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我が家の今年の年賀状です。 あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。 旧年中は、幾度も入院しご心配おかけしました。 今年は、健康に留意し1年がんばっていきます。 目標は、18日から始まる職訓で始まる学校に休まず3ヶ月無事卒業し資格を取れるようがんばります。 そのためにも体調を整えがんばってまいります。 本年も、くだらない日記にお付き合いください。
January 2, 2013
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殆ど更新していません。一応お友達の日記読みたいので置いておくかもしれませんが、中には別のブログでお仲間になってる方も数人いますので徐々に減らしていくつもりです。以前に書きましたが、頂いたコメントによっては書いていただいた内容によっては、管理人の私が不快に感じた際は勝手ながら消去させていただきます。内容次第では、其の方自体の訪問及びコメントを拒否させていただく場合があります。もし読めない、かけない場合連絡ください。
September 3, 2012
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今日買った新しい服を着て8月1日から仕事復帰したものの5日目にはダウンそのまま欠勤します。7日が公休日で初盆のいりだったので実家へ行きお供えなどを置きにいきました。8日出勤日です。朝家を出るときから「気持ち悪い気持ち悪い」と、言いながら車に乗ります。水曜日だしかかりつけの総合病院の主治医の外来日です。予約外でも診てもらおうと、途中で通勤経路から外れて病院に行きました。予約外なので総合受付で受付し、予約外なので時間がかかるだろうとローソンに行き小説を2冊買い受付へ戻り診察バッグを受け取り内科の受付へ行きました。受付へバッグを渡し、予約外だこと主治医にかかりたいことを話しました。処置室に呼ばれ、予約外なので一応聞かれます。「このところ気持ち悪いこと、昨日の夜から水分も取れてないこと」を話し、普段の主治医にかかりたいことを伝えました。血圧と検温したら血圧が高いこと(200以上あった)が判明しました。予約外だから予約の合間に入れるから待合室に行ってくださいといわれ一旦出ます。すぐに再度血圧測るから処置室に来るように呼ばれて立ち上がったらふらついて立ち上がれず結局車椅子で処置室のベッドに寝かされます。トイレで検尿だけ済ませ再度ベッドへ行き採血後点滴を入れました。頭と、腹部胸部のCT,心電図、心臓エコーと胸のレントゲン(上だけ検査着に替えてもらいます)検査して処置室のベッドへ。お昼過ぎになり会社に連絡してなかったことを思い出し慌てて会社へ電話をいれ「途中で気持ち悪くて病院へ来たこと、そのまま点滴中だこと」を上司に伝えます。ずーと処置室に寝てるってことで呼ばれたのは、予約患者全員が終わった夕方5時前です。やっと車椅子で医師の居るところに連れて行かれ、検査では異常がないことを言われました。気持ち悪くて昨夜から何も口にしていなこと水分も取れていないと言い結局そのまま入院になりました。書類を受け取り一旦処置室に戻り入院の手続きしてもらいます。再度血圧を測り体重身長を測定し病室も決まり旦那に電話して仕事帰りにそのまま寄ってもらい車取りに来てもらいます。病室へ循環器病棟の2病棟3階です。詰め所側の1番奥の2人部屋の廊下側です。上は、検査着を着てますが下はジーパンのままです。病衣の下だけ借りて寝かされます。会社のリーダーの携帯に電話入院になったと連絡を入れます。点滴をいれたまま寝かされ旦那も着て一旦帰宅してもらい最低限の荷物を持ってきてもらうよう頼みます。普段の薬とお茶も一応。ポータブルトイレを置いてもらいます。立ち上がれないし、起き上がれません。気持ち悪いし目が回るというか動けません。旦那が再度やってきて持ってきた荷物だけでは足らないので下のローソンに行ってもらい必要な物とテレビカード買って来てもらいます。テレビカードは、下の冷蔵庫にも使うので冷蔵庫のスイッチ入れてもらいお茶を入れてもらいます。朝から水も飲んでいませんが口へ入れれません。気持ち悪いだけです。最初の23日は気持ち悪くて口に何も入りません。水分も薬飲む時に飲むだけです。1週間位して少しずつ食べますが食べると気持ち悪いの交互です。4日目の土曜日夕方に隣の方が退院し、清掃や片づけが済んで窓際に替えて貰ったのは日曜日の午後でした。上司から連絡があり会社からの初盆のお供えを家族に取りに来るよう連絡があり旦那に行ってもらいます。実家が初盆で14日の夕方自宅で親族が集まることになっていましたが旦那に行って貰います。15日の法要も旦那のみです。ある程度食べれるようになったので点滴は外れていましたが、ふらつきや目眩が治らずホボ寝たきりです。2度目の週末も病院で過ごし、気持ち悪いのが続き結局点滴に逆戻りです。胃カメラ&腹部のエコーを受けます。点滴が取れたのは一昨日木曜日の朝です。2週間ぶりにお風呂の許可を得て入ります。医師と相談して金曜日、肝臓の検査と栄養指導を受けて今日退院しました。気持ち悪いのも落ち着いたしふらつきもなくなりました。昨日夕方主治医廻ってきてお礼を言って「今度こそ戻らぬよう気をつけます」と、言うと医師笑ってた。私も、「同じ事毎回言っているような気がする」と、言ったら大笑いです。今回は、いつもの病院の病棟で主治医も一緒だし安心したけど、看護師が替わってた。昨年何度も入院したし2月まで義父も入院しててその間何度も通ったのに春からの移動や結婚等でやめてた。課長さん替わっていたし、親切にしてくれた中堅の看護士さん結婚して辞めていたり名前が変わってたりと。今回昨年の限度額申請した時の証明書が7月末で切れてて8月に新しく申請して来たけど1年以内に同じ病院で5回目なので医療費の限度額4万4千円で済んだけど病室差額代や食事代諸経費諸々+したら10万にお釣りが来たよ。でも本当なら9月の頭に外来予約で薬代高くつくはずなのに次の予約を9月末にして薬も入院中に出してもらい、人間ドック並み以上の検査を入院中にしてもらいそれを外来ですること考えたらよかったと思わないと駄目かな?帰宅して小太郎に「あんた誰?」って、顔されたし今もなついてくれないです。それがショックでした。
August 25, 2012
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今日は、朝からお出かけしたよ!最初は、岐阜の木曽三川公園に行く予定だったんだって。でも、北へ向かうほど雨がひどくなって結局菰野町にあるドッグカフェフラウヘンに行きました。僕のランチも頼んでくれました。3種類のドッグフードとジャーキー、煮干、クッキーと山羊ミルクだよ!美味しくてすぐ食べちゃった。夕方ママたち買い物して帰宅したらいつものドッグランペスカさんに行ったよ!僕とそっくりな犬を見つけたの。りんちゃん、成犬だから僕のお母さん?僕の写真と見比べてどう思います?その場に居たほかの犬が迷ってた。僕は、いつも行くからお店のマーブルお兄ちゃんたち僕のこと知ってるから迷ってたよ。夕方遊んでくれるサラちゃん達のパパさん後からやってきて、僕とりんちゃん見て驚いていた。「どっちが小太郎君?」って!もうその場に居たみんな大騒ぎだよ。僕の写真に写ってるおもちゃ、お友達の福ちゃんがいつも持っていて借りて欲しかったの。ママお店に頼んでくれて買ってくれたんだって。大きいランの方は、いっぱいお兄ちゃんたちいるから小さいラン独り占めして遊んだよ。休憩後又走ったよマーブル兄ちゃんたちと追いかけっこ。体力のある僕がいつも勝っちゃうの。来週から4日間お休みだから明日は、朝から遊びにつれて行ってくれるって
July 21, 2012
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義父のデイサービスに行っている施設から「義父が転んで痛がっているのでこのまま病院に連れて行きます家族の方直接来て下さい」と、連宅があったのは1年前の7月6日でした。丁度公休日で家にいた私は、慌てて義母と病院に。ただの打ち身だろうと安易な気持ちで行ったら、診断は「左足大腿骨骨折」。個人病院だったので翌日大きな総合病院に行くとのことで紹介状もらいます。その日は、1日施設で10年間デーサービスで初めてのお泊りです。家族は、半分呆けかかっている義母を連れて入院の準備や必要最低限の物を準備して翌日に備えました。七夕の日、松阪の総合病院に紹介状持って行き入院翌日手術が決まりました。すぐ手術と思っていなかったので、施設から送迎してくれた職員の方と家族は私と義母のみです。大慌てで主人、義姉、叔父夫婦に来てもらい手術の説明など聞いてもらいます。まさかこのときは、1ヶ月の入院そして3ヶ月のリハビリ入院、その後入退院の繰り返し最後には特養に入所するとは思っていませんでした。そして、私の入退院の繰り返し、実家の父が亡くなったこと、1年の間に痴呆が進んだ義母のデイサービスの開始と、まぁ本当に1年間の話と聞かれるほど。主人なんか「あれからまだ1年しか経ってないのか?いろいろありすぎて10年くらい経った気がする」と、言います。1年経っていろんなことがあり、変化したけど終わったわけではない介護のこと。これからどうなるんだろう?最終地点なのか、1年は、通過地点なのか?又、報告します。追記:プロフィールの写真、赤ちゃんの頃の小太郎だったけど最近の小太郎に変えたよ。
July 6, 2012
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風邪ひいた人が同室になった時病棟の看護師長に言われた言葉、「部屋はそれぞれ抗菌仕様のカーテン使用しているので菌が飛ぶわけありません」です。マイミクさんの中には医療関係者も居ますのでどうも思いますか?5日目、まだまだ一人歩きには危なっかしい状態だけど先日書いた爺のせいで部屋が変わった。4人部屋で詰め所から少し離れていて洗面所もトイレとシャワールームが付いている部屋である。今回も、先に2人入っていて窓際が幸い空いていたので窓際のベッドになった。廊下側は暗いし、室内にトイレがあるので夜中五月蝿い。窓のスペースに物が置けるし。最初は、私もまだ看護師の介助がないと動けない時の方が多かったし部屋にトイレがあっても動くと胸痛が出て一人での歩行は禁止でした。少しずつ元気になって最初の週の週末退院はまだ無理と言うことで延長戦です。その頃は、おばあさん2人と3人でした。横へミャンマー人の方(日系3世?)で、日本人と結婚しているので言葉は通じます。窓際のお婆さんが退院して、そのミャンマー人の方が窓際に移って3人になりました。私もボツボツ歩き動くようになってきて3人でよくおしゃべりしてます。お婆さんがよく私やミャンマー人のところで座ってしゃべっているので、おばあさんのところへ来た医師や家族看護師などが探しに来たりしてました。「やかましいかしまし3人娘?の部屋」と、呼ばれておりました。空いているベッドも緊急性がなかったり、1泊2か程度の入院の方ばかりです。そんな2度目の週末も迎えようとしたある日、早朝におばあさんが入院してきましたがすぐ寝たきりばかりの部屋に転室になりました。午後風邪引いた人が人が入ってきました。透析して心臓に機械の入っている私よりかなり肥満の方(太ってる私が言うくらいだからそうとう)。別の病棟に居たようだが風邪引いたので他の患者にうつすといけないからとこっちに転棟転室したような話。一応私の居た病棟は、「内科呼吸器科」が専門らしい。本人マスクせずトイレや洗面以外は寝たままとは言えコンコンと、咳しまくり。その患者のところへ来る看護師は皆2重にマスクしてる。私たちの時は1重なのに。それなのに同室の人には説明もなくマスクやうがいや手洗いの洗剤を置くわけでなく放置。私だって胸痛がある、おばあさんは誤嚥に寄る肺炎、ミャンマー人も心臓糸と聞いている。よういくら元気な人の部屋とは言え風邪引いたらかなわん者ばかり。平気でマスクせずコンコンやられると、隣で寝てるものは気がきじゃない。去年から風邪引かぬよう気をつけていたのに他所からもらいたくない。聞こえがよしに「咳するのならマスクしてもらわなうつったら困るわぁ」と、3人でしゃべってた。その人看護師のところへちくりに行った。看護師長来たから「この部屋の人間だって風邪引いたらかなわん者ばかりです、マスクしないのなら困ります」と、言うと。最初のタイトルの言葉が返ってきた。「部屋はそれぞれ抗菌仕様のカーテン使用しているので菌が飛ぶわけありません」、だって!空気感染と言う言葉知ってますか?日本赤十字病院の病棟師長の言葉とは思えません。そうゆう看護師皆2重にマスクしてますけど。一緒に寝れば別だけど、そうじゃなければ大丈夫って。誰がそんな子供騙しの説明が納得いくのでしょうか!看護師長出て行ってから、「あーもう、喉痛いし頭痛い風邪うつった」と、言ったらその風邪引きさん再度看護師長のところへ行った。そうは言っても風邪引きさん何処の部屋でも嫌がられるの目に見えてる。仕方なく病室じゃなくて処置室みたいな狭い部屋にベッドごと移動していった。いくら3人共そろそろ退院の話が出てるけど冗談じゃない。私も風邪引いたら一辺に喘息の発作出る。勘弁してくれと言いました。食料品会社のパートで栄養学とか衛生学なんてプロの免許とか持ってるわけじゃないけど、食品会社も五月蝿いんで毎週いろんな栄養学や衛生学勉強してるよ。そんな口からの空気感染だけでなくその手で共通のトイレや洗面所や扉の入り口触るんだよね!洗面所に石鹸置くわけでなく、私その日売店へ行って手洗い石鹸買ってきたよ。アルコールも。意外と食品会社の人間の方が衛生面や、黴菌のこと、アレルギーのこと五月蝿い?即うがい薬出してもらったさ。普通こっちが言わないでも病院の方が気をつけてくれないと困るよ。明日が最後です。明日は、最悪な看護師とのバトル
June 6, 2012
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入院日記もいつまで続くのか。 薬行方不明事件です。 かかりつけは、松阪の総合病院の内科なので入院の3日前に8週間分の薬をもらっていたので日赤では投薬ありませんでした。 私の薬は、院外薬局でお願いして1日朝昼晩1回分ずつ袋に一包化してもらってるので8週間分の朝昼晩の薬ってかなりの大きな袋に入っていました。 入院して丁度1週間経った日曜日確かに朝食後の薬飲みました。 入院時に一応病院には見せてあったけど、1回分ずつ分けられてるので自分で管理してました。 ベッド横のテレビや冷蔵庫がある台の横にかけてありました。 昼食後飲もうとしたら袋ごとありません。 大慌てで看護師呼びます。 午前中掃除の方がごみを取りに来たくらいです。 「ごみと間違えて持ってった?」と、聞きます。 看護師さんらも、お風呂に入った際着替えたパジャマやタオル受け取ってくれてるからと探してくれます。 テレビ台を動かしたり、ベッドの下覗いてくれますが見つかりません。 掃除の方も捨てたゴミ袋ひっくり返して探したそうですが見つからなかったそうです。 これが怪しいのよね~。 日曜日でいつもの掃除の人と違ったし、責任逃れに見つからなかったと言う場合があると聞いたし。 結局行方不明です。 薬だけ盗む泥棒も居ないでしょう。 お風呂に入っていたときウォークマンとかもベッドにくっついていたし、もっと値打ちのありそうなもの置いてあったのですが。 取り合えず主治医が入院中の分と退院後数日分の薬出してくれましたが、8週間分の薬返して欲しかったです。 薬代8週間分で13000円払ってるのです。 病院内で薬がなくなって責任問題と言うかいい加減すぎ。 指摘事項多すぎ。 医師「なくなったものは仕方がない」の一言。 看護師長さんも結局翌日聞きに来たけどそれっきり。
June 5, 2012
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最初の5日間ほどは、ナースステーションのまん前の通称寝たきりの人の部屋に居た。私も寝たきりじゃないけど、動けない時期だったので。寝たきり+痴呆症の患者さんの部屋でした。向かいのベッドのおばあさんも、全介助の人。糖尿病のインシュリン打ってる。そのご主人毎日朝7時前からやってきて大きな声でしゃべって入ってきて他の患者の目覚まし時計。朝から奥さんの食事を持ってくる(自宅から)。焼き魚、サザエやアサリの調理したやつを普通の入れ物に入れて。病院食の前に食べさす。病院食は、旦那さんが殆ど食べて病院に報告には奥さんが食べたように報告してる。食前に飲む薬を本当に病院食の前に飲ましてる(自宅からの持込食事済んだ後)。その持込食材、冷蔵庫にも入れず2~3日放置でそのまま食べさす。お昼前娘か親類がやってきて、今度はお昼ご飯の替わりのおかずや甘いもの持参でやってくる。爺さんは、又自分が病院食を食べて婆さんには家族が持ってきた食事を食べさしてる。インシュリン打つ患者ですよね。私らも食べたくない時「家族に食べやすいもの買ってきてもらっても良いですよ」と、言われても一応病院食がメインでお茶や一寸食べれるような物を買ってきてもらった。この爺さんそれで婆さんの下痢が全く治らないと怒ってる。病院食も食べないで、消化の悪い貝類を食べさせて冷蔵庫に保存させない(夕飯時爺さんいなくても婆さんが食べれるように出してある)。この爺さんと、娘朝早くから大きな声でしゃべりながらやってきて夕方まで大声でしゃべってる。それじゃなくても隣の痴呆症の婆さんが昼夜関係なくインターホン鳴らして看護師呼んで時間や食事の時間聞いて起こされるのに寝れない。4日目の日中爺と、娘と親類が大勢でやってきて勝手に人のソファーを持っていった。ソファー(座面を上げると物入れになる)は、各患者に一つしか与えられていない。荷物も入っていたけど一寸外に出ていたら普通に持っていった。文句言ったら糞爺い当たり前のように怒ってきた。娘が「家のはこれだけ、爺さんが悪い」と、言っていたが誤りもしない。腹が立つから「荷物入ってるソファー勝手に持って行ったら泥棒ですね」と、聞こえがよしに言ってやった。このおばあさん一人だと可愛いおばあさんなのですがね~。爺さんのせいでちっとも休まらずイライラがつのっていました。翌朝又朝から病院食食べさせないで人が食事中に下痢嘔吐で布団から床から汚したくって部屋の中その匂いで充満してきた。窓を開けないから。もうね~聞こえがよしに「汚い、臭い、五月蝿い、個室へ移れ」と、言ってやった。糞爺怒って看護師長に言いに行った。腹が立ったからこっちも看護師呼んで今日だけではないこと全部言ってやった。病院食も食べさせないで家の持込の食事か与えてないこと、爺さんが代わりに食べていること、それで下痢や嘔吐が治らないのも当たり前のこと。爺さんが朝早くからやってきて夕方まで部屋で騒ぐこと。女性部屋に男性が1日中居るのは迷惑だし大声で大人数で騒がれると寝れないこと言ってやった。結局部屋が空いたことでトイレつきの離れた4人部屋に移りました。次は、一寸難しい問題
