺に行けます。室生寺は、この五重塔でしょう。これも絵葉書のようなフォトになってしまいました。ここは長谷寺より奥にあるだけ、人が少ないように見受けましたが。長谷寺でお会いしたような方々にまたお目にかかることができました。室生山をバックに室生寺です。室生寺まで来ると、京都へ戻るのに一苦労します。でも何とか戻ることができました。この日の宿は、高台寺と円山公園の間にある宿です。夕暮れの高台寺あたりを歩いています。石塀小路ですね。京都は、あちこち風情と歴史がありますが、ここの通りは格別です。こういう通りはあっしの趣味ですね。高台寺前から、こんな五重塔も見えます。j実に京都は奥深いものがあります。通称「ねねの道」ですね。高台寺の前。太閤秀吉のヨメ、ねねのお寺 高台寺です。実に、興味深い京都と奈良の旅です。いつも思うのですが、一度来るとまた来たくなる。そんな魅力に溢れた、遠出の旅です。
2009年05月12日
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さて、京都市街からクルマで伏見を通って宇治へ行きます。宇治の有名な平等院です。絵葉書のようなフォトです。平等院へは初めて来ました(中学校の修学旅行でも来ていません)。十円玉で有名な平等院は、藤原氏ゆかりの寺院です。平等院。正式には平等院鳳凰堂、だと思います。屋根の鳳凰像が見えます。また、正面の丸窓から大仏が見えました。今回の旅行企画。ヨメが企画したのは、『源氏物語の地を訪ねる』だったようです。宇治には、源氏物語に登場する場面が多く存在します。その一つ、宇治川です。この川は下ると淀川になりますね。この日は、三日続いた雨のせいでしょうか。流れが急で、増水しているようでした。このすぐ上流にダムがあるそうです。平等院の対岸に、源氏物語ミュージアムがあります。展示や映像で、源氏物語を解りやすく紹介しています。ヨメは大喜びでした。宇治といえば、お茶も有名ですね。昼食は茶そばを食べましたし、緑茶は数杯飲みました。このミュージアムと宇治上神社の間の道を「さわらびの道」と呼ぶそうで、これもまたヨメは悦んで、あちこち見ていました。 この日の宿は、宝ヶ池のホテルでした。夕飯はオモテで食べるとのことで、電車に乗って、四条河原町までやってきました。四条河原町の交差点です。見慣れた景色ですが、心なしか人出が少ないように思いました。交差点を見下ろすビル七階の店。ここで美味しい京料理とお酒に舌鼓をうちました。
2009年05月10日
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横浜の家を出て、京都の街までクルマでだいたい6時間くらいの旅です。夜一時に家を出ました(遊びに出かけるときはイッショウケンメイです)。東名高速道路を豊田JCTまで行き、そこから伊勢湾岸道路に入ります。最近、京都方面への旅はこのルートを取ります。東名~名神を走るより少し早いです。四日市JCTから東名阪自動車道を走り、亀山JCTから新名神高速道路に入ります。この道は、いい道路ですね。高規格高速道路だそうですが。実に走りやすい道です。助手席のヨメさんが写したので、ピンがアマイ(いや走っているクルマから撮影)ですが、金曜日の朝。雨雲の塊が鈴鹿山脈を覆っていました。スゴイ景色です。草津JCTで名神高速道路に入りますと、京都東ICはもうすぐです。山科駅前や蹴上を通って、京都の街に入ります。朝食と一休みを兼ねて、ウェスティン都ホテル京都に立ち寄ります。 ホテルの玄関です。平日の朝早い時間(朝六時過ぎ)です。ヒトッコ一人いません。朝ごはん食べようとしたら、ヨメが急に言うのです「朝ごはん、予約してあったんだ・・・ 」 何言ってるの、忘れたらタイヘンなことになっていた。向かったのは仁王門通からちょっと入った瓢亭別館です。 これは、瓢亭本店・別館前の通りです。新緑が美しい静かな通りです。左奥が無隣庵(「隣」の字も「庵」の字も違っています)。瓢亭は、京都でも有名な懐石料理店だそうですが、朝粥です。ここにはお粥が写っていませんが(後で出てきました)、実に美味しい朝食でした。瓢亭玉子が有名なのですね、一人前4,500円なり。瓢亭をそこそこに出て、お隣の無隣庵(字が違う!)へ。 二日に及ぶ雨が、いっそうのしっとり感を漂わせる「無鄰菴」(この字が正解)です。ここは、明治の元勲・山県有朋の別邸です。明治の造園家、七代目植冶こと小川治兵衛作の庭です。秋の紅葉もいいでしょうが、この時期の新緑の庭も実によいです。ここに洋館が建っています(どうみても蔵としか見えませんが)。この二階にこういう部屋があって、山県たちがここで日露戦争開戦の会議をしたそうです。次は、宇治の平等院へ行きます。
2009年05月10日
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山中湖は、標高約1000mですから 子どもの頃教わった、公式だと 100mで0.6℃下がるでしたので、約6℃違うはずなのですが この時期、午前中で23℃くらい 午後で25℃くらいです 話にならないくらい、涼しいです これが、ここ数年来 この時期の定宿にしているホテルです 山中湖から道志村へ向う、道の途中にあります 毎年来ているので、大して新鮮味はないのですが 今年は、一階のロビーあたりをリニューアルしていました 二日目はゴルフです 山中湖から少し下った、篭坂GCです ここへ来ることも多くなりました 今回は、バックティーから打ちました レギュラーティーが前に見えますね 「スコアは?」 その答えだけは、ゴカンベンを・・・ 今回も、また教わりました 遊ぶってことは、気力と体力を要することなのです いやー、標高の高いゴルフ場とはいえ 真夏のプレーは本気で気力と体力を必要としています(ホントに疲れました・・・ )山中湖のフォトギャラリーはこちらです 先ほどのFUJI SPEEDWAY前で、愛車B4をパチリです 今回もB4はよく走りました 三国峠、篭坂峠・・・ エアコン点けて、峠道を走り抜けました これは帰り道の東名・海老名SAで、ポルシャ+α軍団が居られました ポルシャの他に、フェラーリとジャガーですかね・・・23℃の山中湖・平野を出て、約2時間走って 34℃の横浜に着きました 暑い、暑い一日でしたが・・・ 山中湖は本当に涼しかったです
