ハウシュヴィッツ収容所からこんにちは

ハウシュヴィッツ収容所からこんにちは

「自由について考えてみる」



社会的ひきこもりが自由について考えてみる。僕ははたして自由なのか、そうでないのか。自由とはなんだろう。
「ひきこもってれば、いつ起きるのも寝るのも自由でいいよな」と朝が辛いサラリーマンは言う。もしくは牧場で働いてる人なんかが。
 しかしこれは自由なのか。自由とは自分の望むことを好きなようにできることとすれば、僕は自由ではない。僕は昼間に寝て無為に過ごすことを、別に望んではいない。したがって僕は自由ではない(結論はや!)

 しかしまた僕はまったく自由でもある。トイレに行きたければ自分の足でいけるし、お腹がすけば冷蔵庫を開ける(そこに何もないこともしばしあるが・・・)。呼吸がなんとなく苦しければ、深呼吸をし、胸いっぱいに、にごった部屋の酸素を吸入できる。もちろん部屋の空気を入れ替えたければ、窓を堂々とあけ(自室が2階なので人の目につきにくいため)新鮮な空気を取り込むことができる。
 また私(わたくし)は綺麗に透き通った風を食べ、桃色の日光を飲むことができます。そういふものを私は好きです。宮沢賢治。

 また生活する上では外にでて、どこかの店で買い物をするということが、どんなに自分の人生を豊かにするかわかりません。そういう望みにたいして、社会的ひきこもりの僕はまったく不自由かと思われますが、そうでもありません。というのも僕はがんばればコンビニや本屋やビデオ屋ぐらいはいけるのです。でも大抵でかけることはありません。外には特に心から望む物がないからです。しかも欲しいと思うものは近所では売ってなかったりするので、もっぱらアマゾンさんとこでCDやら本やらを買ってれば十分なのです。
 しかし、ごくたまに、僕もバイクなんかにと乗って、風と大地の香りを吸い込み、母なる地球、大いなる神を感じながら颯爽と走り抜けたいとか思います。けれど原付免許とりにいくの怖いです。自動車教習所ってとこの受付へ行けばいいんでしょうか。そのまえにそこの建物を肉眼で確認できません。・・・幾日がすぎると・・・なんかもう別に颯爽に走らなくてもいいやって気がしてきます。走ったって何にもなんにもならない気さえしてきます。走ることがめんどくさくさえ感じてきます。そして望みさえなくなって、僕は自由になります!これが苦悩からの解放。いわゆる解脱でしょうか!その代わり生きる屍になります。

 しかし僕はまったく不自由でもあります。それは心とか、精神とか、気持ちとか、気分とか言われているものであり、不可解なシナモンです。でも食べられません。甘くもありません。というか食べちゃ嫌です。でもこういうものはまったく、みんな不自由であり、自由にできる人がいたとしてもごく一部の人が、ちょっと工夫したりしてやっとでコントロールできるぐらいでしょう。なんとかこちらの世界で自由になりたいものですね。



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