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あけましておめでとうございます^∇^しばらくブログかけずにいました。昨年の中旬あたりから、体調を崩していて病院へ駆け込んだら「帯状疱疹」という病気にかかってました。まだ完治してません(涙)水疱瘡菌が眠っていて、抵抗力が弱まると出てくるとのことでした・・・水疱瘡をした人には必ず眠ってる菌。体に発疹ができて、高熱がでます。私は40°でて大変でした。入院はなんとかしないで済み、実家で寝込んでやっと直ってきて安心していたら・・・次の異変が発生しました。それは後遺症。左顔面に軽い麻痺が残りました。ステロイド剤という強い薬を飲んで、末梢神経を治す薬も飲んでなんとか麻痺もとれてきました。口が少し曲がっていて水をコップで飲めないし、うまく話せない。左目と右目の閉じるスピードが違うし、左目がうまく閉じないから涙がでてしまうし、ちょっとびっくりの年始年末でした。少しだけの顔の異変でも、こんな大変な状況になることに驚きました。今は麻痺もほとんどなくなりました。でも薬はまだ飲まないといけないみたい・・・
2009.01.03
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自分が破壊されていくような錯覚。朝起きてから1日が始まる不自然さ。どこにも所属してない自分。あてもなく深い森を歩く。でも秋がわたしを助けてくれる。晴天の爽やかな日光、そして風。大切な母が緊急入院して、手術をおこなった。失うかもしれない・・・待ってる間の恐怖。ほんとうに怖かった。一命はとりとめ、現在はリハビリに励んでる。年を重ねていく母。ありがとうって言った。なぜだか涙がでて止まらない。わたしの唯一の味方でいてくれたね、いつも助けてくれた。今度はわたしの番だよ。
2008.10.21
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最初から強い人なんていない。みんな戦っているんだ。夢が叶わなくても、力が足りなくても、人は何かをみつけ、強くなれる術を知る。夏が終わりかけている季節を知ることとか、心の傷を少しずつ癒すこととか、人はたくさんの楽しいことやつらいことを受け入れて生きていくしかないのだから。突き刺さったものを溶かせたとき、朝がやってくる。わたしは、そう信じている。
2008.09.15
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先日、引っ越しが終わりやっと落ち着いた。引っ越し先も同じ区だけれど、緑が多く気持ちいい。環境がよくわからないので散策していた時の事。躁状態で歩きまわったので疲れ知らず・・・ものすごい猛暑の日で、人の姿が少ないくらい。歩いていると緑に囲まれた小さな公園を見つけた。大抵、先住者がいらっしゃるのだか、いないようだ。シンプルですぐ気に入った。ベンチに座り、水分補給していると、何故か妙な気持ちになった。違和感?真夏の木々に囲まれた公園なのにセミが泣いていない。あたり一面しーんと静まりかえっていた。人も猫もいない。なんか不思議な体験をした気分になった。空をみると大きな入道雲と青い空。なんか異空間にきちゃったみたい。。。そう思ったら、暑いのに少し鳥肌がたった。公園を後に散歩を続けた。その直後、壊れたようにセミが一斉に泣き出した。耳を覆いたくなるくらい、おおきな声。この差のあまりの違いに少し怖くなり部屋へ急いだ。その後、同じ公園が見つからないのだ。ネットでみても、歩いて探してもみつからない。おそらく私の勘違いだと思うけど、もしかして亜空間だったのかもしれないと思うようになった。
2008.08.12
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昔から、曇り空や雨がすきだった。今は梅雨。みんなは梅雨は嫌いだと言う。常識内では、雨はやっかいだし濡れるし・・・確かにその通りだと思う。だから、私は常識外らしい・・・特に部屋や外出先の室内で雨の音が響くと気持ちが安定してくるみたい。雨が上がった時の気持ち良さを考えながら、雨振りじゃ仕方がないなぁ・・・と思いながら決めていたスケジュールを変更したり。私が目に浮かぶのは、まだ小さい赤ちゃんの頃。母か祖母におんぶされ、ビニール傘から雨粒の独特な響く音を聞いていた。ポツポツ・・・・・・・私はおしゃべりに夢中の背中で、飽きることなく、天から絶え間なく降り注ぐ雨を眺めていた記憶がある。そのせいか、いまだにビニール傘で雨の街を歩くと過去へタイムスリップして、暖かい背中を思い出す。今夜も雨が降っている。だから部屋でゆっくりくつろげる。そんな状況を作れるのは・・・やっぱり雨のおかげ。
2008.06.25
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仕事がDrストップとなり、人へ依頼して自分が仕事をしなくなり1ヶ月以上が過ぎた。頭を休めることと沢山の薬を飲むことが最大の課題らしい。でも、私は何かを探しては動きまわってしまう。休みとはいっても会社員ではないので、有休もない。だから、当然収入は絶たれる。もう諦めるしかない状態。先天的に「躁鬱病」をもっていたと言われた。この病気の治療は長引き、下手をしたら完治は難しい。それでもなんとかやって行くしかない。バセドウ病は改善へ進んでいる。不思議なことばかりだけれど・・・薬が合わず手術の方向へ進んでいたのに、副作用が消えた。手術をするために、異常に高くなった数値を抑えるため、1ヶ月、メルカゾール6錠を服用していて、最初はむくみがやってきた。もう幾度となく繰り返されてきた事だった。でも、手術もアイソトープも数値を下げないと出来ないと言われなんとか服用を続けた。次にやってくる不快を思い憂鬱になる。食欲がなくなる、ひどい腹痛、倦怠感、気管支炎、吐き気、寒気。でも何故か、むくみ以外は、わたしに襲いかからず・・・????なんとか薬での完全治療となった。2ヶ月かからない内、バセドウの数値が急降下。今度は亢進症から、一過性の低下症になった。薬は4錠になり、チラーチンという数値を上げる薬を1錠追加された。上がったり、下げたり、混乱中・・・でも経過は良いらしい。でもわたしの頭の中は、躁と鬱が入れ替わる。鬱になると、動けなくなる。動作が完全に止まるようだ。壊れたおもちゃみたいに。ひとつずつ、ゆっくり焦らず治していこうと思う。躁状態も、つらい。とにかく動き回る。急に歩きたくなり、電車を乗らず歩き回る。自宅でも・・・そうじとか、何かの整理とか、寝ないで1日中している。部屋はぴかぴかになるけれど、突然激しい疲労感はやってくる。わたしの頭の中はどうなってるんだろう。中間の自分が、はやく訪れるのを心待ちにしている・・・。
2008.06.12
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わたしの大切な友人が大きな事故で病院へ運ばれ、ICUへ入ったのが3ヶ月くらい前でした。いまは一般病棟へ移られ、先日お見舞いに伺い、笑顔を久しぶりに拝見し、心の底から安心しました。でも、いつも自分をおさえられる方なので心配。初めてお会いした時から今日まで私は沢山励まされて、死なないで生き延びてこれたような気がします。わたしに何が出来るのか考えても答えがでません。でも、無事に生還を果たし、戦っている姿をみてあと少しだけでも、頑張れる気がしました。自分の嫌な面だけみて、今後のことで頭を抱えていて。そんな時、大変な状況なのにわたしを励まして下さり涙がでそうになりました。早く良くなって下さい。いまの私の願いです。
2008.05.29
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ここ数日、嫌な眠気に捕われ生きています。頭をなにかハンマーみたいなもので、叩かれ気絶するような眠気。毎日やってくる訳ではなくて週に3日くらい。何がなんだか分からないうちに倒れるように落とされる。気がつくと丸8時間寝ていたり、10時間だったり。起きたときは時計をみて、混乱する。薬のせいかと思い主治医に相談しても???との返答。体調もそのせいでよくない。普段3時間で充分なわたしにはつらく感じる。体中から力を奪われるようなだるさ、脱力感。今年のGWは何をすることもなく、ぼんやり過ごす。医者には、休息の時間をとって仕事はDrストップだと言われ、うなづいてみたものの・・・自分にとって仕事は生きる証のようなもの。仕事関連の友人に依頼して、編集をお願いするも修正20箇所。あぁ・・・ちゃんと確認していないケアレスミスばかり。私はミスを防ぐため時間を競わない。最終確認には大きな重点を置く。頭が真っ白になりながら時間のない仕事のため、自分で修正をする。作りなおした方が早い。でも何とか終了させ、取引先へ慌てて持っていくと納品完了となった。制作者に詳細を説明すると、ギャラは要らないと言い出す始末。あのね・・・私が依頼したんだよ。君が決めることじゃない。次回は修正のないよう慎重に制作しますと電話口で言い放った。次はもうないんだよ。フリーの厳しさと現実。分かってもらえたらいい。