2008年08月03日
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暑い日が続いております って、先ほど 山中湖から帰ってきました 横浜は暑いですね 今でも、34度くらいあるのではないでしょうかさて、今回の山中湖 避暑ツアーですが 最大の楽しみは、FUJI SPEEDWAYへ立ち寄ることだったのです 行ってきましたFUJI SPEEDWAYです 新装なって、昨年秋のF1日本GPを終えたのですが いろいろ注文の付く、F1になっています 何はともあれ、新装なったFUJI SPEEDWAY全景です 2008年のF1日本GPは、10月10日から 12日が決勝になりますね この日は、いわゆるイベントやレースがありませんでしたので 一人1000円なりを払って、中へ入りました これは、新しいレストランORIZURUから見えるヘアピン・カーブ方向です フリー走行だけはできるようで、何台かのクルマが走っていました ここは、メインスタンド反対側のピットビルといわゆるピットです ここを、あのF1カーが・・・ と思うとドキドキしながら写しました そして、レーシング・コースのスタート・グリッドです もう、ドキドキがドキドキ大興奮大変です コース上には、何台かフリー走行していましたが 写っているのは、ポルシェでした OLYMPUSμ830では、これで精一杯です こんな光景を目の当たりにしたのです あっしとヨメは大興奮です パドックには、さりげなくポルシェです これから、フリー走行するのか 終わったのか・・・ 少し移動して、第1コーナー・スタンドからピットビル方向を見たところです ピット・レーン出口が見えます そして、第1コーナーに飛び込むS15型シルビアですね 本当に、メインスタンドを突っ走って ホントにコーナーに飛び込むって、感じですね ブレーキとシフトダウン ターボ、アクセルの音が響き渡っていましたFUJI SPEEDWAYだけ行ったわけではないのですが あまりの興奮ぶりに、これだけを載せます
2008年08月03日
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早いものです 奈良へ旅して、もう一週間が経ちます なんか、まだ奈良に居るような錯覚を覚えるときがあります それほどに、良かったんですかね 奈良の旅ってんで、三回で紹介し切れていない 写真を 追録してみたいと思います まずこれは、奈良市内 近鉄奈良駅とJR奈良駅の間くらいにある開化天皇陵です 宮内庁の立札が立っていますね 明日香へ行くと、こんもりした森や小山が みんなお墓のように思えましたが 奈良の街中では、珍しいのではないでしょうか 緑に覆われた陵が、静かにありました 斑鳩の里 法隆寺も、忘れられません これは大宝蔵院あたりから、五重塔を見ているところです そして、法隆寺・夢殿のお隣 中宮寺の庭です 中宮寺は、今でも皇室 それも皇后とのつながりの深い寺のようです 法隆寺に比べれば、小さな寺でしたが 庭は思い出に残ります そして明日香村 ここは天武天皇陵です 明日香は、古墳だらけ なんて言ったら失礼ですが とにかく、多いですね ここにも宮内庁の立札です この天武天皇陵は、小高い丘になっていて 石段を登っていきますね この時も、小雨が降っていました・・・ 西ノ京 唐招提寺が、とても良かったと書きました 本当に、唐招提寺の庭には 魅かれました この一枚も、小雨降る中 しっとりとした苔庭の風情です ここは東大寺 大仏殿の前庭にようなところです 東大寺も、本当に広いお寺でしたが こんな景色もありました これは衣水園です 建物は東大寺の南大門 遠くの山は若草山ですね 衣水園はヨカッタですね きっと忘れられない思い出になるでしょうマッシィー「そんなにいい旅なら、また行くかい?」 あっし「そうなったのなら、いいけどね」一週間が経ちましたが・・・ 奈良の旅 引きずられそうな魅力、溢れる旅でした・・・
2008年07月05日
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東大寺・二月堂までは登って行ったのですが 正倉院まで足を伸ばすのが、やや辛くなってきました いやー、それにしても 今回の奈良の旅、よく歩きましたそこで、もう一つのお愉しみ 衣水園です 衣水園は、東大寺の隣り、寧楽(なら)美術館と同じ敷地にある庭園です 衣水園は、前庭と後庭から成り その間に茶室が点在しているような造りになっています ここは、ただただ日本庭園に酔いしれました 数奇をこらした萱葦の建物(茶室)が 庭の中に点在します それもそのはず、ここの庭造りは 先々代裏千家家元が関わっているそうです 和の雅の世界です 苔むす庭の緑が、ホントに癒やてくれます 期待に違わず、衣水園 大いに愉しみました さて、奈良公園の興福寺です 藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。 とWikipediaが紹介する興福寺は、現在の奈良公園のほとんどをかって領地としていたようです しかし、現在は多くが消失しており 手前の東金堂と五重塔はともに国宝で興福寺の中心的な存在です 奈良奥山ドライブウェイで若草山山頂へ行きました このドライブウェイは、ワインディングが続く やや楽しいドライブが味わえます 奈良市内の鹿(しか)ですが、本当に多くいます 糞も、そりゃ多かったです 二日目の宿は、憧れの奈良ホテルです クラシックホテルって言えば カッコイイですかね 創立99年のホテルは、やはり古いですね 三日目の朝、ホテルのそばの奈良町へ行って見ました 「最近評判の・・・ 」なんて紹介記事に釣られて 寄りましたが・・・最後にもう一枚 猿沢の池ごしに、興福寺の五重塔です 奈良の定番スポットの一枚でしょう 猿沢の池に始まり、猿沢の池で終わった 今回の奈良の旅 やはり、来てよかったなと思います あれこれ、思い出に残りそうです 去年の、敦賀~彦根 一昨年の金沢 この時期、ヨメとの二人旅が恒例となりつつありますが それぞれによい思い出が出来ました さて、来年はどうなりますか・・・ 愉しみでもあります てなことで、奈良お出かけ記を終わります 最後まで、お付合いいただき 誠にありがとうございました
2008年07月01日
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明日香村散策を終えて、一日目の宿は吉野山へ向います 吉野川に沿って走り、近鉄・吉野駅からは急なカーブを登って 旅館「歌藤」さんで泊めていただきました 残念なことに雨が降り続きましたが、雲海のような雲を見下ろす吉野山の景色は記憶に残りました二日目は、吉野から国道24号線を北上します 奈良の街を横目で見て、西ノ京へ向います まずは、薬師寺です 今回の奈良の旅では あちこちで「世界遺産」と「遷都1300年」の言葉に出くわしましたが・・・ 薬師寺は、興福寺とともに法相宗の大本山で、開基は天武天皇ですね 割とそばに大池という池があって、この池越しに東塔・西塔 遥か彼方に若草山という景色が薬師寺の定番ですが 雨も降っていたので、大池までは歩きませんでした それでも、両塔が見えるポイントを探して見ました 手前が西塔で、1981年再建 右奥が東塔で奈良時代・天平年間の建物 ともに三重塔ですね 薬師寺の建物は多くが焼失しております 蓮の花の向うに見える金堂は1976年再建だそうです 季節は、蓮の花の咲く季節です 薬師寺は、広い敷地に建物があちこちに建っている風情ですが次に訪れた唐招提寺はまったく違っていました 同じ西ノ京にある唐招提寺です 広さは、薬師寺とさほど変らないと思いました 唐招提寺で驚いたのは、庭が美しいことです 苔むす庭の緑が、梅雨の季節に映えていました 唐招提寺は、奈良市五条町にある鑑真ゆかりの寺院。南都六宗の一つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂をはじめ、多くの文化財を有する。 とWikipediaにも書かれていますが 唐招提寺と言うと、中国渡来の鑑真和尚ですが こんな和の趣が寺にはあります 驚いたのは、薬師寺もそうだったのですが 国宝の多さです どうです さりげない景色の中に、緑が美しいです ここは唐招提寺の中でも、何か特別な趣のある場所でした 鑑真和尚廟 鑑真さんのお墓です唐招提寺を後にして、平城宮跡を通り 一路、奈良公園の一角にある東大寺を目指します 西ノ京の寺では、静けさの中で過ごしましたが ここは、スゴイ人出でした 東大寺は華厳宗大本山の仏教寺院です 東大寺と言えば、そう 大仏です 多くの寺は、ご本尊や仏像が撮影禁止になっていますが 東大寺の大仏は、まったく大丈夫 あちこちでパチリ、ストロボの連続でした 大仏、別名「東大寺盧舎那仏像」です 大仏殿は高さが49mあるそうですが 木造建築としては、日本最大級であることは間違いないでしょう 東大寺の二月堂も国宝ですが この鐘楼も国宝です 鐘の重さは40トンあると聞きました どこで造って、どう運んできたんでしょうかね・・・今回は、ここまでにします
2008年07月01日
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二泊三日の奈良のたびへ行ってきました 奈良って言えば、シルクロードの終着点 平城遷都1300年の歴史 古都・奈良を堪能したい そんな期待の旅です 夜、九時に家を出て、東名~伊勢湾岸道~出来たばかりの新名神~京滋バイパス~京奈和道を通って 午前三時前に、奈良市内に着きました 猿沢池前にクルマを止めて、しばし仮眠しました この写真は撮影時間、午前四時42分です 猿沢池に、なんと亀がいました JR奈良駅です 「ふるさとの駅100選」ですね これが、朝飯を食べた後、土曜日の午前七時です 人がほとんどいません 寺めぐりのスタートは斑鳩の里 法隆寺にしました 法隆寺は、訪れる人が多いと聞き、朝早くに行くことにしたのです・・・ 法隆寺の五重塔ですね 築後1300年の木造建築、日本最古の木造塔 もちろん国宝ですね てっぺんの相輪まで34.1mだそうです 回廊の柱は、中央部がふくらんでいる ギリシャ神殿を思わせる木造の柱です 近くで見ると、結構傷んでいます 