新福保隆(Yasutaka Shinfuku)  総合法律経済研究所【新福.jp】

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生い立ち





 昭和36年3月31日(丑年・牡羊座)東京都中野生まれ(母方では江戸っ子) 

 十三星座・魚座 血液型:RH+AB 九星気学:三碧木星 動物占い・虎

 小6まで小児喘息,肺炎7回。水泳で克服し,中学では無遅刻無欠席無早退。

→横浜市戸塚区(小2まで),千葉市稲毛(中2まで)・都賀育ち

大学卒業後,昭和58年高円寺→昭和59年石神井→昭和60年池袋在住

その後都落ちし平成2年大宮市→平成6年から川越市在住



**************学校**************



★☆★横浜市ひまわり幼稚園★☆★ 卒園


★☆★横浜市立東戸塚小学校★☆★ 入学

★☆★千葉市立稲毛第二小学校★☆★ 卒業

病欠が多すぎて私立中学受験を断念。

★☆★千葉市立稲毛中学校★☆★ 卒業

学校群(第2回)360人の上位3割=108人枠に阻まれ千葉高校不合格

★☆★市川高校★☆★ (選抜クラス)入学卒業

★☆★駿台高等予備校★☆★ 高2・高3クラス

高2がピーク。B組のトップクラスでしたが,1度風邪で試験を休んでしまいました。休まなければA組(東大コース)の最後尾に入れた・・その後悩みで鬱になり学力低下。

一橋大目標も共通一次(第1回)で900点に達せず撃沈。早稲田政経も失敗。予備校の「合格可能性」は大外れでした。駿台高等予備校午前部に合格しながら浪人は不可とのこと。仕方なくそれまで名前すら全く知らなかった成城大学に行くことになりました(2期試験のため19倍。法学部33倍。いまだに生涯最も高い倍率での合格です)。親は「明治や中央だと早慶に行けないみたいでみっともないが,成城なら金持ちの子と思われるからいい」と言っていたのが憎たらしかったです(妾の子は可哀想だから全員W大に裏口で入れたというのが本人の談)。なお成城2期は日本で最後の試験だったため,2浪の人が最後のチャンスと受験して落ちて自殺したり,入ってきても「こんなところやいやだ」とすぐにやめてしまったりしたため廃止になりました。 なお,発表が3月末だったため,まったく遊んでいません。



大学経済学部経済学科卒業(アメリカ経済史専攻)

1年の頃は周囲(下からや1期入学の人)とのGAPに悩み,ほとんど授業に出ずクラブ活動で遊んでいました。20歳過ぎたら家出して再受験を考えていたが,留年したら「こいつら以下」だと思い,1科目も落とせない状況からほぼ全優で大学2,3,4年を乗り切る。写真部議長,文化部連合常任委員を務める。

なお, 辻仁成 は同級生。彼は当時渋谷に住んでいて,QuarkからEchoesに名前を変えました。私も写真をけっこう撮りました。プロになると言って中退したくらいで,当時のテープは今聞いても結構いいですが,さすがにここまでビッグになるとは思いませんでした(地味だったので)。文才にも気がつきませんでした。大島聡子が1年上,金田賢一は1年下でした。岩崎宏美は大学には来ませんでした。



************ 家族 ************



 父・章は鹿児島県出身。成城中学,陸軍台湾派遣第八飛行師団第七対空無線隊,戦後慶應経済中退後,西日本新聞社(応募200倍)記者,新聞労連書記長(委員長は田英夫,原寿雄)。社会党委員長が刺されたこともあり,私が生まれたとき警察が警備していた。

 自民党三木派代議士 佐伯宗義  第1秘書,その後代議士がオーナーである32社の持株会社東越興業専務,福島製作所・伊達製鋼役員を兼任,広告代理店富士エージェンシー(社員100名)社長,京都新聞・KBS系「連合通信社」社長としてタウン紙発行,東京で広告会社「TASK」設立,雑誌「DOMAIN」創刊。平成8年没。

