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昨日は父の死亡報告をしに、母が入院している病院に面会に行きました。現在この病院では、流行しているコロナのために原則として面会は禁止状態が続いています。しかし、父が亡くなったことを母に告げないわけにもいきません。さいわい昨日はちょうど母の98回目の誕生日でもありました。それで特別の許可をもらって、15分の面会をさせてもらいました。入院してから2週間あまり面会禁止のため誰とも会っていない母は私の顔をみて満面の笑み。まず「誕生日おめでとう」と言ってからすぐに父の死を話しました。「誕生日にふさわしくない、つらい話だけど昨日お父さんが亡くなったよ」と話すとしばらくつらそうにしていました。ただ、つらい顔も20秒ほど。そこから孫やひ孫の近況を話しているうちに母はそちらの話に夢中になりました。そして「あなたの奥さんはどうしてる?」というので「もう20年近く前に亡くなった」と言うと「エッ!」と驚き、父が亡くなったことを報告したときよりもびっくりした様子でした。これなら連れ合いが亡くなったショックもそれほどではないかな、とひと安心。認知症がなく頭がしっかりしていたなら、面会謝絶の病室で孤独のなかで悲しみにふさぎ込んでいたでしょうが、この調子ならおそらく父の死のことももう忘れていて、息子が会いに来た喜びだけが心に残っていることしょう。病室を去るときは「もっといて」とずいぶん引き留めたがりました。そして「早く退院してまた会いに来てもらいたいから健康に気をつける」と言っていました。きっとこうしてつらいことは忘れ、楽しい思い出だけが残るよう神様は人間に認知症を与えてくれたのでしょう。
2024年10月12日
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高齢者施設に入居している母の容態に関して、さっき姉から電話がありました。数日前の様子では食欲がないので施設の職員たちも心配してくれているとのことでしたが、今度は発熱したということです。37度から38度台になったりして本人も少ししんどそうなので医者に連れて行ってもらったとか。レントゲン検査などで肺炎やコロナの心配はなかったけど、少し様子を見るために何日か入院となったとのことです。それはよかった。かも。医療機関ではないので施設では24時間の点滴は出来ず、そもそも本人が管を抜いてしまうとのことでした。言い聞かせれば点滴の重要性は理解できるので少しの間は管を抜かないのですが、認知症のせいで抜いてはいけないことを忘れてしまいます。施設の職員さんたちも困っており私達も点滴で栄養をとるのは無理かなと半ばあきらめていました。医療施設に入院すればちゃんと点滴もチェックしてくれ今までよりも栄養が取れるのではないかと期待できます。認知症ゆえトンチンカンなこともありますが、基本的には誰に対してもちゃんと受け答えをし意識もしっかりしていて、現在の自分の状態はちゃんとわかっています。ただ頭がしっかり働いていても、食欲は体の問題なので本人にその意欲がない以上どうしようもありません。ですが、入院すれば栄養摂取に関してはいい方向に向かいそうです。私たち家族は延命治療を望んでいません。急に心臓が止まったらそれはそれで仕方なく、AEDも不要と伝えてあります。このところ食欲がないと施設から聞いていたので、いつかは覚悟も必要になるだろうと姉とも話し合っていたところですが、その「いつか」が今回の入院によって少し先になったのであればうれしい。あと2週間で母は99歳の誕生日を迎えます。この調子だとプレゼントを何か考えなければいけないな。
2024年09月27日
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実家近くの高齢者施設に入居中の両親。そのうち母の食が細くなったと施設から連絡がありました。というか、実際には施設から連絡を受けた姉から私に連絡がありました。食欲を失いかけている人に対しては点滴、経管栄養、胃瘻などの選択肢があるが、家族と相談して欲しいと施設の職員さんから言われたそうです。そんなわけで急遽奈良から紀南に帰省し、施設職員や医師と面談の予定が組まれました。施設職員とは昨日会い、また入居中の両親とも直接話をしました。父の方は問題なさそうですが母の方はたしかに食べてくれないんだと優しい職員さんは困っている様子。点滴を試しても、血管が細くなってきていて入りにくい。何より、不快なのか本人が管を抜いてしまうそうです。そのため経鼻経管栄養も抜いてしまう恐れあり。となると、胃瘻形成もあり得るのでしょうかと職員さんは話してくれました。そして今日、担当してくださっているお医者さんと面談。医師の意見ははっきりしていました。もうすぐ99歳という年齢や認知症の進行具合からみて、食べることに執着がなくなり消化する力が衰えてくるのは極く自然な現象。思考能力や記憶力が徐々に衰えてくるのと同様、嚥下能力や咀嚼能力が衰えてくるのも当然なので、自分としては食べたくない人に無理矢理食べさせる必要はないと思う、との見解でした。ただし、本人がどう考えているか、また家族が何を希望するかにもよります、と。本人は食べたいという気持ちはあまりなさそう。いまこれを書きながらもぐもぐと口を動かしている私からしたら食べたくなくなるなんて信じられないことですが、それもまた人間の自然な姿なのでしょうか。普通に話もできている母、食べてさえいてくれればまた元気を取り戻しそうに見えます。そこでストレートに、いまの状態から考えて点滴や経管栄養、胃瘻などの処置は「延命治療」の範疇となるのかと聞いてみました。そういうことだと思う、というのが医師の診立て。そのときが近づいているのかも知れません。
2024年09月24日
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高齢者介護施設に入居中の101歳の父と98歳の母。昨日は面会に行きませんでしたが、父の健康状態は落ち着いているようで前日に息子や孫が面会に来てくれたと施設の職員に話していたそうです。記憶力も認知能力も判断力もありそうで安心。そういった力は母よりもむしろ上かも知れません。母の方は同じことを何度も聞くし、私と甥っ子の区別がつかなくなったりすることもあります。でも母は母で、入居以来2ヶ月弱で施設の生活にすっかりなじみ職員さんや他の入居者ともよく話しているようです。実家で2人暮らしをしているときはできればこのままずっと家で暮らしたいとの意向でしたので、施設入居をどうやって説得しようかと考えていました。が、案ずるより産むが易し。幸か不幸か母が骨折したことで事実上実家での2人暮らしはできなくなり施設入居が早まったのですが、彼女の順応性の高さには驚かされます。かつてヘルパーや訪問看護師に最初に来てもらうとき、配食サービスを始めるとき。それぞれ説得するのに苦労しました。でも始めてみればどれも便利に使いこなし、その方が体力も頭も使わなくてよくずっと楽になったということが母自身にも分かってきました。施設入居も当初こそ混乱して「ここはどこ。病院か旅館か、ご飯は出るのか」などと言っていましたが、いまは楽しく過ごしています。彼女も98歳と高齢ですが、足さえ悪くなければ家に戻りたいくらいの元気さ。こんなになじむとは思わなかった、施設に入居できて本当によかったねと姉と言い合っている毎日です。がんばれ、101歳と98歳、10月になれば102歳と99歳だ。
2024年08月06日
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昨日から実家に帰省しています。施設に入っている父の容態が気になり面会に行きましたが落ち着いている様子。父の安定した様子を見てホッと一息つき買い物などして昨夜、誰もいない実家に帰ってきました。ここは子ども達が独立したあと両親が建てた家で、それから40年近く2人で暮らしていました。6月に両親が施設に入り、おそらくもうここに帰ってくることはないでしょう。それから1ヶ月半、近くに住む姉が足繁く通ってだいぶん家の中を片付けてくれました。カーペットは剥がされ、ベッドにかけられていたシーツやこたつ布団も廃棄。椅子、ソファーなども山積み状態です。これまで私が帰省したときに寝ていた部屋はそのまま置いてくれてあるので寝るところは確保できますし、冷蔵庫やダイニングテーブル、電子レンジ、オーブントースター、食器類も残っているので最低限の生活はできます。つい3ヶ月前に母が骨折して入院したので急遽私がこの家に来て、父と2人暮らしを始めました。そして1ヶ月後、施設入居が決まりこの家には誰もいなくなりました。2人暮らしをしていた頃は寝室や居間に設置したカメラで父の様子を確認し、食事や着替え、排泄の世話をしていました。両親が施設に入居し、私も自分の家に帰って生活は楽になりましたが、2ヶ月足らずの間に父の体調は少しずつ悪くなってきています。家を離れるときはもっとずっと元気だったので、もし私との2人暮らしを続けていたらどうだったのかな、などとつい考えてしまいます。あのときは世話が楽になるほうを優先してしまいましたが、今は逆にもう一度この家で暮らせるものなら父との暮らしに戻りたい気分。がらーんとした実家で、そんなことを考えながら一人パソコンに向かっています。がんばれ、101歳、あと2ヶ月で102歳だ。
2024年08月05日
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高齢者施設に入っている父の状態が悪いと姉からの連絡。おととい夜中に急遽沖縄から本土に移動、今日実家に帰省。「万一のことも考えて、そのときの準備もしてきて」というのでかなり深刻な状況だろうと心配しましたが・・・たしかにおとといは血中酸素濃度が下がってしんどそうにしていたらしいし、面会したときも酸素吸入はしていましたが、想像していたほどではなくやや拍子抜け。沖縄に行った次の日にすぐにとんぼ返りしてきたのに。とはいえ、父は101歳。いつ何があっても不思議ではないのはその通り、姉の心配も分かります。今日は話もできました。もっとも、父は昔から寡黙なのでこちらがしゃべって向こうが表情などで応える、のがよくある私達のコミュニケーション・パターンでした。もちろん必要なときは言葉を発しますが、今日はほとんど「うなずき」や表情の変化だけで返事をしてくれました。でも「写真を撮るから笑って」といったら一生懸命笑顔を作り「ピースサインも」といったらばっちりしてくれました。がんばれ、101歳。あと2ヶ月で102歳だ。
2024年08月04日