2008.05.06
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悲しいことがあるといつも近くに飛び回る、鮮やかなブルーの蝶がいた。優しい気持ちになれないまま、何かを探しているとまた現れる美しい蝶。色に心を奪われる。どうでもよくなる。私の肩に止まると、長く細い触角が頬をくすぐる。でも、私が動くと、消えてしまう・・・でもね、動かなければいけないんだよ。癒されることを求めるだけじゃいけないんだよ。悲しそうに私の周りをゆっくり舞う。それでも私は歩みを止めない。力強く一歩ずつ歩く。そっと振り返ると。蝶は反対にゆっくり舞っていった。いつまでも見届けていると、美しい原色のブルーが少しずつ消え去り、モノトーン一色に変貌していた。そして、私の前から静かに消滅した。心の底から悲しかったけれど、安堵している自分がいま、ここにいる。
2008.04.14
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わたしは、春があまり好きではなくて、暖かな春風は、なまぬるく気持ちが悪く感じてしまいます。ニュースやお天気などで、春がくることを幸せなものとして表現しているのを見ていると虫唾が走る。花粉症は今のところないのですが、電車や街中にいる花粉症の方々は、完全防備でも苦しそうにくしゃみをしただれた目をこすっては目薬を差しています。今日は冷たい雨がしとしと降っていて、部屋でモーツァルトでも聞きながら、アールグレイを優雅に飲み、好きな作家の写真集とか絵画集とか小説などを読みふけり、夜が訪れるのを待ち続ける。価値観はそれぞれだけれど、たまにはこんな余裕が欲しい。仕事が出来ない鬱憤は、この雨のおかげで洗い流されている。もう4月の半ばになろうとしているのに、部屋を暖め、赤いカーディガンを羽織っています。素直になりたいな。自分自身を投影させて、嫌うだけでは何も始まらないから。
2008.04.10
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春がもうやってきているのに、先週は得体の知れない異変が私を襲った。病気が始まった約5年前にも起こり、現在でも原因不明。医者も首をひねる。何故なら、この高熱は40℃もあるのに10分後は、36,5℃まで急降下するからだ。そして、1時間ほど経つと39℃にあがる。当然、体がふらふらになり精神的に参る。土曜日、急患で運ばれ、そのまま入院。仕事があれば無理やり帰るところだけど熱が高いと意識が朦朧となり思考力が低下する。仕方なく、病院のベッドで横たわり点滴を受ける。4人部屋の真新しい病室は、私を含め3人だった。運よく窓側のベッドになり、窓から空を眺めていると、自分はひとりなんだなぁとつくづく感じた。悲しいとか淋しいとか・・・そういう感情とは少し違う。結局、原因不明だったけれど経過をみると言われて、3日で帰宅できた。変なの・・・私は元気なのに、元気じゃない。
2008.04.03
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ここの所、仕事を減らしたり、断れない仕事は友人に依頼したり、自分の時間を持てるようになっている。でも、大切な友人が大きな事故に遭いICUに入ってしまった。自分の時間を持てても、結局彼の事ばかりを思い、涙が出てしまう。彼の事故と比例して、自分の体調が良くなっている。でも、心の中にある衝動的でない死。死にたいと思い続ける。ICUにいる、大切な友人は、私が自分で死を選ぶなら一緒に死にたいと言った。数少ない肯定してくれた人。彼はいま、死の淵にいる。手を差し伸べたい。抱きしめてあげたい衝動が今も私を突き動かす。
2008.03.26
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キャンドルの光が弱っている。病院へは先週再診察に行って気ました。午前は検査結果と今後の治療方針。すごく混んでいたけど、私の大好きな方が検査のため来院で来ていてお会いすることができ、時間待ちで一緒にマックでお話しができて嬉しかったです。最初の入院の時にアドバイスなどしてくれて、最悪の入院であっても唯一出会えてよかったと思えた方です^∇^午後は精神科。もともと違う病院へ通院していて、甲状腺の病気もあるので転院して甲状腺と病院へ通院となった。精神科は診察時間に時間をさくのは仕方ないけれど待たされ、やっと診察。初めてのDrなので、細かい問診や記入しておいた精神状態を確認する用紙を細かくチェックする。子供の頃のはなしや性格、まじめか・・・などなどわたしはまたか。。。少しうんざりしたけど、なんとか治したい。先生が状況を説明して、外せない薬のレキソタンとヒルナミンは絶対入れてもらった。抗うつ剤は飲んでから1週間以上経過しないとはっきり薬の成果がでないとのことで、おかしくなったら来週着て下さいと言われ、たくさん薬を頂いて帰途についた。医師に私の数値をみながら治療を進められたり、薬が増えたり、精神科の医者に、あれこれ聞かれ、否定されること・・・治療には必要なのだ。でも自分からは上手く伝えられない。そんなとき、私はキャンドルの炎を思い出す。何色でもいいし大きさもまちまちだけど、とても弱い炎。これじゃ、治らないな。医者の話を適当に聞き流しながら自分の炎を、命を必死で守っているキャンドルの炎にあげたいと強く感じる。でも結局はただの想像。いまのところ体調面での問題はむくみ以外起こっていない。
2008.03.10
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今週の始め紹介状をにぎりしめて専門の病院へ行った。そこは表参道にある。山の手線の原宿駅から徒歩で行った。私はバセドウ病の薬が効きすぎる体質らしく、一般の病院では無理だと言われた。でも長い間ずっと拒否していた。昔手術を受けた腹部のメスの跡をみるたび、絶対に手術しなければならない状態が起こらない限り二度と切りたくなかったから。発症時、大学病院に運ばれ、入院して・・・そこのDrにさじを投げられ、多摩市にある病院へ紹介され(合併症があったため)いままで通院してきた。でもややこしいことに、合併症の合併症・・・が起こる可能性が高くなってきて、精神面の異常も出てきて、逃げられなくなる。診察まで長い時間待たされる。前にいる女性がずっと泣いていた。母親に付き添われ、看護師が血圧を計っている。問いかけには答えず、しくしく泣き続ける。横にいる中年の女性は、ぶつぶつずっと文句を言っていた。暑いとか、遅いとか・・・絶え間なく続くお経のような声に耐え切れず、混雑しているソファから離れ、隅で立っていた。人で溢れかえる待合室には、座れる場所などなかった。自分の番号を呼ばれた。診察室へ入ると、Drが言った。「随分、我慢してきたんだね。大変なことになる前に来てくれ良かったです。」わたしの病状は最悪で、心臓に重い負担をかけてきた。数値の上下が激しく、今まで何事もなく生きてこれたのは奇跡なんだよ・・・わたしをたしなめるように優しく言った。命を削って生きている。寿命がどんどん少なくなる。この病気は、薬で完治できるけれど・・・わたしのように極端に薬が合わないひとは、ここへ通院している。こんな生活を繰り返し、5年目になる。極限状態がどんなことか・・・この病気のおかげで、何度も味わった。そろそろ解放しようよ。手術やアイソトープを選択する方法もある。怖がらないで、考えていこう。医者の言う言葉に、ゆっくり頷いていた。たくさんの検査をし、わたしの置かれている状況が厳しいという現実を再確認させられた。精神面でのバックアップも全力を尽くしてくれるそうだ。簡単に言うなぁ・・・人事のように思った。今週は、躁鬱を繰り返している。先週末は仕事の締め切り直前で心身症で苦しんでいた。逃げられない現実を前にして、消えたいと願う。耐えられず、記憶が飛ぶ。気がついたら、新聞がびりびりに破かれ部屋中に散乱していた。もう限界ということらしい。来週、また混乱した病院へいく。そこで最終決断がでる。やっと解放されるのかな。いままで幾度となく繰り返された絶望から・・・
2008.02.21
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私は、あなたが好きです。やさしい問いかけや温かい手。 手をつないで歩くと幸せな気持ちになる。すべてを包み込んでくれる?でもね、いつも思うことは、わたしにはその資格がないこと。だれの所有物なのかな。わからなくなる。自分の素直な気持ちは・・・暗い空に吸い込まれ、なかなか戻ってこない。答えられない自分。宙に舞って、旋回する思い。心配そうに私を覗き込む顔や何かを言いたそうな瞳に・・・私は引き込まれ言葉を失う。絶対的な私はさらわれて、彼にもっていかれた。優しい呪縛。でも私はそれでいいとおもっている。過去から抜け出そうとして、もがく私に、手を差し出し。あげてくれている。やさしいひと。大好きだよ。簡単な言葉だけど・・・あなたに。