 母・米子は都立武蔵高女(嵯峨野高女疎開),預金封鎖で(理科が秀にもかかわらず)理系大学に進めず,共立女子専門学校家庭生活科卒(3位以内)。どこでも行けたのに祖母の知り合いの共立に入れられたことをずっと恨んでいた。西日本新聞社東京支社長秘書。40歳頃から損保代理店経営。車旅行にハマる(かなりの高齢で東北を1人でドライブしていた)。

 姉・淳子は検見川高校(1期),日大心理学科卒業後,すぐに結婚(義兄は平塚江南高,日大応用数学科卒,アマダを経て現在富士ゼロックス社勤務。SE)。娘1人。

 その他異母兄弟多数(笑)。そんなこんなで私は相続放棄(小さな頃から「家もらえるんだから」「跡取りはいいね」などと言われ何も買ってもらえずだまされた。それにしても大正男は扶養する家族の数がケタ違い・・)。



************父系親戚************



 よく知りません。



鹿児島に多い姓(京都に「菜館」有り)

 父の弟・正敞は東大経済学部卒,在学中に国家公務員上級職(現国家1種)シングル合格,東京銀行大阪支店次長,デュッセルドルフ・フランクフルト支店長,専務,兼松江商専務,富士興産社長,東亜大学教授。妻は富士高校,ドレスメーカー女学院卒,三越新宿店勤務。長女次女はドイツ在住の頃から才媛で有名,上智ドイツ文学科・慶應義塾大学独文科をそれぞれ主席卒業。長女はドイツ銀行勤務。次女は在学中にNHKドイツ語講座のアシスタントを経験し,ソニー勤務後,東京電力の東大出身技術者と結婚。
 祖父・淳は中央大学経済学部卒,石川島播磨勤務,満州国立建国大学教授,マニラ施政官,搭乗機撃墜され1945.8.8戦死。祖母は新井薬師門前料亭「山口屋」9人兄弟の末娘(新井小町と呼ばれた)。

 その弟・栄熊は広島教育大卒,海軍兵学校教官(数学のため戦犯を免れた),鹿児島大学教養学部長,名誉教授,鹿児島経済大学教授。著書あり。その長男・栄彦は昭和医大卒,外科医。聖マリアンナを経て静岡県の熱函病院院長?

 ほか沖病院長,貴島十字屋社長などが親戚らしい。その他学者,医者,放送局などで名前を見ますが,関係はよく知りません(そもそも鹿児島は修学旅行で1回行っただけ)。



 鹿児島は男尊女卑なので好きくないです。西郷さんもマヌケだし。



************母系親戚************



 たいへん嫌われていました。私もほとんど嫌いです。



 徳川家康と共に江戸に来た三河武士。

 母の祖父・幸三郎は武士をやめて兵庫県灘魚崎町の3000坪の土地(菊正宗の向かい)で酒造会社「株式会社柴田本店」を始め,その後明治維新景気・日清・日露戦争景気で家業を発展させた。一代で5000石以上の造り酒屋となり,宮内庁御用達(当時5店)。防腐剤を使わずに「銀釜」「金釜」で作り,それを東京で販売した。普通は銅の釜で火入れするが,金の釜で火入れしたので海軍が赤道を超えても唯一腐らなかったという。現在の東京駅前であり,皇居に最も近く,京橋区で最大の酒屋であった。店は自前の土地であったが酒蔵としょうゆ蔵は借地であったため,現在は八重洲富士屋ホテル。

 母の祖母・さよは末息子(母の父)が31歳で(扁桃腺治療に失敗し)敗血症で死亡後,番頭8人,小僧32人,女中7人を使い酒屋を続けた(長男は禁治産)。当時大八車(トラック)が16台あったという。

