誰のために生きるのか・・・



自分中心にものが見えるのは
私が私である証拠。

自分の感情がわかるのは
私が私を生きている証拠。


それらをさらけ出すことは、

決して恥じゃなぃ。

決して悪いことなんかじゃナィよ。


って思う。。


















『詳しく』


自己中って、言葉があるけど、人間みんなが確実に自己中心的。

それは悪い意味じゃなくて当たり前のこと。自分だけのために世界が回ってるわけじゃないけど、自分を中心にして世界が見えるのは事実でしょう?
逆に自己中じゃなけば、自分に責任なんか取れないトヵ思ぅ。

よく、「私なんかどうでも良い存在だから」とか、
「友達のほうが大切だから・・・」とか言ってる人がいるけど、

確かに、友達は大切だし、たとえば、駅のホームに友達がおちたら、助けに行くと思うけれど、それは、自分がどうでもいいからじゃなくて、自分の意思で、そうしたいからそうするってだけですョйё。

いくら、どうでも良いって言っても、それをどうでも良いと感じるのも自分で、考えや感覚の中心は自分にある。だけどあたかもそうじゃないかのように、「私は自分ょりも、、、」って言ってる人に矛盾を感じる。

すべてが自分中心にして見えるのは自分が自分として生きている証拠であって、それは当たり前。そういう意味でも、自分にとって自分の代わりは誰にもできない。

自分なくしてまで、人に尽くすような事をしても、また誰かがそういう自分をみて、自分をおさえて。。。また誰かが、そういう人をかばって、、、。

結局は人に尽くす前に、自分に正直に自分のために生きていることが一番合理的で、アル意味では人のためにもなるんじゃないかと思う。

自分は自分として生まれた限り、だれも自分を変えたり、代わりをしたり支配することはできないのだから、自分のためにいきることが大切だとoOゅきなOoは思い松。 


人のために何かするのは自分を満たしてからじゃないと、意味がない。
自分のために尽くせる人になりたいなぁ・・・♪






© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: