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先日お客さんをお迎えに浦東空港に行ったらアラブ人がウロウロしていた。なんとなく話しかけてみたらイエメン人。おぉっ、上海でイエメン人かよ!「アル・ヤマーンね、知ってるよ。ふっふっふ。『ザ・右』だろ!内戦は大変だったな。テレビで観てたよ」などと自分の持てる知識を総動員してコミュニケーションに励んだ。パソコンや付属品、ソフトなどの貿易業者だって。先日ケニアから日本人のお客さんが来たんだけど、その人もドバイから上海までのエミレーツで横に座った人がイエメン人だったそうな。こっちで何かの工場を作っているらしい。もしかしてイエメンでは上海ブームがおこっているのか?
2004年05月11日
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むぅ。いい企画だ。国際興業バス「第3回クラシカルバス運転ツアー」 リンクを貼るにはどうしたらいいんだろ?※桜紫OKEIさんのおかげで貼れました!ありがとうございます。(5月8日)
2004年05月08日
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こちらの美容院さんは夜遅くまでやっている。ほとんどの店で22時までは開いている。22時以降深夜まで開いている店もままにある。お客さんがいないときの従業員さんたちは、ソファにみんな重なって座ってダベっていたり、カット用の椅子で寝てたりご飯食べてたりしてる。お客さんがこなくても店を閉めない。夜遅くまでがんばっているんだんぁ、といつも思う。それにしても美容院は過当競争だと思う。会社から家まで、「襄陽南路」「陝西南路」「茂名南路」「瑞金二路」のいずれかを通って帰るのだが、いずれの道も美容院が非常に多いように思える。夜遅く歩いていると、お客さんはいないんだけど煌煌と明かりが灯っているいくつもの美容院の前を通り過ぎる。美容院はどんどん淘汰されゆくのか、それとも一層発展してゆくのだろうか?そんなこと考える前に、一度勇気を振り絞って行ってみよう。でも僕の髪をチョキチョキするのに欠かせない鋤バサミはあるのだろうか・・・。その懸念を解消せねばなるまい。
2004年05月07日
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まだ中国語もできず、あまりローカルな店に行っていない私にとって、フードコート「大食代」はとっても大切な存在だ。・専用カードでの支払いなので、現金を持ち歩かなくてもよい。・古北、徐家匯、香港広場のどこでも使える。・いろんな店が集まっているので、いろんな味が楽しめる。・料理がちゃんとディスプレイされているので、安心して注文できる。 (「大食代」のカード裏)しかし最近困っている。あっさり味の料理やおかずを出す店あまり見当たらないのだ。中華の味に飽きてきた、というものもあるかもしれない。フードコートには四川、上海、点心、カレー、韓国料理、火鍋、洋食、デザートなど、いろんな店が集合している。しかしほとんどの店では肉はほとんど甘辛醤油関東風に煮込んであるし、魚も肉ほどではないにしても大部分が関東風。野菜は油でギトギトだ。母も妻もあっさり味の料理を作ることもあり、濃い味付けは苦手にしている私。最近は店とメニューをなかなか決めることができず、いつもフードコート内をぐるぐる回ってしまう。そのくせ結局外の別の店で、ということになる。そこで気になるのは、在上海日本人の過半は占めるであろう関西人の外食事情だ。(勝手に推計)う~む気になる。今度聞いてみることにしよう。
2004年05月06日
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(徐家匯にて:5月4日)
2004年05月05日