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7月1日、今年が半分過ぎました。普段から奈良と沖縄の2拠点生活をしている私ですが、今年前半は拠点が実家を含めて3拠点になり、これまでになく飛び回ることになりました。この半年間、3拠点に滞在した日数を計算してみると以下のようになりました。正月からしばらくは予定もなく奈良でのんびり。本当は予定がないこともなかったのですが、昨年痛めた脚の痛みが完治せず強制的にのんびり。しばらくは平穏な日々が続き、1月、2月と沖縄と奈良を半月ずつ往復していました。最後に沖縄を離れたのは2月23日。このときはこんなに長く沖縄に戻ってこられないとは思っていませんでした。3月下旬に姉の手術がありしばらく入院したりするのでその前に帰省するつもりはありましたが、予想外の出来事が3月はじめに起こりました。父が肺炎で入院したのです。母が一人になってしまうのですぐに帰省し、2週間ほど二人暮らしをすることになりました。10日ほど暮らしましたが、私の脚が痛くなってきたのでギブアップし一旦奈良に退散。その10日後に姉の手術があるので一週間後にもう一度帰省し4月半ばまで滞在しました。2ヶ月沖縄を留守にした私が沖縄に戻ったのが4月17日。ただしこのときの滞在は1週間ほど。ゴールデンウィークになると東京の次男一家が来るのでその間だけ奈良に戻って子や孫孝行。またすぐに沖縄に逆戻りし今度こそ少しゆっくりしようと思っていた矢先、今度は母が転倒して骨折、緊急手術、入院。今度は父と暮らすためにふたたび帰省です。そこから1ヶ月あまり父との二人暮らしが続き、先月半ばになってようやく二人の施設入居が決まったので私も解放されたというわけです。この半年は忙しかったけれど半世紀ぶりに両親と暮らせた貴重な時間でした。そのことには感謝です。
2024年07月01日
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先週高齢者施設に入った両親について、姉からうれしい知らせがありました。二人ともちゃんと残さずご飯は食べているし、母は他の入居者とも話をしているそうです。父は元々口数が多くない人ですが、質問すればきちんと答が返ってくると職員さんが言っている、とも聞きました。父はこれまでも普段から配食サービスを残さず食べていました。母は歯が悪い分配食サービスを残したりしていましたが、今は二人とも完食できているようで安心。介護保険という制度があり、保険料も払っているのですから、施設で生活するのは高齢者の当然の権利です。でも家族としては自分で面倒をみないで施設に「預ける」のは何となくどこかにやましさのようなものを感じていました。とりわけ両親は認知症のため入居直前まで自分たちがこれからどうなるのかを十分理解していなかったと思われます。そのため、彼らが心のどこかで姥捨てのように棄てられたと思わないかという心配がありました。施設に15分で行ける距離に住む姉も、里心がつかないかとまだ本人たちに直接は会っていないようです。入居のとき母は「ご飯は作らなくてもいいのか」とか「ホテルみたいに泊めてもらえるのか」「ここはどこの町なのか、住所は?」と何度も何度も聞いていました。認知症のせいですぐに忘れるからというのもありますが、漠然とした不安は消せなかったのでしょう。父は何も言わず周りの人の言うことに従っているだけですが、その分余計に心中が察せられずこちらには「これでよかったのか」という気持ちが深まっていました。姉の報告はこうした不安を吹き飛ばしてくれました。落ち着いたらまた会いに行きます。
2024年06月21日
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両親が高齢者施設に入居する当日となりました。父101歳、母98歳でよくここまで二人で頑張りました。数年前にヘルパーさんに来てもらうようになるまでは、家族以外誰の介護、支援もなく二人だけで暮らしてきました。夫婦揃って高齢というのは珍しいということで、訪問看護に来てくれた看護師さんが看護学校の学生達を連れて実習(見学?)に来たこともありました。考えてみると夫婦揃って90歳半ばまで二人だけでよくやってきたものです。100歳を迎えたタイミングで父は町や県、国から記念の品をもらいました。あと1年4ヶ月で母も100歳になります。二人揃って3桁になるのを自分の家で迎えられなかったのは心残りですが要介護度の低い母の方が転倒して骨折し、入院したのでもうどうしようもありませんでした。昨日はいつも来てくれていたヘルパーさんと訪問看護師の最後の訪問日でした。永く世話をしてくださっていたのでお二人とも別れ際は父としっかり話をし最後に母と会えなかったことを悔やんでくれて、しばらくセンチメンタルな時間が流れました。父ははっきりとした反応はしませんでしたが、うっすらと目に涙がたまっていたところを見ると彼女たちとの別れは十分理解していたと思います。自宅で会えるのは最後だということで、近所の人たちも挨拶に訪ねてきてくれました。ちょっと変わり者の父ですが、ユーモアもあり意外と女性に人気がありました。ここ数日の間に別れを惜しみに訪ねてきてくれたのも女性ばかり。聞けば今度入る施設もほとんどが女性だそうです。女性の方が男性よりずっと寿命が長いので当然かも知れませんが、数少ない男性として人気者になるやも知れません。スタッフも見た限りでは女性ばかりでした。別れは寂しいけどまたたくさんの出会いもあります。母とも久しぶりに再会し、新しい出会いを楽しんでもらいましょう。
2024年06月13日
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いよいよ明日が父と母の高齢者施設入居の日となりました。姉と手分けして今は準備の真っ最中です。姉は施設に持っていく衣類を購入し名前を書いたり、その他こまごましたものを準備してくれたりしています。私はケーブルテレビや新聞の解約をしたり定期購読している雑誌の購読中止手続きをしたり、ヤクルト、配食サービス、ヘルパー、訪問看護などの終了に伴って料金の精算をしたり。といった手続きを担当。明日になればこの家には人の出入りがなくなり、1軒「空き家」が増えることになります。私達子どもが独立し、二人暮らしになってから両親が元の実家近くにこの家を建てたのが40年ほど前。それ以来変わることなく二人がここで暮らしてきました。私がこの家に住んだ経験は無く今回の1ヶ月あまりの「帰省」が今までで一番長い滞在となりました。なので私自身はこの家に対する思い入れはそれほどありません。しかし両親にとっては思い出深いこの家。絵を描くのが趣味の父が、アトリエを持ちたくて建てた家。父は明日離れることが分かっているのでしょうか。母は病院から直接施設に移り、いつかまた帰ってきたい希望を持っていますがおそらくそれがかなうことはないでしょう。骨折、入院によって突然断ち切られたこの家とのつながり。二人は明日、新しい住まいに移りもうこの家で暮らすことはありません。父も母ももうこの家に帰ってこないと思うと切なくなりますが、彼らには新生活を楽しんでもらいましょう。
2024年06月12日
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二人合わせて199歳の両親が高齢者施設に入る日が近づいてきました。1ヶ月前に98歳の母がベッドから落ちて骨折。それまでは2人暮らしだったため、101歳の父をひとりにしておくわけにいかず急遽実家に来てそこからは父と2人暮らしをしています。母は病院でリハビリを頑張っていますが、もとのように実家で2人暮らしを再開できる状況ではないので、施設にお願いすることになり入居日があさってに迫ってきました。奈良と沖縄の用件をすべてストップさせ父の介護に専念してきた1ヶ月は私にはある意味「失われた1ヶ月」。私自身の病院や歯医者の健診の予定をキャンセルし先延ばしにしたり、奈良や沖縄の家にある果樹の世話も先延ばしにしたり。庭も雑草が伸び放題に伸びているはずです。しかし今はとにかく実家の一大事なので、そちらのことはすべて放り出してやってきました。でも「失われた」ことだけではありません。私には多くのものを「得た」1ヶ月でもありました。父との暮らしで老いの実態をしっかりと見せてもらいました。認知症の人にも心や情はしっかりあります。いまも爽やかな風を感じ、うつらうつらしていたはずの父が「なんと涼しいねえ」と笑顔を見せています。昔話をしながら子ども時代を懐かしむ姿を見ていると、自分の老いを先取りして見せてもらっているような気もします。足腰が弱くなった人、指先が不自由になった人、自分で「おしも」の処理が難しくなった人の援助、介護に自信がつきました。これから介護ヘルパーにだってなれそうな気がします。ただし介護にはやはりかがんだり体をねじったり、重いものを持ち上げたりすることが多いので、私のこの椎間板ヘルニアから来る足腰の痛みがなくなれば、ですが。
2024年06月11日
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父@101歳と2人暮らしを始めて約1ヶ月。この生活もあと3日となりました。気づいた父の性格。普段はご飯を食べる以外はたいてい居眠りをしています。ときどき新聞を読んだり何か書き物をしたりしています。父は毎年あたらしい日記帳を買ってそれを漬け続けているようです。中身を見たことがないのですが、最近も毎日のように何か書いているので多分続いているのでしょう。それ以外はほとんど寝ているのに、しっかりと目覚める瞬間があります。それは女性の来客があったとき。それまでぐっすり寝ていてもサッと目が覚めるみたい。先日は今度入居する施設の職員が二人やってきました。彼の介護がどれくらい必要なのかをチェックしにやってきたのですが、父はなぜかウキウキ。自分がつけているノートに訪問者の名前を書いてもらってうれしそうに見つめていました。昨日は体が弱るまで毎週必ず通っていた教会の信者(女性達)が訪問してくれました。このときも、それまでうつらうつらしていたのにパッと目を覚ましました。そして「また賛美歌を歌いましょうね」と言われ、手を握られて大満足。男性客(めったに来ませんが)のときはここまでの反応はありません。そう言えば訪問看護師の女性が来たときも体調を聞かれ「元気元気ハッハッハ」みたいな要らんことまで話していて、だいたい女性の訪問があったときはテンションが一段、上がっています。そう言えば私も「ヨッサン、若い女性と一緒にいるときはうれしそうにしている」と指摘されたことがありました。・・・自分ではその自覚がなかったけど遺伝でしたか。
2024年06月10日
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今日も健康生活の父@101歳。朝からお通じもあり食欲もあります。毎日測定している体温、血圧も安定。これも世話している私のおかげ。とは言いませんが、早寝早起きの安定した、規則正しい生活のたまものでしょう。彼自身もそのあたりに関心が湧いてきたようです。以前は検温しようが血圧を測ろうが他人ごとのようにあまり興味がなさそうでしたが、最近は測定した数値をのぞき込んできます。私が「安定してていい感じ」と言うと、「健康優良児だ」と自分で言っていました。「健康優良児というよりも健康優良じじいでは」と返しましたが、無反応でした。私のダジャレが面白くなかったのか、そんなことはどうでもよかったのか。孫(私の甥っ子)が訪ねてきたときも「元気だね」と言われて「健康一等賞」という名言(迷言?)を吐きました。自分が元気なのがうれしいようす。口数も増え、ご飯を食べるときも「おいしい」を連発してくれます。今朝、寝室に様子を見に行ってはだけていた布団をかけ直してやると目を覚まし「ああ、もう天国じゃ」とひと言。・・・それはまだ早い。
