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妹の”うさはな”こと、かおりのブログは
削除しないとダメかしらと思っていましたけど、
真記様から、削除しないですむ方法を教えていただきました。
いろいろな方からもう少し残して欲しいというメールも頂きましたし
私(かおりの姉ですけど)自身も、
本当は、もう少し残しておきたかったんです。
もう祖母の元に戻ってしまった妹のアドレスを削除したら、
自動的に削除になると思っていたんです。
せめてKAZUKI様に、かおりがお願いした、
ライアーが届くまでは残しておきたいです。
ただ私も、そのうちに親戚のいるケベックに行かないとなりませんし、
その後は、多分、他の家族は、誰も
ブログの管理をしてくれないと思いますので、
その時期になりましたら、ブログは閉鎖する事をお許しください。
妹の残したスコアを整理していましたら、
雑記帳が出てきました。
ほとんどは、コンサートでするフルート楽曲の
展開とか,各小節を、どう表現するかとかという内容でしたけど
その中に、シオリをはさんだページがあって、
そこには、りん様のギフト・ヒーリングの事が書いてありました。
つい読んでしまって、かおりが仕事で、
こんなに悩んでしたなんで、 一緒に住んでいながら、
全然気がつきませんでした。
かおりは、ブログでお知り合いになった方に、
心のケアでも、とてもお世話になっていたんでね。
ありがとうございます。
看護職は、感情労働ですので、もちろん、
いろいろ悩みはあったんだと思いますけど、
家族には何も話しませんでした。
家族、特に母は看護職につく事に反対でしたし、
上の姉達も、好意的ではなかったんです。
かおりも家族の反対を押し切ってまで看護学校に入りましたので、
仕事での悩みも、相談しずらかったんだと思います。
夜勤明けで戻ったかおりの、
胸と腕の傷も、
転んだためという妹の言葉をそのまま信じていました。
職場で、そんな事が起こりうるなんて、考えてもみませんでした。
かおりも、なぜ音楽の道を捨ててまで、
看護職の道を選んだ理由とか
それでもなお、 看護職の道を歩み続けている自分を
説明できなか ったんだと思います。
かおりが慕っていた姪が入院していた病院の看護婦さんの
仕事を観て、憧れたのはあったのかもしれませんが、
それだけではなかったんだと思います。
かおりの、ギフト・ヒーリングのことをかいたページを読んで、
よく分りました。
かおりん、ごめん・・
もし、このページをみていたら
許して。。。
追悼ミサもおわりました。 2008.06.15
御礼と御報告 2008.05.18
御報告と御礼 2008.05.15