何と言っても、驚くのは法隆寺の広さですね これは夢殿、中宮寺へ向う道ですが こうした土塀がどこまでも続きます たっぷり法隆寺を堪能した時間です そして、クルマで移動して 明日香村へ向う途中 今井町に立ち寄りました 今井町伝統的建造物群(江戸時代の土蔵造りの家並み)ですね これは豊田家です もともとは材木商だったそうで 「木」の字が読み取れます 今井町の写真は、一枚だけですが 落着いた街並みです 実に、いい思い出に残る街でした 橿原や飛鳥で驚いたことの一つに、こんもりした森や小高い丘がだれかのお墓であることです 次々、現れてきます オドロキました そして、明日香村へ・・・ 最初に行ったのは、石舞台です 『日本書紀』の蘇我馬子が葬られた『桃原墓』だとみる説現在が最も有力 だそうですが、とにかく圧倒的な存在感です 重さは推定75トンだそうですが 7世紀初頭の頃、一体どうやって 運び、組んだのでしょうか・・・ これは、聖徳太子生誕の地に建つといわれる橘寺の境内です この頃には、雨が降っていました 明日香村は、さほど大きくない村ですが あちこちの移動には、自転車が一番かなと思いました この日は、雨が降っていましたが・・・ 高松塚古墳を見にいくことは、今回の旅のメーンイベントだったかも知れません しかし、がっくりしました 古墳のあたりは、工事中で中へは入れませんでした そぼ降る雨の中、かなり多くの人々が訪れていましたが・・・ 残念です この写真は、工事の覆いの隙間から写しました 明日香村に甘樫丘(あまかしのおか)というところがあります ここはオススメです 148mの山頂から、大和三山(万葉の世に誘うたたずまい)を一挙に見ることができます これは畝傍山ですね 雨混じりの天気でしたから しかもデジカメμ830の望遠ですから・・・第1回は、ここまでにします
2008年06月30日
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山梨県北杜市の旅 続きます 増富から、須玉IC近くへ戻って そして白州(「はくしゅう」と読みます)へ向います サントリー白州蒸留所です これは入り口の様子です ヨメは、登録するだけ、無料で入れることに えらく感心していました ご覧ください 赤松の多い林 いい季節で、この美しいところを歩いていきます ありました ヤマナシ(杜)の木です 画像がよくありませんが、いよいよ蒸留所見学が始まります 案内の女性は、笑みを絶やさず 終始、解かりやすい説明をしていただきました 見学の中で、一番感激したのは このリチャーと言われる樽焼きです ウィスキーを詰めるホワイト・オークの樽の内側を焼いて その樽にウィスキーを入れると熟成がよいものとなるんだそうです 焼きすぎても、燃えきってしまうのですかね 一瞬にして消します その勘所が職人の技とのことだそうです バス移動を含めた、30分ほどの見学を終えると いよいよ試飲コーナーが始まります もちろん、クルマを運転するあっしは「アルプス天然水」をいただきましたが ヨメは、シングルモルト「白州12年」を二杯も ロックで飲んでいました もちろん、無料見学だけでは終わりません こうした販売コーナーもあります 当然、白州でできたウィスキー中心ですが 山崎のウィスキーも売っていました 見学して、試飲して さてさて見学者の購買意欲は・・・ これが、白州のシングルモルト25年です 価格は、フルボトルで105,000円と書いてあります 蒸留所内のバーで、一杯2,000円で売っていましたが 破格に安いとはいえ、やはり・・・さて、泊まった宿ですが 白州から、少し戻り 南アルプス・甲斐駒ケ岳(標高2,965m)やアサヨ峰(2,799m)の麓(ふもと)に 藪の湯温泉というところがあります この川は大武川 下れば釜無川、そして富士川となります 遠くの雪を抱いた峰 左がアサヨ峰 右が甲斐駒ケ岳です こんな新緑の森が続く中に これが泊めていただいた藪の湯温泉元湯「鈴木旅館」です一夜明けて、松本へ向う旅でしたが 北杜の美しい自然と景観に感動して、その報告ばかりの日記となりました 「八ヶ岳南麓の高原」、「清流と甲斐駒」などなど・・・ いいでしょう ちなみに帰路は 松本から中央高速道にのり、やはり調布ICで降り ナビの指示のまま、国領や成城を通過して第三京浜を通って、横浜へ帰ってきました 大した渋滞にも会わず、帰ることが出来ました 以上です
2008年05月04日
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さて清里は、KEEP協会清泉寮です 朝の九時前です 背景の八ヶ岳は、生憎の空模様 雲がかかっています でも、たしかに清泉寮です 懐かしいです この前来たのは うちの子ども達が小さかった頃 数えたら20年前だそうです 清泉寮は、それほど変っていません 懐かしい想いのあっしを快く、迎えてくれたような気がしました 昔もあったのでしょうか 記憶にありませんが 散策の小道です 清泉寮のあたりは、標高約1400mあります 冬は、一面 雪に埋もれます この季節、まだ春爛漫とは言えない風情が漂います そんな、この地を切開いたラッシュ博士と開拓団の方々が、今日の清里につながります やはり清泉寮のハーブガーデンです 遠くは金峰山、近くは飯盛山を望む 清泉寮の牧場です 清泉寮の牛と言えば、ジャージ牛ですね 自然放牧が自慢です ミルクはもとより、美味しいソフトクリームもここから生れますそれでは、清里を離れて 国道141号線から、クリスタルラインという林道へ向います 