2008.02.04
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先日新しい外注の仕事先に行ってきた。すべてが歪んでいて、修正がきかない状況だったけれど、仕事をしないと生きていけない現実。その仕事先の社員さんと新しい仕事の話をしていると、私の目がいきなりかすんで、視界がぼやける。焦点が合わずに問いかけに上手く答えられなくなった。とても怖くなる。目前で、怪訝な顔をしていた担当者さんに対して、突然意味の無い不気味さを感じた。死相って、見える?昔、聞いたことがある。死に際に出会うと、感じるという。影が薄いような、へんな錯覚。挨拶をして仕事先を後にした瞬間、かすんでいた世界が嘘のように治った。クリアな町並み。私の頭がおかしくなったのかな?訳がわからず駅に向かうと、思考の奥から男性の声が聞こえた。静かに諭されている感覚。啓示にも似た、突然の経験は、誰かが必死に伝えたがっているように感じた。私は、甲状腺機能障害という病気を患い、仕事に紛れて長い時間放置させていた結果、精神に重篤な病を併発させてしまった。それ以前に、治す気持ちなんて全くなかった。薬への依存や体にメスを入れられる恐怖。でも、少しずつ心は改善されてきた。 いま、その声に導かれながら完治させる道順を辿っている。
2008.01.31
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昨年暮れあたりから精神状態に乱れがでてきた。今年に入り、前半は壊れた自分がいて、本当の自分へ死ぬことを提案し、何度も繰り返し囁いていた。仕事をいくつか断り、3日間眠り続ける。断れない仕事に対しても、何も考えられずに放置していた。頭の中には死にたい衝動がいつもあり、それが自然で私のそばから離れない。たくさんの人から支えてもらった。oyagicciさん、ぶんさださん、親友、大切なひとたち、家族、恋人。そしてブログ仲間の方たち、 ittiinoさん、starbellさん、りんかさん、きらきらー0さん、+ュン+さん、Curvesさん、*†ェンジェル†ちゃんrose_hiさん、hy696さん、ゆうくん、akiさん、oakcompanyさん、ART×××さん、その他の方々・・・心から感謝します。自分が自殺することで、たくさんの方を悲しませることは耐えられない。仕事関係の方々にもたくさん迷惑をかけ、首を覚悟していたのに、あたたかく迎えてくれた。私が今出来ること・・・3つ抱えている病気を1つだけでも治癒させ、精神状態を安定させること。大切な何かを、私は無視して生きてきましたが、少し、仕事から離れて、休養していこうと思っています。仕事が一番大切だった私には、簡単なことではないですが。みんなが、私に教えてくれたことです。肩の力を抜いて、たまにはゆっくりしてみよう・・・死ななくて、本当によかった。そう思っています。食べるもの、仕事、精神面での励ましの言葉。少しずつだけれど、その大切な言葉に支えられて、やっと病院へいく決心がついた。私には手術かアイソトープでの治療が必要との所見がでています。気質的なものではないので、躁鬱も完治できると。残りの仕事をやっと終わらせることができ、丸3日徹夜した。今日は眠り続け、明るい光を感じることができました。ほんとうにありがとう。
2008.01.22
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最近・・・また「死にたい病」が始まった。でも、本当に死んでしまう闇には入っていない。いろんなことが不自然に感じる。自分の顔を鏡でみると不自然だらけで嫌になってしまう。判断能力の低下。仕事を抱えているのに上手く進まない。昨年の秋、よくわからない腹痛にかかり医者へ行った。検査をしても異常なし。医者は「仮面鬱」の説明をしてくれ、抗うつ剤を処方した。暮れからお正月にかけて、また意味不明の腹痛。ネットで調べても同じ症例がない・・・友人に昨年の暮れに話をしたら、単なるわがままだと言われて、そうなのかなぁと思う。押し寄せてくる意味不明な感覚。つらいというより、消えてしまいたいと思う。でも、先週末から少しずつ精神的に楽になってきたみたい。繰り返し繰り返し、悪魔の手がかかってきても・・・それでいいのかもしれない。仮面鬱で改善された腹痛とか、不自然な現状とか・・・それが現実。人に受け入れてもらえず、苦しむ。仕事や生活が安定しなくて悲しむ。家族や恋人にさえ、安らぎを求められず嘆く。悪い事実を受け入れ、改心すれば・・・初めて人生を楽しめる?そして自分を愛し、他人を愛せる?結局、すべてが欲しい自分って・・・わがままであり、悪魔なのかもしれない。
2008.01.07
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starbellさんより教えて頂きました。本日1月8日和輝くんが無事に見つかったそうです。無事で本当に良かった。 ボロボロっす(ぶんさださん)Rame-Rameモード (きらきらーOさん)生活情報館 aki さんのブログで拝見しました。ニュースでも見ましたが、まだ見つかっていないそうです。ブログのつながりで和輝くんが見つかるのなら・・・有力情報宜しくお願いします。 岩田和輝くん捜索願い横浜市都筑区東山田(港北ニュータウン)在住の12歳の男の子が12/6(木)から行方不明です。 見かけた方は都筑警察署または最寄の交番までお知らせください。110番でも大丈夫です。 都筑警察署:生活安全課 TEL. 045-949-0110和輝くんはすぐに移動してしまう可能性があります。(発達障害があります)せっかく目撃情報をいただいてもその場に居ない状況です。もし、似た人を見かけたら、 「岩田かずきくんですか?」と聞いてあげてください。*お母様より:発達障害という概念にはとらわれないでください。外見上、障害があると見られたことはなく、スタスタと歩き続けていると思います。 ↓和輝くんをみつけた時の対処方法へ --------------お母様公認の最新情報を掲載します。 -------------- 【最新情報】 <2007.12.25 13:10更新>12/24(月) 14:15頃たまプラーザ駅で似た男の子が駅のホーム長津田方面のベンチに座っているとろを目撃。すぐに駅員さんにホームを確認してもらったところ見当たらないとのこと。友人メンバー・有志の方が多数たまプラ、あざみ野、市ヶ尾、駅・駅周辺スーパーなどをまわってくれましたが見つかりませんでした。昨晩は捜索中子供をみかけた報告などありましたが、かずき君ではありませんでした。12/24(月) 朝11時半ぐらい平塚市大磯町の花水橋近くのラーメン屋で水を飲ませてくださいと男の子がきた。水を飲んだら出て行った。あの子ではないかと警察に通報。 12/24(月) のたまプラ駅目撃情報を警察にも報告。報告を受けて青葉区・緑区強化パトロール中。 あわせて平塚市も都筑区の要請ありパトロール強化。 12/24(月) 朝8時からの日本テレビの「スッキリ!!」という番組でかずき君の事が放送されました。少しでも多くの方にかずき君の方を知っていただいて、発見・保護される事を祈っています。18日登戸サンクスで似た男の子の情報、20日登戸駅での目撃情報を更新しました。12/23(日)午前8時20分ころ宮前平駅付近で男の子が寒そうに一人でたっていた。「おなかがすいた」と言っているので「どうした?」と声をかけると「おなかがすいた。何日も食べていない」と答えた。そのまま出勤した目撃者が同僚から写真をみせられ、「この子かも」と思った。同僚の方から警察に通報がありました。12/22(土)昼過ぎ(時間不明)、たまプラーザ東急食品売り場の試食コーナーに似た感じの男の子が食べにきた。(緑色のトレーナーをきていた)まだ凍っている食べ物を楊枝で刺そうとしていたので印象に残ったそうです。確実ではありませんが、和輝くんではないかと思われます。誤報が流れています!和輝くんはまだ保護されていません。お母様は誤報の確認電話の対応に沢山の時間を費やされています。(ビラに掲載されています。このHPには掲載していません。)どうかお母様の電話は、和輝くん情報にだけしてあげてください!宜しくお願いします!お母様は、ここにしか情報を流していません。 [ 今までの目撃情報へ ] <<傾向として>> 夜中に大通りから一本入ったような、静かな道を徘徊することが多いそうです。疲れているからゆっくり歩くことを描きがちだけれど、すたすたと早足で歩いたりする。(ただし二週間経っているから現在は、一概には言えない)夜の捜索に力を入れたいです。是非とも、みなさんの力をお借りしたいです。地域を見ていただくことをお願いしたいです。 -------------- 多くの善意の輪が、広がっている事に、心から感謝いたします。どうぞよろしくお願いします。いろいろな場所に住む方々、ご協力ありがとうございます。 -------------- [特徴 ] 身長:150cm、体重:45kg(今は体重は落ちていると思われます) 、髪:スポーツ刈りがのびた感じ、顔のわりに耳が大きい、 歩くとき両手を振らず、片方だけの時がある 。以前徘徊して保護された時、口を開けたままだった事がある。 [ 家を出た時の服装 ]NIKEカーキ色トレーナー・ベージュズボン・黒スニーカー ・addidasウエストバック(22日、緑のトレーナーを着た似た子供の情報があります。着替えた可能性も考慮してください!12/24日本テレビの「スッキリ!!」で放送に使われたイラスト多少イメージが違う部分があります。どうか服のイメージよりも、顔・上記載の特徴など参考にしてください!)[ 所持品 ]家のかぎ、バス定期(小杉~鷺沼)電車 (鷺沼~十日市場)アディダス青サイフ [ 備考 ]発達障害があり、徘徊時には判断能力が低下していると思われます。--------------[ お母様からのコメント ]いろんな方々に和輝のことが伝わり、ビラ配りやメール転送、捜索にたくさんの方々が協力してくださっていることを深く感謝しております。みなさんのあたたかい気持ちやパワーが、和輝にも必ず届くと信じています。一刻も早く、元気な和輝にあいたいです。