June 4, 2012
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今回2週間でいろんな看護師とであった。2月の時と同じ病棟だし、去年11月に旧の病院の時に入院した病棟のスタッフの殆どが移動になった病棟だったのである程度は顔見知りのと言うか記憶の中にいる方も何人かいた。良い人も居るけど、2度と見たくないって人も。若い看護師(でも、新人じゃない)には時々嫌になる。動けない時やしんどい時に呼ぶのですが、部屋の中を足を引きずって入ってきてカーテン越しに声かけるのも厭々と言うか、やる気のない声で顔も露骨に嫌な顔して入ってくる。本人は、そんな積もりないだろうけどこっちは嫌気さす。そんな厭々やってるような態度の人にものを頼みたくないと拒絶する。「あんたとは気が合わんしてもらわなくても結構」と、拒絶。相手によっては謝りに来て上司に苦情入れられるのが嫌なのか何が何でもしようとしてくれる。こっちは、1度拒絶したらしてもらいたくない。本能的に拒絶したときは、次からもいやなときがある。自分で動きたいのに動けない時は余計にいらだっている。ベッド横のポータブルトイレに座ったり体を起こそうとするだけで看護師を呼ばないといけないときがあった。一寸ずつ元気になりだして夕飯後初めて部屋の外のトイレに行ったことがあった。それまでも外のトイレへは、車椅子だったのに立てたし歩けたので行くことに。夕飯直後だったので、詰め所のまん前の部屋なのに詰め所の中も廊下も誰も姿がない(夕方で人が少ないのと各病室に居た模様)。看護師も、看護助手も居なかった。トイレは、扉開けて隣である。トイレへ座って用足しは、無事に済みズボンもあげてさて立とうとしたら、動いたせいか胸痛が出てきた。とりあえずナースコールした。反対チームの看護師と看護助手がやってきて状態聞かれて車椅子取りに行った。担当看護師やってきて「誰と来たの?一人で歩いたの?」と、大騒ぎされてそれなら自分で帰ると言ってしまった。たくさんの人に言われるとしんどかったけど、反対チームの看護師大嫌い人だったし車椅子に無理やり乗せようとするけどタイミングが合わなけりゃ立てない。皆出て行って少し休憩したら立ち上がれた。新しい病院なのでトイレも車椅子ごと入れるように大きい。壁伝いに歩きかけたけど手が洗いたいと再度反対方向向いて洗面所で手を荒い歩きかけたけどそこで力尽きて座り込んでしまった。ナースコールのボタンは、便器の横の壁だから遠い。立つ力ないしもうどうでも良いわといたら担当看護師と看護助手の方が覗きに来て「やっぱり動けないでいる」と、車椅子に乗せられベッドに戻った。夜間は一人で動かないよう約束させられた。担当看護師同年代くらい?嫌がりもせず困ったことばかりする患者なのに嫌な顔せず動いてくれた。年配の方は他の方も忙しくても相手してくれる。冷蔵庫があっても暑い日氷の入ったお茶が飲みたいと言ったらコップに氷を入れてきてくれた。やっぱり冷たい飲み物が欲しいと同じ階のロビーにある自販機まで一緒に歩いてくれたり。動けない間いろんな看護師に恵まれたと思う。もう一つあるけどそれは又今度。
June 3, 2012
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先月20日から2週間昨日退院しました。 入院した20日の日より3日ほど前から体調最悪で誕生日も1日中寝ていました。 19日のとんかつデーも出勤できませんでした。 20日朝起きたら胸が痛み苦しいです。 結局小俣の救急から日赤へ運ばれました。 採血、心電図、心臓エコー、CTを撮っても異常が出ずでも胸の痛みと苦しみで様子を見ると言うことで1泊2日の予定で入院になりました。 今回は、昼間運ばれたのと緊急性がないということで直接一般病棟に入院になりました。 2月の時は、夜間だったので救急病棟でした。 一般病棟の受け入れ態勢が整うまで救急外来で寝かされたままです。 旦那に荷物を渡すときに看護師に会社へ連絡入れてもらうよう頼みました。 病棟に上がると2月の時と同じ病棟です。 詰め所の横を通る時看護師さんらに「聞いたことがある名前と思ったら2月に入院してたなぁ」と、声かけられます。 この病棟の看護師や看護助手さんの殆どが去年11月の時昔の日赤で入院した時の病棟のスタッフが殆どなので3度目の入院なのに記憶の残ってる看護師も多かったです。 最初の部屋は、4人部屋でしたがナースステーションのまん前の寝たきりや手のかかる患者の部屋です。 そのせいか、他の4人部屋に比べて洗面所はあるけどトイレが付いていませんでした(2月の時は、洗面所とトイレが付いていた)。 窓際が空いていて明るいし窓枠に物も置けるるので幸いです。 2月の時は、廊下側のトイレの横だったので五月蝿かった。 部屋内の歩行許可しか出ません。 トイレも車椅子かポータブルです。 立てずホボ寝たきりです。 ポータブルに座るにも車椅子でトイレへ行くにも全介助なしでは無理でした。 動くと胸が痛いのでポータブル心電図を装着したままです。 夜間はスタッフも少なくなるし、胸痛があって動けない時は紙おむつでの排泄になりました。 自分で動こうとして立てずに床に座り込みます。 ベッドに戻れず結局助けを呼ぶことに。 最初の2~3日は、冷蔵庫の中のお茶を出すのも呼ぶよう言われます。 日曜日は、とりあえず主治医も決まらずただ寝てるだけです。 新しいスマフォは、イヤホンを挿すところがなくラジオが聞けません。 旦那に買ったきり使っていないウォークマンにCDを録音してもらい持ってきてもらいます。 今回は、寝巻きとタオル(タオル&バスタオル&オシボリ)セットを頼みました。 パジャマやタオル類が全く必要なく汚れたら1日何枚でも新しいのと交換してくれます。 1日250円ってのもあったけど、タオルセットもなくパジャマも寝巻きタイプのみです。 1日450円は、パジャマが寝巻きタイプと上下別のパジャマタイプに希望できます。 450円の人は、最初に希望すれば箸スプーンフォークのセット。マグカップと、蓋付きストロー吸い口カップ、歯ブラシ、歯磨き粉、ボディーソープ、リンスインシャンプー、BOXティッシュ、入れ歯洗浄剤と入れ歯入れも付けてもらいました。 オムツ類も持ち込み可能でしたが、これもお願いしてセットに入れてもらいました。 動けれるようになれば停めればよいし、家からも遠く旦那も勤務先が逆方向で電車通勤なので平日は来れないから助かりました。 看護師さんたちも良い人が多くいろいろ問題はあって順追って書きます。
June 3, 2012
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義父の特養に移ってまもなく1ヶ月が過ぎようとしてる。最初の頃は、殆どを自室でテレビ見ていたようだが最近は起きて車椅子に座っている時間も増えたようだ。新しく新調した車椅子です。普通の病院や施設で使っている車椅子より1万円ほど高いです。でも、手摺や足を置くところが外せれてベッドへの乗り降りに便利です。自宅で介護用に借りて乗らないまま返却した車椅子も同じ機能はありましたが体の大きい義父には少しきつかったようでしたが、これは普通の車椅子と同じ大きさなのでゆったり座れなおかつ座面も背面もクッションがよく喜んでくれました。ノーパンクタイヤです。入院中集中治療室でもテレビを見たがった人なのでテレビも購入して設置しましたが、最初の頃はテレビが友達だったようですが最近は起きて車椅子に乗って皆が居る所にいる時間が多くなったそうです。トイレも入院からこっちオムツでしたが、最近は介助してもらいながら日中はトイレに座るそうです。家にいても満足なことできないので施設に入れてよかったです。
May 11, 2012
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今日、義父の特養に入所の日でした。 去年7月に転倒して入院するまで10年間週3回デイサービスに行ってた使節です。 先週義母と必要な荷物などを聴きに行きました。 その足で電気屋さんに行ってテレビ人間の義父のために19インチのテレビ買って来ました。 その足でニトリに行ってテレビ台になる引き出しつき衣装ケース(天板は木製)を買って帰宅しました。 施設へ電話を入れ前日のうちにテレビとテレビ台を施設に持ち込んで設定するのを頼みます。 昨日午前中旦那と施設へ行き、テレビと台を部屋に運びいれ設置してきて又いろいろな話をします。 今日、朝から義母を一旦病院に送ります。 10時半に施設から迎えに来るのでそれに間に合うよう10時には家から持ち込む荷物を車に積んでいきます。 車に積む荷物は全部積み施設の方が迎えに来るのを病室で待っていましたが、 3人部屋を一人で使っていた義父が退院したら入ってくるのが女性のようで早目に下に降ります。 詰め所に挨拶に行きました。 自分が若い頃東京の私大の分院が伊勢にあった頃お世話になった看護師さんが病棟に居たので少し話しました。 お世話になったケアマネージャーさんにも挨拶をし施設の車に乗って、私と旦那は家の車で出発です。 ケアマネージャーさんは、10年前に義父が倒れて以来お世話になっていた方なので余計寂しいです。 11時前施設に到着しました。 9ヶ月ぶりに来た義父は嬉しそうでいろんな方から声かけられます。 事務手続きやいろいろなことをして昼食になり移動しました。 着替えなどとりあえず詰め所に預けます。 他の小物など部屋に運び入れました。 ベッドの柵にテレビのリモコンなど入れる小物入れを結束バンドで固定します。 部屋の隅に三角形ボックスを置いて曾孫の写真立てを置いたりカレンダーをかけたりといろいろ考えます。 食事してるところに戻り食事の様子を見ました。 部屋に戻ると言うので、一緒に行きテレビの使い方などを説明して一旦帰宅して足らないものを買ったり家に取りに行きます。 テレビを車椅子に座って見る時と、ベッドに寝たままテレビを見れるようにと角度が変えれるテレビの回転台が欲しかったので探しに行きます。 その前に昼食を取ります。 それからジャスコのカインズホームに行きますがありませんでした。 電波時計とストローを買いました。 知り合いのよろず屋さんに昔見た気がすると寄りました。 昔あったけど売り切れでないとのことでした。 多気の方か何か考えてくれるようです。 一旦帰宅し上着やその他足らなかったものを用意して再度施設へ行きました。 職員さんに持ってきたものを渡し、時計を壁にかけて終わりです。 隣町で車で15分くらいですが、交通機関がなく私も明日から仕事(会社まるきり反対方向)、旦那も電車通勤で仕事帰りに寄れない。 義母は、行きたくてもいけない。 義父は、施設に入れれば安心です。 一寸認知症が見える義母に車を運転させるわけいかんで、義姉や姪の人に時々覗いて欲しいと頼みました。 義父は、デイサービスとはいえ10年間通った施設なので職員もデイの利用者も殆どが顔見知りなので心配ないです。 義理とはいえ姪が職員で居ますし、私の昔の同僚ですが安心できる人なので週1回くらいは連れて行こうかな。 私も明日から仕事です。 夕方会社に電話をいれ上司と話しました。 「体調子悪かったら明日からじゃなくても良い、残業もさせない」と、言われました。 がんばります。 2ヶ月ぶりの仕事です。
April 16, 2012
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昨年義父が(元々脳梗塞で左半身麻痺)、デイサービス先で転倒骨折手術入院その後リハビリ施設で3ヶ月無事歩いて帰宅しました。 その後すぐ体調崩して1ヶ月入院退院して車椅子で帰宅。 1週間も経たないうちに体調崩して12月の頭に入院しました。 病院で年越して2月に夏にリハビリ入院でお世話になった病院に転院しました。 2月から3ヶ月間療養病棟でリハビリしながら様子見る予定でしたが体調崩して3月もとの病院に運ばれて再度入院です。 2月の時家につれて帰らないのなら介護施設に入所申し込みするようにと再三言われました。 3ヵ月後どんな状態になるかわからないけどとりあえず探す予定でしたが義母が連れて帰ると言うので見学だけして申し込んでいませんでした。 3月末療養病院に戻ってきた際、2月に1ヶ月居た分引かれるのは覚悟していましたが、別の病院に入院した分は免除されると思っていました。 2月から計算して5月には次のところへ移ってくださいと言われます。 ホボ寝たきりです。 普段介護してる姑も81歳です。 入所希望と同時に介護度を上げてもらうようケアマネさんに申し込み、施設を紹介してもらうよう頼みました。 夏までデイサービス受けていたところ(10年間通ってました)は、特養なので義父の最初の状態(介護度3)では無理といわれていたし、ケースワーカーさんやケアマネさんには無理と紹介されませんでしたが、おもいきって行ってみました。 「すぐに入れるかどうかわからないけど、うちで受け入れるようにしましょう」と、返事いただきました。 「退所時期より遅くなっても必ず受け入れますというから置いてもらえるようにしましょう」と、面談に行った日に答えてもらえました。 他の介護施設にも一応申し込みに行きましたが「男性は、5月に入れるかどうかわかりません」との返事でした。 今日、夕方帰宅すると申し込んであった施設の方が義父のところに来てくださり来週月曜日は入れるようになりました。 ケアマネさんには、「申し込んで2週間あまりで入所が決まるのは珍しい」と、言われました。 特養の方は、「うちが開所時からデイサービスに来てもらってるし、怪我させたのはうちだし、いつか来てくれるだろう」と、待ってたといってくれました。 車で15分くらいのところですが良かったです。 明日は、義母と改めて必要な物とか聞きに行こうかと思ってます。私自身ですが、2月市民病院&父の四十九日の日に退院しその晩新しい日赤に運ばれ10日間入院し3月から職場復帰の予定でした。3月又大きな目眩に襲われ松阪のかかりつけの総合病院に運ばれ2週間入院してその後仕事は休んでました。その間に体調整えながら義父の入所先探しなどしてました。8日実父の納骨を無事終え、17日が町の介護人定員の面接に付き添うことになっていましたので職場復帰はそれからと考えていました。長くなったので馘首も覚悟でした。16日に新しい特養に引越しが決まり会社へ夕方電話しました。「来週から来てください」との返事でした。16日が引越しなので17日からお願いしますと、返事しました。
April 12, 2012
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昨日の朝方気持ち悪くて起きたのですが、起き上がる事も立ち上がる事が出来ず目が回って結局救急搬送されました検査結果は、たいしたこと無かったのですが、目が回って動く事が出来ず入院になりました。2月入ってから体調崩したのと連休の公休日があり出勤していませんでした。昨日は、一日中ベッドの上で寝たきりです。体起こせないので、起き上がると目が回り座る事も不可能です。食事も絶食です。昨日は、日曜なのでなにも出来ず今日主治医が決まって病室も替わるかま!又報告します。
February 6, 2012
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三重県の北部でも雪降ってるみたいです。小太郎も私もこの冬は湯たんぽ愛用者です。小太郎は、朝晩入れてる。朝も出勤前なんか待ってる。夜も9時前になると要求してくる。外で屋根付きゲージにマットと毛布敷いてあるだけだからね。枕にしたり旦那に言わすと上で寝てるらしい。火傷心配していました。昨日の朝、起きたらなんか着替えるのに痛いしなんか腫れてる?丁度左臀部部分。鏡で見たら大きな水ぶくれが、そう小太郎を心配してたが私のほうが低温火傷した。内科へかかったのでついでに診てもらったら消毒して薬塗ってガーゼ貼られた。潰さないようにと!いつも寝るときは、右か左かどちらかに横向きになって寝る私は左下に横向いただけで激痛結局上向きか右を下にしてしか寝れず一寸寝不足。去年10月に倒れて入院した際、ポータブル心電図の線が外れるからと上向きに寝ないといけなくて暫く寝不足だったような。昨日から、下痢嘔吐が続く私。今日は、下痢は落ち着いたが気持ち悪い。明日から連休だし家族は休めと言うので困ってる。12日は四十九日法要があったりとまだまだ倒れるわけいかんので今日は無理せず寝ます。食品会社、下痢嘔吐は症状が落ち着くまで出勤停止です。ノロとかじゃなさそうなので連休明けには大丈夫かな
February 2, 2012
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明日から職場復帰の私です。朝からのんびりしランチに多気にある「ハムとソーセージの専門店やまちゃんち」に行きました。私が食べたハンバーグランチです。これに、スープとサラダが付いて1000円です。昨年10月19日に倒れて救急搬送して入院して以来約3ヶ月の病欠でした。10月19日からあわせて5回の救急搬送と入院でした。最後の5回目の入院の退院から1ヶ月経ちました。今度は、大丈夫です。10月19日~11月5日までの入院した時は、11月20日に職場復帰予定でした。でも、11月10日から18日まで入院していたので12月1日に職場復帰する予定でした。しかし、11月25日から11月30日日赤に入院したのですが30日に済生会病院(元の病院)の外来にかかった際で出勤証明書を出してもらえたので会社に行き12月5日から出勤になりました。12月5日1日仕事行っただけで、倒れて救急搬送入院になりました。会社も1日出勤しただけで入院になったのは簡単に職場復帰認めてくれません。退院したのも16日と言うこともあり年末年始の1番多忙な時期に入ります。年末26日に父が亡くなり、義父の入院が長引いたのもあったのと、病院が年末年始の休みに入り出勤証明書を書くのが遅くなりました。正月明けすぐ病院に行き事務所で申し込み書いてもらいました。12月に退院時に主治医に「前書いてもらった出勤証明書を仕事復帰決まったら書いて欲しい」と、頼んでありました。翌日受け取り会社へもって行き、部長と直接の上司に渡し(人事部長休みでした)翌週11日の外来日の結果次第とのことでした。11日珍しく外来が早く終わりました。義父の世話に予約時間より早く採血に行っていたのもあるかも。会社により人事部長と現場の部長と話し週明けた16日から仕事になりました。実家の父のこと、義父の介護問題とまだまだ問題山積みです。昨日の日記に書いたように義父の介護問題も残ってます。上司にも「今度は、なしだぞ」と、今日明日の確認の電話入れたら言われました。「もう大丈夫なんだろうな」と、釘刺されました。無理しないです。残業も控えますと、チームリーダーには言いました。義父の病院にも控えます。夏は朝夕と1ヶ月通ったけど様子見です。明日は、朝早めに仕事へ行きたいので早めに家を出て病院に寄ります。体気をつけます。又、報告します
