yuuの一人芝居

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小説 惜春鳥 連載開始


              今田  東

 春を惜しむように鳴く鳥をそのように言う。それは鳥ばかりではなく人間にも言える場合がある。
 つまり青春期は人間にとって言えば春の季節である。
 今、卒業期に、男性の第二ボタンを欲しがることも、女性の制服のリボンを欲しがることも、たとえば春を惜しむと言う事になる。
 それは始まることにもなるし別れる場合もある。
 この物語は現在ではない。戦後十何年を過ぎた頃から現在に至る物語である。

 私は都会から離れて久しい、家人とめぐり逢い彼女の故郷で住むようになった。それはもう三十年も前の事だ。



 それは熱い夏の日の事だった。昔の友人から一通の書簡が届いた。
 ある人物を紹介して、どうかその人の力になってあげたほしい。
 その他にはなにも書いていなくて、一枚の写真と、羽田空港まで旅費、それに到着する時間を書いてある簡単なものだった。
 その友人と言うのは昔ルポライターをしていた仲間であった。彼の消息は聞いていた。病院に入院していて動けないから私に頼むと言う事なのだろう。
 私は昔の仕事を忘れて久しかった。なにもかも捨ててのんびりと遊び人をしていた。自分の時間と言う空間のなかで興味を持ったものに対してとことん追求し心の空間を埋めると言う事をしていた。言いかえれば自分の時間には好きな事をしていたと言える。その事は友人も知っていた。抑堰の事情があって私に依頼してきたのだ。動けないなら東京にいる仲間で済むことであろうが、なぜと言う疑問がわいていた。友人の頼みを無碍には出来ず当日羽田へと向かった。
 改札をくぐり手荷物も持たずに待ち受ける私のもとに近づき、
「ありがとう。お世話になります」
流暢な日本語を喋り頭を下げた。
その風貌からして日本人には見えなかった。
「いいえ、佐藤氏から・・・」
「彼からあなたが出迎えてくれると連絡がありました。長く日本を離れていると日本人の顔ではなくなりました。さぞ驚かれたことてしょう」
小躯で痩身の彼は親しげにそう言った。
「私は柳井昭文といいます」
「私は友田純一郎といいます」
 簡単に紹介を交わし、
「どちらかにホテルを取っておられますか」
 と問った。
「いいえ、柳井さんの住む町へこれからというのはどうでしょう」
「ご滞在は・・・」
「一年でも二年でも私の目的がかなえられるまでと思っています」

 新幹線で岡山駅に降りそこからタクシーで倉敷に着いたのは二十三時を過ぎていた。日本風の方がいいと言うので美観地区の中の旅館に投宿を決めた。
「贅沢を言わせていただいていいでしょうか」
「なにをでしょうか」
「ここに一緒に泊っていただきたいのです。柳井さんの都合がよければですが」
「どのような要件なのか事情をお聞かせ願えなくては…」
「失礼をいたしました。柳井さんに自分史を書くお手伝いをしていただきたいのです。私が語りますから書き遺してほしいのです」
「それでは、東京にその手の専門家が一杯いますが…」
 私はあくまで事務的に話した。友田の顔にはある種の哀愁と寂寥が窺えていた。それは深い悲しみを抱えているように見えた。その姿を見て私は、
「分かりました。今日帰り準備をして明日参ります。
今日のところは帰らせていただきますがよろしいでしょうか」
「はい、報酬では動かれない方と言う事は聞いています、どうかよろしくお願い致します」
 その声はよわよわしいものに変わっていた。

 歳は私より二十歳近く離れているように見えた。財政的には苦労はないが、精神的には恵まれていないという風に見えた。罪悪感を懲として持ちそれを武器にして働き財をなしたが、心の寂しさには勝てなかった人なのだと思った。
 人はいずれにしても生きる苦しみを持ちその中で生きる定めを持つ事は沢山の人達にあって知っていた。
 人はどのように春を惜しむ鳥になるかでその後の人生は変わる、私は嘗ての職業柄からその事を学んでいた。
 帰ってICレコーダーと用紙とペンを用意した。
 かばんにそれを入れた。
 友人からの手紙が書斎のディスクの上に置かれていた。
「済まない、勝手なことをお願いすることに少し心苦しさも感じている。他の仲間にと思うだろうが、君でなくては感情をコントロールすることが出来ないと思って我儘を頼んだ。友田氏とは大学が同窓で、社会に出ても親交はあった。ある事件があってそのアドバイスが余計に火に油をさしてしまう結果になった。彼の人生を狂わせた責任の一端は私にもある。その贖罪と言う事もあるが、これを頼めるのは君しかいないのだ。私はもうそんなに長くは持たないだろう。彼の話のなかには厭な話が一杯出てくるかも知れない。それらは君の度量で受け止めてほしい。よろしく頼む」
 それは乱れている文字で綴られていた。
 友田と佐藤のなかに何かがあった、そこには友田と佐藤の関係をにおわせるものがあった。

