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退院しました。今月4日に入院、6日に手術、そして今日22日に退院できました。順調です。長かったような気もしますが、あっという間だったようにも感じます。手術をした夜はさすがに夜通し身悶えしていました。痛さというより点滴やドレイン、導尿管などがつながっていて身動きできない、寝返りできないつらさがありました。もちろん痛みもありはしましたが、耐えられないことはありませんでした。翌日になると、いろいろ管はついていましたが起き上がることができたので不快感は随分マシになりました。その日から立ち上がる練習や歩く訓練を開始。いきなりスッと立ち上がることができ車椅子や歩行器を使ったのは結局1日だけでした。あとは難なく自立歩行ができ、術後3日目に面会に来てくれた人は普通に歩いている私を見て驚いていました。他人の例は知らないので私自身はこんなものかと思いましたが、もしかしたら回復はかなり早かった方なのかもしれません。リハビリがつらいといった感覚は一切ありません。1年以上悩まされてきた脚の痛みがないので歩く楽しさだけです。入院中看護師に「足の痛みはないか、しびれはないか」とよく聞かれましたが、一切ありません。これって脊柱菅狭窄症の手術としては大成功なのでは。人によっては痛みやしびれがある程度の割合で残る場合があるとも聞きますが、私にはそういうのが全くありません。手術の前に期待していた通り、100%いや120%の結果をもたらしてくれました。初めて脚に痛みを感じた昨年3月より前の、何も心配なく走っていた頃に戻りました。もう最高。
2024年11月22日
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いよいよ退院が秒読みに入りました。久しぶりの医師のチェックで「手術の傷はもう治っています」と言われました。傷口に貼っていた透明フィルムのようなものも剥がされ、ドレイン口にあった絆創膏も剥がされてただの「傷跡」だけになりました。手術から2週間が経過し自覚的な体調だけでなく、体の中での回復も順調に行われているようです。今朝はやくに採血があり、その結果がよければあさっての退院となります。自分が感じる限り体は元気だしリハビリだけでは物足りないほどで昨日は院内を6千歩以上歩きました。でも今と変わらず元気なつもりでいた1週間前の血液検査では「まだ炎症反応が出ている」と言われ自分の感覚だけでは分からないものだなと思いました。が、自分自身の感覚としても1週間前よりは明らかに調子がよくリハビリで同じ運動をしても1週間前より軽く感じます。やはり先週は自分が分かっていないだけで体力的にもまだ回復途上だった、ということが今なら分かります。今は検査の結果を今か今かと待っている状態。先週はお昼頃、先生が来てくれたのでどこにもいかずに部屋で大人しく待っています。合格発表を待つ受験生かドラフト会議での指名を待っている野球選手のような気分です。自分では受験生ならA判定、ドラフトなら1指名確実と思っているんですけどね。入院用に持ってきた7冊の本、最後の1冊があと3分の1(150ページほど)残っています。あと2日で読み切れるかな。
2024年11月20日
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昨日のウォーキングでめでたく5千歩を達成しました!1日で5千歩ってたいしたことなさそうですけど、入院中の私が歩いたのはすべて病院の中。脊柱管狭窄症の手術をして明日で2週間。日増しに手術痕の痛みも和らぎ、寝転んでいるのも退屈になり、退院が近くなってきたのもあって足腰を鍛えるため歩くようにしています。おとといは4993歩と、あと一歩のところで(実際は7歩)5千歩達成を逃したので昨日は歩数をちょっと意識して歩きました。私は、脚が痛くないときは1万歩を軽く越えて歩いていましたが、痛くなってからは1日5千歩に目標を下げました。手術前はおもにショッピングモールをカートを押して歩いていましたが、脚の痛みもあり人混みもありでなかなか目標値には達しません。でも病院だと廊下がまっすぐに伸びていて歩くのには好都合です(実際リハビリ仲間もよく歩いています)。ただワンフロアーだけではたいした距離を稼げないので、私は上に行ったり下に行ったり。階の上下には階段を使うので、そこでも歩数が稼げます。昨日はこれ以外にリハビリで自転車こぎ(3~4kmに相当)もやりましたがこちらは歩数には反映されません。そんなこんなで、変な言い方ですがすっかり健康な入院生活を送っています。これもいくら歩いてもももやふくらはぎに痛みが出ないようにしてくれた手術のおかげ。手術には必ずしも100%の成功ばかりではなく痛みやしびれが残る人もいると聞いていましたが、こと私に限っては120%うまくいったように思います。感謝、感謝です。
2024年11月19日
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手術が終わって2日目です。手術当日はお昼頃に手術が終わって次の日の夜が明けるまで、さすがに身の置き所のない状態が続きました。でも手術翌日の昨日からリハビリが始まり一気に体が解放され気持ちも楽になりました。まずは車椅子に乗せてもらいそこからリハビリ室へ。最初は平行棒につかまってまっすぐ歩いてくださいと言われました。難なく成功。次は歩行器を使って歩いてください。これも問題なし。手術の翌日からいきなり歩いてもいいことになりました。動くときはいちいち看護師に頼んでいたのが、自分でできることが増えたのでは全然気分が違います。ただ抗生剤などの点滴や血液排出のドレインなどがつながっているため動くときは必ず看護師を呼んでついてきてもらうことが必要でした。さらに今日はこの2つの管、点滴とドレインが外れました。もうどこにでも自由に行けます(外はダメ)。歩行器ひとつあればどこにでも、と言ってもトイレに行くか歯を磨きに洗面所に行くくらいですけど。それでも気分は爽快。とくに点滴をしていることもあってトイレはしょっちゅう看護師さんを呼び出して行っていたので、自分一人で行けるようになって要らぬ気を使ったりおしっこを我慢したりする必要がなくなりました(夜中は尿器を使っていたのでまだマシでしたが)。そんなこんなでこれまでのところ、トータルでは快適な入院生活と言えるかも知れません。食事は手術直後の昼食を除いては全部普通に出ます。ただ、誰も助けてくれないので自分で横になったまま食べた手術日のご飯だけ完食できず75%で力尽きました。でもそれ以前も以降も出されたものはすべてしっかり(美味しく)いただいています。ちょっと量が少ないのが玉に瑕ですけど、1日中動いてないんだからこんなものかな。写真は今日のお昼ご飯。
2024年11月08日
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そんなわけで(どんなわけで?)今日、私は入院します。あさってが脊椎管狭窄症の手術です。ビビリの私は早めに各種の書類や持って行くものを昨日までに準備し終えました。それが意外と多い。入院する人は自家用車では行けないので、今日はこれからバスと電車、そして病院の送迎バスを使って病院に赴きます。しかし思ったよりも荷物が多くて、キャリーケースひとつで行くつもりがすべて詰め込むとあんまり重いので軽いものはリュックに分けました。徒歩5分、バス10分、電車5分、そして送迎バス20分。一番たいへんなのは坂道を上っていくバス停までの徒歩。Tシャツ、ワークパンツでリュックを背負ってキャリーケースをひきずりながら歩いている人を見ると、これから入院してあさって腰の手術をする人には見えないでしょう。知り合いに会ったら「どこかにご旅行ですか」と聞かれそう。とにかく、今日の奈良はいい天気でよかった。これで雨でも降っていたらこの大荷物に傘まで差してかなり難儀したはずです。私が入院し家に誰もいなくなるので息子が昨夜、先日亡くなった父の、納骨前の遺骨を預かりに来ました。じいちゃんを迎えに来るよりとうちゃん(私)を病院に連れて行ってくれた方がよかったのですけれども、彼も彼の奥さんも今日は仕事の日。私の方から「大丈夫、一人で行けるからそんなことで仕事を休まなくていいよ」と断ったときにはここまで荷物が多いとは予想していませんでした。ま、いいか。早めに出てえっちらおっちらバス停までの坂道を上ろう。幸い最近、歩くときに痛みがあまり出なくなってきたのでなんとかなるでしょう。なら手術を受けなくてもいい?いやいや、痛みが出なくなったと言ってもそれは普通に歩けるのとは全くレベルの違う話です。うまく歩けば10分やそこらは痛みを出さずに歩けるというだけでそれ以上はやはり痛くなります。それに日によっては最初から痛みがあるときもあるし、やっぱり普通とは全然違います。これが手術をしてすべて取れてくれればいいな。リハビリ、頑張ろう!