January 15, 2012
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今日は、関宿にあるドッグカフェぽ庵さんに行ってきました。このブログの方でぽ庵さんを紹介してくれたお友達とやっとお会いすることができました。お友達の家の、さくらちゃん(ゴールデン)と、こなつちゃんと小太郎とで記念撮影です。さくらちゃんたちのママさんがおやつで釣って何とか写真を撮ったんだけど小太郎は大人しく座っていないので後ろから私が支えています。「さくら姉ちゃん、こなつ姉ちゃん又遊んでね!」と私たちの方が到着早かったのでランチ待ってる時に、看板犬コパンちゃんと一緒にパチリ。人間用の「ホリデーランチ」です。小太郎に注文した、「山羊のミルクとささ身と野菜の煮」です。お腹空かせた小太郎は、人が食べてるのが気に入らず吠えるのでいつもは山羊ミルクだけですが、調子もよさそうというか車酔いしなかったので一寸ご馳走です。たくさんのわんちゃんに初めましてと今回は小太郎も言えました。さくらちゃんや、大きな看板犬コパンちゃんに吠えられるとビビッてます。でも、今日は一ちょ前に吠えていました。小太郎も飽きてきたのか(11時に入店して店出たのは2時過ぎ)、先に失礼しました。11日の外来の結果が良かったら12日以降から仕事復帰です。明日は、一寸大人しくしてます。
January 8, 2012
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7日は、久しぶりに義父の病院に行かずに済んだので実家へ行く用事があったのでランチを先に済ませました。伊勢市内渋滞も無く観光客の姿も殆どありません。10年位前までは、正月や1月の土日は渋滞にはまり市内を走るのはいやでしたが普段の土曜日より車が少ないです。ランチは、伊勢市郵便局本局近くにある「い~菜」さんです。旦那が食べた「七保鶏のどんど火丼定食」です。私が食べた「日替わりランチ」です。美味しかったです。さて、実家へ行きますと留守です。母に電話すると弟の家にいるとのこと。実家の方へ行くのは高速の側道を走ると便利なのですが、伊勢から側道に入るのは簡単だけど、実家の方から市内に戻るのは側道が繋がっておらず不便です。仕方なく昔の道から伊勢ジャの方へ出ようと小学校のところから橋を渡りジャスコへ出ようとしましたが橋は簡単に渡れたけどそこから23号の信号まで渋滞が繋がってます。まだバックすればJAのところでUターンできると旦那に指示し別の道選びます。赤福のトラックも同じ道選んだ。川沿いに戻って高速の側道を走りジャスコの信号に出ます。弟のところへ行くならお年玉がいるとコンビニによってポチ袋を買って中身入れました。鍵を受け取り2時近くまでパソコン入力作業と確認です。追加の香典などもありパタパタしてます。津の「れもんの木」さんに午後からお邪魔すると伝えてあったので大急ぎで片付けてお邪魔します。実家近くから高速のICに乗りますが高速道路も時間的に上下線混んでいません。ただ「津芸濃間火災につき1キロ渋滞」と、出てました。途中は渋滞も無く霙や風が強いですが順調に走りました。久居ICのところでこの先渋滞注意と出てます。津IC手前1キロ時点越した辺りから渋滞があります。津IC降りるのに一寸時間かかりました。3時前にはお店に無事到着しました。旦那が食べた「チーズケーキセット」です。私が食べた「プリンアラモード」です。帰りも津から自宅近くICまで乗り買い物済ませて帰宅。夕飯が間に合わず夜は丸亀製製麺所さんで夕飯です。その前に、義父の病院に行き夕飯時だったので食事の介助をし食事して帰宅しました。
January 8, 2012
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新しい年を迎えいかがお過ごしでしょうか?ここへ来てくださる皆様には、昨年1年間たくさんの激励叱咤ありがとうございました。 1週間前に実家の父が亡くなり新年の挨拶は、控えさせていただきました。 まだまだ、職場復帰もできていないし義父も入院中退院後のことなど問題が山積みですが今年は良い1年でありたいと思います。 なかなか更新もできませんし、コメントいただいてもお返事ができないかもしれませんが本年もよろしくお願いします。いつもは、元旦家族4人揃って挨拶してお雑煮を食べるのが習慣になっていました。今年は、義父は病院義母も義父の世話に朝早く出かけ夫婦2人でのお雑煮でした。元旦は、3年前まではその後元旦勤行会に参加し実家によるのがいつものことでした。去年、一昨年は私自身大晦日も元旦も関係なく仕事で去年などは元旦から残業で勤行会も残業参加できませんでした。今年は、体調崩して年末年始は家で養生の予定だったので参加する予定でしたが流石に初七日も過ぎていないので不参加です。今年は、健康で仕事に遊びに食べ歩きにいろんなことを楽しみたいです。
January 1, 2012
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今年は、いろいろありました。1月、元旦から2時間残業でした(365日24時間営業の会社なんで)。急性気管支炎から喘息になりました。東京ディズニーシーとランドへ2泊3日で行きました。2月~4月は何事もなく5月毎月9日19日29日は「とんかつパン粉付け15000枚デー」が始まりました。その日は、9時から21時までの勤務になりました。7月義父が大腿骨骨折で入院手術で松阪済生会病院に入院になりました。電車しか移動手段が無い義母や旦那に替わって、毎日仕事への出勤前と仕事帰りに病院に寄るのが日課になりました。家から病院は、片道40分、同じく会社までも40分、病院と会社は一本道で5分でした。8月義父、地元のリハビリ病院に転院。家から5分と近くなり義母も自分で通えるからと私の病院通いは免除になりました。体調があまりよくなく「長期に休みたいなぁ」と、この頃からよく言っていました。9月私も初めて松阪済生会病院の内科にかかります。主人の伯母で仲人さんしていただいた方が亡くなりました。10月に詳しい検査をしましょうってことに。10月9日のとんかつデー直後から体調悪く休みます。17日人間ドック最悪な体調で受けました。18日、気分悪いと早退。19日、胸痛気分不良高血圧で救急車で済生会松阪総合病院に運ばれます。貧血その他の数値が悪いと、9月に診察してもらった医師に診察を受け入院になりました。貧血の原因を探るべくいろいろな検査を受けました。このときは、18日間の入院でした。19日、12年間飼った愛犬ごんたが息を引き取りました。10月30日、小太郎が我が家にやってきました。10月31日、義父リハビリ病院退院11月5日、私無事退院同じ5日、義父体調崩して松阪市民病院入院同じ日、退院したばかりの私、義父のことで走り回って倒れて同じ松阪市民病院に救急車で運ばれて入院11月7日、私一応退院11月10日、私体調崩して済生会松阪総合病院に救急で運ばれて入院。主治医も病棟も一緒。点滴、静養で19日退院。11月25日~30日日赤へ4回目の救急で運ばれて入院。30日、午後から済生会の内科の診察で仕事復帰認められる。会社へより12月5日に職場復帰することが決まる。12月3日、義父松阪市民病院退院。約5ヶ月ぶりに家族全員が揃いました。12月5日、7週間ぶりの復帰です。12月5日、夜具合が悪くなって私再度済生会へ救急で運ばれて入院になりました。12月10日、義父が再度体調崩して松阪済生会へ救急で運ばれる。検査の結果心筋梗塞をおこしてるとのことで、検査手術ICUに運ばれる。12月12日、私が居る同じ病棟に転室する。私は、自分も入院中なのにICU(同じ病棟)の同じ階)に面会に行ったり(このときは私の病室が家族の荷物置きと待機部屋になる)、一般病室に移ったら夕飯や食事の世話してた。12月17日、私退院。年内職場復帰しないことにする。12月25日、義父の病院に行き看護士に頼んで26日夕方義父の主治医と3人で話をすることを約束する。12月26日、朝旦那と夕方の打ち合わせしてる時に実家の母から電話あり。実家の父が朝方息を引き取ったと連絡もらう。仮通夜になりましました。12月27日本通夜会社の社長来てくれました。12月28日、出棺火葬告別式初七日仕上げまで終えました。12月29日、義父の病院に行きました。丁度詰め所に居た私の主治医と話しました(こっちが目的)。体のこと聞かれ実家の父が亡くなってバタバタしてると、気をつけるよう言われます。12月30日、今日実家の片付け7月からこっち怒涛のような半年間でした。義父は、年末年始を病院で過ごすし、私たちは喪中です。仕事が年明けまで休暇なのが救いです。いつもなら休みの無いのが当たり前でしたから。7月からこっち家族4人が揃うのは12月の3日と4日の2日間のみです。義父と私が交互に入退院を繰り返したので4人が揃うことがありませんでした。来年は、良い年にしたいです。ただ喪中なので年末年始の挨拶は控えさせていただきます。
December 30, 2011
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今日は、朝から実家で事務仕事です。鍼灸マッサージ院に年内最後のお邪魔です。その後小太郎連れて実家です。実家へ行き小太郎を日当たりの良いところに繋ぎます。爺ちゃんの遺影の前でお参りです。ストーブで部屋を暖めてパソコンセットし、弔問者名簿など入力します。時々小太郎を遊ばせます。弟一家と昼食を摂りながらばあちゃんのデジカメの中身の写真をテレビで見ます。とりあえず事務仕事は終了です。後は役所関係と返しなどは年明けてからです。午後は、爺の病院へ松阪まで行きます。明日も、お世話になった主任看護士さん(入院した時年末年始勤務だから体調悪かったら入院しておいでと、言った人)がいるのでいって来ます。全然会えてないんです。先日の日曜日に月曜日に爺さんの主治医と話をしたいと頼んだ看護士さん2人とも今日久しぶりに会いました。月曜日からこっち会えてなかったので向こうも驚いていました。今年も明日1日なのに、私の父親は年末に葬儀で年明けても喪中、旦那の父親は、夏からこっち病院入退院繰り返して病院での年越し、我が家にはお正月も大晦日も関係なさそうです。
December 30, 2011
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今日は、舅の病院に行ってきました。朝から自分の個人医院の方に風邪薬だけもらいに行きました。一旦帰宅です。義父の昼食に合わせて病院に行きます。義母が付いているので良いのですが迎えもかねてです。義父の食事は、義母に任せて丁度詰め所に居た私の主治医のところへ声をかけて入ります。「どうした?」と、聞かれて「爺さんのところに」と答えました。「そうか、まだお義父さん入院中だったな」と、体調聞かれて、「実家の父が亡くなって昨日まで葬儀諸々で疲れています」と、話しました。無理しないよう言われます。心療内科のこと、保険のこといろいろ話します。月曜日の夕方義父のことで夫婦で夕方話しをする予定だったのですが、今回のことで旦那しかいけず私の父のことを言っていたので義父より先にお世話になっていた病棟なのでそのこと知っている看護士さんに声かけられます。体のこと心配されます。実家の母のことも心配され「大事にしてあげてください」と、言われました。義母と買い物して帰宅夕方寝ました。明日は、旦那も休みなので実家の方へ行ってきます。
December 29, 2011
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昨日朝8時の出棺に間に合うよう5時半の起床でした。前日も寝たのは日付の変わるころです。5時半に起きて身支度をして家を出るのは6時過ぎでした。朝食食べる暇などもちろん無く途中のコンビニに寄りますが、朝早くて温かい物がありません。仕方なくパン買います。7時半にお別れの儀として勤行が始まるので母や兄弟姉妹が打ち合わせて前日朝7時に集合となりました。7時前に行くとぼちぼち揃います。親戚や、学会員の方たちも揃いだして7時半から勤行唱題後棺を部屋の中央に移しお別れの儀で花を入れて蓋をします。8時に出棺、親族の車も出発します。朝の一番渋滞する時間帯なので心配しましたが8時半過ぎには斎場に到着しました。勤行唱題焼香後火入れと続きます。流石に泣けてきます。それまで泣くこともできませんでした。控え室に移動です。斎場から実家まで遠いこともあって実家の地域では斎場で昼食食べるんです。9時の火入れで食事は10時です超多忙です。地元に住む私ですら叔父や伯母、従兄姉たちとは何年頭です。母方父方では付き合いの無い方も会って兄弟姉妹4人がそれぞれのテーブルに座って接待や挨拶です。兄や弟の嫁さんや姉のとこの3人娘が動いてくれます。母方は、母の兄妹がいますが父方は弟義弟以外は従兄です(それもかなり年上)。食事しかけるとそろそろ片付けてくださいと連絡来ます。片付けてロビーに移る頃には骨上げの連絡が来て移動します。兄と弟、姉と私と拾ってから順番に孫、嫁親類と続きます。全部終了し位牌を弟が骨箱を兄が遺影を姉が受け取ったのですが、姉は運転なので私が受け取ります。遺影を抱いて車に乗り行きと別の道をと言うことだったので、遠方の姉や親戚の車を間に入れ先導しながら市内を戻ります。実家近くの駐車場に到着遺影とともに帰りました。主人たちが遺骨や遺影を祭壇に安置しました。一息入れる間無く12時過ぎには外に出て受付兼お迎えです。一旦帰宅した親戚や、遠方から電車で来た親戚など挨拶です。受付も手伝っていたのですが、「娘が着席しないと始まらない」と、呼びに来たので仕方なく入ります。導師の後ろです。学会員の方、親戚と余裕なしです。勤行唱題その間に焼香、喪主挨拶と終わりました。その後休憩後初七日と予定では3時ごろ終わる予定でしたが2時過ぎには全部終わりました。外に出て参列者のお見送りです。学会員の方、今の会社の元同僚の顔も見られます。生花に会社の名前がかかってますし、弔電にも会社からのもありましたので「まだ勤務してるんだ」と、言われました。この同僚同じ日に入社説明を受け同じ日の入社で同じ部署の別の所属で勤務時間帯も同じでよくお互いに話をしてたのですが、実家の近所の方と何かの話で知ってそれ以来親しくしてたのですが半年で辞めてしまったので会うのは久しぶりでした。早くに終わってしまったので食事が頼んだ時間より早く、遠方の親戚などには食事が間に合わず頂いた籠盛を分けて持って行ってもらいます。祭壇を片付け仏壇の横に小さな祭壇を置き遺骨と遺影位牌お供物その横に回り灯籠や室内用の生花を置き休憩仕上げ用の食事が届き、帰ってしまった近くの親戚に料理を届けます。順に礼服を脱ぎ着替えます。祭壇や籠盛も片付いたので大きなテーブルを3つ並べ子供組み親戚組み、兄弟とそれぞれが座り早いですが、お昼も早かったので食べてもらいます。親戚は、その後帰られ後片付けします。それじゃと、会計とか最後の締めです。旦那がパソコンで名前と金額を入れてくれその横で確認していきます。兄弟姉妹が奥の部屋に集まり親族会議じゃないけど集金です。回り灯籠と、祭壇横の生花を兄弟姉妹で折半で負担する予定でしたが祭壇用の蝋燭分も合わせて負担することにしました。9月に伯母の葬儀の際負担のことで大揉めしたので、姉が帰る前に話しします。その後兄と主人と3人で、香典と名前を確認しながらパソコンに入れてもらいながら中身を確認しました。三十五日と四十九日の法要をどちらにするか決めます。どちらも1月の末か2月の頭の寒さだしどうするって話になりました。三十五日で1月29日、日曜日だしそれでよいか仕事調整すればよいしと、兄弟と母と共に決めました。旦那「29日でいいんか?」と、聞かれていいよと答えて決まったのですがよく考えたら「とんかつデーと、日曜日だ」と、休めるかどうかわからんしめちゃ忙しいです。1月のシフトってもう決まってるし、無理言えば許可もらえるけど確実な四十九日の方に決めました。忙しいしね。とりあえずパソコンに入力した時点で、帰宅しました。
December 29, 2011
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今朝は、朝9時から祭壇を組んで納棺の予定だったので、兄弟姉妹母親と相談して8時に集合と決めました。普段一番遠く住む姉一家が夕べは実家に泊まっているので、兄弟姉妹の中で1番実家に遠いのは我が家です(車で20分程度)。夕べ日付が変わる頃しか寝付けなかったのに5時前には目が覚めて7時には家を出ました。8時に集合葬儀屋さんが来る前にしいろいろな打ち合わせです。爺ちゃんの孫8人のうち上の3人以外は高校生を筆頭に高2の甥が先生になって小学生組みの冬休みの宿題を見てもらいます。姉の子3人は、成人してますので茶だしやいろいろ手伝ってもらいます。母、兄弟姉妹、その連れ合い、孫8人が揃ったところで死に装束のセットしていきます。兄と弟、私と姉で2人ずつ組上の孫と順番に着せます。その前に棺桶に入れるものを探します。服上下?寒いで靴下?上着にネクタイ?ハンカチ?金物は入れれないよなぁとか言いながら「爺ちゃんの趣味は?」と、考えます。畑が趣味だったけど金物いかんよなぁと、言いながら考えます。昔から趣味だった釣り、若い頃の釣果の魚拓があったはずと探しましたが見つかりません。同じく釣り好きの弟が、「三途の川は川釣りだから川釣り用の竿の方が良いけど海釣り用しかないわ」と、釣竿も入れます。素朴な疑問、「三途の川で魚釣りできるの?」と、言いつつ入れます。そんなこんな言いながら祭壇を組んで片付けしてたらお昼の準備です。昼食後、夕方の通夜までに靴下やタイツや中に着るものなど慌てて買いに行きます。一旦帰宅後床屋に行っている旦那を迎えに行き実家に帰ります。4時に頼んであった夕飯が3時半に来たので早いですが、子供たちから先に食べさせます。私も、食べながらお客の対応したりしてます。外に出たら、生花なども外に並びました。親戚関係、兄弟姉妹のそれぞれの会社関係などが並びます。私の会社からも弔電と、会社社長からと、従業員一同で来てます。身内から順次夕飯を済ませ着替えを済ませます。6時半の通夜ですが5時すぎた辺りから親戚が、学会関係者などの弔問者が来られます。受付が頼んでなかって、主人ととりあえず創価学会から誰か来たら頼むことになりました。とりあえず主人と、最初姉が立つことになっていましたが遠方の長女より創価学会院であり地元の者なので私が一緒にとりあえず立ちます。兄や弟の嫁は、お茶だしなど裏方に回ってもらいます。従兄や叔父伯母等も普段会っていないし、子供の頃以来会っていないと誰かわかりません。学会婦人部の幹部の方が見えて「娘さんが外に立つのはおかしいから替わる」と、言ってお願いして中に戻ろうとしますと会社の社長が来てくれます。慌てて挨拶します。受付していただいて主人と、外の焼香台のとこに居た母と弟を紹介します。私の地区の婦人部の方に挨拶します。通夜終了後、社長が立ち上がったのを見て慌てて外に出ます。家、会合用の玄関と自宅用の玄関が別にあるのですぐに出れました。又、改めて挨拶します。10月の入院以来会うことができませんでした。11月に12月5日に職場復帰を決めに行った日に会って以来です。職場復帰した日会えませんでした。本来休んでいる者ですから報告だけでよかったのですが恐縮してしまいます。「意外と元気そうだし、顔色もよさそうなので安心した。でも、体気をつけて」と。お礼を言い、また改めて挨拶に行きますと、言いました。普通なら忌引きすぎたら出勤ですが病欠中ですし、年末年始の超多忙な時期なので出勤時に挨拶します。その後そのまま弔問者のお見送りをし、夕飯の用意した親戚などお弁当を持って帰ってもらいながら送ります。最後、残った親戚や兄弟姉妹孫8人が輪になってお茶飲んだりしゃべってます。会計や受付担当だった旦那と最後の締めをして最後に父と会います。明日も7時半に枕経、8時に出棺なので7時実家へ着くように行かないといけません。家6時半かな?明日は、1時から告別式その後初七日仕上げまでします。又、報告します。