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現在ボディーシャンプーは花王の「ビオレ」のCool味?香り?を使っている。もちろん現地生産。20年以上「シーブリーズ」(エフティ資生堂)ファンをやっているせいか、ボディーシャンプーやシャンプーはスキっとするものが好き。なので近くのスーパー「ハイマート」で買ったのは、「スッキリ系」を想像させる「Cool」の文字が躍る「ビオレ」。さっそく家に帰ってシャワーを浴びて、ノズルをプッシュ!あれ?紫色の液体だ。クール&スッキリ系だったら、やっぱり青だろう。まぁいいか。匂いは・・・あれっ?ブルーベリーのフルーティーな甘~い香り・・・・。ボトルのラベルを見直す。「ビオレ Cool」こちらではクール&スッキリ系は「フルーティーな甘~い香り」という位置づけなのね。いや、それともこちらの鼻が、本当は「Cool」なのにフルーティーな香りと感じてしまうくらい狂っているのだろうか。毎日日中の文化の差を感じながらシャワー浴びてます。※訂正:昨日液体の色をまじまじと見たところ、透明感のない絵の具のような水色でした。シャワールームの白熱灯のオレンジとシャワーカーテンの色が反射して、水色が紫色に見えていたようです。訂正します(5月6日)。
2004年05月04日
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今日も出勤です。蒸すなぁ~。会社近くのラーメン屋「滄浪亭」(淮海中路)には週に2回はランチに足を運ぶ。普通の街中のラーメン屋にしては値段がちょっと高めなのだが、あまりハズレがないのとそんなに不潔な感じがしない、且つ会社から近い、というのでよく利用している。特別グルメな店というワケではない。いつもは1階で食べるのだが、今日は混んでいるので必ず空いている2階に足を踏み入れたところ、ん?一目見てわかるような日本人グループがひいふう。2組だ!まぁ駐在員や奥様方も時々来ているようなので、日本人が珍しいわけではない。この店で一番安い「葱油開洋麺」(10元≒130円)をずるずる啜っていると、日本人家族連れが入ってきた。父母娘の3人組。むぅ。これで俺も含めて4組か。結構多いな。どうしてだろ。20歳くらいの娘さんの手には雑誌「Crea Due TRAVELLER 恋する上海」(文芸春秋2002年)が握られていた。へぇ、結構昔に出た本じゃねーの?などと口をモグモグ言わせながら思っていると、娘さんがそのCreaのグラビアページを指さして注文してるではないかっ!へっ?!このご~く普通の、特色ある料理があるわけでもないしグルメな評論家も絶対来ないような店が、日本の女性誌に紹介されてんのか?!それも結構大きなサイズの写真入りで!?一体なんのメニューなのだろうか?この店のメニューでそんな特色あって特別ウマいメニューなんてあるのか?ほとんどの麺類は食べたし、どれもそこそこ食べれるのは確かなんだけれども・・・。そこで考えた。どのクラスの「ご近所の食堂」だったらオシャレな女性誌に紹介されるのであろうか。食堂系だったら「せきざわ」「福しん」「ラーメン三幸」(以上東長崎)や「こづち」(恵比寿)クラスは女性が一人で入りにくいのでNGだろうな。それとも昔の会社近くの「伊峡」「バンビ」「カロリー」「キッチン南海」(以上神保町界隈)は?いや、もうちょっとランクアップして、「クレッセント」「さぼうる」「いもや」(神保町)だと問題なく女性誌レベルをクリヤーしているだろう。うーむ。どんな基準で選んでいるのだろうか・・・。ちなみに未だに「上海&広州夜の歩き方」(データハウス)を持って夜の街をフラフラしている日本人は見たことないな。
2004年05月03日
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(襄陽南路にて)
2004年05月02日
