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姉から連絡があり、先日亡くなった父の年金手続きをするために「死亡届」のコピーが必要だから送れと。一応、死亡届は喪主である私が預かっています。ただ私は実家から離れたところに住んでいるので事実上、各種手続きは姉に任せっきりです。すると、こういうことが起こるんですね。こうなるんだから私は死亡届も姉に持っておいて欲しかったのですが、物事の筋を重んじ、大事にする姉は「死亡届は喪主が持っておくべき」と譲りませんでした。遺骨も私の奈良の家にあります。父からしてみれば一度も住んだことのない家。戸惑ってないかな。いずれ納骨するべきお墓は実家や姉の家の近くにあり、そのときはまた父の遺骨を持ち帰ります。何事にも合理性を優先して伝統や慣習にはいいかげんな私、いろんな手続きに必要なのは姉の方だから死亡届にしても遺骨にしても姉があずかってくれないかなと心の中で思っていました。が、それでは姉が承知しないだろうと「私が奈良で預かるよ」と言うと姉夫婦は深く安堵した様子でした。しかし、私は独り暮らしですし、もうすぐ入院と手術を控えています。今回の年金終了手続きは私の入院前で何とか間に合いましたが、ほかにもこれから死亡届が必要な手続きが出てくるかも知れません。そこでコピーを2部取り、1部は年金手続き用、もう1部は今後また別件で必要になったときに姉にコピーしてもらう用にしました。さて、来週から3週間(おそらく)の入院中、父の遺骨はどうしましょうかね。亡くなっている人に寂しいも何もないと思っているのですが、近くに住む息子に預けた方が姉は安心するのかなぁ。
2024年10月30日
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栗の渋皮煮を作りました。人生、初体験。田舎に住んでいる人が毎年、自宅の庭になった栗を送ってくれます。これまでは茹で栗として食べていましたが、今年はなんとなく渋皮煮を作ってみよう、と思い立ちました。経験は一度もありませんが、以前お裾分けした息子の嫁が渋皮煮にして返してくれたのを思い出し、自分でも作ってみようかという気分が湧いてきました。まずはネットで作り方を検索。うわ、ものすごく時間がかかるんだ。何度も何度も水を替えてゆっくりアクを取りながら煮るらしい。ま、暇だし乗りかかった船、やってみようか。栗はあるので、あと必要なのは砂糖と重曹のみ。これは家にあります。私は料理にあまり砂糖を使わないので、たくさん余っている砂糖を消費するのにもちょうどよさそう。栗は、一人暮らしなのであまり要らないと言っていたのですが300gも送っていただきました。それを全部使用します。砂糖は栗の半分から等量ぐらいを使うと書いてあったので、重量比で栗の7割ぐらいを使用。作り始め、砂糖は最後の方で入れるので、最初はお湯でアクを取りながらコトコト煮るだけです。鍋に栗を入れてひたひたに水を入れて沸騰したら中火にして、20分ほどとにかくアクを取り続ける。水を替えながら、これを3回ほど繰り返しました。最後に砂糖を投入して、これまたゆっくりコトコト。面倒くさがりの私が2時間ほどつきっきりでようやく完成しました。1、2個つまんでみましたが、問題なくちゃんと美味しく出来ていました。黒砂糖を使ったからか色黒の渋皮煮になりましたが、初めてにしては上出来と自画自賛しています。一晩おいた方が美味しいとのことなので、今晩からしっかり自家製渋皮煮をいただきます。楽しみ、楽しみ。
2024年10月04日
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私は以前、進入してはいけない道路に入ってしまい違反切符を切られたことがあります。道路交通法では「指定方向外進入禁止違反」というそうです。そこは違反する人が絶えない道だったとか。私を「つかまえた」駐在のお巡りさんがそう言っていました。本人もその駐在所に赴任したばかりのころは先輩から注意するように言い聞かせられたそうです。そこはうちの近所にある、ラッシュ時には交通量が多い道路で、こんな標識があります。上の写真左は現在の道路標識。私が摘発された時は右上の標識でした。標識が立っている場所は右下のような、広い道から細い道に分かれている三叉路の進行方向少し手前です。なんとなく手書き風で、これが「左折してはいけない」標識だとは思わず、「道がこのように右に曲がっているよ」という案内だと思った私は、広い道が混んでいることもあって躊躇なく左の細い道に入りました。50mも進んだところに交番(駐在所)があり、しっかりと私はつかまりました。そのときのお巡りさんの説明が上のような「よく間違える人がいる」というものでした。数年前のことです。それが最近になって、左側の写真のように標識が変更されていました。こちらもいかにも手書きで書き加えたような「標識」です。なぜかルールが変更になって左折も可能になったようです。ホントかな。今でも左折する車はほとんど、いや全く見ません。変更になったんだから大丈夫なはず、と勇気を持って左折しました。つかまりませんでした。その理由がわかりました。交差点から50mのところにあった交番がなくなっていたのです。Googleで検索してみると、近くに新しくできた「道の駅」の敷地内に交番は引っ越しをしたそうです。交番がない以上、わざわざ張り込みとかをしない限り左折禁止にしていても交通違反を検挙することはできません。私の推測ですが、それで左折禁止をやめたのではないでしょうか。あの交番、間違って入ってくる違反車を捕まえるのが主目的で設置されていたの?交番がなくなった途端に進入が許可されるように標識が変わるってなんか変。そんなので進入が許可されるならもともとあんな手書きみたいな標識で「進入禁止」にする必要はあったのでしょうか。あの手書き看板みたいな(しつこい)標識がなかったら私も今ごろゴールド免許だったのに・・・(言いたいのはそこか)。
2024年08月15日
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1925年、大正14年生まれの母は最近自分の子どもの頃のことや家族の昔話をよくしてくれます。親は腕のいい大工だったこと。自分は男3人、女5人の8人きょうだいの7番目だったこと。2番目の兄が戦死したこと。17歳で教員養成の学校に入ったこと、などなど。きょうだいが多かったので上の学校に唯一行かせてもらった優秀なお姉さんの話には自慢とともに少し嫉妬も混じっているようです。自分も本当は師範学校に行きたかったのでしょう。昨日の「虎に翼」を見ていると主人公の母親の、自分は5人きょうだいの4番目だったので女学校に行きたかったけど行かせてもらえなかったというセリフがあり、母の話を思い出しました。昭和初期は産めよ増やせよの時代。たいていの家は多くの子どもを抱えてみな多かれ少なかれ貧乏だったんでしょうね。今は少なく産み、子ども達の大学進学率は50%超の時代。当時とは大きく様変わりしました。ただそれが幸せかどうかは分かりません。結婚をすると当然のようにたくさん子どもが生まれ(そのうち一人や二人は亡くなって)、親は子ども達に囲まれ支えられて生きていくのが当たり前の時代。母の話には7人のきょうだいの話題がよく出てきます。7人いるからきょうだいへの思いが7分の1に薄まるのではなく、一人ひとりへの思いが重なって7倍の思い出ができているようです。2人きょうだいの私より8人きょうだいで4倍思い出がある母がちょっと羨ましくなりました。(ん?自分から見てきょうだいは1人と7人だから思い出は7倍かな?)
2024年04月06日
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ようやく延ばし延ばしになっていた、年賀状の整理ができました。毎年出す年賀状ですが、私はかなり前から毎年のデザインにはパソコンを使っています。業者に依頼するにしても自分でデザインするにしても印刷だけでは味気ない。そこで出す相手のことを思い浮かべながら一人ひとりにひと言添えて出すようにしています。でもときどき会う人ならともかく、多くは年賀状が生存証明みたいなもの。年に一度だけの「交際」がほとんどです。そうした相手のことを思い浮かべるのに役立つのが一年前に受け取った年賀状。年賀状を一年とっておいて一枚一枚見ながら一年越しの返事を書く。そんな人が多いと思います。ただ私の場合は年賀状そのものではなく、パソコンの画面に出てくる年賀状を見ながら「ひと言」を書いています。つまり、受け取った年賀状をスキャンしているのです。こうしておくと場所は取らないし、奈良で受け取った年賀状を沖縄で見ようと思っても(その逆の場合もあり)紙の賀状を持ち歩く必要がありません。それに一年前だけでなく、これまでもらったものがずっと残ります。このスキャン整理がようやく出来ました。やってみれば何のことはなく、15分ほどで終了しました。短時間で終わったのは年々受け取る枚数が減っているのもあるのですが、ほぼこのときしかスキャナーを使わないので普段つないでいないスキャナーをパソコンにつなぐのを面倒くさがっていただけなのです。また、先延ばしのもう一つの理由が前準備。スキャナーに取り込む前に来た賀状を宛名の五十音順に並べる作業があります。実際はこちらの方がスキャニングよりも時間がかかったりします。いずれにしろ合わせて1時間もかからず作業は終わり。ホッとしました。年賀状と言えば、つきものなのが11月頃からいただく喪中欠礼の葉書です。少し前までは「親が亡くなったため」との通知をいただくことが多かったのですが、最近は本人の家族から「長年の父(母)とのご交誼に感謝します。本人はいついつ亡くなりました」といった通知を受け取ることがちらほら出てきました。それも大先輩の家族からならまだいいのですが、それほど年の変わらない先輩の家族から。自分もそんな歳になったのかと身につまされます。まさに「生存証明」の手段になっている年賀状、自分の命とJPある限りは続けようかと思います。
2024年03月02日
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二十日ほど前、奈良の自宅を離れるときにトイレが不調気味でした。済ませた後、レバーを引いてもどうも排水がすっきりと流れません。最終的には流れるのですが、排水に時間がかかり下手すればペーパーが少し残った状態になります。これはどこかで詰まりかけているな、何とかしないとなと思い、しかし移動日の直前だったので気になりながら何もせずにそのままにして沖縄に戻りました。そして、奈良に戻ってきたらやはり多少おかしな状態が続いていました。一度調べてみなければ。同様の症状は数年前にも起こったことがありました。やはりまずペーパーが少し残ることから始まり、次第に排水時間が長くなっていく。そのときはプランジャー(スッポン)でトイレの詰まりを取り除いてみました。最初はそれでおさまったものの段々とそれだけでは済まなくなってきました。そこで外に出て排水先の会所(排水槽)を見ると「うわ!」、排水されたものが少し溢れ出ていました。途中の排水パイプではなくて第一次会所から第二次会所の間の通路が詰まりかけていました。たぶん今回も同じじゃないかと思うので早速点検して掃除をしなければ、と外に出ましたが、前回と違うのは二つの会所の周辺や上部に枯れ草が生い茂っていること。さらにその上には先日剪定した葡萄のツル(と言っても丈夫な枝みたいなものです)が山盛りになっています。これらを取り除かないことには会所を開けることもできません。昨日は雨に濡れながらまずツルをどかせました。今日は長く伸びた枯れ草を刈らなきゃ。幸い雨もやみ、少し陽射しも出てきたのでこれから芝刈り機を持ち出して草刈りをします。それでしっかりと解決してくれるといいのですが・・・。でないと、催すたびに近所のコンビニやスーパーに行かないといけなくなります。