2007.12.26
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お気に入りのコーヒーショップへ今日も訪れた。あたたかいコーヒーカップを手の平で抱え込むと、冷たい手が温まる。泡を今日もheartにしてみた。変な癖。でもかわいい~*^∇^* ~♪今日を境に、街はクリスマスカラーからお正月の景色へと変化する。雪でも降ればいいのになぁ。ガラス窓から空を見上げると曇り空の分厚い雲から少し太陽が覗いた。ふいに、恋人の癖を思い出す。少し気持ちが和らいだ。今年は仕事の変化についていけない年だった。未だに、翻弄されている。お正月も仕事に追われそう。今日の打ち合わせ、適当な理由をつけてすっぽかした。日時ずらせたのに、嬉しいような嬉しくないような気持ちになる。馬鹿みたい・・・そのままカフェラテとチーズケーキに助けてもらいながら・・・ゆっくり、本を読みながら過ごした。今日の午後の予定は、とくになし(仕事以外は)仕方なくお店を後にする。気がついたら、白いコートとタイトのミニスカート、ブーツ姿という歩きにくい格好で、師走の街をひたすら歩き続けていた。ヒールが邪魔をしても・・・早く歩けなくても・・・予定のない散歩は、本当に気持ちがいい。もう何もかもがどうでも良くなってくる。やっぱり、自分でブレーキをかけている?前向きに生きること。私にも出来そうだな。頭に浮かんだ安直な思案。ひとりで歩いてると、何故だか気持ちが大きくなるのも私の癖みたい。耳が冷たくなって、温かい手のひらをあてた。耳にあてた手が冷たくなっていく。それと同時に私の耳は少しずつ暖かくなっていった。私の癖は今年も治らず、そのまま来年へ引き継がれる。今年最後のイルミネーションは優しくキラキラ光っていた。
2007.12.25
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自分が二人。内なる姿は潜在に。自分を繕うことが嫌なのに、その逆のことをする自分がいる。上手に伝えられなくて、求めることをやめた。わがままを言うことも。怒ることも。潜在した自分は同時に存在していて、時々消えたり、現れたりする。分裂した片割れ。生きている証って、悩むこと?考えすぎないこと?それとも、その中間?でも痛みを感じられるならどっちでもいいけど。淋しいのか、淋しくないのか。そんなことさえも分からない。さっき、片割れの自分がやってきて、まだ、ここから消えるのは早いって、静かに教えてくれた。出来たら、いますぐ消滅したい・・・でもやっぱりまだなんだね。顔を見合わせたら、少し寒気がした。わがままで嫉妬深い自分がどこかにいるような錯覚。でもそうじゃない。だって、分裂した潜在に存在してるから。嫉妬という言葉が消滅した時・・・同時に自由も消えた。私は人を心底から愛することが出来ない。そして、もうひとつ私に教えてくれた。私の残された時間は残り僅かだということ。
2007.12.20
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温かいカフェラテを飲んでいる時。友人と遊ぶ時間。自分の好きな仕事をしている時。空が綺麗な日。美味しいものを発見した時。お風呂に入っている時。緑の中を散歩している時。大切な人とゆっくりお酒を飲む時間。優しい気持ちになれた日。そして、大好きな人と一緒に過ごす時間。まだまだたくさんある、私の存在理由。今までは、何をするのにも「意味」が必要だった。行動する時、いつも結果を考えていた。自分が何をしているのか、それに伴う大きな理由が必要だった。それでも・・・上手くいかなければ、あっさり考えを変えた。時は虚しく通過する。夢とは違う将来の自分へ、形を作ることに満足して、誤魔化して生きてきた自分は、心と体に傷を受けて、あと少しで、消滅する所だった。そして・・・自分自身に提案した「存在理由」私は、もう追わない。周りと考えが合わなくても、自分は自分。沢山の人たちに求められなくても、大切な人々に、此処にいることを分かってもらえれば、それだけで心の奥が暖かくなり、優しい気持ちになれる。自分でハードルを上げ、必死に進んでいく未来へ、追いつめられる必要なんて、絶対に無いのだから。
2007.12.12
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今日、久しぶりに黒い光りがやってきた。塊が、綿になってわたしの奥へ入ってくる。慌てて、安定剤を服用した。たくさんの時間が必要になる。ぼんやりしてきた思考には昔みた光景が写りだす。カーテンを閉め、ベッドに入り、じっと過ぎ去るのを待つ。頭の中が真っ白になり、思考が止まると、時間の経過が分からなくなってくる。私は、普段、長い睡眠は必要ないのだけれど、これが来ると、丸1日、2日は眠り続ける。覚醒した時に、黒い光や塊は消え去り、死から免れた事を知る。でも、今日やってきたものは、あっという間に消え失せた。もしかしたら・・・壊れた自分から解放されるのかな。流れる血液と、大きく鼓動をたてる心臓。自分に巡る命を考えながら、死との境界を感じた。その時、明るくて綺麗な光りが、自分の鼻先に顕れた。ダイアモンドのように、キラキラと白く輝いていた。
2007.12.04
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今日、雑踏を歩きながら・・・考えた。 大切な人を失うこと。もう二度と触れ合えないこと。 でも、私たちは生きている。 思い出を、心の中に留めながら、その意味と、重圧に耐えながら、毎日、現実の中に生きるしかないのだから。どんなにつらくても、抱えながら生きるしかないのだから。 彼らは、年を重ねない。心に住み続ける。 でも、ずっと一緒にいることができる。それは永遠なのだから。 やさしい笑顔や声を思い出しながら、私たちは・・・時間が過ぎても、自分を責めて、悲しみ、泣き続ける。遠くに行ってしまった彼らのために。 天使になったあみさんへ追悼を捧げます。
2007.11.30
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昔から他の人と比べ、何かがおかしい・・・そう感じて、悩んでいた。 内緒にしていた事実。それは・・・自分の食べる量がおかしかった。ということです。その時々に付き合っていた彼と食事しても、量を1/8におさえ、空腹のままデート。帰宅の途中で、ファミレスへ飛び込み、2人前ほど平らげて安心しながら、自宅でも夕食。 私の秘密でした・・・ しかし、ぶんさださんのブログにフードファイターの件(お好み焼き対決)が掲載され、何故だかふっきれました。攻防戦詳細は、ボロボロッすをご覧下さい☆ いままで、大食いに関して、いろいろありましたので、ブログでまた書いていきたいと思います・・・ あるアーティストのPVをみた時に、その美しさに感動して、これを作ったCGアーティストに会いたいと思っていました。その後、ブログを始めてすぐ、ある方とリンクスで知り合いました。不思議な話なのですが、リンクスで偶然知り合えた方は、そのPVを制作されていたアーティストだったんです。それが「ぶんさださん」でした。映像の仕事をやってみたいと思った最大のきっかけが、そのPVだったので、嬉しく、感動しました。本業はGデザインやインテリアデザインだったのですが、今は映像の仕事を追いかけて追いかけて、なんとか映像編集の仕事をしています。という訳で、彼は私の大事な師匠です。 また是非、「対決」お願い致します♪
2007.11.27