2024年06月09日
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朝6時、何やら階下でごそごそ音がします。リモートカメラで見てみると「あれ、もう起きてる?」。最近早寝早起きの健康生活をしている父(@101歳)が裸になっていました。もう着替える気が満々のようです。それでも着替える途中でもう一度寝てしまうこともあるのでそのままカメラを見ていましたが、どんどん着替えていきます。普段もたもたしているのに今朝は何だか元気いっぱい。そのままにしておくとやばい。着替え終わると食堂に行って勝手におやつを漁ります。前歴(実績?)あり。それで仕方なく私も今起きたふりをして階下に。「今日は早いね」などと言いながら着替えを手伝いさりげなくトイレに誘導しました。そしてこちらは急いで朝ご飯の準備。ある程度は前夜のうちに用意してあるので、ものの5、6分で準備完了。めでたく父にはおやつでなくご飯を食べさせることができました。私も一緒に6時台に朝食終了(普段は父とともに8時過ぎが朝食時間)。こりゃ早めにお腹が空きそう。と、今朝もバタバタの父との2人暮らしですが、考えてみるとこのバタバタもあとわずか。来週木曜日に父と母は高齢者施設に入居することが決まっていておそらく二人はもうこの家に戻ってくることはないでしょう。こうして父と暮らせるのもあと数日。2人暮らしになってからの父はだんだんと頭もクリアーになり口数も増えてきました。母が骨折していなければまだまだ自分の家で暮らせていた感じです。・・・恐らくこれが最後のささやかな親孝行。あと1週間、父との生活を楽しみます。
2024年06月08日
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骨折して入院が1ヶ月ちかくになる母の、退院および施設入居の日が決まりました。父も同日入居です。予定が決まったのはいいのですが・・・思ったより遅い。退院・入居日は来週の木曜日、一週間後です。ほんとは今日明日にでも入居してもらえるのがよかったのですけど、まあ相手のあることですからね。病院側、施設側、そしてこちらと三者の都合が一致したのがこの日だったというわけです(地域包括支援センターの都合もあるかな?)。父との生活はあと一週間続きます。二人生活自体はイヤではないのですが、いろいろと残してきた沖縄と奈良の家が心配。沖縄の家のマンゴーはどうなっているか、それが一番気がかりです。摘果と袋掛けは一応してきましたがさらなる摘果ができずに1ヶ月放置しているのであんまり実は育ってないかなあ。小さいままで落ちてしまってないかな。たくさん実をつけていたパパイヤ、もう熟している頃じゃないかな。奈良のブルーベリーやブラックベリーは生い茂る雑草に栄養を吸い取られてしまってないかな。小さな実をたくさんつけていた葡萄はどこまで大きくなったかな。葉が茂って外に張り出し、通行の邪魔になっていないかな。栽培している植物だけではありません。1ヶ月放置ですから郵便物なども心配です。また梅雨に入っている沖縄の家の湿気対策も。雨漏りはしてないだろうなあ。などなど心配の種は尽きません。でもま、いろいろ考えて思い煩っても仕方ありません。どっちにしろあと1週間は今の生活を続けないとだめなのですから。なんくるないさーです。
2024年06月07日
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新聞を読んでテレビを見ても分かっているのかいないのか反応がイマイチの父、101歳。それでも新聞は毎日かなりの時間をかけて読んでいますし、テレビも居眠りをしていないときは見ている様子。子どもが車にはねられたとか地震で被害が出たとかの悲惨なニュースには眉をしかめたりするので、こういう話が父の琴線に触れているのだなと分かる瞬間です。その父が間違いなく好きな番組がスポーツ中継。私も好きなのでよくチャンネルを合わせます。バレーボールのネーションズリーグを一緒に見ていると、最初はどちらが日本なのか分かっているのかなと思っていたのですが、ちゃんと日本の得点のときは喜んでいるし失点の時はくやしがっている風なのがわずかですが、表情に表れます。野球を見ていてもどのチームを応援しているのか分かりませんが、一挙手一投足ごとに「あー」とか「うっ」とか声を出すので楽しんでいる様子が分かります。一番好きなのが器械体操。体操関係は自分も若いときはある程度経験があったのでとくに好きそう。鉄棒を見ても平行棒、床運動を見ても私などはどれも「すごいなあ、超人的だなあ」という素人の感想しか出ませんが、父は優劣が分かるらしく目を輝かせて見ていてよい演技のときは拍手までしています。言葉としての感想はなくても、父のスポーツを見る目はなかなか確かなことが分かります。分かっているのかいないのかなどとつい上から目線で言ってしまいがちですが、好きなことには見る目が備わっている父です。
2024年06月06日
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骨折して入院、リハビリ中の98歳の母の面会に行きました。母の希望は退院したあと自宅に戻り夫婦二人での生活を再開することです。でも現実には難しい話。そこで姉と、夫婦で入れる施設を探しそちらに入ってもらおうという計画を立てていました。最近ようやく条件に合うところが見つかったのでその説明をするための面会です。面会時間は15分。そのなかで大事な話をし、かつリハビリの様子も見学することにしました。ただ私が病院に着いたときは残念ながらリハビリは早めに終了したと職員から聞かされました。しかし病室にも母の姿はありません。リハビリを切り上げてトイレに行ったとのことで、病室で待つことにしました。なかなか帰ってきません。面会時間は刻々と過ぎていきます。ようやく病室に戻ってきたので例の「大事な話」を伝えようとしましたが、「トイレに行ったけど出なかった。したいのに出ない、なんでかな」と自分の話を優先。そのうち「もう一度行ってみる」と言いだしたので、急いで施設入居の件を説明しました。どこまで理解したのかは分かりませんが、一応了解は得ました。もう一度トイレに行くと言いながらすぐに看護師さんを呼ばないでそわそわしている母に「看護師さんは仕事だから遠慮せずにどんどん頼めばいいよ」と言うと母曰く「看護師さんに遠慮なんてしてない。でもトイレに行きたいのに出ない自分がじれったい」。あ、そういうことか。さすがいつも人生の中心に自分を置いてきた人。こういうところはもっと見習いたいものです。
2024年06月05日
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101歳、要介護度2の父との生活も4週目に入り、だいぶん「さじ加減」が分かってきました。食事は時間はかかりますがほぼ介護が要らない状態。一番手間がかかるのが着替えです。最初の頃はできるだけ自分ですべてやるように仕向けていたので、朝夕2回の着替えに30分から1時間近く時間を要することもありました。ヘルパーさんはどうなのかと見ていると、時間も限られているためかかなりの部分手伝っている、というか着せてやっている印象です。自分でやることで自尊心が高まり、体や頭の能力が保てると考えて私はできるだけ作業を見守るようにしています。指先がやや不自由になってきて、パジャマの大きなボタンなら止められるけど、ポロシャツの小さなボタンは難しい。脚を曲げるのが少しずつ大変になってきたので靴下を履くのもひと苦労。そういうときは自分でやらせながらさりげなく補助の手を入れ、半ば自分でやったように思わせます。これから着る衣服も方向関係なく自分で前後左右を判断するようにして渡します。こちらでやってやればいくらでも頼ってきます。それは本人にも私にも楽な道。でも、長い目で見てどうでしょう。幸か不幸か、いまの私には彼の世話にかける時間が十分あります。というか、奈良や沖縄の家にいればやることは山ほどあるのですが、和歌山の片田舎にいる限りそれらはすべてストップ。時間をとって父とじっくり向き合えています。ただし父も、眠気や空腹が勝っているときに着替えるのに時間をかけすぎるとストレスになるので、その辺ちょっと甘くなって手伝うこともあります。徐々に衰えるのはやむを得ません。が、可能な限り自分でやらせ少しでも衰えを引き延ばす作戦、というところでしょうか。
2024年06月04日
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父の「早起き癖」は完全に習慣化したようです。前日に入浴介助をしてもらおうがもらうまいが、足湯をしようがしまいが、父は規則正しく7時前後に起きて食堂にやってくるようになりました。理由はお腹が空くからです。物音がして何かごそごそし始めたなと思ったら、私はリモートカメラを起動して父の様子を確認します。5時頃にトイレに行くときはそのまま起きてしまわずまた寝室に戻ります。でも7時頃になると完全に目が覚めます。この時間に父が起きる理由がはっきりしました。空腹に耐えきれず、ということに間違いなさそうです。このところ父は出されたご飯もおやつも必ず完食します。「今日のご飯はかなり量が多いかも」と思って「お腹いっぱいになったら残していいよ」と声をかけても、私の話を聞いているのかいないのか、毎回すべて食べきります。母と2人暮らしだったときは夕食後、ベッドに入るまでにいつもおやつを食べてました。私と2人暮らしになってからは6時台に夕食を済ませると、その後は何も食べさせません。すると自然に眠くなってくるのか、9時前後になると自ら「眠たい。寝室に行く」と言い出すようになりました。母と2人だと昼間にたっぷりおやつを食べるので、夕食が7時台や8時台になることがあり、夕食後も何らかのお菓子を食べていました。そして寝ることが10時を過ぎることも。寝るのが遅い。お腹も空かない。そりゃ、起きるのも遅くなります。お昼近くまで寝ていたのも道理。間もなく私との2人暮らしも終わりになり、父は病院から帰ってくる母と一緒に2人暮らしが出来る施設にお世話になる予定です。今後は規則正しい生活を求められる施設の生活になるので、父を早寝早起きにしておいたのは結果的によかったのではないでしょうか。ま、早寝早起きと言っても食事時間以外の大半はリビングで寝ているのですけど。
2024年06月03日
