雪月花

本棚と人





本棚と人についての話がしたいので、まずは私とその家族についての話から、始めることにする。私の家族は、私を含めて六人だけれど、三年前に祖父が亡くなるまでは、長いこと七人で暮らしてきた。そもそも、こうやって家族について語るような文章を書くのは小学校以来かもしれない。そのせいか今、家族との思い出が、入れ替わり立ち替わり頭の中に浮かんでは消え続けている。それに必要以上に寄り道せずに文章を進められるように、その誘惑に負けないように、私は少し踏んばらなければならない。

家族構成はというと、父と母、それに弟が一人と父方の祖父母、父の姉である所の伯母、そして私の七人だった。それぞれの部屋には本棚があった。居間にも本棚があった。今思い返せば、本棚が廊下に進出してきていた時期もあった。小さい頃から、それぞれの部屋に出入りしては、それぞれの本棚を覗き込んでいた。どの本棚も、たっぷりと本をたたえていた。幼い私は、家族の本棚というのは、いくら家族だからといって勝手に触ってはいけないものだと感じていた。もちろん、頼めば貸してくれるし、祖母は、私が本を読むことをむしろ両親よりも喜んでいた。それでも、本棚というのは、その人の裸と同じくらいの意味を持っていた。言ってみれば、究極のプライベート。他の家のことは知らないが、私はそういう家族に育てられ、いくつもの本棚に育てられた。

ガラス戸のついた本棚もあれば、とても背の高い本棚もあった。無造作に平積みされた本の山もあった。誰のものでもないけれど、誰のものでもある本の集まる本棚もあった。伯母の本棚には海外の小説と日本のSFとが並び、戦争から生きて戻った祖父の本棚には戦争に関する本が多かった。歌人でもある祖母の本棚には、小さい頃の私にはチンプンカンプンの日本文学。なぜか小学校の頃に、祖母にねだって『季寄せ』を貰ったことがある。母はノンフィクションが好きで、父の本棚には昔読んだのであろう大量のマンガがあった。思い返せば、私は母の実家に行く度に、そこにある母の本棚を漁らせてもらっていたし、父の仕事場に行く度に、そこの本棚にある専門書や雑誌に一目散だった。それぞれの本棚は私に、それぞれの家族の普段とは違う顔を見せてくれたからだ。

持ち主によって本棚は変わる。正確に言うと、本棚の中身も変わる。何が好きなのか、誰が好きなのか、それを知る為にも、私は本棚を見せてもらう度にわくわくする。例えば初めてその人の部屋に足を踏み入れた時、一番に目が行ってしまう場所が本棚なのだ。それほど、本棚は色々だ。全く同じ人間が二人といないのと同じに、全く同じ本棚も二つと無い。私はそう信じている。本棚は一人にひとつとは限らないけれど、その本棚はその人のものでしかあり得ない。だから、図書館の本棚よりも、個人の本棚の方が私にとっては魅力的なのだ。その人が見える、本棚。

本棚は、その人を、何より静かに語るのではないかと思う。そこに何が並んでいくのか、何を並べていくのか。いつの頃からか、人は「自分の本棚」を持つようになる。個人の本棚は、図書館のそれとは違って少しずつ埋まっていくものだから、そこには時間があると、私は感じていたのかも知れない。与えられた本や、課せられた本や、自分で選んだ本。その人の時間と意志、そして何らかの趣味の偏りが見られる本棚が、私は今でも大好物だ。今までに出会ったいくつもの本棚を思いながら、いつの間にか愛着を覚えるようになった自分の本棚を見上げた。本棚は、その人を、何より雄弁に語るのではないかと思う。









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