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最近。子供の頃の夢をあまり見なくなった。遠い記憶の中に、大きな空が見えた。自分が閃き、走り回った場所。キラキラ光る雨上がりの公園。そこには、守ってくれる家族がいた。小学校へ入ると、景色が変わった。好きなことばかりすると叱られた。だから、私は大人の言うことを一切排除した。登校中、ランドセルをしょったまま、公園で、綺麗な空を見上げて、過ごす。満足すれば、そのまま学校へ行く。授業中、平気で教室に入って、机に座る。教師の大声、友達の冷ややかな目。それらを、私はやり過ごした。「だって、つまんないんだもん。」あきらめた顔をした教師が、何事もなかったように授業を再開する。教室の窓を通して、外を眺めていると、自分が校庭を歩いている姿がはっきり見えた。その後ろ姿は、なんだか嬉しそうで・・・校門を抜けると静かに消えた。でも、ある朝。起きたら、景色が変わっていた。私は、突然豹変した。大人から好かれる様に、演技した。何故か、友達がたくさん出来た。みんなが私を呼び、探す。「ゆきちゃん、どこ?」その日を境に、自分の人生が静かに変化した。芽って、摘まれるためにあるのかな・・・それ以来、綺麗な空をいつも探している。
2007.11.13
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わたしは、弱い人間だから・・・最後まで出来なくてもいい。わたしは、嘘つきだから・・・人を信じない。わたしは、臆病だから・・・辿り着けなくてもいい。わたしは、潔癖症だから・・・人を許せない。自分を守り防御しても・・・何故、苦しい?不安な気持ちになることが絶対に嫌で、何かのせいにすることしか出来ない。自分を見ることが出来ればいいのに。自分を好きになれればいいのに・・・自分が消えちゃった日。その日に戻れたら、いいのに・・・
2007.11.07
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季節外の台風が接近した日、私は親友の家へ遊びに行っていました。親友は、先月結婚式を挙げたばかり。電話が入り「大事な相談があるから、うちに来てくれないかなぁ」と言われました。仕事を抱えていたので、一旦は断ったのですが、少し心配になり、結局ノート持参で出掛けました。1回電車を乗り換えて、親友の新居に到着。少しおしゃべりをして、昼食をご馳走になり、私は、大事な相談を聞いてみました。人の価値観は、同じではない。そんなことは分かっています。でも、彼女の口から出た言葉に、私は固まりました。「彼の友達に、ユキを紹介したいんだぁ」・・・これが大事な相談?きっと、彼女の瞳からは私のことが哀れにみえていたんでしょう。笑いながら断って、帰ろうとしましたが、結婚退職した親友は、暇な様子。色々な理由を並べて私を引きとめました。結局、ご主人も帰宅し、新婚家庭で夕食をご馳走になり、旦那さんからも、友達を紹介したいと説得される始末。ふたりは、満面の笑みで「結婚っていいよ~!」とのろけてました。「ねえ、パソコン持ってきたんだから、泊まっていきなよぉ!」と、親友は嬉しそうに言いました。外は大雨・・・台風が近づいているみたい・・・結局、いろいろな間が悪く、一泊しました。夜は、なんとか仕事を一つ終わらせて、ホッして、気がついたらもう朝でした。美味しい朝食をご馳走になりました。旦那さんは仕事でもう出掛けていて、安心・・・と思っていたら台風のため、ノートを持って帰れない(涙)結局夕方まで、おしゃべりをして、彼女のマンションを後にしました。私の大事なノートを置いてやっと帰路につきました。台風の風と雨のなか、彼の家へ向かった私ですが、いきなり風邪をひいてしまい、散々だ!と珍しく怒りモードでした。今の私は、結婚よりも、ノートPCが大切な形なのです。彼女には、一生分からないだろうけど、私はPCがないと生きていけません。恋人に対する愛情と同じ。物や形に対する価値観が対極だけれど、大事な親友です。嫌な思いをお互いするのなら、距離をとる事が、親友と長く付き合えるコツなのでしょうね。P.S.無事、ノートを家に連れて帰れました♪
2007.10.31
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初めて心の底から愛せた人。その頃は、毎日が楽しかった。彼は札幌で私は東京。よくある遠恋だったけれど、遠く離れていても、いつも私の近くにいた。大きな休みのたび、お互い飛行機に乗り会いに行った。普段会えない分、彼に対する愛情は強くなる。3年ほど過ぎた冬。突然の彼の死。葬儀には出れなかった。動揺と怒りの中にいた私。怖くて、仕事に没頭していく。二度と彼の声を聞けないことが悲しかった。遠くにいたから・・・まだ札幌で元気にしているような気がして、心が分裂した。現実に生きている私は、普通に恋愛もした。でも、二つに分かれた心は、まだここにある。やっぱり、想像の中では生きられない。分かっていても、時々、彼の元へ訪れる。会いに行く日が、いつも待ち遠しかった。荷物をまとめて、羽田へ行った日々。嬉しくてニコニコしていた自分がまだ、ここにいる。
2007.10.24
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いつも明日を探してる。勇気のある日穏やかな日勝利した日未来への不安はリセットされる。閉ざされた日沈んだ日敗北した日それでも、未来へ続いていく。自分に差し伸べられた手。迷う。疑う。それでも、受けとめる。自分の手を誰かに差し出す。傲慢。見返り。それでも、名前を呼んだ。いつの日か、葛藤は消え、痛みを呼び、向かい合えば私は、迷わない。その日から、その先にある光りへ歩き出す。
2007.10.14
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その部屋だけは、まだ消滅していない。私自身が消えるまで、ずっとここにある。自宅へ戻るように時々そこへ入っていく。存在が重過ぎるのだろうか・・・過去へ戻るのではない。ここに実在しているのだから。私の心から離す努力は虚しく消え去り、それと同時に視界に現れた、部屋へ繋がるドア。いつも一緒にいた場所。そこへ行けば心が潤い、未来は明るく感じられた。彼への気持ち。それは存在が膨らみすぎて、私には対処できなくなる。だから彼のいない彼の部屋は私の心の中で生き続けていく。まだ元気だった彼の笑顔とその先にある窓の外には雪が部屋を優しく包みこむように降り続けている。消滅した存在のリアルさだけが、時間の経過とともに大きく膨らみ、過去の苦しんだ自分を吸い込んでいく。辿りつけるまで、葛藤を押しのけ、私は強くなる。
2007.09.11
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先日、不思議なことがありました。その日は、午前中に用事を済ませて、そのまま彼の家へ向かいました。本当なら、30分ほど早く出れるはずだったのですが、急に仕事の修正が入り、仕方なく直してデータを送信し、安心して家を出ました。心の中は、彼に早く会いたい一心だったので、家を出るはずだった時間に、駅に向かっている自分が何となく浮かんでいました。そして、30分後くらいに慌てて家を出た訳です・・・。やっと彼のマンション前に到着。携帯が鳴り、バッグから取り出すとメール着信がありました。親友からのメール。久しぶりだったので、そのまま読んでみると変なことが書いてあって・・・内容をみて「え?」って、固まった私でした。訳がわからないまま、彼の部屋へ向かいました。もしかして、自分の勘違いか親友の勘違いかなぁ・・・そう思って、再度確認をしてみたのですが、やっぱりおかしい。メール内容は、親友が母親の引越しの手伝いに車で来ていて、渋滞していたせいで、山の手通りを私が1人で歩いている姿をはっきり確認したというのです。親友の実家が、彼の家とそんなに離れていないことは知っていましたが、私の彼が近くにいることは知らないはず。何故、私が固まったのか・・・その理由は、もう1人の私が歩いていた時間と実際私が歩いていた時間は、ちょうど30分ずれていたからです。親友が時間を勘違いしていたのかもしれません。そう思って、すぐ彼女の携帯に電話してみました。「だってFM聞いてたんだよ?時間たまに言うじゃない?ちょうど11:00だったから間違いないよ・・・ユキが間違えていたんじゃないのぉ?!」電話先の親友は、そう言って笑いながら否定しました。「間違いなくユキだったよ。服も、髪型も、全部」親友が見た私は、間違いなくその日着ていた服装と髪型でした。30分前に、その道を通っていた親友。30分後に、間違いなく同じ道を通った私。実際おかしなことばかりだったけれど、気味が悪いので、自分自身に言い聞かせながら・・・私が時間を勘違いしていたと言いました。その後、何事もなく普通に時間は過ぎていきました。後日・・・知人にその話を、人から聞いたと誤魔化して話してみました。すると、「あ、聞いたことありますよ、確か・・・その人は未来の姿だったんじゃないかな?それを親友が見てしまったんじゃない?」「どれくらい先の未来なんでしょう?」と私。「そんな先じゃないんだろうね、近未来ってとこじゃない?」と知人。結局、よく分からないまま、近未来へ向かっている私。その先に、「あっ!」なんて分かる時がくるのかな・・・?