December 27, 2011
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昨日の朝4時過ぎに実家の父が72歳で闘病の末息を引き取りました。3年前の12月胃癌を発見され全摘出した時にはすでにあちこちに転移しておりました。その後一時は完治したかのように元気だったのですが、今年の正月ごろから入退院を繰り返しておりました。1月ごろも、もう駄目かと思われたのですが、何とか持ち越し自宅で療養しておりました、畑が大好きで入院中でも畑の心配をし、一時退院した時でも病院から畑へ直行して借りてる親戚の人に驚かれたほどでした。11月に母の治療の加減で病院に預かってもらいその後肺炎高熱と続いていたのですが、1週間前に気にかけていた甥の娘の結婚式(母が出席)を待っていたかのように昨日息を引き取りました。亡くなる3日前まで自分でトイレへ歩いて行っていたし、長引くようだったら他所の病院に転院の話も出ていました。土曜日もしゃべっていたそうです。日曜日は、痛み止めもいらず寝ている時間の方が多かったそうですが声かければ返事もできたようでした。亡くなる直前月曜日の朝方まで看護士さんと話もしていたそうです。本当に苦しまず眠るように逝ったと聞きました。本来なら年末年始の挨拶に回る時期ですがこのような状態です。仕事も本来ならめっちゃ多忙な時期なのですが幸か不幸か体調崩して休暇中なので忌引きで休まずすみました。年賀状も全く出す気がなく家族4人連名の寒中見舞いを送る予定でしたが、内容が変わり義父たちとは別で作る予定です、年始の元朝勤行会も来年こそいけると思っていましたが、初七日も過ぎないので来年も無理ですね。昨日仮通夜を終え、今日は朝から祭壇組んで納棺して通夜、そして明日は出棺午後から告別式です。そして繰り上げ初七日、仕上げまでいきます。バタバタしてます。又、改めて更新します。昨日も、朝から帰宅したのは夜中でした。今日は、早く帰りたいなぁと思ってます。
December 27, 2011
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結局13日間の入院でした。5日の夜入院して2~3日の予定が約2週間の入院でした。最初の1週間は、点滴がずっと入っていました。最初の頃食欲もなく、起き上がるのも又ベッドで座っているのもきつくて食事とりたがりませんでした。起き上がって座ってるのがしんどいのでイラン要らんと返していました。返しても持ってくるし、しまいにナースコールで「ご馳走様でした」と、片付けてと頼みました。背もたれを起こしてくれますが殆ど食べずに返します。入院のたびに体力が落ちてるのがわかります。寝るたびに起き上がれなくなります。10日に義父が急性心筋梗塞で入院手術ICUそして一般病棟に移動と後半の1週間は生活が変わりました。10日は、夕方ICUに入った義父、私はその日体調悪く大人しく寝てました。義父のことを知ってるのは、その日の担当看護士さんと数人だけです。同じ階にICUがあるので看護師さんたちもその程度の知識です。夕方旦那や義母と義父の主治医に話を聞いていたので?って、思われたみたいだけど。私のほうも薬のせいもあるのでしょうが、目眩やふらつきが続きほぼ寝たきりでした。夜中にポータブルトイレに座っても今度立ち上がれませんでした。11日は、日曜日で旦那も義母もICUに朝昼晩の3回の面会時間に合わせて病院にやってきて義父の面会に来たので私も一緒にパジャマに上を羽織って入りました。ICUのある階なので面会時間前になるとエレベーターホールやロビーがいっぱいです。今まで丁度病院の食事時間と重なっていたので、1ヶ月以上入院繰り返し照るので初めて知りました。実際面会へ行くのに食事食べる前に面会に行きました。食事来るの遅いと面会に間に合わなかったり、早く食べて面会時間に合わせたり、食事来てたけど面会時間にかかると食べずに待ってたりと、義父がICUに居ることを知ってる看護士さんは、「面会時間待ち?」と、聞かれたものでした。面会に行く時間以外は、大人しく寝てました。起き上がると、息切れすると言うか胸痛と気持ち悪さが続きます。主治医は、「起きて動け動け体力無くす」と、言われますがしんどいです。看護士さんたちは、「自分も患者なんだから大人しく寝てなさい」と、言われます。月曜日は、朝から義母と二人で昼の面会は義姉と3人です。義父は、元気です。「ICUでテレビ見れんのか」だって!夕方4時からの水戸黄門の再放送と、月8時の水戸黄門見たさにみたいです。ご飯が食べたいまだ食えんのかだって。午後から一般病棟に転室です。一般病棟に移れば家族はしょっちゅう面会できるので便利でしょうが、同じ階の違う部屋で入院してるものは気が気じゃありません。しょっちゅう病室へ行きます。ここの病棟は、真ん中に洗面所やトイレ洗面所などの施設を挟んで、東側と西側に部屋が並んでいます。義父の部屋は丁度通路挟んで反対側です。詰め所や、トイレ洗面所などの人通りの多い通路を通らずに行けます。声も聞こえてきますので何かあると出て行きます。義父のこと知らなかった看護士さんたちも私の顔見て義父の名前見て「あれ?あっそうか、それでICU入るのも見かけたんか」とか、言われました。義父が、一般病室に移り義母が朝の食事に間に合わなかったり、お昼前に帰ったり、夕食の時は義父の世話をやりに行きます。4時からの水戸黄門を見せにテレビをセットしたり、夕飯時なんか薬まで飲ますのも私でした。夏に1ヶ月食事や薬の世話に通ったので気にしませんがね。自分が見たいテレビと重なったり、自分の食事ゆっくり食べれなかったりいろいろです。その合間縫って自分も体休めていましたよ。土曜日に退院が決まり木曜日には初めてお風呂入りました。10日ぶりのお風呂はたとえシャワーのみでも気持ちよいです。長湯しすぎた?着替えて一息ついて立ち上がったらふらつきます。結局ナースコールで助けを呼びます。「暫く休んでるか」と言われて、主任さんが脱衣所で髪の毛乾かしてくれます。結局車椅子持ってくるといって取りに行ったのですが、立ったら立てたので廊下に出てきたら主任さん来てくれました。車椅子使わないで介助してもらいながら歩きかけたのですが、体がふらついて、壁についている手すりをつかんだところをヘルパーさんが見てて慌てて歩行器もって来てくれます。荷物も持ってくれて結局主任さんに体を支えてもらいながら歩行器で歩いて部屋に戻り寝かされました。「おじいさんのことで動きすぎ、大人しくある程度看護士に任せてください」と、いわれました。「無理しすぎ、気を使いすぎ、もっと看護士を信用して頼ってください」と言われます、1回目3回目5回目の今回と同じ病院で同じ病棟なんだからいくら人見知りの激しい私でも看護士の名前と顔が一致します。しょっちゅうお世話になる看護士くらいは。確かに1回目3回目は何もかも甘えていました。トイレも介助してもらってたししんどい時はオムツでの排泄もありました。4回目の入院だった日赤は、厳しく動けない時でも自分で自分でよく言われました。「オムツしてるから動かなくなるんだ、外して動け」と、言われました。5回目の今回は甘えないようにしました。介助すると言われたのに何度ポータブルトイレとベッドの間で倒れたやら。結局自分で立ち上がれず介助してもらうし看護士さんには「体調悪い時はオムツでの排泄するよう」幾度も言われました。交換するからと。交換してもらってもすぐ座ってた。そんなこんなで寝たり起きたりしながら今日退院してきました。仕事復帰年内は、無理かな?上司は、人事部と相談せよと!無理はさせられない、1日出ただけで倒れて入院した人すぐには復帰認められないと!チームリーダーも、年末年始の忙しい時期に出て欲しいけど無理はさせられないと言います。退院決まった時に人事部部長と話しして、仕事出れるようになったら医師に「仕事復帰証明書」をもらう話はしました。年内は無理年明け11日に外来なのでそれ以降かなぁとチームリーダーには話しました。直属の上司とは昨日話しましたが来週以降再度電話かな?仕事も気になるけど1日行っただけで倒れたのは確かなので自分でもすぐに復帰するのは怖いです。自分の勤務する会社は、24時間365日年中無休なので年末年始関係なく仕事だし、普段の仕事+お正月料理の準備で大忙しです。私たちの部署も応援など多忙+残業続きます。お正月の売り出し落ち着いてからしか仕事無理かな?又、報告します。2週間ぶりに小太郎の顔を見たら大きくなってました。幼児体型で、ぽちゃぽちゃだったのに細くなってました。やんちゃ盛りまっさかりです。
December 17, 2011
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5日に無事職場復帰を果たし残業もして帰宅しました。午後から調子悪く無理して仕事こなしました。一旦帰宅して病院に行くことになり旦那の運転で、病院に行くことになりましたが調子悪く無理で地元の消防署に行き結局救急車で、救急担当病院(掛かり付けの病院)に運ばれました。毎回胸痛と、吐き気で運ばれているので採血と心電図後レントゲン頭のCT検査をして、採血の結果出るまで点滴室で、寝てました。その間に、チームリーダーに電話救急車で運ばれたこと、入院になるかどうかはわからないけど報告だけ入れておきました。点滴500ミリリットル1本終わる頃結局入院になりました。又前と同じ病棟です。病室は、違うけど!!病室に入り問診票書くように言われ書きます。動かない方が良いと、おむつでの排泄です。深夜勤務の看護師さんが来て信頼しきってる看護師だったので顔見たら安心して泣き出してしまいました。前回の入院でも随分お世話になって先週も外来の日に病棟に寄って会いに行き職場復帰の事や、年末の多忙な時期を心配してくれた看護師さんです。この時も、忙しいのにしばらくそばに居てくれ話しを聞いてくれ落ち着くまで居てくれました。二日目、三日目は、食欲もなく寝たり起きたりです。主治医は、最初救急担当医師だったのですが、二日目の朝結局普段の主治医が担当医師になりました。体力が落ち込んでなかなか退院の方向になりません。又報告します。
December 8, 2011
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明日、仕事復帰です。10月19日~約7週間の休暇でした。よく会社が馘首しなかったと思いますわ。社員じゃないけど、フルタイムで会社の社会保険に入っていて良かったです。傷病手当も付くし、イオンの会員クラブ(会社関係)の見舞金も31日以上なのでもらえます。高額医療定額保障(1ヶ月80100円)までも、申し込んであったのですが入院した病院が違うので日赤や松阪の市民病院の分は適用されずそれも会社の健康保険組合のHPから用紙をダウンロード印刷し職場復帰してから申請じゃなくて仕事休んでいるうちに請求しました。最初の入院じゃ1ヶ月の休暇の予定だったのに、4回も入退院繰り返したら気が付いたら12月入ってしまいました。明日から仕事ってことで実家に行って来ました。17日から千葉の従兄の娘さんの結婚式に出かける母たちのための2日目のホテルの予約などを頼まれたのでそれの予約表などを置きに行きました。12月年末です。仕事も多忙になる前に仕事復帰となりました。先月末済生会病院退院後検診の時には、ひどかった貧血も正常値に戻っているそうです。「無理しないように、疲れないように」と、言われましたが仕事しだしたら無理もするし疲れるだろうけど入院にはならぬよう気をつけます。又、報告します。
December 4, 2011
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先週の金曜日午後調子悪かった。かかりつけの済生会に電話したが時間外の上に救急担当日じゃないからと、受け入れ拒否されて、かと言って三回も救急車呼んでるから呼びたくない。松阪の他の病院は、遠く一時間位かかる病院もあって諦めました。夕方旦那が帰宅を待って伊勢市内のかかりつけの個人医院に連絡入れながら向かいますが胸痛がきつくなって小俣の消防署へ行って救助を求めそこから山田日赤病院に救急車で運ばれました。処置室でレントゲン、エコーと検査をして採血結果が出るまで点滴室で待機です。19時過ぎに運ばれたのに病室に上がれたのは23 時過ぎでした。救急病棟の6人部屋の窓際です。とりあえず寝かされ!心電図を装着します。パジャマは、上は、救急で運ばれた時に病院の寝巻きに着替えてあったので下のジーンズだけ脱ぎました。下も結局起き上がるのは無理と、紙おむつにパッド当てて夜は、おむつでの排泄のみになりました。点滴入っているのでしたくなかったけど結局3回の交換でした。朝朝食食べれません。体を拭いて貰いパンツタイプの紙おむつに替えて貰いました。医師来て、様子もう少し見ましょうとなりました。午後から部屋が一般病棟に移動です。年寄り病棟に移動です。6人部屋の真ん中のベッドと言うのは落ち着きません。狭いです。最初は、狭いスペースの真ん中にベッドがあったせいか何もかも狭い。救急病棟はそれでも頭の上に荷物置く棚があったのにここは小さな衣装ケースが一つあるだけです。後テレビ台が昔ながらのテレビ台で下に引き出しが付いてるやつ。テレビ台の前に衣装ケース置いたら足元に少し余裕があるだけです。ポータブルトイレ置くから自分で起き上がるように言われました。最初は、尿器で取ってもらいましたがした気がしません。1時間もしないうちにオムツの中に出てしまいました。看護士さん「さっきしたばかりでしょう」と、言うけど点滴入ってるし介助なしじゃポータブルだって座れません。足元ふらついていましたから。救急病棟の時朝になって初めてポータブルトイレに座っただけなので、暫くは介助つきになりました。日曜日、医師回って来ません。痛み止めさえ飲めば何とかなってます。1度ポータブル心電図着けました。日曜日は、大人しく寝ます。月曜日一応主治医が決まりやってきました。済生会病院の検査結果や様子見て、30日の外来にあわせて帰りましょうとなりました。点滴も夜終わった時点で無くなりました。旦那と売店まで行きました。1階なのですが、一番奥の昔の病棟なんで遠いです。飲み物買って戻ります。前の病院じゃテレビ台の下冷蔵庫付いていたけど今度はありません。自販機は、売店まで行かないと全く無いと来てます。最初の日は、帰りも旦那に付き合ってもらって往復しました。初めて睡眠薬もらって寝ました。火曜日、朝からお風呂入れてもらい1日中のんびりまったり。水曜日今日午前中実家の母に迎えに来てもらって帰りました。日赤で驚いたこと看護士さん口悪すぎ。療養型病棟みたいなところで入院してる殆どが寝たきり老人か、救急病棟から移ってきて私みたいなのが(退院するはずが長引いた)居るくらいでほぼ意識が無いような年寄りの部屋だったりする。実際6人部屋で私ともう一人のおばさん以外は寝たきり1日中寝てる人ばかり。そんな人たちに平気で「あんたの顔が怖い汚い」とか大声で怒鳴ってる看護士が居た。昨日別の部屋の老人の人(少し意識あり)人がご飯をなかなか食べなかったら「何で食べないの?私も忙しいのに早く食べない」と、言いながらパチンッ ((“o( ̄ ̄*)と、大きな叩く音が聞こえた。老人の泣き声と看護士の怒鳴り声がその後も聞こえていたが、他の部屋の付き添いや私が廊下を出て様子を見てたら他の看護士が入って黙ったけど荒い人がいる。廊下は大部屋は何処も入り口開いてるし、大きな声が聞こえるから何事かと覗いたら案の定看護士さんだった。私も最初やられた同じ人だと思う。朝起きた際トイレの介助頼んだら「そんなこと一人でしなくちゃいかん」と、放置です。その時は、後から他の看護士がすぐ来たので頼めましたが平気です。朝顔を拭くタオルと歯磨き用のセットを持ってきてくれるのですが、わざとその人私の所無視して「この部屋は終了しました」と、他の看護士に伝えて私がもらっていないと、何度も言ったのに「その看護士は全員に渡しました」と、嘯いた人。後からエライサンクラスの看護士さんが回ってきた時言ったら「あの人は平気で嘘付くし、苦情がよく来てる」と、言ってた。仕事忘れていても「私やりました」とか平気で言うらしい。休み明けに忘れてましたとか、いい加減な看護士?山田日赤は、来年1月に病棟から順に新しく移転してできた「伊勢日本赤十字病院」として4月には正式に開院するらしいが浮かれすぎじゃない?今日、午後済生会松阪の方の退院後の診察日でした。一応入院セット持参で。「採血の結果で貧血や腎臓の機能とかもも順調だし12月1日から仕事復帰となっていたし入院していたといっても向こうの手紙では大したこと書いていないし大丈夫と違うか」と、太鼓判押されました。会社へ行ったら丁度駐車場で帰宅する同じ現場の者と会いました。入院する前に会って以来です。近況を報告しました。直属の部長が来て、社長と会って「大丈夫か」と聞かれて「長い間すみません」と、答えて事務所へ行って直属の部長と話して「医師からもう大丈夫」と、太鼓判押されました。いつから出ましょうとなって。2日から出ます。すぐ部長会議が始まって、とりあえず食堂に上がって内線で現場に電話を入れチームリーダーを呼びます。「部長と話しになって2日から出勤します」と、決まったと話ししました。Iさん居るで伝えると、言ったのだが再度呼びに来て「人事部長の許可が出ないと出勤認められない」となりました。Iさんと話して部長と相談して1週間待てと言われたけど「月曜日から出勤します」となりました。11月家にいたのは7日間だけでした。
November 30, 2011