 人が生きる上で計画と言う事は無意味である。長い年月の間には時間のずれによってその計画は破たんすることが多い。だが、人間はそのずれによって崩された物を修復する力を持っている。それには自分を信じ相手を信頼することなくして出来るものではない。

 私は少し早めに宿を訪れた。座敷で待って下さるようにと案内された。テーブルの上に一枚の写真が置かれていた。まだ幼く小学校の制服を着用している少女と両側に母と思ぼしき女性と友田の若かったころの姿が映っていた。それはセピアに変色していた。
 仲居さんが座卓の上に朝食をならべていた。友田が帰って来たのはそのころだった。
「失礼しました。少し散歩をしていました。日本の風情を懐かしく感じていました。もう四十年の前に日本を離れていますので、違和感はありますが、やはり私も日本人の血が流れているのでしょう郷愁を感じました」
 そう言って座卓の前に正座をした。
「お写真を無断で拝見しました。みれば・・・」
「若い頃のもので、家族が幸せであった時のものです」
「大切にされていたのですね」
「ここに持ってきましたのは記憶を呼び戻すことに役だつと思ったからなのです」
「唐突ですが、今はどこ国で何をなさっておられるのでしょうか」
「バングラディシュで菜園をやっています」
「そうですか、そして、なぜ自分史を遺そうと言う気持ちになられたのでしょうか」
「はい、簡単に言えばけじめ、または清算と言う事になりますか・・・」
「誰に読ませるために・・・」
「自分にです、平たく言えば私を解放させるためなのかも知れません」
「正直に心境を聞かせていただきありがとうございました。私は自分史に虚構を入れたくありません、その真実だけを書かせていただくためにお聞きしました」
「分かっています、真実を書いて頂き反省を込めて自分の過去を問い直したいと言う事が、私のお願いです」
「よくわかりました。そのように進めさせていただきます」
 彼はそこでふっと息をのんだ。それはため息、重いため息のようにも感じられた。
「お食事を頂いてください、私は少し外の空気を吸いに出てきます」
「柳井さんもどうですか、一食主義なのでしたのですね」
「はい、昔から、それは佐藤さんからですか」
「悪くとらないでください、佐藤からの情報のなかから私が柳井さんを選ばせて頂きました。失礼と思われるのならお許しください。それだけ真剣なこととして受け取っていただきたいのです」
「分かりました、私の事を知っていただいていた方がやりやすいこともありますから」
 そこまだ言ってそとに出た。
 重い雰囲気から解きほぐされたかった。
 表に出ると倉敷川が流れていた。其の両岸には柳並木の枝が川面に垂れさがっていて揺れていた。江戸情緒が残る屋敷と流行りの土産屋が並んでいる。もう何処にでもある観光地化してしまっていた。
 私は倉敷市だが少し離れた工場地帯の近辺に住んでいた。家人の故郷、そこに居を構えたのは他の理由があった。公害と言う化け物との戦いだった。工場地帯の煙突が林のように空に伸び、そこから五十メートルもあろうかと言う真っ赤な炎が雲を焦がしていた。公害反対の市民の声が上がり始めていた時期だった。私はその闘争に引き込まれた、いや、自らが飛び込んで言ったと言う方が正しい。
 ルポの仕事の依頼はすべて断り、私自身が記憶にとどめようとしていた。いたいけない少女がなくなり年寄りが死んでいた。
 私はそこに地獄を見た。それを例えるならば灼熱地獄と言えよう。炎ばかりではなく煤煙が町を覆い作物を次々とからして絶滅させていた。人の住む場所ではなかった。五十メートル先の家が風の向きで消えて行った。
 それらの工場は高梁川が押し流した土砂により干潟になったところを埋め立て、遠浅の海を開墾したところに集中して作られていた。大型のダンプトラックが道路を削って走り続けていた。
 騒音、それは昼も夜もなく唸り続けていた。
 旧倉敷は穏やかな佇まいで安住していたが、瀬戸内海に面している工場地帯では住民による断末魔の悲鳴でとどろいていた。対象的な風景が見られた。
 私はその記録を克明に書き続けていた。
 私は過去のこの村がどうであったのか、その変遷を追った。
 私はこの美観地区に立つと工場地帯と比較してしまう。この風景を維持するために工場地帯がある、そんな錯覚を持ったものだった。
 私はスキャンダルや人の荒さがしの仕事を辞めた。
それを飯の種にしていた事を恥じた。
 私が生き方を変えたのにはそのような事由があったのだった。

 宿に帰ると友田は食事を済ませて窓から外の景色を眺めていた。其の姿は小さく見えた。
 私はICレコーダーテーブルに置き、ベンと紙を広げた。

          二

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