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一人暮らしで自炊をまったくしないとなると、100%外食となる。この街では一人で外食が辛い。選択肢が少ないのだ。大体ラーメン屋でラーメンか丼ものがほとんどだ。ときどき定食があるけど、味の濃~い肉もしくは魚にご飯にスープ。あまりバリエーションがない。中華は個食向きじゃないからなぁ。一品一品が量多いし。ちょこっとスープ頼んだら大きな丼で出てくるし。頼むから「めしや丼」「大戸屋」が来る予定はないのかな?「和民」が来るのは決まっているので、今から楽しみだ。「和民」だったらおかずいろいろ選べそう。
2004年05月01日
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この間、会社近くの日本式ラーメン屋でずるずる啜ろうとカウンターに座ったら、隣に金髪モヒカンの西洋人が鰻丼食べてた。座った瞬間に目が合って、もぐもぐしている彼の口から一言。「オッス!」懐かしい響きだなぁ・・・。話をしてみると日本語中くらい。21歳のNZ人で故国で大学の日本語学科1年&日本で9ヶ月英会話学校の先生だと。先月から上海と杭州の英会話学校で教えているそうな。学習歴1年9ヶ月にしてはうまいな、日本語。彼がお茶を注いでくれた小姐に「ありがとね」と日本語で言ったら、小姐が一瞬間を置いて「ぎゃー」っつってマンガのような小走りで厨房に走っていってしまった。。外見もこっちじゃビックリなのに、おまけに日本語しゃべるんじゃ驚くわな。でも驚きすぎだぞ小姐。
2004年04月30日
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昨夜「Wowow」を観ていたら、尾崎豊の特集をやっていた。尾崎豊と言えば思い出す。高校3年生の頃、隣の席の浜田君が熱狂的なファンで、授業中にウォークマンでよく聴いていた。彼に話を聞くまで尾崎豊のことを知らなかったが、そんなに熱狂的になる人がいて人気もあるのだから聴いてみるか、ということでテープを借りて聴いた。1回目「うーん、よくわかんねぇ。でも1回で『好きじゃない』なんていういのも失礼だし、もう1回聴くか・・・」2回目「うーん、やっぱりよくわかんねぇ。彼女がいなかったり不良じゃなければ心に響かないのかも」3回目「ダメだ・・・。嫌いでも好きでもないわ・・・」という感じ。その後もテレビで尾崎特集をやっていたりCD屋やラジオでかかっていたり、彼の歌を耳にする機会が多い。何しろ人気あるからね。昨夜は「おっ、俺も30歳超えたし結婚もしたし単身赴任で寂しいし不良じゃないけど上海だし(←意味ナシ)、そろそろ彼の歌が心の琴線に触れるくらいにはなったのかも」と、ちょっと期待した。が、結果は「やっぱり好きでも嫌いでもない、どーでもいい歌」でした。響かねぇなぁ。あっ、尾崎ファンのみなさん、怒らないでね。たぶんよしばたいきの性分に「合ってない」んですよ。でも、ずっと尾崎を耳にするたびに同じようなこと思っちゃうんだろうなぁ。
2004年04月28日
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地下鉄のコンコースや路上のキオスクには、こっそりとヌード写真集が売られている。ただしタイトルは日本のように煽情的ではなく、「人体芸術」などのように学術的だ。これならOKなのでしょうかね。でもなんだかイヤらしさもなくて、よりいっそう買いにくいと思うけどね。
2004年04月27日
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中国ギャルのシャツの丈が短いんじゃないか?先日はストッキングの薄さについて報告したが、今度はシャツの丈です。暖かくなってきて、こちらの女性も薄着になって来ました。そこで気づいたことがまた一つ。上海では東京よりも、シャツの丈が短いせいか女性のおへそや腰周りの素肌をよく見るような気がします。恥ずかしくないのかなぁ。寒くないのかなぁ。いや、ホントに街中でよく見かけるんですよ。確かめたかったら、ぜひ上海に!
