ゆずはかあちゃんの独り言

ゆずはかあちゃんの独り言

闘病記4



今日は父の定期健診・・・そのまま入院となりました。

定時まで仕事をして家に帰って、荷物をバタバタっと準備して雪が舞う中を車で病院へ。

まさか入院になるとは思ってなかったので、ちょっと疲れたかな。

病院に行ったら超不機嫌な父。10分位で追い返される様に帰ってきた。

「荷物は完璧♪( ̄ー ̄)ニヤリ」と思っていたら、「色々と持って来るな~」って怒られちゃった(; ̄□ ̄)・・・

仕方ないよね。家に帰りたいんだもんね。

私は、正直に言うと・・・。少しホッとしてる。病院に居たら何かあっても看護婦さんも先生も居るから。

病院通いの日々。準備を1つ間違うと大変になる。しっかり完璧にやらないとね。



2004年01月23日

父は「肺炎」起こしてました。先生が「あと2日遅かったら手遅れだった(怒)」と父に言ったそうです。

我慢するから・・・私が何度も病院行こうって言ったのに!!はぁ。。。風邪ではない肺炎。

病院はインフルエンザの患者であふれてる。気を付けないと。



2004年01月25日

父の病室は9階。市外を眺めるのにはとってもいい。窓際の所になったので外を見てると楽しい。

JRの列車も見えるし、夜景もきれい。父は南側の病室がとっても好きで、今回はそれだけでも気分が違うのか話しやすい。

ゆう君と私は1階のロビーを通過してくるので、父の病室に入るまで大変。

大荷物を抱えながら手洗い場に行って、手洗いとうがい。

それから病室の前に置いてある手の消毒用の液を付けて殺菌。やっと入室となる。

そこまで神経使わなくても~って思われるかもしれないけれど、肺炎は怖いんです。

我が家は1ヶ月に2~3本は殺菌効果のある室内スプレーをします。布団を干す時も必ずスプレーしてから干します。

タオルや毛布、シーツも頻繁に洗濯します。それ位神経を使っても「肺炎」になってしまいました。

肺炎の細菌検査をしているそうです。どんな菌が検出されるのだろう。

点滴も栄養を入れないで抗生物質と鉄剤のみ。病院は何を考えているのか分からない。

父は「もう俺には治療する事がないんや」と言っていた。どうなんだろう・・・。



2004年01月26日(再発の告知)

