YUMEMIRUTOKI

YUMEMIRUTOKI

子育て


at 2002 03/23 09:41

この春から乳幼児サロンを開設する準備をしています。
どのくらいお手伝いできるかわからないけど、
そこでの活動のお手伝いをするつもりにしています。

子どもたちに関わりたいってずーっと思ってきたの。
それは何故だろう。
大人になると、みんな子どもの心を忘れる人多いよね。
私は子どものまんまなの。
未だに大人になりきれない。
それは、大人になっても忘れないってずっと思っていたから。
いちご白書(古いっ)のように髪を切って、
髭をそって大人の社会へ以降するっていうのを拒んだの。

子どもたちは、周りの影響を受けやすい・・・
自分の置かれた環境の中で甘んじているしかないことが多い。
悲しい目をして、淋しい目をして
自分の置かれた立場に耐えている。
そんな子どもが大きくなって、
やはり、その心は淋しいまま。
自分らしくあることすら、できず、
傷つくことを恐れて、心を閉ざす。
傷ついた大人の心を癒すのはむずかしいけど、
子どもはね、すぐに心を通わせることができるんだよね。
だから、子どもと関わっていたいんだね。



ある方へのメールの返信
at 2002 04/09 20:07

子どもたちはどんな環境にあっても自分で育つ力をもっているってこと。
不倫の子であっても、
仮面夫婦のもとであっても、
片親の子であっても、
どんな環境であっても、子どもたちは育っていく力をもっている。
だから、どんな選択のもとでも不幸にはならない。
そしてね、未来は自分で作っていくもの。
何かがこうあるべき、というのはみんな一人一人が
自分の人生のなかで選択していくもの・・・
どの選択が正しくて、どの選択が間違っているということはないと思うの。
そこに真実の愛があれば・・・。



親子の絆
at 2002 06/04 19:25

これは実は、宿題なのです。
今日の夜の役員会に提出する宿題のテーマ。
生まれ落ちた瞬間に、親子の関係がそこにある。
絆ってなんでしょう。
親子の談話。関わり。
子どもが小さかった頃は、
かえって子どものために時間を作りやすかった。
というよりも、子どもを中心に生活が動いていた。
買い物をするのも一緒。
どこへ行くのも一緒。
けれども、子どもたちが大きくなるにつれて、
それぞれが違う行動をするようになる。
この鳥取の地にあっては、
専業主婦でのんびり子育てに専念できる時期は短くて、
自然と子どもと接する時間は少なくなる。
大切なのは、時間が短くてもいいから、
子どもが親を必要としている瞬間に
どれだけ子どもと真正面から向き合ってやれるか、
また、子どもの気持ちに向き合ってやれるか、
ってことなのだと思う。
そして、親の心に余裕がないと、
その瞬間に必要なことを見抜くことはできないでしょうね。



子育ては、自分育て
at 2002 07/31 18:15 編集

子どもは、親の背中を見て育つ。
言葉では、どんなことを言っていても、
その親がどんな生き方をしているかを
心の目で見ている。
その矛盾が一番よく見えるのが思春期の頃だろう。
けれども、その時に本人が
どういう生き方を選択するかによって、
はっきりと見えていた心の目が
曇ってしまう。
マザーグースの詩にあるように・・・

小さい頃、私は賢かった
でも年を取るにつれて
だんだん馬鹿になっていく
(意訳につき、正確さにかけます、あしからず)



言葉がいらない関係
at 2002 10/09 18:46

今日は、午前中、託児をしました。
サロンに初めて来られたのが数ヶ月前。
おとなしそうな女の子で、お母さんのそばにずっと
ついているような子どもさんでした。
でもね、何回も顔を出しているうちに、
少しずつサロンの場にも慣れてきました。
可愛く肩をすくめて、が「開けて」のポーズなんです、って
お母さんが説明してくれました。
そして、あかないこまのような玩具を私に手渡しては、
「開けて」と肩をすくめるのがなんとも愛らしい・・・
それがつい、先週のこと。
そんな彼女が初めてお母さんと離れて過ごしました。
まだ、言葉が出てこないので、彼女は動作で私に教えてくれます。
「これ読んで」と本を差し出し、興味のあるパズルのところまで
私を引っ張っていきます。
一度だけ、お母さんがいないことがさびしくなって、
サロンの会場から出ようとした私についてきました。
それでも二階の階段から降りようとすると、部屋に帰るって
指でしめして、そのあとも部屋で過ごしました。
お母さんが戻ってきたのは、1時間半後。
彼女は、そのお母さんの姿をみて、「あら長いトイレだったのね」と
いうかのような表情で見ていました。
緊張していた様子もない・・・それどころか、
お友だちが周りで走り回るのをまねして、
珍しく奇声まであげてましたから。
普段、おとなしい彼女にしては珍しく、はしゃいでいたので、
そこまで心が開いていたのが嬉しかったな。
言葉がいらない関係・・・最高に素敵です♪



