ゆきあけのボヤキ

入退院生活


2度目の入院。

可愛いスカーフを頭に巻かせた。

母はこれからやって来る冬用に自分で帽子を編み始めた。

同じ治療をしている患者さん仲間も増え、入院生活は決して最悪なものでなかったと思う。

私はいつも母に笑顔を絶やさないように言った。声を出して笑うように言った。

色んな仲間と励ましあい、お互いを支えてきた。

あっさり気丈なWさん。

少々ネガティブなKさん。

とても心配性なSさん。

同志達の絆が出来、お互い入退院を繰り返す中連絡を取り合っていた。

副作用もほとんど無く、たまに落ち込む時があっても母は負けずに闘った。


入院中は栄養をいっぱい摂らさなければと、カロリーの本も買い私は食事作りに励んだ。

病院食を嫌がった母の為に、朝色んなご飯を作り届けた。

途中あちこちに寄り食べれそうな物を買って行った。

赤ワインが体に良いと流行った頃、全ての料理に使った。

ときに「赤ワインくさい・・・」と苦笑いされたこともあった。


姫マツタケ・プロポリス。。数々の健康食品も与えた。

東京の知り合いが1本1万5千円もするプロポリスを定期的に6本ずつ送ってくれた。

姫マツタケだけでも月に10万は使った。

それでもよかった。どれほど高いお金を使ってでも助かるなら、ラクになるなら・・・


毎日毎日、大荷物を抱えてやって来る私、面会時間を過ぎても夜遅くまでいる私を見て

皆がとても私を心配し気遣ってくれた。

母の病室でいつも癌に関する本を読んでいる私を見て、研修医のK先生は「勉強熱心だね」とよく笑っていた。

K先生はとても優しくて、担当医に直接聞けない事、相談事が気軽に出来た。

私と母はK先生を陰で“若”と呼んでいた(笑)


3クール目、4クール目と治療が進むに連れて少しずつ副作用も出てきた。

しんどそうにしている母を見る事が多くなった気もしたが、母は負けなかった。

運動!といって自ら階段で屋上まで上り、体操をしたり気分転換をしたり。

何度か白血球の数値が下がりすぎ、上昇させる注射もした。

だけど、病人とは思えないぐらい普通に生活してた。

絶対大丈夫!!5年生存率の20%の生存者の中に母は入ると信じた。




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