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家内との馴れ初め
家内との出会いを書く前に、自分が歩んできた、人生を振り返りたいと思います。
昭和18年に、大阪に産まれる。物心着いた時には、住吉で養母と一緒に生活をしていた。 私は貰い子で有ったが、産まれて1週間で貰われて来たので、戸籍上は実子に為っていた。 養父て言うのが2号に、西成の飛田
と言う所で、お好み焼き屋を遣らして居り、私は毎日のように、生活費を貰いに行かされた。 店が忙しいと手伝わされ、大変嫌で有った。
西成区飛田と云う所は、大阪でも一番ガラが悪い所で、出入りして居る内に
ダチも出来、いつの間にかグレ出して居た。
13歳から21歳までの間に、河内に有る、修徳学院を手始めに、宇治初等少年院、奈良中等少年院、名古屋の豊浦医療少年院と、出たり入ったりの繰り返しで有り、その頃には兄弟分も出来、人生裏街道まっしぐらに歩んでいたものだ。 人生太く短くを念頭に置き、最後の豊浦に行った時は、結核
にもなっていたし、俺は血を吐いて死ぬ物だと思って居た.
豊浦少年院を仮退院して、名古屋の板金工場で働いたが、大阪での暮らしが
忘れられず、半年もしない内に大阪に戻る。 大阪の西成に有る兄弟分の
所で、ぶらぶらしている時、前につるんだ事が有るダチに偶然出逢う、そのダチは、神戸Y組みの、直系若衆の幹部で、N組の若頭をしていた。
「ぶらぶらしてんやったら、内の組にこいや」と言う事で、N組に若頭の4分6分の兄弟として、本格的に任侠道を目指しだす。 Y組の本宅当番、
事務所の当番と、今まで自由に生きて来た自分が修行する、神経も使うし
緊張感は半端じゃなかった。その当時知り逢ったのが家内で有る。
いよいよ馴れ初め当時の話に入ろうかな
馴れ初めの前に、今の自分が有るのは、家内がいたからだと思う。 家内には将来一緒に為ろうと人が居た。 私がN組に居た頃、家内を飲み屋で
働かせて居た。 家内が何時も逃げそうだったので、飲み屋のママに、家内には内緒で変な事が有れば、私の事務所の方に連絡するよう、話を通して有った。 有る時偶然に元彼に逢ったそうで、2人で相談し、逃げようと
言う話になり、自分の荷物を纏めて居た時、飲み屋のママから私に電話が有り、荷物を纏めています、すぐに来て下さいとの事、丁度私も事務所に居たので早速飛んで行った。 家内は驚いていたね。 その時事務所に自分が居なかったら、又違う人生があったのかも、これが宿命と言うものかも知れません。 家内の方に、他人ですが相談にのる人が居て、その人の
家で、元彼と初めて顔を逢わせました。どちらに着いても恨み無し、取り敢えず、家内の気持ちで決めようと、話が出来て、「お前どないすんね」と聞いた所、私に着いて来ると言うので、その時点で決まりがついた。
でも中に入った人が「一緒に為るん遣ったら、堅気になって幸せにしてくれ
と」言われ、「すぐゆうわけには行かんけど、半年以内に堅気なる」と約束
してしまい、後に引けなくなってしまった。
今から考えると家内には苦労をかけたと思う。 極道の修行と言ってもやはり食べて行かなければならないし、大きな組の幹部ならいざしらず、大ナリ
小ナリ極道の嫁はんは、お水の世界で働いていた。 わたしも家内を働かせて居たが、一時まとめて前金を貰い、姫路の先赤穂と言う所のクラブに、
出稼ぎさせた事が有る、内の家内はだまって行って呉れた。 日が経つに連れ可哀想になり、逢いに行ってやった。 帰ってしばらくしてから家内の雇い主と話を着け、此方の方に帰らせた。 その当時の自分のしのぎは債務の取立てがおもで有ったが、取立てに対して察の方も煩くなり、良いしのぎには為らなく為っていた。又年少の時の舎弟分も出てきたし、その分家内の負担が増えて行った。 その時半年以内と期限も切った事だし、転機が訪れたみたいだった。 家内の実家は新潟の山の中に有り、親父が魚屋の行商と農業をしているとの事、新潟に行こうよと家内も言うし、私も自分の人生を変えて見ようかとその気に為り、取り敢えず兄貴に相談、兄貴も快く堅気になるのを賛成してくれた。 普通なら組を抜けるのは大変な事なのであるが、自分の場合兄貴の舎弟と言う事で、親分から杯を貰ってないのが幸いした。 自分の舎弟も、改めて兄貴の若衆でやると言うので、心おきなく新たなる人生の幕開けとなった。
