ゆきあけのボヤキ

祖母(アケさん)の事


祖母はほぼ一人っ子として育っている。

妹がいたのだが、祖母が8歳の時川に流されて亡くなった。

愛媛県の山奥で生まれ育った。

早くに母(祖母の)を亡くし祖父を養子に迎え

私からいえば 曾祖父・祖母・祖父で暮らしていた。

曾祖父から受け継いだ家・山などをずっと大切に守ってきた。

周りの人が山奥から松山に出て行く時は山を売ったりし

今はビルや土地をたくさん持っている中

祖母はガンとして山を売ることはしなかった。

今ではお金にならないたくさんの山が残っている。


祖母が50歳の時、今の松山の地に出てきた。

山では主に林業をしていた。

松山に出てきてからは70歳になるまで病院の厨房で働いていた。

水仕事、そして今までの山仕事で祖母の指は変形している。


今でもそうだが、昔からアイスが大好きな祖母。

私が幼い頃、松山に来るのをそれはそれは楽しみにし

大好きなアイスも「し~ちゃん☆」が来てから、と我慢する日が多かった。

母が「大好きなアイスぐらい食べてよ」と言っても

「し~ちゃん☆と食べた方が美味しいから」と。

決してお金に困った生活をしていたわけではない。

お金をとても大切にしてきた人だ。

時には「そんなにケチらんでも・・」と都会育ちの私は思ったものだが

今の生活があるのは、こんな生活をしてきた祖母のおかげである。

とても感謝している。


昔から少し天然ボケなところがあり、よく笑わせてもらった。

自分からはあまりベラベラ話す方ではないが、おしゃべりは好きなようだ。

友達の中では聞き役になっている事が多く、時には間に挟まれ苦労しているところもあった。

歴史が大好きで、幼い頃からよく本を読んでいたそうだ。

だから私達が学校で習っていない歴史まで詳しく、よく話て聞かせてくれた。


大阪に月に1~2度は小包を送ってくれていた。

特別なものが入っているわけではない。

砂糖やお菓子、野菜。いわば大阪でも安易に買える品だ。

けれどこんな祖母の箱いっぱいの愛情は私達にとっては特別なものだった。

松山から大阪に帰る時は必ずお手製の巻き寿司を持たせてくれた。

私は幼い頃から、お金をかけない愛情もたくさん教えてもらった。


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