2024年11月04日
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昨日は久しぶりに歩いた歩数(「馬の競馬」的重複?)が5千歩を超えました。あまり趣味のない私ですが、ウォーキングやジョギングは毎日欠かさず行う、趣味とも言えるほどの習慣でした。それが1年あまり前に椎間板ヘルニアによる脚への痛みが出だしてから買い物などの歩行にも支障をきたすようになり、歩くことがグンと減りました。ひどいときは杖をついて歩き、痛みが少しマシになってからもショッピングカートやキャリーバッグを杖代わりにして歩いていました。それが昨日は何にもつかまらずに5千歩を超えて歩くことが出来ました。奈良のなかでは比較的大きなショッピングモールに行きました。ここに行くときはいつも入口でショッピングカートをゲットし中を移動する時はずっとそれを押して歩きます。階を上下するときも必ずカートを押しながらエレベーターを使い、ベビーカートを押すお母さんやお父さんとご一緒するのが常。なのに昨日は駐車場から建物まで歩いてもあまり痛くなかったのでモール内もカート無しで歩いてみました。カートなしでも割りといけます。歩き方に気をつけさえすればカートなしでも連続してずっと歩けました。モール内で歩いた歩数は4千歩以上。それでも痛みが出ないのは最近ではちょっとめずらしいかも。ふと、「これなら来月早々に予定している脊柱管の手術はしなくてもいいのでは?」という考えが浮かびました。でもすぐ考え直しました。これはめったにないことだし、どっちにしろそろりそろりと歩くのに変わりはありません。去年の前半までは痛みが出ることなど心配せずに歩いたり走ったりしていたし、痛みが出ないように気をつけて歩くモンキーウォーキングやちょこちょこ歩きなんかしていませんでした。背筋を伸ばしてまっすぐ立っただけで痛いので、立っている時は常に身をかがめた姿勢をしているのはやっぱり普通ではありません。昨日痛くならずに5千歩超歩けたのはたまたま。手術をして以前のように毎日1~2万歩あるけるようにならなくちゃ。
2024年10月22日
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私は11月になると手術を受ける予定です。去年から脚に痛みが出て日常生活もままならなくなりました。椎間板ヘルニアという診断を受け、ブロック注射を受けながら静かにしていれば引っ込むこともあると言われましたが、私の場合はそもそも脊柱管が狭くなっているのでそれだけでは治りませんでした。痛みが出だした当初はだましだまし暮らしていましたが、自然治癒はしそうもないので入院し手術をすることにしました。そしてそのための術前検査をいろいろとしたのですが、心臓の検査で引っかかりました。心臓についてはその昔、先天的奇形があるために心電図のデータに異常が出ると言われたことがあります。今回もそれだと高をくくっていたのですが、本当に問題がありました。端っこの血管に梗塞というのか血栓というのか、やや詰まりかけた部分が見つかりました。手術には問題ないということで、入院・手術は予定通りでいいとなりましたが、心臓に本当に問題があったことにはちょっとびっくり。定期的におこなっている血液検査ではコレステロールの値など、どの項目もいつも標準値なので心配していませんでした。一般的な血液検査だけではわからないこともあるのですね。でも逆に言えば、今回手術をすることになって検査をしたからこそ見つかった心臓の血管の詰まり。血液検査のデータにも自覚症状にも現れず気がつかなかった異常がこういう形で見つかったことはむしろラッキーでした。手術が終わってリハビリも済み、退院した後の12月に心臓カテーテルを行うことになりました。この際ですから体を一度オーバーホールして、元気な状態に組み立て直してもらいます。
2024年10月19日
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今日は近所の病院で検査を受ける日でした。受けるのは造影剤を入れた心臓CT検査。14:30に予約を入れていましたが、その前に心電図を取ったり点滴を刺したりするので30分前に来てくださいと言われていました。この病院は家から15~20分ほどで行けますが今日は別の用事を済ませてから行く予定にしており家を早めに出ました。別件の用が早く済んだので病院に到着したのはかなり早い13:20。いくら何でもちょっと早すぎると思い車内で20分ほど読書。13:40に病院の門をくぐりました。機械で再診受付をして、出てきた診察用ファイルを持って最初に行くように指定されていた心電図受付へ。ファイルを提出し呼ばれるまで待っていようとしましたが「すぐに出来ますから中に入ってください」と。心電図検査が5分ほどで済み、次は点滴をしてもらうための処置室へ。こちらでもほぼ待ち時間0ですぐに中に呼ばれました。点滴の針刺しも無事にでき、点滴コードをつけたままいよいよCT検査室へ。予約した時間より早い14:15。たまたま前の予約がなかったのかキャンセルになったのかは知りませんが、検査室に入るとすぐに検査台に寝かされました。そしてあれよあれよという間に検査開始。これが10分あまりだったでしょうか。最後は造影剤検査。熱くなると聞いていたので楽しみにしていましたが、一瞬熱くなっただけですぐに平常に戻ってしまいました。「こんなものか」とちょっと拍子抜け。このように各セクション前倒し、前倒しで私の初造影検査は滞りなく(あっけなく)終了。時計を見ると14:42でした。すべて終わったので会計にファイルを提出し、待つこと数分。これまた早く処理ができ、ゆっくり読書するまもなく私の会計番号が点灯し、料金を支払って領収書が出てきたのが14:49。駐車場に着いてから1時間半、院内に入ってから1時間20分で本日の診察(検査)は終了。かなりいろいろなことをしましたよ。なのにこの時間ですべて終わるとは。他に患者もたくさんいたのに、なんてテキパキした病院なんでしょう。しかも職員がみなニコニコしています。きっと患者ファーストの精神が浸透しているのでしょうね。ここなら入院するのが楽しみです。
2024年10月15日
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今日は朝のうち、病院に行ってきました。もう1年以上患っている椎間板ヘルニア。昨夏ごろ、走っていると突然脚に痛みがきてから、いろいろと治療はしましたが完治しません。保険適用の限度まで目一杯ブロック注射をしたりしましたが、痛みはぶり返し繰り返し、なくなることはありませんでした。まっすぐ歩くと痛くて腰を曲げたモンキーウォークでしか歩けない。それも長く歩くと痛くなる。1年経っても結局は元の状態からあまり変わっていません。セカンド・オピニオンを聞きに近くの病院に行きました。今日は先週受けた検査の結果を聞きに行きました。こちらの先生の診立ては椎間板ヘルニアというよりも脊柱管狭窄だろうとのこと。いずれにしろ脊椎のなかを走っている神経が圧迫され刺激されて、その結果神経の通っている脚やももなどが痛んでいるということ。ファースト・オピニオンとセカンド・オピニオンの病名は違ったけれど、手術が必要ということでは一致していました。話を聞き、即決で来月そうそうに手術をすることにしました。入院期間は2~3週間だそうです。思ったより長いけど、手術の翌日から歩行のリハビリを始めて日常生活に戻るにはそれぐらいかかるそうです。まあ、年齢のこともあるでしょう。若い人ならもっと早くに退院できるのかもしれません。手術をすると決めたら、実際にそれが可能かどうか今日、いきなりたくさんの検査をすることになりました。胸のレントゲン、腰のCT、心臓エコー、心電図、肺活量、血液検査、尿検査・・・急なことで予約もなしでそれぞれの検査には飛び込みで向かったのですが、各セクションがテキパキと検査を行ってくれて、手術すると決めてからすべての術前検査を終えるのにかかった時間は1時間半ほど。次の診察日時の予約、会計処理と実にスムーズに進み、今朝9時の診察予約から2時間半後には料金支払まで済ませ、お昼には帰宅していました。この病院を初めて受診した時は職員の親切さに感激しましたが、今日は要領のよさに星5つです。入院、手術が楽しみです。
2024年10月01日
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MRI検査を受けたときのこと。以前、病院でレントゲン検査を受けたとき、腰の写真を撮ったので技師さん(同性)に「ズボンを膝まで下ろしてください」と言われました。そのときは検査を急に受けることになったものでたまたま穿いていたヤバいパンツを技師さんに見られてしまいました。もちろんプロですから、パンツに関しては何もおっしゃらなかったけれど、こちらが焦りました。それで今回は地味な下着を選択。でも、着替えエリアはカーテンで仕切られていて下着を見られることはありませんでした。なんだ、心配することなかったか。それならまたあのレインボーTバックを穿いていても大丈夫だったんだ(穿きませんけど)。着替えも無事終わりいよいよMRI装置の中へ。私は閉所恐怖症ではありません。それにMRI装置は頭の後ろが開いていて閉所というわけでもありません。「腰の検査ですから30分かかります」と言われました。30分も静かにゴロンとしていると普通は眠くなります。でもMRIは耳元でガンガン音がしてうるさい。ガンガンといった爆音でも同じ音が続くと慣れてきますが、敵もさる者。いろんな種類の爆音を手を変え品を変えて鳴らしてくるので安眠を妨げられます。そこで30分間ずっと1秒毎にカウントをとって本当に30分かかるのか測ってみることにしました。バスケットボールの審判になったつもりで頭の中でずっと手を振っていました。暇でしょ。暇なんです、実際。装置に入ってからずっと秒数を数え続けました。爆音がやんで「はい、終わりました」といわれたときの手元の数字は22分30秒。思っていたよりちょっと早い。着替えエリアに戻り、はずしていた時計を見るとエリアを出る時から26分経過していました。カウントがゆっくり過ぎたかな。実際に手を振ってカウントするとだいたい正確に測れるつもりなんですが、今回は頭の中で手を振っていたので少し誤差があったかな。気がつきました。装置のなかでしばらく記憶を失っていた時があったことを。あの爆音でも私は寝ていたのでした。
2024年09月28日
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今日は先日の定期健康診断の検査結果を聞きにお医者さんへ。診察室に入った瞬間、お医者さんから開口一番「りっぱりっぱ。何も悪いとこなし」と告げられました。血液検査で異常値が出ることはめったにない私ですが、それでもこのところ椎間板ヘルニアにはなるし、体重も増加気味だし、心配すべきところは色々とありました。前回の検査では悪玉コレステロールの値が多少ヤバいところに近づいていたのもあるし、その前には一度尿酸値が高く出たこともありました。でも今回はそういうのは全部なし。きれいな数字が並んでいました。いつもはマイペースな生活をしている私が昨日は珍しく人と会食をし、その後もあちこち動き回ったりしたので少々お疲れかもと思っていましたが、検査結果を聞いてそんな疲れはすべて吹っ飛びました。このところ高齢の両親のことをはじめ何かと気をもむことがありますが私は健康、すくなくとも血液から見る限りは健康のようです。今の生活をもう少し続けていいよと専門家に太鼓判を押してもらった気分。もう少しこのままワガママにやらせてもらっていいかな。
2024年09月21日