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1ヶ月の入院期間中にでも書きたかった内容でどうしても書きたいことを書きます。1ヶ月の入院期間中旦那か、義母か実母か会社関係の方くらいでした。用事が済んだら帰ってもらっていました。中には常識が無いんじゃない?と、言いたくなる見舞い客を挙げます。一つ目は、やかましい客私は2人部屋で相方の多くは検査のための2泊3日の入院の方が殆どでした。大体付き添いは、旦那さんか娘さんかお嫁さんと一緒に入ってきます。その時は、静かで良いんです。夕方、学校や保育所帰りの子供を連れて説明を聞きに来るんです。本人とその家族は説明に聞きに行く際子供を病室においていくんです。大人しくテレビ見てるわけでなく、又家族もやってきて大声でしゃべるんです。ここは、個室じゃありません。1度何度は、どう見ても家族じゃない知人か近所の人も一緒に夜8時過ぎにやってきて大声でしゃべるんです。検査だよ、隣は体調悪くて入院してるんだよ!風邪引いているような咳してる人間迷惑でしょう。短時間で帰る、騒がない、咳してるのに見舞いに来ないが原則です。皆さんも気をつけましょう!咳払いしても、露骨に嫌味言っても気づかないババアが居ました。子連れは、なるべく辞めましょう。大人しくしているはずが無いんです。隣の部屋の若い夫婦、旦那さんが入院してて奥さんが毎日朝からやってきました。平日は午後から子供を連れて、土日は朝から子連れで1日中病室かロビーに居ます。大人しく居るわけでなく、奇声を上げて廊下を走り回ります。ここの病院大部屋だと大きな入り口がそのまま部屋の入り口ですが、2人部屋だと大きな入り口一つに2つ部屋が並んでるので隣の声や足音が丸聞こえです。ドアを昼夜構わず開け放してあるので五月蝿いのこれなしです。この若いお父さんの会社関係の見舞い客も非常識です。話し声が聞くとなし聞こえるのですが、大きな銀行かそうゆう関係の仕事のようです。夜7時過ぎに同僚らしき人が数人毎日じゃないけど週何回かきます。そこも2人部屋を1人で使用しているせいか遠慮なしです。宴会の2次会のカラオケBOXと間違えていないかと聞きたくなるほど大声で笑いしゃべるんです。証券マンか何かですよ!常識がないのかね~!あまりの五月蝿さに看護士さんに言って入り口の扉閉めてもらいました。でも、逆に部屋の中で大音響になってトーン下げてもらうよう言ってもらいましたよ。7時過ぎから始まって宴会でもしてるのかと聞きたかったですもん。男性4~5人が大きな声で笑ったりしゃべったら防音装置の無いカラオケBOX と一緒です。どんなに優秀なサラリーマンでも非常識はいけません。静かにお見舞いしましょう。その2:病院がベッドに居ない時、又女性の部屋に男性は長い間居るのは非常識再入院になった時の話しです。検査入院で入ってきたおばさんと付き添いの旦那さん(かなり高齢?)が居ました。検査入院の1日目は、何もすることがないんです。次の日朝早くから検査のために前日入院です。大体部屋の状況とか予約状況にも寄るのですが大体お昼前後に入ってきます。そのおばちゃんも11時ごろやってきました。大概着替えるはずなのにちっとも着替える様子ありません。お昼が運ばれて普通部屋で落ち着いた時点で付き添い者帰ります。この旦那さん帰る様子全くなし。奥さんと一緒にベッドに座って持ってきたパン食べてる。奥さんも病院食不味いと言って旦那さんのパン食べてた。テレビが旦那さんが見たいと言って、持ち物にイヤホンと書いてあるのに2人で見たいからとイヤホン付けずに見出した。テレビの声が聞こえるので「悪いけどテレビ見るならイヤホンお願いします」と、自分たちは最低限の音量にしてるつもりでも隣に聞こえます。2時から奥さん栄養指導で1時間いなくなるのにテレビ見るつもりです。女性の部屋に男性が長い間居るのは一寸です。看護士係長さんに、「いくら今日入院でも男性がずっと居るのは嫌だ、体調悪くて介助なしではトイレもできない状態の時もあるのに、話の内容では夕方孫を迎えに行って又病院に来て娘が来るまで一緒に居るといってます。検査の日も朝から1日中居るとのこと。それでも、奥さんが居ない時はロビーかどこかに居るのが常識でしょう。看護課長には話をするとは言っていました。奥さん売店へ行ったりウロウロ寝て無いくせに旦那はベッドに横になってテレビ見てます。2時栄養指導に行く時迎えに来た看護士さんが、「旦那さんも一緒に聞きに行きますか」と、誘ったのに奥さん「お父さんは、見たいテレビがあるでここで見とればよい」と言っておいていきます。旦那さん普通にベッドに靴履いたままテレビ見てます。こっちが嫌味のようにため息ついても知らん顔。私のほうが我慢できなくてロビーに出て行きました。半べそ状態でロビーに行ったら別の看護係長さんが来て、「どうした?隣が来ると眠れない?」と、言います。「別に隣が入るのは構わないけど、本人不在なのに男の人が一人ベッドでテレビ見られるのは嫌です」と、言いました。「男の人が横で寝るのは嫌やわな」と、!「何で具合の悪いものが我慢して起きてこないといけないのですか」と、聞きました。部屋へ行ってくれ話をしてくれたまたまもう一部屋女の部屋でベッドが空いていたのでそちらに移っていきました。でも、なんか私のほうがわがままみたいにとられたの納得いかん。課長さんは、検査と言っても入院したばかりなんだし家族が付き添うのが当たり前と言いますが本人不在なのに横で寝られる方の身にもなってほしいです。実際次の日も奥さん検査に行っていない時間なのに旦那さん昨日注意されたこと理解力が無いのかベッドに横になってテレビ見てました。その部屋だって相手居たんですよ。男性患者に奥さんや娘さんが居るのは仕方ないけど、女性患者に男性が付き添うのは一寸。世話するとかならともかく、ベッドで横になってテレビ見たり一緒にご飯食べる(2日間とも昼食夕食ともに食べたみたい)?付き添いにならん付き添いは邪魔だと思うのですが。旦那毎日来たよでも、洗濯物持って帰ってもらったり欲しいもの買ってきてもらったりはしたけど1日中居ることなかったのに。入院した日でも。奥さん売店で段なのご飯や飲み物買いに行き旦那ベッドでテレビっておかしいでしょ。お見舞い客の観察日記でした。+
November 24, 2011
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亀山市関宿にある「ドッグカフェぽ庵」さんにデビューしました。退院したばかりの昨日、会社へ提出する診断書や年末調整の紙、健康診断の結果など出歩いたので昨日は家に着いてから3時過ぎから気がつけば7時、夕飯挟んで9時過ぎから朝まで熟睡していました。今日は、大人しくしていようと思ったのですが天気が良くなって寝ているのがつまらないので小太郎連れて遊びに行くことにしました。職場復帰したら旦那と休みが合わなくなると遠出が難しいので今のうちです。小太郎を車に乗せるためのキャリーも購入済です。早目に食事を済ませ、お水やおやつ、粗相用のトイレットペーパーや袋を入れてこっちも着替えて出発です。一般道より高速のほうが良かろうと玉城ICから伊勢高速に乗ります。途中PAやSAで休憩取りながらです。小太郎にとっては車は初めてじゃないけど遠出人のいるところへ行くのは初めてです。多気PA,嬉野PAでは時間的にもまだ早くうろうろしても大丈夫です。安濃SAまで順調に来ました。暫くは、草地で遊んでいましたが売店へ階段を上ります。上にいたたくさんの人にかまってもらいます。声の高い小さな子供は一寸苦手のようです。家にいる時は、他所の人見たことがないから驚きだらけです。家では普段庭で遊んでいるだけだし、リード付けての散歩や歩行は今日が初めてです。家の前が県道で車の量が多いので家から出したことありません。安濃のSAを出発して関ICから名阪国道へそこから1号線に出て関宿へと走りました。一寸ここでアクシデントが、SAでおやつを与えたのがいけなかったのかぽ庵さんの駐車場に着いて車から降ろそうとしたら酔って吐いていました。掃除させていただいて、直接裏から入るより少し歩かせた方が良かろうと店の表に周りがてら歩きます。店の表側関宿のメイン道路です。いっぱいの人がいて何処かのお姉ちゃんに写真撮ってもらって可愛がってもらいました。お店に入りました。看板犬のわんちゃんや、先に見えたわんちゃんや、初めての場所で固まって動きません。テーブルに座っても、抱かれたまま動きません。床におろしてリードを留めてこっちもランチを注文します。丁度ランチ時で次から次へとワン子連れのお客さんです。最初のうちは大人しく他のお客さんになついていましたが(わんこは別ですよ)、他の犬が吠えたりすると怖いのか固まっています。椅子の下にくぐったり、大きな看板犬に怖いながらにも興味示したりしてます。本日のホリデーランチです。 ランチに付くデザートです。私たちがランチ食べだした頃には慣れたのかうろうろしだして、店の方の邪魔ばかりです。小さいので足元でウロウロしてたら踏みそうです。食べてるのがわかるのか自分にもよこせと五月蝿いのでおやつを少しあげました。丁度小太郎の前に座っていたお姉さんが、ごみを取る粘着シートのコロコロを出す音がしたら気をつけして座っていました。持ってると食べるものと思っているようです。大笑いされます。飽きてきたようなので、出ようとして立ち上がったら他の犬に吠えられて特に店の入り口のわんこに吠えられて固まってしまい早々と帰ってきました。関宿を暫く歩きました。お店で一緒になって、先に出られたおおきなわんこ2匹連れと一緒になり逃げておりましたわ。暫く遊びましたが寒くなってきたので帰ってきました。
November 20, 2011
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19日、雨で遊べない小太郎の為に玄関に繋いで入れました今回10月19日から11月18日までの間に結局29日間の入院でした。最初の病院が18日間、退院した日に運ばれた別の病院での2日間、そして元の病院に再入院して9日間です。別の病院から元の病院に再入院する間に2日間自宅にいただけです。10年ぶりの入院です。まず驚いたこと、男性看護士さんが増えたことです。この病院入院するの初めてだったのですが、夏に義父が整形で入院した時あまり男性看護士見た記憶が無いのに内科病棟では3人もいます。男性看護士も若い、おばあさんならともかくまだ恥らう乙女とは言わんけど恥じらいはあります。最初の頃は、胸を見せるのも嫌だったなぁ。胸部の痛みと不快感と血圧が高くて救急車で運ばれ、貧血などもあって入院になったせいか常時24時間心電図をつけていました。動けれるようになったら首からぶら下げていたのですが最初の1週間はベッドで寝たっきりだったので線がいっぱい体に付いたままでした。起き上がったり寝返り打ったり一寸したことで外れます。これって知らなかったのですが、無線で詰め所にある機械に飛ぶようで外れると異常音がなるようでした。初日の晩何度起こされたか「外れてる」って!最初の頃は普通のかぶりのパジャマだったので外れたところだけ見せればよかったのですが、「前開きのパジャマを用意するように」との入院時の指示だったので家にあるわけなく慌てて購入したものの点滴入っていたので体拭くときまで着替えていませんでした。前開きのパジャマ着るようになってからは、外れるとパジャマの前全開です。最初は、男性看護士さん来た時は「えっ、あなたにしてもらうの?」と、嫌がったほど。その時は、女性看護士さんも一緒だったので女性にしてもらいましたが何回かくると慣れたもので、こっちも呼ばずに飛んでくる時は線やなと準備、最後の方は外れたとわかったら自分でつけてから確認してもらっとたわ。最初の頃は、導尿バルーンだから点滴入っててもトイレの介助少なかったけど、便の方はポータブルトイレだったのでしたときに片付けてもらうのに男性ってのが嫌でした。向こうは、仕事とわかってますが女性はね~。同室の方もいるしベッドから降りられないとわかっていても外のトイレへ行きたがったんだけど、食事などで体を起こしたり動かすだけで胸がえらかったのでポータブルトイレでの排便が原則だったのね。1週間のうち、最初の1日目は午後からだったし(落ち着いたのは夕方)3日目はお隣の方が午前中に退院し、週末だったので翌週月曜日午後入院してくるまで一人だったので隣に遠慮することが無いだけ助かったけど、尿ならともかく便を片付けてもらうのは恥ずかしかったです。男性看護士さん3人いて、一人の方はしょっちゅう来る方だったので最後の方はなれて来ました。もう一人は、憎めない可愛さがあってついつい言えないし、「男性では一寸」と、逃げてた。最後の一人は、普段あまり病棟にいない方。救急外来のほうにいて、救急日じゃないときなどに上に上がってくる方。救急車で運ばれた時に、検査室へ行ったり点滴室に移動になったり、トイレへ連れて行ってもらったり医療以外の介助してくれた方。救急外来の時点では、入院にならず迎えに来る間に内科外来にかかるってことで午前中に離れてて午後入院になって病室で看護士さんと話ししてるところで部屋覗いてくれてそれ以来別に何かしてもらうわけじゃないけど声かけてくれます。若い女性看護士さんまだ看護士になったばかりのような看護士さんがいました。露骨にいやな顔何度されたかわかりません。特にポータブルに便をしたのを片付けてもらう時。導尿バルーン抜去後、調子悪かったり少し排尿の感覚が薄れたのもあってパンツ型の紙おむつをはいていたんです。蓄尿中でポータブルトイレを使用していましたが、ふらついたり動くだけで胸の不快感や息が荒くなるのでベッドの上での排泄(オムツの中へ出す)ことが多かったんです。特に夜間は、看護士が少ないのでなるべく動くなとと言うことです。交換頼むと露骨に嫌な顔したり、「今他の部屋の交換に回ってますから後で来ます」と、言っておいて来なかったり他の看護士さんにも伝えないことしばしばでした。パッドだけだと自分で交換できましたが(抜くだけ)、他のになると自分では動けず別の看護士に言って替えてもらうときに聞くと聞いていないと言います。夜中に呼んでも来ないで大喧嘩したことも。こんな看護士さんばかりじゃなかったけどこれからも書きたいです。
November 20, 2011
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先月19日から緊急入院で18日間、そしてその退院した日松阪の市民病院に緊急入院したことは書きました。月曜日退院してその後家でのんびりしてました。先週木曜日、義母と義父が入院してる市民病院へ行って一旦帰宅。美容院へ行ってカットしてきました。昼過ぎ帰宅。小太郎と遊んでいました。1時過ぎから一寸気持ち悪い。かかりつけの最初に入院した病院の内科外来へ電話。主治医外来日じゃなかったけど診て貰うことに。誰も頼める人がいなかったので「自分で運転して行きます」と、言うと無理しては駄目と又救急車を要請するよう言われて様子見ましたが回復せず救急車でかかりつけ医院に行きました。1ヶ月以内に3回目の救急車です。救急の方に「S会松阪総合病院がかかりつけで了解とってあります(救急指定は他の病院)」と、伝え運ばれます。点滴採血後、レントゲンとCT検査後旦那が迎えに来るまで点滴室で待って帰宅の予定でしたが5時過ぎに迎えに来ましたが結局「胸の痛みと不快感」で、入院になりました。病室へ上がりました。5日前まで入院していた同じ病棟の同じ病室です。おまけに主治医はもちろん受け持ち看護師まで一緒。2人部屋で最初も廊下側のベッドだったのですが(隣の方が退院されたので窓際に3日目から移った)、今回も同じように先の方がいて廊下側のベッドです。最初の日は、お隣さん治療の関係でICUだとかで一人で寝ます。又、書類やいろいろな手続きします。前回緊急入院の時は、付き添いが義母だったので最初に出す問診表(連絡先やアレルギーや既病歴など書く書類)看護士さんに書いてもらいましたが、今回は旦那なので旦那に書いてもらいます。主治医が来てくれて、「胸の痛みと不快感を取り除きながら様子見ましょう」と言うことになりました。旦那一旦帰宅して、入院の準備取りに行ってもらいます。前の時は早朝だったし、市民病院の時も夜中だったのでパジャマだったのですが今回は私服です。病院では借りる寝巻きが下しかなくとりあえず上は服のままです。トイレも許可が出ましたが結局夜間は危ないと言うことでポータブルトイレです。それもそのつど介助付です。ふらついて危なかったしね。ただいやだったのは汚れ防止にパンツタイプの紙おむつと尿取りパッド当てられた事かな?前の時は書かなかったけど、前の時も導尿バルーン外れてしばらくは動くの危なかったからつけてたわ。横になって11時過ぎだったかな?気持ち悪いのと胸の痛みが強くなって様子を見ることに。様子見てたけど痛みひどくなって、病室で心電図をとることに。ギュッと締め付けられる感じで痛みおきてくるし気持ち悪い。最初一人の看護師だったのに3人やってきた。丁度準夜帯から深夜帯に切り替わる忙しい時間帯です。心電図とって、ニトロ舌下に入れて再度溶けたの確認して再度心電図でした。寝る前に貼り薬(心臓の血管を広げる作用がある)も貼って寝かされました。最終的には狭いベッド周りには看護士3人と、心電図の機械やら諸々、廊下からカーテン越しにもう一人顔がみえた、忙しい時間帯に悪いことしたと思ったほど。その後、トイレ行きたがったけど結局危ないと言うことでベッド上で排泄でした。結局3時ごろまでベッドのところの電気つけたままうとうとしてたら「寝ないかんよ」と、起こされた。朝5時過ぎ「朝ですおはよう採血です」と、起こされたた私です。終わったら「まだ早いからおやすみなさい」と、寝かされた私矛盾してるような。朝食が終わり、日中の看護士さんやヘルパーさんなど回ってくるたびに「あれ?見たことある名前だと思ったら」と、何度言われたやら。掃除の小母ちゃんまで言いかけたから、「みんなに言われたでもう言わんといて」と、なきついた私です。2人部屋の廊下側はかなり狭いです。食事の時などのベッドサイドテーブルは足元に置かず壁際に置いて食事の時だけ引っ張っていました。ベッド下に物が置けないので洋服BOXの上に買い物籠置いてそこに必要な物を置いて、サイドテーブルの下に置いて壁際に。テレビ付の台は昔は物も置けたのに引き出し以外は、下の台は冷蔵庫になってるんです。テレビカードと連動してて200度で24時間使えるので、テレビ見ながら飲み物とかも冷やせるから動けないものには便利です。点滴してるし、ベッドとサイドテーブルの間にポータブルトイレ置いてあるのは一寸嫌だったけどね。2日目の朝10時過ぎ、お隣の方が戻ってきました。間のカーテン開けてよいよと、言ってくれたので(廊下側は暗いです)あけさせてもらいました。お隣さんの顔を見てお互いびっくりです。「おばちゃん」って、呼んじゃいました。先月入院した時最初の3日間お隣だった方。それもあの時と同じように、先におばちゃんが窓際にいて後から私が隣のベッドに入ってきたと一緒のパターンです。あの時18日間中最初の3日間廊下側だっただけで後は窓際だったので誰も覚えていなかったけど不思議な縁です。後からやってきた看護士さんに言ったら「狙ったように入院してきた?」と、散々からかわれました。看護師長さん回ってきて大笑いされてしまいました。