 祖父(母の父)・梅次郎は20歳で結婚,3男3女をもうけたが長男は1か月,次男も5歳で肺炎で死亡。商才に長け,灘で作り京橋の鍛冶橋前で卸・小売と「製造・問屋・小売一貫」を実現したため莫大な利益を上げた。ドイツから機械を輸入しての「酒の瓶詰め」は日本で初(それまでは樽から量り売り)。

 祖母・千代は京都市御幸町松原下るで箱類を製造していた川勝常吉・きぬ夫妻6姉妹の次女,川勝家は秦の川勝の子孫である。湯島天神下の江戸千家(不白流)茶道家元・冨田保の養女となる。茶道教授の代稽古で新橋芸者に茶道を教えていたが結婚のため廃業。祖父死亡後は家業を引継いだが酒屋本家・酒蔵を空襲で失い,酒蔵焼け跡は農地とみなされて財産税で没収。なお,戦中酒造会社の会社統合で業界2位(菊正宗に次ぐ)の魚崎酒造監査役となった。戦争中は戦力,戦後は千縁,タイガース(阪神デパート。Vカップ容器失敗)などを作り,平成6年廃業(デパート過酷要求で倒産)。この人も勉強はクラスで一番だったらしい。働き者で,関東大震災の時も浄瑠璃の豊竹鏡太夫を助けた。紀元2600年には35歳ながら富士山登頂。

 母の姉(長女)・育子は跡見高女,女子美大洋画科卒,女流画家協会員。夫は慶應義塾大学卒業後,六本木の洋品店フランセ(東洋英和など6校の制服),エリスを経営,再婚であったが平成10年没。長女は国立音大卒(ビオラ)。夫は包装関係製造販売会社経営。男子2人。

 母の姉(次女)・せつ子はオール100点で常に東京都第1位(青山学院で実施していた模擬試験)。府立第3高等女学校,女子高等師範学校(現お茶の水女子大)首席卒業。母校で教えたこともある。英語,ドイツ語,ロシア語(ニコライ堂),スペイン語に堪能。ダンス教師の免許もあり(ショーボート,赤坂のクラブで教える),夫のバンド全員の譜面も書いていた。在学中に声楽家の四家文子先生に芸大受験を勧められたほど音楽の才能もあり,その後ヤマハで勤務した。一番得意なのは理数系とか。夫はミュージシャン(NHKオールスターズメンバー,ドラム)。その後渋谷でミニクラブ経営。長男は春日部高校,早大文学部(推薦)卒。卓球で国体出場,大阪のクラシックギターコンクール入賞。ギタリストとしてCDや書籍を出版。この一家にはたいへんお世話になりました。なお母の姉2人は戦争中,鞍馬山の海軍技術研究所勤務。

 母の弟・有康は都立武蔵丘高校,東京教育大学理学博士(植物,専門は酵素)。もともとは酒屋を継ぐために理化学研究所発酵科学研究室勤務,生化学工業研究所長。医薬品会社で副作用のない関節への注入剤「アルツ」を開発,膝関節を助けるクッション「ヒアルロン酸」を医療品化。妻は同志社大学経済学部卒,住友生命勤務。長女は立正大学を経て主婦。次女は共立女子高校を出て家事手伝い。長男は獨協大学独文科卒。



 ま,過去の栄光ですな。



 なお、下記は私とはまったく関係ありません。



★☆★☆★神福商事★☆★☆★


 また,1997年に痴話げんかのもつれから世田谷路上で風俗嬢の柴沢総子(当時26)に刺殺された学習院大学(当時)の隆太さん(当時21)とは全く関係ありません。





************** 嗜好 **************



新保守系

鬼ヲタ(重症)

アンチ巨人

プロレス(猪木系)ヲタ

お笑い(たけし・ダウンタウン・爆笑問題)

アメリカヲタ

資格ヲタ(実態は学校ヲタ知識ヲタ教材ヲタ講師ヲタ試験ヲタ)

趣味:水泳・スキー・かち歩き(休眠中)。昭和61年,会社のボーリング大会とカラオケ大会で優勝(それがどーした)。


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