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今日は半年に一度(かな)の内科検診、検査の日。昨夜は早めに夕食を済ませアルコールも我慢して、今朝は絶食、絶飲。いつもほぼ同じ時間に朝食をとるせいかきっちりお腹がすいてきたのをMLBの中継でごまかしていました。大谷の出番も終わったし、そろそろ出かけよう。ちょうど開院の時間になる頃だろう、と時を見計らってテレビを消して出かけました。いつも患者さんがまばらな町医者に到着。ドアを開けると先客が一人、会計を待っていました。早っ。着いてすぐに名前を呼ばれ診察室に入ると、あらま。MLBの試合、さっきの続きが映っています。前には診察室にテレビなんかなかったはずなのにいつの間にこんなことになったのか。この町医者さん、歳の割りに電子カルテの導入が早かったのでカルテ用のディスプレイにアンテナケーブルをつなぐことくらいお手の物かも。ん?ディスプレイは2台あったかな。ま、どっちでもいい。それにしても診察しながら野球観戦かい。今日は検査だけだったので別にいいけどね。それだけ暇なのかな。だいたいいつ来ても前後に客が一人いるかいないかです。ちゃんと客を見て「この人だったらMLBを見ていても文句は言われないだろう」と判断しているのかもしれません。私がドアを開けたとき会計を待っていたおばあちゃんだったら診察時にはテレビを消していて、次に来たのが私だったので「この人ならテレビ見ながらでも大丈夫」と思ってつけたのかもね。そんな気楽なつきあいが30年以上。私のことを知り尽くしてくれているこのお医者さん。やめられません。
2024年09月19日
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昨日も近くの運動公園トラックをウォーキング。9月といっても暑い那覇の平日昼間、お仲間もぽつりぽつりと見かけます。たいていは前期高齢者前後(かな?)。最近さぼらずによくやっています。一年前に椎間板ヘルニアになってから色々処置をしてもらったり行動に工夫を重ねてきましたが、なかなか完治しません。たぶんこれはお医者さんの言う通り「もう手術するしかない」のでしょう。それでも何とか杖を卒業し、何にもつかまらないで続けて1000から2000歩あるけるようになりました。それ以上歩くとどうしても足がしびれが出し、5~10分ほど休憩すると何ともなくなるのでまた歩く。その繰り返しです。歩く、休む、歩くの繰り返しでおとといは1万歩、昨日は7800歩あるきました。たいしたものだ→自分。以前ジョギングしていた頃は毎朝のTシャツにかいた汗が頑張った自分の勲章でした。毎朝9km前後走っていましたが夏でも冬でも走った後はシャツがびしょ濡れになります。それをランク1から4まで分けて頑張り具合を測っていました。最近は暑い夏に歩いてもランク1~2止まりが多かったのですが、昨日は久しぶりにランク3に届いたかな。足をきっちりと治してランク4のような、汗をかいたうえにもう一段汗をかくぐらい運動ができるようになりたいものです。
2024年09月04日
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相変わらず、毎日バナナを大量消費しています。庭でとれたバナナが多すぎて困るので、ふと思いついてジュースにしてみたところ大評判(自分に)。今朝も皮が黒くなってきたものから順に3本をジュースにしました。ジュース、というよりスムージーといった方が適切でしょうか。何となくザラついた感じもありますし。作り方はバナナ3本に氷と牛乳をミキサーで混ぜ合わせるだけ。写真は少し白っぽく見えていますが、肉眼で見るともう少し黄色みがあります。バナナ3本で作るスムージーはミキサーいっぱいとなり、大きめのコップに3杯分に。いつも同じだと代わり映えしないので、初日にやったようにアップルジュースを入れてみたり、ヨーグルトやパイナップルを入れてみたり、常温のバナナの代わりに冷凍したバナナを使ってみたりしてバリエーションを持たせています。でもあんまり水分を少なくするとミキサーが加熱して止まってしまったりして、あわてることもあります。実験もほどほどに、ですね。それに、やっぱり「氷+牛乳+常温バナナ」の正統派のスムージーが一番おいしいんですよね。
2024年08月28日
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椎間板ヘルニアによる脚の痛みが続いています。が、それを最小限に抑える動き方も少しわかってきました。痛みは歩き始めのほうがあって少し歩いたあとのほうが痛みは和らぎます。足の上げ方に工夫をこらして血の巡りをよくしたり、やや前かがみの姿勢を取ったりすると痛みが出るのを避けられるとわかってきました。それでも2、3千歩続けて歩くと脚がしびれ痛みが出てきて休憩が必要になりますが、健康維持のためのウォーキングとしてはそれだけ続けて歩ければ御の字。久しぶりの最高気温30度とミストのような小雨に誘われて、平城宮跡の周りを歩いてみました。痛みのなかった1年前によくジョギングをしていたコースです。夏休み期間とはいえ、平日のしかも小雨。近所の人が犬の散歩をしている以外はほとんど人影はありません。平城宮跡はほぼ正方形のかたちをしていて一辺が約1キロあります。それで平城宮跡のまわりを一周すると4キロ。ジョギングしていたときはこれを2周していました。しかし、さすがに今の脚の状態を思うと1周で十分。のはずが実際1周5500歩を歩いてみるとなんとなく物足りません。でもさすがに2周は多すぎる。そこでしばらく休憩したあと、別の場所を歩くことにしました。これも昨年まで時々ジョギングに行っていた、大和郡山にある大和民俗公園を1周。こちらは1周2キロで約3000歩。アップダウンがあってちょっと脚には負担がかかるコースですが、なんとか1周歩き切りました。そんなこんなで日常生活分も入れて昨日は歩数が1万歩を超えました。痛みが取れない割りによく歩けたと自分でも感心しています。でもなかなか体重には反映しないんですよねー。
2024年08月20日
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昨日もまたウォーキングが1万歩を超しました。3日連続です。おとといはショッピングモールでの歩行でしたが、昨日はちゃんと運動公園のトラックに戻った本来の健康ウォーキング。ショッピングモールだと脚が痛くなればショッピングカートにつかまれますが、公園のトラックにつかまるものはありません。痛くなるとベンチに座るだけの本格的歩行です。痛くなっては休み、痛みが回復すれば歩き、の繰り返し。昨日はそうやって、1回の歩行で痛くなって休むまでの距離が8~900mに延びました。考えてみるとよくこれだけ歩けるようになったものです。1ヶ月前は父の介護で和歌山の実家にいて、ほとんど歩かない(歩けない)生活をしていたのが嘘みたい。あの頃はトイレや着替えの介助などでかなり無理な姿勢をとっていてそれだけで脚を痛めており、それに加えて目が離せない人がいるためウォーキングしに外出するなど思いもつきませんでした。それが今は沖縄の青空の下でウォーキング、プラス朝夕2度の入浴とシャワー浴び放題。お陰で脚の痛みはかなり軽減し歩行能力も上向いてきています。杖なしで歩くことに少しずつ自信が湧いてきました。まだ歩き始めは痛かったり、ときどき脚が急な痛みに襲われてカクッとなったりするときはありますが、そのあたりさえ気をつけていれば普通の歩行ができる時間が多くなってきました。これも1日中暖かい(暑い、ともいいます)沖縄のお陰。沖縄は私の脚のリハビリにサイコーです。
2024年06月28日
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昨日に続き、今朝も自然落果した小さめのマンゴーを食べました。ヨーグルトに入れて食べましたが、十分に甘くて文句なし。ほとんど世話らしい世話もしてないのにこんなに簡単においしいマンゴーができるとうれしくなってしまいます。この程度のものは毎日食べても何ヶ月も食べられるぐらい一杯なってます。大きいのは孫らに送り、自分は小さいものを食べようか。昨日はもう一つうれしいことがありました。椎間板ヘルニアによる座骨神経痛の私ですが1万歩以上歩けたのです。5月はじめに父の介護に赴くまでは少しずつ痛みもとれ、続けて5百歩以上歩けていたのが介護での無理がたたって最近はまた振り出しに戻っていました。杖無しでは続けて20~30歩程度しか歩けません。体重も最近は増えてきていたので「こいつはよくない」と昨日思い切って近くの運動公園(健康体で徒歩15分)に歩いて行ってみることにしました。歩き始めて程なく痛くなりすぐに後悔。足を引きずりながら道端のベンチに腰掛けて休み休みようやく公園に着きました。そこでじっくり休むとあら不思議。脚が痛くありません。そこから痛みを出さずに千歩近く歩けたではありませんか。介護を始める前と同じくらいか、それ以上に歩けています。3日前は平和祈念公園に行き駐車場から平和の礎まで行くのに杖をつきながら随分時間がかかったのに、昨日は杖もなく軽々と女性の平均速度ぐらいの速さで歩いている私がいました。健康だったときの倍以上の時間をかけて帰宅したときは汗びっしょりになっていました。かつてジョギングをしていたころよく汗かきのレベルを自分なりのTシャツの濡れ具合の尺度で測っていましたが、昨日は久しぶりにレベル2とレベル3の間、レベル3に近い汗をかいていました。今日も快晴の沖縄の空の下、汗をかきにいってきます!
2024年06月26日
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今朝、自分に以前のような気力が戻ってきているのを実感しました。といっても当たり前にするべきことを当たり前にできるようになった、というだけのことですが。朝起きて、ルーティーンの朝食の準備から朝食をとって後片付け、歯磨きなど。これを当たり前にやっている自分をみて、昨日まではひとつひとつ休みを取りながら気合いを入れてやっていたことに気づきました。それが今日はとくに途切れることなくスムーズに進められています。さらに燃えるごみを出し、新しいゴミ袋をセットし合間には干してあった布団を取り込みカバーをかけ虫よけボトルの交換も。布団カバーや虫除けボトルなどはやり始めれば数分で済むことなのですが、何となく面倒くさい気持ちが勝っていつでもできるのに今まで放置してありました。洗濯にしても、セットしたり干したりするのはどれも数分で済むことばかりですが、つい面倒になって溜めてしまっていました。それが今朝は一つ仕事を終えても次から次へとやる気が起きてきます。3月下旬から父の入院と姉の入院に伴う両親の介護、そして母の入院に伴う父の介護、と和歌山の実家生活が続きました。両親が高齢者施設に入り、私の介護生活が終わったのが十日前。終わると同時に奈良に戻り、ほどなく沖縄に戻ってきました。これで誰かを介護する生活は終焉を告げたのですが、慣れない生活の疲れが溜まっていたのでしょうか。そんなに大変な生活を送っていたとは思っていなかったのですが、介護中心の生活はやはりどこかで無理を強いていて体力も気力も減退させていたのですね。ようやく普通の生活が当たり前にできるようになり今になってそのことに気づきました。これからはまたわがまま生活に戻るぞ、と気力を込めている私です。
2024年06月24日