退院した日に義父が緊急入院になり、付き添いなどで疲れからだろうと暫く安静状態で過ごすことになりました。3日間くらいで退院できると思ったんですがね。その日は、大人しく寝てました。10月の時は、食事1400キロカロリーのご飯も少なかったんです。今回医師の好意で1600キロカロリーのご飯も多め、多いし味濃いしで頼んで元に戻してもらいました。次の日、小母ちゃん午後から退院です。看護士さんが来た時にお願いして窓際に移動させてもらいました。窓際のベッドは広いです。少し狭く感じたので少し動かしたら広すぎます。窓枠にも荷物置けますし、置けなかった椅子やポータブルトイレも壁際に並べて置けました。サイドテーブルの下に洋服BOXは置いて壁際へ寄せたけどね。窓際で一人は、逆に電気つけたり消したりは不便。10日から18日の9日間居りましたが最初の3日間だけ2人なだけで後はずっと一人でした。2人部屋だけどほぼ一人部屋でした。夜も夕飯済んだら部屋の電気消してベッドサイドの電気さえ点けとけばよかったし、部屋の入り口も閉めてても良かったし楽でした。ポータブル使っていたから気を使わずに済んだし。この夜は、いろいろありました。この日は、準夜勤帯は男性看護士と女性看護士で担当は男のほうだったので女性のほうに世話になりたいこともあると伝えていました。何でも無いことは男の人でも良いけど、やはり恥ずかしいことは女性じゃないとね。あんまり夜調子よくなくて薬飲んで寝ました。日付変わるころトイレに起きました。危ないので夜は完全にポータブルでした。パンツ型の紙おむつとパッドはそのまま付けてます。すぐ動くと危ないといつも一旦ベッドの端に座って息整えてから動いててそのときも同じように。サイドテーブルに掴って立ち上がってそれを支えに壁際に置いてあるポータブルを引き寄せようとしたらバランス崩したというか目眩したというか崩れて床に座り込んだんです。立てません寒いし、ナースコール押しても丁度切り替わる時間なのか何回か押しても来ません。立て続けに押したらやっと来てくれます。丁度男の看護士さんだったので、起こしてくれようとしますが自分では立てないので結局深夜勤の男性看護士さんと一緒に立たせてくれてそのまま寝かされます。「打ったところ無いか、痛いところ無いか」とか、どうしてたのか何でこけたのかとか聞かれたけどトイレへ行きたかったから起きたんだけどバランス崩したと話しました。「目眩してるみたいだし、起きて降りたらいかんよ危ないで」と、言われました。貧血もあったからそれかなと!3時過ぎ看護士さん回ってきたときに再度トイレへ行きたいと言ったのですが、「オムツしとるでさっきこけたばかりだし危ないから中へしたりなさい、出たら替えてあげるから出たら教えて」と、言われました。でも、できなくて我慢できないし大丈夫だろうと柵を外し座ってサイドテーブルに掴って立ち上がりました。今度は先にポータブルも寄せて立ったんです。思ったより足はガクガクして手が離れません。ズボンや下着を下ろそうにも手を放すと倒れそうです。何度挑戦しても駄目、諦めてベッドに戻ろうにもそれすらできません。サイドテーブルで体を支えながら壁側に移動したので低いベッドのナースコールのボタンは届きません。ズボン下げなくても座ったら何とかなるかと座ろうにも動けないんです。蓋を閉めてと手を放したらそのまま限界が来て又床に正座してしまいました。今度は、呼ぶのをためらいが出て自分で立ち上がろうとしました。「動いたら駄目」と、言われたのに動いたと叱られそうだからです。でも、どうしても立てません。結局看護士さん呼びます。1回で来てくれましたが、看護士さんは大人しく寝てオムツに出したと思って替えに一人で来ましたが私が床に座り込んでるので驚いています。「人のいない時に動いたらいかん」と、言ったのにと言いながら一人では無理と応援を呼びますが来ないので応援を呼びに行きます。結局男性看護師と女性看護士2人の3人がかりでベッドに座らせられました。「大人しく寝てないといけないと言ったのに何で降りるの?」と、聞かれてどうしてもトイレしたかったと。「オムツにしなさいと言ったのに何で自分でできないのに立つの」と、言われたけどベソかいてたら、さすがに男性看護士に手伝わすわけいかんので2人がかりで立たしてくれてズボン下ろしてもらって座らしてもらいました。「済んだら呼ぶように、絶対一人で立たない」と、約束させられました。ずっと入院してたのにこんなことは初めてです。それまでは大変な時や動けない時はベッド上での介助かオムツでの排泄だったのですが退院を目の前にして自分で動かないといけないと無理したんだろうね。再度呼んで寝かされました。絶対ベッドから一人で降りないと約束させられたのは言うまでもありませんでした。ちゃんと謝りましたよ。朝からトイレへ行くのに看護士呼びましたが一応外のトイレまで歩いていきました。金曜日に外来で栄養指導受ける予定でしたが、金曜日早めに退院したかったので早めに木曜日に指導受けました。「毎日体重を測ってグラフにしましょう」と言う宿題があって最初の体重のメモリよりプラス1キロと、-2キロで目盛りをつけて前回退院した際グラフを作ったのですがあれから2キロ減って目盛りが合わなくなって再度作りなおしました。結局約29日間の入院で10キロ体重減りました。顔が小さくなり胸や背中の贅肉がなくなり、腕や足が細くなり最後にはお腹の肉が減りました。パジャマがゴソゴソデス。退院時私服に着替えた時ジーパンがごそごそで下がって大変です。上の服は少々ブカブカでも格好悪くない限りよいのですが、下は腰がごそごそ新たに買いなおすには不経済です。明日は、19日。とんかつパン粉付け16000枚日です。仕事は今月末まで休む予定ですが、診断書や必要な書類提出のため差し入れ持って行きがてら置きに行って来ます。旦那がいるので大丈夫です。いろんな方にお世話になった看護士さんがですが、特に話を聞いてくれたり笑わせてくれたりしょっちゅう泣きべそかいていたから(思うように動けなかったし、下のことで恥ずかしいことばかりだった)忙しいのにいつまでも話を聞いてくれる看護士さんがいました。お風呂にも2度介助しながら入れてくれたしその看護士さんが私が12月から仕事復帰すること話したら凄い心配してくれて、残業なんか駄目だよ。とか、「無理できません」と言って休みなよ!だって性格わかるのか「絶対残業って言われたらやりそうだし」って!「お正月病室空けておこうか」だって!思わず「遠慮しておきます」と、大笑いです。のんびりします。無理しません。
November 18, 2011
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パパさんやママさんやおばあちゃんには「やんちゃ坊主」とか言われてます。表の庭と中庭との境にある扉の隙間僕通りぬけちゃうの簡単なんです。車は、怖いけど外を歩く人は大好き。昨日も道路に飛び出してママさん真っ青になってた。「車来なかったから良いものを」って!今日は、扉の前に大きな重い板置かれちゃったよ!でも昨日まで、ママさん家の中にいる時は小屋につながれていたけど今日は家の中にいてもお庭で遊ばせてくれた家の庭って小さい僕からすると大冒険、いろんな発見がある。買ってもらっておもちゃより落ちてる木切れなんかで遊ぶほうが大好き。今日も庭で見つけた木切れでお気に入りの葉っぱの上で遊ぶの大好き。ごんた小父さんも大好きだったんだって。今日は、ママさんの用事で車で出かけるの一緒に連れて行ってもらったよ。最初は、「斎宮歴史博物館」の駐車場。僕初めてのところ嫌がったけどママさん強引に引っ張って側溝の蓋越えて少し歩いたよ。清掃作業してる小母ちゃんが「可愛いおいで」って、言ったら一目散で走っちゃった。「可愛いね~、お利口さんだね~」って、ママさんまんざらでもなさそうな顔してた。次は、お家近くの大仏山公園ってとこ行ったよ。車から降りてリード離してもらって、ママさん先に階段上ってしまって、「おいで」と、言われたけど初めてだし怖いけどがんばって上ったよ。広いところに出て、清掃の小母ちゃんが「おいで」って、言ったから一目散で走って抱っこしてもらっちゃった。ママさん曰く「人懐っこいのは良いけど、怖いもの知らずでかなわないわ」と、嘆いてた。又、明日も行こうねって!関宿にある「Dogcafeぽ庵さん」にいつか連れて行ってくれるって!
November 9, 2011
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「小太郎(こたろう)」と、言います。9月11日生まれの男の子です。小さいけど(土曜日に予防接種に行って測ったら1.5kだったらしい)、ごんた小父さんの時よりやんちゃ坊主だそうです。末永くお付き合いください。ご無沙汰しておりました。ごんたが、10月19日に12歳の生涯を終え天寿を全うしました。その少し前から近所で子犬が産まれたので10月末に我が家へやってきました。「小太郎(こたろう)」です。これからは、小太郎こと報告していきます。ごんた小父さん以上に可愛がってください。ごんたのことは、又後日報告します。私のことの報告です。10月前半の感謝デーの翌日から体調崩し仕事休んでいました。17日は、会社の健康診断で人間ドックを受けていました。18日も出勤だったのですが、仕事中気持ち悪いのと胸が痛いのと冷や汗が出てきて会社内で倒れるわけいかんと我慢して早退しました(それが精一杯)。その日は、かかりつけの伊勢市内の内科で点滴してもらって帰宅。少し横になれば楽になりました。19日、感謝デー前日「魔のとんかつ16000枚パン粉付けの日」です。朝から「気持ち悪い、しんどい、えらい」と、訴えていました。血圧測っても200以上、下でも100以上あります。前日のかかりつけに電話してものんきな返事しかもらえません。パジャマのままで、上を羽織ってぞうり履いてでも財布や保険証などが入っているかばんを持って離れの鍵を閉めて母屋に行きました。旦那は、出勤した後でした。母屋に義母がいて、松阪明和地区の救急医療に問い合わせてもらいました。私が代わって、「気持ち悪い、胸が痛い、血圧が200以上ある」と、伝えますと119番救急車呼ぶよう指示されました。義母が電話して、出勤時間帯で家の前の道も車増えてきたし鳴らされるのがいやなので少し離れたとこまで行くと言ったのですが、私自身もう動けません。救急車待つ間に会社に電話を入れ「気持ち悪いので病院行きます」と、伝えます。7時30分、結局家の前まで救急車来て(おもいっきり音付きで)、隣近所出てきたけどそれど頃じゃなくてそのまま救急車の中に入れられます。問い合わせてもらったら「松阪の済生会病院」に時間的に大丈夫なのでそこに決まりました。町の救急車って家の前の道を西から来て、松阪へ向かうのは同じ道を戻るのね。家は、在所の東の端だから西の端まで救急車鳴らして行くってことはその日のうちに在所中知れ渡るんです。県道に出て、病院までが片側一車線しかない道。それも、殆どが待避線もないような狭いところも多数ある。7時半に出ても頼んであったので8時過ぎギリギリに病院に到着した。8時過ぎたら救急指定病院が変わってくる。旦那も電車通勤だし、義母は運転できるけど遠いとこまで運転は無理義父が入院した時も私が会社が近かったから毎日通えたけどその私がこんなんだから駅に近い病院のほうが助かる。救急車からストレッチャーに乗せられて処置室に運ばれた私です。気持ち悪いし胸が痛いのでしんどいです。ストレッチャーから処置室のストレッチャーに移動して、いろんなこと聞かれながら心電図、血圧、採血と点滴を入れて指示待ちです。ストレッチャーごと今度はレントゲン、CT,エコーと移動します。戻ってきて休憩してとりあえず落ち着いたので点滴室に車椅子で移動。点滴室で、一息ついたら医師が採血の結果を持ってきて「貧血がひどいこと、血圧や他の数値も高いこと」を説明し「点滴が終わったら帰ってよい」とのことでした。義母に、私がパジャマなので車を取りに一旦電車で帰ってもらいます。9月末に同じような症状で内科にかかってて、12日の予約キャンセルになってて次を電話予約することになっていたので同じ医師がその日は診察日なので待ってる間にかかることになり内科外来へ車椅子で移動します。一旦処置室でバイタルチェック後診察に呼ばれました。この頃かなり衰弱してて医師の前でぐったりしてました。「貧血が進んでいて(9月末の時より)、他の数値も高いので検査と治療をしましょう」と、入院になりました。緊急入院だったので病室がなかなか開かず、看護師さん気の毒がってお昼ご飯は、病棟から取り寄せて空診察室でご飯を食べましたが殆ど食べれませんでした。mixiで、マイミクで上司でもある人に読んでもらいたくて「救急車で運ばれて入院になったこと」つぶやいておきました。会社へも、点滴室に移動した時に一応「救急車で運ばれました」とは、電話入れたけどね。14時過ぎ病室へ入りました。大部屋に空がなく2人部屋の廊下側になりました。義母も戻ってきていて一緒に上がります。書類書こうにも動くと吐き気するし、義母じゃあてにならないし看護師さんに書いてもらいます。一応トイレ可能でしたが、動けないしきついということでポータブルトイレを置いてもらい看護師がそのつど介助するということで部屋から出るのも禁止になりました。1回目はそれもできたけど、言い出せなくて2回目夕方看護師さんが来た時に起こしてもらおうとしましたが眼が廻るというか気持ち悪くて動けず結局導尿バルーンを入れてもらい排便時以外はベッドから降りることも無い生活になりました。外してもらうはずだった点滴もそのまま、無線で飛ぶ心電図も装着しおしっこの管も入りその日は寝れません。会社へは、夕方落ち着いたら携帯でかけました。救急車で運ばれたと電話してから6時間くらい経っていました。そのまま入院になったと言ったら驚いてた。病名もどれくらいかかるかもそれどころか話すのも大変なので落ち着いたら連絡するので現場と上司への連絡だけお願いしました。夕方旦那には連絡してなかったんだけど、一旦帰宅して入院準備を用意した義母と一緒に来てくれました。3日間くらいは、動くとしんどいので食事の時に体を起こすのと排便時に下へ降りるだけで全くベッド上の生活でした。3日目お隣さん、検査入院だったので同じ日に入院したのに朝から退院です。窓際のベッドに替えてもらいます。明るいし、廊下側よりスペース余裕あるし助かりました。水曜日に入院したのですがその週は、検査も採血程度で点滴も鉄材が入った点滴もありましたが週明けまでのんびりしました。金曜日隣の方が退院後は一人で生活してました。退屈だったけど静かで良いです。看護師さんも定期的かこちらが呼ばないと来ませんが、掃除の方やお茶の人などなど来る人くる人声かけしてくれます。入り口の扉が1日中(夜中も)開けっ放しだったので五月蝿いぐらいで寂しくありません。私立の病院のおかげかテレビもお金いるけど一般の地デジ放送だけでなくBS放送もいろんな番組が見れていつもなら何も見るものが無い時間帯でも昔のドラマなど見れて助かりました。翌週いよいよ治療と貧血の原因を突き止めるために検査が始まりました。便の検査で潜血が出てました。まずは、胃カメラです。丁度1週間前に人間ドックでカメラ飲んだ私です。「1週間前に飲んだばっかりだし、結果来てないけど異常言われて無いし」と、ゴネましたが飲みました。この日は、導尿バルーンが抜けましたが一応トイレはポータブルでが条件です。次の日、点滴が抜けました。救急車で運ばれた時に挿した針がよく持ちました。入院後初めて体重計に乗ったら6キロも減っていました1週間でです(人間ドックで測ってるので)。月曜日お隣に入院された方、看護師と話す内容聞いていて名前と声を聞いて「もしかして〇〇(自分の勤務してる会社)に居たAさん?」と、聞いたら当っていました。この方も検査入院なんで3日間です。共通の話題で話しができて退屈せずに済みました。木曜日、今度は大腸の内視鏡検査です。やったことがある人にはお分かりでしょうが、2リットルの下剤を飲まなくてはいけません。8時半から飲み始めて1リットルが飲み終わって残り1リットル飲み始めたら会社の同僚が診察に来たついでにと覗きに来ました。金曜日、血管に造影剤を入れて心臓までの血液が流れを見るCTもしました。又、週末です。土曜日夜遅く透析中具合が悪くなった方が入院してきましたが火曜日の透析前に退院してきました。月曜日婦人科系かと診察に行きました。泌尿器科も。主治医、月曜日の朝顔見ただけで火曜日結局来ず「今週中には退院」と、言っていたのに反応なし。水曜日夜やってきて「土曜日退院に向けてがんばるように」と、「金曜日に栄養指導を受けるよう」言われました。木曜日は、祭日でもう入院なしかなと思ってると水曜日夕方入院してきてその晩急変して病室変わっていかれてそのまま亡くなられたようでした。水曜日の晩全く朝まで眠れず3日の祭日は朝から一時収まっていた胸痛と体調不良に1日中ベッドの上でゴロゴロでした。土曜日、いよいよ退院です。朝ごはん食べて10時過ぎに迎えに来てもらって帰宅しました。18日間の入院でした。が、私が退院して帰宅したそうそう義父(31日にリハビリ病院を退院して在宅して他)が松阪の市民病院に運ばれたと連絡を受けてそのまま逆戻りでした。入院となり義母を病室に置いといて私は旦那と一旦帰宅したのは3時過ぎてました。義父のパジャマなどを乾燥機をかけ、薬や必要な物(私が使っていて使える物はそのまま使い)準備しました。連絡するところだけ連絡し病院に又戻ります。義母を乗せて途中で夕飯を食べて帰宅しました。その頃からかなり体がえらく、結局22時過ぎに救急車で又私が義父と同じ市民病院に運ばれました。帰宅も可能だったのですが、様子をみるとのことで入院になりました。退院時にもらった書類や薬などをまとめて合ったのでそのまま持って行きました。貧血と、安静で居なくちゃならない時に無理して疲れが出たのだろうとのことで昨日でも帰れたのですがトイレへも車椅子で介助つきだったので今日退院してきました。最初に入院した病院では、減塩食の1400キロカロリーだったのに、今回は普通食で量も多くおかずが塩辛くて殆ど食べれず今朝医師が廻ってきて「どうする?」と、聞かれて退院しますと即答した私です。義父のとこに来てた義母とタクシーと電車を乗り継いで1時過ぎに帰宅しました。仕事は、20日の感謝デー過ぎてから復帰します。今回のことで反省点。入院する前の週の時かなり悪かったんです。かかりつけあるし、予約なしだと何時間待つかわからないと嫌がらず実際予約日休んでいました行けばよかったと反省しました。9月にかかった時も主治医「具合悪かったら来る様に」と、言われてました。入院2日前の人間ドックの結果が入院中に届いたのですが、今回入院時に引っかかった点全部引っかかってました。退院後再入院になったこと、無理しすぎました。上司に報告したら叱られました。
November 7, 2011
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スマフォから楽天ブログの更新の仕方がわからない。ご存知の方いませんか?