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入院中の母を見舞いに行きました。「98歳で、あのやる気はなかなかない」と看護師さんたち褒められているくらいの頑張り屋さん。とは言え、大腿骨骨折の手術から3週間で、まだベッドから下りるのもポータブルに座るのも人の手を借りなければできません。リハビリを頑張っているようですが、まだ手押しカートにつかまって数歩あるける程度。骨折前の元気さを取り戻すのは容易ではないと見ました。以前より探していた夫婦二人で入れる高齢者施設に空きが出ました。母の希望は自分の家でもとの生活に戻ること。ですが、この調子だといつになるか分かりません。いつまでも病院においてもらう訳にもいきません。ここは施設の方にお願いするのが現実的選択。私も父との2人暮らしを3週間続けてきて彼の世話にも慣れてはきましたが、奈良や沖縄の家はその間、留守のまま。奈良や沖縄の生活をすべて犠牲にしているこの生活を永遠に続けることはできません。そろそろこの辺が潮時でしょう。というわけで、来週は施設の職員さんに父と母の「本人面談」をしてもらうことになっています。面談の1、2日前に私が母を説得をしに病院に行ってくる予定です。母は納得してくれるでしょうか。二人で施設に行くことになると、私も父との2人暮らしから解放されるのですが。自分の生活(と健康=椎間板ヘルニアには今の環境はよくありません)のためにも母をしっかり説得しなくちゃ。
2024年06月02日
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母が父のために用意する朝ご飯はだいたいルーティーンが決まっていました。母が入院してしまって助っ人に来た私も同じようなものを準備して父に食べさせています。パンとコーヒー。果物に野菜、ハム類、牛乳そしてヨーグルト。これに食前、食後のお薬がアペリティフとデザート代わり。本気なのかギャグなのか、父は毎回コーヒーをすするたびに「苦い」、ヨーグルトを食べては「すっぱい」と言います。今朝もやや遅めの朝食が父の完食で終わり、薬も飲ませたので洗い物をするために流し台に立ちました。父に背中を向け「この後は父を着替えさせて」などと段取りを考えながら洗い物をし、終わって振り返るとなんと勝手に父が棚からおやつを出して食べようとしているではありませんか。最近食べるのが早くなり、食欲もあるので朝ご飯は少し多めに出しているつもりですが・・・いくら多くても父には足りなかった?いや、そんなことはないと思います。たぶん甘味が足りなかったんでしょう。昔から甘党の父は同じく甘い物好きの母と一緒に、今よりずっとたくさんおやつを食べていました。それでは体に良くないと私と2人暮らしになってからはかなりおやつの量を減らしました。でもおやつの盗み食いはちょっとショック。パンにつけるジャムをもう少し増やしてあげようかな。
2024年06月01日
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朝の5時。もう夜も明けてきている時間、父の様子を見ようとリモートカメラをみましたが、いません。二人あわせて199歳になる両親は実家で2人暮らしをしています。何かあると心配なので寝室と食堂、リビングにリモートカメラをつけて姉と二人でスマホで監視、もとい、見守りしています。いまは母が骨折して入院中なので私が父と二人で生活していますが、二人と言っても私は2階、父は階下で別々に寝ているのでリモートカメラは必需品です。寝室にもどこにも父がいません。寝室にいないと食堂に行って勝手におやつを食べているのが常ですが。トイレかなと思いましたが、10分、15分経ってもカメラに映りません。心配になってきました。階下に降り、寝室に行ってみると・・・いました。カメラの死角になるベッドの下でコケていました。ベッドから起きようとしたのかトイレから戻ってきたのかのどちらかでしょうが、これまでコケたことのない場所。もがいている姿を見て驚いてしまいました。何もなかったような顔をして助け起こしてベッドに座らせ一件落着。それにしても最近コケる頻度が高くなってます。そんなこんなで朝早くから体力を使ったのか、普段ならとっくに起きているこの時間にもまだ寝ています。最近早寝早起きだけど今朝は起床時間が早すぎました。さっきトイレに起きたので、その後いつものように「腹減った」と食堂の方にくるかと思いきや「もうちょっと寝かしてくれ」と言って寝室に戻っていきました。ま、たまにはゆっくりするのもいいでしょう。朝からあたふたして疲れたもんね(こっちは寝不足だけど 笑)。
2024年05月31日
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大正生まれの父。最近、使う言葉がだんだん昔風になってきました。昭和50年代まで教員をしていたので「現代語」も知っているはずですが、年齢を重ねていくと口をついて出る言葉はより昔使っていたものになっていくようです。トイレに行くときは「便所」、スプーンを取って欲しいときは「さじ」と言います。そのあたりは平成生まれの若い人も知っているでしょうが、こんな言葉は分かるでしょうか。下着の長袖シャツを指して「じゅばん(Juban)」、ズボン下は「ばっち(Batchi)」。「じゅばん」は和装の長襦袢などに言葉としては残っていますが、父の着るのはもちろん長襦袢ではなく普通の下着のシャツ。ズボン下は股引ともパッチ(P)とも言わずにバッチ(B)。この言葉は時代だけでなく方言が影響している可能性もあります。でも現代では当地の若者も「じゅばん」や「ばっち」とは言わないでしょうし、そもそも長袖の下着のシャツやズボン下を着る習慣自体が廃れているようにも思います。ただ下着のパンツは「さるまた」とは言いません。彼が穿いているのはおむつ型のパンツで、かつて穿き慣れた物とは違ったからでしょうか。昔の言葉だけでなく方言丸出しの会話は私を子どもの頃にタイムスリップさせてくれ楽しい時間を過ごしています。
2024年05月30日
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今朝、父と二人でご飯を食べていると父が突然突飛なことを言い出しました。「こうして二人でしている会話を文にしようか。」「なんで?」「本にして出したら売れる。」この人、何を言っているのでしょう。それまでしていたのは他愛もない普通の会話です。さらに続けて「漫才にしたら笑ってもらえるかなあ。」とさえ言います。何が面白いのかよく分かりませんが、父のツボにはハマったらしくハッハッハと笑っています。「俺もあの舞台に立とうかな。」101歳の人がこんなことを言い出したら知らない人は100%、認知症が進んだなあと思うでしょう。しかし、父の場合は昔からこう。突然脈絡と関係ないことを言い出すのは常にあることでした。なので、家族の会話のなかではいつも一人浮いていて、あんまり相手にしてもらっていませんでした。母が入院する前、私がたまに実家に来て三人でご飯を食べていても会話をするのは私と母。父は蚊帳の外。昔から蚊帳の外で当たり前だったのですが、今は父と私の二人だけなので父との会話には付き合います。すると、上のような会話が出てくるのです。母より父の方が記憶力もいいし、認知症の検査をしても受け答えは正しくできます。でも普段は普通に会話をしようとしてもボケているのかフリなのか、相手が期待する答えが返ってくることはマレ。それで「この人は認知症が進んでいるので会話が出来ない」と思われてしまうこともあります。でも、これは父の性格。身体能力に衰えはありますが頭の方はOK。ただ根っからの「変な人」なだけなのでご安心を。
2024年05月29日
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例のヘルパーさんを泣かせた(?)お話。平日に毎日来てくれる父の担当のヘルパーさん。仕事は寝ぼすけの父を起こし着替えさせ食の介助をして薬を飲ませること。そして父の脱いだ服、パジャマ等を洗濯して干してくれること。時間があれば掃除も。のはずですが、最近の父は早寝早起きをするため、ヘルパーさんが来たときにはもう着替え終わって、食事も済んでいます。おとといと昨日は「粗相」があって色々と汚していたので、洗濯も私が行いました。するとヘルパーさん、やることがなくなりました。父は起きている、着替えている、洗濯もすんでいる。担当は1時間もあるので間が持ちません。普段は1時間で足りないくらいなのですが、あとは掃除ぐらいです。ヘルパーさん、困ってしまい「ほかに何かやることはありませんか」と私に尋ねてきました。父はお風呂に入りたがっていたので「入浴介助はできませんよね」と聞きました。でも準備がありません。「いつも時間をオーバーしてやってくれているので早めに終わった日ぐらい、早く帰ってくれたらいいですよ」と言いましたが、根がとっても真面目な彼女にはそんなことは無理な注文のようです。「では床の拭き掃除をします」と宣言して、フローリングの床を隅から隅まで磨き上げてくれました。湿度の高いジメジメした日に拭き掃除は大変だったでしょう。手を抜かない、真面目な彼女に感謝。
2024年05月28日
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昨日の夕方、父とのんびり大相撲の観戦。父が分かっているかどうかは別にして、私は大の里の優勝をしっかり見届けてお風呂に入ることにしました。入浴後、台所に行き夕食の支度をしていると・・・何やら父がごそごそしてる。リビングにいる父のところに行くと、ありゃ、上半身の衣服を脱いで裸になっています。「どうした?何やってるの」と聞くと「風呂、風呂」とうめきます。入浴はいつもヘルパーさんにやってもらっているのですが、急にお風呂に入りたくなって実力行使を始めたようです。「今日は入浴日じゃないから」と言いますが、なおも「風呂」とどうしても入浴したい気分のようです。仕方なく、夕食の準備をしている手を止めて体を拭くことにし、洗面器やタオルを用意しました。幸い昨日は寒くなかったので裸にして清拭しても大丈夫。おむつの方にも「して」いたのでそちらもきれいにして、清拭を無事終了。父はさっぱりしたでしょうが、入浴したばかりの私はまたまた汗をたっぷりかきました。それにしても最近は私との生活に慣れてきたのか少々ワガママを言ってくるようになりました。今朝も用意した朝ご飯だけでは足りなかったらしく「もっと欲しい」と要求。母との二人暮らしでは母にしっかり押さえつけられていたのが息子になら言えるのね。どんどん要求してくれたらいいよ。
2024年05月27日
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今日も父(101歳)のなんちゃって介護。朝5時。リモートカメラで確認するとちゃんと起きてベッドに座っています。どうするんだろう。まさかまだ起きないよね。20分ほど座っていて、また寝ました。よしよし。こっちももう一度寝ます。朝6時半。カメラに映ったのは上半身裸の父の姿。昨日と同じだ。このまま起きるかな?昨日は裸になっていたのであわてて寝室に行き服を着せるも、その後また寝てしまいました。しばらく待っていると、父は上半身裸のまままたベッドに潜り込み寝始めました。昨日のことがあったのですぐに寝室に行かなくてよかった。もう少し寝てくれるでしょう。私がいっしょに暮らし始めたこの2週間。父の行動は段々パターン化してきました。以前は起きる時間がバラバラでお昼を過ぎてから「朝ご飯」を食べていたことも。最近は7時~8時には朝食を食べ終え、お昼も軽く。一日2食から3食になりました。何が彼の行動パターンを変えたのか考えると、夕食時間と就寝時間の固定化に思い至りました。午後6時になると夕食、午後9時になると就寝(それぞれ開始時間です)。母と2人暮らしのときはどちらも結構ばらばらだったので起床時間もバラバラだったのかなと思います。夕食など、午後8時過ぎのこともありました。今は必ず6時からと固定しました。おやつも夜は与えません。それで朝はお腹が空いて起きてくるようになったのではないかと。なんだか赤ちゃんかペットの話をしているみたいですね。さて、そろそろ起きてくる頃でしょう。カメラを見ると、おやおや起きて着替え始めているぞ。では手伝ってきまーす。