2007.09.06
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「まだだからね。」待っているような錯覚。前進すればいいのに。「逆らわない」・・・自分で決めたルール。心の中で戦い、今日も敗れる。明日、頑張ればいいんだよ。今日の自分が思いついた、選ばれた言い訳。繰り返し繰り返し続く、言葉の羅列。それでも・・・流れに身をまかせる。まだ自分が生まれ変われることを信じて。
2007.08.31
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「無理しないことと、断ち切ること。」これは、私が出来ないことのワースト2。要は、いつも必死で余裕なく、後悔している人。そして、人から言われることの多いべスト2が、「いつも楽しそう、決断力が早い。」自分が思っている、自分って何?逆パターンの人もいるかと思いますが・・・他人から思われている自分は、何故だか対極に思われている事が多い。言葉をかけるのは難しい。いくら慰めて、元気出して!と励ましても、本気で悩み壊れた人々は、それどころではない。正直な人と、人を傷つける人。この二つは遠いようで、意外と同じ人格が多い。嫌いな人からいつも逃げていては、何も始まらない。人が抱くイメージって、けっこうアバウトだから・・・最近、仕事先で嫌な経験をしました。そこには、内勤しているほぼ同年代(私と)の女性がいて、オペレーター職を淡々とこなしています。彼女とは、ちょっとしたきっかけで仲良くなりました。私の彼女に対する第一印象は、「クールで潔癖でやさしくて、正直。」こんなかんじでした。で、何度かランチをしたり夕食をご一緒していく内、イメージが全部反対になりました(一つ以外)「情熱家でアバウトでキツくて、正直」彼女はずーっと前からユニットを組んでライブをやっていて、会社にも内緒。それに向けて全力で頑張っていました。「売れていれば、オペレーターなんてしていない。」そう言いながら、何故か嬉しそうに活動をもう辞めたいとよく私に愚痴っていました。そのたびに、頑張れっ!と言っていた。本当に、頑張って欲しかったから・・・デビューの道より、デザイン業のほうが向いているとか、確率的に、成功しやすいからなどなどと言ってきた。そして、「私、ユキさんの仕事手伝ってあげる。」とダイレクトに言ってきました。当然、超速攻で断りました。私に残る数少ないプライド。人は、それぞれに戦場があるんだよ。
2007.08.28
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毎朝散歩することが日課で趣味。例えば、朝5:00に起きて野菜をメインにした料理を作り、時間をかけてゆっくり食べる。まだ暑くなる前の、朝の静けさや空気が澄んでいる、そんな気配を感じながら、大好きな作家の小説を読みながら、野菜スープとサラダとスクランブルエッグ、ミルクとオレンジジュースを飲んで、穀物の入ったコッペパンに少しマーガリンをつけて、大好きな音楽を聞きながら1日が始まる。そして、散歩に出かける。遠出する場合は、歩くのが大好きなお友達とでかけるけど、基本はひとり。(きらきらOさんも、歩くことが好きみたいですね。ブログ読みました)暑い日も、早朝の空気はまだやさしい。うちの周りは、自然に囲まれている。六義園もあるし、由緒正しいお寺がたくさんある。都心の真ん中とは思えない所。大通り沿いは歩かない。路地に入っていくと、可愛い猫たちが迎えててくれるし、お花とか咲いていると、やさしい気持ちになれる。疲れると公園のベンチで、水分を補給しながらいろんなことをあえて考えてる。仕事のこと、彼のこと、家族のこと、自分のこと。小さな問題は、やがて大きな渦となり私を巻き込む。でも、ゆっくり朝を向かえ、好きな朝食を時間をかけて、ゆっく食べることの贅沢さができることが私の小さな小さな喜びで、やすらぎなのです。散歩は、仕事が少ない日は午後まで歩き続ける。忙しい日は、2時間くらいかな。でも、お勧めです。散歩した後は、心が安定しているし仕事も速く進むことが多いから。歩く距離は、少し多ければ、靴はすぐボロボロになっちゃう。私は、春の朝も夏の朝も、秋の朝も、冬の朝も全部大すき。日本人である四季を肌でいち早く感じるのが朝だから。歩いて、自宅へ戻ると、なんともいえない幸福感がおそう。シャワーを浴びて、1日の仕事の流れを再確認して、元気が増えてく。多分、この話はつきない。また書こう♪
2007.08.23
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2泊で伊豆に行ってきました。旅行は楽しいし、いつも仕事ばかりの私にとっては日常から離れられて幸せなのですが、ひとつだけ、困っていたことがあります。夜、徹底的に眠れない。眠剤も少し強いのを持参して行っても、何故か旅先では、効果が半減してしまう。なんとか多少は眠れても、すぐ目が覚めてみんなが寝てる姿を眺めながら、ため息。自宅で頓服するときはバッチリ効果はあるのですが。不思議・・・職業柄もあるのかなぁと思って考えても、昔からずっとそんな感じでした。私が生まれて間もない頃からみたい。乳幼児から眠りが浅く少ない子で、基本的に天井を見上げながら目をぱっちり開けていることが多かったようで、何かおかしいと不安になった母が病院に連れていったりしたようです。でも、何の問題もなかったので、機嫌も悪くないしニコニコしていたから、だんだん気にならなくなっていったと話してくれたことがありました。物心がついても、幼稚園児の私は夜が憂鬱でした。夜8:00に無理やり寝かされて、暗い部屋で睡眠できずひたすら耐えていた記憶が残っています。時々部屋を覗きにくる母や父は、寝ていれば安心し、起きていると叱られるので、ベッドで数時間ボーッとしていました。これ、かなり苦痛です。睡眠を多く必要な人と少なくても大丈夫な人と2種類いる、なんて本を読んだことがあります。これを逆のことをすると、体調がおかしくなる・・・みたいな感じの内容だったと思いますが、読んで少し楽になりました。眠れなければいけないと教えられてきて、いつも苦痛感だらけだったから。高校くらいから、もう開き直って睡眠を自分の常識内でとるようにしていきました。頭はスッキリだし、体も楽♪大体3時間くらいです。それ以上寝るとだるい。仕事で無睡眠が続いた時などは、さすがに眠れますが7時間以内で目が覚めてしまいます。でも元気。逆に寝すぎると具合いが悪い。旅先で熟睡することは、もうあきらめていて夜中は仕事してたり、何か食べて、ワイン飲んだり。これも結構楽しい。早朝、自然の中を散歩すると体の中に溜まってるストレスなどがファ~ッと飛んでいくのが分かる。空気もきれいで気持ちいい!5:00くらいに朝風呂入ったり。静かな朝が大すきな私。雨でも雪でも、旅先でひとりで歩くのも幸せ。ホテルに戻れば、美味しい朝食が待っているし、夜眠れなくても、逆に自然を身近に感じられるから最近の旅行は、憂鬱ではなくなってきています。恒例で、親友たちと月に1回くらい行くこともあって、今度は、大好きな彼と行きたいな!!