「縁結び観音」でもある大滝です この滝は、下って さきほどの大門ダムへ注ぐようです 北杜市には滝もいろいろあるようです 自然に恵まれた北杜市です さて、クリスタルラインです これは、クリスタルラインを走っているときの あっしのクルマのナビ映像です 何も映っていません あっしはどこを走っていたのでしょうか そうです クリスタルラインはナビに反映されていない路線だったのです これはクリスタルラインから増富へ向う途中にある 塩川ダムです 先ほどの大門ダムよりは大きなダムでした 塩川ダム みずがき湖にかかるアーチ橋です ここにはビジターセンターという建物がありました ここで売っている地元物産の豊富さには、驚きました そして、やってきました増富ラジウム温泉郷 「増富の湯」です 温泉は、旅の大きな愉しみです ここは、期待に違わない いい温泉でした ちょっと塩辛い、ラジウム混じりの鉱泉水を飲み 温泉 堪能しました 増富温泉郷を流れる渓谷の風景です いいでしょ、自然はその3では、白州のサントリー蒸留所 そして宿へ向います
2008年05月03日
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さて、一泊二日の旅 無事に帰ってきましたです 最初に、横浜・磯子から中央高速・甲府や松本方面へ向うルートですが あっしの場合、国道16号線を相模原の街を抜け 八王子バイパスから八王子ICへ向う場合が多いです 今回は、敢えて第三京浜~環状八号~甲州街道~調布ICへ行きました それでは、報告 まずはその1 北杜市あちこちです 北杜市は、山梨県の西北に位置して 隣りはもう長野県です これは、中央高速道を須玉ICで降り 清里へ向って、北上 先ず立ち寄った、南八ヶ岳・花の森公園 道の駅「南きよさと」にある鯉幟(こいのぼり)です この公園の斜面に 美しい芝ザクラが咲いていました そして、国道141号線を少し外れると それほど大きなダムではありませんが 大門ダムがあります 季節は、五月になりましたが このあたりの山には、まだ桜が咲いていました 大門ダムの湖はきよさと湖というそうです そのすぐ側に「弘法水」という湧き水が出ています 冷たくて、やや甘い おいしい水 でした 清里高原「ハイランド・ホテル」です つい立ち寄ってしまいました 立ち寄っただけです お掃除をしているおじさんに、北杜市の由来になっている「杜」ヤマナシの木のことなど いろいろ教えていただきました 「ヤマナシ=杜」の北の街で、北杜市ですね JR小海線「清里」駅です 懐かしいです 若い頃は、ここへ電車に乗って来たものです ちょうど、小淵沢行きの電車が出てゆくところでした 降り立った乗客は、年配のなぜか男性が多かったです 清里駅前です GWの朝とは言え、この寂しさは何でしょう そう、清里の街が若い人であふれていた頃を知る一人として 今の清里の変貌ぶりは、本当に驚かされます 人が居ないのです 朝早かったからだけではなく、店もあまり開いていないのです そして、清里と言えば そうKEEP協会清泉寮へ向います 清泉寮の牧場をバックに、うちのB4です この続き、その2は清泉寮からスタートします
2008年05月03日
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京都の旅、続編です。食事をした店を出て、河原町通をそぞろ歩きます。すると、 「坂本竜馬・中岡慎太郎 遭難之地」の碑です。つまり近江屋の跡ですね。Wikipediaによれば 龍馬は1867年12月10日の暗殺当日には風邪を引いて河原町の蛸薬師で醤油商を営む近江屋新助宅母屋の二階にいたとされる。当日は陸援隊の中岡慎太郎や土佐藩士の岡本健三郎、画家の淡海槐堂などに訪問されている。中岡はそのまま龍馬と話していたところ、十津川郷士と名乗る男達数人に切られた。龍馬達は近江屋の人間が入ってきたものと油断しており、帯刀していなかった。龍馬はまず額を深く斬られ、奮戦するもののそれが原因ですぐに死亡。中岡も重傷を負うが数日間は意識があり事件の証言を残した。その後、歩いて四条大橋を渡り、一力亭の角を右に曲がり、建仁寺方向へ祇園の街を歩きます。夜七時の祇園は、人通りが多いです。そして、八坂神社前を通って、青蓮院へ行きました。青蓮院の庭がライトアップされています庭を撮ったのですが、いい出来ではありません。竹林の写真にします。 青蓮院まで来れば、白川小学校前を抜けて、三条通へ出ます。そして、蹴上近くの宿へ戻りました。翌日、宿での朝食(これが愉しみでした)を食べ、そこそこに宿を出て、京都御所へ向います。予約は清所門、九時集合です。この歳になって、初めて京都御所へ来ました。受付を済ませると、皇宮警察職員による御所案内が始まります。 御所正面の建礼門を背に、紫震殿(ししんでん)を見ています。こんな風に、説明があります。皇宮警察なんて、腕章をまいていますが、なかなかソフトな人で、ユーモア交えた愉しい説明でした。なんてたって、御所は広いです。ところが、京都御苑の中で、いわゆる京都御所はほんの一部に過ぎません。御苑は、それほど広いのです。 御所の庭です。御所には、三か所の庭があるそうですが。ここが一番美しいと、職員は説明していました。この時、雨が相当に降っていました。 池に、雨滴が映し出されています。御所を出て、烏丸通、四条通と走って、高島屋でおみやげを買いました。おみやげは京都の和菓子です。 その後、蹴上へ戻って、南禅寺そして永観堂と紅葉を見て歩きます。永観堂は禅林寺という寺です。