出会い
at 2002 10/11 16:50

9月にサロンがリニューアルオープンした時、
金曜日のサロンで、プレママクラブを始めることになった。
プレママとは、妊娠中のお母さんたちの集い、をさしているの。
その企画に、最初に来られた方が、毎週通って来ている。
彼女は、20歳をすぎたばかりで11月出産予定の方。
臨月にはいって、あまり目立たなかったおなかも順調に大きくなっている。
私は、今日彼女にプレゼントをした。
うちの娘たちが、退院時に来た、白いドレスである。
9年前にそれを購入して、着たのはたったの4回。
クローゼットにずっとしまわれていたの。
いいえ、別に大事にとっておいたというわけではない・・・
他のベビー用品は妹に借りたものは返したし、
購入したものはすべて友だちにゆずってあげたの。
でもね、私の友だちは育児サークルで出会った人が
ほとんどだったから、退院用のドレスは必要なかったのね。
このドレスは彼女の手に渡るために置いておかれたのかな・・・
近くにお産の準備を手伝ってくれる人はいないから、
とても喜んで持ち帰ってくれた。

彼女は、実家が兵庫であるけど、お母さんが働いているということで、
里帰り出産をしないで、鳥取で生むことにしている。
しかも、だんなさんの実家からの手伝いもなく、
夫婦二人で、初めてのお産をのりきるのだという。
彼女の友だちは結婚もしていないから、今サロンにきては、熱心に質問をする。
「オムツはどうやってつけるの?」
「首の据わっていない赤ちゃんはどうやってお風呂に入れるの?」
サロンに来ている、小さな赤ちゃんを珍しそうに見ていた。
ある時、オムツを替えるシーンを見ているのをみて、
「近くで見せてもらったら」と誘いかけた。
そうしたら、そのお母さんも一人目を里帰りしないで、
出産されていたというので、先輩ママとしての話が始まった・・・
かくいう、私も二人目は里帰りもなければ、親の手助けなしに出産をしたの。
でも、彼女の不安はそれ以上だよね。初めてのお産だから。
もし、このサロンがなかったら彼女はアドバイスも体験談も聞く機会もなく、
全くの孤独の中で、育児をスタートしていたかもしれないのだよね。
この出会いは、とても大きいと思う。



サロンとの出会い
at 2002 10/13 10:49

4月にオープンした日がとても印象に残っている。
当日の朝、スタッフが集まって会場の準備。
いただきもののジャングルジムの組み立てに頭を悩ませた。
階段と滑り台はどこにつけるのだろう??
おもちゃと絵本は、いらなくなった方から寄付していただいた。
何もない、部屋におもちゃだけのところからスタート。
そのうちにベビー用の布団を持ってきてくださったり、
おもちゃも絵本も増えていった・・・

初日に印象に残っているのはね、
そのとき最初に話したお母さんがやはり臨月だったの(笑)
しかも、すでに二人の子どもがいて、里帰り出産もしないという。
うーん、二人を連れて出てくるたくましさ。
しかもね、彼女に出産後今度は3人連れてきてくれた。
車は共有だからって、長女を歩かせて、長男は、ベビーカー。
そして、次女はお母さんが抱っこでバスで来たんだよ。
私も長女をベビーカーに乗せてバスで移動していたけど、一人でも決して楽ではない。
この秋、リニューアルオープンした、初日にも訪ねてきてくれた。
県外から嫁いできて、だんなさまは長男で同居。
それでありながら、彼女はとっても明るい。
その明るさの陰で、たくさんの苦労を乗り越えているんだろうなって感じた。