2024年02月26日
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奈良の我が自治会から来年度から老人会がなくなるというお知らせがきました。その理由に驚きました。団地に住む老人が減ったから、ではありません。その逆で老人が増えすぎたからです。お知らせによると、なんと自治会総人口約800人のうち65歳以上の高齢者が75%にのぼるそうです。老人会はこれまでカラオケ大会をやったり子ども会と一緒に餅つき大会をやったりしていましたが、自分たちだけで行事をやるのは負担が大きいため自治会が老人会を吸収して老人会行事を自治会が主催することにするとありました。自治会員の4分の3が老人なので自治会それ自体老人会みたいなもの。分からないでもありません。団地ができて40年、私が住み始めた35年前。我が家も周囲の家も小さな子どもがおり、ここで出産する人も多く、子どもの姿は通りに満ちていました。お正月やお盆になるとみんな田舎に帰省してしまい、このあたりはひっそりと静まりかえりました。今は逆で、ここで生まれ育ったた子どもが独立して土地を離れ、故郷であるここに帰ってくるようになりました。築40年の家にはたいてい駐車場が一つしか無くお正月やお盆の時期には帰省してくる子ども達の車で路上駐車が目立ちます。それでも全然通行の邪魔にならないのが悲しくもあります。普段、通りを歩いている人を見かけても、たいていが老人です。通学時間帯を除いて小中学生や高校生の姿はめったに見かけません。数年前、はす向かいの家に中高生のいる家族が引っ越してきたときは久しぶりに若者が来たと、うれしかったものです。日本全体の老齢化率は今年過去最高の30%ですが、ここの75%は異次元の老人率です。老人会がなくなり、次になくなるのは子ども会でしょうか。私の子ども達が通っていた小学校は児童数が減り、クラス数もかなり減っているようです。子ども会がなくなると次はなんでしょう。高齢者ばかりで役員の引き受け手がなくなると自治会そのものがなくなる日が来るかも知れません。和歌山県南部の我が故郷は過疎化がどんどん進み、街中にある家の半数以上が空き家です。大阪から車で30分のこの団地にまさか同じようなことが起こるとは思えませんが、色んな意味で消えゆく時代遅れの団地であるのは間違いないような気がします。それぞれ京都と東京に居を構えている我が家の子ども達。私がいつか沖縄に完全移住したりしたら、この家はどうなるのかな。近未来の、取り壊されて更地になっている我が家を想像してしまいました。
2023年12月26日
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NBA初のインシーズントーナメント、楽しみました(結果のネタバレあり)。決勝はまさに私がNBAで応援している2チーム、ロサンゼルス・レイカーズ対インディアナ・ペイサーズの対戦でした。レイカーズはその昔マジック・ジョンソンやカリーム・アブドゥルジャバールが在籍していた時代から好きなチーム。ペイサーズは私がアメリカ在住の頃に住んでいた州の唯一のチームでした。まあ、隣の州のシカゴ・ブルズのエアー・ジョーダンも応援していましたが(要するに強い者好き.子どもか)。今シーズンのレイカーズはこれまでのところ抜群に強いとは思いませんでしたが、トーナメントは強かったですね。今日の試合も後半ペイサーズに3点差まで迫られたことはありましたが、差が縮まると引き離し、縮まるとまた引き離しの繰り返しで安定した試合展開。最終的には123-109と14点差がつきましたが、これはバスケットボールではよくあること。時間がなくなってくると負けている方が無理な体勢から3ポイントシュートを狙ったりファウルで止めたりしますから。実際はもっと手に汗握る接戦でした。レブロン・ジェームスのチームかと思っていましたが今日だけはアンソニー・デイビスでしたね。スタッツを見るとデイビスは41得点、20リバウンドの5アシスト、4ブロック。アシスト以外はどれも1位の数字です。今日の試合、レイカーズの得点はデイビスを筆頭に20点以上が3人でした。国際標準より長い、1クォーター12分で行われるというのもあるのですが、NBAの試合はたくさん点を取り合うので見ていて楽しいです。スポーツは何でも大好きな私ですが基本は地上波やBS、ケーブルテレビで見られるスポーツを楽しむだけ。別代金を払ってサブスクリプションまですることはありません。ただ、NBAだけは楽天モバイル加入者全員が追加代金なしで見られるので、その特典を100%利用させてもらっているというわけです。今日は八村の出番は少なかったけど、レギュラーシーズンではどんどん活躍して欲しいと思った日曜の午後でした。
2023年12月10日
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NHKの番組「ファミリーヒストリー」を見ていると、ときたま何十代前まで遡ることのできる、由緒ある家の歴史が明らかになることがあります。でも我が家はせいぜい明治までしか遡れないし、遡りません。それ以前にはあまり興味がありません。なぜなら、我が家はそこからスタートしているからです。私の3代前の、私の曾祖父にあたる人が現在の名字を名乗り始めた最初の人でした。聞いた話では、その当時我が国には徴兵制度があり、男子は必ず一度は徴兵されることになっていたのですが、家督を相続する一家の長男は徴兵を免れたのだそうです。そこで私の曾祖父は現在の名字を買って、名目上長男となり家系の初代となったとか。そのため我が家では祖先と言えばその初代。そこから長男(私の祖父)、その長男(私の父)、そして私と続くと考えています。私には男の子がいてそれが5代目、彼にはまた男の子がいて(私の孫)それが6代目。幸か不幸か、天皇家とは違って今のところ男の子が続いています。一家でお墓参りするときも、孫には初代が誰々で、このお墓が2代目、3代目はまだ生きていて4代目は私、と話します。それに続けて「お父さんが5代目、そしておまえが6代目だよ」と。それを聞いて孫は自分に続く我が家の家系を意識し、先祖を意識します。でも初代の前は誰だったんだろう?初代という言葉にダマされて(?)そこがビッグバンの最初のように思ってしまっていました。子どもや孫もその前のことは誰も考えず、自分が5代目だ、6代目だと聞いて納得してしまっていたように思います。それより前はもう有史以前の世界のような。その前はだれ?今まで何も考えたことがなかったけど、いつかちゃんと調べてみなくては。
2023年11月12日
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昨日新聞を読んでいてスポーツ欄のある記事にふと目が止まりました。そして思いました。「そうだ、卓球行こう」昨日は卓球のプロリーグ、Tリーグの沖縄開幕戦があったのです。しかも開催場所は我が家から車で20分ほどの那覇市民体育館です。スポーツミーハーの私としてはこれは行くしかないと即決。これまで卓球の試合と言えばテレビでオリンピックなどの国際試合しか見たことがありません。でも最近は張本兄妹やみう・みま・ひななどの活躍で注目はしていました。あの迫力が生で見られるのなら一見の価値あり。沖縄にもTリーグのプロチームがあり、昨日はその琉球アスティーダの地元での開幕初戦です。これは応援しに行かねば。といっても、知っている選手は張本智和と吉村真晴ぐらいだったんですけど。試合開始の40分前に会場に着くと自由席以外はすでに売り切れ。自由席券をを購入して中に。那覇市民体育館に行くこと自体初めてでしたがあまり大きくない会場はメインアリーナと2階自由席の近いこと。自由席でもすぐ目の前で試合をしているのが見られます。自由席の下の段だと指定席と階段二つ分しか違いません。これで数千円の違いがあるなら自由席で十分だなと。ま、メインフロアで見るとまた迫力は違うのかも知れませんが。試合はダブルス1、シングルス3の計4戦で行われ、結果はダブルス以外の3戦をとった琉球の勝利。会場は大いに沸き、にわかファンの私も喜びの輪に加わりました。なんと言ってもいいのは試合時間が短いこと。3時に始まった試合は全ての戦いを終えてもまだ5時前でした。これまでテレビで国際戦しか見たことがなかった私が驚いたのはTリーグの試合時間短縮ルール(促進ルール)。11点ゲームは変わらないのですが、基本デュースがありません。どちらか11点になった方が勝ち。また試合が最終セットに持ち込まれた場合は0-0からではなく、6-6から始める。昨日もこのルールが適用された試合があり、セットが始まったと思ったらいきなり得点が7-6と表示され狐につままれた気がしました。Tリーグのルールをチェックして促進ルールだと分かり納得。これ以外にもいくつかルールがあり、試合が長引かないような工夫がされています。昨日の試合もコンパクトに終わりましたが、それでも最終戦あたりでは一部、ダレて観客席のフロアーで遊び出す小さな子がいたり、帰り始めている家族がいたりしました。延々とデュースが続くような緊迫した試合だと子どもの集中力、お行儀よさ力は持たないでしょう。ただ、大半の幼児も最後までアスティーダに声援を送っていたのは間違いありません。子ども達にも応援に来やすい機会を作り、競技者やファンの底辺を広げる促進ルールは素晴らしい。翻って10時を過ぎても小学生が応援をし続けている野球、ちょっとどうなのかなあと思いました。野球が盛んな地域で開催されない限りオリンピックの正式競技に選ばれないのも分かります。高校野球ではタイブレークを取り入れたり、MLBでもピッチクロックを導入して、少しずつ試合時間を短くする工夫がされるようになってきました。日本プロ野球もせめて2時間半までで観客が帰路につけるような時間短縮ルールを考えて欲しい。卓球を見ながらそんなことを考えていました。
2023年10月22日
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このところ忙しすぎます。バレーボールの五輪予選やらアジア大会やらテレビを見るのに、ですが。週末はラグビーのアルゼンチン戦もあります。そして今はアメフトの中継を観戦中。画面に映っているのはNFL(アメリカのプロフットボールリーグ)のレギュラーシーズン、第4週のライオンズ対パッカーズの試合。生中継が好きな私ですが、今日の試合は残念なことに録画中継です。アメフトはラグビーと似ていますが違うところもたくさんあります。とくに観戦の仕方です。ラグビー観戦は疲れます。ラグビーを見ていると自分が相手をぐいぐい押している感覚になり肩に力が入り足に力が入って、一歩でも前に進みたいとまるで自らがプレーしているような感覚(感情移入いや行動移入)に陥ります。それに対してアメフト観戦では客観的にプレーを見ています。アメフトの試合は、ひとつひとつのプレーを冷静になって観客として楽しめます。次の展開はどうしようか、どんな作戦でいこうか。アメフトもプレーヤーになった気分で観戦しているのは事実ですが、力でごりごり前に進もうというよりもどこにパスを投げようか、ランで行こうか、次はフィールドゴールを狙おうかと、どちらかというと卓上ゲームをしている感覚に近いような気がします。このあたりが、アメフトを King of Sports と呼ぶ所以でしょうか。ではラグビーとアメフトはどちらがより面白いか。私自身いずれもプレーを経験したことはありませんが、観客としてみるとどちらにも違った面白さがあって甲乙つけがたい、としか言いようがありません。でもやはりどちらの試合も録画はライブのようなドキドキ、ワクワク感が薄くてダメですね。試合が一方的な展開になってきたので、つい試合結果を先にネットで見てしまいました(あ~ぁ)。NHK-BSがNFL中継から手を引いてしまった今、頼りになるのは日テレジータス。明日は朝からNFLの試合の生中継があるので楽しみ楽しみ。日テレジータス、ありがとう。