2007.08.16
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キラキラ光る箱のなかには大切な宝物がしまってある。自分でもめったに、その箱を手にすることはない。最後に開けられたのは、かなり昔。まだ透明な心があったころ。歳月は、どんどん過ぎていく。それと比例して透明だった心に色がつき始める。色をかんじて、毎日生きる。でも欲張りな人間は、さらに色を増やしていく。行き止まり、自分はいまの世界から逃避する。頭はふたつに分解されていく。それは自分を見失ったとき。目を開けたら、深い森の奥で膝をかかえ震えていた。逃避しても、待っていた世界は自分で身を守る同じ世界。不思議・・・自分のいる時空は、どこまでも繋がり一周回って戻りかけ、私を通り過ぎていってしまう。結局見失う。後悔はしていないけど、運は待っているだけでは訪れないもの。自分の犯した数々の失敗は教訓となって、空から強くて痛い雨粒として襲い掛かる。反省することは、大切なこと。でもある意味では自分を見失うことを容認することでもある。常識での見解は、いつも食い違う。だって、絶対は存在しないんだよ・・・。ぎりぎりまで来て、叫ぶ私。夢は夢、まだキラキラ光る箱を開けることが出来ないでいる。いつもここにあるのに。その箱が開いたとき、全てがきっちりと解決する。私の中にいる、10歳の女の子がずっと守り続け、待ち続けている。その宝ものは、10歳のまま私の中へ融合しているその女の子そのものだから。そして、その箱を開けることができるのが私。私が、綺麗な箱とその中で眠る宝物の鍵なのだから・・・。
2007.08.02
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痛みを感じるのなら、破壊したかった。許せない自分が、死ぬほど嫌だった。凶器に似た自分の心の中はいつも暗くて・・・だから、何も求められない。闇は異様に広くて、その迷路をゆっくり彷徨い歩き続ける。結局、その深い世界は狂った自分の住処だった。愛するひとが現れたとき、自分で作り上げた暗闇に微かな光りが漏れ始めた。「まだ失いたくない。」自分の心の中心が静かに浮かぶ。零れ落ちる光りの渦。手で触れてみると、暖かく優しく私を包みこむ。生きてる証、それは大きなパワーなのだと感じた。
2007.07.26
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「手が小さく見える。」ある日、彼が私の手をみて言った。すこし驚いて、私は自分の手を見つめた。小さい・・・?そのまま、彼の顔を覗きながら聞いた。「いま何て言ったの?」「ゆきの手が小さく見える。」と彼。私は、決して小さな手ではない。爪も伸ばしマニュキュアも塗っていた。そのまま、何かのバランスを崩したように、彼は、私の手にキスをした。小さな手。私はもうそれ以上、何も聞かなかった。その日以来、彼は私の手に執着するようになった。そして。「ゆきの手が、一瞬子供の手のように小さく見えるんだ。」彼が言う言葉を聞きながら、私はそれでいいのだと思うようになった。現実的で非現実な日常。私の手が一瞬でも、小さく見えたとして・・・何も不思議なことではない。彼とは、普段遠く離れていた。それでも私の手は小さくなったりするのかな。自分の手の平を見ても、何も感じなかった。私の中にいる、分身の一人は、幼い頃の私。その子は、いまだに私を通して、現れる。彼に話したことあったかな・・・?でも、透明になった心を通して、彼は何かに気がついている。この小さな手に。
2007.06.29
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自分の行動が理解できずに、淡々と毎日を過ごしていた。目を閉じても、暗い空しか見えなかった。私にとって大切なものが失いかけていたから。手をつないでも、会話をしても、何も見えない。自分がひとりで、苦しんでいるだけだった。どうしたら、あなたを愛せるの?私の心の中が透明になってきて、全てを見られたように感じる。失うことは怖くない。いつでも、切り離すことだってできる。そう思っていたのに、抜け殻みたいになった。しっかり、私を掴まえていて。離さないで。制御不能のまま、放心状態でゆっくりと空を見上げたら、梅雨の湿った灰色の空が見えた。解決できる日が来ることを、信じて。
2007.06.25
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何を考え、そして実行するのか。自分は何をしたいのか。夢ってなんだろう。本物って?偽者って?何に対しても猜疑心を持ってしまう自分。それは過去の記憶。未来に対する不安。誰もが持っている事なのだろうか。立ち止まって人生の岐路へ立ってみるのも一つの方法。私には真の友人と仮の友人がいる。こんな書き方をするのは正直、嫌なのだが、事実。私は、その場しのぎの言葉を信じない。私の事を大切な友人だという人々。でも、そんな大事な言葉を軽はずみに発する友人を私は、信じない。言葉は武器にもなるし、安らぎにもなる。大切な友人とは?ひとつだけ言えることは・・・長い年月を経て、ここにいる人たち。何年もかけ、ゆっくり絆を深めてくれた人。急いでいないし、土足で私の中へ突然訪問してこない。何故、皆・・・先へ急ぎたくなるのでしょうか。急に大切な友人が出来てしまう不思議。全てに於いて、通じることなのだと思います。「仕事も、恋人も、友人も」私にとっての友人たちは、駆け足でない、正面から見合える人。だから、良い言葉だけ並べることや、衝突しそうになると逃げてしまう人は偽者だと感じる訳です。本当に心配している人は、私にぶつかってきます。嫌な言葉もガンガン言ってきます。自分にとって居心地のよい状態に常にしていると、本物を偽者だと思い込み、排除してしまう。仕事をしている上でも、通じること。騒ぎ立て自分に同調してくる人は、長続きしていません。落ち着いて、静かに周りをみて下さい。その友人や知人と接する時、自分が振り回されていたら、大抵の場合、言葉巧みに誤魔化し、大切な友人と連呼してくる。付き合いよりも、そして義理よりも、曖昧なその言葉ですぐに信用してしまう。そして裏切られたとき、腹をたて怒る。でも、その場の居心地や快楽のみで進んでしまったツケはやがて訪れます。そして、人間関係って難かしいと頭を抱えてしまう・・・。表面のみで付き合うことも時には必要ですが、頭のスイッチを切り替えなければ、動揺したり、安定剤を飲むことになってしまうのかもしれません。私の場合、仕事柄もあるのでしょうが、友人や知人との関係は命とりにもなり兼ねない重要なこと。「つて」ひとつで、大きな仕事になる場合もあるのです。だからこそ、人間の言動を無視することは出来ません。そして人との関係をとても大切にしています。偽者でないこと。言葉で搾取されないこと・・・。これは本当に重要なことなのだと思います。
2007.06.13
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スコールが突然東京を襲った夕方。私は、ひとりで車を運転していました。異常ともいえる熱帯雨林のような雨。あっという間に視界が消え、前方の車のテールランプが赤く大きく光る。速度を弱め、しばらく傍観していた激しい雨。耳を覆う激しい音が突然に止んだ時・・・辺りには不思議な静けさが覆った。頭はクリアーなはずなのに、思考が止まる。そのまま前の車は急発進させ、前方に消えた。私はゆっくり車を左折させ、小さな公道を走った。その時、また大粒の雨がフロントガラスを叩き始めました。小さな交差点。思考は何故か働かない。「あぶない!!」すぐ後ろから大きな声がしました。私は、急ブレーキをかけ、車は横断歩道の目の前でピタリと止まりました。すると、目の前に傘を目深にかぶった子供らしき集団が車の直前を走り抜けました。何も見ていない子供達。その一瞬で心臓が鼓動を立て始め、私は大きなため息をついた・・・。その僅かな瞬間。その僅かな距離。一瞬で降ってきた信じられない雷雨。音の中で、思考が戻り始めました。小さな交差点の手前で停止していた・・・後ろから、クラクションが響く。そのまま静かに車を走らせ、約束のお店へ向かう。駐車場に止める頃には、動悸と雨は止んでいた。その時に、はっきり聞こえた声・・・それは、私自身のものでした。
2007.06.08
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山の手線から見える不思議な風景。夕方の空を反射させそびえたつ副都心のビルの窓。走る電車から見える夕方の窓には、都心で息づく人々の群れ。至近距離にある、それぞれの中には遠い空と同じ、繋がらない何かがあって・・・覗き込むと、砕けそうになる心。小さな子供が車内で泣いている。誰も関心を示さない。懸命にあやす母親の姿。それはまるで自分自身心の中の象徴のように写る。ひとりぼっち。繋がりを拒絶する自分と、誰かそばにいてほしい矛盾。オフィスの窓には、背をむけてパソコンに向かう残業中の人々。ビルの3Fでは、フラダンスを練習している人々。どんどん日が落ちていくその時間に・・・
2007.06.07
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時刻は、夜。光の残像が残る空のいろ。小さな湖。深い森の奥。遠い山々の間にある、太陽が沈んだ痕跡。空には小さな星が浮かぶ。時の流れをみつめる4本の木が息づいている。湖に映る反対の景観。そこは、音を立てることさえ許されていない。長い夜が、これから始まる。4本の木は・・・朝を静かに待ち続ける。
2007.06.01
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勇気から自信へ・・・たくさんの失敗。私自身、いつも何かをみつめ、悩み続けていた。実際、悩み苦しんだ全ての事からは現在、解放されている。その時々に、自分自身で作り上げた幻覚。心の逃げ道を作る余裕さえ無くなっている毎日。過去から解放されないまま、過ごしている人たち。失敗して。つまずいても・・・とにかくやってみる。その「勇気」は「自信」へと繋がるから。それは、失敗から得る経験。新しい自分へと導く方法。過去に捉われることなく。そして何よりも、飛び移れる土台を築き上げる。土台がひとつだけなら・・・きっと、崩れた落ちた時に全てを失ってしまう。壊れないものは無いのだから。新しく作り上げることだって出来るのだから。過去のどんな苦しい経験も・・・忘れてしまいたいと思うことでも。ひとつも要らないものはないと気が付いた時、私たちは初めて成長できるのかもしれない。
2007.05.29
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先日。1日郊外へ行っていました。暑い1日でしたが、新緑の町並みを歩いていると心から・・・くつろぐことが出来ました。散歩友達。私の大切な友人。一緒に多摩の美しい景色の中を歩きました。坂も多いけれど、多摩丘陵の空気は私を元気にしてくれる。坂を上りきった時、風が舞って、鮮やかな緑が目に飛び込みました。少し歩くと、一軒の可愛らしい家があって・・・家を取り囲むように、一面カモミールが咲いていました。独特な、りんごのような香り。あまりの可愛らしさに驚いて、見入ってしまった。友人と一緒に、眺めていると、おうちの方が出てきました。「きれいですね。」そう言うと、ニッコリ笑って、持っていかれますか?と声をかけてくださいました。生ハーブで飲んでみて下さい。そうおっしゃって、カモミールを丁寧に、紙につつんで下さり、有り難く頂戴いたしました。お庭に、招いていただいて、生のカモミールティーを淹れて下さいました。贅沢な時間。幸せな気持ちでいた私たち・・・品の良いステキな奥様。「私の娘も・・・」そう言って私たちの顔をみつめる。私たちは、話の続きを待っていました。「カモミールが大好きだったんですよ。この時期だけ、 生茶で飲めますから・・・とても楽しみにしていました。」友人が、えっ?と声を出しました。静かな午後。風は心地よくゆっくり流れる。「また、是非いらして下さい・・・」淋しそうに微笑んでいた。素敵な時間と美味しいハーブティ。その笑顔の影にある、つらい記憶。また訪れることを約束して、私たちは、そのお宅を後にしました。その後、友人は、私の顔をみて「過去形だったね・・・」そう言って、悲しそうに目を伏せました。私は何も言いませんでした。娘さんは、あのカモミールの家に息づいてる。鮮明に蘇る笑顔とカモミールの香り。連動している、思い出。
2007.05.24
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忘れられない。遠くても、いつも近くに感じていた存在。心の中に残る、静かな声と優しい笑顔。逢えなくなって、どれくらい?それでも、存在はどんどん大きく膨らむ。影のように、そこにいつもいてくれる。永遠に愛してる。私が朽ち果てるまで・・・ずっと。愛の形に決まりはないから。ずっと一緒にいることが出来なくても。いつも一緒にいるようで、うれしい。今夜も、きっと違う世界の二人は、手をつないで、微笑み合っている。遠くて近いところに、その場所はあるから。
2007.05.22
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私は人づきあいが苦手です。でも誰からもそのように思われていません・・・人と接すると息苦しさを感じ、ひとりでいたいと強く願ってしまう。基本的には、現在もそうなのですが、昔ほどつらいものではなくなりました。きっと、他人にも厳しく自分にも厳しく生きてきたからなのかもしれない。人をいたわる気持ち。どんなに嫌いだと感じる相手でも、やさしい気持ちで接すれば、相手も同じように感じてくれる。これは重要なことでした。ただ、拒否するだけではなく、きちんと自分の気持ちを相手に伝えることが大切なのだと分かりました。昔、同僚で苦手な方がいたのですが、私は嫌いだと決め付けて自分を出さずに接してきました。でも、序々に溝が深まり犬猿の仲に・・・私は特に何もしませんでした。ただ合わないと思い込み、毎日会社へ行き、出来るだけ会話を控えていたのです。相手の方も、そんな私が理解できず苦しんでいたのだそうです。考えてみたら、自分が同じ立場なら嫌な気持ちになりますよね。ミーティング以外は口をきかれない同僚。ある日、その同僚と仕事の進め方で口論になりました。確かに、自分も悪いのですが元々嫌いな相手だったので面倒になり、すべてを託して任せてしまった。でも、結局彼女はパニックになり、その企画はボツになったのです。その時、私は事の重大さに気がつきました。個人的な理由で手を差し伸べなかった自分。そして苦しめてしまった。彼女は責任を感じて会社を辞めると言い出した。私は、彼女の自分中心の考え方が大嫌いでした。仕事以外で仲間と飲みに行った席でも奇行に感じてしまう言動、その内に服装やしゃべり方、香水の匂いにも嫌悪感を感じていった私・・・その逆に、私と仲良くしたいと思っていた同僚。溝は大きく膨らむ。私に謝ってきました。「あなたの仕事の考え方が正しかった。私は超えたかった。いつも先に仕事を覚えてしまうあなたに対抗したくて・・・」その時、淋しそうに微笑んだ顔が私の心底を打ちました。その夜、仕事を放り出して二人で静かなカフェへ行きました。私から誘いました。あの時に見せた嬉しそうな顔。彼女を嫌いだと思い込み、どんどん膨張した嫌悪感。それは、自分の犯した過ちだったと気がついたのです。彼女は努力していた。私は努力をしなかった。嫌い。ただそれだけでした。ゆっくり話していると、自分中心だと感じていた彼女の性格が浮かびあがってきました。そう、彼女は不器用なだけだった。必死で、仕事を覚えたい一身で頑張っていただけ。謝る彼女の前で、涙がでてきました。純粋さは、凶器にもなるんだな・・・。自分が正しいなんて馬鹿げた考え方なのだと。それは、同僚と私以外にも言えることなのだと思います。誤解が解け、その後は仕事の向上に繋がっていきました。会社を辞めて独立した私ですが、現在でも、お互いに相談をし合える仲のよい友人です。やさしい気持ちで人と接すること。同僚が私に教えてくれた・・・。ありのままの心を言葉にしていきたい。誤解や摩擦は、自分が引き起こしていることが多いのだから。この先も、色々な人と接していくことでしょう。でもこの大切な言葉が、自分のエネルギーになるのです。
2007.05.17
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私自身、昔から劣等感を感じ、不安の中で生きてきました。自分の本音は心の奥に隠してきました。自己蔑視している心底には、きっと「真の愛情」を理解できずにいたのかもしれません。自分を大切にしてくれる人が誰だか分からない。自分も誰を愛していいのか分からない・・・。精神的にも、かなり厳しい状態へ追い込まれた時期もありましたが、最近思うことがあります。それは、「行き詰った時は、逆の方向を見ること。」自分が守ってきたことや、大事に思ってきたこと。これらを正論として自分の中で納得させ、膨張させてきた宝物なのかもしれない。あえて、逆の方向をみることは自分を否定することになるけれど、自分自身に同調して生きていくことは何も生まれない。そして自分を追いつめていくことになってしまう・・・。もちろん、人によって考えや価値観は違います。でも、壁が立ち塞がった時、自分自身を変えなければ押し潰されてしまう。その時、誰が教えてくれるのでしょう。自分で切り開いていくしかないと思います。陰と陽、両方なければおそらく進化することはないと感じます。陰があるから陽が見えるし、陽があるから陰が分かる。心に傷を負うこと。確かにつらいと思います。でも、いろいろ経験をして初めて人の心の痛みが分かる。劣等感を癒すのではなく、克服することが大切なのだと強く感じます。
2007.05.16
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結婚式。とても素晴らしい瞬間。静粛な教会でお互いを夫・妻と認め合い神に誓う。清酒を飲み、神に誓う神前の形もありますが。私は結婚して籍を入れる意味がよく分からない。一般ではとても大切なこと。それはよく分かります。形にとらわれる事なく、彼を愛することができたらいい。一緒にいられる時間は限られているのだから。・・・知人に、少し前こんな話をしました。彼とはいつ結婚するの?と聞かれて、・・・私は、はっきり言いました。「結婚する予定はありません。でも彼を愛しています。この気持ちは、神に誓わなくても貫き通します。お互い別々に生活して、仕事をしていても会えなくても、ここに彼は存在するから。」知人は少し驚いていましたが、笑って言いました。「それは、イギリス式だね。一部なのだろうけど、彼らは結婚にこだわらない。とても、お互いを尊重しあう。色々な意味でね。そして年を重ねてからサインするんだって。一生の伴侶にすることを。」その方は、ずっとイギリスで生活されていて数年前に事情があり日本へ戻られました。現地で結婚され、奥様とともに帰国されました。奥様は日本人。「最初は、よくわからないなぁと感じたんだけれど、最近少しだけ分かるような気がするんだよね。結婚してさ、途中で子供が生まれて家族が出来て、また二人の生活に戻った時が本当の夫婦になれるんじゃないかな・・・そこまで完成される前から、夫婦の形に捉われすぎるのかもね。」その方はまだ48才くらいですが、そんな話をして下さいました。私は、そこまで完成されていませんが、基本は同じことなのかもしれない。自由でいたいとか、束縛されたくないとか、そんな考えとは違うのです。私は浮気されても、おそらく全く動じないでしょう。結婚していても、していなくても・・・それは彼が選び考えた結果だから。私は、人間が行動するときは必ず理由潜んでいると思っています。どんな事にも、複雑に絡み合い、そこまで行き着いた(もしくは途中)理由がある。結婚式をあげるのは、女性として憧れますが。イベント化している結婚披露宴。どうしても素直に出席できないのです。愛があれば、乗り越えられるし、愛が冷めたのならまた1から考えてやり直せばいい。「絶対」という言葉は存在しないのだから・・・。
2007.05.14
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