次にお話したのが、離婚してるんだけど、
まだあまり公に話していないんだっていうシングルマザー。
友だちがみんな幸せそうだから、
離婚しているってことが言えないっていうことを話してくれた。
その後、彼女はその思いを越えて、
自分のサークルの掲示板に自分は離婚をしているって書いた。
その彼女の心のはけ口として、サロンが、一つの役目を果たしたことが嬉しかったな。
この二人の印象があったから、もう半年も前のことになるのに、
あの日の印象は忘れられない。
そうそう、それから、その場所を提供してくださった、
県の関係の方も様子を見に来られた。
家庭では父親をしている、まだ若い方だったから、
その部屋にきたとたん、子どもたちに慕われて、保父さんに変身。
かなり長い間去らずにいた。
もちろん、その後何回か登場された時も同様だったことはいうまでもない(笑)

それからね、特筆すべきことは、たまたま商工会議所の企画した
パソコン講座に参加している人がそこに3人いたってこと。
だからね、他の参加者たちも顔を出してくれた。
その縁で、障害者のための作業所を作りたいって言う夢に燃えている関係者も
二人、車椅子で遊びに来られた。
また、今なお、読み聞かせの経験をこの場に生かしてくれる方もいる。
この雰囲気がいいんだよね。
子育て中の母だけが集うのではなく、いろんな人が顔を出して、関わってこれる場。
そこで、命名されたのが『ほっとサロン』
来た人がほっとできるっていう場なの。
命名は、やはり講座に参加されたWebデザイナーの方。
うふふ、こんに素敵な場なので、つい自慢話が長くなりました。


ねえ聞いて♪
at 2002 10/14 07:52

僕はね、2ヶ月の時にサークルデビューをしたんだよ。
その頃は話題だったものさ。
今でこそ、首の据わっていない赤ちゃんもたくさんくるし、
僕はもう、8ヶ月組に入ったけどね。
2ヶ月のような赤ちゃんは、まだ一人前に思われてないことが
多いけどさ、そんなことはないんだよ。
情報は眼から吸収しているからね、
ただ寝かされているのがすごく不満なんだ。
だって天井しか見えないじゃないか。
だから、僕はおこるんだ。座らせてくれって。
母さんは、まだお座りもできないくせにと思いながらも
僕が文句いうものだから仕方なしに、
抱っこするんだ。しかも、後ろ向きに抱っこだよ。
視界が母さんの胸だけじゃあきちゃったよ。
それに、もうおっぱいは出なくなっているし・・・

そのうちに僕は座ってじっとしているのも飽きちゃったんだ。
だって、周りの友だちは日々成長していてさ、
はいはいしている子もいれば、立って歩いている子もいるじゃないか。
僕だけまだじっとしているなんてつまらないよ。
だからね、最近は母さんに立たせてもらうんだ。
周りの大人たちはびっくりさ。
だって、お座りもできないうちから、立たせてもらって、
足をばたばたして喜んでいるからさ。
今はやっとはいはいもできるようになったからさ、
母さんに視界を移動してもらわなくても、十分たのしめるんだけどね、
目下の目標は歩くことさ。
母さんが僕をつれて歩く真似をして連れてまわってくれるのが
ご機嫌なときなんだ。
医学的には、十分にはいはいしてからの方が体の筋肉が十分に
発達していいっていうけどさ、
僕の意識の方が早く育ってしまったみたいなんだ。
人間は社会生活の中で生きているからさ、
とても多くのことを環境から学んでいるんだ。
たとえ、赤ちゃんでもあってもだよ。

最後にね、僕は、これでも男だからね、
グラマーな女性に抱かれるのが大好きなんだ。
母さんももちろん好きだけどさ、やっぱ、ふくよかなお胸でないと
なかなか眠れないんだよなっ。



意識のバリアフリー
at 2002 10/16 09:18

子どもたちが、障害のある人たちのための施設や設備について
学ぶべく、近くのホームセンターに行ったという。
それから、車椅子を10台借りてきて、
学校の校庭で体験学習をしたという。

そんな話を昨夜の研修会で聞いた。
でもね、設備はね、表示が不統一であったり
知的障害者のためにはまだまだなのです、
とある参加者が言った。
私はふと思い出して発言した。
障害のある方がのぞんでいるのは、
本当は、意識のバリアフリーだと・・・