2004年04月25日
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やっぱりストッキングが薄くなってきた!先日は「なぜ上海の女性のストッキングは分厚いのだろう」と疑問を呈してみたが、ちゃんと薄い人もいました。今日の上海は気温30度を超えたそうです。暑いですね~。さすがに暑いのか、今日は外を出歩いていたのですが、分厚いストッキングには出会いませんでした。素足の人も結構見ました。あれはファッションじゃなくて、寒さ対策だったのですね。
2004年04月18日
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上海に来てから、映画をテレビでよく観る。1日3本くらい観た日もある。まだ友達も少ないので、夜遅くまで呑み歩いたり、週末に約束して出かける、ということがあまりない。結構時間はあるのだ。そんな生活なので、上海で映画をよく観てしまう。風呂上りなどにプチッとテレビをつけたら、たまたまいい映画がやっている。これが昔感動した映画、観たかった映画だったら、しみじみ思う。う~ん、ツイている。すっごい偶然!!これが始まる直前だと、「俺って超能力者かも・・・」とまで思ってしまう。ちなみにドラマを含めると、最近観た「昔感動した映画」もしくは「観たかった映画」はこんなところです。少ないけど、覚えているのはこんなところ。「戦場のピアニスト」「指輪物語」「青春デンデケデケデケ」「異人たちとの夏」「ボーリング・フォー・コロンバイン」「国語元年」←NHKのテレビドラマこうやって毎日テレビのスイッチをつけて、偶然を楽しんでおります。ちなみに過去、テレビでな~ぜ~か何回も観てしまう映画、というものがあるのです。「たまたまテレビをつけたときにやっていた」映画です。こんな映画には運命というものを感じてしまいます。「恋する惑星」「たんぽぽ」「黒猫白猫」あれっ、まだいくつかあると思うんだけど、思い出せないや。ちなみに「指輪物語」って、実は「ハリーポッター」の1シリーズだと思っていました。マジで。今日を含めてWowowで3回も観てしまいました。これも運命か?
2004年04月15日
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最近ツイている。いや、これはまったくマルチレベルマーケティング(以下MLM)をやっている友人が叫ぶ「ツイてるツイてる」などと、意味なく呪文のように繰り返している言葉と同じ使い方ではありません。■以前感動した映画を上海で観た僕の部屋のテレビは、「Wowow」と「NHK-BS1」「NHK-BS2」という日本発のチャンネルを受信できる。僕は映画を映画館で観ることはほとんどない。テレビがメインだ。理由は簡単だ。映画館で観ようとする場合、やらなきゃいけないことが多いのだ。・広告媒体を見る・監督・俳優・ストーリー・評論家の評などを眺める・どこの映画館でいつからいつまで、何時から上映しているかチェックやることが多いのだ。本は立ち読みで、CDはラジオやショップで事前にコンテンツの内容をチェックすることができる。しかし映画はそういうわけにはいかない。その監督や俳優が以前観た映画のように今回も満足させてくれるか限らないし、評論家は商売で評論を書くわけだし、上映時間に必ず映画館に行けるかどうかわかんないし。僕にとって映画を観ることは、人生の中でそんなに優先度が高いわけじゃない。1800円を賭けに使えない、小心者なのです。だから、どうしても映画を観るって行為は、家のテレビの前で、ということになる。新聞のテレビ欄で映画のチェックするという行為はしない。チェックするときはドキュメンタリーを観たいときくらいだ。テレビ雑誌もプライベートでは買ったことがない。風呂上りや夜寝る前、もしくは休みの日の午前中に、何気なくテレビをつけたら映画がやっていたので、おもしろそうだからそのまま観てしまった、というのが好きだ。<つづく>
2004年04月14日
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ここ1週間ほど、上海にやっと春がやってきたことを実感しています。ビルの21階のオフィスから見下ろすと、眼下の淮海中路に植えられているプラタナスが少しずつ芽吹いてくるのがわかります。砂埃とスモッグの街に色が付き始めました。ついでに暖かくなってきたので、女の人のスカート姿も多くなってきました。2月に上海に来たときは、「上海の青山」(?)とも呼ばれている淮海中路でも、スカート姿の女性はまず見かけませんでした。なので、「中国の女性はスカートを穿かないんだろうか?」と不思議に思っていました。これを上海女子大生軍団に聞いたところ、単純に「寒いから」だそうです。寒くて足を真っ赤にしていても、気合でミニを穿いている日本人ギャルとはだいぶ違います。しかし今や若い女性に限ると、なんとかスカート姿が半分行くか行かないか、くらいまで増えてきました。一つ、日本とはだいぶ違うなーと思うことがあります。スカートの裾から覗いているストッキングです。分厚いのです。それも黒じゃなくてベージュのストッキングが。日本じゃそんなに分厚いベージュのストッキングなんて見かけたことがないので、だいぶ違和感を感じます。いや、違観感ともいうものでしょうか?その分厚さはタイツじゃないかなぁ、と思ってしまいます。あれは、寒さ対策なのか、それともそれがお洒落なのかが不明です。今度知り合いの女性に聞いています。
2004年04月13日
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■最初のトロリーバス体験はモンゴル生まれて初めてトロリーバスを見たのは、1991年春のモンゴルの首都ウランバートルだった。当時のモンゴルは経済状態は極度に悪化していた。ひどい状態だった。近年のようなゾド(寒波による大雪)ではなかった。最大の援助国であったソビエトからの援助がなくなったことによる経済混乱によるものだった。日本の新聞には「モンゴルで飢餓!」と伝えられていた時期だ。春のために野菜はほとんど出回っていなかった。家庭菜園で作られたような、ちいさなプチトマト、硬くて渋いキュウリ、半分腐ったジャガイモ。ロシアから送られてきた、ご~く薄い酢に浸かっている紫キャベツの缶詰。1ヶ月ちょっといて、食べた野菜はそれだけ。それらすらも市場でみることは難しかった。国内線の飛行機は墜落していた。原因は粗悪な燃料だったり、航空会社が燃料をケチったため、燃料不足で飛行機が堕ちていた。燃料不足で地方にも行けなかった。首都のウランバートルから地方には、元々長距離バスも走っていた。しかし燃料不足でバスが出ていなかった。地方からの物資が集まるトラックターミナルはガラガラ。トラックも走っていなかった。ガソリンスタンドには長蛇の列。市内の外れにある火力発電所も、燃料不足とメンテナンス不足により、4基あるタービンのうち、なんとか動いているのが1基、時々なんとか動くのが1基、残りの2基は動いていないと聞いた。タービンの調子が常に悪いので、1日中タービンが出すジェットエンジンのような音が街中で響いていた。「グォグォオオオオーン!」夜になるとその音はますます大きく聞こえ、夜遊びするような歓楽街もほとんどないウランバートルの静かな夜をぶち壊していた。燃料が粗悪なのか、時々発電所から爆撃音のような爆発音も響いていた。「どっかぁ~ん、どっかぁ~ん、どっかぁ~ん」当然のことながら停電も多かった。トロリーバスの路線も結構あった。確かハンガリー製の車だったと思う。「うぃぃぃぃ~ん」「ぅぅうううううう~ん」「ぷしゅー」人々は諦めてゾロゾロ降りる。そんな日々。■昔から疑問に思ってました前置きが長かったが、このときには既にトロリーの分岐器に対する疑問は持っていた。今と同じく、トロリーバスが分岐器を通りかかるのをずっと見ていた。やっぱりというか、分岐器もメンテナンスが十分にされていないためか、よくパンタグラフが分岐器で架線から外れていた。外れると、運転手がダッシュで車体の後ろに走り、パンタグラフに括りつけられているロープを上手く操作して、架線にはめ直す。しかし分岐器の構造については誰に聞くわけもなく、「どーなってんだろー」と思いつつ帰国してしまった。当時市内のバスは最低区間が1トゥグリク≒3円(当時)。その運賃の安さから、当時ウランバートル市内に走っていた27路線(くらいだったと思う)を全線完乗を果たしました。小さい街だし、暇だったしね。大学の日本語学
2004年04月09日