永観堂前の通りは、哲学の道へと続きます。雨さえ降ってなければ、そぞろ歩くに丁度いい道です。 永観堂のモミジです。黄色と赤のコントラストが面白いので、ついパチリ。昼食は、南禅寺境内の菊水を予約してありました。離れの間に通され、何か、得した気分で昼食をいただきました。菊水の離れの間から庭を見たところです。いいですね、京都の師走初めの景色です。 菊水の庭です。右の垣根の外は、廃線になった線路があります。 紅葉をたっぷり、お見せします。いかがでしょうか。2007年 京都の紅葉、ご覧いただけたでしょうか。京都の街の持つ魅力。それは、一年中、四季折々に尽きない魅力がありますが。この時期も本当に、素晴らしい魅力が尽きません。それと、京都の食には、いつもながら感心します。美味しいものが、実に多いです。京都の食、これは京都という街が人を惹きつけて止まない、大きな魅力の一つなのです。午後二時前に京都南ICに乗り、横浜まで一気に帰ってきました。帰り道、名神高速・大垣ICあたりで、雨上がりの虹を見ました。しかも、二重に輪を描く虹です、感動的でした。それから、一宮ICを右折して、名古屋市内の高速線を使うことは、料金の面でも、時間の面でもプラスになりません。 名神・東名を使いましょう。 全行程走行距離1035キロ、平均燃費は14.1キロ・リットルでした。 愉しみにしていた京都の旅、終わってしまえば、こんなもんです。
2007年12月08日
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愉しみにしていた京都旅行に、無事、行ってきました。初日は、朝、四時に横浜の家を出て。東名、名神高速を乗り継ぎ、栗東ICで降りました。朝、九時の開館にあわせて、琵琶湖大橋の手前にある「佐川美術館」に到着です。ここは本当に美しい美術館で、平山郁夫コレクションなどがありますが、今年9月に樂吉左衛門(楽焼の15代当主)創案の茶室が竣工しました。ご覧のような、広い池の地下を潜り抜け、地下にある待合に通されます。コンクリート打ちっぱなしの壁は、和風模様の設えになっています。ここから、昇っていくと小間、小さめの茶室があります。茶室へ入る、にじり口です。ここは地下にあるのです。そして、さらに昇っていくと、広間の茶室です。これだけ見ると、ちょっとモダンな茶室って感じですが。壁は、すべてコンクリ打ちっぱなしです。そして、全面ガラスの外は、こんな景色が広がっています。「腑仰軒」という銘をもつ、この茶室には、ただただ驚きました。 そして、琵琶湖大橋を渡り、山科から京都へ入ります。蹴上(今回の京都旅行は蹴上がポイントになります)から市内に入り、最初に向ったのは今回の最大の目的地、油橋詰町にある樂美術館と本法寺前町にある裏千家・今日庵です。樂美術館です。楽焼、初代から当代に至るその歴史が本当に一気に堪能することができます。当日は、「手で触る楽焼」に参加することができました。丁寧な説明を受け、本当に楽焼の世界を堪能することができました。そして、小川町通り、表千家・不審庵から裏千家・今日庵に至る路地です。手前右側が表千家です。奥右側が裏千家です。そのサラに奥は、武者小路千家です。京都の茶の湯が凝縮して見えます。蹴上に戻り、南禅寺へ向います。 ちょっとピンがあまい写真ですが、南禅寺の紅葉です。この時期、京都は人が多いです。これは、京都の人も言っていました。もう京都の紅葉、遅いかなと思いながら出かけましたが、12月2日、素晴らしい紅葉に巡り合うことができました。宿は、蹴上にほど近い、町屋風の宿を予約してありました。宿に、荷物を下ろし、タクシーで河原町通・六角通をちょっと新京極寄りに入った、WONNTANA(魚棚)で夕飯を兼ねた食事をとりました。勿論、美味しいお酒付です。第1回は、ここまでにしますが、ヨメが選んだ京都旅行。まだまだ続きます
2007年12月04日
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さて、旅は続きます。世久見、食見、田烏(たがらす)と、走り続けて若狭街道、別名、鯖街道に入ります。 海に面していない、京の都へ、海の幸を運んだところから名づけられた「鯖街道」。熊川宿は、街並み保存の宿場街です。 真夏の日曜日ですが、ほとんど人はいませんでした。 でも若狭の国、街道の面影を残す、佇まいです。若狭街道は、滋賀県に入ってから、水坂トンネルが分水嶺になっているようです。 滋賀県今津町、若狭街道は、今津で琵琶湖岸に到着します。今津は、行きたかった町の一つです。 その理由は、建築家ヴォーリズです。 JR湖西線「近江今津」駅の近くには、その名も「ヴォーリズ通り」があります。 ここがヴォ-リズ資料館です。 ウィリアム・メレル・ヴォーリズは1880年10月28日生まれ、1964年5月7日没。アメリカに生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家であり、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。そしてまたYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。よく誤って「宣教師」と紹介されるが、彼はプロの牧師ではなくキリスト教徒伝道者である。讃美歌などの作詞作曲を手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介するなど、音楽についての造詣も素人ではなかった。