突然に、回想されたの。
サロンに車椅子の友だちが訪れた時のこと。
サロンは最初、最上階のフロアの部屋で始まった。
でも、子どもたちが来るので、1階の和室に部屋が変わったの。
その部屋には、段差があった。
靴を置く場と畳の場のわずか10センチの段差。
彼は、連絡もなく突然きた。
その場にいた、私ともう一人のスタッフが車椅子を持ち上げて
部屋に入っていただいた。
「最上階の部屋だったら、段差はなかったのにね」と
彼と話をした時に、彼が言ったのだ。
意識のバリアフリーの方が、大事なんだって。
その言葉は、私が言ったのではなく、
彼自身が感じて言った言葉だったから、とても心に響いた。

母の車椅子を押すことを知っていたけど、
段差をうまく越えるのは難しかった。
ドアが邪魔になるし、衝撃があたえないために、
車椅子を持ち上げるには力が不足していたから。
娘は、今度おばあちゃんを訪ねていったら、
車椅子を押してみたいって言った。
そういう体験も大事だよね。



はじめてのお留守番
at 2002 10/18 21:53

僕ね、今日はじめてお留守番をしたんだよ。
朝、サロンに行ったときには、お母さんのそばをすぐには
離れられなかったんだ。だってね、いつもと様子が違うのだもの。
オモチャは出ていないし、あまり僕が知らない、僕よりも大きなおにいちゃん、
おねえちゃんばかりが部屋を走りまわっているんだもの。
それにね、ママが僕をはじめて預けるってことで
心配していたのが伝わっていたのかもしれないな。
僕は、何度もママをさわってね、確認しないではいられなかったんだ。
そうこうするうちにね、顔なじみのお友だちもきて、
お母さんは出発したんだ。まっ、不安はあったよ。
だって、僕はずーっとママにべったりでいたんだもの。
だけどね、あん先生が僕にいいものを貸してくれたんだ。
なんだと思う?デジカメなんだよ。しかも、本物だよ、本物。
サロンにおいてある、ピンク色のキティちゃんのオモチャのとは違うんだ。
おうちにもあるけどね、こういうものって大事にしまってあって、
興味はあっても貸してもらえないんだよ。
でもね、あん先生はデジカメを二つもってるんだ。
そしてね、そのうちの小さなカメラの方は、最初に買って失敗したほうだからって、
特別に持たしてくれたんだよ。
僕のそばで、あん先生は、得意そうにデジカメの説明をしていたよ。
僕にはよくわからなかったけどね、画素数がどうとか、こうとか。

そのうちに、あの部屋では、普段やらないリトミックが始まったんだ。
いつもは違う場所でやっている、子育て支援のクラブなんだけどね、
今日は会場がとれなかったってことで、このサロンの部屋でやったんだ。
僕は、リトミックの先生がとりだしたミニーちゃんの人形を見に歩みよったんだ。
そして、ミッキーマウスの音楽に合わせてみんなが踊りだしたよ。
今日は、3歳になったような子どもたちばかりのクラスだったから、
1歳4ヶ月の僕にはちょっと入りずらくてね、僕一人ぼーっと立ってたんだ。
そのうちあん先生がそばにやってきて、
一緒に踊ってくれたけど、もうひとつの乗りだったな。
でも、あん先生のおひざはよかったよ。
あん先生がゆらゆら揺らせてくれたらね、やっと僕にも笑顔が出てきたんだ。
それから次に、なが~い紐が出てきて、みんながそこを
くぐりはじめたな。でもさ、僕には興味が感じられなかったんだ。
だからね、あん先生が忘れているらしいから、
カメラの方を指差して、あん先生を連れて行ったんだ。
「そうよね、デジカメで写真を撮らなきゃ」ってあん先生も
やっと思い出して、カメラを取りにいったよ。
そのあとは、お絵かき。
僕も水曜日のクラスに参加しているから、お絵かきの先生のところに絵を取りにいったんだ。
それから、ママの持ってきていた、バックのところにあん先生を連れていったんだけど、
ママったら、僕のクレヨンを入れてきてくれなかったんだよ。
こまったママだなあ。しかたがないから、部屋にあったマジックで代用だ。
さすがに、みんなが帰り始めて、部屋が落ち着いたら、
僕思い出して言ったんだ。「ママ」って。
でも呼んだのも一回だけ。あん先生が「もうすぐママ帰ってくるからね」って
言っていつものサロンのおもちゃを取り出してくれたから、
そのあとは、お医者さんセットで遊んだんだ。
ママは、僕の背中の方からそーっと帰ってきたよ。
僕、全然泣かなかったよ。偉かったでしょ。
ママの顔をみて、ママのそばにいったら満面の笑顔が出てきてね、
そのあとはまた遊びに満喫さ。今日はたのしかったよ。