2023年10月05日
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日本赤十字社奈良支部から家族宛てに手紙が。「活動資金ご支援のお願い」と寄付を募るものです。以前にも寄付をしたことがあり再度のお願いをしたいとのことでしょう。ただ、この家族はすでに亡くなっています。17年前に。寄付をしたのはそれよりも前のことです。寄付者リストに掲載されていて再度のお願いが来たのでしょう。それは分かります。しかし宛名にあるのは17年前に死んだ人。没後数度、同様に日赤からのお手紙をいただいたことがあります。しかし物故者は寄付が出来ません。何度か目に手紙をいただいた年、日赤に返事をしました。「宛先になっている家族はすでに亡くなりました。リストから削除してください」と。それから数年は来なかったと記憶していますが、今年はまた復活しました。日赤の名簿管理、どうなっているのでしょう。一旦リストから削除したものがどうして復活したのでしょうか。各方面からの尊い寄付をこんなところで無駄な通信費に使わないでいただきたいものです。死亡した家族宛てのダイレクトメールの類いはときどきやってきます。放っておくものもありますが、だいたいはその都度返事を書いて死亡した旨や今後の通信不要を知らせてきました。たいていはその後ダイレクトメールが来なくなりました。一般企業は無駄な通信費を少しでも削りたいでしょうからね。日赤さんも見習ってください。罪深かったのはUNICEF。亡くなった家族はアフリカの子の「里親」になっていました。正確には本当の里親になるのではなく、マンスリーサポートプログラムといって毎月いくらかの金額を特定の「里子」に送金しその代わり里子本人からの手紙によって成長をフォローすることが出来る制度です。本人からの手紙が来たり、写真が送られてきたりしたので私も興味深く見ていました。が、その里親をしていた当の家族が亡くなってしまったので、せっかくだから私が代わりの里親になって交流を続けることにしました。ところが、続けているつもりなのは私だけだったようです。私は英語で「里子」にメッセージを書き、向こうは現地語のメッセージを英語に翻訳してもらって送ってくる、という形でした。ですが、届くのは「いまこんな勉強をしている」とか「家族はこんなようすです」といった通り一遍の手紙ばかり。私が「はじめまして。亡くなった家族の代わりに私が里親になりました」と書いてもそれに対する反応は皆無。次こそはと期待しながら、それでも数回のやり取りをしましたが、手紙を本当に本人が書いているのかも分からないような内容のものしか来ないので、しらけてしまった私は里親をやめました。日赤もユニセフも一般からの援助を必要としているのは分かります。私も趣旨には賛同します。しかし、今は協力する気になれません。応援する気持ちがあるだけにとても残念です。
2023年09月27日
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私はよく夢を見ますが、起きたときにはうっすらとしか覚えていないのがほとんど。でも昨夜の夢ははっきりと覚えています。高校生の長男が「60円ほしい」と言ったので何に使うのか尋ねると「ニューヨークに行くバス代」と答えました。60円は安いと思うので「安すぎないか」と言うと手書きの料金表の書かれたパンフレットのようなものを見せ、そこにはいくつかの行き先の中にたしかに「New York:60」の文字が見えます。「ニューヨークに何しに行くんだ」と訊くと、微妙に笑って答えません。重ねて問うと「実はそれが自分でも分かっていない。パンフレットをもらったので行ってみたくなった」との返事。それは怪しすぎる。「そんなのに乗ってはいけない。きっと何かを売りつける商売とか、宗教か何かの勧誘のたぐいに違いない。それに60というのも60円ではなくて60ドルかも知れない」と必死になって長男を思いとどまらせようと説得。私だけでなく家族みんなで説得しました。夢はそこまでで、その後どうなったかは分かりません。こんな夢です。いったい何なのでしょう。ニューヨークにバスで行くって、私たちはどこにいる設定なのでしょうか。日本にいてニューヨークにバスで行けるところがあるのでしょうか。60円で。アメリカにいても60円で行けるところはなかなかないでしょう。やっぱり本当は60ドルなのにひっかけるつもりで単位を書いてないだけのような気もします。あの「New York:60」と書かれた手書きパンフレットは今も目に焼き付いていて、ほかにWashingtonなどの文字もありました。そもそも現在、長男は高校生ではなくて小中学生の二人の父親です。潜在意識のなかで私は彼のことをどう思っているのでしょう。子どもの頃はともかく今はしっかりした社会人になっていると思っているはずですが、心の底に詐欺にだまされやすい頼りない存在とでも思っているのでしょうか。とにもかくにもこれは実際、私が昨夜みた夢。自分の頭の中が分からなくなりました。でもちょっと面白かったな。その後どうなったのかなぁ。
2023年07月18日
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そんなわけで 昨日から和歌山県の実家に来ています。今日は1日 雨で草ぼうぼうになった広い庭で草刈り機を使うことができませんでした。が昨日はある程度晴れ間のあった時間帯に少し庭仕事を。明日は久しぶりに 晴れる予報 なのでまとめて草刈りの一日になりそうです。でも 草刈りも悪いことばかりではありません。 実家の庭には人間の背よりも高い ブルーベリーの木があってたくさん 実をつけています(下の方は草だらけですが)。昨日は両手に余るくらいのたくさんのブルーベリーの実を取りました。ところが今日姉の家に行くと 驚いたことに その10倍ぐらいのブルーベリーがありそれも同じ家の庭の木から取ったそうです。昨日取ったブルーベリーは両親と分けて食べましたが これまた 驚いたことに 父も母も誰が植えたのか覚えていないとのこと。彼らのどちらかが植えたとしか考えられないのですが。ま 誰が植えてもいいです。お陰でこちらは 美味しいブルーベリーをたくさんヨーグルトに入れて食べることができました。もうブルーベリー、お店でかう必要がないな。
2023年07月01日
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奈良と沖縄の二拠点生活をしている私ですがしばらく沖縄にいるともうずっと 沖縄でもいいかなという気持ちになってしまいます。 でも用事もあり、そうは言っていられないので奈良に戻ってくると今度はすぐに 奈良もいいなと思ってしまいます。 確かに 奈良は子育てをした土地でもあり何十年も住んで沖縄の何倍もの時間を生活してきたところなので馴染むのも当たり前 かもしれませんよくよく考えてみると 私は結構その土地に なじみやすい、順応性の高い性格なのかもしれないなと思います。今は高齢の両親(2人の平均は99.1歳!)が2人だけで住んでいる実家の方にも毎月何日間か帰っていますが、そこにいるとまたそこにいるのもいいかなという風に思ってしまうのですよね。そこは故郷ですから。結局私はどこででも住める人間なのかもしれません。そういえば 毎年 若い人たちを連れてオーストラリアに行っていた時も、毎年2週間ほどそこで暮らすのですが、何年かすると行ってすぐに何だか もうずっとそこに住んでいるような気持ちになってしまったものです。結局私には自分の居場所というものがあるのかないのかよく分かりません。ま、どこでても生活できるというのは悪いことではないのかもしれませんね。
2023年06月30日
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今日は子育て支援のグループを支援。午前の2時間を子ども達と遊んできました。沖縄は梅雨が明けて太陽がぎらぎら。それでも子ども達は外で遊びたがるのでなるべく日陰に誘導したり15分おきぐらいにウォータータイムを作ったりして熱中症を予防しました(子育て支援グループの人たちが.私は見ていただけ)。孫のような子ども、そして支援する若い人たちと一緒の活動は体はつらいけど、気持ちは若返ります。小さな子達は見知らぬおじいの私にも話しかけてくれたり一緒に遊んでくれたり、かわいいことかわいいこと。来月4人目の孫が生まれる予定ですが、血の繋がってないこどもたちでもこんなにかわいいのだから孫となるとまた格別でしょう。そのなかで一つ失敗をしてしまいました。最年少の3歳の子がトイレに行きたいと言い出したのです。その子の服装から私はすっかり女の子だと思い込み、支援しているうちの女性の方に「この子がトイレに行きたがっているので連れて行ってやってください」と頼みました。ところが、ピンクのスカートをはいたその子は男の子だったのです。そう言えば男の子っぽい名前でした。女性は男性の支援の方に頼み直してくれたので事なきを得たのですが、恥ずかしい出来事でした。そう言えばうちの2番目の孫(男子)も小さいときから折り紙が好きだったり「子どもを産みたい」と言っていたりしていてジェンダーのゆるやかさに関心をもっていたつもりです。が、女の子の服を着ていると女の子だろうという思い込みがやはり私の中にはあったのでしょう。今の時代はジェンダーの垣根が思っているよりずっとゆるやかなんだなぁと感じた次第です。
2023年06月25日
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90代半ばの知人が足を骨折して入院していた、と聞きました。骨折したのは数ヶ月前のことなのでもうかなりよくなっていて、現在は施設に入ってリハビリを行っているとか。この歳で骨折をするとそのまま寝たきりになってしまう人もたくさんいますが(私の祖母もそうでした)リハビリを頑張っているところを見ると、彼女は復活しそうです。それはよかったのですが、もう一つ気になることがあります。それは彼女の引きこもりの息子のこと。若い頃からほとんど顔を見たことがありません。引きこもり歴は50年前後になるかと思います。世間でよくある老老介護は年老いた子どもがさらに年老いた親の面倒をみるというパターンですが、この場合は面倒を見る、見られるが逆。風の噂では親が買い物をして子どもが料理をして暮らしていたとか。90を過ぎて買い物をするのもまた大変だったのではないかと思いますが、ヘルパーは利用したりしていたのでしょうか。いまは子ども(と言っても70代)ひとりでどうやって暮らしているのか。情報がほとんどないので推測するしかありません。年金は受給できる年齢ですが、ずっと働いていないのでそもそも掛け金を払っていたとも思えません。いまは母親の年金やもしかしたら父親の遺族年金があると思いますが、失礼ながらリハビリ中の母親もいつまでも元気でいられるわけはなく、いつかは訃報を聞くこともあると思います。そうなったら息子の方はどうやって生きていくのか。彼にも家を出て家庭を持っている姉妹がいるので何かあればそちらから援助の手が入るのだとは思いますが・・・。ずっと気になりつつも何もできず半分忘れかけてもいましたが、母親が骨折したと聞いてまた少し心配になりました。引きこもり老人の問題、どのような解決手段があるのでしょうね。