October 3, 2011
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台風15号、三重県南部では先日の12号の被害の大きさから避難勧告の出た地域もあったようですが、我が家からは海も山も川も無いおかげで今回も被害が無く無事過ぎて行きましたと言いたいのですが…です。先週末17日から台風の影響で雨が降り続いた三重です。各地で運動会だったはずなのに中止に、翌18日晴れて運動会が・・・17日に孫の運動会の為に休みを取った同僚のおばさんが、18日「運動会が延期になったので休みたい」と、休んできた。18日、それじゃなくても休みが多くてギリギリの人数で結局フルタイムの人間が20時半までの3時間半残業で乗り越えた。19日、感謝デー前日「とんかつ15000枚の日」です。9時から勤務で終了したのは21時です。いつもなら、他の作業は前日までに済ませるのに今回は全くできてなくて最終終わったのは10時から出てきた人が終了したのは23時30分だったらしい。20日、人数は一応そろってる。しかし、肉が業者待ちで午前中の人は帰ってしまう時間しか来ない。がんばってがんばって肉待ち以外は14時までに終了した。休憩時、メールを見たら旦那から「伯母が危なくもう2~3日中」との連絡あり、夕方病院に行こうと言って来た。肉待ちが何時になるかわからないし、夕方のメンバーも揃ってるし早退。旦那が先週土曜日から遅い夏休みで家にいるので2122日は希望公休を取って遊びに行く予定でした。台風で朝から雨音と風の音で目が覚めました。一寸小止みになったときにごんたを私の車の後ろに繋ぎました。ござの上でごろ寝中のごんたです。お昼過ぎにはピークで最初は東からの時化だったのに、廻ってる感じでした。14時過ぎには落ち着いたのでマッサージ医院に電話を入れ15時から予約しました。宮川を渡る際も、12号のときより水が少ないです。マッサージ後、伊勢のジャスコで買い物後実家へそして帰宅。マッサージ行くとき西のほうでパトカーが停まってて、先に西に出た義母がすぐ戻ってきたけど東に出た私はそのまま外出しました。買い物後西方面から帰宅すると、家のちょっと手前の曲がり角でこの先通行止めですと言われて大回りして自宅東側の交差点に出ると、今度はそこから西はこの先通行止めです。何処まで行きますかと聞かれて、この先の家ですと通してもらいました。家より少し西に行ったところにあるガス会社の事務所の屋根が吹き飛んで横の高圧線の電線で引っかかって危険の為に通行止めに又停電とのこと。ご飯があるからと買い物してない。懐中電灯やランタンはあるし電池も入ってるけど電池も怪しいと、夕飯がてら家電量販店に電池を買いに行き夕飯を食べて7時過ぎに帰宅しました。様子を見ると辺り真っ暗で、復旧作業中です。電気会社の車では高い高圧線の電線の上の屋根を取り除くのは難しいようで近くの大きなクレーン車がやってきました。21時過ぎまで、家の中は旦那や義母が持つ懐中電灯と、何年か前の台風の時に購入したこれのみでした。電池を買いに行った際欲しかったこれも買いました。幸い21時には無事復旧しました。この辺りは、海にも山にも川にも面していない平野なのですが風台風のときは被害が大きいです。でも、死者行方不明者や浸水した地域などに比べたら被害が最小限で済みました。
September 21, 2011
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旦那が以前から鈴鹿にある「シェリール」と言うケーキ屋さんに以前から行きたいと言っていて、先週の休みが一緒になったときは台風の影響で諦めたけど今日は行ってきました。「みどりのだいち」と言うJA鈴鹿が運営してるお店にお邪魔しました。どうもちゃんと情報を見ていかなかったので思っていた場所と違っていていったりきたり。行き玉城ICから高速で津まで行きそこから中勢バイパスから鈴鹿に市内に入り迷ってカーナビ古いし店は今年できたばかりだしで結局あちこち聞きながら「これなら鈴鹿ICまで高速に乗っていったほうが良かった」と言うほど、鈴鹿IC降りて鈴鹿サーキットへ行く途中だった。迷いながら12時過ぎにお店に入りました。日替わり御膳です。追加200円でドリンクのオレンジジュースとデザートのゼリーです。ここは、日替わり御膳以外にカレーやパスタもあり、サラダバーやご飯と味噌汁は御代わりし放題で、御膳で1000円でした。隣にはJAの直産市場もあり、サラダも新鮮で美味しかったです。ただ一寸残念な点がありました。 若い店員さんなのですが、厨房のあるスイングドアを両手に物を持ってるとき足でそれも靴底で押してるのを何度も発見しました。 他の店員さんは、ちゃんと両手ふさがっていても体で押すのにです。 このスイングドア、私が勤める会社などにもあるのですが別に少し当れば両方に開くようになっているのに靴底で蹴飛ばすシーンを毎回見ました。 最初「???r(・x・。)アレ???」と、思ったのですがよく見ると食べ終わった食器など持って厨房へ戻るときも又、厨房から出てくるときも同じように蹴飛ばします。 食品会社ですよね。 靴底綺麗なんでしょうか? 衛生観念を疑います。 私自身食品会社ですが、土足で履いてる靴でドアを蹴って開け閉めするとは目を疑いました。 そもそも躾がなってないというか、店に入ってから食べ終わるまで1時間もいなかったと思いますが幾度も見かけました。 丁度席がスイングドアのまん前で見える位置に座ったのもあったのですが、あまりのことに帰りに本人じゃなくて責任者みたいな人がレジだったら一言言おうと思いましたが本人だったので辞めました。 しかし、美味しかっただけに残念です。 食後横の市場で美味しかった味噌汁のお味噌を買いました。目的のシェリールのお店にナビで設定すると昔の店の位置しか出ず、又失敗で記憶にある新しいお店にお邪魔しました。店の外観です。買ってきたケーキです。カフェもあるのですが、別に行きたいカフェがあったのでここは購入のみです。津市の「れもんの木」さんに行きました。プリンアラモード食べてきました。今日は、私カメラも携帯も持っていなくて旦那のスマフォのカメラのみでした。檸檬の木さんまで来たら、電池が無くなって写真撮れませんでした。
September 11, 2011
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ご無沙汰で約1ヶ月ぶりの日記です。台風12号の動きはのんびりで、このあたりは被害もあまりなく(三重県でも山間部や海に面した地域は被害もあったようですが、幸い我が家の周辺はありませんでした)1日中降ったりやんだりする雨と風で午前中に買い物へ行った以外はのんびりした公休日でした。ごんたも、いつもは中庭で放し飼いですが昨日仕事から帰宅後から私の車が置いてある車庫の後ろの柱に繋げて車と小屋の間で寝てます。「頭かくして尻隠さず」状態で、お気に入りの座布団敷いてもらって車の下に頭突っ込んで寝ております。2年前の10月の台風のときのこの車庫屋根が飛んで柱が倒れて怖い思いして以来繋がろうとしなかったのですが、今年13年目のごんた抵抗もせず大人しく寝てます。それまでは、逃げ出したのに。立て直して丈夫になって飛ぶ心配ないし、風も雨も当らないから安心なのかな?夕方落ち着いて日中は、中庭(屋根のあるところですよ)で寝ていたごんたですが、夜又車の後ろで寝てます。夕方落ち着いたので義母と3人で食べに行きました。多気町のシャープ多気の近くのおすし屋さん「海幸」さんに行きました。2500円の特上にぎりです。帰り義父が入院してる町内のリハビリ病院に寄りました。義父ですが7月7日に入院手術後8月4日にリハビリ専門病院に転院しました。ここは、同じ町内で車で10分程度の病院で義母も通いやすくなったので私は最近殆ど行きません。1日2回のリハビリはもちろん、洗顔やトイレや食事なども全部リハビリとして義父は介助してもらいながらやってるし、お風呂も入れてもらってるので洗濯物を取りに行くくらいになりました。松阪市内の病院は、街中の明るい通りに面してたし夜間でも誰かいたけど。ここの病院は、昔は国立の結核療養所だったところをリハビリや療養型の病院に変わっただけで建物は昔のまま。鬱蒼と生い茂ったところ、夜間なんか一人であまり行きたくない。だから仕事帰りなんてもってのほか。公休日の昼間か、土日休みの日の旦那と行くくらいになりました。こんな我が家です。仕事も相変わらず毎月9日19日29日は「とんかつ15000枚パン粉付けの日」で、朝9時から夜19時まではひたすらパン粉付けです。順調に行けばの話しで、遅れると何時になるやら。普段の日は、なるべく早くと思うのですが、なかなか思うように行かず1時間くらいは当たり前のような。又、いつの日か更新します。
September 3, 2011
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義父がこけて骨折して入院手術して1週間が経った。 なかなか食べれなかった食事も、「ふりかけかけたら食べる」と言うので早速売店で購入し食べてもらってる。 あれ以来私は、多忙です。 朝、今まで8時にしか家を出なかった私。 6時起床:身支度朝食など 7時:仕事の準備など 7時10分:義母を乗せて病院に 7時50分ごろ:病院到着 義母と一緒に病室に上がり顔を見せて8時過ぎに病院を後にして会社へ(車で5分これが救い)。 義母が朝からこれないときは、口をゆすいだり入れ歯や箸スプーンなどを洗ったりとかの世話は私の仕事。 それでも8時半には飛び出さないと間に合わない。 9時から仕事だけど、白衣に着替えたりタイムカード押してから忙しいから。 一応そんな日は前もって前日に遅刻届けだすけど遅刻したことは無い。 9時~17時まで仕事。 買い物したり一寸休憩後18時までに病院に。 夕飯の世話と、その後の世話をし薬を飲ませベッドへ看護師さんが寝かせてくれるまで付き添う。 食事のときは車椅子に座るのでしばらくお付き合い。 病院出るのは、19時過ぎてる。 夕方会社出るのも17時で帰れればよいけど、一昨日なんてタイムカード打ったのが18時過ぎてる。 いくら車で5分と言ったて、夕方のラッシュ時と重なってくるし、会社と病院とを結ぶ1番短い1本道って松阪警察の前の道あまり飛ばせない。 のんびりやの私がいつも走り回ってる感じです。 先日も朝から寄った際、義父の主治医が前を歩いているのを挨拶しながら追い越したら「朝から早いし、急ぐなぁ」と、言ってきた。 私、「出勤前なんで大忙しです」と、返事しながら早足です。 昨日今日と希望休で連休をもらった私です。 昨日は、主人の仕事の関係でパスポート大人4000円を1500円で購入できたので10年ぶりに行って来ました。 それは、別の日記で。 早く帰宅したせいか夜松阪方面に食事に行き帰りに病院に寄った私がいました。 義父も、「今日は来ないと、言っていたのに来てくれた」と、喜んでいたけどこっちも気になるし日課になってる?
