ゆきあけのボヤキ

始まり。。。


私が松山行きを決心した時

両親はとても私にに申し訳なさそうだった。

周りからすれば、どうして母ではなく孫の私が。。

そう思えたに違いない。

色々事情もあった。

私 24歳。彼氏とも将来の事を考え始めていた時期。

もちろん両親も分かっている。

家族で話し合った結果、私が結婚するとなれば大阪へ、

入れ違いで両親が松山に移り住むという結論がでた。

どちらにしても私は両親と離れる事になる。

寂しかった。。。


祖母は自分が松山と大阪で母と離れていた為

昔から私に、母と娘は近くにおるのがええと言っていた。

けれど私と母は祖母と同じ松山と大阪になる。

変えれようのない現実に、祖母自身も悩んでいた。


お盆前に松山行きを決めていたが、祖父の具合がだんだん悪くなってきた。

母は私だけに負担をかける事はやっぱり出来ない、と

自分も松山へ行くと言い出した。


私は退職までもう少しあったので、先に母が松山へ行った。

私は大阪でプチ主婦となった。


しばらく経った頃、母が体の異変を訴えてきた。

病院に検査に行くよう勧めた。

そんな矢先 祖母から電話があった。

母が入院したと言う。

当時松山の家はコードレスの電話が無かった。

母の友人が電話をするも、

電話口にも出れない状態になっていたらしい。

その状況を知り、ただ事ではないと

友人がすぐに車で駆けつけ緊急入院させてくれたのだ。


私はその日の夜 船に乗り込み松山へ向かった。

翌朝病院へ行くと一瞬言葉を失った。

ほんとに病人になっていた。

頬は痩せこけ、それに反しお腹は妊婦のように膨れあがっている。

一人ではベッドから起き上がる事も、寝返りさえも出来ない。

ベッドを倒すことも出来ず45度程の傾斜のまま横たわっていた。

卵巣が腫れているのだという。

手術をしなければならないと言われた。


そう、入院しているのは母だけではない。

別の病院に祖父も入院している。

そして私の “二つの病院 駆け巡り看病” が始まった。



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