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1ヶ月前の、沖縄に来てからのブログを見返してみると椎間板ヘルニアで傷めた脚の調子がいいと書いてあります。5月7日から12日にかけてどんどん普通に歩けるようになってきており、運動公園のトラックを1周痛みが出ることなく歩けたとか浦添ようどれ(昔の王様のお墓)にも上れたと記されてあります。その後も買い物に行ったり、イノー(巨大な潮だまり)に行ったり、日記には書いていませんが宜野湾のトロピカルビーチで波打ち際を散歩したりもできました。それが大きく変わったのが5月13日の母の骨折、入院。私は父の介護をするため急遽本土に戻りました。そして1ヶ月あまり。日々の買い物でスーパーに行く以外は父とのほぼ屋内での生活。万歩計が示す1日の歩数も千歩や2千歩台。その反面、室内では細々とした動きが増え、父の世話などで無理な姿勢をとることが増えました。そのため痛みはすっかりぶり返し、脚の調子は一気に悪化。実感としては1ヶ月前沖縄にいた頃よりも前にもどってしまいました。1ヶ月半前の日記を見ると痛みを出さずに千歩程度歩けたとありますが、今は百歩もあるけば痛みが出る始末。沖縄にもどって来て今日で5日目。痛みの回復をはかりながら毎日少しずつ歩く距離を伸ばしています。ここ数日は当面の目標の1日5千歩をクリアーできるようになりました。と言っても痛みを我慢してクリアーしても意味がないので、どうすれば痛くなくたくさん歩けるかを工夫しながら歩いています。母も骨折してから再び歩けるようリハビリを頑張っていますが、私もいまは言わばリハビリ中。98歳と競争です。
2024年06月20日
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私より数歳年上の方の訃報。これまで人一倍元気だった人なのでびっくり。20年ほど前から若い人を連れて山の中にある彼の実家で合宿し、彼からは森林伐採などの指導を受けてきました。子どもの頃から山の中で育った彼は歩くのにも困難な山の斜面をスイスイと上り下りして、私たちに間伐の仕方を教えてくれたりまた奈良県の林業の盛衰についてお話をしてくれたりしてきました。最近はリタイヤしたあと、学童保育の指導員をし孫の保育所の送り迎えを楽しんでいる、と聞いていたのに。体調を崩したという話もほとんど聞いたことがありませんでした。今後の人生についてもあれこれ夢を語ってくれ、まだまだすぐに旅立つ予定はされていなかったと思います。家族にとってもまさに青天の霹靂だったようで、後のことは何も聞かされずに逝ってしまわれたとのことでした。早速困ったのが各種パスワード類。銀行やクレジットカード等はそれなりの手続きをすれば時間はかかっても処理できますが、パソコンやスマホはパスワードが分からないため開くこともできず、親類や地元の人以外は亡くなったことを誰に連絡したらいいのかがなかなか分からなかったそうです。私が彼の死を知ったのも4ヶ月も経ってからのことでした。私も親が亡くなることは現実として考えますが、自分自身がすぐにどうこうとは全く考えていませんでした。パソコンやスマホの開き方ぐらい子ども達に教えておいた方がいいのかなあ。でも死後は仕方ないにしても生きているうちにあれこれ見られるのはちょっと恥ずかしいというか、イヤだしな。パソコンやスマホだけでなく、今は各種のIDやパスワードを数多く所持し、管理しています。それを全部教えるのも教えられるのも、どちらも大変な労力です。考えていると頭が痛くなってきました。ま、何とかなるだろう。まだ死なないだろうし(全然教訓になってない)。
2024年06月19日
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3日前の日記に間欠性跛行(かんけつせいはこう)のことを書きました。間欠性跛行とは一定の距離を歩くと脚がしびれたり痛くなったりしてそれ以上進めなくなる症状を言います。ただ、少し休むと回復してまた一定の距離が歩けるようになります。よほどの健脚の人でない限り誰でも一定の距離を歩くと足が疲れるものですが、この症状がある人は「一定の距離」が数mだったり数歩だったりと極端に短くなります。3日前、私の「一定の距離」は現状で500~600mだと書きました。でもここ数日でさらに距離が延びました。昨日「脚が痛くなるまでどれくらい歩けるだろう」と、近くの運動公園に行ってトラックを歩いてみました。すると痛くなるのは1000歩前後、距離にすると700m前後でした。痛くなってどうにも歩けなくなるのは普通にはそう起こることではありませんが、家の中はもとよりショッピングなどでもずっと700m歩きづめということは滅多にあることでありません。普通の生活にはあまり支障が出ない状況になってきました。でも、歩けるようになることで期待していたもう一つのことはまだまだ実現していません。それは体重の減少。元々5年前にジョギングを始めた動機は体重を絞るためでした。実際に効果てき面で3、4年で4キロぐらい減り「シュッとした」と褒めてもらっていたのですが・・・昨年脚を傷めてからは体重がリバウンド。走り始める前に戻ってしまいました。増やすは易く、減らすは難しです。運動せず食べる量は変わらないので当然ですが、何としてもまた走れるようにならないと好きなものも食べられません。
2024年05月12日
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最近脚の調子がいい私。調子に乗りついでに昨日は近くの運動公園のトラックを2周してきました。1周850mなので1.7kmになります。もちろんジョギングではなくてウォーキングなんですが。半年ほど前に椎間板ヘルニアになってからは杖をついたりカートにつかまって歩いたりと、ずっとおとなしい生活をしていたので、こんな日が来るとは想像していませんでした。もっとも昨日もトラックを1周もしないうちに脚はしびれ、痛くなってきました。そのうちだんだん脚の感覚がなくなってきましたが、何とかがんばって1周してからベンチで休憩。間欠性跛行(かんけつせいはこう)とは一定の距離を歩くと脚が痛くなり、休むとまた動けるようになる症状を言います。まさに私の症状がこれにあたり、脚が痛くなっても少し休めば何ごともなかったかのようにまた普通に歩け、少しするとまた痛くなる、を繰り返します。座っている限り脚は痛くなく、痛くない状態から立ち上がって歩くと最初は杖もなしで歩けます。でも一定の距離を歩くとどうにも痛くなり座り込んでしまいます。この「一定の距離」が最近は大幅に伸びました。一番ひどいときの「一定の距離」は数歩でした。でも昨日は数百m歩いても痛くならず「もう痛みは出ないんじゃないかな」とさえ思いました。実際は5、600m歩くと痛くなったのですが、それでもひどかったときに比べると百倍ぐらい痛くならずに歩けています。すごい進歩です。もう歩行に杖は要らないし2、30段の階段なら普通に上り下りします。エスカレーターもしんどくてエレベーターを探していたのが嘘みたい。でも1年前はこのトラックを10周分、走っていたんですよねー。いつかまたそうならなくちゃなー。
2024年05月09日
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最近なんとなく脚の調子が上向き気味。昨日はマンゴーの袋掛け(ネットかけ)をするのに背を伸ばしても大丈夫でした。数十個の袋掛けをした後もしびれや痛みはほとんど出ません。蒸し暑いなか、蚊に刺されながら袋かけをしていたら汗だくになりました。でも気持ちのいい汗です。シャワーを浴びた後まだエネルギーがありそうなので久しぶりに首里城に行くことにしました。2019年11月に全焼した首里城は、2026年の正殿復元を目指しています。今回の復興はそのプロセスを見せる形で行われているので、見学者はどこまで再興できているのかを確かめられ、私も年間パスを購入しときどき復興具合を確かめることにしました。ところが、半年余り前に椎間板ヘルニアを発症し、あの坂道と階段だらけの首里城は私にとって難攻不落の城になってしまいました。それでも行ける限りは杖をつきながら登ったりもしているのですが、昨日は杖無し登城にチャレンジしました。途中で痛みが出てきたのも想定範囲内。少し座って休めば大丈夫。ほとんど出来上がった新しい城の屋根の様子を見た後は東のアザナ(あがりのあざな=展望台)にのぼって遙か彼方を見渡しました。下山した後もまだ脚は大丈夫。その後、本屋に寄り買い物をして帰宅しましたが、しびれや痛みは最小限に抑えられています。またひとつ自信が積み重なりました。この調子だと首里城とともに、いやそれより早く復活できるかも。今日は近くの運動公園に行ってみるつもりです。一年前は毎朝ここを走っていたのです。今日のところはウォーキングにしておきますが、なじみ深いコースを歩いて回ればそのうちジョギングもできるようになりそうな気がします。
2024年05月08日
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歩くのがいいのか、おとなしくしているのがいいのか。今どちらが私の足腰にいいのでしょう。椎間板ヘルニアを罹患した当初は医者に「とにかくおとなしくしていること」ときつく言われ、ここ半年はそれをよく守り日常生活でもできるだけ何もしないでいました。でも最近は多少歩いても痛みが出なかったり、痛みが出ても割りとすぐに引っ込むようになってきて、先日1日8千歩あるいたときも痛みが短期間でおさまり、歩くことに自信が戻ってきました。このところ毎日歩いています。モールが中心だったので昨日は自然の中を歩くコースを探してみました。奈良にいくらでもあるお寺や子どもが遊べる公園などあちこちあたってみましたが、お寺は駐車料金が必要です。駐車場代としてはそんなに高くないのですが、単にウォーキングするために500円も千円も払いたくありません。駐車無料の子ども向け公園は歩ける距離が短か過ぎます。たっぷり歩けて駐車場代の要らないところはないかと考えていたら、ありました。郡山市の県立大和民俗公園。一周2キロ強のコースは散歩やジョギングに最適です。ここは家から車で15分と近いし、駐車代は無料です。以前は毎日のように訪ねてはインターバルジョギングで4周まわっていました。アップダウンもあって今の私には負荷がきついコースかと思いましたが、行ってみることにしました。四季折々の花を見ながら走れるこのコース、いまはツツジの満開です。家族連れや老夫婦とすれ違いながら歩いていると、今の私にはきついかもと思ったコースも余裕で一周できました。朝早く走っていたのは数年前までですが、いつも同じ時間に行くので同じ顔ぶれに会っていた記憶が蘇ってきました。早春には梅が梅雨時になればアジサイが満開になります。ジョギングの途中で、そこここにある東屋で休憩したり移築された旧民家を見学したりしたものです。昨日も本を一冊持っていったので、休憩しながらの読書も進みました。かつて元気に走っていたコースを歩いていると、またあの頃のように走れる希望と勇気が湧いてきました。
2024年05月05日