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■トロリーの分岐器の仕組みを知りたい!!トロリーバスに給電しているトロリー=架線。大きな通りだけではなく小さな路地にまで張り巡らされています。いつもそのトロリーを見るたびに強く思います。「トロリーの分岐器は、一体どのようにパンタグラフの進む方向=左右を決めているんだろう」■トロリーバスとは黒部ルートのトロリーバスがバッテリーになり全廃してしまった日本とは違い、上海ではまだまだ走っています。旧共産圏ではまだまだ多いようです。ちなみにトロリーバスとは、電車のように架線に流れている電気を動力源としてモーターで走っているバスです。道路上を走る電車ですね。外見はバスと同じです。ただし道路上に張られている電線から電気を取り入れるための釣竿のような2本のパンタグラフ(アーム)が屋根から突き出ています。その釣竿の先に、電線を下から押し付けてホールドできるような小さな凹型のアダプターが付いてます。写真があると簡単に説明できるのですが、この部分に写真を貼り付ける方法を知らないので、今度勉強しておきます。■見上げる男つい交差点手前などにあるトロリーの分岐器を見上げてしまいます。そしてバスから突き出ている2本のパンタグラフが、どのように分岐器を通過するのかをジト眼で観察します。「シャーッ」「カシャカシャカッシャンッ!(軽く火花)」「シャーッ」うーん、どうなってるんだろーーー!!分岐器そのものはとてもチャチな作りで、それがバスや指令所などからの外部指令によって左右に振り分けているとは思えない。鉄道のように、カチッとダイヤが決まっていて、信号のプログラムからの指令により、モーターによって左右に分岐器が動かされているようには思えない。一つの可能性として考えられるのは、次のようなことだ。・架線を中心にして、バスの車体が左にあればパンタグラフは左に振られる。右にあれば右。例えば車体が分岐器よりも左にある場合、パンタグラフはバスの屋根についているパンタグラフを安定させるためのバネの力により左に行こう行こうという力が加わっているわけです。そうすると、左に行く?うーむ。わからん。
2004年04月08日
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うーむ。書いていることが一貫性がなくてバラバラだ。よく「コンセプトを絞れ」や「一貫性が大切だ」などと言われるが、これは日記なのでバラバラでもいいのだ。いや、ちょっとマズいかな、とも思っているのも事実であるが・・・。■とりあえず天気の話イギリス人紳士のように、ネタに困ったときは天気の話をしよう。今日は昨日と違って寒くて風も強くて、ときどきポツリポツリと雨が降っていました。こーゆーところがまた春らしくて好きです。幼稚園なみだ。自分でもポツリポツリと涙がでちまうよ。ったく。まぁいいや。千里の道も一歩から、だ。日記が書けない、というのは「俺って丸一日何もしていないし、何も感じないンだぜ~」ということなのだろうか?それとも「人に伝えたいことがない」ということなのだろうか。いや、そんなことはない。会ったことのある人ならわかるだろうが、会えば大変よくしゃべります。今閃きました。「早く習慣づけよう」
2004年04月06日
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うむ。3日坊主にならずになんとか続けたいですね。今日は簡単な交通ネタ。■バス運賃支払方法バスの種類によって、料金の支払方法が2つある。・ワンマンバス→前乗り後降り。乗るときに運賃を支払う。 均一運賃。・ツーマンバス→車掌が乗車。基本的には後乗り前降りだと思われるが、 あまり関係なさそう。集金に来た車掌に行き先を行って 運賃を支払う。均一運賃のバスにも車掌がいることもある。この違いは、バスのフロントガラスに「無人集票車」と書いてあればワンマン。なければツーマンということで見分けられる。車体に書いてあることもある。均一の料金は、空調車でなければ1元もしくは1.5元。空調車であれば2元もしくは3元。同じ系統でも、空調車もそうでないのも走っています。だから停留所で1元コインを握り締めていても、空調車が来るのが見えたら、お財布からもう1元取り出さねばなりません。■バス路線バスの路線図が欲しいです。