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2006.07.09
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カテゴリ: カテゴリ未分類
無料レポートが8割方完成しました。
内容は1年半ほど前、私が実家の寿司屋の経営を手伝って
売上を上げた実際のノウハウを書きました。

題名はまだ未定ですが

「地方の小さなお店がコスト0円で、翌月売上をいきなり3.2倍に増やしたある方法
 ~小さなお店の、ある男の大きな誇り~」

こんな感じにしようと思っています。

ノウハウ系のレポートなんですが
(恥ずかしいお話)書いていて、涙が何度も

というのも、父親を中心とする今までのうちの家族の
物語も絡ませてみたら、なんだか心の底から
熱いものがこみ上げてきたんです(笑)


ちょっとそのさわりの部分だけでもどうぞ↓




今から約1年9ヶ月前、ある事情が重なり
約10年住み慣れた東京の地を離れ
実家のある山口県下関市へと帰ることになりました。

18歳で高校を卒業し
大学のある京都の地で一人暮らしを始めました。
それから大学を卒業後は東京へと上京。


親元を離れてから早15年の歳月が経過していました。

それでも丸々15年間、音信不通であったのではなく
数年に一度の割合ですが、帰省はしていました。



そもそも、何故15年ぶりに実家に戻ることになったかと言うと
その時の私生活で様々な事情が重なったこともありますが


それにより一級の身体障害者資格者になってしまったことが
もっとも大きな理由でした。


とは言え幸いなことに身体は普通に動かせますし
普通の生活をするにはなんの問題もない状態でした。


いままで親不孝を続け、さんざん迷惑をかけてきた自分にとって
このことはとても考えさせられる出来事でした。


もしかしたら、このまま父親の顔を見ることなく
永遠のお別れを迎える日が突然やってくるかもしれない
そんな考えが頭を過りました。



ちょうどそんな折、偶然とは思えない様々な出来事が重なり
ついに実家へ戻ることを決断しました。

幸いまだ結婚もしていませんでしたし身軽であったということと
自分の仕事もネット環境さえあればなんとかなるという状態でしたので
親孝行がわりになるか分かりませんが思い切って
15年ぶりに親と暮らすという決断に至りました。




実家ではむかしから寿司店を経営しています。

昭和40年代当時終身雇用が当たり前に幅を効かせていた時代に
父親は30歳の時に当時勤めていた銀行を辞め
まったくのゼロから寿司屋の丁稚奉公に入りました。

脱サラは今ではまったく珍しいことではありませんが
当時は奇人変人扱いもいいとこだったそうです。


何故そんな扱いを受けてまで、寿司の世界に飛び込んだのでしょうか。


いまでもちゃんとした理由は教えてくれませんが
やはりその世界に人生すべてを懸けてでもやってみる魅力的な何かがあった
ということは想像にするに難くありません。

そして新しくその寿司という世界に飛び込んだ時には
結婚をしすでに家族がいて、兄がもう生まれていました。
私が生まれたのはその数年後のことです。


今思えばそんな見境のない無鉄砲な男にそれでも離婚せず
よく母がついていったものだと思います。

母親には生まれた時から父親がいませんでしたので、
自分の子供にだけはそんな不憫な思いをさせたくないとの思いから
離婚を決意しながらも必死に父親についていったそうです。




3年間の丁稚生活を終えると、京都市右京区西院西三蔵町という場所で
小さな寿司店をスタートさせました。この頃に私が生まれました。


この場所には私が小学校一年になるまでずっとおりましたので
ボールをぶつけ遊んでいた隣の家のコンクリートの壁
銭湯へと続く細い道、向かいの家のよく吠える犬、
夏になると夜、窓から見える大文字焼きの光景
それらすべてが、いまでも鮮明に目の裏に焼きついています。


そして、私が小学校一年の時に事件は起りました。


当時、一緒にお店を共同経営していた母親の母(私から見たら祖母)と
父親の間で数年前から火種はあったのですが
意見が食い違い、ついに戦争が勃発。
その結果、祖母にお店は全部譲り、私たち家族4人は山口県美祢市の父親の実家に
しばらく住まわせてもらうことになったのです。

このとき母親は大変迷ったそうです、離婚をするのか
子供を引き取るのか、祖母のそばにいるべきなのか

結局、一家4人ともが山口へ行くことになりました。

山口へ行ったとしても父親に仕事のあても当然なく
一家4人の行く先には今後の保証なんてものはまったく何もありませんでした。



この時祖母が言いました。
「信ちゃん(父親の名)、あんた山口行くのはええけどな
 家族はどないなんねんな。家族みんな路頭に迷わす気かいな。」


そして父親は言いました。
「ばあちゃん、家族にはな、どんなことがあろうと
 たとえ俺の命に変えてでも、絶対に絶対になんとかする」





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最終更新日  2006.07.09 08:31:20
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