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昨日も8千歩以上歩きました。今朝は起きてから脚が張って張ってたまりません。歩くのは椎間板ヘルニア克服にはいいことなのか悪いことなのか。でもブロック注射をしてもなかなか痛みが取れなかった数ヶ月前に比べれば、痛みは少しマシになってきています。休み休みではありますが、杖なしでこれだけ歩けるようになったのは前には出来なかったこと。昨日は奈良公園に行く予定でしたが、平日無料の駐車場が一杯だったのでショッピングに予定変更(基本おケチです)。近くのモールに行ってウォーキングがてら買い物をすることにしました。成果は夏物のシャツとズボン、靴、本屋さんでの立ち読みと和箪笥用の防虫剤を買って最後はグローサリーショッピング(要するに食料品の買い出し)。お買い得品を探して2つのモールを巡ったのでそこそこの距離歩きました。結果、やはり痛みが出ました。でもそれは立ったときだけで座っているとすぐに痛みは消え、しばらくは痛みなしで動けます。寝起きが一番痛かったようで、起きて動いているとだんだん脚の張りも少なくなってきました。これまでは医者の言いつけ通り、出来るだけ大事に大事にしていたので1日2千歩も歩きませんでしたが、実際動けるのなら動いて筋肉を鍛えた方がいいのかなと迷い始めています。まだまだ疑心暗鬼ですが歩けなくなるほどひどくはならないようなので、今日も歩いてみよう。
2024年05月03日
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このところ、急に脚の調子が良くなった気がします。椎間板ヘルニアで座骨神経痛に悩まされている私。昨夏からジョギングも中止し、それまで1日平均1万5千歩以上歩いたり走ったりしていたのがこのところは歩行計の数字が全く進んでいません。1日平均1000歩からよくて1500歩。そのため5千歩以上は歩かされる2ヶ月に1度の美容室行きは苦行以外の何ものでもありませんでした。何せ奈良から兵庫県まで電車とバスを乗り継いで2時間半かけていくのですから。昨日が2ヶ月目のその日でした。4ヶ月前のそのときは電車で座席に座れず、死ぬかと思いました。駅に着いても美容室までの道のりが永遠に感じました。それで2ヶ月前は中身が入っていない旅行用キャリーバッグをお供にし、いつでもどこでも座れる体制をとって出かけました。ドラえもん風に言うと「どこでも椅子~」です。住宅街の道ばたでキャリーバッグに腰掛けている変なおじさん、それが私。昨日はキャリーバッグの代わりにキャンプ用の折りたたみ椅子を持参しました。キャリーバッグよりはちょっとはマシ?でも住宅街で一服している姿はやはり変ですね。その椅子を一度も使いませんでした。3日ぐらい前から急にあまり痛みを感じずに歩けるようになってきたのです。これまで歩行時には杖やカートを頼りにしていましたが、それらがなくても歩ける距離と時間が長くなってきました。これまで1日2千歩も歩けばよく歩いた方だったのがおとといは6千歩超、昨日はなんと8千歩以上歩けました。「もしかしてこのまま治っちゃう?」と思ったのもつかの間。さすがに今朝は脚のハリが半端ありません。久しぶりに歩行困難状態になりましたが、座ると一瞬にして痛みは消え尾を引きません。この回復ぶりはこれまでになかったこと。これなら休みやすみだと今日も5千歩以上は歩けそうです。そろそろ回復期に入ったのでしょうか。これまで1日の生活の中心にジョギングやウォーキングを据えていた人なので、回復の兆しが見えてきたのは嬉しい限りです。久しぶりに奈良公園にでも行けそう。ま、無理はせず折りたたみ椅子も持参ですけど。
2024年05月02日
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実家に両親のプチ介護に来てから間もなく3週間。椎間板ヘルニアが少しずつ脚に響いてきました。脚が痛いので何もしない、できない、という条件で姉が入院している間、私が代わりに実家に来ました。洗濯や掃除はヘルパーさんに任せ、食事は配食サービス。私の役割は両親の見守り。何かあったときのレスキュー隊員。と思っていましたが、何もしないつもりでも色々とやることはあるものです。いればいるほど仕事は増えます。ヘルパーさんに頼めない私の食べ物の買い出し。ご飯炊きは母に任せておくと水加減のかなり多いご飯を「誰が食べるの?」というくらいたっぷり炊いてくれるので先回りして私が必要量をセットします。お茶を沸かすヤカンも3人分となるとそこそこ重さがあります(医者に重いものを持ってはいけないと言われています)。父に薬を飲ませるのは時間がかかり、立ちっぱなしの脚に負担がかかります。そして今朝はゴミ出し。ひとり暮らしだとゴミはわずかですが、両親といるとおむつも入っていて重い。これ、椎間板ヘルニアの人は絶対持ってはいけないやつです。ゴミ置き場までの30mを買い物カートに乗せて往復。「何もしない」つもりがあれやこれやと脚に負担のかかることは少なくなく、じわりじわりと体に負担がかかってきました。普段ひとりでいるときはいかに生きていくための最低限のことしかやっていなかったかがよく分かりました。
2024年04月11日
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十日ほど実家に帰省していて大幅に増えた体重。奈良に戻ってきて帰省前の水準になりました。食事の量はそれほど変わりませんが、ショッピングモールの中を散歩しているのが大きいかも知れません。椎間板ヘルニアを患ってかかった医者には「できるだけ大人しくしておかないと、ヘルニアがまた飛び出す」と脅され、いや忠告をいただいています。それで重いものは持たないようにして、歩くことも極力控えて静かに静か~に生活をしてきました。でも、そろそろリハビリ期に入ってきたように思います。いまでも脚の痛みやしびれはあり長い距離を普通にあるくことはできませんが、ショッピングカートやキャリーバッグにつかまればある程度の距離を痛みなく歩けるし杖をつきさえすれば何とか歩を進めることはできなくはありません。これまでは財布などの入ったほんの数キロのショルダーバッグを肩からかけるのも重くて無理でしたが、ここ数日はそぉっと掛けてみて痛みが出ないので数ヶ月ぶりにショルダーを携えて買い物をしています。杖をついてモールを散歩できるようになり、体重が徐々に減少してきました。帰省中は一日の歩数が千歩を越えることはなかったのですが、いまは一日2~3千歩を数えるようになり昨日は久しぶりに4千歩を越えました。これで痛みが出ていないのは本当に嬉しいこと。もっともほんの1年前は毎朝9キロ走り、歩数計は一日2万歩を記録していました。嘘みたいです。体重も今より4キロ近く軽く杖で散歩が出来るようになったなんてささやかな喜びに過ぎませんが去年は去年、今年は今年。これからリハビリお散歩を楽しんできます。
2024年03月22日
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十日ほど実家に帰っていて、奈良に戻って体重計に乗りました。なんじゃこらー、と驚くほど増えていました。ここ数年見たことがない数字。バリバリと仕事をしていた頃は運動する機会もあまりなく増えるに任せていたことがありましたが、その頃を思い出すような数字です。3年ほど前からは定期的に運動して順調に体重を減らし、1年に2~3キロずつ落としていたので久しぶりに会った人には「シュッとした(関西弁)」と言われていたのですが・・・。実家にいた十日間、三食しっかり食べて家事もせず家も出ず、毎日千歩も歩いてなかったからなあ。仕方ないと言えば仕方ないと言えなくはないのですが、その間アルコールも全く飲まなかったので、もしかして減っているかもとちょっと期待しながら体重計に乗ったところ結果は正反対。「なんじゃこらー」でした。定期的に運動を始めた時より前に戻っている。「シュッとした」と言ってくれた人に今度会ったら何と言われることやら。「プーさんみたい」と言われるかな(昔、別の人に言われた経験あり)。脚が痛いので運動は出来ませんが、歩いていなかったのに体重だけ増えて何か損した気分。またダイエット頑張らねば。
2024年03月18日
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姉から高齢の父が入院したと連絡があり急遽帰省することに。実家には母がひとりになり、いつも介護を頼っている姉も体調が整わないために私に白羽の矢が立ちました。とは言え、私自身も脚の痛みをかかえた半病人です。そこで私の息子に片道4~5時間の道を送ってもらいました。ただ、実家の近くでは民間初のロケット打ち上げがあり(結局、延期になったけど)息子は物見遊山気分で子ども(私の孫)をつれて来ました。そのため色々と予定外のことが起こり、私の体には普段よりも若干の負担がかかってしまったようです。自分の車で来なかったために姉に車を借りることになっていましたが、その姉自身が今度は「やはり自分も車を使いたい。いつも使っているのがないと不便」と言いだしたので(その気持ちは分かります)私は一体どうすればいいの?状態に。こちらとしても買い物などに車は必須。結果的に自分の車で来るのが正解だったと思わざるを得ません。そんな、なんだかんだがあって痛みが増してきています。正直、これはちょっとやばい。父の回復の兆しだけが救いです。
2024年03月10日
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今日は3ヶ月に一度の歯科定期健診の日。朝一番の予約を取っていたので先ほど行ってきました。とくに問題なし。歯科衛生士のお姉さんからも歯磨きはよくできているとのお墨付きをいただきました。それはそうでしょう。歯磨きは毎食後、15分ほどかけて行っている暇人ですからね。まず歯間ブラシと電動ウォーターピックで歯の間の食べ物カスを取り、それから電動ブラシを使います。その後手動のブラシに持ち替え、ここで初めて歯磨き剤を使って一本一本丁寧に磨くのでそれぐらいの時間がかかってしまいます。電動歯ブラシまではテレビを見ながらゆっくり磨きます。「ドラえもん」なら1話ぐらい最初から最後まで見られそう。歯磨きはゴシゴシせずソフトにやっているつもりですが、さらにソフトにするため「鉛筆持ち」を勧められました。健診の合間に壁の啓蒙ポスターを見ました。日本人は歯の健康に対する意識がとっても低いと書いてありました。70歳時点でスウェーデンやアメリカでは20本以上の歯が残っているのが普通だけど日本人は平均8本しか残っていないとか。最近は「8020運動」などといって80歳で20本以上残そうという運動が行われていますが、まだまだ意識は低そう。そういう私も以前は意識が低かったので現在24本しか残っていませんが、今の歯医者さんに出会ってからはこの数が維持できています。これまでの歯医者さんは虫歯治療が終わると「はい、さようなら」となり、次に伺うのは新たな虫歯が出来たときということが多かったですが、今の歯医者さんはこうして定期健診を促してくれ、少しでも変化があるとすぐに衛生士から歯科医への連携をとってくれます。今は予防医学の時代。歯の健康が体全体の健康に直結しているからこそ、歯科医にはその先頭に立ってもらいたいものです。
2024年03月05日
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薬の効果はたいしたもの。そんな当たり前のことを最近、実感しました。私は高血圧気味で、長い間降圧剤を飲み続けています。飲み忘れることもほぼなく、おかげで服薬を始めてから血圧は上も下もずっと正常な値で安定しています。それ以前は上が150超、下が100超なども普通でしたが自覚症状もなく放っていました。あるとき献血で事前検診を受けた医者から「高血圧は放っておいてはいけない。一度医者にかかりなさい」と言われ一念発起して(それほどのこともないか)受診しました。診断は当然、高血圧。それからずっと薬を飲み続けてきましたが、先日服薬が途絶えてしまうことがありました。飲み始めがいつかよく覚えていませんが、もう十年以上にもなるでしょうか。国内でも外国でも旅行にいくときはいつも血圧計と降圧剤が旅の友。それが先日、色々な手違いで十日ほど服用できない期間がありました。「ま、こんなに長く飲んできたのでそれくらい大丈夫だろう」と甘く考えたが大間違い。服用しないことが見事にこんな結果に表れました。服用期間はほとんど警告線(赤線)より下ですが、中止期間は下がほとんど赤線上になっています。上もときどき赤線を突破しています。それが服用を再開すると上下とも赤線よりも下に戻りました。薬の威力ってホントすごい。降圧剤がちゃんと効いていることが分かり、これからも飲み続けようと心に誓った次第です。