バスがどのような経路で走っているのか、そのバス系統のラインが道に沿って描かれているような「路線図」は今のところ見たことない。あるのは、バスの系統番号と、そのバスがどの停留所に止まるのかを書いてあるものだけだ。例えば、いつも使っている42系統はこんな感じ。42路:広東路外灘・漢口路・老北門・淮海東路・嵩山路・思南路・襄陽 公園・永嘉路・建国西路・岳陽路・烏魯木済南路・宛平南路・裕徳路 ・上海体育館実はこれだと、一体どこを走っているのか、どこに停留所があるのかよくわからないのだ。例えば「思南路」。この道は淮海中路から1キロくらい南に下った泰康路まで続いている南北に走る通りだ。これだと一体思南路のどのヘンに止まるのかがわからない。続いて「永嘉路」。これは瑞金二路から衝山路まで4キロくらい(?)を東西に走る通り。その次に止まる「建国西路」も瑞金二路から衝山路まで東西に走っている。その次の「岳陽路」「烏魯木済南路」「宛平南路」は南北の通りだ。この通り名が1つしかない停留所名だと、停留所名の通りとどの通りとが交差している辺りに停留所があるのかわからない。こちらが対抗できることは以下のことくらい。・前後の停留所名から類推する・一方通行を考えてルートを想像するおまけに系統によって、同じ停留所名なのに場所が結構離れていたりすることも多い。今僕が困難に感じるのは、路線図がないことだ。まだ道路の名前を覚えていないっていうのもあるが、やはりちゃんと地図上のラインで経路が追えるバスの路線図が欲しい。バンコクでは、とある日本人バックパッカーがバス路線図を作り上げ、コピーを1部50バーツで旅行者に売っていたらしい。自分で作ろうかなぁと、じわじわ思っている今日この頃でした。
2004年04月05日
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ちょっとお客さまや奥さんが上海に来ていたので、なかなか更新ができませんでした。コレイイワケネ。こっちの会社や家庭には大抵置いてある「飲料水サーバー」。あれが大好きなんです。あれが出す音が好きなんです。私の住んでいる部屋には置いておらず、使うのは専ら会社です。だいたいアレにお湯を入れに行くとき、というのは疲れたときなんですね。疲れたから「そろそろお茶でも飲もうかナー」などと独り言をつぶやきます。サンダル履いた足をペタペタいわせながら、緑茶のティーバックを入れたコップを持って歩きます。疲れているので多少ヨタヨタとなっているかもしれません。サーバー君は、ちっちゃな体におっきな水タンクを逆さまに乗っけています。18.9リットルです。意外に大きくて重いです。お湯も沸かしてくれます。さて、コップを左手にぎゅっと握って注ぎ口に持って行きます。右側は水色に塗られた冷水レバー。こちらは胃薬を飲むときに使わせてもらっています。今回はお湯。左側の赤く塗られたちっちゃなプラスチックのレバーを右手でつまみ、くいっと押し下げます。注ぎ口からはじょじょじょじょじょじょー、っと心持ち優しくお湯が出てきてコップを幸せなお湯で満たしてくれます。それとともに、サーバー君の上に逆さまに乗っかっている水タンクの下部から、空気の泡がこぽこぽこぽこぽ~と昇ってきます。小さすぎず大きすぎず。あぁぁぁぁ~、いい。すごくいい(by「刑務所の中」)。お湯レバーを丁度のところで戻し、また部屋に戻っていきます。会社で「お茶を喫する」ということは、お湯を入れる音を聴く→気持ちいい、お茶を飲んで味わう→気持ちいい、という2つの幸せな気持ちを味わうことができるのです。あぁ、素晴らしい上海ライフ。そうやって、いつも私は「飲料水サーバー」に心から感謝する生活を送っております。
2004年04月03日
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(続き)店は思ったより普通だった。「思っていた」というのは、こんな感じだ。・店内に巨大なキム親子の肖像画がある・大ボリュームで革命歌が流れている・「敵性外国人」である日本人は追い出されるちょっと期待していたのだが、実際は本当に普通。・肖像画はなかった(ちょっと残念)・笑顔がとても素敵でサービス満点のアガシたち・アガシたちの楽しいカラオケステージ→歌謡曲チマチョゴリのアガシたちから日本語も飛び出します。「はい」「1個」「ありがとうございます」唯一北朝鮮を思わせたのは、マネージャーのお姉さんがつけていた例のバッチくらいでした。やっぱ党員?奥さんは彼女達の可憐な姿と笑顔に目をウルウル。「この大都会&資本主義上海で、純粋無垢な彼女達はどんな暮らしをしているんだろうね」などというネタで盛り上がりました。うーん、短くまとまってしまった。まだまだ書くことがあるだろうに。訓練訓練。ニンニン。