2023年06月06日
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息子達が沖縄の我が家に来ていたとき、息子の嫁が言いました。「なにか、夜に台所のほうでガサガサ音がした。何かいると思い怖かった」ときどき家の中にヤモリがいるのを見かけるので私は「ヤモリじゃないの」と言ったのですが、嫁は「いや、もっと大きな動物がいるような音だった。ヤモリだとほとんど音がしないだろうから」と。ちょっと心配になって音がしたという方をチェックしてみると、ティーバッグの箱が床に落ちていました。何者かが侵入したのは間違いなさそう。私の寝室から台所は少し離れているので気づきませんでしたが、嫁たちが寝ているところは目と鼻の先なので気がついたのでしょう。食べ物は冷蔵庫などにしまっていて外に出していないので食べ物をかじられたとかはありませんが、ネズミがいるのかなという気になってきました。そして、決定的証拠を発見。流し台の裏にある網戸が丸く破られているではありませんか。ヤモリはこんなことをしませんし、できません。やはりネズミやそれに類した動物が犯人に間違いなさそう。というわけで、早々にネズミ捕獲用の粘着マットを購入してきました。ネズミほいほい、という名前ではありませんが、まあそんな感じの構造です。破られた穴のあたりに仕掛けようかと思います。かかって欲しいですけどかかると処分がいやすぎます。とは言えやはりかかってもらわないと困ります。でももしヤモリがかかってしまったらかわいそうだなぁ。
2023年05月06日
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昨夜遅く、沖縄から奈良に移動。奈良の自宅に着いたのは午前1時過ぎでした。昨日の朝、さていつ本土に戻るかなと考えていたのですが、諸事情により急遽昨日のうちに飛行機に乗ることになりました。別に急いでやらなければならない用事ができたわけではないのですが、諸事情というか一つ大きな事情が。航空運賃です。いま世間は春休み。春休みって飛行機代が急上昇するんですね。そんなことは何も考えていない私、いつものように格安航空会社のサイトをチェックしてびっくり。普段は数千円の沖縄ー大阪間のチケットが4〜5倍になっています。年末年始やGWのときはわかりますが、春休みもそうだったんですね。月末から月初めぐらいに移動しようかと漠然と考えていましたが、その期間はどの日も高い!まだ値段がマシだったのが昨夜の最終便だったのです。といっても、普段の3倍以上はしました。でも仕方ありません。安くなるのを待っていたら1週間以上先になるのでやむなく昨夜の便を選択。それがまた出発遅延になったものですから、関西空港に着陸したのが11時過ぎ。そこから駐車場に止めてあった車を駆って自宅に着いたのは午前1時をまわっていました。そんなわけで今朝はジョギングもできずでした。ま、よく寝たけど。ご旅行は計画的に。
2023年03月28日
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今月は私が、自治会(町内会)の防災当番に当たっています。最近はやりというか政府が好きな自助・共助の一つである自主防災の一環です。万一この地区で震度5以上の地震が起きた場合の、無事を確認する白タオルの掲示をチェックする係。それを10軒前後の地区(班)のメンバーが持ち回りで担当する仕組みです。10軒だと10ヵ月に1回の分担ということになります。滅多に起きないとは言え、いつ起きるかが分からないのが地震という災害の特徴。地震ではありませんが、先日山形県鶴岡市で起こったような地滑りも急にやってきました。それに備えて住民が互いに見守り、その責任を分担するシステムは悪くないと思います。しかし、私は月のうち半分ほど家を留守にする人です。もし私が不在の時に地震が起こったら、当番の役割を果たすことができません。やむなく地区委員(班長)さんに留守の間の代役を頼むことにしました。地区委員さんには本来は不要な負担になりますが、万一不在の間に地震が発生したら・・・。無事を知らせる白タオルが班各戸に掲示されているか、確認する役を誰かが務めなければなりません。こういう場合、どうすれば一番いいのでしょう。近所には高齢の独り暮らしの方もいて、その方は当番を免除されています。私は体力的には役割を果たすことに問題はありませんが、別の意味で果たすことが出来ません。不在期間の2週間のうちに地震が起こる確率はごくわずかだとは思います。知らぬ顔をして当番を1ヶ月間「引き受け」て、次の人に引き継いでもバレない確率は高いでしょう。でももし万一地震が起きたら、うちの班だけ自治会長さんに報告が行かないことになります。いろいろ考えた末に、地区委員さんに不在期間の代役をお願いすることにしました。そうでなくても地区委員さんには留守期間の回覧板を回避してもらったり、面倒をかけています。そこにまた、新たなお願いをすることになりました。まことに申し訳ない。沖縄から帰るときには紅芋タルトでも買うかな。
2023年01月03日
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沖縄の人気テレビ番組「ヒープーホップ」に車社会を象徴する「沖縄カー川柳」のコーナーがあります。今日の表題はそこで視聴者からあった投稿からいただきました。元ネタは「クーラーが利いた頃には目的地」。沖縄と奈良の違いですね。今朝の奈良は積もるほどの雪が降っていて寒い、寒い。車で10分ほどの歯医者さんの定期健診に行ったのですが、着くまでに車内は暖まりませんでした。奈良では春先に南岸低気圧の影響で雪が降り、積もることが数年に一度あります。でも、年内に積もるほど雪が降るのは珍しい。雪というより細かな雹(ひょう)の粒が降ってそれが積もって歩くとジャリジャリ音がしました。道路が真っ白で、坂道の途中にある我が家は車で10分の歯医者さんに下れるかちょっと心配。ただ予約が少し遅い時間だったので、私が出る頃には他の車が雪を解かしてくれていて助かりました。お昼を過ぎた今も風が強くて今日の奈良の予想最高気温2度ですが体感は氷点下です。年末にかけて予定が色々と入っているので今年は早めに年賀状をレーザープリンターで印刷しました。こんな寒い日は外出を控え、年賀状にひと言添えて郵便ポストに出しに行くぐらいにしましょう。ちょうどタイミングがよかったかな。ほかに出かけなければならない予定がなくてよかった。冷え込んでも最低気温が15度前後ある沖縄がなつかしい。15度なんていうと「すごい寒い」って感じだったんですけどね。
2022年12月23日
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昨夜は沖縄アリーナでプロバスケットボール(Bリーグ)琉球ゴールデンキングスの試合を観戦。Bリーグ草創期にバンビシャス奈良や大阪エヴェッサの試合を見たことがあり、随分久しぶりです。キングスの試合はバンビシャスやエヴェッサとは盛り上がり方が全然ちがいます。そもそも、会場が違います。沖縄アリーナは1万人以上収容の、バスケットボール観戦に最適のスポーツ多目的ホール。以前バンビシャスやエヴェッサを見たのは2~3千人収容の市民体育館でしたから比べるのが失礼。収容人員だけでなく、音響やライティングの演出などエンタテインメントの要素が全く違います。私はアメリカ在住の頃、よく地元のカレッジの試合に通っていました。カレッジと言えどNCAA(全米体育協会)1部チームになると1万人収容の自前アリーナがあります。沖縄アリーナの設備、演出はそれらに遜色なく、なんと言ってもぎっしりの観客がノッています。バスケットボールは沖縄の「国技」かと思うくらい普及し、キングスは常に地区優勝の実力の持ち主。昨シーズンは決勝で宇都宮に敗れましたが、今シーズンは初戦で宇都宮を破り現在も6連勝中の首位。昨日も京都ハンナリーズに大勝し、こんな強いキングスに観客が盛り上がるのは必然。アリーナは我が家から高速を使えば車で30分以内の距離にあります。帰りは夜ということもあってかアリーナの駐車場を出て家の駐車場までがきっちり20分でした。勝利の余韻に酔いしれるほどの間もなく、ちゃちゃっと帰宅。いつも早寝する私にはちょっと夜更かしでしたが、それでも7時開始の試合で帰宅が9時半過ぎ。あれで、第1クォーター終了時の場内ディスプレーの故障がなければあと15分早く帰れていました。駐車場も会場から歩いて数分のところにあって、道路が混み合うこともなし。キングスの動向は前々から気になっていましたが、アリーナがこんなに簡単に行けるとは。今シーズンはまだまだ続くし、またすぐにでも行きたくなりました。来年は沖縄でバスケットボールのワールドカップ(フィリピン、インドネシアと共催)があります。アリーナ通いがこれからやみつきになりそうです。
2022年12月15日
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銀行の定期預金を解約しました。急にお金が要りようになったから、というわけではありません。定期にしておいても全然利息がつかなくなったからです。それでカード一枚ですぐに下ろせる普通口座に回した方がいいと判断。解約した定期預金は1年満期で、利息分を普通預金に回し常に同じ額を定期にしていました。元は15年前に亡くなった家族が預けていた定期を、相続者の私がそのまま引き継ぎました。預金通帳を見ると2008年には利息は0.35%となっています。バブルの頃は年5%ぐらいあったのでそれでも随分と下がってはいます。とは言え、0.35%あれば700万円に一年間で2万円あまりの利息がついていました。それが2009年には0.25%、2010年には一気に0.06%となり2011年に0.03%。そして2012年から2015年までは0.25%、その後2019年までは0.01%。2020年にはついに0.002%になりました。ここに至って、定期預金であるにもかかわらず一年間の利息は100円にしかなっていません。この金利は実は普通預金と同率なんです。となると、定期にしておくメリットは何もない。カード一枚ですぐに下ろすことが出来ない分、定期の方がデメリットが大きいだけです。いまは様々な投資の方法がある時代。リスクを冒せばリターンも大きく得られることがあるかも知れません。でも、私は今あるものを使って堅実に生きられればそれで十分だと考える性格です。ノーリスク、ノーリターンで全然構いません。今あるものに満足し、増やすこともないけれど大きく減らすこともない。そんな生活をしていこうと思っています。
2022年11月29日
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納車の日が決まりました。12月4日。11月11日に初めてカーディーラーを訪れ、その日のうちに車種を決定した車です。今の時期、注文から約3週間で新車が手に入るのはとてもラッキーではないですか。逆に、今はやく手に入る車だからこそそれに決めたのですけれど。私が買うと決める前から、その車は11月中に本土から沖縄に到着することが決まっていました。ディーラーを訪ね、その話を聞いた私はその場で購入を決めました。昨日その車が沖縄に到着し、オプション機器を装備したり防錆処理をしたりする日程が決定。それによって受け渡しが12月4日と決まりました。今は本土にいて今日からはまた実家の和歌山に帰省します。奈良に帰って来てしばらくしたら沖縄に戻ります。というわけで昨日12月3日の沖縄への航空便チケットをとりました。これまでは航空便とともにレンタカーの予約もしていましたが、もうその必要はなし。でも納車当日は歩いてディーラーまで行かなくてはなりません。グーグルマップで徒歩で行く場合の所要時間をみてびっくり!何と家からディーラーまでは歩いて14分でした。これまで車でしか行ったことがなかったのでそんな近いとは思いませんでした。十分歩いて行ける距離だったんだ・・・。いよいよ近所のコンビニでも車で行くウチナーンチュスピリットがうつって来たようです。