信頼
at 2002 10/24 08:36

病名をつけようと思えば、
どれだけでもつけられる・・・・
人の心は、そんなに強くないのだから。

どんなに強そうに見えるひとでも、
弱さを抱えもっている。
それを外に見せるか見せないか、
その違いがあるだけ。

でも、ネットでの表現の自由があるから、
時にはこぼしたとしてもせめられないよね。
あんまりかっこよく語り続けていると
疲れることもあるのさ~♪
言葉でかわさなくてもね、
同じ体験を持つ人との交流、それだけで
心がなごむこともある。
その体験がなかったとしても、
心のこもった言葉を書き込んでくれただけで、
その思いを感じることができる・・・

目をつぶって、手を引かれてみてください。
そして、そのペアは、相手をどこかに導いて、
何かを触らせてみてください・・・
これが昨日のワーク。
私は最初、恐かった。
何故ってね、小学1年の学校の帰り、
友だちと同じことをした。
で、目をつぶって歩いていた私は、突然
川の中に落ちていた(爆)
だからね、不安がよぎった。
・・・で思った。信頼しないと、いけないな。
(しかもペアになったのはお父さんだったけど、
はずかしくて一緒にいた小学生の娘に誘導役をさせていたの)
この人に身をゆだねる・・・そうしないと不安は消えないな。
そのワークのあと電話で少し席を離れたのだけど、
最後に、講師の方が話された。
親子の絆に必要なのは、その「信頼」。
人と人との関係においてもそうだよね。
それを頭の中で考えるのではなく、“実体験として感じる場”、
がそこにあった。
それは、ちょっと新鮮な体験でした♪



インナーチャイルドの叫び
at 2002 10/30 15:44

「あの花のいうことなんか、きいてはいけなんかたんだよ。
人間は、花のいうことなんていいかげんにきいてればいいんだから。
花はながめるものだよ。においをかぐものだよ。ぼくの花は、
ぼくの星をいいにおいにしてたけど、ぼくはすこしもたのしくなかった。
あの爪の話だって、ぼく、きいていて、じっとしていられなかったんだろ。
だから、かわいそうに思うのが、あたりまえだったんだけどね・・・」
                      ~星の王子さま~


ぼくね、やっとわかったんだ。
星の王子さまがいっていたようにね、
あのバラの話に耳を傾けていたらいけないってことがさ。
ある人は、いうんだ。「そういう君はどうなんだ」
そういわれるとね、それ以上いいたいことがいえなくなるんだよ。
だってさ、ぼくがたいしたやつではないことはぼくが一番よく知ってる。
またある人はこういったんだ。
「君は知らないうちに人を傷つけている」・・・でも、
ぼく、やっとわかったんだ。
そんなふうに言っている人にかぎってね
自分のことをかえりみているんじゃないってこと。
それなのに、ぼくは、言われたとたんにふりかえるんだ。
自分のこと・・・そして、ぼくが人を傷つけているかもしれないって
思うんだ。

本当はさ、そういう人たちは、自分を守ってるんだ。
自分が傷つきたくないもんだから、そんなふうに言うんだ。
本当に自分を知っているやつは、そんな言葉を使わない。
そして、言われたとおりに受け入れれば、
言われたほうが、傷ついているんだ。
傷つきたくなくて虚勢をはってるだけなんだって
読み取ればよかったのにね。それがわからなかったんだ。
なぜって、そういう思考回路のしくみがぼくのなかには
なかったから。
でも、ぼく、そういう言葉にふりまわされないことにしたんだ。
ぼくが傷つけるとしたら、それは、ほんとうのことをいうからなんだ。
そして、ほんとうのことを受けとめる、には勇気がいるんだよ。
真正面からその言葉とむきあう勇気さ。
そして、そのとおりに実行する勇気。




© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: