高校生の私


春がきて、夏がきて、秋に入った頃・・・毎月きちんとあるはずの生理が二週間遅れた。彼と検査薬を買って調べたが反応はなかった。もう暫く様子をみることにしたが、薄い出血っぽいものがあったので生理が来たのだと安心した。
でも、それもすぐに止まってしまった。やっぱりおかしい。

もう一回検査薬を買った。
線が一本くっきりと浮き出るのを見て自然と泣いていた。
車内でハラハラと涙を流す私に彼は
「結婚しよう」と言ってくれた。私が18歳のときだった。

とりあえず病院で確認したほうがいいと思い、母に「体調がおかしいから」と産婦人科に連れていってもらった。
結果はやっぱり妊娠。
先生は独身の未成年なので親に自分が話そうかと言ってくれたが、自分で言うから・・・とその日は母には告げなかった。母は「どうだった?」と聞いてきたが、
「何でもなかった」と嘘をついた。何て言っていいのかわかんなかった。

彼と話あった結果、とりあえず堕胎出来なくなる週数が来るまで黙っていることにした。私はまだ現役の高校生だったし、親が許すはずがないと思ったから。

でも、黙っているのも辛かった。
いつもと変わらない生活を強いられるのだから、初期とはいえ妊婦には大変だった。毎日片道1時間の通学路、学校での授業、重たい鞄・・・満員電車に乗ってる最中に貧血を起こして座り込んだり、体育の授業をわざと受けなかったりとなんとかやっていた。

そして、とうとう気がつかれてしまった。
母子手帳をもらったらものすごく沢山のDMまでもらったのでとりあえず部屋の机に置いておいたのだ。それを母に見られてしまった。
母は最初エイズ検査を保健所で受けたと思ったらしい。
毎日がいっぱいいっぱいだった私はとうとう爆発してしまって泣いた。
赤ちゃんが出来たと告げた。
母はショックで固まってた。

彼に母に知られたことを告げると、翌日親に会いにきた。
父も言葉に困って「順序が違うだろ」としか言わなかった。

クリスマスが近づいた頃だった。

何とか結婚するというのはわかってもらったが、世間体を強く気にする両親の「今回の子供はあきらめたほうがいいんじゃないか」の視線が痛かった。
口にこそ出さなかったが、棘があった。
でも、体を気使って駅まで車で送ってくれたりした。

年が明け、お互いの両親が会うことになった。
明らかに父が不機嫌だった。
家に帰ってからも、むこうの両親があやまりもしなかったと怒っていた。
結婚できるのか不安になった。
予定日は7月だったのでお腹はまだ目立たなかった。おかげで学校もちゃんと行ってた。最後の期末試験が終われば卒業まで学校に行かなくて済む。あと少しだ。
なんとしてでも産まれる前に式だけでも挙げて入籍を済ませたかったうちの両親は海外に行って二人でハネムーンも兼ね式だけ先に挙げて来いといった。ちょっと悲しかった。そんなにまでして形式を取りたいのか・・・と。

今となっては相手の気が変わるのではないか?と心配もあったんだろうと思う。

そのときはそんな風に思えなかった。
早く厄介払いしたいだけにしか思えなかった。
振袖を買いに行ったり、家具を見に行ったり、住むとこを決めたり、間を置いてやる披露宴の予約をしたり、衣装を決めたり、やることは山ほどあった。

検診は彼がいつも付き添ってくれた。

初期の頃は月に1回程度でよかったし、ちょっと気持ち悪いのと貧血気味を除けば特に問題はなかった。
4回目ぐらいの診察のとき、「赤ちゃんが週数に比べ少し小さい」と言われた。
さほど気にもとめなかった。
5回目に診察に行ったとき、超音波画像を診た先生が言った。「羊水がない」
訳がわからなかった。他の先生が来た。みんなで首をかしげてる。
診察台に乗せられ、綿棒の大きいので何か採取して検査してた。
彼と呼ばれ診察室に入ると先生が「破水しています。いつしたかわかりますか?」
と聞かれた。初めての妊娠なので、そんなのわかんなかった。そういや最近おりものが水っぽく多い感じがしたけど、本にはおりものが多いのも妊娠の症状の一つだと書いてあったのでそんなものだと思っていた。後でわかったことだが、徐々に破水していたらしい。
明日にでも赤ちゃんを取り出さないと母体が危険だといわれた。

赤ちゃんはお腹のなかでまだ生きていた。でも、今回はあきらめろ言われた。

普通の検診に来ただけなのに、いきなりそんなこと言われて何がなんだかわからなかった。待合室の廊下で彼といっぱい泣いた。家に帰ることも許されず即入院だった。

何とか助ける方法がないのかと先生に聞いた。
・破水したのがいつかわからないから赤ちゃんが菌に感染してるおそれがある
・週数的に小さいのでもともと弱いのかもしれない
・人工的に羊水を注入しても、どれだけ枯渇状態だったのかがわからないので強い奇形になってるおそれがある。その場合産まれても長く生きられない。
・何もしなかったら数日のうちにお腹の中で心停止するだろう

若いから、わざわざ苦労する必要はない。

大勢の先生に囲まれてこの書類にサインしろと言われた。

もう、思考回路がストップしていたので後のことはあんまりよく覚えてない。

人工的に赤ちゃんを押し出すみたいな形だったんだと思う。何かを入れられて激痛が長時間襲い、その横の分娩室で赤ちゃんが産まれていた。たくさん泣いた。
麻酔を入れられ気がついたらベットだった。

赤ちゃんはどうなったのかも知らない。

母が病院で埋葬してもらうように頼んだらしい。

120グラムしかなかったという以外性別も何も聞かされなかった。

何日入院して何月何日に退院したのか覚えてない。

ただ毎日泣いて、寝てた。薬も飲みきりでいいと言われたが、薬が切れたとたんに母乳が出た。泣きながら毎日絞ってた。

診察予約の日に病院に行くと「母乳が出て痛かったのならもっと早く病院に来ればよかったのに・・」と言われた。

そうだったのか・・・まだ呆然としてたのでそんなこと考えられなかったらしい。

薬をもらったら母乳は止まった。暫くは受胎調整して大学で勉強したほうがいい。と先生にピルを処方された。

後で思うとそこの先生は母のかかりつけで、父の知り合いだった。

本当は選択の余地があって赤ちゃんは助けることができたんじゃないかと思うときがある。まだ子供だった私は自分のことで精一杯だったから、言われるままだった。今でもそのことは怖くて聞いてない。

母子手帳も超音波の画像も私の知らない間に処分されていた。

あの子はこの世に存在しなかったことにされた気がした。

父も母もそれでよかったのだと思ったような気がした。

今まで反発していたけど、それ以上に両親に対する不信感というのが募った。
結婚したいというより早く家を出たかった。
おかげで「ただ単に早く結婚したいだけの二人」として結婚することになった。
世間体だけが保たれているようで嫌だった。

夜になるとよく泣いた。一人でいる夜はやるせなかった。



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