2024年03月01日
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昨日、何十年ぶりに熱を出した私。一日中、どこにも行かず家の中で寝ていたら治りました。おとといから昨日にかけての夜中は粗相が怖くてガスも出せず、催すたびにトイレに行っていました。案の定、行くたびに水のようなのが出ていましたが、それも昨夕頃には止まり、粗相の心配をせずに出したいだけオナ〇を出すことができるようになりました(びろうな話で失礼)。熱も下がり今朝の体温計は平熱を示しています。というか、何度測っても34度とか33.8度とかなんです。長男が子どものときに電子体温計というものができ、これは便利と我が家でも購入してからずっと同じものを使っています。そろそろ40年前後使ってきたということになります。いまメーカーのサイトを見たら電子体温計の耐用年数は約5年だと書いてありました。道理で液晶も薄くなり、ケースも本体もあめ色になって、元々の色を思い出せないほどになっているわけです。しかも我が家の機種はごく初期に発売されたものですし、電池を替えた記憶もありません(替えられるのかな)。この体温計で測った昨日の私の体温は一番高いときで37.5度でした。私の平熱は36度前後。家で測ることはめったにありませんが、コロナ禍が広まってからは医者をはじめあちこちで熱を測ることができるようになり、そこでは35度台後半から36度半ばの数字が表示されることがほとんどです。なので自分の平熱は36.0度程度だろうと思っていました。しかし今朝は34度を示しています。これは古~い体温計のせい?うちの体温計は古すぎて正確な測定ができなくなっているのかも知れませんね。平熱が1~2度低く出ていますから・・・ということは、昨日の体温は37.5度と出ていたけど実際は38度から39度あったということかも。それならあのしんどさも分かるというもの。私は37度台前半の微熱にも弱いのかと思っていたけど、もしかしたら昨日は38度や39度の発熱だったのかも知れない。あとで体温計を買いに行ってきます。
2024年02月09日
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何十年ぶりに病気になってしまいました。椎間板ヘルニアはあるのですが、あれはどちらかというと怪我。コロナにしろインフルエンザにしろ生涯一度もかかった記憶のない私はお腹も丈夫、熱も出さない、風邪一つひかない暮らしを長く送ってきました。が、昨夜はお腹の調子が悪くて夜中に目が覚めトイレに行きました。トイレに行くまではそれほどひどい症状だとは思わず、「ちょっとお腹が痛いな」と思っていた程度だったのですが・・・。トイレで一旦「ふた」を外してしまうとその後は堰を切ったように止まらなくなりました。出るのはすべて液体のみ。原因は分かっています。昨夜はあきらかに飲み過ぎ、食べ過ぎました。たぶん許容量を超えていたのでしょう。これまではあの程度ならなんとかお腹が持ちこたえていましたが、トシのせいもあるのか今回は持ちこたえられなかったようです。今後は無茶をせずに少し控えろという体からのメッセージでしょうか。トイレ通いは夜中から朝まで続き今日は朝から絶食。胃腸薬を飲んだらお腹は落ち着きました。でもなんだか熱っぽい。ビンテージものの、あめ色になった体温計を探し出し測定すると。一度目はエラー。新しいのが要るかなと思いつつ二度目にトライすると37.4℃と表示されました。こどもなら平熱の範囲かも知れないし、おとなでも微熱ですませられる温度でしょう。でも常に36.0℃前後を示す私にはちょっとした高熱。朝から水分だけとって生活しています。でも今日はゴミの日。たくさん溜まっていたのでそれだけ捨ててきました。あとはもう、どこにも行かず1日中寝ていることにします。
2024年02月08日
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近ごろ不思議なことに、これまで近かったトイレが遠くなりました。私は寒い時期になるとトイレにしょっちゅう通っていました。学生の頃には休憩時間まで持たず「先生、おしっこ」と手を上げることがよくありました。働き出してからもそれは変わらず、夏冬関係なく夜中も必ず1、2度はトイレに目が覚めていました。半分本気でノコギリヤシとかを考えたこともあります。トシをとってさらに頻繁になり、体重が増加して膀胱が圧迫されるからかなと思っていました。それが数年前からジョギングの成果で体重が減り、トイレ通いも減りました。やっぱり膀胱の圧迫がとれたからだと信じていたのですが、その推論があやしくなってきました。というのも、椎間板ヘルニアを患ってこの半年、ジョギングをしなくなってあっという間に体重が元に戻ったのにトイレの回数は増えていないのです。夜中トイレで起きることもなくなり、関空-那覇の機内(3時間拘束)でトイレに行くこともなくなりました。一体なにが変わったのか。原因が体重でないとなると、思い当たる節はありません。トイレが近いのは母譲りのようで、母は今も「夜中に1時間おきにトイレに起きる」と言っています。昼間はそれほど頻回にトイレに行かないのでちょっと盛っているところはあると思いますが、何度も目覚めるのは事実。頻尿は家系かと思います。姉も結構近いし。ただ、そうだったはずが私だけなぜか治ったんですよね。このトシになって遺伝子が変化した?
2024年02月02日
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スマートウォッチによると昨夜の私の睡眠時間は10時間16分。乳幼児並みの睡眠時間です。10時前に寝た私の目が覚めたのが7時45分。朝から忙しくする理由のない生活をしている私はよほどのことがない限りアラームをかけない生活をしていますが、それにしてもこんなに寝るとは、びっくり。普段は7時間半から8時間程度の睡眠が普通なのですが、昨夜はどうしてこんなに寝たのでしょう。若く元気な人は目が覚めることなく長く寝られるそうですが、私も若返ったのでしょうか。そう言えば最近は夜に目が覚めてトイレに行くことも少なくなりました。悪いことではないと思います。が、目覚めずに10時間以上って・・・そのうち永遠に目覚めなくなりそう。昨日は特別なことをしたわけでもなく、歩数も通常通りの3000歩あまり。脚が痛くなってからは割りと歩いた方ではありますが、疲れるほどではありません。ひとつ思い当たることと言えば、昨日は晩酌をしなかったこと。お酒を飲んだ日は寝落ちしたりしてよく寝られるような気がしていましたが、眠りは浅いのかも知れません。そう言えば数日前も飲まずに寝たことがあって、そのときも朝の起床が遅く10時間近く睡眠をとっていて、目が覚めて時計を見てびっくりしたことがありました。誰にも起こされることなく、起きなければいけないこともなく、好きな時間に寝て好きな時間に起きる生活。こんな生活ができるのはありがたいことです。ただ、就寝後にときどき友人、知人から送ってくるLINEに起こされることがあるのだけが悩み、というほどでもない悩みです。現代の生活で9時台や10時頃に寝ている方がめずらしいんでしょうね。ま、しかたない。
2024年01月18日
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本日はトイレの話。最近は男性も小用を座ってする人の割合が多くなっていますが、私もまさに座る派です。ただ、買い物に出たときのお店のトイレや空港、駅、図書館など公共の場所のトイレは立ってする派に変身します。混雑している空港のトイレなどですと「大」用の個室がふさがっていることも多いですし、たしかに立ってする方が早くて面倒がありません。自分で掃除をするわけでもないので飛散で悲惨な目に遭うこともありません。ただ私はいま椎間板ヘルニアを患い脚を傷めているため、立ってするには多少痛みを伴います。そこで役に立つのが小用便器を取り囲むように設置されたフレーム。小用便器が並んでいるトイレの端っこに1個だけ、アリバイのように設置されたフレーム小用便器があります。実はあれがあるとないでは全然ちがうんです。自分自身、脚を傷めるまで正直あのフレームは松葉杖をついた人用だと思っていました。私は松葉杖をついていませんが、フレームに寄りかかることで脚への負担を減らして痛みを減らせることが分かりました。そんなわけで現在、外のトイレを使用するときは積極的にフレーム付きの便器を利用させてもらっています。ただ、あれはどこにもほぼ1個しかありません。ふさがっていることは少ないのですが、その隣を使用している人は多いです。フレーム付きは出入り口に一番近いところにあるので、人の心理として「フレーム付きは障害のある人用だろうからそれは避け、その隣へ」となるようなのです。さて男性が小用の便器を選ぶとき、できるだけ隣り合わない便器を選ぶのが一般的パターンです。5つ小用便器が並んでいるとして一番右がフレーム付き、先客が右から2番目を使用中。となると、次に来た健康な人は左から2番目か左端を使うことが多いと思います(他には「客」がいない場合)。でも脚が痛い私は右端を選ばざるを得ません。そうなると、先客には5つ便器があるのになんでわざわざ隣へ?と疑問を持たれそうじゃないですか。これがギプスを巻いて松葉杖をついていたりすると一瞬で納得できるのですが、丸腰の私はあらぬ誤解を受けそうで心配なのです。男性の皆さん、フレーム便器の隣ではなく一つ以上空いた小用便器を使ってくれるとうれしいです。私も脚が治ったらそうします。またトイレを設計する皆さん、フレームは1個でなく2個、あるいは全部に設置してください。
2024年01月17日
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今日は2週間ぶりのブロック注射の日、大阪のペインクリニックに行ってきました。待合室の様子を見るだけではここの待ち時間はなかなか読めません。ドアを開けると、詰めれば1ダースくらい座れる待合室のソファーがほとんど埋まっていました。「うわ、今日は結構いるぞ。これはちょっと待たされるかな」と戦々恐々としていましたが、しばらくするとあんなに混んでいた待合室から人がみるみる消えていきます。原因はおばちゃん(おばあちゃんと言った方が正確)たちの行動。診察が終わって会計を待っている人、中待合に呼ばれるのを待っている人、その人たちの順番がきて席を立つとその両隣に座っていた人たちも一斉に席を立ったではありませんか。要するにすでに会計も済ませて帰ってもいいはずの人たちが、まだ用件が済んでいない人たちとソファーでいっしょになっておしゃべりを楽しんでいたのです。そんな人が一杯いたようで、その後待合室は急にがらんとしてしまいました。なのに私はすぐに呼ばれません。ここにも理由があります。診察券をあらかじめ出しどこかに出かけ、頃合いを見計らって帰ってくる人が多いからです。待合室に私ひとりともう1人だけになりそろそろ呼ばれると期待したとき、診察券を先に出した先輩患者さんたちが帰ってきました。彼らはソファーに座ったと思ったらすぐに「中待合にどうぞ」とか「〇〇さん、電気(治療)しましょうか」と呼ばれ結局私は置いてけぼりのまま。でも実際のところ、今日は待ち時間が1時間、診察と注射、その後の休憩あわせて1時間で合計2時間。早いかなと思ったり遅いかなと思ったり心が振り回された私の滞在時間は何のことはない、いつもと同じでした。目先のことに惑わされずにシステムをよく見極めるべき。世の中の摂理かも知れません。
2024年01月09日
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昨日はカート・ウォーキング。近所のスーパーで少しだけ運動をしてきました。椎間板ヘルニアを患って以来、どうすれば痛みが出ないかを考えて杖をついたり買い物用カートを押したりしていますが、スーパーのカートを前屈みになって押す角度が私のヘルニアには最適だと分かりました。普通よりも目線を下げてカートを押す角度が腰にちょうどいいのか、そこそこ歩いても痛みが出ません。お猿さんのように腰を下げて前屈みに歩くのも効果的ですが、ちょっとこれは見栄えが悪い(笑)。見栄えを悪くせずに痛みも出さずに歩くにはカートを押すのが一番いい感じです。なので、最近はスーパーに行くときは出入り口に近いところに車を駐めるのではなく駐車場のカート置き場近くに車を駐めます。少し長い距離があってもそこから歩いた方がわたし的には楽。今までは出入り口に近いところで空きスペースを探していましたがカート置き場近辺を探すようになってスペースを見つけやすくなりました。椎間板ヘルニアを患っている人の中には同じように前屈みが楽な人もいるかも知れません。スーパーのカートはそんな人に最適。杖よりも買い物カートよりも、シニアカーよりも(これは使ったことがないので推測)スーパーのカートが長距離まで歩くのに向いています。ちょっと広いモールも、スーパーを出て通路をウインドウショッピングしている体裁でウォーキングをして運動不足を補っています。誰か、スーパーのカート型の手押し車を開発してくれないかなぁ。スーパーのカート貸し出しもOKです。
2024年01月07日
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さて今日はこれから出かけなくてはなりません。しかも、電車で。2ヶ月ごとに行っている3府県またぎの美容室。年末の忙しいときですが(向こうが)、わざわざ私のために時間をとってくれたので行かない訳にはいきません。ていうか、行きたい気持ちはやまやまです。けど、また合計すると30分ぐらいは歩くことになるのでそれが椎間板ヘルニアで脚が痛い私をおじけづかせているのです。2ヶ月前に行ったときは2本目の電車で座ることができなくて立ちっぱなしで死ぬかと(大げさ)。あのときは地獄でした。優先座席の横にいたけど誰もゆずってくれず。ま、外見だけでは分かりませんので仕方が無いとは思います。今は少しずつマシになってきてはいますが長く立っていたり20m以上続けて歩いたりするとジンジンしびれだし、それから痛みがきます。最近は車での移動ばかりでそれほど長い距離を歩くことがないので痛みが出ることも少なくなってはいますが・・・。先日の空港での歩行は機内持ち込みのスーツケースにつかまっていたので何とか耐えられました。あ、そうだ。今日はカットしてもらうだけだけど、空っぽのスーツケースを持って行こうかな。これだとシニアカーみたいにつかまってゆっくり歩けるし、万一電車で座席が確保できなくてもその上に座ることもできる。うん、そうしよう。沖縄と奈良を移動するときは当たり前にそうしているので、ご近所や大阪の街中でやっても変じゃないですよね。美容師さんには「この後どこかにお出かけですか」と聞かれるでしょうね。
2023年12月28日
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昨日は本土→沖縄の移動日でした。そこで「やっちまった」体験になりそうなことが2件、起こりました。ひとつは手荷物。私は格安航空会社を使っているので機内に持ち込める荷物は7kgまで。普段はショルダーバッグ一つなので重量制限には何も問題がないのですが、脚を痛めている現在「杖代わり」に機内持ち込み用のスーツケースを携えることにした私はせっかくなので奈良で食べ残した食料を色々と詰めました。さて、空港での重量検査。7kg制限を意識して家でよくよく量ったつもりなのに指した値は7.04kg。重量オーバーした場合はスーツケースの中のミカンを超過分だけ食べるつもりでした。これくらいなら1個ですむかなと思い、「オーバーですか」と聞くと「7.09kgまではOKです」とのこと。ぎりぎりのところでミカンを食べ損ねました。もう少しオーバーしていたら検査官のお姉さんにも食べてもらおうと思っていましたが、お姉さん残念でしたね。さらに不幸が続きます。待合ロビーで待っていたときのこと。ふと気がつくと搭乗券がありません。カーゴパンツをはいていたのでポケットがいっぱいついているのですが、あらゆるポケットを探しても見当たりません。Tシャツの上に引っかけていた薄手のパーカーのポケットにも内ポケットにもありません。落としたのかと通ってきたあたりを見回しましたがどこにもなく途方に暮れてしまいました。以前、搭乗券がなくて飛行機に乗れなかった若い男性を見たことがあったので余計です。やむなく搭乗入口横の航空会社デスクに行きことの顛末を話しました。身分証の提示で何とか乗れることになりましたが、「乗り込むのは一番最後にして、そのときもデスクで身分証を提示してください」と言われました。いったいどこで落としたんだろう。拾ってくれる人がいてもよさそうなのにと思っていたらありました。待合ロビーに入ったばかりのときに読みかけていた本に挟んでありました。なくしてしまってあわてることがないように、いつもはズボンの左ポケットに入れておくと決めてあります。KIX カードに登録するために毎回、ロビーに入ったらすぐに搭乗券の写真を撮るのでスマホにもその写真は残っていました。写真撮影したあと本を読み始めたとき搭乗券を持ったまま本を広げたようです。私としてはいつものズボンの左ポケットにあるものと思っていたので、あわててしまったのですね。本に挟んだ記憶はまったくありません。そもそもロビーに入ってから本を読んだっけ。最近、探し物が思いもかけないところから出てくることが増えました。うーん、最低火の元だけは気をつけねば。
2023年12月14日
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さて今日は本土から沖縄への移動日。本土も暖かいけど向こうはもっと気温が高いようで期待しています。何と言っても椎間板ヘルニアを患っている我が身にはあたたかいのが一番。奈良にいる間は朝と晩にお風呂に入って患部をあたため、お風呂から出ると暖房をめいっぱいきかせてほとんど家の中で大人しくしています。最高気温が25度以上になる沖縄はさらに弱った足腰にはいいはず。ただその前に空港での歩行という試練が。家→関西空港、那覇空港→家は車移動ですが問題は空港内。空港ってどうしてあんなにだだっ広いんですかね。動く歩道もありますが、数百mやそこらは歩かされます。前回もそれが一番の難関でした。私は荷物がほとんどないのでショルダーバッグ一つで移動することが多いのですが、それすら重くて腰のヘルニアに負担がかかります。そこで要りもしない機内持ち込み用スーツケースを持ち出し、それにつかまって歩いたりその上に腰掛けたりしていました。昨日のブロック注射が割りと効いていて今は少し楽に歩けています。ただ無理は禁物。それで何度も失敗しているので、けっして調子に乗らないようにしなくては。でもそれをくぐり抜ければあたたかい沖縄が待っています。庭のバナナも実をつけてます。楽しみたのしみ。
2023年12月13日
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来週再訪する予定のペインクリニック。そこでお医者さんに何と言おうかと悩んでいます。医者は診察のたびに私に「痛みはどうですか」と尋ね、その度に「痛みは和らいだ」とか「変わらない」とか「前よりひどくなった」とかと答えています。「一番痛い時を10として今はどれくらいですか」とも聞かれます。今回はどう答えていいものか。迷います。自分でもよく分からないからです。たぶんこれまでと同じ姿勢や動きをするとこれまでと同じ痛みがあるはず。「はず」というのは痛みを出さないようにできるだけこれまでと同じ姿勢や動きをしないようにしているからです。痛みを出さない動き方を習得してきたので現実として痛みを感じることは少なくなっているのが本当のところ。これを称して「痛みは減っている」と言うべきか、あるいは「痛みは変わらない」と言うべきか。昨日も最近購入した杖を携えてショッピングモールに行きました。スーパーに行くとショッピングカートにしがみついて歩けば痛みはそれほど出ません。しかし、カートを返してから駐車場の車にたどり着くまでが大変。そこである人のアドバイスを受け杖を購入して使ってみました。なかなかいいじゃないですか。元々座っているときは痛くありません。動くと痛いのです。しかし、歩くときは思い切り上半身を曲げてチンパンジーがやるナックルウォーキングに近い歩き方をすれば痛みは出ません。そして立ち止まっているときは杖にしがみつけば大丈夫。痛みが出ることはかなり減りました。これまで買い物に出るのを控えていましたが、杖を使えば外出も少しできそう。希望が見えました。そこで問題は医者に何と答えるべきかです。「痛みは変わらない。でも痛みを出さない工夫ができるようになった」ということでしょうか。でもよくよく我が身を振り返ってみると、1日のうちで痛みを感じる時間が大幅に短縮されたということは「痛みが減っている」ことになるような気もします。痛みの程度そのものは10が7になったくらいです。でも痛みを感じる時間は10が2ほどになりました。うん、そう言えばいいかな。
2023年12月09日
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3ヶ月ぶりに歯の定期健診に行きました。前回から変わったことはありません。行くたびに歯の磨き残し率というのを調べてもらっています。今回は17.7%。しっかり磨いているつもりなのになあ。0%にしようとは言いません。人間には限界というものがあります。でもこれまでで一番低かった10%ぐらいにはしたい。私の歯磨きは朝晩、それぞれ10分以上は費やしています(ヒマだし)。まず歯間ブラシで歯の隙間をゴシゴシ。そのあとジェットウォッシャー(というのかな?)を使って歯の間をピューッと水で流します。そのあとは電動歯ブラシを使いますが、これも2種類のブラシヘッド(普通のブラシとタフトブラシ)を入れ替えて磨きます。それが終わったらここで初めて歯磨き粉をつけて手動の歯ブラシで最後の仕上げ。上に10分と書きましたが、実際に測ってみるとそれ以上、15分近く歯磨きをやっていました。でもそれだけやっても17.7%。歯医者さんに行く前にちょっと時間がなくて普段より短い時間しか磨かなかったのが敗因です。久しぶりのお出かけに着ていくまともな服を選んだりヒゲをそったりしていたのがよくなかったのでしょう。普段はじっくり磨いているのに「本番前」に手を抜くというのはダメというのがよく分かりました。次は3ヶ月後。今度は早くから準備してしっかり歯磨きをしてから出かけましょう。
2023年12月06日
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この間の日曜日、那覇マラソンがありました。そして今度の週末は奈良マラソン。冬は市民も参加するマラソンが大盛況です。どちらも参加者は1万人を越えるとか。いずれの土地にもご縁のある私も、いつか参加したいと思ってきました。さらにご縁があると言えば、和歌山県那智勝浦町と新宮市の間を走る天空マラソン。こちらはハーフマラソンですが、今年が最後でした。今夏、天空マラソンの募集ポスターを見つけた息子は第1回にも参加しています。それで「お父さん、今年が最後らしいし一緒に参加しよう」と言ってきました。そのときは椎間板ヘルニアで脚を痛めたばかりだったので「こんな状態では今のところ無理だけど、治ったらいけるかな」と考えていました。私も7月までは奈良や沖縄で毎朝ジョギングを日課にしていた人ですから。その頃は半年近くたってまだ歩くのに困難な状態が続いているとは夢にも思いませんでした。マラソンどころか、100m走るのも、いや10m歩くのも困難です。痛みが出た初期の段階で適切な処置をしなかったり、ブロック注射で少し改善したときにまた無理をしてぶり返させてしまったりしたのがここまで長引いている原因です。マラソンかぁ。そんな話を聞くといつかまた走れるようになりたいな。今はとにかくもう絶対無理はしないようにすること。1日1万歩から2万歩走ったり歩いたりしていた私の万歩計が示す数字は、おとといは817歩、昨日は840歩。台所で洗い物をしたり洗面所で歯を磨いたりするのも椅子に座ってやっています。とにかく無理はしない。これもまた、マラソンとは言わなくてもジョギングを再開したいからこそ。大きなことは望みません。来年の夏頃までには、少しでも走れるようになっていますように。
2023年12月05日
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和歌山の蜜柑どころ有田川町の農家から「今年はいつお届けしましょうか」と連絡がありました。ここの蜜柑は本当に美味しくてしかも無料。というのはこの農家の娘さんは知り合いで、この夏にも沖縄の我が家に泊まりがけで遊びに来てくれた仲だからです。配達、こちらはいつでも構いません。すぐにでもお送りくださいと返事しましたが、一つ困ったことがあります。出荷は最低でも5キロから。「5キロでも10キロでも送りますよ」とは言ってくれるのですが・・・。私はいま椎間板ヘルニアのため重いものが持てません。医者には「重いものを持つと必ずヘルニアが飛び出す」とお灸をすえられています。最近は教えを忠実に守ってきましたが5キロのミカンが来たらどうしよう。案じているとこの蜜柑娘さん「宅配便の荷物を家の中まで持ってきてもらえばいい」とご提案くださいました。そうなんですね。そんなこと考えたこともありませんでした。そう言えばNHKのドラマ「あなたのブツがここに」ではお年寄りの家の中まで荷物を運び入れるシーンが何度もありました。亜子(仁村紗和)さんが利用者のおばあさんに「どこに置きましょうか」と尋ねていましたね。そういうサービス、これまで自分に必要がなかったので考えたこともなくいつも門扉のところで受け取っていました。門扉から玄関までの5mほどをカートで運ぼうと思っていましたが、宅配さんに頼むことにしよう。まことにありがたいことです。
2023年12月04日
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献血をしてきました。相変わらず平日の献血ルームはがらがら。血が足りるのか心配になります。そのせいもあってか歓迎ぶりがすごい。無料の飲み物はコーヒー、紅茶から、炭酸飲料、お茶類など充実しているし(というか献血のために水分はしっかり摂ることが必要なんですけどね)、献血後にはおみやげも色々もらえました。地域によっても違うそうですが、今回は日清ラ王、食器洗剤、USB充電ケーブルをいただきました。洗剤とUSBケーブルには献血推進キャラクターのけんけつちゃんがついています。こんなにくれなくていいのに。その分もっと役に立つお金の使い方はなかったのかな。まあ、くれるものは拒まずがモットーの私ではありますが。このうち洗剤は献血するたびに増えるポイントが一定数たまった記念のプレゼントだそうです。いくつかのグッズのなかから欲しいものを選ばせてくれました。献血は男性の場合、70歳の誕生日の前日までしかできません(ただし65歳以上は60~64歳までに経験がある人のみ)。私も間もなくですが、その年齢に達すれば、献血が出来なくなります。寂しい。そう思っていたのですが、昨日献血前診察を担当してくださったお医者さんからいいことを聞きました。もしかしたら今後、70歳以降も献血が可能になる規則の改定があるかもしれない、と。献血に関する規則はときどき変わります。以前は60歳までしかできない時代もあったのが今は70歳に引き上げられ、逆に献血可能最低年齢が引き下げられたこともあったそうです。そんなこともあるのでまた献血が出来るようになるかも知れませんよ、これからも元気でいてくださいねと言われました。希望が湧いてきました。早く規則が変わればいいのにな。けっして記念品目当てだからではないですよ。
2023年11月28日
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現在の私はほとんど障害者。10歩も歩くと脚がしびれ、痛くなって休憩が必要になります。平地なら背中を丸めて進めばそこそこ歩けるし、スーパーではカートにしがみつくようにして前屈みになれば痛みはあまり出ません。椅子やソファーに座るのも平気。ずっとリラックスして座っていられます。炊事、洗濯、入浴、掃除などの家事は必要なので全く動かない訳ではありませんが一日の歩数は千歩前後。そこで問題になるのが体重。動かなくても食べる方は普通に食べるので、痛めてからは少々太りました。これまではちょっと動いても痛いのでとても運動する気になりませんでしたが、体重計の数字を見せつけられるとやはり何かせねば、という気になりました。それを人に相談したところ「百歳体操」で検索すると色々出てきますよ、とのこと。早速検索。いっぱい出てきました。適当に選んでYouTubeの画面を見ながら早速体操開始。うーん。これはちょっとダルすぎかも。動けない人が何を言っているんだと言われそうですが、すわってやる体操はあまりにもスローモーでじれったくなります。4ヶ月前まで毎日8~9キロ走っていた人には軽すぎです。やはりこれはフレイル防止のお年寄り向けかな(自分も高齢者ですが)。そこで元気なときからときどきやっていたNHK-Eテレの「テレビ体操」をやってみました。もちろん立ってやる体操はできません。でもこの番組には座ってやる体操の見本を示してくれるアシスタントが必ず一人いて、立ってできない人にも配慮してくれています。画面に合わせてやってみると、これがちょうどいい。座ってやる運動のうち、胸を反らせる動きは脚に痛みが出てできませんが、それ以外はOK。10分間運動をやって久しぶりに汗をかきました。もちろん立って行う運動のような訳にはいかず、うっすらとした発汗程度ですがちょっと気持ちがよくなりました。わずかな動きのようですが一日二度もやればそれなりに効果はありそう。痛みが出そうな動きは少し自分なりに改変しながら動けない間、しばらく続けてみます。数十年前、昭和の頃に私の祖母がテレビを見ながら座って体操のまねをしていたのを思い出しました。その頃はNHKの番組でも座ってやるアシスタントはいませんでした。私は内心「役にも立たないようなことを」と思っていましたが、祖母は祖母なりに工夫して頑張っていたのですね。口には出さなかったものの祖母には失礼な視線を向けていたようです。祖母の立場に少し近づきそのときの気持ちが分かりました。祖母には先見の明があったようです。
2023年11月21日
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椎間板ヘルニアで座骨神経痛を患っている私。痛い脚をひきずりながら本日、沖縄に移動しました。奈良から沖縄まで数千キロも移動したとなると「脚が痛いのに」と驚かれるかも知れませんが、歩く距離はそれほど多くありません。自宅から関西空港までは車移動、沖縄でも車移動です。歩くのは関西空港の駐車場からターミナルの建物まで、那覇空港ターミナルからモノレール駅までとモノレールの降車駅から駐車場まで。せいぜい合計5分ぐらいでしょうか、健脚なら。現在のところ健脚でない私ですが、今日はラッキーが重なりました。一つは関空でターミナルの建物のすぐ近くの駐車スペースがちょうど空いたこと。第2ターミナルには第5駐車場と第6駐車場があり、第5がターミナルの近くになります。しかし第5はたいてい満車で第6にまわされます。今日も第5駐車場は「満車」となっていました。でも誰も車を出さないはずがない。早めに空港に着いたので誰かが出るのをじっくり待とう。そう決めて第5に敢えて入りました。すると入ってすぐ、今まさに出ようとしている車を発見。そこは第5と第6の駐車場すべての中でターミナルに一番近いところだったのでめっちゃラッキー。歩く距離が最低限で済みました。さらに、沖縄でもラッキーなことが。ラッキーというかこれは私が前もって準備していたことなのですが、モノレールの降車駅からすぐの駐車場を最近になって借りていたのです。なので、これも最小限の距離を歩いただけで清みました。以前は最寄りの駅からは歩いて自宅に帰っていましたが、それだと優に20分はかかります。今の私の脚なら休み休み行くしかないので倍以上の時間がかかり、しかも脚が痛くなっていたでしょう。でも新たに駅近の駐車場を借りておいたことで、車まで1~2分の歩行で済みました。これを借りたときはまさかこんなことになるとは思わず、暑いところを歩くのがイヤだという思いだけで、脚の痛みを回避するために借りたつもりではなかったのですが本当に助かりました。私に先見の明があったのでしょうか(笑)。というわけで最低限の歩数で沖縄の自宅にたどり着け、痛みもでなくてホッとしているところです。
2023年11月11日
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「他人の痛みはわからない」とはよく言われることです。逆に言うと自分が痛み出して初めて他人の痛みもわかるようになるということでしょうか。数十年前のこと、脚を痛めていた妻が椅子に座って台所仕事をしていたのを、いま自分が同じ状況になってようやく実感としてわかるようになりました。今の私は立っているとすぐに痛くなるのでちょっとした調理でも椅子に座ってやっています。コーヒー豆をミルに入れて2杯分を挽くだけでも立ってやるのはツラい。いまはできるだけ歩かないようにしてほとんど1日、座って生活しています。でも痛みのつらさを知らない人は「痛いからと言って座ってばかりいたのでは筋肉もなくなってしまうし、少しはリハビリをした方がいいんじゃないの」とアドバイスしてくれます。もちろん、親切心から言ってくれているのは間違いありません。でも今の私はそのレベルではないので、アドバイスを受けてもそれに従うことは出来ません。私自身、どこかが痛いとかつらいとかで苦しんでいる他人に対して自分目線から発する「余計なお世話的アドバイス」をこれまで色々してしまっていたな、と今になって思い当たります。自分でもずっとこのまま座っているだけではよくないことは分かっています。そのうちリハビリや軽い運動をしなければならないことは分かっています。しかし今はとにかく動かないこと。それが一番なんです。そんなわけで昨日の総歩数は604。半年前までは1日平均1万歩超だった私。自分でもビックリ。
2023年11月10日
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