2022年11月22日
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手品を間近で初体験しました。もちろん、テレビや舞台の上のマジック・ショーは何度も見ています。そのたびに少しは驚きますが何か仕掛けがあるだろうと、それほど心にしみいるほどではありません。テレビなどでやるのは、もしかしたらだまされる芸能人もグルかなと思うことさえあります。でも、観客が5人だけで自分が関わった手品体験はとてもビックリ、そして感動でした。割りとありふれたトランプのマジック。はじめに普通のトランプであることを観客が手にとって確認し、それをよく切ります。裏向けにした山から一枚を私が任意に選び、マジシャンに見せずに観客(5人ですが)に見せます。カードをトランプの山のなかに戻し、再びよく切ります。マジシャンは私が選んだカードが一番上にある、と言います。しかし裏返してみるとそれは間違ったカード。「ではやり直します」ということでそれをカードの山の中に差し入れ、私はカードをもったまま。手を離さずに、マジシャンがかけ声をかけると・・・。「裏返してください」の声でカードを裏返すと、あらら、カードは最初選んだものに変わっていました。私はずっと手を離さずカードを持っていました。なのに、その持ったカードが間違ったものから正しいものに一瞬のうちに(?)変化。その類いの手品は何度も見たことがありました。それを自分自身が体験するまではどんな仕掛けがあるのかばかり考えてしまっていました。でも、自分が体験すると仕掛けを考えるよりその手際の鮮やかさに何も言葉が出ませんでした。英語のmagicが手品という意味と魔術という意味があるのに納得。マジシャンが魔法使いか超能力者のように見えた体験でした。
2022年11月20日
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車を買いました。2拠点生活をしている私。奈良では自家用車を持っていますが、沖縄ではもっぱらレンタカー生活をしてきました。年間半分ずつしか滞在しないので、すでに車がある奈良はともかく沖縄はそれでいいと思ってきました。それが、このところの深刻なレンタカー不足。今は少しマシですが、ピークシーズンは数ヶ月前でも予約できないことがありました。それにも増してレンタカーの利用価格が高騰。コロナ禍以前は一日2~3千円だった利用料が今では5千円~1万円。週末や連休になると、さらに高くなります。金曜日から3連休をはさんで月曜日までの4日間で20万円というのもザラ。私は月~金まで車を借りて土日は車なし生活、次の週また月曜日に借りるという「自衛」を。いまはピークシーズンではありませんが、ほとんどの会社が1日一万円以上つけています。現在私は小さなレンタカー会社で、古くて安い軽自動車を見つけ一日5千円で十日ほど借りています。この状況がいつまで続くのでしょうか。最近は価格上昇が少しだけ緩和されてきましたが、コロナは間もなく第8波の襲来とか。徐々に戻りつつある外国人観光客の増加もレンタカー不足、価格高騰の懸念材料です。以上の理由から新車を購入することにしました。昨日、早速ディーラーに行き交渉してきました。納車が遅い最近の新車事情ですが、何とか1ヶ月ほどで納車できる車が見つかりました。そこで、即決即断。購入を決め全額の振り込みも終えました。1日1万円のレンタカーに半年乗ることを考えたら、今回支払った金額は1年で元が取れます。これで来月からはもうレンタカーの予約に神経を使うこともなくなりました。飛行機のチケットが取れてもレンタカーの予約が取れないと身動きが取れません。とくに家族や友人、知人が沖縄の我が家を訪ねてくれるときは車が必須。No car, no life.(in Okinawa) ですからね。来月の納車を、首を長くして待っています。
2022年11月12日
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2拠点生活を送っている私、昨日は沖縄から奈良に移動する日でした。レンタカーを返却しに行ったときのこと。飛行機が午前中の便だったので、ちょっと早めに8時前にレンタカー屋さんへ。営業時間が8時からなので10分前に着いたときは誰もおらず、そのうち従業員ひとり到着。「ここの営業は9時からなので、空港へのお送りは9時からになります。」え?8時ということで受け付けてもらいましたけど。送迎もそのときにできるみたいなことでしたけど。(実際はそんなに急いでいませんでしたが、1時間も待つのかなあ・・・)契約書を見て、その従業員の方も気がついたようです。「たしかに8時返却になっていますね」「普通は送迎は9時からになっているんですけど受け付けた者が間違ったんでしょうね」「ま、時間には余裕があるのでバスで行ってもいいし1時間待つなら待ってもいいですよ」そこから、彼の決断が早かった。「いえ、こちらのミスですから今からすぐに空港にお送りします。」と言うやいなや、自分の車に私を乗せました。ちょうどそのときもうひとり従業員が出社してきたので、その方に事情を説明。若いのに空港に向かう途中の対応も丁寧で、とてもいい人でした。裏道を熟知している様子で、タクシーで25分かかった道を15分であっという間に空港に到着。別れ際も「申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げてくれました。ただ、慣れているんでしょうけど、狭い道を結構なスピードで走るのはちょっとこわかった 笑
2022年09月29日
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沖縄と奈良の2拠点生活をしている私。奈良では自家用車に乗っていますが、沖縄では滞在する都度レンタカーを借りています。借りる車が様々で借りるたびに面白い経験をします。外車から軽自動車までいろいろ。今回はちょっと古い車にあたりました。久しぶりにカギを差し込んで回してエンジンをスタートさせるタイプ。借りたとき最初エンジンがかかっていましたがドアポケットにカギがなくどこだろうと焦りました。運転しながらしばらく探して、「あ、鍵穴に刺さっている」とわかりました。バックモニターはありません。最近はバックモニターに頼り切りなのでちょっと心配になりました。車体が前後左右の障害物に近づいたときに鳴る、警告音ももちろんありません。バックで駐車をするときや縦列駐車するときはちょっと焦りました。いま当たり前にあるものが見当たらないんです。シガーソケットはありますが、USBコードはありません。オートライトの機能はなく、航続可能距離表示はもちろん外気温計すらありません。ETCは(たぶん後付けで)ついていてくれて助かりました。ナビはありましたが地図がかなり古く、海の中や山の中の道なき道を走っている表示がしょっちゅう。乗車時ついドアノブを押しそうになりますが、だんだんカギでドアを開けることに慣れてきました。久しぶりに免許を取ったときの遠い昔の緊張感が蘇ってきました。こんな経験は何台前の自家用車以来かな。昭和か平成に車に乗っている気分を味わわせてもらいました。車を降りるときはライトをオフにしたことをしっかり確かめるよう気をつけています。
2022年09月26日
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その物件は兵庫県の西の端、隣は岡山県というところにあります。相続の関係で私はそこに一戸建ての家を一軒、所有しているんです。その家には相続する前から独り者のおばあさんが住んでいました。彼女が住み始めたのは20年近く前、私が大家になってからも10年以上です。その彼女(87)から、手紙が届きました。長い手紙ですが、かいつまんで言うと「納屋の壁が壊れた。修理したいが見に来てくれ」とのこと。離れになっている納屋は洗濯機や庭仕事の道具などが置いてあります。そこの壁板が横の溝に落ちたらしい。実は、どんな家だったかもよく覚えていません。もう何年もその家には行っていない「雇われ大家」みたいな私。ただ、年金の入る2ヶ月ごとに家賃の振り込みを確認し、お中元とお歳暮を受け取っていました。場所もうろ覚え。大家って楽な商売。そう思っていましたが、今回ばかりはそうも行きません。壁板の修理などは店子ではなく、大家の責任と負担で修理する必要があります。大工に頼むなら費用はこちら持ち。行ってきました。片道、高速を使って奈良から2時間。高速料金とガソリン代で片道5千円。見てみると、思ったほどのことはなく、建物自体はしっかりしていました。でも、壁板は落ちたもの以外もそろそろ限界。朽ちかけています。とりあえず、応急処置として落ちた壁板を元の位置に打ち付けてきました。でも、納屋は倒れなくても壁板はまたそのうち外れて落ちるでしょうね。おばあさんに、大工さんを呼んで修理か立て直しかの判断をしてもらうよう頼みました。いずれにしても、費用はこっちもちなので請求書を送ってくださいとも伝えました。家賃と言っても微々たるもので固定資産税・都市計画税の支払いよりはましなくらい。でもあの歳で新たに引っ越しをさせるのもかわいそうですし、最後までいてもらいます。久しぶりに家に入りましたが、きれいに住んでくれているので家自体まだまだ大丈夫そうです。納屋の方も土台はしっかりしているので、取り壊す必要はないでしょう。おばあさんの方もまだまだかくしゃくとしていました。歳が歳ですから、介護施設に入居とかなったりすると、賃貸借契約もそこまでかと思います。でも、実際にお目にかかったおばあさん、耳は遠いものの足腰も頭もしっかりしていました。介護保険もほとんど使ってないおばあさん、家宅ともども、ご長寿を願っています。できれば同時くらいにみまかってくださるのがいいなあ ← ばち当たり
2016年07月18日
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とあるショッピングモールで。エスカレーターに乗った瞬間に「このエスカレーターは上り専用です」と聞こえてきます。視覚障害者用のアナウンスでしょうか。「乗ってからじゃなくて、乗る前に言ってくれればいいのに」このアナウンスを聞くたびにそう思っていました。ふと、思うところがあってエスカレーターに乗って目をつぶってみました。目をつぶっていると上に行っているのか下に行っているのか、全く分かりません。そして気づきました。あ、そのためのアナウンスなのか。視覚に多くを頼っている私たちには、周りの景色の変化が情報として入ってきます。自分が上りに乗っているのか下りに乗っているのか、誤認識することはありません。しかし、視覚情報を奪われるとたちまち上下の情報が入らなくなります。上に行っているつもりで階下に降りてしまった人もいるのではないかと思います。そんな馬鹿なと思われる方もいるでしょう。でも、エスカレーターに乗った瞬間、ステップはほとんど真っすぐ前に動きます。だから、目をつぶるとどっちに行っているのか分かりにくいはずです。一度、エスカレーターに乗って目をつぶってみてください。
