ゆきあけのボヤキ

サナの異変


平成16年の夏 私が大阪に帰省している時にサナが体の異変を訴えてきた。

いつものように私達は夜マサ姉の家にいた。

私は眠たくてマサ姉の家で少し寝ていた。

帰り道サナと私はコンビニに寄り、近所のパーキングに停めていた私の車で帰宅した。

翌日サナから電話があった。

「なぁ~昨日姉ちゃんち行ったよな?」

「は?」

「サナ、どうやって姉ちゃんち行った?」

「サナ仕事から直接来たから電車やん」

「帰りどっか寄った?車どこに停めてた?」

「え?帰りコンビニ寄ったやん。ファンケルのビタミン剤買ったやん。車は交差点渡ったとこやん。え?何??」

「・・・・覚えてないねん・・・・」

「は?????」

私は直ぐに昔付き合っていた彼氏の事を思い出した。

その元彼もまた、記憶が無くなり出し、結局悪性の脳腫瘍だったのだ。

サナは今朝仕事にどうやって行ったのかも思い出せないという。

「サナ、病院行き!全部検査してもらい!!」

しばらくしてマサ姉から電話があった。

「サナから電話あった?聞いた?」とビックリするマサ姉。

「聞いた。病院行きって言うた。元彼のあの事があるから怖いわ!」

私はもう松山に戻らなければならなかった。

サナは数日記憶が途切れ途切れになったものの、検査結果は異常なく“突発性健忘症”と診断された。

暑いからなぁ~と、脳波にも異常無しと言われた周りは安堵した。

しばらくして今度は腎盂炎になったという。

今まで病気なんてほとんどしたこと無かったサナだけにビックリした。

腎盂炎が終わったと思えば次は肉離れ。

スポーツも何もしてないのに?あげくギブスをされているという。

松葉杖ついての通勤に腰がやられたのであろう。

限界まできたサナは動けず救急車で運ばれヘルニアと診断され入院となった。

秋に私が大阪に帰省したのは、サナが退院した数日後だった。

「災難続きやなぁ~やっぱ厄年ですな」

「ほんまやわ。まぁもうすぐ誕生日やし厄も終わりやから辛抱やわ」 って2人で笑った。

当分仕事に行けるわけでもなく家にじ~っといるサナはとてもたいくつそうだった。

私の帰りを心待ちいしていたようで「マクド行こうや」「古本屋行こうや」と言ってきた。

無理をさせていけないけれど、気分転換になればと私の車で外へ連れ出した。

時間が許す限りサナと一緒にいた。

病院へのリハビリも私が車で連れて行った。

腎盂炎の菌なのか何なのか、サナの体内の菌の数値は下がらないままだった。

そんな中、リハビリで腰もだいぶ安定し、やっと仕事に行けると喜んだサナ。

サナの久々の出勤日に私は松山へ戻った。

翌日、サナ母からメールがきた。

出勤したその日の夜中、嘔吐したという。

これでまたサナはしばらく自宅安静となった。

「ほんま最悪やわ~~」と言うサナに「まぁあせらんとボチボチいこうや」と返した。


平成16年11月23日 サナが救急車で運ばれたとマサ姉から連絡が入った。

体がしびれて動かないという。

私は次の連絡を待った。

しばらくしてサナは自宅に戻ったようだ。

血管が少し詰まっていたので点滴をしたら治った、と。

私は体が動かなくなったんだから今晩ぐらいは入院させればいいのにと思った。

サナもしんどいだろうからと、私からサナへ連絡はしなかった。

数時間後、またもやサナが救急車で運ばれたとマサ姉から連絡が入った。

半身不随になっているという。

もういてもたってもいられなくなった。

翌24日の検査結果で軽い脳梗塞と診断された。

私は直ぐにサナ母に電話した。

検査中のサナを待合室で待つサナ両親。

電話口でパニック気味に泣くサナ母に「サナは絶対大丈夫やから!!」と言うしかなかった。

夕方ひきつけを起こしたサナは集中治療室へ移された。

そこで初めて全ての原因は心臓にあると分かった。

国立病院に心臓専門の名医がいるので大至急搬送しますとのことだった。

私は松山で、マサ姉は自宅で待機した。サナ両親からの連絡をひたすら待った。

夜8時過ぎマサ姉から連絡があった。

心臓に菌が付いている。今、体に菌が回っている。まず菌を取り除く点滴をしなければいけない。

それをしないと手術が出来ない。手術出来ても後遺症が残る。

点滴で菌が消えなければ手段はもう無い。。。

「後遺症なんてリハビリすればよくなる!もしも不随になっても私が車で何処にでも連れてく!大丈夫や!」

「そうやんな!!大丈夫やんな!!」とお互いを励ましあった。

サナ両親とその後の連絡がマサ姉も私もとれず、一晩中2人で電話しながら励ましあった。


翌日のお昼、マサ姉から電話が入った。

「サナが、サナが出血してるらしい。今からお前も病院向かえって連絡があった」と。

私は大阪に帰る準備をした。

マッピーの職場に電話をかけ直ぐにサナの病院へ行くように言った。

祖母をショートステイに預ける手配をし、飛行機の空席を急いで友達に調べてもらった。

けれど飛行機の空席は無かった。

もう次に一番早いのは車しかない。

冷静でいるようでパニックになっている私の行動を横で見ていたミー姉は

「お願いやから車はやめて。し~ちゃん☆が事故する!!」と言った。

だけど私は一刻も早くサナの元へ行きたかった。大阪へ行きたかった。

カバンに荷物を詰めようとするのだが頭が回っていなかったのだろう。

大阪へ帰って気付いた。まともな着替えが入っていなかった。


途中、電話が何度も入るだろう。携帯のイヤホンを耳に付けたまま高速を飛ばした。

友達に「瀬戸大橋と明石海峡やったらどっちがいいやろ?」

「今の時間帯やったら明石が早いやろ。とにかく気をつけて」と言われながらも猛スピードで車を走らせた。

病院の場所がいまいち分かっていなかった私の為に、別の友達が高速の降り場から全て調べて教えてくれた。

徳島の下道を走っている時、マサ姉から電話が入った。

「し~☆今何処??」「徳島」

落ち着いた口調で話すマサ姉の声に私はハンドルを握る手が震えた。

涙で前が見えなくなった。。



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