2024年05月26日
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私が父の見守り介護を始めてから2週間。父の早起き癖は定着し、頭もなんだか冴えてきています。母と2人暮らしだったときは11時に来るヘルパーさんに起こされるのが当たり前で、ヘルパーさんが来ない週末は午後まで寝ていたのですが、いまは6時台か7時台に必ず起きるようになりました。彼は1階、私は2階で寝ているのですが、朝早く扉(引き戸)の開閉の音がすると必ず目が覚めます。たいていはトイレに行きまたベッドに戻って寝るのですが、そのまま起きてしまうこともあります。起きてくると着替えさせたり朝食の準備をしたりしないといけないので、何時であってもこちらも起きなくてはなりません。それで階下の物音には敏感になって5時を過ぎると私も眠りが浅くなっています。何せ、彼の転倒する可能性が一番高いのがこの時間帯ですから。今朝も5時半に一度トイレに行き、その後またベッドに。私も安心して寝ました。そして次は6時半。今度もまた寝室に戻ったのでしばらく放っておき、リモートカメラで確認すると上半身裸になっているではありませんか。「起きる気になったのか」と台所に行き、朝食の準備をしながら寝室に行って着替えさせることにしました。パジャマの上はもう脱いでいたので、下着のシャツを着させてポロシャツを着させて・・・とやったところで「もう一回寝る」と言い出しました。着替えの途中でもう一度寝るのは珍しい。お腹が空いて起きてくるのが常なので今日はあまり空腹でない?朝食を作りかけていたので仕方なく作り終えた後は私ひとりで朝ご飯。父の食事を見守りながらだと40分~50分かかる朝食が15分足らずで済みました。「父の寝ている間にいろいろ仕事ができるかな」と布団を日に干していると、また物音がしました。小一時間もしないうちにまた目が覚めたようです。なぜか上機嫌で「腹減った-」と陽気に主張し、いきなりおやつを食べようとするので「おやつは後」と言ってご飯。いつもは一緒に食べて見守っているのですが、今日は変速的なことになったので洗濯をしながらときどきおやつを食べてないかチェック。洗濯物を干し終わる頃に父もようやく朝ご飯を終えたので食後の薬を飲ませました。今はリビングに移動してソファーでしっかりご就寝。食べているときだけ起きていたみたいです。ともかく「早起き」癖はいいこと。こうして私もパソコンに向かい、父との些細な日常を書くこともできますしね。
2024年05月25日
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今日も父は早起き。早起き、遅起きを繰り返している順番からすると今日は早起きの日でいいのですが、昨日も予想外に早かったし、三日続くと「早寝早起き」が定着したのかもと感じます。ま、早起きは悪いことではありません。6時半に起きて30分ほどかけて着替えをし、その後1時間かけて朝食。満腹で満足した父は9時現在ソファーでうたた寝しています。こう書くと平和な日常の始まりですが、実際は昨夜寝る前と今朝起きた後は「クソじじい」でした。寝る前にはパジャマに着替えさせ、朝はパジャマを脱がせて服を着させるのですが、昨夜からちょっとお腹が緩くなっていたみたいでパンツ(おむつ)を見るとそこにはすでに・・・出ていました。昨夜も今朝も。彼は一応自分でトイレに行き、おしもの始末も自分でできるのですが、こうなってしまうともう無理。就寝前の時間にバタバタとお尻やトイレ周りをきれいにし清潔な物に着替えさせ、こちらは目が覚めてしまいました。と思いましたが、父がすぐにすやすやと寝てくれたので私も安心してすぐに眠りに。私も父のお気楽性格が遺伝しているのでしょう。ぐっすり寝た翌朝。今朝も父は早起き。着替えさせていると・・・あら、また間に合わなかったみたいです。普段の脱ぎ着は時間がかかっても全部自分でやらせるのですが、これはまずい。そんなわけで今朝も「クソじじい」の拭き拭きから朝が始まりました。そんなことがありましたが、本人はいたって元気かつ陽気。朝ご飯もしっかり完食し「もっと食べたい」と言うほど(食べ過ぎになるのであげません)。いまはうたた寝中です。昨夜からの連続粗相など気にする様子は全くありません。ほんとクソじじいですけど、本人が幸せなら、まいっか。
2024年05月24日
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なぜか一日交替で早起きと遅起きを繰り返す父、今日は遅起きの日なので私もゆっくりできるかなと期待していました。ところが、朝6時にリモートカメラで寝室を見ると父の姿がありません。食堂のカメラを見てもそこにもいません。「トイレかな。もしかしたらそのまま起きちゃうかも、残念だけど」と思いながら、しばらくそのままにして何度か寝室と食堂のカメラをチェックしてみてもどちらのカメラにも父は登場しません。そうこうしながら15分してもカメラに映らないので、やむなく階下に降りてみたところ、父発見!廊下でコケていました。正確に言うとコケたというよりもへたり込んだというか、ドアを背に座り込んでいました。彼は杖とバリアフリーの支え木をもって何とかそろりそろりと歩くことはできます。それでベッドからトイレやリビングにもゆっくりと移動します。椅子から立ち上がることも可能です。しかし一旦床に座り込んでしまったらそこからはもうどうにもできません。今朝はそういう状態でした。そういうことが月に1、2度あります。たいていは早朝なのでいつもは慎重にそろそろ歩く父ですが、寝ぼけているのかも知れません。今日はいつからそこにいたのでしょう。体が冷え切っていたわけではないので、そう長い時間ではないと思います。とにかく放っておくことも出来ず助け起こして立たせました。立たせたあとは自力でベッドまで歩いて行ってもらい寝かせました。そして現在も就寝中。今日はやはり遅く起きる日のようです。朝のスリップダウンは余計でしたね。
2024年05月23日
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我が家を担当するヘルパーさんはとても生真面目な人。どこかで調整しているのかいつも開始時刻ぴったりに家に来て、終了時刻を数分過ぎてから家を出ます。洗濯をしてくれた後、干すときに必ず「外に干してもいいですか」と聞いてくれます。取り込むのは私がするのですが、椎間板ヘルニアで重いものが持てないのを覚えてくれているからです。でも聞かれるたびに「取り込むときは乾いて軽くなっているので外に干して大丈夫です」と応え一度も断ったことはありません。それでも必ず「外に干しても?」は言わないと気がすまないみたい。昨日は父の血圧が少し低くて、それとともに足の色が多少薄かったので大騒ぎ。起きてから少し長めに涼しい格好をしていたので足の色がやや変化していたのでしょうが、それを見てすごく心配してくれ、今にも救急車を呼ばんばかりの様子です。「放っておいても大丈夫そう」と思いながら「じゃ、足湯をして温めてみます」と言いました。その後も「何度測っても血圧が100未満」と不安そうでした。聞くと98と97。それぐらいはときどきあります。父のことより彼女を安心させる方が大事に思えてきて「しっかり経過を見ておきます」と告げました。案の定ほどなく血圧は100を越え父は一日、普段と変わりませんでした。真面目で仕事をきちんとやってくれるけど心配性なヘルパーさん。そしてどこかドジなところがあります。買い物代行なのにレシートをなくして大騒ぎしたことも。忘れ物もよくします。玄関先に忘れ物の傘があれば間違いなく彼女のもの。おとといは何と「ここの前の利用者さんのところにカバンを忘れてきた」と手ぶらでやってきました。カバンと言えば商売道具。引き返すのもいけないと思ったのか、結局その日は血圧も測らず帰りました。今朝は珍しく遅刻したといって慌てて電話してきました。こっちも気づいていなかったし、遅れたといっても2分ほど。そんなの遅れに入りません。真面目なのにどこかポッと抜けてる50代(かな)のおばちゃん。とってもカワイくて憎めないキャラクターです。
2024年05月22日
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先週の火曜日に実家に来て、母の留守(入院中)ひとり暮らしになった父を見守っています。その父、このところ早寝早起きしていました。これまでは放っておくとお昼近くまで寝ていたり、下手するとお昼を過ぎてからやっと起きてきていたのに、この数日は7時前後に起きています。おとといなどは6時半には着替えまで済ませていました。いったい何時に起きたのでしょう。久しぶりに、いや初めて息子と2人暮らしになって張り切ったのでしょうか。しかしそれもおとといまででした。昨日は元に戻って11時にヘルパーさんに起こされるまで寝ていました。リモートカメラで寝室の様子を見ていると、6時と7時、10時に3度トイレに行っていたのでこれを機にそろそろ起きるかなと思いましたが、トイレから帰るたびにベッドに潜り込み再び寝ていました。そう言えば、4月に一時帰省したときにも父は数日間は早く起きてきていました。意識をしているわけではないでしょうが息子が来て何となく張り切ってしまう気持ちがどこかにあるのかも知れません。それに私が起きていれば早めに朝ご飯にありつける予感も?母と一緒にいるときは自分の目が覚めても横で母が寝ているのがわかるので朝食はまだだと分かりますが、別室で寝ているわたしはもしかしたら起きているかもという期待があるのかも知れません。もう一つの可能性はおととい姉が「足湯」のバケツセットを買ってきたこと。その日から夕方父に足湯をさせたりマッサージをしたりすることが日課となりました。足湯につかって父は気持ちよさそうにしています。普段はヘルパーさんに週に一度しか入浴させてもらえない父なので、足湯だけでも血行が良くなり、体がリフレッシュして睡眠の質が上がっていることも考えられます。というわけで現在午前9時。起きる気配はありません。こんなによく寝るなら足湯、毎日してあげるよ。
2024年05月21日