ヴォーリズの本拠地は、対岸の近江八幡でしょう。 でも、今津には、この旧百三十三銀行今津支店のほか、今津基督教会館、旧今津郵便局が同じ通りに面して、今でも建っています。 歩いても、すぐの距離です今津といえば、琵琶湖周航の歌発祥の地です。 今津の桟橋から、竹生島に向います。 どうです日本一の、琵琶湖です。はるか左沖に見えるのが竹生島です。 この桟橋の左側に、周航の歌が刻まれた碑が建てられ、桟橋の突端には「赤い泊火」があります。 高速船で、今津から約20分の船旅です。島の岩壁は、鳥たちの糞でいっぱい。島が近づくにつれ、遠くで見てりゃよかった、と思わせる無人島です。 こんな断崖絶壁、イッタイどこに船が泊るのというほど、人を寄せ付け難い孤島です。今津に戻って、クルマに乗り対岸へ、いよいよ彦根を目指します。 マキノから、桜の名所海津大崎をまわり、塩津浜、賤ヶ岳古戦場、北陸道を使って彦根に入りました。やっと来ました、彦根城です。 国宝・彦根城築城400年祭は、11月25日までです。 この写真は、天守閣です。彦根城は、名門、彦根藩井伊氏14代の居城。 明治6年の廃城令で数多くの城が失われる中、一説では大隈重信の上奏により破却を免れたとされています。 幕末の大老として有名な井伊直弼は、藩主となるまでの不遇の青春時代をこの城下で過ごしている。直弼が青春時代を過ごした屋敷は「埋木舎(うもれぎのや)」として現存しています。 これが埋木舎です。さも無い建物、質素倹約の人柄が偲ばれます。 そもそも、今回の旅、ヨメはこの建物に辿り着きたくて、言い出した旅だったのです。 右手が茶室になっています。井伊直弼って言えば、大河ドラマ「花の生涯」ですかね。 わが街 横浜にも、縁の深い御仁です。ところで彦根ですが、彦根城博物館と天守閣はもとより、夢京橋キャッスルロード、四番町スクエアなど、回りましたです。 そして、琵琶湖を満喫しました。 (クルマの中ですけど・・・)思いきり歌いましたですよ「琵琶湖周航の歌」・・・ この歌は、三番がいいですよね。♪浪のまにまに 漂えば 赤い泊火 なつかしみ 行方定めぬ 浪枕 今日は今津か 長浜か♪ 今回の旅、いろいろ、あちこち回った旅ですが。 実に多くの思い出が残る、旅となりました 《完》
2007年08月21日
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さて、旅は続きます。 醒ヶ井から、国道365号線に戻り、姉川古戦場をめざします。 姉川の戦いは、織田信長と徳川家康連合軍が、ここで浅井・朝倉軍と対峙し、一時の劣勢を挽回して、これを打ち破り、天下統一への道を切り拓いたとされる、大きな戦いのあったところです。 姉川古戦場の碑、前のあっしのB4(余りの暑さにカメラがハレーション)です。 盛夏の陽射しは暑く、ここらで一風呂浴びようってんで、小谷城にほど近い須賀谷温泉で風呂に入りました。 お市の方ゆかりの温泉だそうです。 大人、一人900円は、日帰り温泉にしてはちょい高いかな。 しかも、(戻ってくるので安心しましたが)ロッカー代500円はないっす。 そして、小谷城です。 浅井長政の居城、浅井家終焉の地ですよね。 この城の、石垣やなんやかんや、秀吉が長浜城を築くときにほとんど運んでいったとか。 驚きますよね、リユースなんて言ってられない・・・ 旅は、木乃本ICから北陸道に乗り、一気に敦賀をめざします。 敦賀です。 初めて来ました、って言うか福井県が初めてです。 日本海が見たい。 そんな素朴な想いが、旅に込められていました。 でも、全く知らない土地です。 若狭なのか、越前なのかも知りませんでした(越前なのですね・・・) 予約した宿が気比(けひ)神宮、正式には氣比神宮の目の前だったこともあり。 夕方、気比神宮へ行って見ました。 越前の国一乃宮、気比神宮です。 実にリッパな大鳥居です、建物も荘厳です。夕食を済ませ、敦賀の街へ出ました。 土曜日の宵、午後七時前の本町一丁目の通りです。 とにかく、人がいません。 ふと、焼き鳥屋の看板に釣られて入った店がトンでもない混み様。 やきとりの秋吉です 席に案内されるまで並び、しかも店内は戦場の如き混み様、活気です。 敦賀中の人が全員来ているのでは・・・ と思うほどの混み様でした 早くに寝て、朝、爽快に目覚めました。 ホテルの人に「相生町で朝市、やってるよ」って聞いて、朝市へ出かけました。 地元で作った野菜や花、魚加工品、肉加工品、手芸品や伝統創作などなど、実に思い出に残る朝市でした。クルマに乗り、三方五湖へ向いました。 三方五湖といえば、若狭湾国定公園の一部、2005年11月にでラムサール条約指定湿地に登録されています。 レインボーラインを駆け上がって、梅丈岳山頂自然公園へ。 ここからケーブルに乗って、山頂に行きました。 眺めは、当然、五湖一望です。 写真は、水月湖、三方湖そして菅湖でしょうか、見えますね。 美浜町出身、五木ひろしの「ふるさとのうた」がスピーカーから繰返し、流れていました。 《つづく》
2007年08月20日