2016年06月18日
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最近、手術をしたポン太朗。鼠径ヘルニア(脱腸)が見つかりました。痛みその他の症状は何もなかったのですが、一泊二日で入院、手術をすることになりました。そして3日前に手術、その日のうちに退院。でも、帰ってきて少し吐いたそうな。たいした手術でもないので、退院したらおめでとうパーティーをしようということになっていました。それが今日の予定でした。でも、ちょっと体調が優れないのでと中止の知らせが来たのがおととい。「しばらく様子を見て、元気になったら再度予定を立てようね」と言いきかせました。ところが昨夜になって連絡があり。すっかり回復し、元気をもてあましているとのこと。パーティー中止は中止になりました。大阪からおじさん(私の次男)とその彼女も(こちらは東京から)駆けつけてくれました。そんなわけで、結局予定通り長男宅でにぎやかなパーティーが開かれました。手術後に吐いたのはまだ麻酔が抜けきっていなかったのでしょうかね。言えばお腹の傷を見せてくれましたが、そんなのはすぐに忘れたかのように暴れ回っていました。普段通りの姿を見てひと安心。1歳3ヶ月になったばかりのポン次朗にもまた格段の成長のあとが見られました。ポンポン(お腹)、オツム、オテテ、オシリ、メ(目)、ハ(歯)など身体部位は尋ねるとその場所を指します。バイバイ、ターターイ(いただきます、ないしはごちそうさま、ないしはたべたい)としゃべります。ほかにも意味不明の言葉をしゃべるし、階段を上るし、くるくる回って目を回すし、面白いおもちゃです。人間の成長ってすごいなぁ。そのペースでこっちはいろいろと忘れたり衰えたりしていっているんだろうなぁ。ま、自分のことはさておき、とりあえず元気な孫たちに会えて、楽しい一日を過ごしました。帰りに大阪のおじさん(次男)を送りがてら彼の家も見てきました。彼が大学を卒業して数年が経過しましたが、一人暮らしをしている部屋をこれまで訪ねたことがありません。東京にも福岡にも住んでいた彼ですが、訪ねるチャンスがありませんでした。見ると、実家に住んでいたころの彼の部屋よりも片付いていました。こっちも少しは成長した姿が見られた、ということでしょうか。ま、昨日から来ていた彼女が片付けてくれたのかもしれませんけどね。
2016年05月04日
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先週の木曜日は私の誕生日でした。今年はいつになく、メッセージやプレゼントをたくさんもらいました。ケーキは4つ。おかげで、やや体重が増加気味。ショートケーキに、手作りガトーショコラ。ホールケーキももちろん。ケーキ以外のプレゼントも様々、いただきました。鉢植えの花に耳かき、手作りのカードを添えてくれた人も。それが何日も続いたので誕生日というよりも誕生週のようになりました。そして今日、たぶん最後で最大のプレゼントが。贈ってくれたのはポン太郎(私の孫1号)です。プレゼントは折りたたみの椅子(いわゆるディレクターチェアー)です。コンパクトで、いつも私が持ち歩いているカバンに入るサイズです。これは今年小学2年生になったポン太郎が初めて自分のお金で誰かにしたプレゼントだそうです。ちゃんと、ギフトバッグに入れ、シールもつけてくれました(別料金だったそうです)。これはけっしてぞんざいには扱えません。でも、困ることがひとつ。この椅子の体重制限が現在の私の体重の1キロ上。プレゼントを渡しながらポン太郎に言われました。「じいじ、これ以上太ったらだめだよ」・・・これはもう、絶対に太れませんね。ケーキ攻めの誕生週の最後にもらってよかったー。
2016年04月24日
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昨夜未明。午前1時頃、突然腹痛により目が覚めました。下腹部、そけい部に近いところがたまらなく痛くて痛くて七転八倒。カイロで暖めてみてもよくならず、トイレに座ってみても何も出ません。お風呂に入るとちょっとマシかな。でも大した効果ではありません。もう寝ちゃおうとがんばりますが、全く寝つけません。2時、3時、4時・・・痛みは和らがずむしろ増す感じ。身の置き所のない、痛みです。どうしようかな、医者に行こうかな、救急車を呼ぼうかな。だんだん夜が明けてきました。近くの病院の夜間窓口に電話をすると医者と相談をして「来てください」と言ってくれました。なんとかお腹を押さえながら自分で車を運転して近くの病院の緊急外来へ。触診したり問診したり、そしてX線やらエコーやらCTやら、たくさんの検査。そのたびに痛いお腹を触られ、待たされ、待合室のソファーで横になっているところを起こされ。病院到着から数時間。なかなか原因が分かりませんでしたが、最後にCTで確認ができました。尿路結石。こりゃ、痛いはずです(お産に匹敵するくらい痛いとか言いますよね)。めでたく原因が分かり座薬を入れてもらい、痛みがおさまりました。痛みのない生活って楽~。ところで、マンゴーです。実はこれとそっくり同じ痛みで苦しんだことがあります。二年前のオーストラリアでのできごと。そのときも同じようなところが同じように痛く、下痢はなく嘔吐をしたのも同じ。そのときは食べ慣れれないマンゴーに当たったとばかり思っていました。でも今かんがえると、あれは尿路結石の痛みだったんだ。医者にその経験を話すと「その可能性はありますね」とのこと。だいたい2年で再発する、という話にも合っています。よーし、これからは遠慮せずにマンゴー、食べるぞ誰か、マンゴー送って。
2015年12月05日
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開口一番、友達に言うみたいに「5年4ヶ月ぶりぃ」と言われました。言ったのは先日行ったペインクリニックの先生です。以前は2年おきぐらいにぶり返していた肩の痛み。最近はそれもなくなり、もう行きたくなかったんですけど、また痛くなりました。「肥えましたね」この先生、腕のいい名医なのですが、遠慮のない方です。いろいろなテレビ番組に出ていたり(ためしてガッテンにも)、本を書いていたり。この分野では一番信頼のおける方ですが、もう会いたくなかった。会わずに済むということは痛みがないということですから。でも5年4ヶ月ぶりに会ってしまいました。しかし、体型までしっかり覚えているとは。「お腹が出てきましたね。2、3キロじゃ済まないでしょう」はいはい。この5年でもっと増えましたね。でも患者にそんなこと言う?もともと頸椎の椎間板がすり減って神経に触り、首や腕、肩に痛みが出ていました。それで20年ぐらい前から何度も何度もこの先生のもとには通ってきました。しばらく出なかったのですが、1週間ほど前から肩の痛みが出て、我慢できなくなりました。口が悪いくらいはかまいません。ほかで治せない痛みをちゃんと治してくれる先生ですから。それに見てすぐに「肥えた」と言うのはちゃんと私のことを覚えてくれているということです。この先生がいるとほんと、安心です。これからしばらく毎週大阪に通って、先生の毒舌とつきあうことになります。
2015年11月22日
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昨日は60年あまり生きてきて、初めて宙に舞いました。私が部長をしているアメフト部。実に7年ぶりのDivision 2(2部)復帰です。今年はすべての試合に勝利し、そしてめでたく昇格。長かった。それまで定席だった2部から転落して、毎年あと一歩。3部で優勝するも入れ替え戦に敗れ、壁を越えられず。しかし、今年はチーム一丸となってその壁を越えました。もちろん目指すは1部ですが、2部に上がらない限り1部はありません。毎年2部でそこそこの成績を収めていた我が部ですが、選手の大けがをきっかけに低迷。ついには3部に落ち、すぐに復帰できるかと思っていたのがなかなかでした。今年はこれまで全勝できて、昨日の試合も勝てる確率は80%はあると思っていました。しかし、苦戦。先行され、逆転するも再度逆転を許す展開。再度逆転したものの、第4Q半ばを過ぎて15-9でリードはわずか6点。1つタッチダウンを決められれば再逆転という危うい展開でした。でも残り3分(記憶曖昧)でフィールドゴールを決め、3点を追加してなんとか突き放しました。18対9の9点差。アメフトで9点差は1回の攻撃では追いつけない数字です。しかし、素早くタッチダウンを決め、オンサイドキックで攻撃権をとればひっくり返せる数字でもあります。相手はどんどん攻め、こちらのゴール直前まで迫ってきます。しかし、あと17ヤードでタッチダウンというところで第4ダウンでギャンブル失敗。残り1分強(記憶曖昧)でこちらの攻撃となりました。相手の残りタイムアウトは1回。1度はそれで時間を止めましたが、こちらの次の攻撃が始まり、時計が動きだします。そして、第3ダウン。パスを失敗して時計がとまります。試合の残り時間は32秒。アメフトはプレーとプレーの間に40秒まで時間を使うことができます。時計が動いている間、40秒以内にプレーをすれば反則になりません。つまりここで事実上、勝利が確定しました。30秒あまりの長い長いカウントダウン。観客席は30から0までの大合唱。時計がゼロになった瞬間、グラウンドと観客席の喜びが爆発しました。その後、選手たちにねぎらいと祝福の言葉をかけようとグラウンドへ。そこで待っていたのが、我が人生初の胴上げ。選手に話をしているうちに横からめがねをはずされ、携帯をとられました。何が起こるのか、あれよあれよと思うまもなくみんなに囲まれ、持ち上げられて、汗臭い、ごっつい男たちに三度放り投げられました。胴上げって上げられる方は怖くないのかと思っていたけど、いや~最高でした♪ただ、帰りに高速道路でタイヤがバーストして何十年ぶりにジャッキアップしてタイヤ交換をしました。・・・好事魔多し。ちょっと調子に乗っていたのでしょうか。
2015年11月08日
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そろそろ畑の季節(私の中では)。このところなぜか超多忙につき、畑にほとんど野菜のない状態。でも夏野菜くらいは作らないと。まずはゴーヤーの緑のカーテン作りからと思い、この週末には苗を買いにいくつもりでした。ところが、ところが。去年ゴーヤーを植えていたところにいっぱい生えているではないの。ゴーヤーの実が熟し、腐って落ちて種から発芽したのですね。去年の秋にも生えてきていたけど、寒さにやられて終わっていました。冬眠していたのがあったので(?)今年はネットを張っただけで苗の植え付けはなし。去年の種が元気なゴーヤーになり、いっぱい実をつけることを祈っています。畑の方も去年はカラスにやられて全滅だったトウモロコシをリベンジしなくては。ずいぶん大きくなったと思った途端、一夜にしてすべてやられてしまいました。今年は実をつけたらすぐにネットを張ります。あとは、ちょこっと自分の食べるナスや胡瓜、トマトくらいかな。去年の晩秋、短く切ってしまっていた葡萄に新しいツルが伸びてきました。イチジクも新しい葉をいっぱいつけ、生長の遅い温州ミカンも少しずつ大きくなる気配。果物が食べきれないほどなったらお知らせするので、お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。入場無料、持ち帰りたい放題で葡萄狩りやらイチジク狩り、ラズベリー狩りを催す予定。
2015年05月09日
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先日、孫のポン太朗から葉書が来ました。彼はこの四月に小学校に入学します。文字もだいぶん覚えました。ひらがなとカタカナは書けるらしい。漢字やアルファベットも少し読めるとか。そこで文字を書く練習台に私が選ばれたのかな?で、その内容が子供らしい・・・と言えるのか、どうなのか。彼や親の性格からすると親に書かされたのではなく、自分で考えて書いたのでしょう。宛名も自分で書いてありました。さすがに住所だけはお母さんの文字。内容がこちら。なにこれ?まあ、そういうことなのでしょう。じいちゃん、うれしいですよ。そう言ってくれて。ちゃんと葉書で返事を書きました。 おじいちゃんも ぽんたろうやぽんじろうと いっしょにびーるをのみたいですよ。 なんといってもなつのあついときの びーるはさいこうですからね。 ○○よりポン次朗がビールを飲める年齢になる頃、おじいちゃんは80歳だなあ。
2015年03月21日
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今週月曜日に、17日間の旅を終えてオーストラリアから帰ってきました。帰国の翌日から会議やら飲み会(送別会)やらがあり、長旅関係なく普通勤務。時差ぼけもあって(時差は1時間ですけどなにか?)、帰国報告が遅れました。今日ようやく少しゆっくりできたので、書いています。毎年仕事で若い人たちを連れて行くオーストラリア、今回が5年連続5回目。これまでは1週間コースでしたが、今年初めて2週間行きました。毎年同じ場所に行っているのもあり、2週間もいると慣れてきますね。だんだん現地の人のような錯覚に陥ってきました。昔アメリカに住んでいたときの感じが少し戻ってきたように思います。オーストラリア英語にも慣れてきました。ツル(vine)はヴァーンで、メス(female)はフィーマイルですけど。エレベーターはlift(リフト)で、お持ち帰りはtake away(タイカウァイ)ですけど。ま、そんなものかなって。ゴールドコーストに行ったとき、駐車場のシステムがよく分からなくて犬を散歩している人に聞きました。すると、そのおじいさん、暇だったのか話がはずんでしまってなかなか離してくれません。「おまえの英語はアメリカなまりだ。USには住んでいたのか」などと聞いてきます。最後に名前と年齢を教え合って握手をして「ありがとう」と別れました。これこそ一期一会の最たるものでしょうね。ゴールドコーストに今度行ったときに会えるかなあ。黒ラブを連れた、3年前にリタイアしたというおじいさん、ボブ。もう一つの印象的な出会いは、国立公園の営林署のボス、ピーター。陽気なお話好きで、家族のことなどいっぱい話してくれました。奧さんは老人ホームのナース。長男はカー・エンジニア、次男はシェフ。彼自身はオーストラリアでも数少ない、カモノハシ専門家の一人だそうです。 若い頃にはラグビーをやっていたけど「これで断念した」とアキレス腱の古傷まで見せてくれました。世の中の中高年男性ってこんなにおしゃべりでしたっけ?それともオーストラリア人がおしゃべりなのでしょうか。これまで、アメリカ人と比べてオージーは結構シャイだと思っていたんですけどね。私自身、オーストラリアに慣れてきたのが相手の態度に反映されてきたのかも知れません。とにかく本来の仕事も滞りなく済ませられ、若い人たちもみな元気で帰国することができました。オージービーフやオージーワインも堪能したし、サメのいる(かも知れない)海でも泳ぎました。コアラやカンガルー、ウォンバットとも遊べました。オーストラリア、物価が高いことを除けばちょっと好きになったかも。これをお読みのみなさまオーストラリア東部にお出かけのときは同行してご案内いたします。いつでもお気軽にヨッサンにお申し付けください。ただし、私の旅行費用そっち持ちで。
2015年03月07日
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ポン次朗が生まれました。明日はポン太朗の誕生日。そして今日、立春の日がポン次朗の誕生日になりました。私の、二人目の孫です。本当は明日、生まれれば良かったんですけど。帝王切開と決まっていた二人目。出てくる日が2月4日と決まったとき、息子の嫁は産科の先生に言ったそうです。「2月5日がこの子のお兄ちゃんの誕生日なんです」言外に兄弟の誕生日が同じだったらいいなという意味を込めました。でも、先生はすげなく「5日は手術日ではありません」。そのひとことで、兄弟の誕生日が連続二日となりました。ちょっと残念。明日のポン太朗の誕生日。産院にポン次朗の顔を見がてら、ポン太朗の誕生日パーティーに行ってきます。ポン太朗の時は東京の八王子まで顔を見に行きましたが、今回は家から車で20分の産院。生まれたてほやほやを見に行くのも、誕生日パーティーに行くのも、随分楽になりました。でもきっと、来年からは兄弟いっしょの誕生日パーティーだな。
2015年02月04日
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二ヶ月ぶりに髪を切りました。昨日息子のところに行ったのでその話をしたら「レイちゃんも切ったよ」と。レイちゃんというのは彼のところにいるトイプードル、レイチェルです。たしかにきれいに刈りそろえられ、頭にはピンクのリボンをしてもらっていました。そして、トリミングの値段を聞くと、何と私と同じ。人間と犬が同じとは、どっちが安いのか高いのか。「シャンプーもしてもらったよ」というと「レイちゃんもしてもらった」とのこと。「眉毛カットもしてもらった」というと「レイちゃんは毛という毛、全身カットしてもらった」。とどめの一言は、「レイちゃんはお尻の毛もきれいにしてもらった」(これ、出産の手伝いに来ている息子の嫁のお母さんの言葉)さすがにお尻の毛までは私はしてもらっていません。うーむ。こっちの方が高かった、ということになるのか。ピンクのリボンもつけてもらわなかったしな(つけてもらいたかった?)。完敗でした。
2015年01月26日
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2月に、学生を連れて2週間ほどオーストラリアに行きます。昨日銀行に行き、学生たちが向こうで1週間学ぶ大学に宛てて授業料を送金してきました。シャッターも閉まる間際、対応してくれた20代半ばの女性行員さんと私の会話。 「留学なさるんですか?」 (まさか私がですか?) 「いえ、私ではなくて、私が引率する学生さんたちの授業料です。」 (やっぱり違いますよねー) 「お仕事を休んで、しばらく留学なさるのかと思いました。」 (私って、そんな風にみえます?) 「2週間ほど9人の学生を連れて行ってきます。」 (ふーん) 「言語学の先生ですか。」 (引率するなら言語学の先生より語学の先生でしょう) 「そういうわけでもないんですが。」 (なんか、場つなぎの話なのにぎくしゃくするぅ) 「そういう役割の先生なんですね。」 (どんな役割やねん。私は語学の先生の代役なんですけど) 「はい、まあそんなところです。」 「ではお気をつけて。」 「はい、ありがとうございます。」 ・・・・無事手続きも済み、笑顔で分かれた二人でした。
2014年12月27日
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昨日の朝、目が覚めていつもの習慣でテレビをつけました。が、あきらかにおかしい。アナウンサーの声は聞こえるのですが、何を言っているのかわかりません。耳に栓をされたというか、何か膜が張っているというか(鼓膜は張っているんですけど)。この感じは以前にも経験したことがあります。もう、十年近く前になるでしょうか。そのときは「突発性難聴」または「めまいのないメニエール」という診断でした。今回もきっとそう。これは急いで治療をしてもらわないと治らなくなるぞ(以前、苦い経験があります)。土曜日だったので心配でしたが、ネットで調べるとかかりつけの病院はやっていました。病院が開くのを待ちかねて朝6時半に家を出て、開院前の7時15分には到着。シャッターが開くと同時に手続きをしました。ただ、ちょっと戸惑いました。耳が聞こえにくいと言っているのに、普通の言葉で対応しようとします。「え?」と何度も聞き返し、詳しく症状を言ってようやくちゃんと対処してくれました。案内の声が聞き取れませんし、順番に呼ばれる名前も聞こえません。こうなってみると、いかに普段耳から入る多量の情報で生活しているのかがよく分かります。聞こえの検査をすると、数字も明らかに悪くなっていました。診断を受けて、早速点滴が始まりました。毎日服用する薬もたっぷりいただきました。日曜は病院が休みで点滴ができないので、そのかわり同じ薬を一回12錠飲めと言われました。今後、しばらく点滴のために毎日病院通いです。さいわい勤め先から近くにある病院なので、すきま時間に1時間ほど「中抜け」します。いま忙しい時期なんですけど、ま、体のことですからこちらを優先しないと仕方ないですね。忙しいから病気になったのかも知れないし、「少し休め」というご託宣だと思っておきます。なんだかんだと5時間も病院にいて、注射料金より駐車料金が気になった朝でした。
2014年12月14日
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こんな怖いことが起こるなんて、想像もできませんでした。昨日のことです。一匹、プーンと家の中に蚊が入ってきました。おとといも一匹入った蚊に悩まされたばかり。今日はそうはいかないぞ。そう、思って蚊除けのスプレーを探しました。長らく使ったことがないのでどこに置いたかな?あ、あった。ん?これかな。見つけたのは「ヤブ蚊バリア」これ、買ってたっけ?自分で使ったことあったっけ?よく覚えていませんが、まあ同じように使えるだろう。そう考えて、部屋のあちこちにシューしました。お風呂場にも入ってくるかも知れない、とシューしました。その後30分ほどしてお風呂に入り、湯船につかると・・・なんと、なんと。お湯がぴりぴりして体が痛い。うわーこりゃ大変、と思わず手でお湯をすくって顔をぬぐうと・・・目が、目が。目の中にトウガラシをすり込まれたように痛くて目が開けられなくなりました。頭もひりひりします。急いでお湯を抜き、シャワーを浴びて目を洗い、頭を洗い、そして丁寧に浴槽を洗いました。「バリア効果」はそれだけではすみません。食事にも大きな影響が。バリアを振りまいた後でご飯を作ったのですが、直接食材にはかからないようにしていたはずです。なのに、冷蔵庫に入れていなかった食材は食べようとするとめちゃくちゃぴりぴりします。というか、飲み込もうとすると喉がヒリヒリします。こりゃー、飲み込めない。買ってきてその辺に転がしていたナスで作った料理がヒリヒリ。麻婆ナスじゃないのに。どういうわけかご飯もヒリヒリ。激辛カレーでもないのに。ただのササゲ入り赤飯のはずが、ヒリヒリ過ぎます。あまりにも刺激的なので、一口食べてナスもご飯も捨てました。冷蔵庫から取り出した食材や直接畑から採ってきた食材で作ったものはOKなんです。でも、ご飯はシューする前に炊飯器で炊いていたんですけどねえ。今日、釜に残っていたご飯を冷蔵庫から出して食べてみたところ普通でした。ということは、その辺に漂っていた「バリア」がご飯の上に落ちてきていたのかも。バリアの効果は8時間続くそうです。しかも効果は抜群。これは【屋外で使えば】強~い味方になると確信しました。でも、小さな子供がいるところでは使わない方がいいかもね。そんなわけで昨夜は、お風呂とご飯がまともに楽しめない夜だったのでした。とにかく、よい子はまねしちゃいけません。