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101歳の父と食事。というか、こっちはすぐに食べ終わるので食事の見守り。以前はひとりで食べさせていたのですが、放っておくと途中で寝てしまったりするので食事の最後まで付き合うことにしました。毎食1時間余りかかりますが、一緒にいると父がだんだんと問わず語りに口を開いてきます。ほとんどが昔話。入院中の連れ合いのことはたまに思い出したように口にするくらいです。昨日突然「女の子をいじめるのはなんであんなに楽しかったんだろう」と言い出しました。おいおい。そんなことをしていたとは初耳。一応小学校の教員をしていた人なのでまさかそんなことを思っていたとは。もちろん小さな時の思い出でしょうし、具体的にどんな「いじめ」をしていたのかは教えてくれません。とくに父の弟(私のおじさん)は乱暴者で有名だったらしく、「〇ちゃんの顔を見ただけで女の子は逃げた」と付け加えていました。実際おじは力も強く、町内の相撲の大関だったそうです。兄弟でつるんでいじめ回っていたのかな。父の食事に時間がかかるのは必ず完食をするからです。好き嫌いなくとにかくすべて食べきるのは物の乏しかった大正生まれのせいでしょうか。今朝も1時間半近くかけて完食し、その間に思い出話をいろいろしてくれました。これからもっともっと父たちの「悪事」を引き出してやらねば。
2024年05月20日
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どうしたんだ、マイ・ダッド(@101歳)!父がこのところ早寝早起きができるようになって喜んでいます。以前はお昼近くになっても起きてこなかったのにここ1週間、私が付き添うようになってからはちゃんと朝7時に起き、夜は9時過ぎに寝るようになりました。昨夜も9時前に寝室に行き、パジャマへの着替えも私が何も手を出さないのにちゃんとできました。しかも10分ですべて。これ、新記録です。そして今朝。6時半にリビングに行くと、すべて着替えてソファーに座っている父がいるではありませんか。普段の着替えのときは下着からアウターまで一つ一つ手渡しながら「はい、次は〇〇を脱いで、それからこれを着て」と言ってやらせているのですが、今朝は全部自分でやったらしく、ポロシャツからズボンまでちゃんと着ていました。脱いだパジャマはベッドの上にうち捨てられていましたが、それはご愛敬。いまはソファーですやすや寝ています。空腹でお菓子をあさったようで、空になった袋が散らばっていました。朝ご飯はもうちょっと後でいいかな。
2024年05月19日
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母が骨折して入院してしまったため独り暮らしになった父の世話にやってきて1週間。101歳と7ヶ月の父を観察していると「これは100を引いた1歳7ヶ月児ではないか」と見まがうような言動が見られます。3つの点からこの説を検証してみます(大げさ)。その1:お腹が空いたらとにかく何か食べる今朝も朝早く寝室でごそごそしている様子。昨日は7時に起きてご飯を食べ、その最中に寝てしまったので放っておけば今日も寝るだろうと思い、敢えて父のところに行きませんでした。でも20分ほどして父のところに行ってみるとびっくり。寝室から食堂に移動しお腹が空いたのにご飯かないものだからお菓子を食べていました。食卓の上にはお菓子の小袋がわんさか。食欲に任せて食べていたようです。普段はお菓子に見向きもしないのに、ちゃんと保管場所を知っていたのね。仕方なく朝食を出しました。その2:好きなものから食べる毎日の父の食事のパターンを見ていると、どうも好きなものから食べています。好き嫌いなく何でも残さず食べる父だと思っていましたが、肉類、汁物などを先に食べ野菜や漬け物類は後。さすがに大人なので好きなものから食べきってしまうことはなく、最終的にはバランス良く残った皿をひとつひとつ空にしていきますが、見ていると何が好きかがよく分かります。その3:食べている途中で寝てしまうこれはもう子どもと同じで食べていても眠くなったら寝ます。さすがに箸を落としたりはしないけど、気がつくと静かに船をこいでいます。昨日の朝は半分も食べずに寝てしまい、朝ご飯がお昼ご飯になりました。今日は完食してから寝たので、今日はお昼ご飯が要るな。運動能力的には102歳と2歳児は変わらない感じですが、102歳(近く)は知識の蓄積があり、そこが2歳児とは違います。でも本能に基づく行動は変わらない印象。
2024年05月18日
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本日も相変わらず、父のなんちゃって介護ヘルパーです。入院中の母と一緒にいるときはお昼前にようやく起きてきていた父。下手すると午前様ならぬ午後様(午後1時や2時に起床)だったのに、私が一緒に暮らし始めてからはどんどん起床時間が早くなっています。今朝はなんと午前7時に起床した気配、起きたなとは思っていたのですが、しばらく放っておくとリビングのソファーに座っていました。一応午前11時にヘルパーさんが来て、彼女に着替えさせてもらって食事の介助もしてもらう手はずです。こんな頃に起きてこられたらその辺がぜ~んぶ私の仕事になるじゃないの、もー。と思いながら「まだ早いよ」とは言うのですが、全然寝る気配がありません。仕方がないのでコーヒーを淹れてやるとうまそうに飲みました。「さ、寝ようか」と声をかけるも目は冴えてくるばかり。「コーヒーがいけなかったか」と思いつつも仕方がない。「パジャマのままじゃ寒いからちゃんと着替えようか」と寝室にゴーバック。寝室に行けばもしかしたらもう一度寝てくれるかなという淡い期待は打ち砕かれ、父は着替え始めます。パジャマを脱いでパンツ(おむつ)も脱いですっぽんぽんになり、そこから今日のお召し物を一つ一つ渡しながら「はい、次はこれを着て」「次はこれ」とやっていると30分が経過していました。着替え終わると当たり前のように食堂に行きます。仕方ない。朝食を準備して食べさせました。が、半分も食べないうちに目がトロトロしてきて開かなくなったので、やむを得ずリビングに導きソファーに座らせました。結局その後、ヘルパーさんが来るまで2時間熟睡。そんなに眠いなら7時に起きてくるなよ、は私の心の声。ヘルパーさんが「血圧や体温を測りたいので起こしてもいいですか」と尋ねるので「起こしてやってください」とお願いしました。最初は眠そうにしていましたが、さすが2時間もうたた寝をした後だけにどんどん目が覚めてくる父。検温や血圧測定が終わったので「ご飯の残り、食べる?」と聞くと二つ返事で「食べる」と。朝食を朝と昼の2回に分けて食べた父でした。全部食べたので「ごちそうさまにする?」と聞くと「もっと食べたい」と言うではありませんか。ひと寝入りして前半の分は消化しちゃったのでしょうか。追加のあんパンを食べ現在、ソファーでよだれを垂らしながら熟睡中。自ら「俺の仕事は寝ること」と言うだけあります。
2024年05月17日
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もうすぐ102歳になる父のケアのため、おとといから実家に帰省。父は普段お昼前に起きてくるのに、私が帰ってからは昨日、今日となぜか8時前後に起きてきました。お腹が空いたというので朝ご飯の準備を前倒しし、パジャマのままで朝食を取らせました。食欲はあるのですが、なかなか箸使いが難しく完食するまでに3~40分。着替えも30分余り。食事も着替えも見ているだけでほとんど手を出さず自分でやらせるので余計に時間がかかります。これまではヘルパーさんが来てから父を起こし、着替えさせご飯も食べさせてくれていたのに。早起きをするようになったのでその辺が私の仕事になりました。そして本人は今・・・リビングのソファーでぐっすりお休み中。いま寝るなら早く起きてくるなよと言いたいところですが、まあこれも父なりのサイクルがあって、いまは早起き期間なのかもしれません。ぽかっと口を開けて寝ている父を見ていると文句を言う気にもなりません。食事や着替えの様子を見ていると能力的には2歳児ぐらいでしょうか。でも違うのは頭ではどのように食べ物を口に運べばいいか、服はどちら向きにどのように着ればいいかが分かっている点。長袖の下着シャツの上に長袖のポロシャツを着るときはちゃんと下着シャツの袖口を持ってポロシャツを着ています。衣服の前、後ろを間違えることもないのはさすがに年の功、食事の時にこぼしそうなものはちゃんとお皿を受けているのも経験知でしょう。できることは100歳を引いて2歳児ぐらいですが頭の中にはたくさんの知識が入っているようです。
2024年05月16日
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昨日から101歳の父を見るために実家に帰省し、なんちゃって介護ヘルパーをやってます。母が骨折して入院してしまったための一時的な生活。普段は口数も少なく、実家に来てもあまり会話がはずまない父と2人暮らしになりました。ヘルパーさんも1日1度、1時間ほど来てくれますが、それ以外は私がご飯の用意をしたり着替えさせたりしていて、まさにヘルパー気分。これまで父と私が二人だけで生活することは一度もありませんでした。普段は帰省しても母がいるので、たいていは母と会話をし父と話すことはほとんどありません。食事も長くかかる父は途中から放っておかれ、母と私はリビングに移動し最後は一人食卓に取り残される父。でも二人だとそうもいかず、こちらの食事が終わっても父が終わるまで食卓で付き合うことにしました。すると、いつも寡黙で食事中ほとんどしゃべらない父がいろいろと話し出しました。自分の父親や母親(私の祖父母)のこと、旧制中学校に通っていた頃のこと、生意気盛りの中学生だった自分が先生につっかかっていったこと、などなど。話のなかで父は小林一茶の有名な俳句を英語にした「替え歌」を友人たちと言い合って笑っていたと言っていました。下記の通りですが、これは私も聞いたことがあります。Free care car was to become miss note.(細部の異なるいくつかのバージョンがあるようです)私がこれを知ったのは50年以上前ですが、もっとずっと前(80年以上!)からすでに流行していたのですね。誰が言い出したのか知りませんが、若者は昔からバカなことが大好きだったし、父もそんなバカなことを言って喜んでいた若者の時代があったことがわかりちょっと可愛く感じました。
2024年05月15日
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母が昨日、骨折して手術、入院することになりました。これから手術をします。取りあえず1ヶ月の入院、リハビリが必要と言われていますが、何せ高齢なのでどういう経過をたどるかは終わってみないと分かりません。夕方、手術後に執刀医から説明を受ける予定です。そちらはもう病院にお任せするしかないのですが、お任せできないのが父親の方。百年以上、まともに料理もしたことのない父。とてもひとりで置いておくわけにはいきません。昨日も配食サービスのご飯を朝食のときに使ったスプーンで食べ、朝いれた冷たいお茶をそのまま飲んでいたらしいです。箱入り娘のことを「箸より重いものをもったことがない」などと言いますが、父はさしずめ「箸のありかが分からない」人。お茶もいれたことがないのでどれくらい茶葉を使うのか分からないし、それ以前にお湯を沸かすという発想もなさそう。日本人の高齢カップルは、夫に先立たれた妻は長生きだが妻に先立たれた夫は半年以内に半数以上が死ぬとか。その統計を耳にしてまさかと思っていましたが、分かりやすい実例がすぐ近くにいました。父の場合、半年どころか半月、いや半日で後を追って亡くなりそうです。その昔、出張で食べ物屋さんのない田舎に行ったとき、そうめんをゆがいたはいいけどつゆをつけることが分からなくて醤油をかけて食べたという伝説のある人。あれは父を揶揄する都市伝説(田舎伝説?)かと思っていましたが、きっと真実ですね。間違いない。
2024年05月14日
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実家で父と二人暮らしをしている98歳の母親が寝室で転倒しました。今朝、ベッドの脇でコケて起き上がれなくなっていると姉から連絡がありました。実家の寝室につけてあるリモートカメラで私も確認。横に101歳の父もいますが、自分自身ギリギリ歩けるかどうかですから父は何ともできません。手を貸すこともできず、ただ心配そうに見ているだけ。でも父がいてよかったのは父が咄嗟に母に電話の受話器を渡したこと。母に言われて受話器を渡したのか、自らの意志で渡したのかは分かりません。父はその辺のことをきちんと説明することはできません。でもそのお陰で姉に連絡がつき、救急車を呼んでもらうこともできました。「母がコケた」との姉からの知らせを受け取ってから30分間リモートカメラを見ていましたが母はとても痛がっている様子。父は自分もほとんど歩けないのに心配そうに母につきそい、毛布をかけやっていました。救急車が到着したのが「事故」から40分ほど。リモートカメラごしに見ているとレスキュー隊員が4人来ており、母はそろそろとストレッチャーに乗せられ寝室から出て行きました。その後のことは姉から逐一電話やラインで報告があり、救急車の中の様子→病院に到着→ただいま検査中、と続きさきほど「検査の結果、大腿骨骨折だった」と連絡がありました。超高齢の母のことですから、また日常生活ができるまでに復活できるかどうかは微妙です。入院しているとせん妄が出たりして、体の面だけでなく頭の方にもダメージが出る可能性があります。客観的に見て、このまま寝たきりになる確率が一番高いでしょう。一応自立して暮らしている母がいたから何とか父も一緒に自宅で暮らせていたのですが、母の介助がなくなりもはや父も自宅暮らしは無理。我が家は大きな転換点を迎えました。早急に本土に飛んで姉と今後のことを話し合うことになりました。
2024年05月13日
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お昼ご飯は卵かけご飯と決めている98歳の母。卵を割ると珍しく黄身が二つ出てきました。「わ!黄身が二つ。」と大喜びする母。「これを食べて双子でも産もうか」とジョークを言いました。何が面白いのかわかりませんが、それが101歳、要介護度2の父にウケました。父は口を閉じたまま笑いをこらえきれない様子で肩をふるわせています。普段無表情のことが多く何を考えているか分からない父がこんなに表情を崩すのを見るのは久しぶり。父の反応をみて思い出したのが彼の父(私の祖父)がやはり高齢になったときのある一場面です。家族でテレビを見ていたとき画面から飛び出してきた言葉が「金満家」でした。中学生だった私が戯れに「金満家、ふたなりのことか」と冗談を言いました。これも今となっては何が面白いのか分からない、昭和ならではの不適切なジョークですが、それを聞いた祖父がやはり口を閉じたままむせそうに顔を真っ赤にして笑いました。そういう冗談は世代を越えて伝わるものなんですね。でもそんなに笑う?お年寄りの笑いのツボが分かりません。
2024年04月14日
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最近、98歳の母に「後追い行動」が見られます。普通は赤ちゃんの行動です。わたしの姉は幼い頃いつも母の後追いをしていて、ちょっとでも姿が見えなくなると泣くのでトイレにもおんぶして入っていたと母が言っていました。今度はその母がわたしの「後追い」をするようになりました。もちろん母は逐一わたしの後ろを歩いてついてくるわけではありません。わたしの姿が見えなくなるとどこに行ったか心配で、帰ってくるまで気がかりな模様。なのでトイレもお風呂も歯磨きも必ず声をかけます。家にいるときはまだいいのですが、買い物のときは心配させないようにどれぐらいで帰ってくるかを言います。しかし、それが待てない様子。外出したのは理解しているのですが、しばらく姿が見えないとだんだんと不安が募ってくるようです。昨日は医者に行き母の薬をもらいその後買い物に行きました。母には「あちこち行くから遅くなる」と告げました。帰宅すると「あー、帰ってきた。よかった~」と大げさな反応。でもそれは大げさではありませんでした。母は心配で心配でたまらず、車が帰ってないか駐車場まで見に行ったり2階にいないか階段を上ったりしていました。足もとのおぼつかない母が駐車場に行ったり、2階に上がったりするのは危険です。本人も「こわかったー」と言っていました。心配なら電話をしろと言ってあるのですが、携帯には携帯からしかかけられないと思い込んでいる母。固定電話から携帯へのかけ方を教え、家の電話の横には大きく番号も書いてあります。落ち着いているときは実際かけてくることもありますが、パニックになっているのかそのことを忘れてしまったのか「電話をすれば良かったのに」というと「携帯だからかけられない」と言います。「そんなことはない。こうすればいい」と実演することも数知れず。危ない後追いをさせないため今後はわたしが出先から電話するかな。
2024年04月10日
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昨日ヘルパーさんが焦りまくっていました。母は週に一度ヘルパーさんにお金を預けてスーパーに買い物を頼んでいるのですが、昨日は買い物から帰ったヘルパーさんと母が台所で何やらもめている様子。ヘルパーさんがリビングにいる私に「ちょっといいですか」と手招きしてきました。何だろうと思って行ってみるとお金のことであわてふためいていました。ヘルパーさんが買い物のレシートをなくしたのがことの発端。次に財布の口が開いていたのが火に油を注ぎました。いつもきちんとしたヘルパーさん、昨日はおろおろして何を言っているのかなかなか分かりません。昨日はレシートをなくしてしまったうえに財布の口がきちんと閉まっておらず買い物袋の中に小銭をぶちまけてしまっていました。それらを集めて母に渡すのですが、お釣りが正しい金額なのかが分かりません。母は1万円札をわたし、返ってきたお釣りが5千円札1枚とカバンの中から出てきた112円。つまり、4888円が買い物金額。なのでしょうか。スーパーのポイントカードを見ると44ポイントがついています。ヘルパーさんはそれがおかしいと思ったようです。金額は4888円。でもポイントは44。このスーパーは100円で1ポイントがつくので48ポイントでないとおかしいのではとヘルパーさんは思ったみたいです。そこでカバンの中をひっくり返して残りの小銭を探しましたが見つかりません。仕方なくスーパーに電話をしてポイントのシステムを聞いていましたが、ヘルパーさんが慌てているので向こうも何を聞かれているのか飲み込めない様子で、とんちんかんな返事しか返ってきません。そのときひらめきました。100円で1ポイントというのは税抜き金額の話では?4888円を払ったということは8%の消費税がついているのでポイント対象は4512円になります。でも、それならポイントは45になるはず。まだ計算が合いません。スーパーのサイトを開いてよくよく調べてみました。するとこのスーパーのポイントシステムは100円で1ポイントではなく200円で2ポイントになっていました。これで計算すると4512÷200=22.56。200円2ポイントなので、小数点以下を切り捨てると44ポイントで正解なのでした。いつもは落ち着いて黙々と仕事をしているヘルパーさんの、珍しく慌てている姿を見てちょっと距離が縮まった気がしました。それにしても、今まで100円で1ポイントも200円で2ポイントも変わらないと思っていましたが、こんなところに巧妙な仕掛けがあったのですね。
2024年04月09日
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要介護2の父。食事は自分でとり、排泄は一応自力でします。着替えも自力でできます。平日は毎日ヘルパーさんが来て起こし着替えさせてくれますが、本当は自分でできる。ヘルパーさんのヘルプが頼めない土日は母が起こしますが、今は私が一緒にいるので私が起こして着替えさせています。着替えるのをどこまで手伝うべきか。ヘルパーさんはかなりの部分手伝ってくれています。でも父は自分でやろうとするし、やらせると90%は自分でできるんです。足腰が弱いのでCMのようにスルッとパンツは穿けないけれど、よろよろ立って自分で脱ぎ、穿くことができます。ベッドに座って靴下も脱いだり履いたりできます。下着のシャツからポロシャツ、セーター、ズボン下、ズボンなども自分で脱ぎ着します。せっかちな母はすぐに手伝ったりあれこれ口を出したりしますが、私は突き放して見ているだけ。上下一式着替えるまでに長いときは30分、早ければ15分ほどで完了。ヘルパーさんは持ち時間を着替えにだけ使っているわけにもいかないので手伝うのもやむを得ないのでしょう。ほかに洗濯やベッドメイキングもしてくれますし。でも私はたっぷり時間がとれます。自分でできることは自分でやらせます。介護は子育てに似ているように思えてきました。自分で出来ることは可能な限り自分でさせる。キーワードはどちらも自立。子育ては自立が少しでも進むように。介護は少しでも自立が続けられるように。出来ることが増えれば子どもは自信を持ちます。出来ることが維持できれば年寄りはプライドをなくさない。そんな理由で私は母にも新聞を取りに行かせたり、雨戸を開けさせたり、洗い物をさせたりして仕事を奪わないようにしています。けっして私が楽したいからというわけではないんですよ。だって私がやれば十分の1の時間で済むし。
2024年04月08日