2004年03月29日
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土曜日の深夜に奥さんがやってきました。荷物の70%が雑誌とか新聞などのこちらのリクエストのものでした。重かったであろう。すまぬ、奥さん。それで日曜日の夕食は、一緒に噂の「北朝鮮レストラン」に行ってまいりました。新婚旅行はどこに行こうか相談したとき、「じゃぁ行きたいところ1位から5位までお互いに書いて、それを照らし合わせて調整しよう」といって書いたら、二人とも一位が北朝鮮だっという私たち。しかし「モランボンツーリスト」や「中外旅行社」のツアーで3泊4日で20万近くしてしまうので、高くて諦めたのでありました。88年以来ずっとパンフレットを送ってきてくれてる中外旅行さん、すいません。しか~し、ここ上海で手軽にピョンヤン気分が味わえるとあれば、当然行かねばなりますまい。というわけで、いそいそと出かけました。(続く)
2004年03月27日
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早速2日目にしてネタ切れです。いや、思うところはいろいろとあるんだけど、それを文章にするって訓練がちゃんとなされていないのですね。小学生のときには定番の「夏休みの日記」というものが宿題にあったかと思います。実は私、書いたことがないのです。小学生の時の夏休みといえば、朝5時半から7時まで泳いで、昼間は塾に行き、夜はまた17時から19時まで泳ぐという日々でした。なので書くことなんてないんですね。「疲れたぁぁぁ」くらいしか思いつかなかったのです。んで、8月31日には東北と北海道を除く日本全域の家庭で「小学生、夏休みの日記一気書き選手権」が行われるわけです。ところが、これすらもできないのです。なぜなら「覚えているようなイベントがない」からなのです。そんな夏休みなのに、生来の怠け癖が乗じられれば、そりゃもうアンタ、一気書きすらやらないわけです。んで当然のごとく教師になじられることになります。「今からでもいいから思い出して書いてごらん」「書かないと成績悪くなっちゃうよ」なんて言われても、「なんで書かなきゃいけないの?」「書かなかったら死ぬの?」「そんなこと法律にあるの?」などと小生意気なことを言ってました。当時「○○○やって~」とか「○○○しなきゃダメです」などと言われると、「そんなこと法律に書いてあるのかよ」とか「誰がどこで何時何分何秒に決めたんだよ」などというのが流行っていましたね。んで結局書かずにウヤムヤにしてしまうのです。成績悪くされたって親に言いつけられたって、毎日継続して日記をつける苦労に比べれば大したことない、という思いだったんです。さて、33歳の現在、果たしてこの日記をいつまで続けられるのでありましょうか。はっはっは。
2004年03月26日
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胃が痛い。初めての日記の出だしでこう切り出すのもナンなのだが、今はとにかく胃が痛む。ストレスはまったくなくはないのだが、胃を痛みつけるほど大きな原因とは考えにくい。となると・・・・、やはり食事だ。中華は一人で食べにいける場所といえば、ラーメンくらいしか見当たらない。「大戸屋」のように、一人前の定食を出してくれる店が近くにないものだろうか。いや、1軒思い当たる。が、あそこのおかずは油でギトギトなんだよなぁ。むぅ。中国の食品といえば、遺伝子組み換えOK&農薬ドバドバ&わけわかんない添加物てんこ盛り。日本で中国の原材料で製品を作っている食品会社で研究者をやってる幼馴染が言ってた。「中国製の原材料は問題が多くて、俺もできれば食べたくない」あぁ、胃が痛いことがネガティブな連想をさせるのね。
2004年03月25日
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