ゆきあけのボヤキ

有終の美


家に帰りたい、家に帰りたいと言っていた母。

大阪の家ではないけれど、家に戻ってきたよ。

本当は大阪でしてあげたかったんだけど、お母さんが頑張ったこの土地、松山で最期を飾ろうね。


お通夜も告別式も全て私のやりたいようにさせてやってくれと、父は葬儀屋に言った。

自宅でやります。大好きだった花をたくさんたくさん飾って下さい。

親戚・知り合いなどへの連絡は父がした。

たくさんの人が駆けつけてくれた。

葬儀屋さんがビックリするほど、大阪から私の友達も駆けつけてくれた。

本当に感謝している。


目の前で寝ている母は今にも起きそうで。。。

とても闘病生活を送っていたとは思えないぐらい綺麗な顔をしていた。


やっとラクになれたね・・・

そう思うしかなかった。

父はずっと母の頬を撫でていた。


葬儀屋さんが私を気遣い、告別式はお昼から、出棺までは母を棺に入れずそのまま布団で寝かせてくれた。

私はまだ温もりのある母の腕にしがみつき、ドライアイスの冷える中、母と一緒に寝た。

今でも母の腕の感触が残っている。


告別式の時の事はあまりよく覚えていない。

ただ、棺の蓋を閉められるのが嫌で、蓋に釘を打たれるのが嫌で「閉めんといて!!!」と泣き叫んだ事は覚えている。


お母さん、本当によく頑張ったね。

きっと私には真似出来なかったよ。

お母さんと過ごした26年間、私は本当に幸せでした。

結婚式・孫を見せてあげられなかった事は娘として今なお後悔しているけれど

独身だった私だからこそ、あんなに四六時中お母さんの傍にいれたんだよね。

24歳から26歳までの約2年間。

あれほどいつも2人でいたことは無かったね。

いつもいつも2人で一緒にいたね。乗り越えてきたね。

きっといつか私が遠くお母さんの元へ行く日まで見守っていてくれるよね。


お母さんが身を粉にして教えてくれた生き方は、私のこれからの人生の道しるべです。



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