July 17, 2011
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体調崩して夏風邪気味で昨日早退今日は休んでいた私は、朝から病院に行き午後は寝ていました。 週3回月水金曜日にデイサービスにお世話になってる義父がいます。 夕方4時ごろ母屋の電話の子機がなりました(何かのときの為に子機1台離れに置いてある)。 義母もいるしと、番号見たけど取りませんでした。 一旦切れて2回目同じ番号です。 取ると義父のお世話になっている老人施設から。 電話を受けながら母屋に行きますが、鍵がかかっていません。 車があるので遠くへは行っていないようですが、「留守なので息子の嫁ですが受けたまわります」というと、「4時ごろ帰りのバス待ちの際転倒して頭は打っていないが足を痛がるので直接整形に連れて行くがどこかかかりつけありますか」と、問い合わせてきました。 町内や別の病院の名前言われましたがあんまり縁が無いので、かかりつけの病院が昔は整形もしてたはずと病院名を言うと、連れて行ってくれると家族に迎えに来て欲しいと言われました。 義母探しますが、携帯に電話しても家の中でなってるし、財布も置いてあります。 着替えて最悪一人で行くつもりで準備してくると帰ってきたので電話の内容を伝え病院に向かいました。 よくこけて一寸した傷でも痛がるのでいつものことだろうと行ったら、検査中で車を置いて病院に入ると丁度診察室に入るところでした。 義父一人に対して家族2人と、施設の方3人の5人で付き添いです。 レントゲンの結果を見せながら医師「大腿骨骨折だね」と 義母は、家で寝かせておいたら治るかと言い出して2ヶ月家で寝かせたら寝たきりなって2度と歩けなくなること、連れて帰っても今夜一晩でも大変なこと、状態的にもボルトを入れて固定する手術よりも、いかんところを切って代わりの関節を入れたほうが負担がかからず期間も短くて済むとの話しでした。 ここでは手術ができないので大きな病院は何処にするかとなり松阪市内の総合病院に紹介状をもらった。 家に連れて帰っても歩けない人寝かすのも大変なので今日から入院できないか確認してもらったところ時間的に遅く無理で、施設の方が家まで送りますといってベッドまで寝るようにしますと。 旦那に電話を入れ今後の相談をしてたら施設長さんが「ショートステーの部屋が開いているので今夜は預かります明日病院へは施設から送ります」と申し出てくれて先に施設の方へ義父を連れて帰ってもらいました。 病院の会計、薬の受け取りを済ませ又施設に戻りました。 他の薬と一晩分の着替えなどを取りに行くので準備してくださいと言われて帰宅。 夜の寝巻きなどは施設の方で貸してくれるそうなので、薬と明日の着替えなど簡単な物を渡してまずは一安心。 明日からの病院生活の準備です。 何がいるかわからないけど、とりあえず最低限いるものを準備します。 寝巻きは病院で借りるとして、箸やコップ類、薬や普段使用してる物、着替え、などなど 一寸遠いので義母も自分一人で運転して病院に通うのは大変なので電車で通うと言うので車の時になるべく運んでおきます。 私も仕事帰りに病院に寄るくらいかな? 一応会社というかチームリーダーには報告しました。 普段の付き添いは義母がいますし、大きな病院なんで泊りがけで付き添うのは手術のときくらいでしょうからサポートかな? 旦那は電車通勤だし、私は会社からだと国道沿いの会社と県道沿いの病院で1本道で繋がってるから朝でも仕事行く前に寄れるし長くなるかもしれないけど、今回は義姉にも頼って何とかしていきたいです昨日朝老健へ迎えに行き一晩の状況を聞き、義父はデイの寝台車ごと車に乗せてもらい私と義母は家の車で向かいます。 普段なら片道30分程度の松阪の病院に、渋滞にはまり間に車が入り信号で離れ離れになり義父たちより遅くに到着です。 個人医院からの紹介状の医師は曜日が違いますが、連絡が行っていて受付し整形外科へ移動。 寝台車のような車椅子の老人に付き添いが4人もいるので不思議がられます。 整形で受付結果的に主治医になったその日の担当医師に診てもらいます。 4人も入っていったので関係を聞かれ(施設の人2人が先に入った)、状況を聞かれ怪我するまでの体の状態や薬の飲み方を聞かれいろいろ突っ込まれます。 知らなかったのですが2つの病院から同じような薬を同時に20個ほど毎回飲んでいたようで一つの医者はちゃんんと処方した薬の説明書き(院外処方)片方の医者は院内処方で、ケアマネージャーや老健の施設の方が飲んでいる薬の説明書が欲しいと言われて請求するまで出してもらったことがなく、病院から問い合わせてもらった。 怪我した足のレントゲンや、入院前や手術時の検査室巡りが始まりました。 10時に病院に着いて検査室巡りを終わって診察室に戻り病室に戻ったのは2時前。 その間皆誰も飲み食いできず、「検査の結果が良かったら明日(8日)手術します。16時~説明しますので聞かせたい方がいたら来て貰ってください」と、検査室巡りしてる間に旦那、義姉と連絡を取り叔父夫婦(義父の弟)にも連絡いれ伝えます。 義母が一寸頼りないのよ。 痴呆が始まってる?っと、聞きたくなるほど同じこと言ったり、説明ちっとも聞いていないし理解できない。 私だけじゃ不安と旦那に連絡入れ義姉や叔父にも頼みました。 病室に入り、必要書類に書き込んだり看護師さんと必要な物とかを確認します。 14時過ぎて、義姉が来てくれたので義母と義父を頼み買い物と会社に行ってきますと。 会社へ、病院から1本道なので先に顔を出します。 丁度同じ現場の14時で帰る人と会い説明します。 事務所に行き直接上司に伝え、人事課の部長に説明し次は衣料量販店へ。 スーパーの中ですし100均もあります。 寝巻き2枚と、タオルなど。 認め印がなかったの100均行ったらここは置いていません。 病院ちかくの大きなショッピングモールへ、ここは100均も大きいです。 印鑑見に行ったら苗字の印鑑4本とも在庫ありません。 「注文中」とはありました。 レジで聞いたら今日入荷しましたと言うのでケースと一緒に買いました。 手術時にいる病院指定の物は薬局にあるかどうかわからないので病院横のローソン(売店がなくなりこれになったらしい)で購入めちゃ高い。 帰宅したら15時半です。 朝も菓子パン1個、それから何も食べていないし飲んでいない。 叔父たちも到着し旦那も到着し医師に呼ばれて説明を聞きました ┐(-。ー;)┌ヤレヤレと、様子を見て書類などに改めてサインして提出看護師さんに後を頼み帰宅。 夕飯する気になれません。 近くで食事し明日の準備や洗濯入浴をし就寝。 今朝は、午前中仕事に出る旦那と、朝から病院に行くという義母を乗せて病院に。 夜半吐いたとかで詰め所近くに移動していましたが手術までここで過ごすことになり元の部屋に術後戻るので大きな荷物だけそのままです。 とりあえず午前中用事がある私は、義父の顔を見ただけで帰宅。 昨日の反省をこめて、病院近くの吉野家で特朝定食を食べて一旦帰宅。 伊勢に用事を済ませに行き、そのままトンボ帰りで松阪の病院に。 コンビニで飲み物だけ買い病室へ。 外がめちゃ暑くてお昼食べて来いといわれたが、車出すの大変だし周辺に店いっぱいあるけど出たくないほど暑い。 売店かねてるコンビニ(5時~22時営業)で、サンドイッチと簡単な軽食を購入し戻ります。 元の部屋も隣の方退院してるので開いていてそこで食事し、義姉夫婦や叔父夫婦もここで待機。 予定より遅れてて2時半に手術室へ。 一晩泊まる予定の義母のためにも一旦帰宅。 義姉夫婦に留守番を頼んで帰宅したのですが、着いたかどうかと同時に電話があって、洗濯物だけ洗濯してそのまま逆戻り。 退院後のリハビリケアのことで相談説明を受け、病室に戻ると手術が終わったと。 医師の説明を受け、義母の一晩付き添うことを希望し部屋に戻りました。 義父の処置も終わり説明を受けました。 今は、麻酔がきいているのですが痛みが出るころの説明も聞きました。 入る予定だった管が入らなかったので明日から車椅子に乗ってのリハビリが始まるそうです。 転んだと連絡があってから頼りない義母の為に3日間休んだ私です。 1番肝心なときに嫁の仕事はしましたので、明日はめちゃ忙しいとんかつ13000枚の日、休めるはずがなく会社へ行く前に寄るということで、帰宅は遅くなるので洗濯物など置きに行きます。 義姉が仕事していないので普段の送迎はしてくれるようですし、来週から普段の日は夕方17時で終了なので病院に寄りたいと思ってます。 義父が倒れて10年、入院していたときに50日間義母も帰宅せず周りの家族が大変でした。 ここ1年ほど義母に、3食まかせっきりだったし、お風呂や洗濯など義母の仕事でした。 今晩一晩付き添うだけですが、大変です。 帰宅したら洗濯物も軒下とはいえ出たまま、お風呂はタイマーだけど、お風呂で脱いだ洗濯物を洗濯し干すのも久しぶり、夕飯を作ったり片付けるもの久しぶりです。 田舎なので組で祝い事お見舞いなどあると組頭さんが各家にふれて周らないといけないんです。 今年は、家が組頭です。 内緒にしておきたいのですが、週3回デイに通う義父はともかくほぼ毎日家にいる義母が毎日いないのはかなり怪しいのか、自治会長さんから夜電話があり違う用件だったのだが「昨日今日一昨日と何度も夕方や夜に来るのに誰もいないのはお爺さん悪いのか?」って、図星。 ごまかしたけどいつまでもごまかせないよな
July 8, 2011
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自宅近くの伊勢道の無料化と、週末上限1000円割引が明日で終わると聞いて公休日の今日休みの旦那と雨でしたが行ってきました。自宅近くの「町家カフェ」さんでモーニングです。朝からのニュースで無料化と上限1000円終了による渋滞とやってます。雨もしとしとなので、買い物籠(物置ににもなり便利)とバスタオル、傘、着替えを積み出発です。GSで給油後伊勢道玉城ICから高速に乗って亀山から新名神高速道路に乗り土山SAまで一気に走りました。途中四日市や湾岸方面渋滞情報が流れてます。新名神の山の中(三重県側)は、よく降ってましたが滋賀に入り少しずつ小雨になりつつあります。今日の目的は彦根の「ほっこりや」さんの比内地鶏の親子丼です。本来は、土山か信楽ICで降りて一般道を走ったほうが便利ですが、何処まで乗っても1000円なんでそのまま草津JCまで乗って名神に乗り渋滞にはまりながら無事彦根ICで下りました。市内に入って渋滞したけど。予定時刻どおりに到着しました。数年前来た時にたまたま入って美味しかった「ほっこりや」さんの比内地鶏の親子丼の店に一直線でお邪魔この頃には傘なしでは歩けないほど降っていて、彦根城には以前来てるしとご飯食べてお店のと駐車場の間のいろいろな店覗いて、クラブハリエへ行こうとしたけど歩くのも嫌だし、覗いたお店でもお菓子売っていたのでそのまま駐車場に結局1時間もいなかった(一体彦根まで何しに行ったのやら)。明日は、父の日だし義父のマグカップが以前買ったのが割れていたので信楽焼きを買いに行きました。今度は、高速乗らずに一般道を国道8号線から307号線と乗り継いで途中道の駅で休憩後信楽の街中へ。今回3回目になる「丸十」さんという窯元へお邪魔しました。手足の不自由な義父に、「軽くて持ちやすくてでもしっかりしてる」タイプが必要で街中の一般の販売店よりいつもの窯元にお邪魔しますこのマグカップがそうです。色違いで義父母に送ったのですが予備にと義父が二つとも使うそうです。追記:行き伊勢自動車道玉城IC~津IC無料~関IC,亀山JC~新名神~草津JC~名神高速彦根ICまで1000円でした。帰り:彦根~信楽まで一般道を走り、信楽最寄の名阪国道から関JC関IC~伊勢高速久居ICで降りました。有料区間は関IC~津IC(津久居間無料区間)は、割引で250円でした。週末割引や、通勤時間帯割引は現状維持のようなので今まで無料区間しょっちゅうは乗れないけど又気候が良くなったらどこか行きたいです。
June 18, 2011
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先月から注文の多い日が増えて9時出勤の21時まで残業(昼の休憩1時間のみ)が、先月から3回あった。今月後2回19日と29日にある。気圧の変化とかで喘息持ちは体がついていかない。先週9日にあったのだがなんとか持たせたが、日曜日から気持ち悪いのが続いていた。日曜日、体調不調を訴えていたのだが応援に行かないと行けないので無理して14時までいた。でも、もう体動きません。頭でわかっていても応援先はライン上で流れ作業、流れ見てたら眩暈してきた。14時で早退してきた。月曜日休ませてもらい昨日は出勤するつもりでした。気持ち悪いのは相変わらずで結局そのまま病院に行き点滴してもらって帰宅。そのまま1日中寝たり起きたり、今日は公休日でゆっくりします。
June 15, 2011
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6月の朔日餅は、むぎてもち
June 1, 2011
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今日は、土曜日公休日である。交代制の休みなので明日は普通に出勤です。今日は、旦那の車の車検なので朝から私は病院に旦那は立会い車検に持ってた。旦那も私も11時前には帰宅、志摩市磯部町でルピナスが満開とテレビとかでやっててみてきました。「ルピナス」って、どんな花?こんな花です。家の近くの通勤途中の休耕田とかでも見かけるようになった。場所は、うーん説明しにくい。見に行こうと思ったら検索してください。県道16号線磯部町の成基小学校の近くです。家は、玉城からサニーロード抜けて五ヶ所から浜島へ行かんと磯部へ抜けたコース沿いです。いつもなら自分の車ならナビが着いてるのですが、代車だったのでナビがなくよく遊びにいく知人の家へ行くコース沿いとわかっていたので地名も見ていません。休耕田を利用した花畑です。綺麗な蓮の花が咲いていました。面白い案山子が並んでます。今日は、今年1番の暑さだったとか。駐車場からかなり歩いたのですが暑かったです。阿児町のほうに出てたまたま見つけたお店でランチ私が食べた「エビフライランチ」旦那が食べや「ミックスフライランチ」です。先日の誕生日のケーキ食べていないので「おとべ」さんに寄って買いました。小さいパイナップルを縦に半分に切って中身をくりぬいて、スポンジケーキやプリン、初夏のこの時期の果物が載ったケーキです。美味しかった。
May 21, 2011
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亡き友のご主人が三回忌の前に友の好物だった物シュウマイを送ってくれた。 一昨年の5月20日当時一緒に派遣会社で仕事してた沖縄出身で寮にいた友人を自ら命を絶つという辛く悲しい別れをした。 当時一緒に住んでいたというご主人とは1度も会ったことなかったのだが、亡くなるまで奥さんの携帯でやり取りしてた私に連絡があったのが約1年前の去年の夏でした。 一周忌の際、勤務していた派遣会社自体も三重営業所を撤退しており、又遺族が連絡を取りたがらないと連絡先も教えてもらっていなかったのでお供えも送れずこちらで回向を送りました。 そんなこともあって三回忌の今年先日去年の夏以来時々連絡が来る旦那さんの方にお供えを送らせてもらいました。 お礼にと送ってくれました。 この時期は、辛いです。 有名人や、一般のニュースで自殺報道があると辛い。 友の死を直前まで「自殺未遂したんだぁ」と、電話で何度も泣かれたから、友の死を止めることができなかったから、最後の電話のときちゃんと聞いて揚げれなかったからと今でも辛い思いします。 旦那さんが去年連絡来た時「奥さん元へ行く」と自殺をほのめかすメール来た時さすがに「2度も同じ思いをされるつもりですか?」と、返事して以来時々近況報告かねてメール送ってる。 今回もその一環だと思う。 あれから2年、されど2年。 思い出して涙することはなくなったけどこの時期は辛いなぁ! やりきれないものがある。
May 13, 2011
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今日から5月です。写真は、赤福の朔日餅の柏餅です。
May 1, 2011
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去年の8月以来8ヶ月ぶりです。毎度のことながら日帰りです。前は、旦那も私も普通に週末2連休、ハッピーマンデーがあれば3連休が当たり前の会社員だった頃は3連休の1日目は必ず日帰りで勝浦に温泉に行っていました。私がサービス業になって2年(6月が来ると3年目に突入)、土日祝日GW,お盆正月も関係なく連休なんてありえませんでした。4月最後の公休日は30日の最終日、月替わって翌日1日に希望休取れば連休取れると希望を出して休みになりました。旦那は、29日からGW入ってます。このところ日帰り温泉も、週末行っていたスーパー銭湯も久しく行っていなくて「温泉行きたい」と、口癖のように行っていました。高速は、大渋滞、人ごみは嫌、近くの温泉施設は人多い、いつものコースです。8時過ぎに自宅を出て近くのGSで、リッター139円で満タンに。玉城ICから高速に乗って紀勢大内山ICで降りて国道42号を走ります。道の駅まんぼうで休憩します。「鯨の串焼き」を食べます。そのまま42号を南下します。熊野灘を眺めながら和歌山との県境に、一寸橋で渋滞、新宮市内でも渋滞しますが大したことなくそのまま勝浦へ。お気に入りのお店がなくなってから食事するお店が毎回違います。去年の夏に食べたお店へ行ったら店の外まで待ってます。勝浦の駅周辺のお店もお昼時でいっぱい。「温泉を先に」と、目的を変え漁港市場のほうへ抜けると港の端っこの1軒の小さなお店が、店の前で写真撮ってる人もいます。「初めてだけどここでよいか」と、引き返して裏の駐車場に停めました。「網元」さんに寄りました。旦那が食べた「スペシャル鮪丼セット(1680円)」新鮮で美味しかったそうです。私が食べた「お刺身定食(1890円)」です。鮪も、他のお刺身も新鮮でめちゃ美味しい。漁港の横で、一寸街中から外れているけど(裏が漁港だった)いろいろメニューもあったし次からここが良いねとお気に入りのお店にいつもなら、そのまま温泉なのですがお腹いっぱいだし、別に明日も休みだから早く帰らなくても良いのでどこかへ行こうとなりました。今までにも何度も来るのに行ったことがない潮岬に行くことにしました。道中のGSの横を通過してびっくりです。レギュラーがリッター156円前後です。セルフも店員さんが普通に入れる店でもありえない値段です。途中雨が当たってきて景色がパッとしませんが、灯台の上にも上りました。勝浦の手前の「湯川温泉」の辺りまで戻ってくると15時前でした。我が家のいつも立ち寄り湯の施設があります。それは、湯川温泉さくらさんです。三重県から来ると、新宮過ぎて那智勝浦を過ぎて串本方面に国道を走らせ勝浦トンネル越してすぐの右側にある日帰り温泉施設です。いつも人が少なく車が停まっていても、お風呂に入ってる方いないときも会ってほぼ貸切状態です。かけ流しで状態で、シャワーのお湯などもきついくらい出ます。肌もツルツルになります。のんびり浸かって帰路に着きます。那智の滝方面に何で知り合ったのか今は記憶がないのですが、誰かのブログつながりで知り合った方が社長さんしてるお土産屋さん「うめ海鮮」さんにお邪魔します。買い物後、帰宅。いつもなら新宮市内を通過するのに渋滞が凄いと1時間くらいかかるときがあるのに普通に通過し三重県に、途中自損事故で渋滞にはまりましたがひたすらまっすぐ42号を北上しました。途中夕飯をと言いながら、紀北町にできてたケーキ屋さんんでケーキを購入後高速に乗ると食べる店が限られるとそのまま42号を大台町まで帰ってきて「つるたろう」さんによりました。親子丼です。椎茸寿司も有名です。出し巻き玉子も美味しいです。8時半過ぎには帰宅しました。GW中、後今日と4日と8日が休みです。旦那は、2日と6日の出勤以外は休みです。8日は、母方の祖母の十三回忌なので実家へ帰ります。
May 1, 2011
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コンビニの500円くじです。今日から始まったばかりのコースで、ハローキティーの「ハンディーアイロンとスチーマー」です。各店舗2個しかなかった今回の1番ヒット賞品。時々やるけど500円でこれってときもあるけど今回は良かったです。
April 23, 2011
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最近あまり買い物に行かないせいか本当にないんだね。 ・単一電池 ・トイレットペーパー ・ティッシュペーパー ・懐中電灯 昨日久しぶりにスーパーと薬局行って見てきて気づいたもの。 自分が勤務する会社食品会社です。 私の部署でもそうだが、他部門でも電子秤を使って袋詰めしたり、盛り付けして各店舗に出荷してる。 その電子秤は単一電池を使ってます。 秤tの数も各部署に最低5~6台は置いてるし、何処の部署でもフルに活用してる。 一昨日朝礼で上司に、「電池が足らないので自宅に余分に持っていたら、後で返すから貸して欲しい」と、言われた。 家に帰って探したがない。 我が家、単一電池って普段あまり使わないのよね~ ストーブくらいだから一冬に4本もあれば充分、逆に単三とかはまとめて買っているんですがね~。 どこかないかね~ トイレットペーパーと、ティッシュは、2月にまとめて買ったので当分困らないかな? 懐中電灯は一応普段から常備してます。 皆さんは?
March 24, 2011
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