2014年08月27日
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おかげさまで無事、石垣島から帰ってきました。3年連続で石垣島に行っていますが、今年は初めて台風を心配せず、行って帰ってきました。連れて行った息子は自分が晴れ男だからだ、と言い張っています。連れて行った孫のポン太朗は帰る前の日に「明日、帰るよ」と言ったら号泣しました。帰りたくない気持ちがそれだけあると言うことは、満喫してくれたということでしょう。連れて行った息子の嫁(妊婦さん)も、竹富島では元気に自転車をこいでいました。こちらの心配をよそに元気いっぱい。彼女が一番満喫していたかも。彼女のお陰で、旅行中ホテル以外で飲んでもちゃんと運転手がいました。これまでで一番、贅沢な旅行でしたね。今年は海でも過去の反省を踏まえてちゃんとラッシュガードを着て泳ぎました。去年もおととしも真っ赤になって帰って、みんなに笑われたものなあ。今年は全然皮もむけていないし、赤くもなっていません。お天気に恵まれた5日間。熱帯魚と一緒に泳いだし、水牛の車で海を渡ったし。真っ青な空やきれいな星空も見たし。そして何より、おいしいものをいっぱいいただきました。その中でも秀逸は「トミーのパン」。知る人ぞ知る、美味しい上にめちゃデカいパン。あんフランス、カレーフランス、ベーコンエピ、ポテトフランス、豆フランス。ほんの5つほど買っただけなのにずっしりと重い。5歳のポン太朗が受け取って、一瞬落としそうになりました。大げさではありません。検索して、画像を見てみてください。朝、開店時間に行ったときはまだほとんどお客さんがいませんでした。でもすぐに続々と来て、たちまち小さなお店は満員に。焼きたてほかほか~、大満足。石垣に来たら是非お立ち寄りあれ。
2014年08月20日
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毎年恒例の、「森」に行き、帰ってきました。行く一週間前から天気予報を見てやきもき。どう見ても、8月6日から10日の日程の間に台風直撃です。週間天気予報を見ても、毎日雨が降り続き最後はドッカーンと台風が来るみたいな・・・。予報は外れました。 8月6日 晴れ 8月7日 晴れ 8月8日 晴れ山のことですから、7日と8日に多少の夕立はありましたが、作業に支障は無し。いつもの通り、たくさんの若い人たち(男子4人、女子11人)でにぎわいました。木を切り、遊歩道を作り、かまどでご飯を炊き、薪割りをした薪でお風呂を沸かし。あっという間に楽しいときが過ぎていきました。そして、8月9日。これまで我慢してくれていたものが一気に堰を切ったかように、未明から豪雨になりました。そして、どうみても次の日には台風が近畿直撃です。すでに大雨警報は発令されています。やむを得ず、予定を一日早めて下山することになりました。ところが、途中土砂崩れのため来た道のあちこちが通行止めになっているではありませんか。迂回路を探し、30分ほど余計に時間がかかりましたが、なんとか下界に帰り着きました。今年も無事に全員を下山させられ一安心(一人、すべって転んで靱帯を痛めた人がいましたが)。台風一過の10日、私だけもう一度「森」に戻り、たくさん残ったゴミも回収してきました。短くなった1日分、秋にもう一度みんなを連れて行く約束をしました。今度はモミジ狩りかな。さて、ポン太郎たちと石垣島に行く準備に取りかからなくっちゃ。
2014年08月12日
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カラスの鳴き声がうるさいとは思っていました。でも先日、いい大きさになったキュウリを見事に皮だけにされたのを見たときはびっくり。「これからは少し早めに採らないといけないかな」と思っていたのですが・・・。次は赤くなってきたトマトをやられました。だから、トマトは完熟させずにちょっとだけ赤くなり始めたときに採ることにしました。その後はしばらくカラスもなりを潜めていたのですが。もう大丈夫かなと思っていたところ、今朝畑を見てみてびっくり。最高級にやられていました。一番の被害はトウモロコシ。植えていた10本全部が倒されています。ようやくひげが枯れ始めてきて、そろそろ収穫間近と思っていた実がみなキレイに食べられていました。ショック~~今年食べられるトウモロコシがなくなってしまいました。そのうえ、青いトマトまでかじられ、こちらも皮だけに。さらになんと、これまで手をつけようとしなかったキンカンも食い散らかされていました。カラスたち、いよいよ食べるものがなくなってきたのかな。我が家のすぐ横の三叉路にある電信柱の一番上にいつもとまっているカラスがいます。今朝もカーカー鳴いていました。「ここにはまだ食べるものがあるよ-」なんて仲間に知らせていたのでしょうかね。でも私も、ひもじいカラスの餌場にするために畑を作っているわけではありません。先ほど坊鳥ネットを買ってきました。明日はこれを、残っているトマトやブドウ、イチジクにかけましょう。これまでブドウを食べられたことはなかったけど、これまで一度も食べられなかったキンカンも見事に食べられたものなあ。あ、でも、ゴーヤーだけには手を(口を?)つけませんね。
2014年07月11日
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今日は「娘」の結婚式でした。関連記事は以下をご覧ください。 http://plaza.rakuten.co.jp/yossan110/diary/201309240000/こぢんまりとしていましたが、雰囲気のいいすばらしい結婚式でした。私は「新婦の恩師」として呼ばれました。あんまり恩師らしいことはしていませんが、何せ「娘」です。新婦側来賓代表の挨拶をしろ、ということで待機していました。幸いこういうものは世の常で、新郎側からと相場が決まっています。披露宴開始直後に、まず新郎側の代表挨拶がありました。トップバッターではないので気楽と思ったのが、間違いでした。挨拶をされた新郎側代表の高校の先生、いくらでも言葉が出てくるではありませんか。私はこういう席で粗相をしてもいけないと、メモを用意してありました。でも、新郎側は何も見ずにいくらでもしゃべる、しゃべる。次が私の番ですが、仕方ありません。用意していたメモ書きは結局出さずにしゃべりました。結果は、ほぼメモ通りにしゃべることができましたが、冷や汗ものでした。ところが私たち来賓代表の挨拶よりも若い人たちのスピーチの方がずっと上手で面白かったんです。ときおり言葉に詰まったりもしましたが、私の挨拶よりもよほど心がこもっていました。さらに最後の、新郎自らのお礼の言葉がすばらしい。さすが大学時代、とある組織の会長をやっていただけのことはあります。新婦のご両親への手紙の朗読も、花束贈呈も、感動的なものでした。いろいろ若い人は企画を立ててやってくれますが、みなうまいものですね。もう年寄りは脇で見守っていればいいかなと感じながら、幸せな時間を過ごしたのでした。
2014年05月31日
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先日の、とある週末の夜のこと。そのときの私はひと仕事済んだのでちょっと飲みたい気分。でも、もう少し仕事もしたいので、どうしようかな。妥協して、ノンアルコールビールを飲むことにしました。私はノンアルコールビールでも結構酔える(気分的に)人です。その夜も飲んだ後、気分よく仕事を片付けていました。すると、夜11時過ぎに電話。そろそろ寝ようと思っていた矢先です。電話の主は私が部長をしている、アメフト部の選手。急病にかかって、手術ではないけれどそれに近い治療をしなければならない、と。そこで自分は未成年なので危険を伴う治療に親の同意が要ると医者に言われた。でも実家は遠くすぐには来られないので代わりにヨッサンに同意書にサインしてもらえないか。病院は車で普段40分かかる場所にあります。「え?でも私、今日飲んじゃった」そう思ってから、よくよく考えて、気がついたのです。「そうだ、飲んだのはノンアルコールだった!」急遽、車で病院に駆けつけたのは言うまでもありません。電車やタクシーで行けなくも無い場所だけれど、そうなると時間がかかります。深夜だったので自分の車で20分あまりで行けました、病院で医者の説明を聞き同意書にサインして、治療も終わって帰宅したのは午前3時。ほんと、飲んでなくてよかった。・・・こんなときぐらいしか、部長の私は役に立たないのですからね。
2014年05月20日
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この連休、ようやく畑の仕事ができました。畑や庭が待っているのは知っていました。畑や庭というより雑草スペースにしか見えない。ご近所からそろそろ「ここ、廃屋?」と言われかねない状態でした。そこで何とかしなきゃ、と重い腰を上げました。昨日の午後、東京から来ていた次男を駅に送ったので、時間ができました。雑草を引いて、その後芝刈り、畝作り。ゴーヤーネットを二階から一階の出窓の下までつるしてセット。野菜苗を買いに行ったのはもう夕方。翌日(今日)の雨を生かすべく、暗くなっても昨日のうちに植えました。こちらが何もしていないのに庭の花や果樹も季節を感じさせてくれます。ボタンの花が終わりその後にアヤメが咲き、そして今、シャクヤクとバラがつぼみをつけています。イチジクとブドウも新しい枝を伸ばしてちっちゃな実をたくさんつけました。ラズベリーも株が勝手に増えています。みんな、ほとんど世話をしていないのに、申し訳ない。そんなわけで今日も雨の中で庭仕事をしていると、収穫がちょっと楽しみになってきました。
2014年05月05日
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新しいケータイを買いました。ていうか、買わなければならなくなりました。昨日の夕方、家に帰ったらケータイがどこにもありません。とても不思議。午前中に使って以来使ってないし落とすようなことはしていないはずなんですが。電話をしてみたら「留守電におつなぎします」となるばかり。落とすようなことはしていないはずだけど、やっぱり落としたのかな。そして電池が飛び出したとか?まいっか。これを契機に機種変更しました。つい4日ほど前、連絡先やメールデータ、写真などをバックアップしたばかりでした。なので、さほどショックもありません。本体以外失ったものはほとんどなし。デメリットは2年契約があと4ヶ月残っていたのでその違約金を取られたことぐらいです。ラインのトークデータは消えたけど、連絡先は残っているので別にかまいません。新しい機種になって電池の減りが少なくなりました。電池容量はこれまでの倍以上、ディスプレーはIGZOなので「一回の充電で3日もつ」とか。もう一つ、大きな発見。最近のケータイってFMトランスミッターがついているんですね。これは思わぬ拾いものでした。私はオーストラリアのラジオをインターネットラジオで聞いています。これまではイヤホンで聞いていましたが、これからはカーステレオでばっちり。きれいな音でスピーカーから流れてくるので、何人でもいっしょにニュースが聞けます。・・・ま、いっしょにオーストラリアのニュースを聞きたい人なんて、周りにいませんけどね。
2014年03月23日
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