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yuuの一人芝居
友に出した手紙
毎年年賀状を頂き息災を知らせてくれる事に感謝しています。
お元気でお暮らしですか…。
私は前にも書きましたが、六十歳にして劇作家も演出家も、書きものをすることも辞めました。自由に生きたかったという理由でした。それまでに戯曲は四百程書き、小説も二百ほど書きました。五十歳代の十年間が一番忙しく、文化庁の仕事で世界に日本の演劇をと言う趣旨から「財団法人舞台芸術財団演劇人会議」を立ち上げるメンバーとなり早稲田、銀座の会議に月に二から三回出向いていました。私には持病の自律神経失調症があり東京駅の階段が上がれず這い這いして駆けつけていました。私の人生はその病との戦いでした。
そんな中で篠田正浩監督と昵懇になり監督の引退までの四作を手伝いました。岩下志麻さんをはじめ沢山の俳優さんたちと仕事をしました。映画創りは私の夢でしたのでその実現はとてもうれしく楽しい時間を過ごす事が出来ました。
その間、生活保護の子たち、母子家庭の子たち、いじめられっ子達、不登校の子たち五十人と十年間、倉敷芸文館ホールで公演を続けました。今から考えれば良くやれたものだと思います。
それに毎日新聞にコラムを三年間連載、小説も他紙に連載と言う、良く体がもったものだと思います。それを終わりにして、何もかも捨てて遊び人になったのです。
これまで本は出していましたが、七十歳の古希に「倉子城草紙」を区切りとして出版しました。
岡山県人名鑑(山陽新聞社刊)、中国年鑑人名録(中国新聞社刊)、日本紳士録に名を連ねていますが、それは私の望むものではないのです。名利名聞など私には似つかわしくないという、私は遊び人が向いている事を実感しています。
また、文化庁の要請で早稲田大学が、私が書いて公演したものを保存すると言ってきたのです。私が書いた作品目録は「日本演劇協議会」がこれも文化庁の支援で全国の劇作家の人達と一緒に全十巻におさめられています。
文化庁のパーティー、世界の演劇人達との交流にはなんどとなく病をひきずりながら出ました。
若い頃、脚本賞、小説入選をいただいています。高校時代は三年間で三百日もアルバイトに明け暮れました。勉強などしていませんでしたから大変でした。
私の道のりです。病と戦いながら家人に支えられた人生のひとこまです。
みなさんと違った道を歩いて来ました。好きな事をして生きてきました。子供のころ抱いていた夢を実現するために時間を費やしました。
端さんと私は小中高と一緒でした。今その当時の事を思い出しています。それぞれ道は違って生きてきましたが、素晴らしい人生を残していると思っています。
色々とあったその思い出に浸りながら友の幸せを願っている日々です。
沢山の人に温かい声をかけていただき、教えられました。
南高を終えて学校からの就職は断り、小さな玩具問屋に勤めたのは比較的時間が自由になる事でした。務めながら東京や大阪の大学を掛け持ちし通信課程で勉強をしました。それを終えて東京に出て浅草のストリップ小屋で演劇の基礎をならいました。新橋演舞場にも通い舞台の素晴らしさに感動しながら北条秀司先生や池波正太郎先生に人の道とは、人生とはなど教わりました。岡山で仕事をしながら辞めたり出戻ったりで、その間に上京し上阪しながら沢山の諸先輩から色々と教えていただき、手を差し伸べられたのです。東京も、大阪も私の肌には合いませんでした。そのころ家人とめぐり合い家人の故郷である倉敷水島で生活するようになりました。そのころの水島は空が燃えていました。年寄り、幼子は喘息で亡くなっていました。公害闘争に明け暮れました。警察とやくざに追いかれられました。
そのころから岡山県下の物書き、絵描き、新聞記者が家人のサテンに集まるようになっていました。持ち込まれた沢山の原稿を読んで雑誌を出したのです。全国的にも評価される雑誌になっていました。
倉敷の青年に演劇を教え、全国青年大会岡山県予選で優勝し岡山県の代表として全国大会へ、私の書いた作品を目黒公会堂で公演、沢山の賞をいただきました。その年を皮切りに四回も行きました。小説も書いていましたが、その人達に倉敷で公演する台本を次々と書く事になりました。それから「劇団滑稽座」を作り倉敷市芸文館ホールで劇作演出と関わったという事になりました。六十歳まで続けました。
二回目の同窓会には篠田監督の作品のロケに参加していて不参加になりました。
芸能界の醜さにも辟易するところは多かったのです。今はそんなしがらみから解放されて精神を自由にして暮らしています。
愚かゆえに楽しい事が一杯ありました。
私は湯浅氏、広瀬氏にも書いた事があります。同窓会で集まる事にはもの申す事はありませんが、そこに集う事が出来る健康と幸せに感謝して、ゴルフなどと言う事より、少しでも助けを待っている人に寄付すべきだと言ったのです。売名行為ではなく、今ある事を喜びその人たちに何かをするその事の大切さを説いたのですが、なしのつぶてでした。成功し、金持ちになる事は人より苦労しなくては成り立ちません。が、それは多くの人達が働き助けてくれたのだと言う事を忘れてはならないと言うのが私の考えです。
今日本は大きな岐路に立っています。それゆえにそれが大切であろうと思うのです。
今、私は私の生きてきた道のりを考えながら整理をしています。私の恩師たちは鬼籍に入った人が多いいのです。その人たちに引っ張られて今があります。出会いに感謝しています。
前の同窓会の折り、私に君はそんなに国語の勉強が出来たかな、と恩師と皆が言う人が言い不思議がられたのです。私に恩師は一人として小中高時代にはいません。世の中に出て沢山の日本を代表する人達にかわいがってもらいました。幸運でした。その人たちから頂いたすべて心温かい心情は演劇を通して、また人の付き合いのなかで次に繋げました。
今、時間を作り私の「自分史」を書いています。原稿用紙5000枚のところ2500枚まで書きましたが、これからが50代に入る所です。
端さんはあの頃独特のキャラクター持っていました。明るくて思いやりがあり素晴らしいものを持っていました。あこがれていました。
端さんにはなれませんでした。
あの頃のみんなはそれぞれの人生を歩いた事でしょう。
今日書いていて端さんの事が思い出されてついつい書いてしまいました。
時間をありがとうございました。
お元気で、麗老に生きてください。
昔の仲間の人達の情報があれば教えてください。
私の拙作「倉子城草紙」を同封させていただきます。お暇な折にページをめくっていただければこれにこした喜びはありません。
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