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金曜日は、それでも早寝して、土曜日の朝四時に起きました ヨメと二人で、わが家を出たのは朝四時半過ぎです 一路、東名を西へ、わがB4は快調に走ります 名神に入って、関が原ICで高速を下りました めざすは、関が原の古戦場です 関が原の古戦場は、見渡す限り、東軍・西軍の戦場となったようですが、 石田三成本陣のあった笹尾山麓へ行きました 兵どもが夢の跡 です ここの直ぐ横に、関が原北小学校がありましたが、その前が、最終決戦 地ですさあ、気持ちを切り替えて、伊吹山へ登ります 伊吹山ドライブウェイを、一気に駆け上がります 下りもそうでしたが、ギアチェンジはパドルシフトがだいぶ慣れてきました カチッとしたギアチェンジを繰返します スロー・イン、ファースト・アウト クリッピング・ポイントなんて意識して・・・ そして登ってきました、伊吹山の駐車場です 見難いのですが、ここで標高1260メートルあります ~そのままよ 月もたのまし 伊吹山~ 芭蕉 遠くに、琵琶湖が見えます ここから、歩いて山頂を目指します 伊吹山は、素晴らしいお花畑です この紫の花は、ルリトラノオ たしか、伊吹山だけに咲く、珍しい花(のはずです)そして山頂です そうです、日本百名山、伊吹山頂です 標高1377メートルです 山の天気は、移ろい易いです あっという間に、ガスが出てきました ガスと言っても、麓から見れば、雲なのでしょうが さっきまでの晴天がウソのようですそして、登りに比べればラクなくだりで、無事にクルマへ戻りました 走り始めて、伊吹三名水の一つ、泉神社湧水に立寄りました 書かれたものによると、二千年以上、涸れることなく湧き出しているそうですそして、国道21号線に戻ると、ヨメがどうしても行きたいところがあると、言い出すのです それは、東海道線「醒ヶ井」駅そば 旧中仙道、醒ヶ井宿に咲く梅花藻(バイカモ)を見たいだそうです これが、醒ヶ井(さめがい)宿です 左側の通りが旧中仙道、真ん中の堀に梅花藻が咲いています ちなみに右側は、宿場の問屋場で資料館になっています これが、清流だけに咲く、梅花藻です 解かりにくいのですが、水の流れに白い梅の花のような花が咲いています 《つづく》
2007年08月20日
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ひょんなことで、鬼怒川のホテルの宿泊券が手に入ったので、日光・鬼怒川へひとっ走り行ってきました どうせ、梅雨空の季節、ろくな景色は望めない そんな気持ちで出かけたのです 朝、六時前に首都東京を抜け、東北道へ出ます まず、行き着く先は日光市です 日光の街です 東武日光駅から神橋へ向かう、日光のメインストリートです 左に見える、ひしやは羊かんがおいしいです 背中の右側に、日光金谷ホテルがあります 休みの日の朝とはいえ、この寂しさはなんなのでしょうか・・・ 今回は、あまりあちこち寄り道しませんでしたが、奥日光へは行きました 湯滝です 湯の湖の水が、標高の低い、戦場ヶ原に流れ落ちます そこが湯滝です ここは二度目ですが、本当に見事な滝です 新緑に滝が映えています 奥日光、戦場ヶ原には有名な小田代原なんていいところがありますが、今回は立寄りませんでした いろは坂や日光街道の杉並木、クルマを飛ばして、鬼怒川の先の川治温泉へ向います 最初、龍王峡というところがいい、と聞いてきたのですが、通り過ぎてしまい 川治ダムの直ぐ下、川治湯元へ来てしまいました その一角に、あじさい公園というところがありました 横浜では、もう紫陽花は終わりますが、さすがは鬼怒川です 今が盛りと咲いていました っで、今回のメインイベントは、これ 鬼怒川ラインくだりです 東武・鬼怒川駅にほど近い、乗船場から船に乗ることになります 鬼怒川の温泉郷から、約40分間、さほどの激流でもありませんが鬼怒川を下ります 初めての経験でした 一人、大枚2500円は安くはありませんが、船はそこそこ人が乗っていました 前と後ろに船頭さんがついて、前の船頭さんが案内をしながら、ゆったり川を下ります なかなか面白かったですよ泊ったのは鬼怒川温泉ホテル 金谷ホテル系なんですかね 部屋もまあまあ、お風呂は超豪華でした 風呂は堪能しました 泊り客は、日本語以外、特に中国語客が飛び交っていました でも、鬼怒川温泉もやや寂れていますかね 川向こうに見えた鬼怒川観光ホテルは、無人で、廃墟のようでした
2007年07月08日
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お出かけ記の続きです。 名古屋の宿泊先、トラスティ・ホテルを出て、東片端ランプから高速にのります。都心の道路にしては珍しい、真っ直ぐな道を進みます。小牧JCTを経て、中央高速に入ります。多治見や瑞浪を通りすぎ、恵那峡SAで小休止です。 この写真は、恵那峡SAの中に滝があった(たいして珍しいほどの滝ではないが・・・)をパチリです。 恵那山トンネルは8650メートルあるんですかね、本当に長かったです。初めて通過しましたです・・・ 飯田の街、駒ヶ根。そして遠くに高遠が見えるなんて言っていたら、もう岡谷JCTです。長野道へ入ると、ここからは通いなれた松本の家への道となります。 母の一周忌と納骨を終え、その日のうちに松本を立って、下部温泉へ向いました。中央道の双葉JCTから中部横断道へ入ります。増穂ICまで開通しているのですが、その先もバイパスが出来ていて、鰍沢まであっという間に着きます。富士川に沿って走り、身延線の下部温泉駅にほど近い「梅ぞ乃」に泊りました。 外見は大したことありませんが、落着いた、いい旅館です。離れの間を予約したので、温泉も、 部屋も本当によかったです。ときどき、2両しかない身延線が駅を出るときの音が聞こえるだけ、静かな宿でのひと時でした。
2007年05月16日
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