父の食道に癌が再発していた。その腫瘍が気管支を圧迫している状態らしい。

病院から会社に居る時に携帯に連絡が入ったのでびっくりした。電話の後も、何事もなかったように仕事をしたきた。

どんな顔をして父の所に行こうかと考えながら帰ってきた。父から家に電話が入った。

ゆう君が出た。「今日は用事がないから来なくて良いよ。明日は来て欲しい。」との事だった。

気持ちの整理もできるし、明日なら頑張らなくても笑顔で父の所に行ける。ちょっとホッとした。

今日は私が病院に行くのをお休みした。父はまだ何も知らない。知らないままでもいいかなとも思う。よく考えよう。

病院の先生からは検査の状態によっては気管支にステントを入れると話があった。

もう、父を苦しめる事はしたくない。入れないほうが呼吸が苦しくて辛いのだろうか。分からない。

苦しまないように。痛くないように。辛くないように。家族はそれを願う。

その考えは間違っているのか・・・。分からない。「もう、頑張らなくていいよ。」と言ったら父は悲しむだろうか。

私は残酷な事を考えているのか。私は間違っているのか・・・。

どんな事をしても生きててもらいたいと、今は考えられない。父にとって辛く苦しい日々が続くのは私も辛い。

「生きたい」と願う父の気持ちと、私は全く反対の考えなのかもしれない。間違っているのか・・。ゆっくり考えよう。



2004年01月27日

入院した時より、父は顔色もよくなっていた。再発が信じられない。



2004年01月28日

父はちょっと元気がなかったです。心配になって看護婦さんに「再発の告知をしたの??」と聞きに行った。

返事は「していないと思う・・・」思うって何?先生との連携は?はっきりしてよ!って思った。

知らない振りをして普通にしていたけど、心の中は複雑だった。



2004年01月29日

父が風邪をひいた。落ち着くまではゆう君にうつるといけないから病院に来るなと父に言われた。

今まで風邪に対して神経ピリピリさせてきたのに、入院して1週間であっけなく風邪をひいた。なんだかなぁ。



2004年01月31日

父は熱が下がったり上がったりで疲れてました。風邪の症状が抜けないみたいです。

でも呼吸はできてるようなので安心しました。



2004年02月01日

名古屋の父の妹がお見舞いに来てくれたけど、父は38度3分の熱が出ていてほとんど話せなかった。



2004年02月03日

今日、父の病状説明を受けました。かなり厳しい状態に入ってきていました。

私が思っているより大変なのかも・・・って感じました。

抗がん剤、中心静脈(首の所から)の点滴開始。モルヒネの検討。

「家に連れて帰れますか?」の問いには「難しいです」との返答でした。

右側の気管支が今にも潰れそう、体力がないのに抗癌剤を投与しないと窒息してしまう。八方塞りの状態です。

「父が苦しまないように」それだけをお願いして帰ってきました。

「桜は見れますよね?」の問いかけに「見れるといいですね。今までのお父さんなら見れるかもしれませんね」との返事。

ホスピスの話をしたら、「最後までここに居てください。もう退院できないかもしれません。
きちんと痛みのないように苦痛が最小限になるようにします」と言っていただき、父の大好きな主治医の側で頑張る事を決めました。

悲しい筈なのに・・涙も出ませんでした。

心の準備は1年半前にできていたのかもしれません。

一時帰宅でもいいから、もう1度父を家に連れて来れたらと思っています。


2004年02月05日

父から言われた一言。そういう事言われた事がないからびっくりした。

1年半前、「お前はいつも「いい子」で居たいから毎日病院に来るけど、そうやって「いい子」って見る人なんか居ないんだぞ。
かっこつけやがって・・・」と父に言われた。

その一言が辛く悲しかったし、父の事を私一人で抱える辛さとダブルパンチで私は壊れた。でも病院に行くのは止めれなかった。

何故だか分からないけど。何故なのかな?「親だから」ていうのは当たり前だと思うし。父は強がりだから心配だった。それかな・・。



2004年02月07日 (父の弱音)

辛かった・・痛かった・・・そんな言葉が父の口から出るようになった。今まではなかった事。どうにもできない私。
寂しい気持ちになった。

抗癌剤も今日で終了。少しでも効いてくれるといいのだけれど。
昨夜はかなり呼吸が辛かったらしい。どうなっていくのだろう。



2004年02月08日

洗面所まで50メートル・・。そこまで行くのが辛いらしくて、タオルを濡らしたりと病院内をバタバタ。

看護婦さんが来て起き上がってる父を見て「家族の人が来ると起き上がれるのね^^良かった!」と言っていた。

私達が居ない時はほとんど起き上がらなくなっているんだ・・・。

私が「早く家に帰っておいで~」と言ったら、首を横に振っていやいやのしぐさ。

「春休みじいちゃんが居ないと寂しいよ~」とゆう君。返事もしないで寝ていた。



2004年02月11日

今日、病院に行ったら昨日とは別人の父が居た。シャワーも浴びて気分は絶好調~♪

父のお友達もお見舞いに来てくださり、昨年の春に行った北海道の思い出話に花が咲いた。

「俺の命日は2月だなと思ったぞ!ゆう君の4年生になった姿を見ないとな(笑)」なんて話も飛び出した。

「気力が戻った」そんな感じがした。最初病室に入った時は、起き上がって髭も髪の毛も整っていたのでびっくりした。

昨日までは体を触られるのもしんどそうだったのに。父の笑顔が見れてよかった。




2004年02月13日

父は11日よりは元気はないけど、前みたいに会話ができる様になった。

痛み止めが少しずつ効かなくなっているみたいだけど笑顔が見れるから。ほっとしている。



2004年02月14日

父が2日位前から高○屋のちらしをずっと眺めていた。「函館朝市」函館山の写真も載っていた。

昨日、看護婦さんに聞いたら「少しならいいよ。食欲が全くなくなってるけど。心残りのないようにしてね。」と
言ってもらったので
昼から行って好きそうで固くないものを買ってきた。

たらこ・鱒の筋子・塩辛・ほっけの干物。家に帰ってほっけを焼いて、タッパーに食べやすく切って色々詰めて・・・。
残りは冷凍庫へ。

病室に入って、父に買ってきた物を見せた。目が輝いて一口、2口・・。舐めるだけだけど、笑顔の父。看護婦さんに報告した。

夜中から熱が出て何も食べてなかったんだそうだ。嬉しかった。

喉の方側の食道が閉塞寸前なのが発覚した。でも体力がない父にはまだ、拡張の処置ができない。

拡張が成功すると信じているけれど、できなかったら本当に口から何も摂取する事ができなくなる。



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