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昨夜ふと気がつくと母が枕元に立っていました。自慢ではありませんが私は寝覚めが悪い人です。眠りが深いのか、寝るとなかなか目が覚めません。子どもの頃、台風が直撃して大雨のため夜中に家が雨漏りして家中で畳をあげたり大騒ぎをしていたことがあります(聞いた話)。そんなときも私はひとり騒動も知らずに寝ていて、朝起きると周りの様子が違うと驚きました。今朝午前1時頃、深く眠っていた私は母(98)に起こされました。父(101)がコケて動けない、と呼びに来たのです。私が寝ているのは二階の一室。足下のおぼつかない母がよく階段を上って来たものと思いましたが、階下から呼んでも起きなかったので仕方なく上がってきたとか。さすがに直接起こされれば私も起きます。階下に行くとトイレから出たところで父がひっくり返っていました。早速助け起こしたいところですが、まずは母。夢中で階段を上って来たはいいものの降りる段になって怖じ気づいた母。下から一歩、一歩サポートしました。次は父。椎間板ヘルニアを患っているため重いものを持ってはいけないと医者に言われている私に父の体重はリミットを大幅に超過しています。元気なときなら抱き上げてベッドに運んでおしまいですが、いまそれは無理。モノのように父をベッド脇まで引きずっていき(ごめんね)、父に手すりをつかませながら私自身にも負担がかからないようにしてベッドに乗せました。私が泊まりがけで一緒にいるのでよかったけど、母ひとりだとどうすることもできません。先月も私がちょうど滞在していたときにこんなことがありました。その前の月は姉夫婦が夜中に呼ばれました。父がコケるのは毎月恒例の行事のようになっています。昼間にコケるのを入れるとこの半月で2回。頻度が高くなってきているようです。高齢者二人で住むのは限界、というか限界を超えている感じですね。先日申し込んだ施設、早く空きが出て欲しいな。
2024年04月05日
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母は経度の認知症です。私の判断なのでいい加減なものですが、何を聞いてもすぐに忘れるし入浴は介助が必要、洗濯や掃除はヘルパー任せ。でもトイレや着替えは自分でするし食事の介護も不要。というだけでなく自分で食事の準備をすることも出来、朝ご飯や昼ご飯は自分で用意しているところから判断しました。母は年中食べ物の心配をしています。ご飯は炊いてあるか、パンの買い置きはあるか気にしています。人は「戦後のもののない時代に育ったから」などと解釈したがります。たしかに年代的に母は十代後半に終戦を迎えていますが、生まれ育った田舎では食糧事情は比較的悪くなかったと聞きます。現代と比べれば食料は豊かにあったわけではないでしょうが、母の食べ物への心配はもっと人間の根源的な欲求と結びついているような気がします。昨日も、ご飯は冷凍庫に十分あるからと言っておいたのにちょっと目を離すと米を研いでいました。5合。母の炊くご飯はあまり研がずに水加減も多めなのでいつも超やわらかご飯ができあがります。そこでざるに入ったお米をこちらで引き受け研ぎ直し、炊いていくつものタッパーに分けて冷凍しました。あとで冷凍庫を開けた母曰く「ご飯がいっぱいある」。そりゃそうでしょう、あなたが炊いたんですから。とは言いませんが、「もう明日もあさっても炊かなくていいからね」とやさしく言っておきました。朝はパンとヨーグルトやフルーツ、ハムが昔から母の定番です。それを前夜に用意します。食材の在庫があるかどうかから始まって、必要分を取り出し皮をむくものはむいて切り分けるものは切り分け、すべてをタッパーに入れないと母の夜は終わりません。ところが、セット完了していることを忘れてしまいます。冷蔵庫を確認して安心。しかししばらくするとまた「朝のご飯の用意をしなければ」と冷蔵庫を開ける。この繰り返し。私がいれば「用意はしてたから大丈夫」と言うのですが、父と二人だけで暮らしているときはどうしているのか不思議です。ま、ちゃんと生きていますから考えても仕方ありません。そこは見て見ぬ振り。今は夜だけ配食サービスがありますが、半年前はそれもなく3食自分で用意して夫婦で食べていました。そのためヘルパーさんに頼む買い物メモもかなり長いものでした。今は2食分のことだけ考えればいいのでリストが短くなりました。そのうち朝ご飯の準備もできない日が来て施設に入る日もやがて来るでしょう。それまで何度も確かめ無駄なご飯を炊きながらも頑張ってご飯を作ってください。火だけは出さないように注意してね。
2024年04月03日
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昨日、認知症の母が炊飯器を空だきしました。先日はオーブントースターでご飯をあたためようとしたらしく、タッパーを焦がしました。現在、合計199歳の両親は2人暮らし。ヘルパーや家族(姉夫婦と私)がときおりチェックしていますが、そろそろ限界かな。一週間ほど一緒に暮らしているとさまざまな認知症行動が目につきます。昨日一日だけでも、炊飯器の空だき以外にもいろいろとやらかしています。こたつテーブルの上にいつも置いてある自分のペンがないないと大騒ぎ。ソファーの下、こたつの中などリビングや台所を大捜索しましたが自分で引き出しの中にしまったペンが見つかったのは今朝。昼過ぎ暑くなってきたのでエアコンを冷房にしたのを忘れ、夕方寒い寒いとカーディガンを重ね着。ときどき冬でも「切り替えボタン」を間違えて押して冷房を入れていることがありますが、ちゃんと自分で冷房にすることができたんだ。自分で冷房にしたことを忘れちゃったみたいだけど。日曜日は翌日に来て買い物をしてくれるヘルパーさんのために買い物メモを作るのが母の恒例の仕事。冷蔵庫をチェックして買ってきてもらうものを書き出し数量も書き加えますが、たいてい必要以上に買ってもらおうとします。結果、冷蔵庫の中には何ヶ月も使っていないものが残っていたり。近ごろは一度メモを作ってもそれを忘れてしまってもう一度作ろうとすることがよくあります。その都度一から冷蔵庫をチェック。いつまで経っても終わりません。昨日最も驚いたのは姉の病気のこと。姉は金曜日に手術を滞りなく終えてその後の経過も良好で今週半ばには退院します。そのことを何度も伝え、義兄にも詳しい説明を受けながら昨日また「もう手術はしたのか」とか「これから病院に行くのか」とまで尋ねてきます。短期記憶が保持しにくい人との生活は、かように色々とありますが慣れれば基本おもしろい、と言っては失礼かも知れませんが、見守りながら褒めながら相手に合わせていけばまあそれほど大変なことはないのが分かってきました。危険なことだけは注意ですけど。最近思うのは、認知症対応は子育てに似ているところはあるなーと。
2024年04月01日
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姉の手術は無事終了。思ったよりも時間はかかりましたが、結石はすべて取り除けたとか。ひと安心。何度も病名を聞き直す母、今日が入院、今日が手術だと話しても表情を変えない父でしたが、無事終わったことを告げると顔をくしゃくしゃにして「あー、よかった」と口を揃えて言いました。細かなことは分かっていなくても、娘を心配する気持ちは父にも母にもあったようです。もう今日は忘れてしまっているかも知れませんが。母は何度言っても「今日帰ってくるのか、まだか」と尋ねてきます。細々とした短期記憶はすぐに飛んでしまうので同じことを何度も尋ねてきますが、すべては家族の無事を祈る気持ちから出ていることなのでしょう。認知症になると「理」の部分は弱くなるけれど「情」は残ると言われていることがよく分かります。姉は予後も順調ということで、早ければ来週半ばには退院できそうです。ただ、いくら頑張り屋の姉でも退院してすぐに元の日常生活とはいかないでしょう。あとしばらく、両親の見守りをさせていただきましょう。沖縄の家とかいろんな手続きのことがちょっと心配ではあるけれど(本音)。
2024年03月30日
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そろそろ超高齢者二人だけで置いておくのも限界。土日以外はヘルパーさんに来てもらっているけど、今回のように、普段からメインで世話をしてくれている姉が入院するなどということもあり得ます。これからはますますそういうことが多くなってくるでしょう。そこで、近くの高齢者介護施設2軒を訪ねて入居の申し込みをすることになりました。この2つの施設、全く方針が違います。最初に行ったところはこの一帯ではかなり大きな福祉法人が経営しているところ。きちんとしたところだとすぐに分かりました。玄関を入ってスリッパに履き替え、手指消毒をして検温をし、コロナワクチンの接種回数などを含めて個人情報を細々と用紙に記入しました。内部の案内もその日はなく、会議室でのやり取りが中心。それが初めてだったのでそんなものかと思っていましたが、もう1箇所に行って驚きました。全然対応が違います。靴はそのままでOK、消毒も検温もなく訪問者情報を記す用紙もなし。いきなり利用者がいるフロアーに連れて行ってくれました。その横ではオープンキッチンのようなところで職員が食事の準備をしています。管理者が特に強調していたのが「人が人をみる介護」を重視しているということ。利用者家族はもちろん、地域の人たちも施設に自由に出入りできます。どちらがいいのか。前者は管理が整っていてコンプライアンスも重視している感じ。後者はその辺はゆるやか。前者はヘルパーを派遣してもらっているところだし、入居の順番待ちなどにも融通を利かせてくれるかと期待したけれど、たぶんそういう「情」で動くところではなさそう。後者はもっと押せばこちらの都合を考慮してくれそうです。実際そんなことはしていないので本当にそうかは分かりませんが。これはもう相性の問題かと思います。きちんと管理の行き届いた前者の方が預けて安心だと思う人もいれば、多少いい加減でもより人間扱いしてくれる後者が好きな人もいるでしょう。私たちは後者により好意を持ったけれど、どちらが先に空きが出るか分からない現在の状況では「結局先に空いた方が優先になるのかな」と話し合っています。
2024年03月28日
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さて本日から本格的に両親(101歳、98歳)の介護モードに入ります。これまでメインでみてくれていた姉のような細かな世話はできません。自分自身、椎間板ヘルニアのこともあって機敏に動けませんし。でも、その姉が今週末から入院・手術をすることになったので二人しかいない子どものひとりとしてはやむを得ないところ。どれだけ姉の代わりが出来るかは分かりませんが、年寄り二人だけにする訳にもいかず。姉には福祉協議会、ヘルパー派遣会社、かかりつけ医らの連絡先から日々の暮らしのなかでの介護に関する要点などを書き出してもらいました。その姉、まだ入院していませんが、よほど私が頼りなさげに見えるのか、私が入浴中の先ほど母親に電話があり早く寝なさいと指示があったとか。遅くまで起きていて何かがあっても私なら十分に対処できないと考えたのでしょう。まぁ、その通り。こちらとしてもありがたい。姉も私も徐々に年老いて体のトラブルにも見舞われ、今後どれだけ親の面倒を見られるか分かりません。これまで100歳前後の夫婦が自立生活をしている稀有な例ともてはやされましたが、いよいよ施設入居を検討しなければならない時期になったようです。今日、2箇所施設をまわって申し込みをしてきました。
2024年03月26日
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