今日はいよいよ家内との馴れ初めの話を書いて見るかな。 私がまだN組に居る時、毎日夕方になると、3人か~4人位で、事務所の近くに有る銭湯
に行っていた。 風呂上りにかならず寄るスナックが有り、昼間は喫茶店
夜はスナックになる店があった。 その店で働いて居たのが家内である。
クリスマスの手前で有ったと思う、「飯でも食いながら、遊びに行こか」と
誘ったら、もう一人店の女の子が居て「一緒ならええよ」言うので早速出かけたが、もう一人の子が「お腹痛いから帰るわ」と言うので2人になれた
南に出、その当時ユニバースと言うダンスホールが有り、連れて入るが家内は踊れく面白く無さそうなので、道頓堀のすぐ横に、コンパというカクテル
バーが有り、そこで一杯やったね。 今でも思い出すが、道頓堀の橋の上での家内との初キス、その当時そんな大衆の真ん中でキスをする人なんか居てなかった時代、何も怖いものが無かったネ。 話の内容は忘れたが家内が、あの汚い道頓堀に飛び込むと言い出し、「飛び込めるもんやったら、飛び込んで見んかい」と言った所、マジに欄干に飛び乗ったのには驚いた。
こらきっちり、形はめとかなあかんと思い、そのままホテルまでヘッドロックかませながら連れ込んだ。 ホテル代が足んなくて、部屋でヘッドロックをかましながら、ホテルのおばさんに、腕に嵌めていた計ちゃんを口ではずし「後で金持って来るから、これれで頼むわ」と渡した。 今から考えると旅館のおばさん、良く警察に連絡しなかったと思う。 おばさんも私が、や~さんと解り後難を恐れだまって知らん顔したのだろう。 壮絶な一夜が明けたが、メチャメチャの人生だったな~
今日は大阪に居た頃の面白い話を書いて見ようか。 美章園のアパートに居た時、訳は忘れたが家内と喧嘩した時が有り、その頃の私は暴力的ですぐに手を出していた。 その時も家内を平手で殴った、家内も負けては居なく口答えし逃げ出した。 頭に来て追いかけたのは良かったのだが、丁度
蛍光灯の紐に手が掛かり真っ暗になってしまった。 真っ暗の中追いかけた物だから入り口の柱に、思い切り目の辺りをぶっけてしまい、カウンターパンチを受けた時見たいに目から火花が散った。 その時はカッカしていたのでそのまま追いかけた。何とか捕まえ連れ戻しきっちり形はめたが、翌日紫色に目が腫れあがり、しょうがないのでそのまま事務所に行く、兄弟連中が「目どないしたんや」と聞くので、まさか嫁はんとの経過を話す訳には行かないので、「飲み屋で揉めたんや」と言ったら「やられたんとちゃうやろな」と聞かれ「そんなもんいてこましてやりましたは」と嘘の申告をした兄貴が「生卵転がせや、すぐ腫れ引くさかい」と言うのでそれから3日位卵ゴロゴロの生活をしていた。ほんまに恥ずかしい思い出である
家内の実家が新潟の山の中、小国と言う小さい町であった。 新規一転大阪を出た。 丁度田んぼの田植えの間最中、早速生まれて始めての田植えに挑戦。あれは腰に来るね、中腰でやるので大変、いや~きつかった。
お百姓の辛さがつくずく身にしみた。家内の親父さんが「住所不定なんか駄目なこっそ~」なんて言われて落ち込んだ事を思い出す。 それから暫く経ってから、夫婦で働ける所を探そうと言う事になり、家内の兄貴が長岡に居たので、兄貴の紹介で、パチンコ屋に住み込みで働き出す。 その時知り合った同じ様な境遇の子と、兄弟分になる。 堅気になったのに可笑しい事なのだが、その当時は、まだまだいけいけ気分が抜けきらず、つぱっていた。 有る日の夜、映画でも行こうと、3人で1台のチャリンコに乗り大道りを走って居る時、パトカーに捕まり反則キップを切られた。
裁判所からの呼び出しも有ったが、シカトウして行かず、そのままむにゃむにゃにしてしまつた事が有る。 柏崎の同じ系列のパチンコ屋に、転勤を命ぜられ柏崎に行く。
柏崎は私と家内だけ転勤となった為、兄弟と別れたのだが、兄弟が店を辞めすぐに追いかけて来た。 兄弟は自分で同じ柏崎に有るパチンコ屋に勤務休憩時間が違うので、お互いのパチンコ屋で玉の出し合いをしたものだ。
仕事が終われば、おいちょカブで遊んでいたな~。 暫くしてから家内が胃痙攣を起こし、柏崎の市民病院に入院した。 退院する時に金が無く、店から前借して払った。金が無いと言う事の辛さを体験する。 支配人から今度柴田の方に行って呉れないかと言われ、何か転々とされそうなので、
辞めさせて貰い、近所のアパートに引越した。 身体一つで何も無く布団も無いので、すだれを敷いて寝たけ~、丁度夏だったので良かったのだが。取り合えず家内を飲み屋で働かせ、自分はバイトでガス屋の配管の仕事をする。
パチンコ屋で知り合った若い衆に、鍋と調理道具を調達させ、生活を始めるガス屋の社長から、内の社員にならないかと話が有り、本格的に勤務し出す社長の2号で副社長やって居た人が、新しいアパートと寝具一式立替て呉れ面倒を見て貰った。 その内パチンコ屋に居た兄弟が、俺も一緒に遣りたいというので、社長に相談、同じアパートに住むようになる。 兄弟もパチンコ屋で知り合った女と一緒になり、二組の夫婦が一歩を踏み出す。 家内とも入籍して居なかったので、戸籍を取り入籍する。 毎日の生活は楽ではなかったが、それなりに充実した日々を過ごす。 家内も内職を始め支えて呉れた。 初めての冬を迎えた時は辛かったな~。 ガス屋の仕事は外仕事が多く、今までええ加減な生活をして来た人間が、新潟の冬の寒さにはびびったネ。 家内の妊娠を知り「がんばらな~あかん」とまじ頑張った。 人間関係は堅気の世界でも上下が存在し、色々苦労もしたが、「舐められたらあかん」と言うポリシーだけは捨てなかった。
いよいよ長女の出産、金が無くアパートでの出産となる。 家内は19歳
初産なので大変苦しみ、見ているのが辛かった。 子供が生まれて産湯を使い、産婆さんが「女の子ですよ」と手渡された時、私はなぜか泣けてしようがなかった。 家内も難産の所為で、目の毛細血管が切れて、白目が赤くなってしまった。 子供を生むて言う事は大変な事だと実感した。 今はその子も、上が短大、2番目が高一、3番目が小5と3人の子持ちになり、時の立つのは本当に早いものである。 娘が産まれてしばらくしてから、私に又、舎弟分が出来た。 生活は楽では無かったが、身内が3人になり結構楽しかった。 家内にもその分苦労かけたと思う。
私にはポリシーがあり、人に舐められない、ホームレスと土方だけはしないと思っていたが、家族の為、土方をやる羽目になっていった。 ガス屋で丁度1年位の時、同じアパートに住んで居た土建やの夫婦が居た。 その親父さんが横浜で仕事をする事になり、一緒に来ないかと話を持って来たガス屋の仕事も土方が主なので、銭こも良く身内に相談したら行くと言うので、ガス屋を辞め、横浜の大手建設会社の飯場に就職する事となった。
本格的な土方作業は、体力に自信のない自分には辛い仕事であった。
でもその時は、娘も生まれたばかり出し「がんばらなあかん」と思い頑張ったよぉ。
磯子に世帯持ちの寮が有り、其処から川崎の現場まで通い出す。 仕事はきつかったが、皆揃って仕事が出来たので、それなりに楽しい事も多かった何時の間にか半年が過ぎある日の事、箱根から家内の兄貴が尋ねて来て、内に来ないかと打診あり、兄貴は箱根で旅館に入って居るマッサージ屋を経営しており「何時までもこんな所に居ず、内に来て家内にマッサージの免許を取り、あんたも将来の事考えたらどうか」との事、家内と兄弟、舎弟に相談兄弟は此処に残る、舎弟は横浜に叔父さんが居るので、車の免許でも取りプロのドライバーになるというので、袂を分け合った。 箱根では家内がマッサージの見習い、わたしは旅館の番頭と就職も決まり、生活が始まった箱根での生活も長くは続かなかった。 私と家内が仕事をしている間
娘の面倒は兄貴に見て貰ったのだが、娘が生まれてまだ半年もたたず、家内が居ないと泣きまくり、兄貴が押し入れの中に入れて居たのが解り、家内が「子供が可哀想」と言うので、小田原にやはり家内の兄貴が居たので相談した所、兄貴が働いて居た大手の食品会社に紹介してくれた。 アパートは自分で探しマタマタの引越し、転々としたがやっと永住の地を見つけた
家内の身内には感謝、ここまでやってこれたのも、家内と子供が居たから
色々苦労は有ったが、37年何とか勤め上げ無事定年を迎える
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